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うすらひ(2/18)

2019.10.20.Sun.
<前話>

 フロアに部長の叱責の声が響いた。デスクに呼び付けられて怒られているのは周防だ。

「いつまで学生気分でいるだ。こんな初歩的なミス! 新入社員だからと大目に見らもらえる期間は過ぎているんだぞ。立花くんが気付いてくれたからいいものの、このまま提出してたら大変なことになっていたんだぞ。わかっているのか?」
「申し訳ございませんでした」

 大きな体を小さく丸めてペコペコと頭を下げている。誰だってミスの一つや二つは経験がある。一年目に大きな失敗をしておいたほうが今後のリカバリー力が育つと俺は思っている。だから今は落ち込むだろうが、必要な経験だ。

 部長もそのへんは同じ考えだから、仕事に慣れて緊張感が緩んだ頃の失敗はいつも厳しめに叱っている。部活でしごかれてきた周防なら乗り越えられるだろうが、一応あとで様子を見に行ってやろう。

 以後気をつけます、と深く頭をさげて、周防は自分のデスクに戻った。あまり喜怒哀楽を表に出すほうじゃないが、さすがに顔つきがいつもと違った。

 書類とパソコン画面を何度も見比べて、ペンで何かを書きつけ、マウスをクリックして、また書類とにらめっこ。自分にもあった初々しい仕事ぶりが微笑ましかった。

 俺の視線を感じたのか、周防がこっちを見た。目が合うと慌てて下を向く。

 周防から告白されて一週間。俺を激しく意識しているのは変わらない。湿った視線はあいかわらずだし、たまたま通路やエレベーターホールで鉢合わせるとあからさまに動揺する。

 俺から声をかけてやると嬉しそうに笑うし、軽口を言って背中や腕に軽く触れるだけで顔を赤くする。それがおもしろくてこの前歪んでいるネクタイを締め直してやったら、「すみません」と手で顔を覆い隠してしまった。

 公祐のように身をゆだねる心地よさはないが、全身で好きだと示されるのは気分が良い。

 いまみたいに、目が合っただけで照れているのも、好ましい反応だった。

 しばらくして12時を知らせるジングルが鳴った。周防を誘ってみようかと腰をあげたら、周防に話しかける女子社員が目に入ってまた尻を戻した。周防と同期の立花だ。

 パッとしない周防に対し、立花は入社したときからその美貌とハキハキ物を言う態度で注目されていた。実際優秀だし本人も出世に意欲的で、今から管理職候補だと囁かれているくらいだ。

 うちの部署にきた新人の4人でいまの疑似プロジェクトを任され、監督者は別にいるものの、チームリーダーは当然のように立花だ。周防のミスに気付いたのも立花。そして仲間のフォローも忘れない。

「周防くん、一緒にお昼行かない?」
「立花さん、迷惑かけてごめん。助かりました」
「何言ってるの。仲間なんだから助け合うのは当たり前でしょ。部長がきつく叱ったのは新人に喝入れる目的だと思うし、そんなに思いつめちゃ駄目だよ」
「ありがとう。もう少しやってからいくから、先に行ってて」
「お昼休みはちゃんと取らないと。仕事と休憩の区別は大事だよ」
「うん。キリのいいところで終わるから」
「だめだめ、ほら行くよ」

 立花は周防の腕を取って強引に立たせた。周防も諦めたのか、背広を羽織る。二人は連れ立ってフロアを離れた。

「久松、まだ飯行かねーの」

 動かない俺に村野が声をかけてきた。村野は俺の同期だ。遠慮なく言い合える仲だが深い話はしない。出かけるタイミングを逃していただけだから、村野と一緒にフロアを出た。前を歩く二人を見て村野が「そういえば」と声を潜めた。

「古田さんが立花さんを食事に誘ったら、好きな人に勘違いされたくないのでごめんなさいって断られたらしいんだよ。立花さんの好きな人ってもしかして周防かな?」
「さあ、どうかな」

 美人な立花さんはすぐ男性社員の間で話題になった。みんなが参加する歓迎会や飲み会には参加するが、二人きりや人数が極端に少ない飲み会は断っていると聞く。美人故の悩みも多いだろうと男の俺でも想像できた。

