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付かず離れず(2/2)

2020.10.24.Sat.
<前話>

 咽喉の渇きに目が覚めた。暗い部屋。あたりを見渡すと育夫は熟睡中だが一ノ瀬と木村の姿がなかった。育夫を起こさないようそっと部屋を出て、階段をおりる。

 下から話し声が聞こえてきた。

「顔赤いの、だいぶマシになってきたな」

 と木村の声。

「ちょっと飲みすぎた」

 と一ノ瀬。

「お前は酔うとエロくなるから俺以外の前で飲みすぎんなよ」
「なに馬鹿なことを」

 一ノ瀬の動揺したような声。俺は階段の途中で足を止めた。なんだか顔を出しにくい雰囲気。部屋に戻ろうと体重を移動させたらギシッと小さく階段が軋んだ。身動きできない。

 俺はその場にそっと腰をおろした。盗み聞きなんて悪趣味だが、俺には見せない一ノ瀬の新しい一面をもう少し知りたくなったのだ。

「だってお前さ、ちょっと飲んだだけで顔赤くなるし、気が緩んで無防備の無抵抗になるし」
「そんなことはない」
「ある」
「俺が気を許すのはお前にだけだ。酔っていてもそのくらいの判断は出来る」
「俺に許すのは気持ちだけ? 体は?」
「あっ、馬鹿、上で先輩たちが寝てるんだぞっ」

 一ノ瀬の慌てたような声。小さな物音。木村の奴、何しようとしてるんだ。

「酒飲んで熟睡してるから大丈夫だよ。ねぇ、しよ?」
「馬鹿! こんな時に出来るわけないだろ」
「じゃあさ、一ノ瀬から俺にキスしてよ」

 あいつ、一ノ瀬になんてことをさせるんだ! 膝の上に置いた手を握りしめた。

「ほら、早く」

 甘えたような声で木村が言う。椅子をひいた音のあと、しばらくして濡れた音が聞こえてきた。カッと顔が熱を持つ。一ノ瀬が木村にキスしてるのか? 嘘だろ! あいつが、自分から……!

 二人の荒い息遣いの合間に、布擦れの音。

「んっ、あ、木村、そんなとこ触るな……!」

 上ずった一ノ瀬の声。あの野郎、ドコ触ってんだよ!

 ドサッと重いものが倒れこむ音が聞こえた。

「上に人がいるんだと思うといつもより興奮しない?」

 楽しそうに木村が言う。上じゃなくてすぐそこに俺がいるぞ、おいコラ。

「き、木村……あ……やめ……う、んっ」

 これがあの一ノ瀬の声か? ちょっとトーンのあがった、擦れたアノ時の声。心臓がどくんと大きく高鳴った。初めて他の誰かがヤッてる生の声を聞いた。それもガキの頃からよく知っている真面目な堅物一ノ瀬の。

 しまった、もっと早くに顔を出すか上に戻っていれば良かった。こんな展開になるなんて思っていなかった。

 一ノ瀬の名誉のために俺は耳を塞いだ……のだが、耳の奥に一ノ瀬の声が残っていて、耳を塞ぐと余計にそれが反響して逆効果だった。で、結局手をはがしたのだが、

「はぁ……あっ……んっ……」

 更に刺激的な声を聞いてしまうハメになった。ヤバイ、まじで、ヤバイ。俺がここにいるとバレたらどうなるか……。背中をじっとり汗が流れる。

「あんま大きい声出すなよ、上に聞こえる」
「だったら、もう……はなしてくれ……」
「やだよ、最後までしたい」
「馬鹿……あっ……もう……」
「一ノ瀬、俺のも触って」

