FC2ブログ

相方自慢(3/4)

2020.02.05.Wed.


 今朝は少し時間に余裕があった。なので扉を開ける特訓をすることにした。

 トイレの戸の前に立つ。夜明が隣で見ている。ノブを掴み、力を込める。考えちゃだめだ。思い出したら駄目だ。女の顔は頭の中から排除するんだ。

 言い聞かせてもチラチラ浮かぶ女の姿。扉の向こうが怖い。女はいないとわかっていても、扉一枚隔てた向こう側が不気味で仕方ない。

 また心臓がドクドクと高鳴りだした。膝が固まって、錘でもついてるみたいに足が重たく感じる。

「ミヤ、無理するな」

 横から聞こえた夜明に声にハッと我に返った。ここは俺の家じゃない。夜明の家だ。すぐ近くに夜明がいる。こんなに心強いことはない。

「大丈夫大丈夫、一回開けちゃえばこんなの」

 さらに手に力を入れる。下に捻って手前に引っ張るだけ。それがなぜこんなに難しいのか。

「もういい、やめとけ。手、震えてるじゃねえか」

 夜明の手が俺の手を掴む。その温もりにほっとする。同時に泣きたくなるくらい心細くなった。扉を開けるって簡単なことが俺にはできない。いつまでも夜明に甘えてられないのに。

「ちょっと深刻だなこれ」

 ノブから俺の手を剥がして夜明が言う。

「俺、いつまでこのまま?」
「焦ることはねえよ、気長にいこうぜ」

 俺の背中を叩いて夜明は部屋へ戻った。テレビではアイドルの電撃婚が取沙汰されている。ザッピングをしていたら俺のことを報じる局があって手をとめた。

 侵入したのは25歳の女で、高校時代から不登校になり引きこもり生活を続けていたが、先月急に実家を出て一人暮らしを始めた。喜ぶ両親の思いと裏腹に、女が実家を出たのは俺のマンションに空きが出たからで、最初からストーカー目的だった。侵入経路はベランダ。隣との仕切り板は無事だったことから、ベランダを乗り越えての侵入だったようだ。

 女の言っていることは意味不明で、自分こそ三宅本人であり、いまはわけあって女の体をしているが、本来2人で1つだったと主張しているらしい。俺の部屋で帰りを待っていたのは1つの体に戻るためだったと言っていて、その方法はいま現在も警察で取り調べ中とのこと。ワイドショーを見て改めてぞっとした。

 ヤスミンが言っていた通り、被害届を出したところで罰せられることはないだろう。相手の親から引っ越し費用をもらいさっさと引っ越しする以外方法はなさそうだ。

「こんなのと警察が来るまで一緒にいたのか?」

 テレビを消して夜明が言った。

「そうだよ、めちゃ怖かった」
「怖いなんてもんじゃないだろ。よく無事だったな。どうして逃げなかったんだ?」
「逆上されたら怖かったから。とりあえず怒らせないように話だけ聞いてた。言っても俺だって男だし、相手は女だし」
「箍の外れた奴は男女関係なくやばいだろ」

 腕を組み、顎に手をあて、夜明はなにやら考え事を始めた。しばらくして「荒療治でいくか」と俺を見た。

「荒療治?」
「いつまでも一人でトイレに行けないのはお前も困るだろ」
「そうだけど。なにすんの?」
「秘密」

 ニヤニヤ笑うだけで、夜明は教えてくれなかった。時間が来て仕事のためマンションを出た。今日は特番の収録と、事務所で次のライブの打ち合わせ。そのあとラジオ収録。

 テレビ局に入ると、俺のニュースを知った芸人や関係者たちから声をかけられた。大半が同情して労わってくれる。たまに「女とヤッた?」と下世話なことを訊いてくるやつもいる。「可愛かったらいけるだろ」と。冗談じゃない。

 収録を終え、事務所の会議室でライブ打ち合わせ。ここでも事件の話は避けて通れず、会う人会う人に心配され、そのお礼を言い、簡単なあらましを説明しなければならず大変だった。

 夜明と打ち合わせをしていたらヤスミンがやってきた。向こうの親が引っ越し費用の負担を了承してくれたと言う。それプラス慰謝料を払うとの申し出もあったそうだが、それは断ってくれ、とヤスミンに頼んでおいた。夜明は「もらっておけばいいのに」と言うが、多くをもらってイメージダウンは困る。

