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7千円

2020.09.17.Thu.
※健全

 死のうと決めたとき、死ぬまえになにかやりたいことはないかと考えたがなにも思い浮かばなかったので、じゃあやり残したことはないかと考えたらひとつ、思い出したことがあった。

「7千円」

 ベッドから起き上がった俺は一階の本棚から抜き出した卒業アルバムの住所録から高梨の名前を見つけだした。電話番号は載っていなくて104で教えてもらった番号へかけてみる。

 数コール。のちに

『はい、高梨です』

 女の人の声。懐かしい。高梨の母親の声。

「佐藤といいますが、龍平くん、いますか」
『あっ、龍平はもう家を出ているんですが』
「連絡先を教えてもらえませんか」
『あの、龍平とはどういう』
「高校のときに友達でした」
『あっ、佐藤ってあの佐藤くん?』

 俺を思い出したらしい高梨の母親は声のトーンをあげた。

「そうです」
『まぁ。久し振り。元気だった?』
「はい、そこそこ。龍平くんの連絡先、教えてもらえませんか」
『あっ、はいはい、携帯の番号でいい?』
「できれば住所で」
『えっ、と……そうねぇ』

 10年以上顔を見ていない俺に、息子の個人情報を教えていいのかためらうのは当然だ。

「実は僕、結婚が決まったんです。招待状を送りたくて」

 すぐ嘘が思い浮かぶ。仕事で身についた。

『やだまぁ、そうなの? それはおめでとうございます。まぁまぁ。いいわね。うちの龍平はまだそんな予定ないのよ』
「龍平くんの住所、教えてもらえませんかね」
『あっ、そうだったわ、ちょっと待ってて』

 耳元で「エリーゼのために」が流れる。しばらく経って母親が戻って来た。住所を教えてもらい、礼を言って電話を切った。

 高梨は県外へ引っ越していた。たぶん就職のためだろう。壁の時計を見る。14時過ぎ。いまから準備して出れば夕方までに到着できるなと計算していたら、そとのほうから自転車を止める音が聞こえた。ガサガサとビニール袋の音もする。母親が買い物から帰ってきたようだ。俺は二階の自分の部屋へ戻った。

※ ※ ※

 タクシー代をけちったのが悪かった。高梨の住所を携帯のアプリで調べると駅から徒歩15分とあって、歩いて探すことにしたのが間違いだった。半分シャッターのおりた商店街を二往復して、地図上ではメイン道路に見える細い道を半信半疑で曲がり、なんの目印もない住宅街をうろうろすること30分、ようやく高梨が住んでいるグランベール町田というマンションを見つけることが出来た。15分の道のりが小一時間。マンション脇にある自動販売機でペットボトルのお茶を買って一息つく。

