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大人のスーツ(5/12)

2020.10.01.Thu.


  勝手に四十代位の男を想像していたが、白樫に紹介された樋口はまだ三十歳なのだそうだ。

 樋口は優しい目元をさらに優しく細め、ゆっくり口の端をあげてニッコリ笑い、「ヨロシク」と軽やかな声で言って手を差し出してきた。その手を握り返す。華奢で柔らかい手。妙にドキリとした。

「育夫から紹介される子は勇樹もそうだけど、カッコいい子が多いな。どうして僕の好みがわかるの?」

 俺の隣に立つ白樫に向かって言う。

「残念だけど、彼はもう恋人がいますよ」

 と白樫は苦笑のような笑みを浮かべた。

「あぁ、そうなんだ。そりゃあ残念」

 まったく残念そうじゃない口調で言い、手に持っていた酒をクイと煽った。

 ここは二丁目のゲイバー。初めて来たが普通のバーとかわりない。店内には二十人あまりの客がいるが、今日は樋口の知り合いという面々ばかりが集まっているようで、樋口を中心に会話が進んでいる。

 樋口という男の人格のせいなのか、穏やかな雰囲気のなか、心がくすぐられるような高揚感と心地よさがある。不思議なオーラを醸し出す男だった。

「育夫は? 僕がアメリカにいる間に恋人は出来た?」

 樋口に問われ、白樫は肩をすくめた。

「今は勉強が恋人だから、なんてね」
「いったい何年前からそう言っていたっけ? 誰か、この子に恋愛の素晴らしさを教えてあげてくれよ。本当に法律と一生を添い遂げそうで心配だよ僕は」

 樋口は大げさに両手を広げた。店から笑い声があがる。

「育夫君は司法試験をパスするまで恋人は作らないそうだよ」 

 カウンターの中にいる三十代くらいの茶髪の男が笑いながら言った。

「まぁ、学生の本分は勉強だから、今しか出来ないことをやるのはいいことだよ。後悔しても後の祭りだからね。でもね育夫、たまには六法全書ではなく生身の男を相手にしなさい。僕ならいつでも歓迎だよ」
「何言ってるんですか、アメリカに恋人がいるくせに」

 樋口が広げた両手を白樫はやんわり払い、苦笑した。

 俺は隅のテーブルで静かに酒を飲むサンジャイの横に座った。

「あの人、あの樋口って人が好きなんだ?」

 サンジャイがチラと俺を見た。

「わかるか」
「わかる。わからないほうが不思議。樋口って人も気付いてる。気付いていて、気付いてない振りをしてる。変な奴らだ」
「そう言うな。あいつもあれで苦しんでいるんだから」
「白々しい芝居だ。見てると苛々する」

 高三の時、俺と一ノ瀬を見て北野が苛々すると言った感情と似ているのかもしれない。

「誰も彼もがおまえみたいにストレートに感情表現できるわけじゃないんだ。相手を困らせないために育夫は黙っているし、樋口さんもそれをわかって何も言わない。言ったところでどうにもならないしな」
「で、あの二人を見て、俺にももっと一ノ瀬のことを考えてやれと言いたいわけか? それが言いたくて誘ったのか?」
「いや、まさか。一ノ瀬がいなくて落ち込んでいるだろうから引っ張り出してやったんだ。あいつのいない生活には慣れたか」

 慣れるわけがない。毎夜あいつを思いながら眠りにつくし、毎朝あいつが帰ってくるまでの日数を数えて気持ちが沈む。こんなに夢中になっているのに慣れるはずがない。

「前から思ってたんだけど、あんたと一ノ瀬って一体なんなの」
「俺も前から思ってたんだが、俺はあんたって名前じゃない」
「はぐらかすな。小学校が一緒だったからって学年の違う二人が大学生になってもメールするほど普通親しくならないだろ」
「一ノ瀬から聞いてないのか」

 こちらを見たサンジャイの得意げな顔が鼻につく。

「まぁ、あいつは三年間いただけだしな。小/学生の頃、ボーイスカウトで同じ隊だったんだ。あいつは昔から真面目な性格だったし、門限も早くて友達があまりいなくてな。一ノ瀬の兄さんに頼まれて、俺が面倒見てやってたんだ」
「ボーイスカウト」

 これは初耳だった。土日になるとボーイスカウトの制服を着た奴を見かけたことはあるが、どんな活動をしているのかまでは知らない。一ノ瀬がそれに入っていたとは。

「一ノ瀬のお兄さんてどんな人?」
「上に二人いるんだが、二人とも目に入れても痛くないほど一ノ瀬を可愛がってる印象だったな。一番上は厳しい人らしいけど、あいつが孤立することを心配して、弟のことを頼むと俺に言ってきたのはこの人だったし。あそこは早くに両親を亡くしてるだろう、親代わりだったんだろうな。ボーイスカウトの送り迎えも、二人のどちらかが必ず来ていたよ。……おかわりもらってくるけど、木村も何か飲むか?」

 グラスを手に、サンジャイが立ち上がった。

「ウーロンハイ」
「OK」

 注文をしたサンジャイが、カウンターに座る白樫と何か言葉を交わし、グラスを二つ持って戻ってきた。ウーロンハイを受け取り、一口飲んだ。サンジャイと一緒に酒を飲む日がくるなんて思いもしなかった。

