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右手左手(1/4)

2020.10.26.Mon.
※一ノ瀬兄弟の次男目線、子供への折檻、暴力描写あり、エロなし、BLでもない

 両親が交通事故で亡くなった時、兄の開は一度も俺たちの前で涙を流さなかった。まだ9歳だったのに、これから下の弟二人を自分が守っていかなくてはならないと、そういう使命感を自覚していたのだろうと思う。

 二つ下の俺は、まだ二歳にならない弟の有の子守をしながら、奥の座敷で声を殺して泣いた。

 俺たち三人兄弟は祖父母の家に引き取られた。世界にたった三人きりの家族。俺たちは運命共同体だった。

※ ※ ※

「有は?」

 高校から帰ってきた兄貴の開が、制服をハンガーにかけながら俺に訊いてきた。俺は見ていた雑誌から顔をあげ「寝てる」と答えた。

「学校から帰ってきて靴の脱ぎ方が少し雑だったからって爺さんに叩かれた。今はばあちゃんとこで泣き疲れて眠ったよ」
「そうか」

 暗い顔で兄貴が頷く。爺さんの暴力のような体罰は日常茶飯事だ。俺も兄貴も手加減なく何度も殴られ蹴られてきた。まだ小/学生の有にも容赦がない。俺たちは爺さんが嫌いだった。

「礼、迎えに行って来いよ」

 服を着替えて兄貴が言う。

「まだいいんじゃない、寝てるんだし」
「いつまでもばあちゃんとこに寝かせておくわけにはいかないだろ。ばあちゃんも家の仕事があるんだし」
「だったら兄貴が行って来いよ」
「俺が行くより、お前が行ったほうが有は喜ぶからな」

 と寂しそうに笑う。本当は七歳離れた弟が可愛くて可愛くて仕方ないのだ。自分で迎えに行きたいのに行けない。兄貴は損な性格をしている。

「もう少ししたら迎えに行くよ」
「頼む」

 兄貴が前髪をかきあげた。左の眉の上に傷跡が見えた。去年の秋に出来た傷。

 ※ ※ ※

 爺さんの体罰は近所でも有名だった。近所の人から俺たちは、両親を亡くし、暴力的な祖父に引き取られた可哀相な子供たちと認識されていた。

 ある日、有が17時の門限を破って帰ってきたことがあった。爺さんは近所中に聞こえる大声で有を怒鳴りつけ、足蹴にして表に追い出した。家の前の小さい川に突き落とし、そこで反省していろと言う。

 寒い秋の夕暮れ。有は体を震わせ、泣きじゃくった。

 騒ぎを聞きつけた近所の人たちが、心配そうに有と爺さんを見る。

 ばあちゃんがオロオロして、爺さんを止めようと声をかけるが、爺さんは人の言葉に耳を貸すような人じゃない。

 爺さんの暴力が怖くて、中学一年だった俺は黙って見ていることしかできなかった。その時、兄貴が学校から帰ってきた。

 川にずぶ濡れの有が震えて立っているのを見て、血相かえて俺にわけを聞いてきた。俺から事情を聞いた兄貴は歯軋りして爺さんを睨み付けた。俺はこの時はっきり、兄貴の全身から殺意が沸き立つのを感じた。

 いつまでも泣きやまない有に腹を立てた爺さんが、西洋かぶれで持っているステッキを振り上げた。殴られる。見ていた皆がはっと息を飲んた。

 が、振り下ろされたステッキは有ではなく、兄貴の額に打ちつけられた。兄貴が咄嗟に前に飛び出して有を庇ったのだ。額が切れて血が流れ落ちる。兄貴は流れる血に左目を瞑りながら爺さんを見据え、

「あとは、長男の僕が有を躾けます」

 と低い静かな声で言った。

 兄貴の迫力に爺さんが一瞬たじろいたが、何か口汚く喚きたてながら家の中に戻った。

「開兄ちゃん……」

 自分を助けてくれた兄貴の腰に有が抱きついた。兄貴はその腕を払い、振り向きざまに有の頬を打った。近所の人も俺も、兄貴のしたことに驚いた。

 兄貴は他の誰が見てもわかるほど末っ子の有を甘やかし可愛がっていた。爺さんの体罰という名の暴力から守るために、身代わりになって殴られたことは一度や二度じゃない。泣きじゃくる弟を優しく抱きしめ「恐くない、もう大丈夫だ」と慰める、それが兄貴だった。兄貴が有に手をあげるところなんて一度も見たことがない。

