アイヲシル(9/14)
2020.10.17.Sat.
<1→2→3→4→5→6→7→8>
朝、木村が言っていたとおり、今夜は帰りが遅いようだった。
向かえに行くから連絡をくれ、とメールを送ったがその返事もない。時刻は24時。もう終電もなくなる時間だ。雨はまだ降り続いている。天気予報では明け方まで降ると言っていたから、当分やむことはないだろう。
一時間ほど本を読んで過ごした。木村から連絡はない。人を待って過ごす時間はとても長い。
三時過ぎ。携帯に着信。木村からだった。
「今どこにいる?」
『ごめん、遅くなって』
呂律のまわらない口調。ずいぶん飲んだようだ。支離滅裂に話す木村からなんとか居場所を聞き出し、車のキーを握って部屋を出た。
だれもいない駅の改札口で、ふらつく木村を見つけ車に乗せた。強い酒の匂い。木村は俺を見て「ごめんなさい」と謝る。
車を走らせしばらく、助手席に座る木村は、シートに深く沈みこみ、コクリコクリと船を漕ぎだした。疲れているのだろうと寝かせておく。
マンションについた。木村を抱えて部屋に戻る。木村は玄関に倒れこんだ。
「馬鹿、こんなところで寝るな、ベッドに行くぞ」
「一ノ瀬、ごめんね」
「悪いと思うなら歩いてくれ」
腕を肩にかけもちあげる。木村の足はもつれて前に進まない。
「木村、本当に重いから」
「ごめん、ごめんね、俺、浮気しちゃった」
えっ。
足が止まる。俯いてヘラヘラ笑う木村を見た。
「いま、なんて」
「浮気、俺、浮気した……、ごめんなさい、ごめんなさい」
とても複雑な気分になった。本当に浮気したのだろうか。そんなことを正直に言うだろうか。俺をからかっているのだろうか。浮気の相手はいったい誰なのか。そいつと今まで二人でいたのだろうか。これが初めてなのか。今まで何度もあったのか。
どれかひとつに決められず、何も言えないまま木村を見つめた。
「誘われて……、ソープ行きました、ごめんなさい。でも、本番はしてないから……」
ホッとすると同時に湧き上がる怒り。乱暴に木村の体を抱えて脱衣所へ連れて行く。服を脱がせて浴室に押し込んだ。
「女の匂いが完全に落ちるまで寝室には来るな! シャワーを浴びて酔いもさましてから来い!」
怒鳴って浴室をあとにした。
怒りを噛み締めれば噛み締めるほど、冷静でいられなくなってくる。気持ちが昂ぶって手が震える。
あいつは俺の誕生日を忘れ、こんな時間まで女を相手に遊んでいた。水商売の女相手にした浮気にめくじら立てるつもりはない。俺がそれ以上にショックを受けていたのは、今まであいつは浮気らしいことをしてこなかったのに、今になってそれをしたということ。しかも、よりによって俺の誕生日に。あいつの中で俺の存在が希薄になっている証拠だ。
そしてなにより、あいつは女を相手に出来るということを思い出させた事実。
女にモテるあいつが、いつか、自分の隣に男がいることを疑問に感じる日がやってくるかもしれない。
そうなると俺は捨てられる。俺にはあいつを繋ぎ止める武器はなにもない。むしろ、あいつにとって俺は社会的な弱点にすらなりえる。
木村は大学に進んだ頃からわかりやすいスキンシップをしてこなくなった。あいつも人の目を気にするということだ。
俺に対するあからさまな独占欲も見せなくなった。それだけ執着心が薄まったということだ
俺に甘えてこなくなった。精神的に大人になり、俺は必要でなくなったということだ。
捨てられる。いつか、俺は捨てられる。
こんなふうに怯えて震えるくらいなら、高校生の時の、あいつに追われる関係のままの方が良かった。どうしてこんなに好きになった今頃、我に返るような現実を見せつけてくるんだ。
ベッドに腰掛け、頭を抱えた。
シャワーの音はずいぶん前に止まっているのに、木村はまだやってこない。
顔を合わせたくなかったが、心配になり寝室を出た。リビングのソファで自分の肩を抱いて木村が寝転がっている。
「風邪気味なんだろう、そんなところで寝るな」
「怒ってる?」
寝転がったまま言う。
「……怒ってない」
