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右手左手(4/4)

2020.10.27.Tue.


 大学への進学か就職か、進路を決める時に「教師になりたい」と有から最初に打ち明けられたのは俺だった。俺はもちろん賛成した。次に打ち明けられた兄貴も賛成だった。爺さんは、教師という職業を聖職だと考えていたので大賛成だった。しかも、爺さんの影響で英語教師になりたいのだと知ると、そのあとの浮かれようは見ていて恥ずかしいほどだった。最近寝込むことが多かった爺さんだったが、それからしばらくは元気に動き回り、散歩にも出かけ、会う人に自慢してまわった。

 大学に入ってすぐ、留学の相談を一番に持ちかけられたのもやはり俺だった。俺から兄貴に話してみる、と有に言った。俺から話を聞くと兄貴は黙りこんだ。

「お金ならあるだろ、行かせてやろうよ」
「だがな……、アメリカだぞ、遠すぎる。何かあったらどうするんだ」
「そんなこと心配してたら、有はどこにも行けないよ」

 兄貴は自分の目の届くところに有がいないと心配でたまらないのだ。

「何ヶ月だ?」
「半年」
「半年……」

 とまた考え込んだ。その日、兄貴は首を縦に振らなかった。俺から話を聞いていると知っている有は、話しかけられることを拒絶している兄貴の雰囲気に何も言えず、黙って結果を待っていた。その顔は不安そうだった。

 兄貴はなかなか答えを出さなかった。悩んでいるのか、もとより出す気がないのか。焦れた俺が兄貴をせっついた。

「お前は平気なのか? 心配じゃないのか?」

 まるで俺が薄情だと言わんばかりの顔をする。さすがにムッとなって言い返した。

「過保護が有のためになるとは思えないよ。有だってもう子供じゃないんだ。自分で考えて留学したいと言い出したんだから行かせてやるのも親心だと思うけど」
「あいつはまだ子供だ」

 兄貴は俺から、現実から目を逸らした。

「有が俺たちに隠し事してるの、気付いてる?」

 びっくりした顔で兄貴が俺を見た。

「俺は有から何も聞いてないよ。これは俺の勘なんだけど、有、付き合ってる子がいるんじゃないかな」

 帰りはいつも門限ギリギリだし、休みもよく出かけている。勉強していてもたまに考え事をして手が止まっていることがある。その時有は、何かに想いを馳せる遠い目をしていた。あれはきっと恋をしているのだ。

「有が……? 何も聞いてないのか?」
「だから聞いてないって。有ももう大学生なんだ、いちいち俺たちに言ってくる年じゃなくなったんだよ。これからどんどんあいつは自分で決めて自分で行動するようになる。隠し事だって増えてくるさ」

 兄貴はショックを受けたのか、しばらく呆然としていた。そろそろ兄貴には弟離れしてもらわなくては困る。

「留学、行かせてやろうよ。せっかくやりたいことがあるんだからさ。応援してやろうよ、兄貴」

 兄貴は難しい顔で長い間考えていたが、ようやく決心したのか、諦めたのか、「そうだな、行かせてやろう」と溜息と共にに吐き出した。

 爺さんには兄貴が話をした。外国贔屓の爺さんが反対するはずはなかった。

「お前から有に伝えてやってくれ」

 爺さんと話をつけた兄貴が俺に言った。俺はそれを断った。

「有も兄貴から返事を聞きたいんじゃないかな」

 兄貴は珍しく頼りない顔をした。

 その夜、寝る前に、留学に行けることを兄貴が有に話した。有の顔がパッと明るくなった。

「ありがとうございます」

 と礼を言う。兄貴は照れくさいのか、ことさら顔を険しくして「遊びに行くんじゃないんだからな」と言っていた。それを見ていた俺は、吹き出すのを我慢するのに骨を折った。

※ ※ ※

 有がいない留学期間中、家の中はまた一層静まり返った。この頃爺さんは入退院を繰り返し、家で過ごすより病院で過ごすことのほうが多くなっていた。みるみるやつれて行き、声に覇気もない。目に見えて弱っていた。

