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ありがとう(1/2)

2020.10.25.Sun.
※虫・閲覧注意、エロなし、木村が病んでます

 眠れないんじゃない。眠らないんだ。僕は天井の四隅をじっと見つめる。真夜中。部屋は真っ暗。角の集まった部屋の隅に目を凝らす。そこだけは、どんなに目が慣れても、はっきり見る事が出来ない真の暗闇が凝縮されていた。だから僕はそこを見てやろうと、躍起になって見つめ続ける。いや、見たいんじゃない。目が離せないんだ。その真っ黒い部分から、目を逸らすことが出来ないんだ。

 その暗闇が、不意に形を変えた。黒く、小さい、無数の生き物が、ざわざわとそこから溢れてきた。目の錯覚だと思った。瞬きせずに見ていた僕の目が疲れて見せる幻覚だ。蟻よりも小さい黒い点は、天井、壁へと、どんどん侵食し広がっていく。何千、何万という膨大な数で、僕の部屋を黒く塗りつぶす。

 僕の耳には、そいつらのザワザワと耳障りな音しか聞こえなくなる。すぐ間近で「カサカサ」という音を聞いた。そいつらは、とうとう僕のベッドにまでやってきた。カサカサ、カサカサ、と音を立て、近寄ってくる。チカチカ、という鳴き声を聞いた。仲間同士で話し合っているみたいだ

 僕は身動きせず、その話し声に耳を澄ませた。こいつらは何を相談しているんだろう。僕という獲物を前に、どこからどう攻めてやろうかと、その作戦会議でもしているのだろうか。僕は無抵抗にお前たちのなすがままになってやるからさっさと来いよ。僕の中身を食いつぶして、空っぽにしてくれ。それは僕の願いでもあるんだから。

 チキチキ。虫共が甲高い鳴き声をあげ、一斉に僕に飛び掛かってきた。細く、尖った足で体のあちこちを引っかかれ、鋭い牙が僕の皮膚を噛み千切る。僕の耳、鼻、口、目、臍、尻、尿道、全ての穴から、虫共が入り込んでくる。僕は不思議と痛みも感じず、虫によって体が膨らんで行く感じに、乾いた感動を覚えた。そうだ、もっと入って来い。

 薄い皮膚の下で、無数の虫がうごめいている。それを見ようと手を目の前に持って来たが、眼球にも虫が張り付いていて見ることが出来なかった。それが少し、残念だった。僕は真っ黒な塊になった。

 ~ ~ ~

 朝起きると、僕の体は元に戻っていた。でも頭の中にはザワザワと虫が這い回る音と、キチキチという鳴き声がたくさん反響していた。虫たちはすっかり全部僕の中におさまったらしい。

 鏡の前に立ちもう一度確認したが見た目は前と何もかわっていなかった。

「おはよう、論」

 僕の内部の異変に気付かない母さんが朝の挨拶をしてくる。僕も「おはよう」と返した。

「今日は運動会だからあなたは行かなくていいのよ。今日はずっとおうちでお勉強していればいいから。先生が朝から来てくださるから朝ご飯を食べたらお部屋に戻って」
「はい」

 椅子を引いて座る。テーブルに並ぶ朝食。見ていたら吐き気がした。駄目だ、今吐いたら、僕の口から虫が出てきてしまう。あいつらは何が好物なんだろうか。何を食べたら喜んでくれるだろうか。昆虫のイメージに近いから僕は果物を選んで食べた。歯で噛み切った瞬間、果汁が口の中に広がった。気持ち悪くて吐き出してしまった。それを見て母さんが顔を歪める。

「どうしたの、お行儀が悪い」
「ごめんなさい、腐ってます、これ」
「そんなことないでしょ」

 母さんが同じものを食べる。

「ほら、やっぱり。おいしいわよ、甘くて」

 僕の中の虫たちが、頭の中を引っ掻き回した。

「アアアァァ──ッ!! 痛いっ! 痛い、やめてくれ!」

 激痛に頭を押さえてうずくまる。虫たちが怒っている。あんなものを食べた僕に怒っている。

「もう食べない、食べないから、アァァッ……痛い、怒らないでよ、もう、食べないってば!」
「論、どうしたの、どこが痛いの? 誰もあなたを怒ってないじゃない」

 母さんは知らない。僕の中に支配者がいることを。

 虫たちは僕がすっかり服従したのを確認してからおとなしくなった。痛みが引き、あいつらのキチキチと言うも鳴き声おさまった。ヨロリと立ち上がり、テーブルの上の料理をチラと見る。それだけですっぱいものがこみ上げてきた。

