大人のスーツ(3/12)
2020.09.29.Tue.
<1→2>
今日は同じセミナーの連中と鉄雄さんの店で飲み会をすることになっていた。店の定員を上回る人数なので毎回貸切にしてくれている。それに味をしめて、何かある度に鉄雄さんの店で飲み会をするので困る。鉄雄さんは笑って歓迎してくれるけど、迷惑じゃないかと俺は気が気じゃない。
高校の時からずっと鉄雄さんの店でバイトを続けさせてもらっている。色々都合をつけてくれるので大変ありがたい。
鉄雄さんの友人の菱沼さんもちょくちょく顔を出す。菱沼さんの紹介で知り合ったディーラーから安くて良い中古車を買ったのが今年の夏。念願だった一ノ瀬とのドライブも果たせたが、一ノ瀬を空港へ送り届けたのを最後に、助手席はずっと空席のままだ。
三限目が空きなのでのんびり昼食をとりながら何度も携帯を開けたりしめたりしていた。一ノ瀬に電話したい。声を聞きたい。でも迷惑がられたくない。
一ノ瀬がいるオレゴンとの時差はこの時期17時間。今12時過ぎだから、向こうは19時過ぎということになる。
あと数時間の我慢も出来ない。4時間経てば、一ノ瀬の20歳の誕生日なのだ。向こうで日付の変わる瞬間に電話しておめでとうを言ってやりたい。しかしそんな時間に電話して一ノ瀬が疲れて寝ていたらどうしようと、そんな心配もある。
日本ではもう誕生日を向かえている。まったく時差というのはややこしい。どっちの時間で祝えばいいのかと戸惑ってしまう。
「ま、いっか」
俺も時間があるんだし、一ノ瀬も夜遅くに電話されるより今電話を受けるほうがいいだろう。自分に都合よく考えて、一ノ瀬に電話をした。
呼び出し音が途切れ、受話口から『はい』と一ノ瀬の声が聞こえてきた。
「い、一ノ瀬、俺」
妙に緊張して声が上ずった。
「いま、電話しても大丈夫?」
『あぁ、どうした?』
「今日、誕生日だろ。そっちじゃ明日だけど」
フッと笑った息遣いが聞こえた。
『覚えてたのか』
「当たり前だろ」
俺が一ノ瀬の誕生日を忘れるもんか。
「誕生日おめでとう。これが言いたくて電話した」
『ありがとう、嬉しいよ』
この1、2年で一ノ瀬はだいぶ素直に感情を表に出してくれるようになった。前より笑顔も増えたのに、今は声しか聞くことが出来ない。
「会いたいよ」
通話口に囁いた。向こうで一ノ瀬は沈黙する。
「会いたい、一ノ瀬に会いたい。会って抱きしめてキスしたい。一日中ずっと一緒に抱き合っていたい。帰って来てよ、一ノ瀬、寂しすぎるよ」
困らせるだけだとわかっていても、声を聞いたら感情をおさえられなくなった。
『木村』
穏やかな声で呼びかけられた。
『俺だっておまえに会いたいと思ってるよ。でも今はやらなきゃいけないことがある。俺も我慢するからおまえも我慢してくれないか』
「一ノ瀬は我慢できんの? 俺にはそれ、難しいよ」
『おまえが待っていてくれると思うから、俺は頑張ることが出来る。あと三ヶ月だ』
正確には三ヶ月と半月だ。
『高校三年の夏休み、喧嘩をしたこと覚えてるか』
「覚えてるよ」
北野が一ノ瀬に誤解させるようなことをわざと言った。そのせいで俺たちの関係は壊れかけた。
『俺はあの時のほうが辛かった。怒ってもいたし、悲しくもあった。疑心暗鬼と自己嫌悪で心が潰れそうだった。でも今は違う。おまえを信じていられるし、自分の気持ちもはっきりしている。だから俺は今を耐えていられる。おまえもそうであって欲しい。無理かな?』
そんな風に言われたら俺は何も言えなくなる。これ以上の我侭は一ノ瀬を困らせるだけ。最悪呆れられて嫌われるかもしれない。一ノ瀬は大人だ。俺よりはるかにしっかりしている。泣き言ばかり言う自分が情けなくなってくる。
「わかったよ、我慢する」
『帰ったら一日中、ずっと一緒にいよう』
「ほんとに? 約束だからな!」
忍び笑いと共に『約束だ』という一ノ瀬の声が聞こえた。今はそれに縋るしかない。
電話を切ったあと大きな溜息をついてテーブルに突っ伏した。俺にとって一ノ瀬は絶対的な存在になっている。どうしてこんなに一ノ瀬を好きになってしまったんだろう。こんな気持ちで一ノ瀬の帰りを待つのは辛すぎる。


