うすらひ(10/18)
2019.10.28.Mon.
<1→2→3→4→5→6→7→8→9>
肌寒い朝だった。着々と秋が深まっているのを感じる。今日はニットのベストを着て出社した。一階のエレベーターホールで村野と一緒になった。
「おはよう」
「おす。今日寒いな。俺ヒートテック着てきたわ」
「今年もあと二ヶ月だからな」
「来月のボーナスだけが生き甲斐だわ」
笑い声が聞こえて振り返ると立花と南がいた。2人と朝の挨拶をする。その後ろに気まずそうな周防が立っていた。
「おはよう、周防」
「おはようございます」
俺と目を合わさないで頭を下げる。先月、仕事場では普通にして欲しいと頼んでから、周防は律儀にそのようにしてくれた。まだぎこちなさはあるし、積極的に話しかけて来ることはないが、最低限の会話はしてくれるようになった。
これが「普通」と呼べるまで元に戻った時、俺たちの関係は完全に終わってしまうんだろう。こんな終わり方は不本意だが、周防が拒絶している以上俺にはどうしようもない。
「ボーナスが出たら何に使うか決めてるんですか?」
立花が俺たちに話しかけてきた。
「俺んちは半分は家のローンで、半分は家族旅行かな」
村野が答える。
「久松さんは?」
「俺は貯金かな」
「奥様と旅行には行かれないんですか?」
立花の何気ない言葉。ハッとして思わず周防を窺い見た。周防もぎくりとした顔つきをしていた。俺と目が合うと、慌てて横を向く。
「向こうは年末年始忙しいからね。あっちが休みに入るころ俺は仕事だし。お互い実家に帰省するくらいで、なかなかね」
降りてきたエレベーターにみんなで乗り込んだ。前から順番に入って振り返る。今度は周防が俺の前になった。見上げる後頭部。刈りあげられた襟足。最近散髪したらしい。
「周防は何に使うんだよ」
村野に声をかけられた周防は、首だけ動かしてこちらを向いた。満員のエレベーターで身動きが取れないのだ。
「僕は貯金ですかね」
「つまんねえな。彼女いないのかよ」
「いませんよ」
「まぁ、お前はモテなさそうだもんな」
村野の失礼な言葉に周防は苦笑して頷く。俺は隣で腹を立てた。何か言い返そうとしたら、
「そんなことないですよ」
立花に先を越された。
「周防くんて、実はけっこうモテますよ。ね、香織」
香織と呼ばれた南が立花の隣でウンウンと力強く頷いている。
「この前同期の4人でご飯食べに行ったんですけど、そこの店員さんが元バレー部で周防くんのこと知ってたらしくて、連絡先交換してくださいって、声かけられてたんですよ」
そう話す立花は誇らしげだった。村野に言い返したかった俺としても誇らしいが、同時に少し複雑でもあった。嫉妬で目が曇った村野に見えないだけで、周防がかっこいいことなんて、誰も彼もが知っている事実だったのだ。
周防は作ろうと思えばすぐ、恋人を作れるだろう。そして俺のことを忘れ、俺にしたように毎日好きだと伝え、優しくしてやるのだろう。
腹が捻じれるような不快感があった。嫉妬なんてできる立場じゃない。嫌だと思う資格すら俺にはないのに。
周防は恐縮しているのか、背を丸め小さくなっていた。この男は、いつか誰かのものになる。それもきっと、そう遠くない未来に。
エレベーターを出て、自分たちの部署へ行き、デスクにつく。つい目が周防を追う。周防の隣に立花がいて、何かを話している。立花がそっと周防の腕に触れた時、カッと腹の中が熱くなった。
仕事仲間にさえこんなに嫉妬してしまうのに、周防に恋人ができた日には、俺はどうにかなってしまうんじゃないだろうか。それまでに、周防を諦めないといけない。終わらせなくてはいけない。
集中して仕事をこなし、昼は村野と一階のカフェにおりた。今日は雨だからか、周防も立花と南と一緒にやってきた。3人は俺たちの近くのテーブルに座った。
聞いちゃいけないと思っていても、つい3人の会話に聞き耳を立ててしまう。一通りお互いの仕事の話を共有しあったら、「そろそろ申し込まないと、どこもいけなくなると思うんだよね」と立花は旅行のパンフレットをテーブルに出した。
南と周防が身を乗り出し、パンフレットを覗きこむ。どうやらこの面子で旅行に行くつもりらしい。
ほとんど上の空で村野に返事をしながら、俺の意識は完全に周防たちの会話に持って行かれた。
「名取くん、ほんとに行く気あるのかな? 連絡してもぜんぜん返事くれないし」
パンフレットをめくりながら南が口を尖らせる。
「何日までに連絡なかったら不参加ということで、ってことにしとけばいいよ。計画全部私たちに丸投げだし、正直いてもいなくてもって感じだしね」