 高梨の部屋は最上階の501。郵便受けで確認してから階段をあがる。エレベーターがないからだ。

「くそっ、高梨、くそっ」

 ここにはいない高梨を罵りながら最上階までのぼりきり、家の屋根とところどころビルが見える景色を見ながらまたお茶を飲んだ。膝がガクガク震えている。

 突き当たりが501号室。呼び鈴を鳴らすが反応なし。まだ帰って来ていない。

「くそっ、高梨、くそっ」

 濃紺の扉を踵で蹴りながら、高梨の帰宅を待った。

※ ※ ※

 高梨が帰ってきたのはなんと日付がかわってからだった。玄関前で三角座りでうずくまる俺を見て、高梨は驚いたようすで足を止めた。

「え? 誰? 佐藤? まじで?」

 半笑いで近づいてくるスーツ姿の高梨。学生時代は茶色かった髪が黒く短くなっている。学生のころと比べて男らしく精悍な顔つき。

「なにしてんだよ、こんなところで」
「トイレ、貸して」

 ずっと我慢して膀胱が破裂寸前だ。

 ※ ※ ※

 手を洗ってリビングのほうへ行くと、高梨はすでにスーツを脱ぎ、スラックスの上下でソファに座っていた。

「まさかトイレ借りるために俺んち来たわけじゃないだろ?」

 高梨はリモコンを手にしてテレビの音量をさげた。さっきからずっとかわらない半笑いが癪に障る。

 俺は無言で高梨に手を差し出した。その手を見たあと高梨はまた俺の顔を見上げた。

「ん? なにこれ?」
「7千円」
「え、なにが?」
「7千円」
「意味がわらかない。あ、おまえ、結婚すんだって? 実家から電話あったわ。ご祝儀よこせってこと? ちゃんと渡すよ。っていうかなんで7千円? あ、会費制なの?」
「違う。貸した7千円返せよ」
「はあ? なんの話? 借りてねえよ」
「貸した。高校んとき。ライブ行きたいけど金ないからって。俺がチケット代出した。交通費も食事代も。俺が。返せ」
「……あー……」

 高梨は目を瞑って額に手をやった。

「はいはいはい、思い出した。借りた、借りたね。確かに借りた。けど、返したじゃん」
「返してもらってない」
「返したって。おまえ、正月に俺んちまで取りたてに来たじゃん。俺のお年玉持って帰ったじゃん」
「そんなこと、してな……」

 ────したわ。

 思い出した。ライブが終わって数日たっても高梨は金欠を理由に金を返してくれなくて、いい加減待ちくたびれた俺は正月なら金があるだろうと高梨の家まで借金の取り立てに行った。そのあとやりすぎたかと少し反省して、冬休みが終わるまできまずい思いをして過ごしたのだ。どうして忘れていたのだろう。

 しかしここまできてあとには引けない。

「7千円返せよ」

 ついでに本当の金額が六千円だったと思い出していたが、俺は初志貫徹でいくことにした。

「返したって。まじで。てか、ほんと、なにしに来たんだよ」
「借りた金、返してもらいに」
「嘘だろ? そんなことでわざわざ俺んち調べて来るか普通?」
「嘘じゃない、ほんとだ」

 高梨は何か言おうと口を開いたまま絶句してしまった。

※ ※ ※

「まぁ、返せっつうなら返すよ、7千円。俺の記憶じゃ絶対返してるけど。ご祝儀だと思って、利子つけて返すわ」

 高梨は缶ビールを俺の前に置くと、自分も栓をあけて口をつけた。俺もずっと背負ったままだったリュックをおろし、テーブルのビールに手を伸ばした。

「結婚はしない。嘘だから」
「どういうこと」
「住所教えてもらうために。おまえの」
「なんで?」

 7千円と言おうとしたら「あーはいはい」と高梨に遮られた。

「どうしたのおまえ。なんかあった?」
「別に」
「じゃなんで急に」
「死のうと思って」
「え」
「今日、死のうと思ったとき、おまえに7千円貸してるの思い出して」
「なんで死のうとか」
「話せば長い」
「聞くよ」

 ちょっと優しさのこもった声で高梨は言った。俺は息を吐き出した。

「会社の人員整理。いきなり、上司に肩叩かれて。ちょっとって。嫌な予感はしてたんだけど。会社の業績のこととか、俺の営業成績のこととか。俺、営業向いてないからずっと異動願い出してたんだけど。それで、肩叩かれて。いまなら退職金こんぐらい出すからって。会社のためとか言われて。だったらおまえが辞めろよって思ったんだけど。俺、わかりましたって」

 こんなにふうに自分のことを話したのは久し振りだった。舌はもつれてたどたどしいし話はまとまらなくて支離滅裂だし。なのに高梨は黙って俺の話を聞いてくれている。いきなり金の取りたてに来た俺の話を真剣な顔で聞いてくれている。

「職探しもうまくいかなくて。ハローワークの講習受けてみたりしたけど。実家住まいだから駄目なのかな。だんだん気が弛んできて。無職の自分に危機感はあるのに、必死になれなくて。親は俺の顔みたら仕事は見つかったかって口癖みたいになって。だんだん嫌になってきて。部屋にこもるようになって。働くことに尻込みしてたら怖くなって。今日もなにもしないで窓の外見てたら生きてくの嫌んなって。もう死のうって思ったときに、おまえに7千円貸したままだったって思い出したから、ここ来た」