 俺と親との間で引っ越し費用の負担などの話しあいが進んでいるから、警察は示談という認識で、女は不起訴になるだろうとのことだった。費用負担のほかに、俺たちコンビへの接近禁止も条件に含んでおく、とヤスミンは付け加えた。

 これでもう大方、事件の後始末はついたようなものだった。あとは俺が新居を見つけるだけだ。

 次の仕事の時間が近づいて事務所を出た。ラジオ収録では事件の話をスルーできず、冒頭は事件の話をした。ついでにいま、夜明の家にお世話になっていることも話した。

 番組のツイッターにリアルタイムで反応がかえってくる。俺を心配する人。犯人に憤る人。夜明との同居を羨ましがる人。色々あるなかで、悪口めいたものもある。前は有名税だと気にしないようにしてきたが、自分が知らないうちに誰かのスイッチを押しているのかもしれないと思ったら少し怖くなった。

 ラジオ番組を終え、やっと帰宅の時間になった。

 同じ場所へ帰るので夜明とタクシーに乗り込む。車中、市原からの電話に夜明が出た。短い会話のあと夜明は俺にスマホを持たせた。

「え、なに?」
「市原が言いたいことあるって」
「どうせ夜明と一緒に住んでることの文句だろ」

 と言いつつ耳に当てたら『ニュース見ました、大変でしたね!』と大声で言われてスマホを耳から離した。

『相手の女、やばい奴じゃないすか。怪我とか、なにもされなかったんですか?』

 まさか市原が俺の心配をしてくれるなんて思わなかった。驚きの表情で夜明を見たら、軽く微笑み返された。

「あ、ありがとう。俺は大丈夫、なにもされてないから」
『こんなね、緊急事態のときなんで、夜明さんの家に寝泊まりするのは仕方ないですよ。許します! 俺が許可します!』
「何様だよ」
『俺の夜明さんなんで、誘惑とかしないでくださいね!』
「するか、馬鹿」
『じゃあ夜明さんに愛してますって伝えておいてください!』
「誰が言うか」

 言いきる前に通話が切れていた。あいつ、俺のこと絶対先輩だと思ってない。

 夜明にスマホを突き返す。

「あいつさ、まじでお前のこと狙ってると思うんだけど」
「酔っぱらったときにどさくさに紛れてキスしてくるからな」
「拒否れよ! もうあいつと飲みに行くなよ!」
「嫉妬か?」
「ホモネタはもういい!」

 プイ、と顔を背けた。夜明の忍び笑いが聞こえる。口元に手を当てて肩を揺らす夜明が暗い窓に映る。ハレトークの仲いい芸人で行われたドッキリのせいで、俺と夜明のホモ説は一部でより一層濃いものとなっているらしい。コントの打ち合わせ中にセックスした過去があるから、否定しても嘘くさく聞こえる。否定すること自体がもうなんだか恥ずかしい。

 夜明はあのことをどう思ってるんだろうか。あれ以来、あのことを話題にしたことはない。相方とセックスするって、どんなに仲のいいコンビでもありえないと思うんだけど。

 そんなことを考えていたらマンションについた。鞄から出した鍵で夜明が扉を解錠する。

「開けてみるか?」

 夜明に言われ、ドアノブを掴む。途端に動悸が激しくなる。俺の手に、夜明の手が重なった。夜明の手に力が加わり、ドアノブが回る。ゆっくり扉が開く。まだ暗いその奥から目が離せない。鼓動が激しくなる。胸が苦しい。扉が全開したと同時に照明がついた。

「おかえりなさい、あなた!」

 廊下に人影を見つけて心臓が止まりかけた。本当に気を失いかけた瞬間、それが市原だとわかってなんとか気を持ち直した。しかもよく見ると裸にエプロン姿だ。

「市原? なんで、ここに?!」

 さっき電話したばかりだ。隣の夜明に驚いた様子はない。呆れたように「汚ねえな」と笑っている。

「ちょっと、うちのダーリンに抱きつかないでよ! この泥棒猫!」

 市原に言われて夜明にしがみついていたことに気付いた。手を離し、2人を交互に見る。

「……これが、お前が言ってた荒療治?」
「扉の向こうのイメージを変えられれば怖くなくなるだろ」
「荒療治過ぎんだろ、めちゃ焦った」
「これから毎日やるからな」
「俺、時間だけはあるんで! それに夜明さんちの合鍵もらっちゃったし!」

 見せびらかすように市原は鍵を持って踊る。

「あげたんじゃない。一時的に貸すだけだって言っただろ。合鍵作ったらぶっ殺すからな。もう用は済んだしお前はさっさと帰れ。どこも部屋触ってないだろうな」
「ちょっとだけベッド入って匂い嗅ぎました!」
「死ね」