 爺さんは入院中で、俺と兄貴、二人きりの夕食の時に爺さんの体調のことを話し合った。医者の話ではこれから調子を持ち直すことはないだろうということだった。

「ああいう人は案外長生きするもんだ」

 兄貴は皮肉って笑った。

「そうだね。もう少しこっちにいてもらわないと、あっちでばあちゃんがまた苦労させられるからね」

 俺も笑って言った。

 がしかし、爺さんは有が留学から戻った半年後にあっけなく死んだ。

 身内だけでひっそり葬儀を行った。静かに泣く有を慰めながら俺も一緒に涙を流した。兄貴は最初から最後まで泣かなかった。

 納骨も終わり、一息ついた夜、仏壇の前で兄貴が座っているのを見つけた。

「ばあちゃんに、引き止められなくてごめんって謝ってんの?」

 俺が部屋に入って声をかけても、兄貴は仏壇のほうに顔を向けたまま。

「礼、俺、ぜんぜん悲しくないんだ」

 静かに話す兄貴の背中に目をやった。兄貴は依然として前を向いたままだ。

「お前たちに手をあげる爺さんを殺したいほど憎んでた。それは隠しもしない。でも、あんな爺さんでも、俺たちを引きとって養ってくれた身内なんだ。それなのにぜんぜん悲しくないんだ。涙一つ出て来ない。俺を薄情だと思うか?」

 兄貴が振り返った。自虐に口元が歪んでいる。俺は首を横に振った。

「俺だって兄貴と似たようなもんだよ」
「お前は泣いてたじゃないか」
「あれは有が泣くからもらい泣きしたんだ。あそこで兄貴が笑い出してたら、俺も笑ってた」

 それは事実だった。俺も悲しみはなかった。肉親を見送るのは三度目だからだろうか、と心が空白なわけを考えてみたが、そうじゃないと本当はわかっていた。

「兄貴が薄情なら、俺だって薄情だよ」

 兄貴が苦しそうに目を伏せた。

「お前にも辛い思いをさせてきたな。頼りない兄貴で、ごめんな……」

 最後の声は震えていた。手で目元を押さえ、嗚咽を漏らす兄貴のそばに屈みこみ、背中をさすった。

「俺こそ、損な役を兄貴にばかりさせてごめん。いつまでも甘えてばかりでごめん。本当に兄貴には感謝してるよ」

 俺まで涙が溢れてきた。二人で一緒に泣いた。なぜこんなに泣けてくるのかわからなかった。

 しばらくして泣きやむと、兄貴は照れ隠しで俺の頭をくしゃくしゃと撫でた。俺もやり返した。顔を見合わせ、吹き出した。憑き物が落ちたような兄貴の顔だった。

※ ※ ※

 有の就職が決まった。不況の中、私立高校の専任教員に採用されたのは幸運だった。俺たち二人から就職祝いに腕時計をプレゼントした。

 これで有も一人前だ。俺たちが満足していたある日、話があるから次の日曜は家にいて欲しい、と有が兄貴に言っているのを聞いた。俺は何も聞いていない。有が俺より先に兄貴に話をするなんて珍しいことだ。その日曜、俺は家をあけることにした。

 日曜日の朝、兄貴と有を残し、近くのホームセンターに出かけた。ばあちゃんが亡くなってから、ほったらかしだった庭の雑草をそろそろどうにかしなければならない。スコップと除草剤を買い、本屋に寄ってから帰宅した。玄関に見慣れない靴があった。有の友達だろうか。静かに中に入った。

 挨拶をしたほうがいいだろうか。考えながら台所へまわった。襖一枚隔てた隣の居間から話し声が聞こえて来る。

「僕は真剣です。遊びや気の迷いではありません。僕には一ノ瀬しか考えられないんです。申し訳ありません」

 若い男の声が聞こえてきた。あの靴の持ち主だろうが、いったい、何の話をしているんだ。有しか考えられないとはどういう意味だ。

「すみません、俺も真剣です」

 いぶかしむ俺の耳に有の声が続いた。雰囲気で二人が頭をさげているのがわかった。重苦しい空気がここまで伝わってくる。俺の頭に一つの仮説が浮かぶ。しかし、まさか、とそれを打ち消す。二人とも、男同士だ。

「二人とも顔をあげなさい」

 兄貴の静かな声が聞こえた。

「すべてわかった上なんだろう? わかった上で、それでも一緒に暮らすと言っているんだろう? だったら俺が許すも許さないもない。俺に謝る必要もない。二人の好きにするといい」

 一緒に暮らす? どういうことだ? 内容にも驚いたが、ものわかりのいい兄貴にはもっと驚いた。外泊するだけでも難色を示すのに、有が家を出ることをすんなり許すなんて今までじゃ考えられないことだ。

「よく打ち明けてくれたな。勇気がいっただろう」

 怒るどころか、声に優しさが滲んでいた。

「兄さんには、言わなきゃいけない気がしたんです」

 ほっとしたような有の声。

「そうか……。礼にはもう言ったのか?」

 隣の部屋で俺は一人、首を振った。

「いいえ、まだ。帰ってきたら話します」
「まだか……、そうか」

 そう呟く兄貴の声が嬉しそうだった。今までずっと有の相談は俺が先に聞いてきた。土壇場の大事な場面では、俺じゃなく兄貴が優先されたということか。あとまわしにされたことに寂しさはなかった。逆に嬉しく思った。

