FC2ブログ

大人のスーツ(2/12)

2020.09.28.Mon.
<1>

 俺の家に一ノ瀬を連れ帰った。来訪を喜ぶ母さんに一ノ瀬は丁寧に挨拶をし、俺が嫉妬するほどの笑顔を浮かべ世間話を始める。母さんに会うと毎回こうなので、俺もキリのいいところで会話を終わらせ、一ノ瀬を部屋に連れこんだ。扉が閉まる前に抱きついて頭に顔を埋めてキスする。

「話があって今日は来たんだ」

 胸を押し返された。

「今日、泊まって行って」
「明日も朝から講義──」

 キスして口を塞いだ。初めは抵抗していた一ノ瀬も、諦めたのか俺の背中に手をまわし、ぎこちなく応えてくれた。幸せだ。

 服を脱がせようとしたら突き飛ばされた。赤い顔で俺を睨んで「馬鹿か」と言う。

「今日、泊まってってくれる?」
「……家の人の了解を得ないと」

 固いなぁ、まったく。うちの母さんは一ノ瀬をいたく気に入っているから断られることはないが、問題は一ノ瀬の家の方だ。

 一ノ瀬は小さい時に両親を亡くしている。祖父母の家に引き取られたのだが、そこの爺さんがとても厳しい人だと言うのだ。今は体調を崩して入院中らしいのだが、一ノ瀬のお兄さんがこの爺さんに負けず劣らず厳しいらしい。

 前に一ノ瀬が「門限が20時」だと言っていたが、冗談でもなく本当のことだと知り俺はショックを受けたものだ。

 さすがに大学生になると門限はなくなったが、小さい頃から身についた習慣なのか、一ノ瀬は夜になると腕時計を確認し22時には帰るようにしていた。遅くても日付が変わる前にはきっちり帰る。遊べやしない。俺の想像以上に厳格な一家らしい。一ノ瀬の外泊にいい顔をしないのも想像できる。

「じゃ、母さんに聞いてくるから、一ノ瀬も家の人に聞いてみてくれる?」

 わかった、と一ノ瀬が携帯電話を取り出した。聞くまでもないが、一ノ瀬の手前、俺も母さんに断りを入れるため、下におりた。

 ~ ~ ~

 一ノ瀬と一緒に食卓を囲むというのはいいものだ。家族になったような気がする。

 客人であるのに一ノ瀬は積極的に動いて食事の後片付けを手伝った。俺はリビングでソファに寝そべりながら、キッチンから聞こえてくる母さんの笑い声と一ノ瀬の声を聞いていた。

 一ノ瀬が母さんに優しいのは、幼いころに両親を亡くしているからなのかもしれない。だから嫉妬しないでいようと思うのだが、筒抜けだった会話が急に聞こえなくなり、声を潜めて二人が話をしていることに気付くといてもたってもいられない気持ちになる。何を親密に話しているのか。気になってキッチンに行くのも格好悪いし、我慢してテレビを見た。

 二人とも入浴し終わったのが23時。先に風呂を済ませていた一ノ瀬が、濡れた髪のままベッドに座って本を読んでいた。

「風邪ひくよ」

 持っていたタオルで髪の毛を拭いてやる。

「あ、そうだ、話って?」
「うん……」

 一ノ瀬はパタンと本を閉じ、立ち上がって本を棚に戻した。なんだか言いにくそうにする一ノ瀬を見てまた不安が広がっていく。

「あとで、話す」
「気になるって。何、ほんとに」

 俯いて俺から視線を逸らす。何だよ、やっぱり別れ話なのか?

