うすらひ(12/18)
2019.10.30.Wed.
<1→2→3→4→5→6→7→8→9→10→11>
クリスマス直前に公祐からメールがきた。今まで延び延びになっていた飲みの誘いだ。やましく不純な動機で誘っていた俺としては、今更という気がしないでもなかったが、久し振りに顔を見たかったし、誘われた金曜日は家に居ても周防のことを考えてしまいそうだったからすぐOKの返事をした。
「奥さん、そんなに仕事忙しいのか?」
居酒屋で乾杯をし、近況報告も一通り終わったあと、公祐が言った。
「かき入れ時だし、福袋の準備だとか、とにかくやることいっぱいで営業時間が終わっても毎日残業続きだよ。おかげで俺はここんとこだいたい一人で飯食ってる。だから公祐が誘ってくれて嬉しかった」
口に出してからしまったと思った。普通の会話でも、俺たちの間では思わせぶりな台詞になる。自分でそう聞こえるのだから、公祐もきっとそう感じ取っているだろう。
窺い見た公祐は目を伏せて穏やかに微笑んでいる。高校生のころのように顔を赤らめたりしないし、目を泳がせたりもしない。ただ聞き流したのか、気付いてもいないかは、その表情からはわからない。
「学校が冬休みに入っただろ、だから時間に余裕ができたんだ」
俺に気を遣わせないため? それともおまえに気はないって牽制?
そんなことを考える自分に嫌気がさす。
当たり障りのない会話を探し、公祐に学校の話を聞いた。
今時の高校生は概ねいい子が多く、目立った悪さをするような生徒は学年に数人程度らしい。
「でもまあそれも表立ってしてないだけで、俺たちが気付かないところではやってんのかもしれないけどな。いまはネットのほうが問題だよ。全てを把握しておくことなんて無理だから、生徒がなにを閲覧してなにを投稿してるかなんて、問題になってから知っても手遅れだしな」
「ネットは確かに怖いな。出会い系とか援交の温床だろ」
「ああ」
公祐は自虐のような、照れ隠しのような、不思議な笑い方をした。
「もしかしておまえ、出会い系とか利用してる?」
「してないよ」
「ほんとかよ」
「ほんとほんと」
と笑うが俺の目を見ない。怪しい。
「そういえば、プライベートも忙しそうじゃん。付き合ってる子いるの?」
「うーん、まあ」
「歯切れが悪いな。どっちだよ」
「──いる」
悩んだ末に公祐は頷いた。
「へえ、どんな子」
「かわいいよ、素直で。なんでも俺の言いなりだから、ちょっと心配なとこもあるけど」
「のろけかよ」
「でも要求が多くて、俺も手を焼いてる」
と言うわりに顔は緩みまくって幸せそうだ。高校時代、俺には見せたことのない満たされた顔だった。
「そっちこそどうなんだ。奥さんとは」
「まあまあ普通だよ」
「大事にしてやれよ」
それは公祐からの決別の言葉に聞こえた。俺と公祐の不確かで不明瞭だった恋愛関係は完全に終わりを告げた。公祐が見ている俺は、もうただの友人の一人でしかない。
口をつけたビールがまずかった。
俺は公祐とは正反対だ。最近、美緒との夫婦生活はうまくいっていない。美緒に誘われてもその気になれず断ることが増えていた。いざ始めても、中折れして最後までできないこともある。最初は気遣ってくれていた美緒も、だんだん俺の浮気を疑い始めた。
でも平日はまっすぐ帰ってくるし、土日も出かけなくなったから、確信は持てていないようだ。実際いまは浮気をしていない。
勃起不全は俺の精神的な問題だった。
俺はまだ周防が好きだ。気付けば周防のことを考えている。周防に言われた言葉や、触れられた感触を思い出すことが止められない。毎日周防が恋しい。
会社で会えるのが嬉しかった。たまに話ができると心が浮ついた。それも年末の休みに入ってなくなった。
また俺を見て欲しい、また俺に好きだと言って欲しいと、勝手なことばかり願ってしまう。