「一ノ瀬は僕が守ります。安心して下さい」

 男が言った。すかさず、

「これを誰かに守られるような男に育てた覚えはない」

 兄貴が反論した。男は慌てて「すみません」と謝罪した。そうだとも、本当は甘やかしたいのに、兄貴は心を鬼にして、有に厳しくしてきたんだ。誰かに守られるようには育てていない。

「いや、しかし、いざというときには力になってやってくれ」

 最後に甘いのは兄貴の愛嬌だ。俺は静かに苦笑した。

「有の料理には期待しないほうがいい。こいつは料理が下手で食材を無駄にするから」
「開兄ちゃんっ」

 有の慌てたような声。兄貴が声をあげて笑った。俺は驚いて息を飲んだ。兄貴の楽しげな笑い声なんていったい何年ぶりに聞いただろう。有が兄貴を「開兄ちゃん」と呼ぶのも、いったいいつぶりか。兄貴の心情を思うと、感動すら覚えた。

 三人が雑談を始めたので俺は庭に移った。今日買った除草剤を水で薄め、それを庭の雑草に撒いた。部屋に戻るとき、廊下で兄貴と鉢合わせた。

「帰ってたのか」
「うん」
「さっき有たちが出て行ったところだ。呼び戻すか?」
「いいよ。だいたい話はわかったし。相手、どんな男?」

 兄貴の顔が少し赤くなった。ゴホンと咳き込み眉間に皺を作った。

「相手は木村君だ。はじめて会ったが、まぁ、悪い奴じゃなさそうだ」
「木村君だったんだ、あれ」

 とすると、二人の付き合いは高校からということになるのか。その頃、有に彼女が出来たと思っていたが、相手は木村君だったのかもしれない。いったいいつ、深い仲になったのか。あの有が、あの声の男に……。

 無意識に顔が険しくなり、兄貴と同じように眉を寄せていた。

「まぁ、有が選んだ奴なら、仕方がないね」

 そう自分に言い聞かせる。

「この家、出て行くんだって? いいの?」

 兄貴の顔を窺った。兄貴はゆっくり頷いた。

「あいつももう大人なんだから、いつ出て行こうと自由だ。お前も彼女くらいいるだろう、結婚でも同棲でも、好きにしろよ」

 別人かと思う聞きわけの良さを見せて笑う。呆気に取られたがすぐ我に返った。

「なに言ってるんだよ。俺より先に兄貴が結婚してくれないと、俺も安心出来ないよ」

 兄貴が結婚するまで、心配でこの家を出て行けるわけがない。自覚はなかったが、俺も相当ブラコンだった。


(初出2009年)

これにて本編、番外編すべて完結です!
長らくお付き合いくださりありがとうございました。m(_ _)m

コロナのほうは残念ながら収束する気配はありませんが、外出時はマスクして、店はいる前に消毒して、密を避けるwithコロナの生活が、いつしか日常というか当たり前になってしまいました。来年には元の生活に戻っていて欲しいですね…。このまま気を緩めずに警戒を続けて行きましょう!

11月入ったくらいに次の更新をしたいなーと考えてます!
3ヶ月ほど時間あったんですけど、不甲斐ないことにそれほどストックは増えず。しかも続編がほとんどだよ!
予告しておくと「ずっ友」「NOサプライズ」「ノビ」「嫁にこないか」「コンビ愛」の続編と新作が一本です。書こうとしていたことをやめたせいで中途半端な終わり方だったり、まだ続きそうだったり、エロがなかったり、完結っぽかったり、意味がわかんなかったり。そしてひとつひとつがダラダラと長め!
よかったらまたお付き合いくださいませ^^
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コメント
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お返事
ピダム様

最後までお付き合いくださりありがとうございました!!
この2人って外野が見たらめっちゃ仲良くてお似合いなんだよねーって第三者視点がけっこう好きで番外編は別視点多めになっちゃいました。すごく暗くなったりBLじゃなかったりして完全に自己満足の世界でしたが、吐き出さないと次進めないみたいな。ちょっとでも楽しんでもらえてたら嬉しいです^^
私も一途に溺愛系が大好きです^p^
ひっそりねっちりヤンデレ系も好きだし、オープンガツガツ系も好き。木村はオープン系ですね。今度続編書くときはそのへんしっかり意識して書きますwリクエスト頂いて嬉しかったです!需要ないのは寂しいですもん。ちょっとお待たせしちゃうかもしれませんが、完成したらまた読んでやってくださいm(_ _)m

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