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言えない言葉(6/11)

2020.08.20.Thu.


 電気を消して更衣室を出た時、廊下に足音が聞こえてきた。暗い廊下に目をこらす。ゆったりとした足取りで近づいてくる人影。非常灯で顔が見えた。木村だ。

「ごめん、遅くなって」

 ポケットに両手を入れて歩いてくる。それが待たせた俺に謝る態度だろうか。

「あれ、帰るの、長野さん」
「お前が遅すぎるんだろ」
「ごめんって、ちょっと谷口と話してたんだ」
「谷口と?」
「あいつには悪いことしたみたいだから、謝っといた」

 きっと青い顔をして木村の話を聞いていたんだろうな、と想像出来た。これで谷口が立ち直って木村を怖がらなくなればいいが。

「俺も鞄取ってくる」

 俺の横を通り過ぎ、木村は更衣室に入って明かりをつけた。

「中で待ってれば」

 声をかけられ、中に入った。すかさず木村が戸を閉める。戸の前に立ち塞がって俺を見据える。俺は言葉を失って木村を見た。

「俺を待ってたってことは、してもいいってことだよね」

 不敵に笑う木村から目を逸らすことができない。

「今日、ずっと俺のこと見てたろ」

 立ち尽くす俺に向かって木村が歩いてくる。

「なんで見てたの」
「別に……」
「熱い視線だったけど」
「お、お前は平気なのか、あんなことしたあとだっていうのに」
「あれくらいで動揺してたらこの先なにも出来ないよ」
「何する気だよっ」
「何ってあれとかこれとか?」

 ニヤリと木村が笑う。あれとかこれってなんだよ。何する気だよこいつ。想像はつくけど、俺を相手に本気でそれをやる気なのか?

「俺は無理だから」
「大丈夫だって、少しずつ馴らしていくから。とりあえず今日は昨日の復習やっておこうか」

 木村の左手が俺の首の後ろにまわされた。その腕で引き寄せられる。間近にある木村の顔、唇が重なった。驚く俺を無視して舌を入れてくる。咄嗟に木村を突き飛ばした。

「なにするんだ」
「もしかしてキスしたことない?」

 ない。言葉に詰まって木村を睨む。去年彼女がいたこいつはもう経験済みなんだろう。木村の言動を見る限り、キス以上のことも済ませていそうだ。俺はまだ女の子と付き合ったこともない。ファーストキスが木村なんて最悪だ。

「仕方、わかんない?」
「そういう問題じゃないだろ。なんで俺のファーストキスがお前なんだよ」
「長野さんもファーストキスとか、そういうの気にするんだ」
「当たり前だろ。相手が男なんて最悪の思い出じゃないか」
「なんで最悪なの? 最高の思い出にすればいいじゃん」

 顔を両手で挟まれまたキスされた。ぬるりと舌が入って口の中を弄る。濡れた音と木村の息遣いに、経験のない俺まで興奮してきた。 体全部、指先まで痺れたような感覚になる。

 木村がはなれていった。唇の唾液を手の甲で拭き、

「やりにくいから座ってくれないかな」

 とベンチを指差す。俺は素直にそれに従った。正直なところ立っているのが辛かったのだ。腰がくだけるような危うさ。下半身に血液が集中している。もっと木村とキスしたい、本能がそう言っている。

 木村はベンチに片膝を乗せ、俺の顔を覗きこんだ。黒い目に俺の顔が映っている。木村が近づいてきたから目を閉じた。

 初めてするからわからないけど、木村のキスはうまい方なんじゃないかと思う。俺は何も考えられない。木村の舌の動きに合わせて動かすだけ。変な気分だ。木村を抱きしめたいと思う。膝の上で握り締める手を木村の首にまわしてもっと引き寄せ近づきたい。

 そんな俺の思いも届かず木村がはなれていった。俺を見てニヤニヤ笑っている。急に恥ずかしさが甦ってきた。

「初めてのわりにうまいんじゃないの」
「よ、余計なお世話だ」
「今日はこれで終わりか、残念」

 木村の言葉の意味がわからなくて聞き返そうと口を開いた時、更衣室の戸がガラリと開いた。俺は飛び上がって驚いた。見回りの用務員のおじさんが立っていた。

「早く帰れよぉ」

 それだけ言ってまた見回りに戻って行く。木村の奴、あの状況でおじさんの足音に気付いていたのか。俺はキスに夢中で何も聞こえなかった。

「じゃ、帰るとしますか」

 鞄を担ぎ上げ、木村が歩き出す。俺も慌ててそのあとを追った。

 今日はキスだけ。少し落胆する自分がいた。


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