 唐突に終わった俺の話しに、高梨はしばらく無言だったがやがてうんと頷いて、

「わかった。そういう話なら金は返さない」
「え」
「俺が金返したら、おまえはもうこの世に未練はないから死ぬつもりなんだろ」
「まあ、そうなるな」
「だったら返さねえよ」
「なんで」
「おまえが死んだら俺が悲しいじゃん。うん。寂しい。おまえにはまだ生きててほしい。だから返さん」
「なんで」
「俺、おまえのこと好きだし。最後に俺のこと頼ってくれて嬉しいし」
「頼ってなんか」
「俺に会いに来たくせに」
「7千円」
「そんなの口実だし」
「違う」
「違わない」
「帰る」

 俺が立ち上がると、高梨は「7千円は?」とまた半笑いに戻って訊ねてきた。

「思い出した。返してもらってた」
「返してない」
「返してもらった」
「返してないし、かえさない」

 高梨に手首をつかまれた。そのまま引っ張られてソファに座りこむと、背後から高梨が抱きついて来た。

「死ぬとか馬鹿なこと言うなよ」
「ほっといてくれ」
「ほっとけねえよ」
「偽善者」
「自分でもこのままじゃ駄目だってわかってるから俺んとこ来たんだろ」
「違う、金返してもらいに来ただけだ」
「ちょっと自信なくなって臆病になってるだけなんだろ」
「違う」

 否定する声が滲んだ。

「今度はおまえに合った仕事が見つかるよ」
「おまえになにがわかる」
「わかるよ。友達だもん」

 逃がさないように俺を縛る高梨の腕を掴みながら、俺はとうとう堪え切れずに嗚咽をもらした。

「なんもかも駄目だって思うときはあるよ」
「うっせえ」

 涙を零しながら悪態をつく。

「辛くなるときもあるよ」
「うっせえよ、高梨」
「だけど案外、時間がたつと平気になってたりするよ」
「適当なこと言うな」

 高梨の腕に涙を降らせながら、俺はようやく気がついた。誰かに優しくしてもらいたかっただけなんだって。

※ ※ ※

 いつの間にか寝ていた。身を捩ると後ろからうめき声が聞こえた。

「佐藤、起きた?」

 目をこすりながら高梨が欠伸をする。俺はまだ高梨の腕の中だった。あのままふたりとも寝てしまっていたようだ。気恥ずかしくて高梨から目を逸らして頷く。

「帰る」
「かえさない」

 立ち上がった俺の胴にしがみついて高梨はまた目を閉じる。俺は抱き枕じゃない。

「もう、死なない」
「けど心配だし」
「もう大丈夫」

 高梨の肩に手を乗せる。高梨は目を開けた。

「また職探しする」

 高梨の黒い目がじっと俺を見つめている。

「また頑張る」

 俺もその目をじっと見つめ返す。

 どうして高梨のことを思い出したのか自分でも不思議だ。大学でも友達は出来たのに、そいつらのことは微塵も思い出さなかった。卒業してから会わなくなったのはどちらも同じなのに、死のうと思ったとき頭に浮かんだのは高梨のことだった。こいつの言う通り、俺は心のどこかで高梨のことを頼りに思っていたのかもしれない。

「また今度、遊びにくる」
「今度っていつ」

 真摯な高梨の目。呼吸が難しくなる。

「じゃあ日曜」
「約束な」

 高梨の体がはなれていった。俺は自分の体がどんどん熱くなっていくのを感じた。


(初出2012年)


この話、「電話が鳴る」と似てますね。何年経っても好みがかわらないという証明。
明日はまたぴーきーシリーズに戻りまーす!
次の「OVERDOSE」もある意味まったく関係無い番外編だったわ…(タイミング)
北野と陣内(鉄雄と菱沼の先輩)の話になります!(すいません)



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コメント
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お返事
3:45の方へ

コメントありがとうございます!
人生は山あり谷ありですね。私も落ち込んでいるときとか捨て鉢な気分の時にこのての話を書きがちです。大きなお世話かもですが、一分一秒でも早くどん底な状況が上向いて気持ちが晴れますように。祈ってます。落ちたときは自分を甘やかしてあげるのが一番ですi-179

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