うすらひ(8/18)
2019.10.26.Sat.
<1→2→3→4→5→6→7>
翌朝、周防に会うのが怖くて仕事を休もうかと思った。
昨夜は周防からメールか電話がかかってくるんじゃないかと思ったが、なにもなかった。あいつも俺からの連絡を待っていたか、混乱してメールどころじゃなかったのかもしれない。
一番考えたくないのは、周防がもう俺を切りすてた可能性だ。
あいつの性格を考えたら充分あり得た。だから仕事に行くのが怖かった。
問題を先延ばしにしていいことは何もない。だから仕方なく出社した。
出勤済みの周防はすでに自分のデスクにいた。そのそばには南と立花がいて、3人で和やかに談笑中だ。その顔は普段通りに見えた。
仕事場でする話でもないから、周防のことは気になりつつもいつも通りに仕事をした。周防は頑なに俺を見ようとしない。目が合うこともないまま午後になった。
村野から資料取ってきてと言われた周防が、資料室に入って行くのが見えた。すぐ追いかけたい衝動にかられる。周防と面と向き合うのはとてつもなく怖い。でもこのままの状態で放ったらかしにされるほうが倍怖くて、居心地が悪い。
責められるなら、とことん責められたい。そのほうがこちらも言い訳のチャンスがあるような気がする。
人間というのは、目の前に絶望の暗い穴がぽっかり空いているとわかっていても、そこを覗きこまずにはいられないのだろう。
急いで資料室へ向かった。30平米ほどの広さに出入り口を残してコの字に棚が囲み、その中は人が一人通れるだけの隙間を残して縦に棚が並んでいる。
周防は出入り口の正面に立っていた。入ってきたのが俺だとわかると、うろたえた顔を見せた。
「探しもの?」
「……はい、まあ」
他人行儀な受け答え。俺から目を逸らすと資料探しに戻る。
部屋の中を端から見て他に誰もいなことを確かめた。
「昨日のことだけど」
「はい」
「ちゃんと話をしたいから、今日、時間ある?」
「僕は、なにも聞きたくないです」
「俺にききたいこととか、言いたいことがあるだろ」
「なにもないです」
予想していた最悪な可能性が的中した。
「俺はある。だから時間を作って欲しい」
「嫌です」
「周防っ」
頑固な周防に腹が立って声が大きくなった。周防は俺をちらりと見ると、ため息をついた。
「久松さんが結婚していたこと、立花さんも南さんも知ってたそうです。でも僕は知らなかった。指輪もしてなかったし、久松さんもなにも言わなかったから」
「指輪は……、前に一度失くしかけたことがあって、普段から外してるんだ」
「だったらどうして僕が告白をした時に結婚してるって断ってくれなかったんですか。黙ったまま思わせぶりな態度を取って、挙句に僕の気持ちを受け入れるなんて、久松さんがなにを考えているのか僕にはわかりません」
資料を掴む周防の手に力が籠る。
「それは俺が悪かったよ。他の奴らは俺が結婚していることを知っているからつい周防も知ってるんだと、確かめもせず思いこんだんだ。それは本当に俺が悪かった」
この期に及んで俺は保身のために嘘をついた。1人で抱えきれない罪を、周防にも肩代わりさせようとした。
「そうですね、確かめなかったのは僕も悪かったと思います。既婚者だと知っていたら、好きにはなっても告白はしなかったと思います。突っ走った僕が悪かったです」
怒りを孕んだ周防の声だった。俺にも怒っているだろうが、自分自身にも腹を立てているように聞こえた。
「周防から告白されたことにびっくりして言うのを忘れてたんだ。どういう意味の好きなのかまだよくわからなかったし、ただからかわれているだけかもしれないし」
「からかったりしません」
「それはわかってるけど、男に告白されたことなんて初めてだったんだ。俺だって混乱したんだよ。それは理解してくれ」
ぎゅ、と唇を引き締めて周防は下を向いた。よく見ると顔色がいつもと違う。今日は瞼の二重が三重にもなっているし、目の下にうっすら隈も見える。
「もしかして、昨夜、寝てないのか?」
「久松さんは平気で眠れたんですか」
初めて周防が俺を詰るように見た。
「平気なんかじゃなかったよ、俺だっておまえに連絡しようかどうしようかずっと迷ってた。でもどれも言い訳になるし、メールで済む内容じゃないし、ちゃんと会って話さなきゃと思ったんだ。周防を傷つけて平気なんかじゃなかったよ」
「でも久松さんはずっと僕と奥さんに嘘をついてきたんですよね」
核心を突かれて言葉に詰まった。