「ご馳走様でした、もういりません」

 吐き気を堪えて言う。

「そう、だったらお部屋に戻りなさい。もうすぐ先生がみえるわ」

 母さんは取り乱した僕に驚いた様子で、恐々、僕の背中を押した。

 僕は部屋に戻り、勉強机に座って先生を待った。しばらくして先生がやってきた。いつもの家庭教師。

「前回の続きから」

 冷たく言って問題集を僕の前に広げる。僕はノートに解答を書いていく。チッ、チッ、チッ、という先生の腕時計の秒針が、今日はやけに耳についた。集中しようと思っても集中出来ない。

「先生、その音がうるさいので、腕時計を外してくれませんか」

 堪え切れずに頼んだ。先生は眉をひそめ、

「わからない問題でもあるのか?」

 と言う。

「違います、その腕時計の音が耳障りなんです、集中出来ないんです」
「これは私がいつもつけている時計だが。君は今までそんなこと一度も言わなかったじゃないか」
「今日は特別耳にうるさいんです、外してください、あいつらが怒り出す前に」
「あいつら?」

 先生が片眉をあげた。この人に僕の中にいる虫のことを言っても理解できないだろう。話すだけ時間の無駄だ。

「とにかく外してください」

 先生は馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「わからない問題があるなら素直にそう言いなさい。人に教えを請うのは恥ずかしいことではないよ」

 この人は何を勘違いしているんだろう。僕は呆れて溜息をついた。先生の頬がひきつった。

「君、自分が人より優秀だと自惚れているね。確かに君はそこらへんの子供より出来のいい頭を持っているが、君の知らないことは世の中にたくさんあるんだ。だから私が君の家庭教師について教えてやっているんだ。だから私に教えてくださいと頼みなさい。無駄に時間を稼いでも問題は永遠に解けないんだよ」

 僕は先生の言っていることがさっぱり理解出来なかった。この人は僕に何かを頼んで欲しいのだろうか。僕は首をかしげ、先生を見上げた。

「じゃあ先生、教えてください」
「うん、なんだ、言ってみなさい、どの問題がわからないんだ?」
「部屋の隅から出てきた虫たちは何が好物なんですか? 朝、果物を食べたら怒らせてしまったんです。頭の中で怒り狂って、僕を苦しめるんです」
「何を言っているんだ、君は」

 満足そうに笑っていた先生の顔が怪訝に歪んだ。

「虫を飼っているのか? そんなもの捨ててしまいなさい。なんの役にも立たない」
「飼ってるんじゃありません。共生しているんです。あいつらは今、ここにいます」

 僕は自分の頭を指差した。先生が驚いた様子で立ち上がり、青ざめた顔で僕を見下ろした。

「君、何を……、私をからかっているのか……」
「とんでもありません。やっぱり先生じゃわからないんですね」

 先生の顔が今度は赤くなった。

「わ、私を馬鹿にするのか。私は君の家庭教師なんだぞ。なんだ、その反抗的な態度は」
「反抗なんてしてません。ほら、先生には聞こえませんか、あいつらが動き出した音が」

 僕は耳に手をかざした。僕の耳からあいつらのカサカサと動き回る音が外に聞こえないかと思ったからだ。先生はそんな僕を見て顔を強張らせた。

「待っていなさい、お母さんと話をしてくる」

 先生は足早に部屋から出て行った。僕の中の虫たちがキチキチ鳴く。笑っているような鳴き声だった。

 ~ ~ ~

 先生が帰った午後、僕は母さんの運転で病院に連れて行かれた。

 診察室の、ゆったりとした椅子に寝そべるように座らされた。大きな机の向こうに座る先生は、顔に笑顔をはりつけて、「リラックスして」と言う。

「僕、帰って勉強しなきゃなんないんだ」
「いいんだよ。今日はもう勉強はいいんだ。なぜここに連れてこられたかわかるかい?」
「さぁ、家庭教師の先生を怒らせたからかな」
「うん、君の頭の中にいる、虫のことについて聞かせて欲しいんだ」
「先生、信じるの、それ」
「信じているよ」

 嘘だ。虫たちの鳴き声が僕の頭の中で不協和音を立てる。不快な音に僕は冷や汗を流した。

「虫はね、嘘を見抜くんだ。先生のことが嫌いだって言ってる」

 カサカサカサ。カリカリカリ。キチキチキチ。だんだん音が大きくなってくる。痛みを感じて頭を抱えた。

「それは虫が言っているのかな、君が言っているのかな」
「虫だよ。痛い。先生が嫌いだって。痛い。虫が言ってる……痛い、先生、痛い……、あいつらが怒ってる。僕の頭の中で暴れてる。アッ、イッ……ゥァアアアアアア──ッ!!!」

 頭に激痛が走り、僕は悶絶して、椅子から転げ落ちた。駆け寄ってきた先生が僕を抱き起こし、瞳孔を見る。慌てた様子で人を呼んだ。僕はあまりの痛みに気を失った。

 ~ ~ ~

 目が覚めた。見覚えのない天井。僕はすぐ、部屋の四隅を探した。見慣れた暗闇がそこにあった。視界の端で何かが動いた。母さんだった。僕が起きた気配に、母さんも目を覚ましたようだった。僕の顔を見て安心したように笑う。

