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往時渺茫としてすべて夢に似たり(10/15)

2018.06.16.Sat.


 翌日、出勤したスタッフ全員を休憩室に集めた。寝不足と、ゆうべ女にもらった頭突きと、複数のひっかき傷のせいで酷い顔の私を、みんなが興味津々に見つめる。

「私はしばらくホールには出られません。皆さんには迷惑をかけて申し訳ありません」

 頭を下げて謝罪する。この先のことを考えると、気が重い。

「どういうことですか。その傷も、何があったんですか?」

 からかいと詰問が混じったような口調で三井くんが言う。当然の疑問だ。

「いずれわかることだと思うので先に皆さんには言っておきます」

 リモコンを取ってテレビをつけた。さっそく昨夜の事件の報道をしている。

 昨夜、国見さんのマンションにストーカーの女が侵入し、逮捕されたこと。国見さんは一人ではなく、知人男性と一緒だったこと。知人男性は軽傷、国見さんに怪我はないということを深刻な顔で伝えていた。

「この知人男性は私です」

 一瞬の間のあと、全員から「えっ」と驚きの声があがった。中にはテレビと私を何度も見比べる者もいる。身近な人間がテレビで報道されるような事件に巻きこまれたと知ればこうなるのも無理はない。その目が好奇心にまみれているのを責めることはできない。

「マスコミがまた店に来ると思います。皆さんは何も知らないで通してください。今朝、オーナーには店を辞めることを伝えました。辞めた人間のことは何もわかりませんと言ってくれればいいです」
「国見栄一のマンションに支配人がいたんですか?」

 遠慮のない三井くんが質問する。この際、言えることは全て言ったほうがいいだろう。

「そうです。以前国見さんがお食事に来られた時に知りあって、それ以来何度かお誘い頂いています」
「え? 二人は付き合ってるんですか?」
「三井くんが思っているような付き合いじゃありません。知人の一人として、たまに会っていただけです」

 昨夜、警察が来た直後に国見さんのマネージャーと事務所の人がやってきて、今後のことを話し合った。というか、一方的にこうしてくれと押しつけられた。

 私と国見さんは恋人ではなく、あくまでただの知人で、昨夜は酔っていた国見さんを家まで送り届けただけ、その時、襲い掛かってきた女を私が取り押さえた、と。

 マスコミになにを聞かれても詳しいことは話さないようにと釘をさされた。俳優、国見栄一を守るためだと。

 そんなことを言われなくても、私が自分から国見さんの恋人だと名乗るつもりはなかった。

 世間もワイドショーもそうだと決めつけるだろうが、決して認めることはせず、否定をして欲しいと頼まれた。

 その話をしている間、国見さんは腕を組んでそっぽを向いていた。不機嫌なのは横顔でもわかった。

「俺を助けてくれた諸井さんに、どうして嘘をつかせなきゃいけないんだ。そんなことなら全部公表しよう。いい機会だ。」

 彼が憤慨して言うと「諸井さんに迷惑がかかる」とマネージャーに叱責されて黙った。

 私が被る迷惑なんて微々たるものだ。一時耐え忍べばいいだけ。でも彼への影響は計り知れない。医者との彼のことがあるから公然の秘密にはなっているようだが、それを認めたことは一度もない。認めてしまえば彼の仕事の幅は大幅に狭まるだろう。

 彼ほど華があり、存在感もあり、画になる俳優はそういない。所属タレントを守りたい事務所の意向はよくわかる。私だってこんなスキャンダルで彼の俳優生命を危険にさらしたくない。

 だから了承した。

「今回の事件のことについて、これからマスコミが押しかけて来るかもしれません。オーナーには臨時の警備員の配置をお願いしました。お客様に迷惑がかからないよう、敷地に入ってくる部外者は全部追っ払ってもらいます。この顔なのもありますが、引継ぎが終わるまでは私は裏方に回ります。みなさんには迷惑をかけて本当に申し訳ない」

 もう一度頭を下げた。

 今朝、オーナーの広田に今回のことは全部話した。寝ているところを起こされて不機嫌だった広田は、私が話し終わるまで相槌もなく黙って聞いていた。

 広田は「お前が辞める必要はない」と言ってくれたが、そういうわけにもいかない。今回の件は、他の従業員とお客様も巻きこんでしまうだろう。その責任はとらなければならない。

 それに国見さんを失ったと感じた時期に、一度仕事への情熱が消えた。国見さんが戻ってきてくれたことに安堵して、しれっと仕事を続けてはいるが、その時芽生えた、何か新しいことをしたいという気持ちはまだ残っていた。