「呆れてる?」
「呆れてない」
「嫌いになった?」
「なってない。だからベッドで寝てくれ。ここで寝たら本当に風邪をひく」
ガバッと立ちあがったと思ったら俺に抱きついてきた。
「ごめんなさい。今日、付き合った上司はどうしてもコネを作っておきたい相手だったから、だから断りきれなくて……酒もけっこう飲んで気が緩んでたからつい……ほんとにごめん」
背中にまわした手の平に木村の体温。あんなに恋しいと思っていた熱が、今はとても悲しく感じるなんて。
「でも俺、どんなに酔ってても一ノ瀬のこと忘れなかったよ。だから口でしてもらっただけだから」
必死の言い訳に苦笑し、
「わかったから、もう遅いし寝よう」
背中を押して寝室へ連れて行った。明かりを消してベッドに入る。木村に抱きしめられた。
「迎えに来てくれてありがとう、助かった」
「うん」
「遅いついでにエッチする?」
「……早く寝ろ」
寝返りを打って背中を向けた。一瞬、断ったら嫌われるんじゃないかと躊躇した。すっかり弱気になっている。
しばらくすると背後で木村の寝息が聞こえてきた。恐ろしく早い入眠速度。それだけ疲れているのだろう。今日は酒を飲んで女を相手にしてきたから尚更だ。
言い表せない不快な感情を持て余した俺はなかなか寝付けず、何度も溜息をついた。
後ろで木村が寝返りを打つ。俺の気も知らないで寝ている木村が恨めしくなってくる。こんな気持ちで夜を過ごすのは俺だけ。昔を懐かしんで、胸が痛くなるのも俺だけ。
俺が寝付けたのは、窓の外が白んで来た頃だった。
木村が俺の誕生日を思い出したのはそれから三日後。出張があるからと言われ、いつから、との俺の問いに答えた次の瞬間だった。
「あっ!」
と大声で叫び、情けない顔をして謝ってきた。俺はその謝罪を受け入れ、気にするなと言った。それでも木村は何度も頭をさげてきた。誕生日を覚えているのも、一緒に祝うのも義務ではない。だから謝ってほしくはなかった。
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朝、木村が言っていたとおり、今夜は帰りが遅いようだった。
向かえに行くから連絡をくれ、とメールを送ったがその返事もない。時刻は24時。もう終電もなくなる時間だ。雨はまだ降り続いている。天気予報では明け方まで降ると言っていたから、当分やむことはないだろう。
一時間ほど本を読んで過ごした。木村から連絡はない。人を待って過ごす時間はとても長い。
三時過ぎ。携帯に着信。木村からだった。
「今どこにいる?」
『ごめん、遅くなって』
呂律のまわらない口調。ずいぶん飲んだようだ。支離滅裂に話す木村からなんとか居場所を聞き出し、車のキーを握って部屋を出た。
だれもいない駅の改札口で、ふらつく木村を見つけ車に乗せた。強い酒の匂い。木村は俺を見て「ごめんなさい」と謝る。
車を走らせしばらく、助手席に座る木村は、シートに深く沈みこみ、コクリコクリと船を漕ぎだした。疲れているのだろうと寝かせておく。
マンションについた。木村を抱えて部屋に戻る。木村は玄関に倒れこんだ。
「馬鹿、こんなところで寝るな、ベッドに行くぞ」
「一ノ瀬、ごめんね」
「悪いと思うなら歩いてくれ」
腕を肩にかけもちあげる。木村の足はもつれて前に進まない。
「木村、本当に重いから」
「ごめん、ごめんね、俺、浮気しちゃった」
えっ。
足が止まる。俯いてヘラヘラ笑う木村を見た。
「いま、なんて」
「浮気、俺、浮気した……、ごめんなさい、ごめんなさい」
とても複雑な気分になった。本当に浮気したのだろうか。そんなことを正直に言うだろうか。俺をからかっているのだろうか。浮気の相手はいったい誰なのか。そいつと今まで二人でいたのだろうか。これが初めてなのか。今まで何度もあったのか。
どれかひとつに決められず、何も言えないまま木村を見つめた。
「誘われて……、ソープ行きました、ごめんなさい。でも、本番はしてないから……」
ホッとすると同時に湧き上がる怒り。乱暴に木村の体を抱えて脱衣所へ連れて行く。服を脱がせて浴室に押し込んだ。
