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大人のスーツ(7/12)

2020.10.03.Sat.


 翌日の夕方、樋口の個展を見に出向いた。なんとなく気が向いたのと、この前会った時にオレゴンの話を聞きそびれたからだ。樋口に会えるかはわからなかったが、とりあえず行ってみることにした。

 フライヤーの地図を見ながら歩いて、現代建築のビルの間に挟まれた、場違いに古いビルを見つけた。名前を確認する。どうやらここらしい。

 板張りのエントランスに足を踏み入れると、すぐ左手に受付の女性が立っていた。俺を見てニコリと微笑む。わずかな入場料を払って、教えられた二階の個展会場へ向かった。開いた扉。そこから人の話し声が聞こえてくる。俺もそっと中に入った。

 横の幅は3メートル弱、奥行きは5メートル弱の手狭な室内、壁一面にたくさんの写真が飾ってある。俺の他に男の客が一組。手を繋いで壁の写真を見上げながら、二人で何か話し合っている。

 俺も端から写真を一枚ずつ見て行った。キスしていたり、抱き合っていたりと、仲睦まじい様子をおさめたものばかり。男同士、女同士、若いのから年寄りまで、人種も違う恋人同士の笑顔がそこには溢れていた。

 一枚の写真の前で足が止まった。俺より若いアジア系の男二人の写真。一人はこちらを向いてはにかんでいて、もう一人はその子の頬に唇を寄せている。

 つい、俺と一ノ瀬をだぶらせて見てしまう。この二人も俺たちと同じように喧嘩したり笑ったり、ドキドキしたり、切なくなったりしてきたんだろうな。今はどうしてるんだろう。今も二人で一緒にいるのかな。

「それ、気に入った?」

 声に振りかえる。戸口に樋口が立っていた。今日は黄色っぽいサングラスをかけている。

「どうも」
「可愛いでしょ、この二人」

 ブーツの音を響かせて、俺の隣に並んで立った。

「僕ね、写真を撮る前にその二人の成り染めを聞くんだ。人との出会いってすごいんだよ。自分の人生は一度きりだろう。他人の人生を歩むことは出来ない。でも話を聞くと、その人生をほんの少し、共有出来たような気がするんだ。どれもこれも素晴らしい人生ばかりだ。みんな今の笑顔があるのにはちゃんとわけがある。これからの笑顔のために、みんな一生懸命生きている。その美しいきらめきを写真に収めるために、僕は二人の話を聞くんだ。みんなの人生を写すことが出来たら、僕も一人前の写真家だね。まだまだだけど」

 と優しい眼差しを俺に向けて微笑んだ。俺はもう一度写真に視線を戻した。彼らの笑顔が眩しく見えた。

「俺は、写真のことはよくわかんないけど、白樫さんがあなたの写真を褒めてた気持ちが少しわかった気がします」
「ありがとう。ところで今日は一人? 恋人と見に来て欲しかったなぁ」
「来たくても、あいつはいま留学中だから」
「あぁ、そうなんだ。それは寂しいクリスマスだね」
「樋口さんこそ、恋人がいるのに仕事?」
「アメリカ人は、クリスマスに恋人と過ごそうなんて発想はないよ。だから僕もこの時期、日本で個展なんてやってられるんだけどね」

 腰に手を当てて笑った。

「オレゴンでも写真を撮ったそうですね」
「ポートランドでね。あの二人がそう」

 と首をぐるりとまわし、ちょうど真後ろの写真を指差した。指の先には若い女性二人の写真があった。赤いマフラーを二人で首に巻いて、手元でハートの形を作っている。

「もしかして彼氏がオレゴンに留学中?」
「ええ、そうです」
「いいとこだよ、あそこは。時間がゆったりと流れていてね。住んでる人も優しい人が多いんだ。そうか、オレゴンに留学しているのか。会えないなんて残念だな、二人の話を聞いてみたかったのに」
「実は、オレゴンの写真があったら見せてもらえないかと思ってきたんです」
「風景写真はあまり撮らないんだけど」

 と人差し指を口に当て、

「試しで何枚か撮った気がするな。来週にはアメリカに戻るから探してみるよ。見つけたら育夫宛に送るからあの子から受け取って」

 いいです、と言いかけて口を閉ざした。やめておけ、と頭の中で声がしたが、

「白樫さんはあなたが好きなんですよ」

 と言っていた。樋口の顔から笑みが消える。

「あなたもそれに気付いているんでしょう。俺にはわからない。好きなのに好きだと伝えないなんて。それをわかっているのに知らない顔をするなんて。あの日の帰り、白樫さんは苦しいと泣いていましたよ」

 目を伏せ、樋口は微笑んだ。

「なかなか言いにくいことをずばっと言うんだね。その通り、育夫は僕を好きだし、僕はそれに気付いている。場所をかえようか、隣の部屋がスタッフルームになってるんだ。コーヒーくらいなら出せるよ」

 樋口に背中を押され、隣の部屋に移動した。



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