君が笑った、明日は晴れ(16/89)
2020.04.18.Sat.
<1話、前話>
寝る、とベッドに横になった先輩が、わずかな時間で本当に寝息をたて始めたのを見たときは自分の目を疑う思いだった。
もっと酷いリンチを想像していたのに、実際は平手一発だけ。それにも拍子抜けしたのに、穏やかな寝息を立てる先輩にはもっと驚かされる。どれだけ丈夫な神経をしているのか。
この人はいまここにトラックが突っ込んできても「うるせえ」と切れる人だ。本当にこの人には敵わないな。
ぶたれた左頬が熱を持ってジンジン熱い。親から殴られたこともない僕には、この平手一発でもかなりの衝撃だった。
寝ている先輩を起こさないよう静かに部屋を出て僕もさっとシャワーを浴びた。水で絞ったタオルを頬に当てながら部屋に戻ると、最後に見た時とかわらない体勢で先輩は寝ていた。
ベッドの端に腰をおろしてその寝顔を覗き込む。予想していたより怒られなくてほっとした。安心すると欠伸が出た。僕も先輩の横に寝転がり、目を閉じた。
~ ~ ~
扉をノックする音に気付いた。暗い室内に慌てて時計を見る。夜の9時過ぎ。
「うわ、先輩、起きてくださいっ」
隣で眠る体を揺すると、小さく呻きながら先輩は目を開けた。
「なんだよ、うるせえ奴だな」
「寝ぼけてる場合じゃないですよ。もう9時ですよ!」
ベッドから飛び降り部屋の扉をあけた。またノックしようと手を構えていた母さんが驚いて僕を見る。
「今帰ってきたんだけど……、お友達?」
と、部屋の中を覗き込む。
「あ、うん、学校の先輩。疲れて二人とも眠っちゃって」
「そうなの。晩ご飯買って来たんだけど、ご一緒にいかがかしら?」
と、ベッドに座ってぼうっとする先輩に話しかける。僕は見られてマズイものが部屋に落ちていないかさっと視線を走らせた。大丈夫、何も残していない。
「遠慮しないでね。デパートで美味しそうなお惣菜たくさん買って来たの。一緒に食べましょう? 下で待ってるわね」
返事を聞かずに母さんは階段をおりていった。扉を閉め、先輩に向きなおる。
「どうします、先輩」
「じゃ、ご馳走になるかな」
うーんと背伸びをして立ち上がる。あっけに取られる僕の前を通り過ぎ、先輩は階下へ。帰らなくていいの?
恥ずかしいからやめて欲しい息子の思いなんてお構いなしに、母さんは今日見に行った韓流スターのイベントの話を嬉しそうに先輩に話して聞かせる。僕も父さんも聞き飽きてまともに相手をしないから、良い反応を見せてくれる先輩に母さんの口は止まらないようだ。
居心地の悪い僕をほったらかして二人だけで会話が進む。物怖じしない性格の先輩は初対面の母さんともすぐに打ち解け、なぜか意気投合して楽しそうだった。
母さんはいたく先輩を気に入ったようで夕食後帰ると言い出した先輩に泊まっていったら、 と誘うほどだった。
「明日学校あるし」
先輩も苦笑してそれを断った。なんだか救われた気持ちになる。あんなことをしたあとで先輩の笑顔を見られるなんて思っていなかったし、まさか一緒に食卓を囲むとは夢にも思わなかった。ぶたれた左頬ももう痛みもない。これだけで済んだのは奇跡だ。
「じゃ、俺はこれで。ご馳走様でした」
玄関まで見送りにきた母さんに先輩が小さく頭をさげる。母さんはしきりに「また来てね」と念を押した。
「じゃ、河中、そこまで送ってくれよ」
「あ、はい」
二人で家を出た。
「すみません。母さんの相手、疲れませんでしたか」
「いや、お前の相手したほうが疲れた」
「すみません……」
「携帯の画像は消したか」
睨むように前を向いたまま先輩が言った。
「あ、まだ」
「消しとけ」
「はい」
「学校の携帯はどこに隠してるんだ?」
「あ、あれ、嘘です」
「嘘だぁ?」
「はい、僕の持ってる携帯電話は一台だけです。ああ言えば先輩が言う通りにしてくれると思って」
呆れた顔で先輩が僕を見る。
「お前……そんな顔して悪知恵が働くんだな」
「すみません」
「謝るなら最初からすんな」
「はい、ですよね」
「まぁ、いい。男同士の何がいいんだって思ってたけど、今日、ちょっとそれがわかったしな」
呟くように言う先輩のきりっとシャープな横顔を見上げた。カッコいいと見とれる僕に、
「あんまり見てくんな」
先輩が言った。照れてるみたいだ。
「これでお前も満足だろ。もう俺に構うなよ」
そう言うと、「じゃあな」と先輩は手をあげ、信号が点滅する横断歩道を走って渡って行った。
小さくなる先輩の後姿を見送りながら、明日から先輩に会いに行っちゃいけないんだと急に自覚した僕は、言葉を失ってその場に立ちつくした。
スポンサーサイト
寝る、とベッドに横になった先輩が、わずかな時間で本当に寝息をたて始めたのを見たときは自分の目を疑う思いだった。