「女の匂いが完全に落ちるまで寝室には来るな! シャワーを浴びて酔いもさましてから来い!」
怒鳴って浴室をあとにした。
怒りを噛み締めれば噛み締めるほど、冷静でいられなくなってくる。気持ちが昂ぶって手が震える。
あいつは俺の誕生日を忘れ、こんな時間まで女を相手に遊んでいた。水商売の女相手にした浮気にめくじら立てるつもりはない。俺がそれ以上にショックを受けていたのは、今まであいつは浮気らしいことをしてこなかったのに、今になってそれをしたということ。しかも、よりによって俺の誕生日に。あいつの中で俺の存在が希薄になっている証拠だ。
そしてなにより、あいつは女を相手に出来るということを思い出させた事実。
女にモテるあいつが、いつか、自分の隣に男がいることを疑問に感じる日がやってくるかもしれない。
そうなると俺は捨てられる。俺にはあいつを繋ぎ止める武器はなにもない。むしろ、あいつにとって俺は社会的な弱点にすらなりえる。
木村は大学に進んだ頃からわかりやすいスキンシップをしてこなくなった。あいつも人の目を気にするということだ。
俺に対するあからさまな独占欲も見せなくなった。それだけ執着心が薄まったということだ
俺に甘えてこなくなった。精神的に大人になり、俺は必要でなくなったということだ。
捨てられる。いつか、俺は捨てられる。
こんなふうに怯えて震えるくらいなら、高校生の時の、あいつに追われる関係のままの方が良かった。どうしてこんなに好きになった今頃、我に返るような現実を見せつけてくるんだ。
ベッドに腰掛け、頭を抱えた。
シャワーの音はずいぶん前に止まっているのに、木村はまだやってこない。
顔を合わせたくなかったが、心配になり寝室を出た。リビングのソファで自分の肩を抱いて木村が寝転がっている。
「風邪気味なんだろう、そんなところで寝るな」
「怒ってる?」
寝転がったまま言う。
「……怒ってない」
「呆れてる?」
「呆れてない」
「嫌いになった?」
「なってない。だからベッドで寝てくれ。ここで寝たら本当に風邪をひく」
ガバッと立ちあがったと思ったら俺に抱きついてきた。
「ごめんなさい。今日、付き合った上司はどうしてもコネを作っておきたい相手だったから、だから断りきれなくて……酒もけっこう飲んで気が緩んでたからつい……ほんとにごめん」
背中にまわした手の平に木村の体温。あんなに恋しいと思っていた熱が、今はとても悲しく感じるなんて。
「でも俺、どんなに酔ってても一ノ瀬のこと忘れなかったよ。だから口でしてもらっただけだから」
必死の言い訳に苦笑し、
「わかったから、もう遅いし寝よう」
背中を押して寝室へ連れて行った。明かりを消してベッドに入る。木村に抱きしめられた。
「迎えに来てくれてありがとう、助かった」
「うん」
「遅いついでにエッチする?」
「……早く寝ろ」
寝返りを打って背中を向けた。一瞬、断ったら嫌われるんじゃないかと躊躇した。すっかり弱気になっている。
しばらくすると背後で木村の寝息が聞こえてきた。恐ろしく早い入眠速度。それだけ疲れているのだろう。今日は酒を飲んで女を相手にしてきたから尚更だ。
言い表せない不快な感情を持て余した俺はなかなか寝付けず、何度も溜息をついた。
後ろで木村が寝返りを打つ。俺の気も知らないで寝ている木村が恨めしくなってくる。こんな気持ちで夜を過ごすのは俺だけ。昔を懐かしんで、胸が痛くなるのも俺だけ。
俺が寝付けたのは、窓の外が白んで来た頃だった。
木村が俺の誕生日を思い出したのはそれから三日後。出張があるからと言われ、いつから、との俺の問いに答えた次の瞬間だった。
「あっ!」
と大声で叫び、情けない顔をして謝ってきた。俺はその謝罪を受け入れ、気にするなと言った。それでも木村は何度も頭をさげてきた。誕生日を覚えているのも、一緒に祝うのも義務ではない。だから謝ってほしくはなかった。
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