「いくらなんでも周防はねえか。あいつは背だけだもんな」

 負け犬の遠吠えほどみっともないものはない。確かに周防はバリバリ仕事ができるほうじゃないし、上に取り入る器用さもない。でも人として大事な真面目さと誠実さは隣の村野よりある。

 エレベーターホールで二人と一緒になった。俺に気付いた周防が会釈をよこす。到着したエレベーターに乗り込んだ。

「今日なに食う? なんかあっさりしたのがいいな」

 村野へ「そばにする?」と返事をしながら俺の意識は後ろに立った周防に向かっていた。後ろから同じような会話が聞こえてくる。

「洋食屋さんでいい? 先にみんな行ってるから」
「僕はどこでも」

 周防と立花、二人だけで食事をするわけじゃないようだ。

 エレベーターが一階について外へ出た。村野とそば屋へ向かう途中、振り返った。立花と歩く周防の後ろ姿が見えた。あっち、と行く先を指さして立花が周防の腕を掴む。まさか本当に立花の好きな相手は周防なのだろうか。当の立花はぼんやりと、立花が指さした方向を見ている。あの鈍感男は、話題の美人社員からボディタッチされても顔色を変えない。

 それに満足してから前に向き直った。

 ※ ※ ※

 今日のミスを取り返すべく、周防は残業するようだった。終業時間になっても腕まくりしたままパソコン画面に向かっている。

 同期の仲間たちは周防に一声かけてから帰っていった。立花だけは「私も手伝う」と言いだしたが周防に断られて渋々帰宅した。本当に周防が好きなのか、自分ですべて把握しておかないと不安な性格なのか、まだ判断しかねるところだ。


 また邪魔が入る前に周防に声をかけた。

「どうだ」
「久松さん」
「ポカやらかしたんだって」
「はい……、ちゃんと見直したつもりが、見落としてしまっていて」
「自分が作成した書類ってのは、頭の中で補完するからミスを見落としがちなんだ」

 どれ、と周防の肩越しにパソコンを覗きこんだ。与えられたフォーマットにデータを落とし込み、数字さえ気をつければいいだけの簡単なものだ。これをミスするとはらしくない。

「もう完成してるんだろ?」
「はい。最後にもう一度確認しようと思って」
「見直しなら時間をあけてやったほうがいい。どうせなら外に食べに行かないか?」
「お誘いはすごく嬉しいです。でも、久松さんは残業してるわけじゃないですよね。僕に付き合って帰りが遅くなってしまうのは申し訳ないです」
「俺がおまえと一緒に食べたいから誘ってるんだよ。おまえのほうこそ迷惑なら断っていいから」
「そんなことないです! 本当に嬉しいです」

 俺のずるい言葉を、周防は予想通り慌て否定した。急いでパソコンの電源を落として背広を羽織う。

 また戻って来るなら近いほうがいいだろうと、会社から一番近い中華屋に入った。俺は餃子とビール、周防はラーメンと酢豚と炒飯を頼んだ。運動部の名残りか、周防は大食いだ。これだけ食べてもまだ家で軽く食べることもあるらしい。実家住まいで、母親が用意してくれた夕飯を無駄にするのが悪い、とも言っていた。優しい奴だと思う。

 大きな体、大きな口に、料理が次々消えていく。がっついているわけじゃない。一口が大きいのだ。見ていて気持ちがいい食べっぷりだった。

「そういえば今日の昼飯も周防を誘うと思ってたんだ」
「僕をですか」
「うん、立花さんに先越されたけど」
「気付かなくてすみません。立花さんはミスをした僕に気を遣って誘ってくれたんです」
「優しい子だな。おまけに美人だ」
「そうですね」

 さらっと同意してラーメンを啜る。美人に鼻の下を伸ばすタイプじゃないが、美醜の基準は持っているらしい。

「周防と立花さん、一部で噂になってるらしいよ」

 村野が言っているだけだが、周防は驚いてラーメンを噴き出した。咳き込む周防に水のグラスを渡してやる。

「すいませっ……ゴホッ、ンッ、誰がそんな……ありえないですよ、立花さんに悪いです。僕なんかと、噂だなんて」
「そんなことないよ、周防は背も高いし、2人並んだらなかなかお似合いだった。有りなんじゃない、立花さん」
「どうしてそんなこと言うんですか。僕が誰を好きか知っているのに」