 夜明は市原の太ももに蹴りを入れた。痛いと言いつつ、市原は嬉しそうだ。風呂場の脱衣所に置いていた服を着ると市原は玄関で靴を履いた。

「じゃあまた明日もきますね!」

 夜明に頭をさげると、市原は本当に部屋を出て行った。これのためだけに、ここであんな馬鹿な格好をして待っていてくれたのだ。それがたとえ夜明の頼みであっても、市原にはなんの得にもならないのに。案外あいつ、悪い奴じゃないのかも。

「これでほんとに治ったら、俺も飯奢ってやんなきゃな」
「あいつと2人で行く?」
「やだ」

 顔を顰める俺を見て夜明が声をあげて笑う。こいつが相方で本当に良かった。

 次の日、仕事を終えて玄関を開けると、着ぐるみのうさぎがいた。某女性アイドルグループの激しめなダンスの完コピを披露したあと、ハアハア言いながら着ぐるみ姿のまま市原は帰っていった。

 その次の日は全裸で尻の穴に花を一輪さし、V字の大股開きで俺たちを出迎えた。

 その次の日はよほど暇だったのか市原は仕事先の楽屋にも現れた。完全に気を抜いていたから貞子の格好でいる市原を見たときは悲鳴が出た。打ち合わせのため事務所へ向かうヤスミンの車のなかにも貞子はいた。貞子は肉まんを食べていた。打ち合わせが終わって飯を食って帰ったら今度は全身白塗りブリーフ姿の俊雄くんがいた。今日はホラーシリーズらしい。

「夜明さん、今度2人きりで飯行きましょうね!」

 脱衣所に置いていた服を抱えて、市原は白塗り姿のまま元気よくマンションを出て行った。職質されないか?

「あいつ、そうとう暇だな」
「今日オフだって。楽屋にまでくるとは思ってなかっただろ」
「ヤスミンの車にも乗ってると思わなかった」
「ヤスミンにもそれとなく事情は話しておいた。お互いピンの仕事もあるし、いつも俺がお前のかわりにドアを開けてやれるわけじゃないからな」
「そんなに長引かせる気はないよ。俺もう自分で開けられるかも」

 疑わしそうな夜明に見られながらトイレの前に立った。扉の向こうを思うと嫌でも蘇る女のニタニタ笑った顔。考えるな。思い出すな。思い出すなら市原のバカバカしい姿のほうだ。

 裸エプロン。V字生け花。貞子に俊雄くん。

 ──夜明さん、愛してます!

 屈託なく言う市原が浮かぶ。人の相方に手を出すなよ。やっぱあいつ、ムカつくんだよな。

 ノブにかけた手を捻る。扉の向こうに女はいない。馬鹿みたいな格好をした市原がいる。いや、市原も誰もいない。全部俺の妄想だ。

 かすかに音を軋まなせながら、トイレの扉を開けた。当然、そこには誰もいない。全身から力が抜ける。知らずに止まっていた息を深く吐き出した。どうよ、と夜明を見る。夜明は少し驚いたような顔をしていた。

「な、もう大丈夫だろ」

 夜明は静かに微笑みながら頷いた。

「やったな。大進歩だ」

 ノブを掴んだままの手に夜明の手が重なる。極度の緊張でガチガチに固まってノブから手を離せない。しかもちょっと震えている。それを労わるように、夜明は俺の手を優しく撫でた。

 ~ ~ ~

 不法侵入した女は予想通り不起訴となり、そのまま入院措置となった。女の家族との示談交渉は事務所に任せている。ヤスミンからの報告で、向こうから引っ越し費用と迷惑料込みで60万が提示されたらしい。

 夜明は「少ない」と不満そうだったが俺はそれで手を打つことにした。これ以上関わりたくなかった。早く忘れてしまいたい。

 空いた時間には積極的に部屋探しをした。生活に便利な店が近所にあって移動に不便がなく、なによりオートロックでセキュリティのしっかりしているところ。そうなると家賃が高くなかなかなか見つからない。

 その間、夜明の言葉に甘えて同居を続けた。夜明に見守られながら行く先々の扉を開けた。まだ恐怖心はある。きっと記憶喪失にでもならない限り、俺はあの出来事を一生忘れることはない。だからできるだけこの恐怖心を大きくしないよう努めるしかない。

