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右手左手(3/4)

2020.10.27.Tue.


 ばあちゃんが亡くなったのはその翌年だった。夕食のあと急に倒れ、病院に運ばれたが一時間後に死亡した。心筋梗塞だった。俺も兄貴も泣いた。両親の時と違って死を理解できるようになった有は、ばあちゃんの遺体に泣き縋った。それを押し止めるのは大変だった。有はおばあちゃん子だった。

 爺さんは気丈に振舞おうとしていた。医者や看護師に礼を言ってまわり、家に戻ると早々に葬儀屋の手配をした。そんな爺さんを俺も兄貴も冷酷非情だと思っていたが、火葬が終わった時、爺さんがばあちゃんの小さい骨をすばやく手の中に隠し、それを誰にも見られないようにこっそり財布の中に入れたのを見た時は、その認識を少し改めた。

 ばあちゃんが早くに死んだのは間違いなく爺さんが無茶を押し付けてきたせいだ。我侭で頑固で偏屈な爺さんの伴侶として長年神経をすり減らしてきたからばあちゃんは死んだ。その考えにかわりはないが、爺さんは爺さんなりにばあちゃんを愛していたのだと、それだけは認めた。愛していたならもっと大事に出来なかったのか、そんなことを思っても、いまさら遅い。

 ばあちゃんがいなくなってから、家は前よりさらに静かに、陰気になった。有はしばらく泣いて過ごした。そんな有を見て爺さんは怒り狂った。兄貴は仕方なく有をぶって黙らせた。有はますます兄貴から距離を取るようになった。態度もよそよそしくなり、口調も他人行儀になった。そう兄貴が躾けた。この頃から兄貴は笑わなくなっていた。

※ ※ ※

 ばあちゃんが他界して三年が経った。ボーイスカウトは有が中/学生にあがるときに辞めた。部活動をさせるために爺さんが辞めさせたのだ。最近の爺さんはすっかり弱っていた。ばあちゃんに先立たれ、生きる気力を失ってしまったのかもしれない。体も痩せ細り、毎日していた散歩を休みがちになった。冬には体調を崩し一時入院した。俺と兄貴が交代で病院に通った。

 兄貴は就職し社会人、俺は大学生だった。俺も働くと言ったが兄貴が頑として許してくれなかった。

「俺が働けば二人の給料で有も養っていける。この家を出よう」
「出て行きたいなら一人で行け。俺は有とここに残る」

 兄貴はにべもなくそう言った。兄貴の決意はかわらない。俺は諦めて進学した。俺のためを思ってのことだとわかっていても、俺はその時、悔しくてたまらなかった。両親を失ったあの日から兄貴は俺たちの父親だった。そして俺はいつまでたっても弟であり息子だった。少しは一人前と認めて頼って欲しい。いつまでも子供じゃない。初めて兄貴に反感を抱いた。

 有は陸上部に入った。部活動のため、門限は20時に延ばされた。部活が終わると有はまっすぐ家に帰ってきた。靴をそろえて家にあがり、居間の爺さんに「ただいま戻りました」と報告し、子供部屋にやってくる。制服を着替えると、夕食の手伝いをし、夕食のあとは勉強をした。昔の子供の無邪気さはもうなかった。

 優秀な成績で中学を卒業し、大学付属の高校に有は進学した。爺さんはたいへん満足していた。部活には入らなかったが有は生徒会の役員になった。爺さんは、ボーイスカウトで協調性と自立心を育てた成果だと自分の判断が正しかったと悦に入っていた。

 しかし有には高校生らしさが少し欠けていた。携帯電話を欲しいと自分から言わなかった。俺が最初に兄貴に進言し、兄貴が有に欲しいか確認を取った。有は必要ないと断った。年頃の男の子が携帯を持っていないのは問題じゃないかと俺と兄貴で話し合い、結局持たせることにした。有は渡された携帯電話を見て「ありがとう」と遠慮がちに笑った。

 有はあまり友達と遊ばなかった。高校生の男子が今時門限20時なのだから、遅くまで遊べずに付き合いが悪くなるというのならわかるが、それとは関係なく、友達自体あまりいないようだった。

 たまに学校の話を聞くが、出てくる名前はいつも限られている。中でもよく出てくるのが、同じ生徒会のサンジャイ君だ。学年は一つ上だが、サンジャイ君は有と同じボーイスカウトの隊にいた子で、有を心配するあまり、弟のことをよろしく頼むと兄貴が頭をさげた相手だ。

 小さい頃から付き合いがあり、有のこともよくわかっているサンジャイ君がそばにいてくれるのは、俺たち兄弟としても心強かった。だが同じ年の子たちとももっと積極的に交流を持って欲しいという心配もあった。

 だから、有が二年生になった春、学校が休みの土曜日に、友達とバスケの練習試合を見に行くと言われた時は嬉しかったものだ。その時もサンジャイ君絡みだったが、一緒に見に行く相手が同じ二年生だったのだ。

 有を送り出したあと兄貴が話しかけてきた。

「有はバスケ部に入ったのか?」
「違うよ、サンジャイ君の練習試合を見に行くんだってさ」
「一緒に行くのは誰なんだ?」
「最近知り合った木村君っていう子。どんな子なのか聞いたら、よくわからないって難しい顔してたよ」
「そうか」

 と兄貴は小さく頷いた。

 有は何かあると真っ先に俺に言ってくる。相談事も俺にしてくる。兄貴はそのあとか、何も話されないかだ。その時は俺から報告しておいた。父親役を自任しているから納得済みかもしれないが、本当はそれをとても寂しく思っているはずだ。小さかった有が大きくなっても、兄貴のブラコンはなおっていない。