「これからは俺が爺さんのかわりにお前をぶってやる。ぶたれたくなかったら、ちゃんと時間通り帰って来い、わかったな!」

 爺さんに負けない剣幕で有を怒鳴った。こんな兄貴を見るのは初めてだった。

 有は寒さで白くなった顔を更に白くして、今朝までは優しかった兄貴の突然の豹変振りに言葉をなくしていた。無理もない、俺だって兄貴の頭がおかしくなったと思ったくらいだ。

「開兄ちゃん……」

 震える手を兄貴に向かって伸ばす。兄貴はその手首を掴んで乱暴に川からひっぱりあげ、ずぶ濡れの有を俺に向かって突き飛ばしてきた。

「風呂に入れてやれ」

 大きな苦痛を我慢しているような顔で言う。

「どうしたんだよ、兄貴」
「いいから早く入れてやれ!」

 怒鳴って俺たちから背を向けた。集まってきた近所の人たちに向きなおり、頭をさげる。

「お騒がせして済みません」
「開君、血が……」
「平気です、本当にすみませんでした」

 深く頭をさげる兄貴を横目に、俺は有を連れて家に入った。兄貴の言う通り有の体は冷え切っていて、このまま外にいたら風邪をひかせてしまう。今は早く風呂に入れてやる方がいい。

 風呂場で服を脱ぎながら、有が涙をこぼした。

「開兄ちゃん、俺のせいで怪我した」
「有のせいじゃないよ」
「開兄ちゃん、怒ってた」
「あれは有に怒ったんじゃないよ」
「本当に?」
「うん、でもこれからはちゃんと門限を守って帰ってくるんだよ」
「わかった」

 一緒に風呂場に入り、有の体を洗ってやった。

 今更ながら、兄貴の考えていることがわかってきた。

 爺さんのかわりに有を叱ることで、有を爺さんから守るつもりなんだ。爺さんの体罰は小/学生の有にはきつすぎる。だから長男の自分が有を躾けると憎まれ役をかって出たんだ。弟想いの優しい兄貴には辛い役割だ。

 風呂から出ると、ばあちゃんが兄貴の傷の手当を終えたところだった。

「傷、どうなの」
「病院行ったほうがいいって言ったんだけど……」

 と兄貴を見上げる。兄貴は強張った表情で「大袈裟にしないで」と言った。

「開兄ちゃん、ごめんね」

 俺の腰に抱きついた有が背後から言う。

「同じことをしたらまたぶつからな」

 冷たく言い放ち、兄貴は部屋に戻って行った。傷ついた顔をした有を俺とばあちゃんとで慰めた。

 この日から兄貴は有に冷たくなった。最初は兄貴の豹変振りに戸惑いつつも以前のように話しかけていた有だったが、そのたび冷淡にあしらわれ、時に叱られたりしたので、兄貴が怖くなったのかあまりはなしかけなくなった。兄貴と二人きりでいると、俺かばあちゃんを探して部屋を出るようにさえなった。

「あそこまで厳しくすることないんじゃない」

 いつか兄貴に言った。

「なんのことだ」
「爺さんから守るために有にきつくしてるんだろ。あいつ、最近爺さんと同じくらい兄貴に怯えてるよ」
「それでいい。そうじゃないと爺さんがまた有を殴るからな。小学二年の有をステッキで殴ろうとした奴だぞ、これぐらいやらないと納得しないさ」

 自虐的に笑った兄貴から、また殺気が立ち昇るのを感じた。兄貴は俺が思う以上に色んなことを感じ、我慢してきたのだと気付く。

 俺だって爺さんは憎い。でも兄貴のそれは俺以上だ。それだけ、弟二人が痛めつけられるのを見てきた傷が深いということだろう。

「傷、残っちゃったね」

 額の傷跡を指差して言った。兄貴は隠すように手で押さえた。

「有には何も言うなよ」
「何って何を」
「何もかもだ。俺が憎まれ役になるから、お前はあいつをフォローしてやってくれ」
「兄貴はそれでいいの」
「これがお前たちを守る一番いい方法なんだ」

 兄貴は伸ばした前髪で、傷と本心を隠した。



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