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往時渺茫としてすべて夢に似たり(13/15)

2018.06.19.Tue.
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 エリア巡回のあと、オーナーに呼び出されていたので指定された店へ向かった。黒い壁に囲まれた、一見するとなんの建物なのかもわからない店だ。

 内装も黒で統一されていて照明も薄暗く、通路を歩くことも覚束ないほどだ。右手にカウンター、左手は全て個室。店員の出入りでチラリと見えた客層は若い。

 奥の部屋で広田が待っていた。

「先にやってる」

 とグラスを傾ける。

「お疲れさまです」
「お疲れ。どうこの店」
「暗すぎます。これじゃ食事どころか、一緒に来た連れの顔も見えやしない」
「こういう店、増えたよなあ。若いのに流行ってるらしい」
「まさかうちの店も照明を絞る気ですか」
「うちは舌でも目でも料理を味わってもらうまっとうなレストランだからそんな真似はしないよ」
「それを聞いて安心しました」
「隣の客と顔を合わせたくない奴にはいいんだろうな。芸能人とか」

 また広田のお節介虫が騒ぎだしたのだろうか。その手には乗らない。

「店の売り上げですが、いま現在前年比を上回ってはいるものの、常連のお客様にはそろそろ目新しいメニューをお出しする必要があると思いますね」
「売り上げがいいのは国見栄一効果だな。お菓子の詰め合わせは通販しないのかって問い合わせがいまだにくる」
「検討されてもいいかもしれませんね。それで、新メニューですが──」
「うまくいってるのか、お前たち」
「従業員のプライベートに上司が首を突っ込まないでください」
「テレビで見たけど、いまは中国にいるんだろ」
「らしいですね」

 先日、中国へ発ったとネットニュースで知った。ホテルで喧嘩別れしてから連絡は一度もこない。私からしても無視をされる。もう駄目なのだろうか。望みが小さく萎んで行く。

「休み取って会いに行っていいんだぞ。お前は変に義理堅くて真面目だから遠慮してんだろうけど」
「そんなことは……。彼とは喧嘩中なので」
「だったらなおさら、仲直りのために会いに行けよ。尻込みしてたら手遅れになるぞ」

 耳に痛い。もうすでに手遅れかもしれないのだ。

「人の恋愛なんかどうでもいいだろ」
「よくない。相手はあの国見栄一だぞ。嫁と麻帆が大ファンなんだと。その恋人と噂される男が俺の店で働いてるんだ。家の中で俺の株爆上りよ。会わせろなんだのやかましいんだ」

 弱々しく笑い返した。奥さんとお嬢さんの頼みはきいてやれないかもしれない。

 私の表情の変化に、敏い広田はすぐ気がついた。

「喧嘩って、深刻なやつなのか?」
「誰にも譲れない部分はあるだろう」
「まあな」

 広田は少し黙って考えこんだあと、頭をガシガシと掻いた。

「俺から言えるのは、理性で恋愛すんなよってことだけだ。本能で国見栄一と向き合え」
「彼と出会ってから煩悩まみれの私が理性的だとでも?」
「俺の目にはまだそう見えるね。喧嘩した恋人が中国に行ったら普通追いかけるだろ」
「追いかけたところでまた口論になる。同じことの繰り返しだ」
「口論上等。仲直りのあとのセックスは最高に燃えるぞ」
「ばか」

 私が吐き捨てると広田は笑った。

 お嬢さんの名前が出たとき、記憶の襞から何かが零れ落ちてきた。それは懐かしい小泉さんの記憶。お嬢さんが連れて来た相手が、まさかの小泉さんの元彼だった。

 小泉さんが去ったあと毎日思い出していたのにいつの間にか思い出すことを忘れていた。私の全部を国見さんが占めている。

 小泉さんのことが遠い過去になったのなら。いつか国見さんとのこともそうなるのだろうか。

 少し考えてみただけで、胸が引き裂かれたように痛んだ。

※ ※ ※

 アラームで目が覚めた。くるまった布団から出たくない。覚悟して布団を出て、冷たいフローリングに足を置く。いつの間にか肌寒い季節になっていた。

 朝食をとりながら新聞に目を通す。食器を片付けてから身支度をした。ストライプの濃紺のネクタイを横目に見ながら違うネクタイを選んで首に巻いた。コートを腕にかけて家を出る。

 11月半ば。もうすぐ国見さんの誕生日だ。11月に入ってからずっとそれを意識している。しかしプレゼントを渡したい相手は日本にはいない。

 ホテルで喧嘩別れした日が、彼に会った最後の日になってしまったら──。

 あんな終わり方をするなんて本意じゃない。彼が帰国する頃にまた連絡をしてみるつもりだった。その頃には彼も冷静になって話を聞いてくれるかもしれない。祈る気持ちでそう願う。