「何って!」

 つい語気を荒くなる。一ノ瀬が俯いたまま歩み寄ってくる。俺の目の前で立ち止まり、もたれかかってきた。

「あとで……」

 俺の肩に頭を乗せ、小さな声で言う。意味を悟った俺は口から心臓が飛び出るほど驚いた。一ノ瀬から誘われたことなんて今まで一度もないことだ。思わず「嘘!」と声をあげてしまった。

「ほ、え、ほんとに? どうしたの?」

 答えるかわりに一ノ瀬が俺にキスしてきた。嘘みたい。俺は何の反応もできなかった。はなれていった一ノ瀬が赤い顔で俺を睨んでいる。

「俺からこんなことしちゃいけないのか」
「そんなこと……っ、だって、嘘みたいだから、信じられなくて」

 ぎゅっと抱きしめたら一ノ瀬も俺の体に腕をまわしてきた。これ、夢かな? 夢なら覚めないうちに、と俺は一ノ瀬をベッドに押し倒した。

 いつものように、今日もお互いの体を触りあってイクだけで終わると思っていたのに、今日はなかなか一ノ瀬が俺を終わらせてくれなくて、どんな焦らしプレイかと思っていたら、

「き、今日は、その、最後まで、しても、いいかと思ってるんだけど……」

 消え入りそうな小さな声で一ノ瀬は言った。本当に一ノ瀬なのかと俺は顔を確認したくらいだ。

「い、いいの?」
「嫌ならいい」

 嫌なわけない。思わず生唾を飲み込んでしまった。

 そして今朝夢で見たようなことがあったわけだが、事のあと、ベッドの上で一ノ瀬が言い出した「話」というのが、俺をしばらく落ち込ませた。

「二年の後期から半年、留学しようと思ってる」
「留学?!」

 予想もしていなかった展開。

「どこに?」
「アメリカ」
「嘘、嘘でしょ?」
「本気だ」
「嫌だ」

 首を振って駄々をこねた。さっきまで有頂天だった気持ちが一気に叩き落とされた。

「嫌だ、行くなよ、半年なんて長すぎる、俺が無理」

 一ノ瀬の腰に抱きついてまた泣いてしまった。最近涙腺が弱いらしい。年かな。

「まだ先の話だ。それに半年なんて案外あっという間に過ぎるよ」

 一ノ瀬は俺の背中をさすってくれた。まだ先と言うけれど、それは『案外あっという間に』やってくるんだろ。

「それで俺に抱かれてもいいって思ったわけ? 何それ、置き土産のつもり? 俺に悪いと思うなら行くなよ!」
「うん、ごめん」

 ごめんて謝るな。一晩中、俺は泣きながら文句を言い続け、一晩中、一ノ瀬は俺を慰め続けた。翌朝の俺の顔は泣きはらしてとても見れるものではなかった。

「落ち着くまで一人にして」

 心配する一ノ瀬を朝、部屋から追い出した。その日俺は部屋にこもって気持ちが悪くなるまで考えた。どんなに考えても「行って欲しくない」という答えしか出て来ない。

 一ノ瀬は平気なのだろうか。俺と離れることをなんとも思わないのだろうか。

 ……いや、違うな。一ノ瀬は俺より自立心が強いだけだ。俺が一ノ瀬に依存しすぎているんだ。一ノ瀬の人生の一部になっちゃいけない。そんなの一ノ瀬の重荷でしかない。

 俺が一ノ瀬から頼られるような男にならなくちゃいけない。だから俺は一ノ瀬を気持ち良くアメリカに送り出し、あいつ以上に成長して待っててやらなくちゃいけない。あいつが惚れ直すくらいのいい男になって、帰ってきた一ノ瀬を出迎えてやるんだ。

 その考えに落ち着かせるまでに三日かかった。

 そして『案外あっという間』に二年の後期になり、面接をパスした一ノ瀬はアメリカへ旅立った。

 一ノ瀬が帰ってくるまであと三ヶ月と半月。この時だけはあっという間に時は経ってくれず、俺は一ノ瀬に会いたくて気が狂いそうになる。だからあんな夢を見て夢精なんてしてしまったんだ。

「あいつ、今頃何してるかなぁ」

 白んでいく早朝の空を見上げてひとりごちた。




関連記事
スポンサーサイト
[PR]

コメント

管理者にだけ表示を許可する