 やっと条件に会う物件が見つかり、仕事の合間に内見に行くことになった。

「俺もついて行こうか?」

 不動産屋の担当者との電話を切ったあと、横でスマホをいじっていた夜明が顔をあげずに言った。

「このくらい一人で平気だって。久し振りに市原を飯に誘ってやったら? 俺のせいで最近ぜんぜん会ってないだろ」

 俺と一緒に行動するために、夜明は市原だけじゃなく他の先輩後輩からの誘いも全部断っていた。いくら事情が事情とは言え、ずっと申し訳なく思っていた。俺たちの帰宅を待つ必要のなくなった市原は、最近夜明と顔を合わせる機会も減って相当鬱憤が溜まっているという噂だ。

「別に市原と飯食わなくても俺はぜんぜん困らないんだけどな」
「とか言って、俺のせいで風俗も行けてないだろ。そろそろ溜まってんじゃないの」

 俺がからかうと夜明はにやりと笑った。

「ミヤの新しい部屋が決まったら行きまくるよ」

 このイケメンから繰り出される下ネタがなぜか若い子にウケている。イケメンならなんでも許されるらしい。

 前に成り行きで夜明とセックスをすることになったアレも、夜明にとったら下ネタの材料程度なのかもしれない。面白そうな風俗の情報を聞きつけると積極的に体験しにいく夜明なら充分あり得る。

 その後、空き時間に見に行った部屋は条件ピッタリで家賃も予算を1万円オーバーしたが、これ以上の物件はもうないですよ、と不動産屋に断言されてそこに決めた。契約したあとすぐ引っ越し業者を手配した。引っ越しは明後日。

 そのことをラジオで報告すると、ツイッターで「お疲れさま」「よかったですね」と好意的な投稿をもらった。「夜明さんとの同居も終わりですね」という呟きもあった。

 あの事件以降、仕事が終わってからも夜明とずっと一緒だった。四六時中顔を合わせていた夜明と離れ離れになる。夜明は清々するだろうが、俺は少し複雑だ。一人暮らしに戻ってもあの恐怖を克服できるか不安が残る。夜明が隣にいなくても、俺は扉を開けることができるだろうか。

 引っ越し当日、急な仕事が入ってヤスミンに代理を頼んだ。営業先で「引っ越し完了しました」というメールを受け取った。

 今日からもう、夜明とは別々の家に帰る。1人でも平気だ。大丈夫。怖くなんかない。

 営業を終え夜明と一緒にタクシーに乗った。

「今日から新しい部屋だな」

 窓の外を見ながら夜明が言った。

「うん、今までありがと。すごい助かった。今度ちゃんとお礼する」
「ほんとに一人で平気か? 初日だし俺もついて行こうか?」
「平気平気。どこのドアももう完全に開けられるから。お前も知ってるだろ」
「じゃあマンションの下まで行く。もし無理だったらそのまま一緒に帰ればいいだろ」
「過保護かよ」

 と茶化したけれど、夜明の申し出はすごくありがたかった。そして改めてイケメンでこんなに優しかったらそりゃモテるよな、と感心した。

 夜明と一緒に新居のマンション前に到着した。タクシーに夜明を待たせたまま俺は新居がある六階へエレベーターで向かう。鞄から鍵を出し、鍵穴に差し込んだ。

 考えまいとしても事件当夜のことを思い出してしまう。あの日、鍵をあけたら部屋に女がいた。ヒュッと血の気が引く光景。それを頭から追い出し、市原の馬鹿な姿に置き替える。思い出し笑いができる。俺は大丈夫。

 鍵をあけ、扉を開けた。廊下を進み部屋の明かりをつける。そこに女はいない。誰もいない。ただ、運び込まれた荷物が無造作に置かれているだけだ。

 マンションのエントランスに戻り、タクシーの横に立った。夜明が窓をおろす。

「どうだった」
「大丈夫だった。荷解きが大変だけど、今日はもう寝るし」
「良かったな」

 夜明の笑顔に胸が締め付けられた。長い間迷惑をかけた。何度も俺のためにドアを開けてくれた。たくさん世話になった。この恩はどうしたら返せるだろう。

「じゃ、俺も自分ち帰って寝るよ」
「うん。ほんとに色々ありがとな」
「今度お前がネタ考えろよ」
「勘弁して」

 はは、と笑いながら夜明は手を振り、窓をあげた。遠ざかって行くタクシーを見えなくなるまで見送った。




関連記事
スポンサーサイト
[PR]

コメント

管理者にだけ表示を許可する