仕事ができる立花らしい言い方だ。でも待てよ、そうなったら……
「名取くんが来ないなら、僕も不参加ってことで」
周防の言葉を聞いて安心した。もしメンバーが周防、立花、南、名取の4人なら、名取がいないと男は周防1人だけになる。誰かと間違いが起こったり、仲が発展する可能性だってある。旅行とは、それだけ親密になれる行事だ。
「周防くんは一緒に行くの。男1人だからって遠慮しないで。だって休みの間、どこにも行く予定ないんでしょ。だったらみんなで遊びに行こうって決まった話なんだから」
朝のエレベーターでの会話といい、立花の口から俺の知らないことが色々明かされる。パンフレットが用意されているということは、以前から予定について話し合っていたということだ。いったいいつ、そんな話をしていたのかと、そんなことが気になった。
「立花さんと南さん、二人だけのほうが気楽で楽しいと思うよ」
「同期の親睦深める目的もあるの。わかった、ぜったい名取くんも連れてくから。それならいいでしょ?」
立花に押し切られるように、周防は頷いた。
午後からの仕事はあまり集中できなかった。頭の隅にずっと周防たちが行く旅行のことが居座っていた。男女で泊りの旅行。ただでさえ仲のいい周防たちは、これからも絆を深めていくだろう。いまは友情とか仲間意識かもしれないが、いつか恋愛感情に変わるかもしれない。
俺には関係ないと割り切るには、まだ時間が足りなすぎた。
※ ※ ※
その日、出勤すると部長に呼ばれた。「急で悪いが」とN県への出張を頼まれた。なんでも今頃になって必要書類に不備が発覚したから、N県の法務局まで行ってくれということだった。
「ついでに幸村先生のところへも、挨拶頼む」
「それは村野の担当では」
「村野は今日は風邪で休みだ」
そういえば昨日は体の節々が痛む、と言っていたっけ。
「周防も行かせるから、仕事を教えてやってくれ」
「えっ」
大きな声が出た。
「法務局だけなら周防1人で行かせるんだが、幸村先生のところは新人に行かせるわけにはいかないだろ。紹介も兼ねて、あいつも連れて行ってくれ。今後なにかと関わることがあるかもしれないからな」
呆然としていると、周防が横へやってきた。
「お呼びですか」
「説明は久松から聞いてくれ」
しっしと手で払われた。困惑顔で周防が俺を見る。俺は呻った。
とりあえず時間がないので周防をつれてデスクへ戻る。N県へ行く理由を簡単に説明しながら、会社指定のサイトを使って新幹線とホテルの予約をする。
「ああ、クソ、ツインしか空いてない」
周防をここに泊めて俺はほかに泊まろうか。実費になるが仕方がない。
「僕は構いません。久松さんが嫌じゃなければ」
ぎょっと周防を見た。パソコンを覗きこむためにすぐ近くに顔がある。目が合うと周防は体を反らした。
「すみません」
なにが。顔が近かったことに対して?
「いや、別に。本当にいいのか?」
「はい」
「じゃあ予約するぞ?」
何度確認しても周防は「はい」と頷いた。気まずくないのだろうか。俺は気まずいし、めちゃくちゃ意識しているのに、周防はもう平気なのか。予約を確定させる指が少し、震えた。
「今すぐ帰って一泊分の荷物まとめてこい」
「久松さんは?」
「俺はあっちで適当に揃える」
「じゃあ僕も」
「おまえは家が近いだろ。引っ越したばっかなんだから無駄使いはやめとけ」
俺のために引っ越しをさせたようなものなのに、こんなことになって申し訳ないとずっと思っていた。周防もきっと後悔しているに違いない。
「俺は総務に連絡とかあるから、その間に用意しとけよ」
はい、と返事をすると周防は自分のデスクへ戻った。鞄を持って走るようにフロアを出て行く。
大きな溜息が出た。周防といると緊張する。体も強張っていたらしく、いなくなってから力が抜けた。こんなので周防と2人で出張なんて大丈夫だろうか。
総務部に出張依頼のメールを送り、少し時間を置いてから確認の電話をかけた。その場で承認をもらうい、次に村野にメールを送った。そのあと必要書類の確認。仕事の引き継ぎを終えた頃、周防が戻ってきた。手に大きめの鞄。
俺のせいでなくなった周防との旅行。仕事とは言え実現するとは。少し浮かれてしまう自分がいる。
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肌寒い朝だった。着々と秋が深まっているのを感じる。今日はニットのベストを着て出社した。一階のエレベーターホールで村野と一緒になった。