 午前中、店を回って新メニューの試食とアドバイスをした。昼は古巣のまかないを頂くことにした。なんだかんだ長年働いた店が一番居心地がいい。

 店の駐車場に車を入れ、裏口から入った。支配人室をノックしたが木原さんはいなかった。休憩室のほうへ足を向ける。馴染みの顔が私を見て挨拶を寄越す。

「支配人は?」
「厨房だと思います」
「ありがとう」

 厨房へ向かうと、途中で話声が聞こえてきた。

「俺の仕事は料理を作ることだ。それに集中させてくれよ」
「もちろん集中してもらわないと困ります。でも新人教育も三井さんの仕事なんですよ。キッチンスタッフは三井さんがリーダーになってまとめてもらわないと」
「そんなのスーシェフに任せりゃいいだろう。そもそも連絡なしにブッチするような奴、どうまとめろっていうんだ」
「聞いたら初日の挨拶だけで、それ以降まともに話もしてないそうじゃないですか」
「当たり前だろ。なんで俺が新人相手にご機嫌取りしてやらなきゃなんないんだ」
「三井さんは怖いんですよ! 話しかけにくいし、口も態度も悪い!」
「なっ、誰がそんなこと言った? 木原ちゃんもそう思ってるのか?」
「私のことは支配人と呼んでくださいって、何回も言ってますよね」
「今更呼びづらいんだよ。別にいいだろ、俺は」
「よくありません。いいですか、三井さんの評価を上げるも下げるも私の印象次第なんですからね」
「おい、それは職権乱用だろう」

 たまらず吹きだしてしまった。二人が揃って振り返る。私を見て木原さんは笑顔になり、三井くんは少し照れの混じった気まずそうな顔をした。

「いらしてたんですか。恥ずかしいとこ見られちゃいましたね」
「うまくやっているようじゃないですか、問題児の三井くんと」
「ちょ、俺は問題児なんかじゃないでしょ」
「本気でそう思ってるんですか?」

 木原さんの鋭いツッコミに三井くんは言葉を詰まらせた。最初は不安だったが、案外この二人はいいコンビのようだ。

 まかないの用意を待っている間、支配人室で木原さんと仕事の話をした。入って二週間目の厨房スタッフが今週から無断欠勤をしている話も聞いた。

「三井さんって横柄じゃないですか。あの人のせいで辞めたスタッフ何人いるか」
「腕は確かなんだけどね」
「ですよね。料理の腕だけは男前なんですけどね」

 木原さんの表現に笑ってしまう。言い得て妙だ。大胆であり、繊細。彼の料理は確かに男前だ。

 スタッフに呼ばれてホールへ出た。テーブルに並ぶまかない料理。作った若いスタッフの説明を聞いてからみんなで食事をとる。三井さんが厳しくも的確な指導をしている。下のものに慕われるようになれば、彼も一人前だ。

 食事のあと、外へ出かける者、椅子を並べて仮眠を取る者、みんなそれぞれの方法で時間を潰す。私は他の数名と一緒に休憩室へ移動し、コーヒーを飲みながら三井くんが作る新作メニューの完成を待っていた。

 休憩室のテレビがついていた。ワイドショーの司会者が女性アイドルの熱愛スクープを伝えている。

「それじゃ、次。こちらも熱愛と言っていいのかな。映画の撮影のために中国へ渡った国見さんなんですが、ついてすぐ、体調を崩したそうなんですね」

 国見さんの名前が出て休憩室はシンと静かになった。休憩室にいるスタッフが私をチラリと見る。

 国見さんが中国へ行って体調を崩したなんて話は、テレビを見ない私には初耳だった。国見さんから連絡もきていない。私はもう頼られる存在じゃないのだろうか。まだ怒っているだけだと信じたい。あんな喧嘩ひとつで別れてしまうなんて納得できない。

「やっぱり生活環境がかわって、言葉も通じませんしね、体調も崩しますよね。それにあの事件のことがありましたから。普通の人だって体調崩しますよ。だって怖いですよ。家帰ったら知らない女がいたなんて。ねえ」
「普通に怖いです。トラウマになります」

 アシスタントの女性が深く頷く。

「あの事件があって連日マスコミに追いかけられて、気が休まらないからって中国行きを早めたらしいんですが、言葉通じないでしょ、生活環境もがらりとかわって精神的に相当参って、軽い鬱状態だっていう話らしいんですよ」

 良かれと思った選択が裏目に出たんですかね、とコメンテーターが訳知り顔で言う。

「で、ですよ。国見さんと親しくされていた例のお医者さんが中国まで会いに行ってるそうなんです。国見さんの泊まってるホテルにそのお医者さんが出入りする姿が何度も目撃されてるそうなんですね」

 体中の血が逆上した。みんなテレビを見ていて良かった。私の顔はいま般若のようになっているだろう。私の知らないところで、知らないうちに二人が再会していた。それをワイドショーの芸能ニュースで聞かされるなんて。