 余裕のない木村の声が聞こえた。カチャカチャとベルトを外す音、そのあと、木村の吐息。

「なぁ、一ノ瀬、俺が好き?」
「す、すき……」

 そんなやりとり、やめてくれ。俺はもうただただ恥ずかしくて、階段に座ったまま体を小さくしていた。

「サンジャイより?」
「どうしてそこで先輩の名前が……」
「だって、あいつとしゃべってんの見たらやっぱりムカつくもん。ほんとにあいつに何もされてない?」

 人がいないと思って勝手なこと言いやがって。あとから割り込んできたのは木村のくせに。

「何、言って……んっ……」
「ねぇ、サンジャイより俺が好き?」
「好きに、決まってる……じゃなきゃこんなこと……んっ……あっ、もう、駄目だ、木村……」

 一ノ瀬が切なく木村を呼んで限界を訴える。一ノ瀬の呼吸が早く短くなる。俺の呼吸も乱れる。心臓はドキドキ鳴っている。

「イッて……俺の手に出して」
「あぁ……嫌だ……あ、アァッ……!」

 くぐもったような声が聞こえた。一ノ瀬が木村の手でイカされた……。あの一ノ瀬が。 

「もー、なんて顔すんだよ、お前」
「え?」
「そんな顔、他の誰にも見せるなよ」
「どんな顔……アッ、どこ、触って……!」
「最後までやるって言ったでしょ」
「なっ、何を……本気か?」
「背中痛いよね、後ろ向きになって」

 後ろ向き……。生々しく体位を想像してしまいまたドッと汗が噴き出た。

「木村、冗談……、俺は嫌だ」
「ついこないだここでヤリまくったじゃんか」

 笑いを含んだ声で木村が言う。ヤリまくったとか言わないで欲しい。なまじよく知っている一ノ瀬のことだから余計にリアルだ。

「半年もお預けだったんだぜ、今はお前のそばにいるだけで勃っちゃうよ」
「ばっ、か……アァ……や……ぁ……ッ」
「今日めちゃくちゃ感度いいね。上に二人がいるから一ノ瀬も興奮してる?」
「ちが、う……」
「もう、入れていい?」

 囁くような木村の声。入れる? 入れるって……ええ?! マジか! あいつ! あの馬鹿!

 立ち上がろうと足に力を入れたとき、

「早く……っ」

 一ノ瀬の声が聞こえて固まった。全身から力が抜けていく。一ノ瀬があんなこと言うなんて……。

 あいつは猥談に興味がない。俺がたまに女の話をしてもいつも曖昧な返事ではぐらかしていたし、エロ話をした時は照れて顔を赤くしていたあのウブな一ノ瀬が自分からねだるなんて。信じられない変化に呆然となった。

 テーブルの軋む音。木村の感じ入った吐息、一ノ瀬の不規則な息遣い。

「……好きだよ、一ノ瀬」
「俺も、好きだ……論」

 俺は手で顔を覆い隠した。

「お前のこと好きでたまんない、頭おかしくなりそう」

 腰を打ちつけながら木村が言う。すぐそこから聞こえてくる二人の息や物音。おかしくなりそうなのはこっちのほうだ。

 俺は前かがみになった。ジーンズを押し上げる股間が痛い。最悪だ。二人がシテるとこを聞いて勃起させるなんて最悪だ!心臓はバクバク鳴っているし、顔は熱を出したみたいに熱いし、体中、じっとり汗をかいているし。

 音の間隔が狭まる。我慢しても漏れてくる一ノ瀬の嬌声がだんだん大きくなる。

「中に出していい?」
「いい、いいから……木村……はっ……あ」

 俺は動けないままその場でじっと、二人の秘め事が終わるのを静かに待った。木村の呻くような声。そのあと、はぁ、と溜息。せわしない物音がやっと止まった。

「ふ……いっぱい、出しちゃった」

 と、おどけた口調で言う木村に軽く殺意が沸く。俺は自分の股間を触りたいのを必死に我慢していた。二人をネタにするなんて死んでも嫌だ。

「トイレに行って来る……」

 足音が近づいてきた。やばい! 腰をあげかけた俺の目の前を一ノ瀬が素通りしトイレに入った。一瞬で俺の顔からは血の気が引いた。見つからなくて良かった! しかし一ノ瀬がトイレから出てきたら今度こそ見つかってしまう。その前にここから離れなくては。そうっと立ち上がろうとした時、ヒョイと木村が階段に顔を出した。