「ボーイスカウトの活動中、一ノ瀬が山から転げ落ちて怪我をしたことがある」

 手元のグラスに視線を落としたままサンジャイが話し出した。

「あちこち擦り剥いて、特に膝の上から太ももにかけて木の枝でひっかけた傷の出血がひどくてな。連絡を受けて一番上の兄貴がやってきたんだが、服に血がつくのも気にしないで一ノ瀬を抱えあげて、自分で病院に連れて行くって、ほんとにそのまま行っちまったよ。確かまだ高校生くらいだったんじゃないかな。俺には兄弟がいないから、一ノ瀬が少し羨ましかったなぁ」

 膝から上の傷……

「あぁ、あったな。その傷跡なら今もうっすら残ってる。触るとくすぐったいって怒るんだ」

 一ノ瀬に聞いたら小さい頃転んだと言っていたがあれがそうか。ほとんど目立たないが、よく見ると10センチほどの傷跡が上下に走っている。俺はその傷跡を指先で触ったし、この舌で舐めたこともある。

「なに赤くなってんだよ」

 居心地悪そうに座り直したサンジャイの顔が赤い。

「いや、おまえらってやっぱりそういう仲なのかと思ってな」
「俺の一ノ瀬でやらしいこと想像するな」
「したくてしたんじゃない、おまえが変なことを言うからだ」

 赤い顔のままサンジャイはグラスを傾け、その半分を一気に飲んだ。これくらいで真っ赤になるなんて、サンジャイは意外に純情なのかもしれない。

「まぁ、とにかく」

 ドン、とグラスをテーブルに置いてサンジャイは少し乱暴な口調で仕切りなおした。

「おまえとの事があそこの兄弟にバレたらただでは済まないぞ。兄弟揃ってブラコンだからな、気をつけろよ。俺もあいつの兄貴に頼まれてからずっと一ノ瀬の面倒を見て来たから本当の弟のような気がしているんだ。だから最初、チャラついたおまえが一ノ瀬につきまとっていると知った時はどうしてやろうと思ってたんだ」

 そこで言葉を切ってサンジャイは横目に俺を見た。笑みらしいものが口元に浮かんでいるが、目は笑っていない。

「おまえが一ノ瀬に本気だっていうのは、おまえの言動をみていたらわかった。だから言う。俺も来年から卒論と就活で忙しくなる。就職が決まって働き出せばあいつを見守っていられなくなる。今度こそ本当に離れ離れだ。だからあいつのことはおまえに任せる。今日おまえを誘ったのはこれを言いたかったからなんだ」

 照れているのか、酔っているのか、サンジャイの顔はずっと赤いままだ。

「あいつを泣かせるような真似はするなよ」

 真剣な眼差しで俺を見つめる。一ノ瀬がサンジャイに懐いていたのは、サンジャイが兄のように一ノ瀬を見守ってきたからなのだろう。

「サンジャイ、あんたいい奴だったんだな、むかつくけど」
「俺はずいぶん前からいい奴のつもりだったんだがな」

 確かに、俺が一方的に敵意を燃やしていただけだったなと思い出す。

「バスケはやめんの」
「社会人でやってみたい気もするけど、将来的に俺はデリーで会社を興したいと思っているから、これからは趣味でやる程度にするよ」
「インドに行くんだ?」
「ま、生まれも育ちも日本だけど、半分はあっちの血が流れてるからな。何か惹かれるものがあるんだよ」

 ふぅん、と俺は自分の手元に視線を落とした。俺は将来のことなんてまだ何も考えていない。経済学部を選んだのだって、今まで習った事のない、目新しいものが良かったから選んだに過ぎない。ただ、一ノ瀬と一緒にいられればいい、それしか俺の頭にはない。

 その後数時間、サンジャイと酒を飲みながら話をした。俺の知らない頃の一ノ瀬の話も聞いた。そこでもまた「兄貴には気をつけろ」と忠告された。相当怖い人らしい。

「そろそろ終電の時間だな」

 腕時計を見てサンジャイが言う。もうそんな時間か。立ち上がったサンジャイがカウンター席に座る白樫のもとへ向かった。白樫はすでに酔い潰れてテーブルに突っ伏している。

「起きろ、帰るぞ」

 とその背中をさする。白樫はサンジャイに抱えられて立ち上がり、「眠い」と不機嫌そうに言った。

「じゃあ、樋口さん、僕たちはこれで失礼します」
「あぁ、お疲れ様。育夫のこと、頼んだよ」

 樋口が言うのへ「はい」と返事をし、サンジャイがこっちに戻ってきた。

「帰るぞ。おまえは一人で立てるな?」
「俺は平気。肩、貸そうか?」
「いや、大丈夫。いつもの事で慣れてる」

 三人で店を出た。駅へ向かって歩く。酒のおかげで寒さはそんなに感じない。今夜の酒は、甘えた俺には苦くて、それが妙に旨くて、何度もおかわりしていた。

 サンジャイと一ノ瀬の記憶を共有したからだろうか。心が軽い。寂しさが少しだけ和らいだ。

 駅についてホームで電車を待つ。急に白樫が泣き出した。サンジャイにしがみついて嗚咽を漏らす。驚く俺に、サンジャイは「これもいつもの事だから」と苦笑した。

「勇樹、僕はあの人を諦めたい、忘れたいよ」
「はいはい、でも好きなんだろ」
「うん、好き。でも、苦しい……」

 サンジャイは白樫の背中をさすりながら天井を見上げて溜息をついた。どうしようもない思いを持って苦しむ友人に呆れ、それでも放っておけなくて気にかけてしまう、サンジャイはそういう男なのだろう。一ノ瀬のことを抜きにしてみると気の良い奴だった。

 ホームに入ってきた最終電車に乗り込み、しばらくすると白樫は泣き疲れて眠ってしまった。両思いの俺はまだ幸せだな、そんなことを思った。




BLだと断言したい(希望)
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