だから美緒と一緒にいると罪悪感と違和感で気が休まらない。こんな気持ちで美緒に触るのは憚られるし、逆に触れられると緊張する。もう美緒を受けつけなくなってしまっているのだ。
二時間ほど飲み食いして店を出た。2人ともそこそこ酔っていた。
駅に向かう道を歩いていたら、公祐のスマホが鳴った。俺に断りを入れて公祐が電話に出る。優しい声と顔で、「どうしたんだ」というのを見て、相手は恋人だろうとわかった。
「うん……うん、そう言っただろ」
公祐の横顔を見ながら、ふと公祐とキスする自分を想像した。笑ってしまうほど違和感しかない。俺のなかでも公祐はもうただの友人になっているようだ。
「悪い、俺ちょっと行くわ」
通話を切ったスマホをポケットに捻じ込みながら公祐が言った。
「恋人に呼び出された?」
「うん、近くまで来てるらしいから、悪いけどここで」
「わかった。彼女によろしく。またみんなで飲みに行こう」
公祐と途中で別れ、1人で駅に向かって歩いた。急に寒さが身に染みる。コートのポケットに両手を入れた。
周防は今頃、同期の4人と旅行に出かけているはずだった。
以前、偶然聞いた立花と南の立ち話しでは、年末年始の休みが始まった最初の金土で、穴場の観光スポットへ行こうという計画だった。計画通りなら、今頃は食事を終えて風呂も済ませて、4人で楽しく飲んでいる頃かもしれない。
立花か南、どちらかとくっつく可能性はゼロじゃない。想像したら腹の底がグルグルと気持ち悪くなった。
まっすぐ帰る気にはなれず、かと言ってどこか行くあてもなく、電車をおりたのは会社の最寄り駅だった。会社とは反対方向へ歩く。この先に周防のマンションがある。
行っても周防は旅行で留守だ。もしいたとしても、訪ねてはいけない。行っても追い返されるのがオチ。わかっていても他に行きたい場所がない。
途中のコンビニに入って、手を温めるために缶コーヒーを一本取った。あてもなく商品の棚を見て回り、興味のない雑誌の表紙を眺めた。
窓の外を一組の男女が通りすぎるのが目に入った。長身の周防と、髪をおろした南だった。
驚きと疑問で立ち尽くす。どうして2人が? 旅行中じゃないのか?すぐ我に返ってその場にしゃがみ込んだ。見つかったら面倒なことになる。たっぷり時間を取ってから立ちあがった。2人の姿はない。急いでレジで会計を済ませ、外へ出た。駅の方へ向かって歩く周防と南が見えた。他に連れの姿はない。
あとを追いかけたい衝動にかられた。なぜ2人なのか。どんな会話をしているのか。今までどこにいたのか。周防の家ならなにをしていたのか。
気付けば強く歯を噛みしめていた。寒さを感じない。腹の底をグツグツと熱いものが煮えたぎっている。顔だけじゃなく、指先まで火照っていた。
気持ちを引き剥がして、2人とは反対方向へ進んだ。2人の間になにがあったのか、なかったのか、そればかりを考えていたらいつの間にか周防のマンションに辿りついていた。
明かりの消えている部屋を見上げながら、周防は戻って来るだろうかと考えた。もし戻ってこなかったら? 2人でどこで何をする気だ? ついこの前まで俺を好きだと言っていたくせに、もう次の女か。
苛々が募る。大声を出してしまいそうだ。手の缶コーヒーを地面に叩きつけたい。なにかに八つ当たりしないと収まらない。
マンションの前をウロウロしていたら通行人から不審な目で見られたのでその場を離れた。行く当てもなく周防のマンションの近くを歩きまわった。だんだん冷静になって自分は何をしているんだと情けなくなってきた。
いつまでもここにいても仕方がない。もういい加減家に戻らないと、美緒もそろそろ帰ってくる時間だ。
知らない場所を歩きまわったせいで方向感覚が鈍っていた。勘を頼りに駅を目指して歩いた。