「おはよう」
「おす。今日寒いな。俺ヒートテック着てきたわ」
「今年もあと二ヶ月だからな」
「来月のボーナスだけが生き甲斐だわ」
笑い声が聞こえて振り返ると立花と南がいた。2人と朝の挨拶をする。その後ろに気まずそうな周防が立っていた。
「おはよう、周防」
「おはようございます」
俺と目を合わさないで頭を下げる。先月、仕事場では普通にして欲しいと頼んでから、周防は律儀にそのようにしてくれた。まだぎこちなさはあるし、積極的に話しかけて来ることはないが、最低限の会話はしてくれるようになった。
これが「普通」と呼べるまで元に戻った時、俺たちの関係は完全に終わってしまうんだろう。こんな終わり方は不本意だが、周防が拒絶している以上俺にはどうしようもない。
「ボーナスが出たら何に使うか決めてるんですか?」
立花が俺たちに話しかけてきた。
「俺んちは半分は家のローンで、半分は家族旅行かな」
村野が答える。
「久松さんは?」
「俺は貯金かな」
「奥様と旅行には行かれないんですか?」
立花の何気ない言葉。ハッとして思わず周防を窺い見た。周防もぎくりとした顔つきをしていた。俺と目が合うと、慌てて横を向く。
「向こうは年末年始忙しいからね。あっちが休みに入るころ俺は仕事だし。お互い実家に帰省するくらいで、なかなかね」
降りてきたエレベーターにみんなで乗り込んだ。前から順番に入って振り返る。今度は周防が俺の前になった。見上げる後頭部。刈りあげられた襟足。最近散髪したらしい。
「周防は何に使うんだよ」
村野に声をかけられた周防は、首だけ動かしてこちらを向いた。満員のエレベーターで身動きが取れないのだ。
「僕は貯金ですかね」
「つまんねえな。彼女いないのかよ」
「いませんよ」
「まぁ、お前はモテなさそうだもんな」
村野の失礼な言葉に周防は苦笑して頷く。俺は隣で腹を立てた。何か言い返そうとしたら、
「そんなことないですよ」
立花に先を越された。
「周防くんて、実はけっこうモテますよ。ね、香織」
香織と呼ばれた南が立花の隣でウンウンと力強く頷いている。
「この前同期の4人でご飯食べに行ったんですけど、そこの店員さんが元バレー部で周防くんのこと知ってたらしくて、連絡先交換してくださいって、声かけられてたんですよ」
そう話す立花は誇らしげだった。村野に言い返したかった俺としても誇らしいが、同時に少し複雑でもあった。嫉妬で目が曇った村野に見えないだけで、周防がかっこいいことなんて、誰も彼もが知っている事実だったのだ。
周防は作ろうと思えばすぐ、恋人を作れるだろう。そして俺のことを忘れ、俺にしたように毎日好きだと伝え、優しくしてやるのだろう。
腹が捻じれるような不快感があった。嫉妬なんてできる立場じゃない。嫌だと思う資格すら俺にはないのに。
周防は恐縮しているのか、背を丸め小さくなっていた。この男は、いつか誰かのものになる。それもきっと、そう遠くない未来に。
エレベーターを出て、自分たちの部署へ行き、デスクにつく。つい目が周防を追う。周防の隣に立花がいて、何かを話している。立花がそっと周防の腕に触れた時、カッと腹の中が熱くなった。
仕事仲間にさえこんなに嫉妬してしまうのに、周防に恋人ができた日には、俺はどうにかなってしまうんじゃないだろうか。それまでに、周防を諦めないといけない。終わらせなくてはいけない。
集中して仕事をこなし、昼は村野と一階のカフェにおりた。今日は雨だからか、周防も立花と南と一緒にやってきた。3人は俺たちの近くのテーブルに座った。
聞いちゃいけないと思っていても、つい3人の会話に聞き耳を立ててしまう。一通りお互いの仕事の話を共有しあったら、「そろそろ申し込まないと、どこもいけなくなると思うんだよね」と立花は旅行のパンフレットをテーブルに出した。
南と周防が身を乗り出し、パンフレットを覗きこむ。どうやらこの面子で旅行に行くつもりらしい。
ほとんど上の空で村野に返事をしながら、俺の意識は完全に周防たちの会話に持って行かれた。
「名取くん、ほんとに行く気あるのかな? 連絡してもぜんぜん返事くれないし」
パンフレットをめくりながら南が口を尖らせる。
「何日までに連絡なかったら不参加ということで、ってことにしとけばいいよ。計画全部私たちに丸投げだし、正直いてもいなくてもって感じだしね」
仕事ができる立花らしい言い方だ。でも待てよ、そうなったら……
「名取くんが来ないなら、僕も不参加ってことで」