「やっぱあんたか」

 と小声で言い、片頬をあげた。俺は目を見開き、絶句した。

「俺とあいつがやってるとこ盗み聞きするなんて、あんた顔に似合わず悪趣味だなぁ」

 腕を組んでニヤニヤ笑う。俺は羞恥から全身が熱くなった。

「お、おま……、俺がいるの知ってて……?」
「階段降りてくる足音が聞こえたからな。あいつは気付いてないみたいだけど」

 と、トイレに視線を飛ばす。

「あいつに見つかる前に上に戻ったほうがいいんじゃねえの」

 余裕たっぷりにニヤーッと笑う木村から逃げるように俺は静かに急いで階段をあがった。部屋の戸を閉めたとき、

「何をブツブツ言ってるんだ」

 という一ノ瀬の声が聞こえてきた。間一髪、危なかった……。

 苦しいくらい心臓がドキドキする。胸を押さえ、深く息を吐き出す。明るくなってきた部屋の中、育夫は相変わらずスヤスヤ眠っていた。

 人がいるとわかっていながらあんなことをする木村にだんだん怒りが湧き上がってくる。なんて恥知らずで非常識な奴なんだ。あの男には何か重大な欠点があるとしか思えない。あの時の声を、わざと誰かに聞かせるなんて……。

 がしかし、それをずっと聞いていたのは俺だし、怒るに怒れない。

 俺がいるとわかっていてわざと一ノ瀬に俺とどっちが好きかなんて聞いたんだろう。決定的に一ノ瀬は自分のものだと俺に知らしめるために。あいつはそういう男だ。

「どっちが悪趣味なんだ」

 次、一ノ瀬とどんな顔して会えばいいんだ……。思わず頭を抱えた。

 それから二人は上には戻ってこなかった。俺はまた眠ろうと努めたが結局眠れないまま朝を向かえ、起きた育夫と共に下におりた。

「おはようございます」

 清々しく一ノ瀬が挨拶をしてくる。

「ん、あぁ、おはよう」

 まともに顔を見れず、目を逸らした先に、わけ知り顔でニタニタ笑う木村がいた。

「よく眠れたか? なぁ?」

 と俺の肩を叩いてくる。その手を振り払い、睨み付けた。

「一ノ瀬のあの声、最高にエロかっただろ」

 木村が顔を近づけ、俺の耳にこっそり囁いた。

「おっ、お前、何考えてるんだ」

 慌てふためく俺に、

「ズリネタに使うなよ。あいつは俺のものなんだから、ヘンな気おこすなよ」

 と言うと俺から離れて行った。口元は笑みを湛えていたが目は笑っていなかった。

 木村が作った朝食をご馳走になったあと、俺と育夫は二人より先に店を出た。一ノ瀬に申し訳なくて、顔を見たら想像してしまいそうで、長く一緒にいられなかったのだ。

「一ノ瀬が羨ましくなっちゃったなぁ。めちゃくちゃ愛されてるって感じ」

 駅に向かって歩きながら何も知らない育夫が隣で呑気に言う。

「相手が木村みたいな奴でもか?」
「木村ってけっこういい男だと思うけど」
「いや、やめとけ。あいつは性根が腐ってる。きっと苦労するぞ」
「ふふっ、まだ一ノ瀬の心配してるの? お似合いの二人じゃないか。勇樹の心配は二人には野暮ってもんだよ」

 俺は黙り込む。

「いい加減、一ノ瀬離れしたら?」

 呆れ顔で育夫が言う。一ノ瀬離れはまだ当分、出来そうにない。


(初出2008年)
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