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クリスマス直前に公祐からメールがきた。今まで延び延びになっていた飲みの誘いだ。やましく不純な動機で誘っていた俺としては、今更という気がしないでもなかったが、久し振りに顔を見たかったし、誘われた金曜日は家に居ても周防のことを考えてしまいそうだったからすぐOKの返事をした。
「奥さん、そんなに仕事忙しいのか?」
居酒屋で乾杯をし、近況報告も一通り終わったあと、公祐が言った。
「かき入れ時だし、福袋の準備だとか、とにかくやることいっぱいで営業時間が終わっても毎日残業続きだよ。おかげで俺はここんとこだいたい一人で飯食ってる。だから公祐が誘ってくれて嬉しかった」
口に出してからしまったと思った。普通の会話でも、俺たちの間では思わせぶりな台詞になる。自分でそう聞こえるのだから、公祐もきっとそう感じ取っているだろう。
窺い見た公祐は目を伏せて穏やかに微笑んでいる。高校生のころのように顔を赤らめたりしないし、目を泳がせたりもしない。ただ聞き流したのか、気付いてもいないかは、その表情からはわからない。
「学校が冬休みに入っただろ、だから時間に余裕ができたんだ」
俺に気を遣わせないため? それともおまえに気はないって牽制?
そんなことを考える自分に嫌気がさす。
当たり障りのない会話を探し、公祐に学校の話を聞いた。
今時の高校生は概ねいい子が多く、目立った悪さをするような生徒は学年に数人程度らしい。
「でもまあそれも表立ってしてないだけで、俺たちが気付かないところではやってんのかもしれないけどな。いまはネットのほうが問題だよ。全てを把握しておくことなんて無理だから、生徒がなにを閲覧してなにを投稿してるかなんて、問題になってから知っても手遅れだしな」
「ネットは確かに怖いな。出会い系とか援交の温床だろ」
「ああ」
公祐は自虐のような、照れ隠しのような、不思議な笑い方をした。
「もしかしておまえ、出会い系とか利用してる?」
「してないよ」
「ほんとかよ」
「ほんとほんと」
と笑うが俺の目を見ない。怪しい。
「そういえば、プライベートも忙しそうじゃん。付き合ってる子いるの?」
「うーん、まあ」
「歯切れが悪いな。どっちだよ」
「──いる」
悩んだ末に公祐は頷いた。
「へえ、どんな子」
「かわいいよ、素直で。なんでも俺の言いなりだから、ちょっと心配なとこもあるけど」
「のろけかよ」
「でも要求が多くて、俺も手を焼いてる」
と言うわりに顔は緩みまくって幸せそうだ。高校時代、俺には見せたことのない満たされた顔だった。
「そっちこそどうなんだ。奥さんとは」
「まあまあ普通だよ」
「大事にしてやれよ」
それは公祐からの決別の言葉に聞こえた。俺と公祐の不確かで不明瞭だった恋愛関係は完全に終わりを告げた。公祐が見ている俺は、もうただの友人の一人でしかない。
口をつけたビールがまずかった。
俺は公祐とは正反対だ。最近、美緒との夫婦生活はうまくいっていない。美緒に誘われてもその気になれず断ることが増えていた。いざ始めても、中折れして最後までできないこともある。最初は気遣ってくれていた美緒も、だんだん俺の浮気を疑い始めた。
でも平日はまっすぐ帰ってくるし、土日も出かけなくなったから、確信は持てていないようだ。実際いまは浮気をしていない。
勃起不全は俺の精神的な問題だった。
俺はまだ周防が好きだ。気付けば周防のことを考えている。周防に言われた言葉や、触れられた感触を思い出すことが止められない。毎日周防が恋しい。
会社で会えるのが嬉しかった。たまに話ができると心が浮ついた。それも年末の休みに入ってなくなった。
また俺を見て欲しい、また俺に好きだと言って欲しいと、勝手なことばかり願ってしまう。