周防の言葉を聞いて安心した。もしメンバーが周防、立花、南、名取の4人なら、名取がいないと男は周防1人だけになる。誰かと間違いが起こったり、仲が発展する可能性だってある。旅行とは、それだけ親密になれる行事だ。
「周防くんは一緒に行くの。男1人だからって遠慮しないで。だって休みの間、どこにも行く予定ないんでしょ。だったらみんなで遊びに行こうって決まった話なんだから」
朝のエレベーターでの会話といい、立花の口から俺の知らないことが色々明かされる。パンフレットが用意されているということは、以前から予定について話し合っていたということだ。いったいいつ、そんな話をしていたのかと、そんなことが気になった。
「立花さんと南さん、二人だけのほうが気楽で楽しいと思うよ」
「同期の親睦深める目的もあるの。わかった、ぜったい名取くんも連れてくから。それならいいでしょ?」
立花に押し切られるように、周防は頷いた。
午後からの仕事はあまり集中できなかった。頭の隅にずっと周防たちが行く旅行のことが居座っていた。男女で泊りの旅行。ただでさえ仲のいい周防たちは、これからも絆を深めていくだろう。いまは友情とか仲間意識かもしれないが、いつか恋愛感情に変わるかもしれない。
俺には関係ないと割り切るには、まだ時間が足りなすぎた。
※ ※ ※
その日、出勤すると部長に呼ばれた。「急で悪いが」とN県への出張を頼まれた。なんでも今頃になって必要書類に不備が発覚したから、N県の法務局まで行ってくれということだった。
「ついでに幸村先生のところへも、挨拶頼む」
「それは村野の担当では」
「村野は今日は風邪で休みだ」
そういえば昨日は体の節々が痛む、と言っていたっけ。
「周防も行かせるから、仕事を教えてやってくれ」
「えっ」
大きな声が出た。
「法務局だけなら周防1人で行かせるんだが、幸村先生のところは新人に行かせるわけにはいかないだろ。紹介も兼ねて、あいつも連れて行ってくれ。今後なにかと関わることがあるかもしれないからな」
呆然としていると、周防が横へやってきた。
「お呼びですか」
「説明は久松から聞いてくれ」
しっしと手で払われた。困惑顔で周防が俺を見る。俺は呻った。
とりあえず時間がないので周防をつれてデスクへ戻る。N県へ行く理由を簡単に説明しながら、会社指定のサイトを使って新幹線とホテルの予約をする。
「ああ、クソ、ツインしか空いてない」
周防をここに泊めて俺はほかに泊まろうか。実費になるが仕方がない。
「僕は構いません。久松さんが嫌じゃなければ」
ぎょっと周防を見た。パソコンを覗きこむためにすぐ近くに顔がある。目が合うと周防は体を反らした。
「すみません」
なにが。顔が近かったことに対して?
「いや、別に。本当にいいのか?」
「はい」
「じゃあ予約するぞ?」
何度確認しても周防は「はい」と頷いた。気まずくないのだろうか。俺は気まずいし、めちゃくちゃ意識しているのに、周防はもう平気なのか。予約を確定させる指が少し、震えた。
「今すぐ帰って一泊分の荷物まとめてこい」
「久松さんは?」
「俺はあっちで適当に揃える」
「じゃあ僕も」
「おまえは家が近いだろ。引っ越したばっかなんだから無駄使いはやめとけ」
俺のために引っ越しをさせたようなものなのに、こんなことになって申し訳ないとずっと思っていた。周防もきっと後悔しているに違いない。
「俺は総務に連絡とかあるから、その間に用意しとけよ」
はい、と返事をすると周防は自分のデスクへ戻った。鞄を持って走るようにフロアを出て行く。
大きな溜息が出た。周防といると緊張する。体も強張っていたらしく、いなくなってから力が抜けた。こんなので周防と2人で出張なんて大丈夫だろうか。
総務部に出張依頼のメールを送り、少し時間を置いてから確認の電話をかけた。その場で承認をもらうい、次に村野にメールを送った。そのあと必要書類の確認。仕事の引き継ぎを終えた頃、周防が戻ってきた。手に大きめの鞄。
俺のせいでなくなった周防との旅行。仕事とは言え実現するとは。少し浮かれてしまう自分がいる。
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やだやだお返事させてくださいよう!
なんか萌えのツボを押さえることができたみたいで嬉しいです!!
いつも一応の因果応報というか、悪いことしたらその分苦しまなきゃ幸せになっちゃいけないみたいな信念(?)により久松にはちょっと不憫な目にあってもらってますw
といってもあとちょっとなんですが。もうしばらくお付き合い頂けたら嬉しいです!!
ありがとうございますー!!^o^