もっと酷いリンチを想像していたのに、実際は平手一発だけ。それにも拍子抜けしたのに、穏やかな寝息を立てる先輩にはもっと驚かされる。どれだけ丈夫な神経をしているのか。
この人はいまここにトラックが突っ込んできても「うるせえ」と切れる人だ。本当にこの人には敵わないな。
ぶたれた左頬が熱を持ってジンジン熱い。親から殴られたこともない僕には、この平手一発でもかなりの衝撃だった。
寝ている先輩を起こさないよう静かに部屋を出て僕もさっとシャワーを浴びた。水で絞ったタオルを頬に当てながら部屋に戻ると、最後に見た時とかわらない体勢で先輩は寝ていた。
ベッドの端に腰をおろしてその寝顔を覗き込む。予想していたより怒られなくてほっとした。安心すると欠伸が出た。僕も先輩の横に寝転がり、目を閉じた。
~ ~ ~
扉をノックする音に気付いた。暗い室内に慌てて時計を見る。夜の9時過ぎ。
「うわ、先輩、起きてくださいっ」
隣で眠る体を揺すると、小さく呻きながら先輩は目を開けた。
「なんだよ、うるせえ奴だな」
「寝ぼけてる場合じゃないですよ。もう9時ですよ!」
ベッドから飛び降り部屋の扉をあけた。またノックしようと手を構えていた母さんが驚いて僕を見る。
「今帰ってきたんだけど……、お友達?」
と、部屋の中を覗き込む。
「あ、うん、学校の先輩。疲れて二人とも眠っちゃって」
「そうなの。晩ご飯買って来たんだけど、ご一緒にいかがかしら?」
と、ベッドに座ってぼうっとする先輩に話しかける。僕は見られてマズイものが部屋に落ちていないかさっと視線を走らせた。大丈夫、何も残していない。
「遠慮しないでね。デパートで美味しそうなお惣菜たくさん買って来たの。一緒に食べましょう? 下で待ってるわね」
返事を聞かずに母さんは階段をおりていった。扉を閉め、先輩に向きなおる。
「どうします、先輩」
「じゃ、ご馳走になるかな」
うーんと背伸びをして立ち上がる。あっけに取られる僕の前を通り過ぎ、先輩は階下へ。帰らなくていいの?
恥ずかしいからやめて欲しい息子の思いなんてお構いなしに、母さんは今日見に行った韓流スターのイベントの話を嬉しそうに先輩に話して聞かせる。僕も父さんも聞き飽きてまともに相手をしないから、良い反応を見せてくれる先輩に母さんの口は止まらないようだ。
居心地の悪い僕をほったらかして二人だけで会話が進む。物怖じしない性格の先輩は初対面の母さんともすぐに打ち解け、なぜか意気投合して楽しそうだった。
母さんはいたく先輩を気に入ったようで夕食後帰ると言い出した先輩に泊まっていったら、 と誘うほどだった。
「明日学校あるし」
先輩も苦笑してそれを断った。なんだか救われた気持ちになる。あんなことをしたあとで先輩の笑顔を見られるなんて思っていなかったし、まさか一緒に食卓を囲むとは夢にも思わなかった。ぶたれた左頬ももう痛みもない。これだけで済んだのは奇跡だ。
「じゃ、俺はこれで。ご馳走様でした」
玄関まで見送りにきた母さんに先輩が小さく頭をさげる。母さんはしきりに「また来てね」と念を押した。
「じゃ、河中、そこまで送ってくれよ」
「あ、はい」
二人で家を出た。
「すみません。母さんの相手、疲れませんでしたか」
「いや、お前の相手したほうが疲れた」
「すみません……」
「携帯の画像は消したか」
睨むように前を向いたまま先輩が言った。
「あ、まだ」
「消しとけ」
「はい」
「学校の携帯はどこに隠してるんだ?」
「あ、あれ、嘘です」
「嘘だぁ?」
「はい、僕の持ってる携帯電話は一台だけです。ああ言えば先輩が言う通りにしてくれると思って」
呆れた顔で先輩が僕を見る。
「お前……そんな顔して悪知恵が働くんだな」
「すみません」
「謝るなら最初からすんな」
「はい、ですよね」
「まぁ、いい。男同士の何がいいんだって思ってたけど、今日、ちょっとそれがわかったしな」
呟くように言う先輩のきりっとシャープな横顔を見上げた。カッコいいと見とれる僕に、
「あんまり見てくんな」
先輩が言った。照れてるみたいだ。
「これでお前も満足だろ。もう俺に構うなよ」
そう言うと、「じゃあな」と先輩は手をあげ、信号が点滅する横断歩道を走って渡って行った。
小さくなる先輩の後姿を見送りながら、明日から先輩に会いに行っちゃいけないんだと急に自覚した僕は、言葉を失ってその場に立ちつくした。
- 関連記事
-
- 君が笑った、明日は晴れ(18/89)
- 君が笑った、明日は晴れ(17/89)
- 君が笑った、明日は晴れ(16/89)
- 君が笑った、明日は晴れ(15/89)
- 君が笑った、明日は晴れ(14/89)

[PR]