「久松さんはいつも帰りの電車の時間を気にしてるんだと思ってました。でもあれは奥さんが待っているからだったんですね。外泊しないのも、奥さんに怪しまれないためだったんですよね。今になってわかりました」
「それはだって……俺の立場もわかってくれよ」
「奥さんがいるのに不倫するような人の立場なんかわかりたくないです」
「子供みたいなこと言うなよ」
「どうせ僕は子供です」
周防は資料を抱え直し、俺に背を向けた。
「周防、待て」
「話なら聞きました。もういいですよね」
「まだ終わってないだろ」
「まだ何か?」
肩越しに俺を見る。その目の冷たさに体がすくんだ。
「これから……俺たちはどうなるんだよ? 来月の旅行も……」
「そんなのあるわけないじゃないですか」
俺を避けるために反対の通路か迂回して周防は資料室を出て行った。背後でバタンと扉が閉まる。空調の音が耳鳴りみたいに頭のなかで響いた。
※ ※ ※
それから周防は露骨と言っていいほど俺を避けた。前のように仕事中、俺を見てくることはないし、通路で鉢合わせしそうになったらくるりと背を向けるし、仕事でどうしても話をしないといけないときは必要以上の距離を取って慇懃無礼なまでに丁寧でよそよそしい。
メールをしても返事はない。電話をしても出てくれない。ひと気のないところで呼び止めると「急いでいるので」と話も聞かない。強硬手段で腕を掴んだ時はぎょっとした顔とともに「やめてください」と腕を振り払われた。
あんなに好きだと言われてきた男からの強い拒絶にさすがに傷ついた。
俺が悪いことはわかっている。だから謝りたい。言い訳を聞いて欲しい。前と同じように戻りたいなんて虫がいいことは言わない。せめて、普通の先輩と後輩でいたい。仕事にも影響するくらいいまの状態は悪い。このままじゃ、他の誰かに気付かれてしまう。
何があったのか、周防はベラベラ喋るような奴じゃない。俺も言えるわけがない。そうすると周防の評価が下がる。それだけは避けたい。
会社のなかでできる話じゃない。呼び出そうにも周防は俺の連絡をすべて無視する。だからもう、周防のマンションへ行くしかなかった。
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翌朝、周防に会うのが怖くて仕事を休もうかと思った。
昨夜は周防からメールか電話がかかってくるんじゃないかと思ったが、なにもなかった。あいつも俺からの連絡を待っていたか、混乱してメールどころじゃなかったのかもしれない。
一番考えたくないのは、周防がもう俺を切りすてた可能性だ。
あいつの性格を考えたら充分あり得た。だから仕事に行くのが怖かった。
問題を先延ばしにしていいことは何もない。だから仕方なく出社した。
出勤済みの周防はすでに自分のデスクにいた。そのそばには南と立花がいて、3人で和やかに談笑中だ。その顔は普段通りに見えた。
仕事場でする話でもないから、周防のことは気になりつつもいつも通りに仕事をした。周防は頑なに俺を見ようとしない。目が合うこともないまま午後になった。
村野から資料取ってきてと言われた周防が、資料室に入って行くのが見えた。すぐ追いかけたい衝動にかられる。周防と面と向き合うのはとてつもなく怖い。でもこのままの状態で放ったらかしにされるほうが倍怖くて、居心地が悪い。
責められるなら、とことん責められたい。そのほうがこちらも言い訳のチャンスがあるような気がする。
人間というのは、目の前に絶望の暗い穴がぽっかり空いているとわかっていても、そこを覗きこまずにはいられないのだろう。
急いで資料室へ向かった。30平米ほどの広さに出入り口を残してコの字に棚が囲み、その中は人が一人通れるだけの隙間を残して縦に棚が並んでいる。
周防は出入り口の正面に立っていた。入ってきたのが俺だとわかると、うろたえた顔を見せた。
「探しもの?」
「……はい、まあ」
他人行儀な受け答え。俺から目を逸らすと資料探しに戻る。
部屋の中を端から見て他に誰もいなことを確かめた。
「昨日のことだけど」
「はい」
「ちゃんと話をしたいから、今日、時間ある?」
「僕は、なにも聞きたくないです」
「俺にききたいこととか、言いたいことがあるだろ」
「なにもないです」
予想していた最悪な可能性が的中した。
「俺はある。だから時間を作って欲しい」
「嫌です」
「周防っ」
頑固な周防に腹が立って声が大きくなった。周防は俺をちらりと見ると、ため息をついた。