「異国の地で不安になっている時に駆けつけてくれるってかなり心強いですよ」

 アシスタントの言葉に司会者が同意する。

「国見さんが呼んだのか、お医者さんが心配になって会いに行ったのかはわかりませんけど、二人の絆は相当強いってことですよね。仕事休んでちょっと中国行ってくるってなかなかできませんよ」

 今度は燃えてしまいそうなほど自分が恥ずかしくなった。いっそ燃えて消えてしまいたいくらいだ。

 彼から涙ながらにあんなに懇願されたのにそれを突っぱねた私と、彼の体調不良を聞いてすぐに中国へ飛んだ医者の元彼。彼にも仕事が、待っている患者がたくさんいるだろうに、それを差しおいて国見さんを選んだ。何が大事かを、よくわかっている。

 仕事にしがみついた私はなんて小さな人間だ。本当は自分に自信がなかったから、仕事を理由に国見さんの頼みを断ったんだ。芸能人の彼に内心引け目を感じていた。元彼の医者にも。

 自分の仕事に誇りを持っている。だが無意識に二人の仕事と比べていたのではないか。私にはかわりがたくさんいる。現に支配人を辞める時、木原さんに引き継いでもなんの問題も起らなかった。統括マネージャーの仕事も、いつだって他の誰かへ引き継げる。

 だが国見さんの代わりはいない。国見栄一だから仕事の依頼がある。人の命と健康を守る医者の仕事も立派だ。私とは比べ物にならない。

 三ヶ月くらい休めばいいと国見さんに言われて、私が彼に抱く一番のコンプレックスを刺激された。だから私も意地になった。今になってわかった。

 何より大事だと思っていた国見さんより、私は自分のプライドを優先していたのだ。彼なしの人生など考えられないと思っていたのに。それが本音なら、事件があって不安な彼を一人にはさせなかったはずなのに。

 そうだ、彼は不安がっていた。距離があけば心も離れると。医者と別れた理由もそれだった。すれ違いが続いて、医者が研修医によそ見した。あの二の舞を恐れていた。私ならわかったはずなのに、なぜ失念していたのだろう。

「でもこの二人って、レストランで喧嘩して以来、仲違いしてたんじゃないですか? それで、国見さんはレストランの支配人と親しくなったって」

 コメンテーター席の女性タレントが言う。まるで私を嘲笑うかのような顔で。

「芸能リポーターの人にきいた話では、支配人の方とはあの事件以降、会ってないそうですよ。まあ、マスコミとか世間の目がありますから会わないようにしてたのかもしれませんが。でも今回、国見さんが体調崩した時に飛んで行ったのがお医者さんだったってことは、やっぱまだこの二人は続いてたってことじゃないですか」

 司会者が締めくくったことで次の話題へ移った。

 ここが店の休憩室で良かった。自分の家なら私は喚いて家中のものを壊していたかもしれない。いや。なぜ休憩室で良かったと? 大事なものもわからずに、一番愛する人を傷つけて、その結果失ったのに、私はまだ外面やどうでもいいことを気にするのか? なんて愚かしいことだろう。

 私はまた同じ間違いを犯した。小泉さんを元彼に奪われたのと同じように、国見さんも医者に奪い返されてしまった。

『あんた、物わかりいいふりして、指咥えて見てそうだもん』

 国見さんに言われた言葉が頭に蘇った。一言一句、彼との会話を覚えているほど好きだったのに。

『ほんとに好きなら必死になったほうがいいよ。後悔しても遅いから』

 胸が苦しくなった。今更遅いかもしれない。彼が私を見限り医者を選んだのなら潔く身を引くしかない。だが、もう一度、それを確かめるチャンスだけは与えて欲しい。

 休憩室を出て支配人室をノックした。

「すみません、急用ができたので帰ります。三井くんには申し訳ないと伝えておいてください」

 驚く木原さんを残し、すぐに店を出た。車に乗り込みエンジンをかける。ハンズフリーで広田へ電話をかけた。

『おう、どうした』
「諸井です。私をクビにしてください」
『なんだ急に。なにかあったのか?』
「中国に行ってくる」

 電話の向こうで広田が息を飲む音が聞こえた。そして、笑い声。

『本能で恋愛する気になったか。いいよ。有給扱いにしてやる。行って来い』
「恩に着る」

 急いで自宅へ帰り、パソコンを開いた。調べれば彼が宿泊するホテルの名前がすぐに出てきた。セキュリティーはどうなっている。近くの空港を調べ、すぐ乗れる飛行機を予約し、パスポートを持って家を飛び出した。




百と卍

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コメント
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お返事
インディゴ様

コメントありがとうございます!なかなかドラマチックに書くことができないので、そう言ってもらえるとうれしいです!
明日の更新で完結になります。最後までお付き合いいただけたら幸いです^^

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