 咳き込んだせいで充血した目が悲しげに俺を見る。しまった、と目を逸らした。

「ごめん、悪気はなかった」
「僕はまだ久松さんを諦められてないんです。それどころか日に日に好きだっていう感情が強くなっていきます。久松さんが誰かと一緒にいるだけで仕事も手につかないくらい気になって仕方ないんです。今日も村野さんに嫉妬しました。他の誰も目に入らない。自分でも余裕がなさすぎて嫌になります」

 自己嫌悪に顔を歪め、周防は箸を置いた。周防が想い詰めるタイプだと忘れていた。もしかして今日のミスも俺に気を取られていたからか?

「俺が悪かったよ。無神経なこと言った、ごめん」
「僕のほうこそすみません。でももう言わないでほしいです。久松さんから、他の誰かのことを聞きたくありません」

 不器用ながらも一生懸命自分の感情を言葉で伝えてくる周防に感動した。ごまかしたり、嘘をついたり、大人なら当たり前にやっていることを、周防はしないのだ。

 奢ると言うのに周防は頑なに自分の分は払います、と譲らなかった。結局会計は別々に済ませて店を出た。初秋の風が頬を撫で髪を梳いた。鞄はデスクに置いたまま。だから周防と一緒に会社に戻った。

 誰もいないエレベーターホールでエレベーターを待つ。

「周防」
「はい」
「さっきはほんとにごめん」
「久松さんは悪くないです。ただの冗談だったんですよね。僕のほうこそ空気を読めなくてすみません」
「いや……」

 空のエレベーターに乗り込んだ。横に立つ周防を見上げる。よく食べるわりに太る気配はないシャープな顎のラインに目がいく。吹き出物ひとつないきれいな肌だった。階数表示を見上げる目は決して俺のほうを見ない。仕事中はしょっちゅう俺を見ているくせに、こんな風に近くにいると目さえ合わなくなる。

「周防」
「はい」
「俺も立花さんに嫉妬したのかも」
「え」

 ぴくんと顎を揺らした。ゆっくり俺のほうへ顔を向ける。

「周防と一緒にごはん行こうと思ってたのに先越されて、仲良さげだったから、嫉妬したのかも」

 周防は薄く口を開くと鋭く息を吸いこんだ。なにか言いたげにムズムズ唇が動く。言葉にならないのか声は出ない。何度も瞬きする目に動揺が表れていた。

 じわじわと周防の顔が赤くなっていった。耳から首まで赤くなっていくのを見るのは感動的だった。

「そういうことを言うのはやめてください。期待したくなります。諦められなくなります」

 周防は顔を背け、喘ぐように言った。

「別に諦める必要はないんじゃないか」

 周防の腕に手を添えた。周防はびくりと肩を震わせた。

「僕は冗談と本気の区別をつけるのが苦手なんです。ご存じですよね」
「よく知ってる」

 湯気が出そうなほど赤い顔のまま振り返ると、周防がゆっくり顔を近づけてきた。俺はそれを見つめ返した。周防の目がぎゅっと閉じる。少し目測を誤った場所に、ぎこちなく唇が押しつけられた。それはすぐ離れていった。周防らしいキスだと思った。

「また空気を読めていなかったらすみません」
「ちゃんと読めてたと思うよ」

 周防は額の汗を拭った。見ると首筋にも汗をかいている。可笑しくて笑ってしまってから気付いた。

「あ、俺さっき餃子食べたんだった、ごめん」
「もう、そんな──、味わう余裕とかなかったですから」
「味わうっておまえ」
「すいません、久松さんのこと抱きしめたいです」
「一応会社だから。さっきのもほんとは駄目だからな」
「すいません。もう夢中で」

 笑って周防の背中を叩いた。スーツ越しでも、背中まで熱くなっているのがわかった。



魔風が吹く 5

(非BL)番頭…
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