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往時渺茫としてすべて夢に似たり(12/15)

2018.06.18.Mon.
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 豪華なブレックファーストを前に、国見さんはまだ眠そうな顔であくびをした。

 彼と共に寝て、共に起きる。同じ空間で同じものを食べることの幸せはなにものにも代えがたい。この時間が永遠に続けばと願ってしまう。

「ぐっすり眠れたの、久し振り」

 パンに手を伸ばして国見さんが言った。

「そんなに眠れてないんですか?」
「色々あったし、片付けなきゃいけない仕事があったりね」
「いまくらい、少し仕事をセーブしてもいいのでは?」
「一応、そういう方向でやってくれてるんだよ。今月はあとCM撮影一本と雑誌の取材一本だけだし」
「それならいいですが。ホテルにはいつまで? 新居はまだ見つからないんですか?」
「しばらく家は探さないかもしれない」
「なぜ?」

 彼はちぎったばかりのパンを皿に戻した。

「もっと前に話そうと思ってたんだけど……あんなことがあってタイミングを逃しちゃって。電話で言う話でもないし」
「なんのことです?」

 彼が真剣な顔つきなので、私もナイフとフォークを置いた。

「来月から映画の撮影が始まる」
「そうですか。また忙しくなりますね」
「うん……、実は中国の映画なんだ。監督がたまたま僕のことを見てオーディションを受けないかって。好きな監督だったから受けてみたら役が決まっちゃって」
「良かったじゃないですか。おめでとうございます」
「ありがとう。それで、撮影は当然中国でするんだけど、あんなことがあったから少し早めにあっちに行ったらどうかって。中国語も練習しなきゃならないし、アクションもあるからその特訓もあるし」

 だんだん話が見えてきた。

「早めって、どのくらい?」
「こっちの仕事が終わったらすぐだから、来週には。丸三ヶ月はあっちにいることになると思う」

 三ヶ月も。この一カ月でさえ半身を引き裂かれたような思いで過ごしていたのに、日本で彼の帰りをそんなに長く待てるだろうか。

 本音を言えば行って欲しくない。だからと言って、彼のキャリアを潰す真似もしたくない。ここは彼を想う年上の男として、気持ち良く送りだすのが正しい選択だ。

「寂しいですが、仕事なら仕方ないですね」
「断ってもいいんだ」
「断るなんて駄目です。やりたいんでしょう?」
「やりたい。けど、三ヶ月も会えないなんて寂しいし、その間に諸井さんが僕のこと好きじゃなくなるかもしれない。諸井さんはモテそうだから僕以外の誰かと……そんなの、絶対嫌だし……」

 彼の声が自信なさげに小さくなっていく。

「私はモテないし、君以外の誰かとなんてありえない。私の方こそ常にその不安と戦ってる」
「離れたくないんだ」
「私だって」
「じゃあ一緒にきてよ!」

 叫ぶように彼が言った。

「同じホテルに泊まって、毎日こうして一緒にご飯を食べて、時間があったら二人で観光して……、三ヶ月、諸井さんとそうやって過ごたい」
「それは……私だって、そうできたらどんなに幸せか」
「だったら! 一緒に行こうよ!」
「私にも仕事があります」
「休めばいいじゃないか」

 簡単に言ってくれる。説得しようと彼も必死だったのかもしれないが、私の仕事を軽視しているように思えていい気はしなかった。少し腹も立った。

「あなた方の世界では簡単に休めるのかもしれませんが、私のような一般の勤め人は三ヶ月もそう易々と休めないんですよ。よほどの事情がない限りは」
「これはよほどの事情じゃない?」
「恋人の仕事に付き合って三ヶ月休むなんてオーナーに言ったらクビにされます」

 広田なら事情を離せば許してくれそうな気がした。むしろ、喜んで送りだしてくれそうだ。さんざん迷惑をかけたのに、それに甘えるわけにはいかない。

「クビになったら僕のところに来ればいいよ。諸井さん一人くらい食べさせていける。不自由のない生活をさせるから。諸井さんは働かなくていい。僕のそばにいてくれるだけでいいから」
「飼い殺しですか、私を」

 怒りを押し殺した低い声になった。あまりに私を馬鹿にした発言だった。いくら国見さんでも許せるものじゃない。

 私の異変に気付いて国見さんも顔色を変えた。

「言い方が悪かったなら謝る。でもお願いだから、一緒に来てよ。僕は諸井さんと一緒じゃなきゃ中国へ行かない。離れるなんて不安でたまらないんだ」
「駄々っ子みたいなことを言うのはやめなさい。引き受けた以上はきっちりやるのが筋です。私もここで与えられた仕事をしてあなたの帰りを待ちます」
「嫌だ。一緒に来てくれないなら中国に行かない。行ったら諸井さん、絶対浮気するでしょ」
「しません。誰が私なんか相手にするもんですか」
「三ヶ月の間、何があるかわからないじゃないか。会えなくなったら気持ちも離れちゃうんだよ。そうなったらもう終わりだ。だったら捨てられる前に別れる。今、諸井さんと別れる!」

 感情が昂った国見さんの目は涙で濡れていた。泣き顔もこんなに美しいのに、今日はなぜか別人を見ているような気分になる。

「それは脅しだ、卑怯ですよ」
「脅しじゃない、本気だ。あんたみたいな薄情な人とは別れる! わかったらもう出てけよ!」

 立ちあがった国見さんが私の腕を引っ張る。こんなことで終わるだなんて冗談じゃない。

「落ち着いて。ちゃんと話を──」
「話はもう終わった。一緒に来てくれないんだろ?」
「それは──、一ヶ月待てたんだから三ヶ月だって乗り越えられる」
「ずっと一緒にいるって誓ったくせに」

 綺麗な目からぽろりと涙が滑り落ちた。昨夜、彼が寝る間際の私の言葉。ちゃんと届いていたのか。

「本当です。ずっとあなたのそばにいます」
「だったら一緒に、」
「それとこれとは話が別です。仕事とプライベートの区別はつけないと、私たちの関係も長続きしなくなくなる」
「そっちこを俺を脅してるじゃないか。明日も明後日も、ずっと一緒にいてくれるって言ったくせに。嘘つき。出てけよ、出て行けってば!」

 興奮した国見さんにはもうなにを言っても無駄だった。力任せに突き飛ばされて、よろけながら部屋を追い出された。

 あんなに取り乱した彼を見たのは初めてだ。ストーカー女に襲われた時も、こうはならなかった。

 確かに三ヶ月は長い。私だって出来ることなら彼のそばにいたいし、いてあげたい。だからと言って仕事は休めない。そのくらいの分別はある。彼も同じだと思っていたのに。やはり芸能人と一般人とでは、そのあたりの感覚が違うのだろうか。

 それとも、彼の言いなりになると思われていたのだろうか。下に見られていたとしたら、とても残念だし悲しい。

 携帯電話をテーブルに置いたままだったが、諦めて立ち去った。

 ホテルに置きっぱなしの携帯電話は後日、店のほうへ郵送されてきた。「さよなら」と書かれたメモと一緒に。電話した。メールも送った。どちらも無視された。

 これは一時的なもので、彼が頭を冷やして冷静になれば仲直りできるはずだ。だがもし万が一、メモに書かれた言葉が彼の本心なら、私はどうすればいいのだろう。




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