「久松さんが結婚していたこと、立花さんも南さんも知ってたそうです。でも僕は知らなかった。指輪もしてなかったし、久松さんもなにも言わなかったから」
「指輪は……、前に一度失くしかけたことがあって、普段から外してるんだ」
「だったらどうして僕が告白をした時に結婚してるって断ってくれなかったんですか。黙ったまま思わせぶりな態度を取って、挙句に僕の気持ちを受け入れるなんて、久松さんがなにを考えているのか僕にはわかりません」
資料を掴む周防の手に力が籠る。
「それは俺が悪かったよ。他の奴らは俺が結婚していることを知っているからつい周防も知ってるんだと、確かめもせず思いこんだんだ。それは本当に俺が悪かった」
この期に及んで俺は保身のために嘘をついた。1人で抱えきれない罪を、周防にも肩代わりさせようとした。
「そうですね、確かめなかったのは僕も悪かったと思います。既婚者だと知っていたら、好きにはなっても告白はしなかったと思います。突っ走った僕が悪かったです」
怒りを孕んだ周防の声だった。俺にも怒っているだろうが、自分自身にも腹を立てているように聞こえた。
「周防から告白されたことにびっくりして言うのを忘れてたんだ。どういう意味の好きなのかまだよくわからなかったし、ただからかわれているだけかもしれないし」
「からかったりしません」
「それはわかってるけど、男に告白されたことなんて初めてだったんだ。俺だって混乱したんだよ。それは理解してくれ」
ぎゅ、と唇を引き締めて周防は下を向いた。よく見ると顔色がいつもと違う。今日は瞼の二重が三重にもなっているし、目の下にうっすら隈も見える。
「もしかして、昨夜、寝てないのか?」
「久松さんは平気で眠れたんですか」
初めて周防が俺を詰るように見た。
「平気なんかじゃなかったよ、俺だっておまえに連絡しようかどうしようかずっと迷ってた。でもどれも言い訳になるし、メールで済む内容じゃないし、ちゃんと会って話さなきゃと思ったんだ。周防を傷つけて平気なんかじゃなかったよ」
「でも久松さんはずっと僕と奥さんに嘘をついてきたんですよね」
核心を突かれて言葉に詰まった。
「久松さんはいつも帰りの電車の時間を気にしてるんだと思ってました。でもあれは奥さんが待っているからだったんですね。外泊しないのも、奥さんに怪しまれないためだったんですよね。今になってわかりました」
「それはだって……俺の立場もわかってくれよ」
「奥さんがいるのに不倫するような人の立場なんかわかりたくないです」
「子供みたいなこと言うなよ」
「どうせ僕は子供です」
周防は資料を抱え直し、俺に背を向けた。
「周防、待て」
「話なら聞きました。もういいですよね」
「まだ終わってないだろ」
「まだ何か?」
肩越しに俺を見る。その目の冷たさに体がすくんだ。
「これから……俺たちはどうなるんだよ? 来月の旅行も……」
「そんなのあるわけないじゃないですか」
俺を避けるために反対の通路か迂回して周防は資料室を出て行った。背後でバタンと扉が閉まる。空調の音が耳鳴りみたいに頭のなかで響いた。
※ ※ ※
それから周防は露骨と言っていいほど俺を避けた。前のように仕事中、俺を見てくることはないし、通路で鉢合わせしそうになったらくるりと背を向けるし、仕事でどうしても話をしないといけないときは必要以上の距離を取って慇懃無礼なまでに丁寧でよそよそしい。
メールをしても返事はない。電話をしても出てくれない。ひと気のないところで呼び止めると「急いでいるので」と話も聞かない。強硬手段で腕を掴んだ時はぎょっとした顔とともに「やめてください」と腕を振り払われた。
あんなに好きだと言われてきた男からの強い拒絶にさすがに傷ついた。
俺が悪いことはわかっている。だから謝りたい。言い訳を聞いて欲しい。前と同じように戻りたいなんて虫がいいことは言わない。せめて、普通の先輩と後輩でいたい。仕事にも影響するくらいいまの状態は悪い。このままじゃ、他の誰かに気付かれてしまう。
何があったのか、周防はベラベラ喋るような奴じゃない。俺も言えるわけがない。そうすると周防の評価が下がる。それだけは避けたい。
会社のなかでできる話じゃない。呼び出そうにも周防は俺の連絡をすべて無視する。だからもう、周防のマンションへ行くしかなかった。
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