今日は同じセミナーの連中と鉄雄さんの店で飲み会をすることになっていた。店の定員を上回る人数なので毎回貸切にしてくれている。それに味をしめて、何かある度に鉄雄さんの店で飲み会をするので困る。鉄雄さんは笑って歓迎してくれるけど、迷惑じゃないかと俺は気が気じゃない。
高校の時からずっと鉄雄さんの店でバイトを続けさせてもらっている。色々都合をつけてくれるので大変ありがたい。
鉄雄さんの友人の菱沼さんもちょくちょく顔を出す。菱沼さんの紹介で知り合ったディーラーから安くて良い中古車を買ったのが今年の夏。念願だった一ノ瀬とのドライブも果たせたが、一ノ瀬を空港へ送り届けたのを最後に、助手席はずっと空席のままだ。
三限目が空きなのでのんびり昼食をとりながら何度も携帯を開けたりしめたりしていた。一ノ瀬に電話したい。声を聞きたい。でも迷惑がられたくない。
一ノ瀬がいるオレゴンとの時差はこの時期17時間。今12時過ぎだから、向こうは19時過ぎということになる。
あと数時間の我慢も出来ない。4時間経てば、一ノ瀬の20歳の誕生日なのだ。向こうで日付の変わる瞬間に電話しておめでとうを言ってやりたい。しかしそんな時間に電話して一ノ瀬が疲れて寝ていたらどうしようと、そんな心配もある。
日本ではもう誕生日を向かえている。まったく時差というのはややこしい。どっちの時間で祝えばいいのかと戸惑ってしまう。
「ま、いっか」
俺も時間があるんだし、一ノ瀬も夜遅くに電話されるより今電話を受けるほうがいいだろう。自分に都合よく考えて、一ノ瀬に電話をした。
呼び出し音が途切れ、受話口から『はい』と一ノ瀬の声が聞こえてきた。
「い、一ノ瀬、俺」
妙に緊張して声が上ずった。
「いま、電話しても大丈夫?」
『あぁ、どうした?』
「今日、誕生日だろ。そっちじゃ明日だけど」
フッと笑った息遣いが聞こえた。
『覚えてたのか』
「当たり前だろ」
俺が一ノ瀬の誕生日を忘れるもんか。
「誕生日おめでとう。これが言いたくて電話した」
『ありがとう、嬉しいよ』
この1、2年で一ノ瀬はだいぶ素直に感情を表に出してくれるようになった。前より笑顔も増えたのに、今は声しか聞くことが出来ない。
「会いたいよ」
通話口に囁いた。向こうで一ノ瀬は沈黙する。
「会いたい、一ノ瀬に会いたい。会って抱きしめてキスしたい。一日中ずっと一緒に抱き合っていたい。帰って来てよ、一ノ瀬、寂しすぎるよ」
困らせるだけだとわかっていても、声を聞いたら感情をおさえられなくなった。
『木村』
穏やかな声で呼びかけられた。
『俺だっておまえに会いたいと思ってるよ。でも今はやらなきゃいけないことがある。俺も我慢するからおまえも我慢してくれないか』
「一ノ瀬は我慢できんの? 俺にはそれ、難しいよ」
『おまえが待っていてくれると思うから、俺は頑張ることが出来る。あと三ヶ月だ』
正確には三ヶ月と半月だ。
『高校三年の夏休み、喧嘩をしたこと覚えてるか』
「覚えてるよ」
北野が一ノ瀬に誤解させるようなことをわざと言った。そのせいで俺たちの関係は壊れかけた。
『俺はあの時のほうが辛かった。怒ってもいたし、悲しくもあった。疑心暗鬼と自己嫌悪で心が潰れそうだった。でも今は違う。おまえを信じていられるし、自分の気持ちもはっきりしている。だから俺は今を耐えていられる。おまえもそうであって欲しい。無理かな?』
そんな風に言われたら俺は何も言えなくなる。これ以上の我侭は一ノ瀬を困らせるだけ。最悪呆れられて嫌われるかもしれない。一ノ瀬は大人だ。俺よりはるかにしっかりしている。泣き言ばかり言う自分が情けなくなってくる。
「わかったよ、我慢する」
『帰ったら一日中、ずっと一緒にいよう』
「ほんとに? 約束だからな!」
忍び笑いと共に『約束だ』という一ノ瀬の声が聞こえた。今はそれに縋るしかない。
電話を切ったあと大きな溜息をついてテーブルに突っ伏した。俺にとって一ノ瀬は絶対的な存在になっている。どうしてこんなに一ノ瀬を好きになってしまったんだろう。こんな気持ちで一ノ瀬の帰りを待つのは辛すぎる。

ガラケー使ってますね(笑)
これ書いてる当時はまだスマホ主流ではなかったんです。
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