 有に友達が出来たと喜んだのも束の間、夏休みに入ったというのに有は遊びに出かけなかった。木村君と仲良くしているのか聞いてみると「もう関係ないんだ」と暗い顔で答えた。

「喧嘩したのか?」
「喧嘩……にもならなかった。俺の勘違いだったみたいなんだ」

 と寂しそうに笑う。

「お互いなにか誤解があるんだよ。仲直りしたい気持ちがあればまた元に戻るよ」
「そうかな」
「そうさ」

 頭をくしゃくしゃと撫でたら、有ははにかんで目を伏せた。

 有の様子がおかしい、と兄貴が俺に言ってきたのは、その一ヵ月後だった。夏休みが終わった頃から、有は目に見えて元気がなかった。それは俺も気になっていた。

「なにがあったか聞いてないのか?」

 直接本人に聞かず、俺に聞いてくる。

「前に友達と喧嘩したみたいだけど……、それが原因かな」
「喧嘩であんなに落ち込むか? 好きな子に振られたとかじゃないか?」
「好きな子が出来たとは聞いてないよ」

 高校生がわざわざ兄弟に好きな子がいると報告するわけがないのに、この頃の俺たちはそれがあると信じて疑わなかった。俺たちの中では、有はまだ子供だったのだ。

「本当に喧嘩しただけか? いじめられてるんじゃないだろうな?」
「わかった、有と話してみるよ」

 心配顔で兄貴は頷いた。

 その夜、勉強机に向かう有に声をかけた。

「その後、木村君とはどうなんだ?」

 有は「木村」という名前を聞いた一瞬、傷ついたような顔をした。

「まだ仲直りできてないのか……」

 有は黙って頷いた。暗い表情だった。

「開兄ちゃんが心配してたぞ」
「兄さんが?」

 伏せていた目をあげた。最近、有は兄貴のことを「開兄ちゃん」と呼ばず、「兄さん」と呼ぶ。兄貴は何も言わないが、前みたいに呼ばれたいと思っているはずだった。現に、有からはじめて「兄さん」と呼ばれたとき、わざわざ俺に言ってきたくらいだ。俺が今まで通り「礼兄ちゃん」と呼ばれていると知ると、静かに落ち込んでいた。

「有が女の子に振られたんじゃないかって言ってたよ」
「そんなんじゃないよ」

 否定する有の顔が少し赤くなった。

「好きな子とかいるの」
「い、いないよ、そんなの」

 ますます赤くなる。有は俺たちに嘘をつかない。その大前提があるので俺は有の言葉を信じた。

「仲直りしたいなら勇気も必要だよ」

 しばらく考えてから有はコクンと頷いた。

 有の表情が明るくなったのは、それからすぐ、文化祭が終わった直後からだった。どうやら仲直りできたらしい。俺と兄貴はほっと胸をなでおろした。

 二学期の終わりの生徒会選挙で、有はまた、副会長になった。

「生徒会長になった木村に指名されたから、仕方なく」

 有はなぜか赤い顔で言った。とにかく木村君とは仲良くやっているようで安心した。

「どうして二年連続副会長なんだ。どうして会長に立候補しないんだ。情けない奴め」

 爺さんは気に食わないようでしばらく有を責め続けた。有は「すみません」と項垂れた。物心つく前から爺さんのそばにいたからか、有は爺さんへの反抗心は一切持っていなかった。何を言われても「すみません」「わかりました」「ありがとうございます」だった。品行方正な有は、この頃にはもう、爺さんから怒鳴られ、折檻されることもなくなっていた。それは兄二人をとても安堵させた。

 冬休みに、有は木村君の家に泊まりに出かけた。有の外泊は初めてのことだ。俺は喜んでいたが、兄貴があまり快く思っていないのは険しい顔つきでわかった。

「いいことじゃないか。有は真面目すぎる。たまには夜遊びだってさせてやるべきだよ」
「そんなことはわかってる。粗相をしないか心配なだけだ」

 と、ぶすっと答える。

「大丈夫、有はどこに出しても恥ずかしくない子だよ。兄貴の教育の賜物だね」

 褒めたつもりが、兄貴の目元に暗い影が落ちる。

「それは厳しくしてきた俺を責めてるのか」

 弱った声で兄貴が言う。慌てて否定した。

「そんなことない。兄貴が有に厳しくしたのは爺さんから守るためだ。それは俺が一番よくわかってる。嫌味に聞こえたなら謝るよ、ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。兄貴には感謝してるんだよ」
「あいつはどうだろうな」

 ポツリと呟いた。有はどう思っているのか。

「有だってちゃんとわかってるよ。なぁ、兄貴、もういいんじゃないか?」
「何がだ」
「もう有につらくしなくてもいいんじゃないか? 最近爺さんが有を殴ることはないし、また前みたいに優しくしてやってもいいんじゃない? 有もそれを望んでると思うよ」

 兄貴は俯いて考え込んだが、しばらくして顔をあげ、フッと自嘲するように笑った。

「今更戻れない。有とどう接していたか、それも忘れてしまったんだ。俺にはもう出来ない」

 無意識に、兄貴の額の傷を見ていた。有のかわりに爺さんのステッキで殴られた傷。あの時から、兄貴は弟を守るため憎まれ役になり、有に厳しくしてきた。言いたくないことを言い、したくない体罰も与えてきた。あの時つけた仮面が、今では兄貴の本当の顔になってしまっていた。演じ続けるのが長すぎたんだ。

「ほんとに、兄貴は損な性格してるね」
「損をしていると思ったことはない」

 俺を安心させるためか兄貴は微笑んだ。兄貴の笑い声をもう長く聞いていない。


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