「…………!…………?………」
「え? なんて言ったの?」

 母さんの声が聞こえなかった。僕の声も遠くに聞こえる。そうか、虫だ。あいつらが僕の耳を塞いでしまったんだ。

「………!……!…!」

 母さんが口を動かし、何かしゃべっている。だが僕の耳には何も聞こえない。母さんの声だけじゃない、他の物音も何一つ聞こえない。聞こえるのは、満足そうに笑う虫たちの鳴き声だけだ。僕もつられて笑った。母さんの顔がひきつる。

「………、…………?…………!」

 何も聞こえないっていうのは案外いいものだ。僕も何も答えなくていい。聞こえないんだから、答えようがない。

 僕は布団をひっぱりあげ、寝返りを打って母さんに背を向けた。母さんが僕の肩を持って激しく揺する。横目にみると、何かを必死に伝えようとしているのはわかったが、内容がわからないので無視して目を閉じた。

 何も聞こえない。満足した虫たちも静かにしている。静寂。天井の四隅で見つけた暗闇が僕の頭に浮かび上がる。僕はそこに目を凝らす。暗闇がどんどん広がり、僕をすっぽり飲み込んだ。

 ~ ~ ~

 数日経っても母さんの声は聞こえなかった。久し振りに家に戻ってきた父さんの声も聞こえない。僕は黙って母さんたちが醜く言い争うのを見ていた。

「お兄ちゃん、耳が聞こえないの?」

 妹の智美の声だけは聞こえた。僕は首を横に振った。

「聞こえるよね。私の声、聞こえてるもんね?」

 うん、と頷く。智美がにっこり笑う。僕も笑い返そうとしたら中の虫たちがキィキィ鳴き出した。僕が誰かと親しくするのを嫌うみたいだ。僕は部屋にこもった。

 朝になると学校に送り出された。一歩家の外に出ると僕の中の虫たちが喜んで騒ぎ出す。その音に混じってたくさんの音が僕の鼓膜を揺さぶってくる。世界はこんなに物音に溢れているのかと驚く。

 学校のクラスメイトは誰も僕に声をかけてこない。ヒソヒソと僕のことを話す声が聞きたくないのに聞こえてくる。

「耳が聞こえないらしいよ」
「でもあいつ、こっち見たぞ」
「聞こえないんじゃなくて、話せないんだろ」
「俺はしゃべれなくなったって聞いた」
「病気なの?」
「ココロのビョーキだよ」
「勉強のし過ぎでオカシクなったんだって」
「あ、まだこっち見てる」
「恐い、あっち行こう」

 僕は病気なんだろうか。確かに頭の中に虫がいるなんて正常じゃないな。こんなことを言うから僕は病院に連れて行かれたんだ。

 あれ以来、僕は誰にも虫の話をしていない。誰にも理解されないことだと諦めたからだ。話しかけられても聞こえない。自分から誰かに話しかけたいとも思わない。それに虫たちは僕に誰とも話をさせたくないようだった。

 体育の時間はいつも見学。怪我をしたらいけないし無駄に体力を消費しないためだと母さんに止められた。いつもは教室で自習するが、今日は先生から、みんなが動いているのを見ているといい、と外に引っ張り出された。母さんの意向でもあるらしい。

 卒業も間近で、体育の時間は遊びの時間になっていた。みんなが楽しそうにドッヂボールをするのを、僕は少し離れたところから見学していた。外野が取りそこねたボールが僕の前まで転がってくる。

「木村、それ、放って!」

 僕は聞こえないふりをした。虫たちの冷たい息使いを聞いた気がしたからだ。

「取ってくれてもいいだろ!」

 外野の奴が走ってやってきて文句を言う。ボールをひろいあげた時、そいつは僕の影を踏んだ。

「ギャアアアアァァァァァ──!!!!」

 頭の中でブチブチと虫が踏み潰された音が聞こえた。虫たちが悲鳴をあげる。僕も悲鳴をあげた。ひどい痛みにのた打ち回る。ボールを取りに来たそいつはその場に凍りつき、恐怖に顔を歪めて僕を見ていた。

「なにするんだ……僕の影を踏むなよ……、虫が痛がってるだろ……!」
「なに言ってんだ、お前……」

 虫たちが僕の耳を塞いだ。先生たちが僕のまわりに集まってくる。口々に何か言っているが、その喧騒は僕には聞こえない。抱えられるように保健室へ運ばれた。保健室で寝ていると母さんが迎えに来た。僕は車で家に帰った。母さんは泣いていた。どうして泣くのか、僕にはわからなかった。



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