だから美緒と一緒にいると罪悪感と違和感で気が休まらない。こんな気持ちで美緒に触るのは憚られるし、逆に触れられると緊張する。もう美緒を受けつけなくなってしまっているのだ。
二時間ほど飲み食いして店を出た。2人ともそこそこ酔っていた。
駅に向かう道を歩いていたら、公祐のスマホが鳴った。俺に断りを入れて公祐が電話に出る。優しい声と顔で、「どうしたんだ」というのを見て、相手は恋人だろうとわかった。
「うん……うん、そう言っただろ」
公祐の横顔を見ながら、ふと公祐とキスする自分を想像した。笑ってしまうほど違和感しかない。俺のなかでも公祐はもうただの友人になっているようだ。
「悪い、俺ちょっと行くわ」
通話を切ったスマホをポケットに捻じ込みながら公祐が言った。
「恋人に呼び出された?」
「うん、近くまで来てるらしいから、悪いけどここで」
「わかった。彼女によろしく。またみんなで飲みに行こう」
公祐と途中で別れ、1人で駅に向かって歩いた。急に寒さが身に染みる。コートのポケットに両手を入れた。
周防は今頃、同期の4人と旅行に出かけているはずだった。
以前、偶然聞いた立花と南の立ち話しでは、年末年始の休みが始まった最初の金土で、穴場の観光スポットへ行こうという計画だった。計画通りなら、今頃は食事を終えて風呂も済ませて、4人で楽しく飲んでいる頃かもしれない。
立花か南、どちらかとくっつく可能性はゼロじゃない。想像したら腹の底がグルグルと気持ち悪くなった。
まっすぐ帰る気にはなれず、かと言ってどこか行くあてもなく、電車をおりたのは会社の最寄り駅だった。会社とは反対方向へ歩く。この先に周防のマンションがある。
行っても周防は旅行で留守だ。もしいたとしても、訪ねてはいけない。行っても追い返されるのがオチ。わかっていても他に行きたい場所がない。
途中のコンビニに入って、手を温めるために缶コーヒーを一本取った。あてもなく商品の棚を見て回り、興味のない雑誌の表紙を眺めた。
窓の外を一組の男女が通りすぎるのが目に入った。長身の周防と、髪をおろした南だった。
驚きと疑問で立ち尽くす。どうして2人が? 旅行中じゃないのか?すぐ我に返ってその場にしゃがみ込んだ。見つかったら面倒なことになる。たっぷり時間を取ってから立ちあがった。2人の姿はない。急いでレジで会計を済ませ、外へ出た。駅の方へ向かって歩く周防と南が見えた。他に連れの姿はない。
あとを追いかけたい衝動にかられた。なぜ2人なのか。どんな会話をしているのか。今までどこにいたのか。周防の家ならなにをしていたのか。
気付けば強く歯を噛みしめていた。寒さを感じない。腹の底をグツグツと熱いものが煮えたぎっている。顔だけじゃなく、指先まで火照っていた。
気持ちを引き剥がして、2人とは反対方向へ進んだ。2人の間になにがあったのか、なかったのか、そればかりを考えていたらいつの間にか周防のマンションに辿りついていた。
明かりの消えている部屋を見上げながら、周防は戻って来るだろうかと考えた。もし戻ってこなかったら? 2人でどこで何をする気だ? ついこの前まで俺を好きだと言っていたくせに、もう次の女か。
苛々が募る。大声を出してしまいそうだ。手の缶コーヒーを地面に叩きつけたい。なにかに八つ当たりしないと収まらない。
マンションの前をウロウロしていたら通行人から不審な目で見られたのでその場を離れた。行く当てもなく周防のマンションの近くを歩きまわった。だんだん冷静になって自分は何をしているんだと情けなくなってきた。
いつまでもここにいても仕方がない。もういい加減家に戻らないと、美緒もそろそろ帰ってくる時間だ。
知らない場所を歩きまわったせいで方向感覚が鈍っていた。勘を頼りに駅を目指して歩いた。
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