 いまがちょうどいいタイミングなのかもしれない。

「辞めるって、いつ辞めるんですか?」

 ぶすっとした顔で三井くんが言う。

「木原さんに引継ぎができ次第。長くても一週間。あとは有給を消化させてもらいます。その間、他店から応援もお願いしておきます」
「ふーん。ま、俺は厨房の人間ですから、いつも通り仕事ができればそれでいいですよ」

 もう聞くべきことは聞いたと三井くんは「行くぞ」厨房スタッフの背中を叩いて休憩室を出て行った。あとに残されたホールスタッフは指示を待って私の顔を見つめる。

「私からは以上です。あとは木原さんの指示に従ってください」

 休憩室を出ると木原さんが追いかけてきた。

「本当に辞めちゃうんですか?」
「大変なことを引き継がせてしまってすみません」
「そんなことはどうだっていいんです。でも一週間で支配人がいなくなってしまうのは本当に困ります。まだ私一人じゃ無理です。年内は店にいてくれるんじゃなかったんですか?」
「辞めるから無責任に言うわけじゃありません。木原さんならできます。その器がある」
「ありません。支配人がいてくれると思うからなんとかできてるんです」
「じゃあそろそろ独り立ちをする時期ですね。オーナーも木原さんに期待していましたよ」

 まだ縋る目を向けて来る木原さんを振り切るように支配人室に入った。トボトボ遠ざかる足音に罪悪感がないわけじゃない。こんな状態で引き継ぎたくはなかった。彼女にやる気と自信をつけるにはまだ少し不十分だとわかっている。でも仕方がない。私が残るほうが店と従業員に迷惑をかけてしまう。いなくなって事態の収束をはかるほうが賢明だ。

 目に見えない大きな力と流れが目前に迫っている。今は嵐の前の静けさだ。もうすぐ嵐のなかに巻きこまれる。その予感があるのに何もできない。己の非力さが情けなく腹立たしい。

 ため息をつきながら椅子に座った。机に置いておいたスマホが点滅している。

 国見さんからメールが一通。

『昨日は僕のせいで大変なことに巻きこんでごめんなさい。傷の具合はどう? お見舞いに行きたいけどこんな状況だから行けなくてごめん。捕まった女のことも会って話したいけど、しばらくは無理だね。うちの弁護士が全部話をつけるから、そっちは安心して。諸井さんの悪いようには絶対しない。マスコミ対策も、出来る限りのことはさせてもらうから。色々話したいことがある。今夜電話してもいい?』

 自宅に侵入され、襲われたのは国見さんだというのに、昨夜から私のことを気遣ってばかりだ。普通あんな目に遭ったらショックで冷静ではいられないはずだ。彼は優しいだけじゃなく、心も強い。

 メールの他にオーナーから着信が一件あった。メールの返事は時間をかけたかったので、先にオーナーへ電話をした。

『ニュースになってるぞ、お前』

 電話に出るなり、オーナーの広田は楽しげに言った。朝はまだ寝ていた頭も覚醒したようで、溌溂とした声だった。

「申し訳ありません。これからもっと騒ぎになるかもしれません」
『なるだろうな。国見栄一をストーカー女からお前が救ったんだ。ヒーローだ』
「ですが皆には迷惑をかけることに」
『だから責任取って辞めるって話だったな。今朝も言ったがそれは却下だ。責任を感じるなら残れ。自分の尻ぬぐいは自分でしろ』
「実は前から辞めようと思っていたんですよ」
『辞めて何する気だ。お前みたいなオヤジの再就職がどれだけ難しいか現実わかってんのか』
「わかってるさ」

 決めつける口調にムッとしてつい素が出た。

『アテがあるのか? どっかから誘われてるのか?』
「そんなものはない。何か新しいことにチャレンジしてみたくなっただけだ」
『……なんか危ねえこと、やってんじゃないだろうな』

 広田は声のトーンを落とした。

「危ないこと?」
『金のあるところには変な奴らが寄ってくる。国見栄一ほどの人間なら、そんなのはじゃんじゃか群がってくるだろうよ。そういう奴らから妙な仕事の話されてないかって聞いてるんだよ』

 そういうことか。広田も過去に少なからずその手の不快な目に遭っている。今までそういったものと縁遠かった私も、国見栄一を通して接点ができてしまったと心配してくれているのだろう。

「彼の周りでそんな話は一切ない」
『信じていいんだな』
「信じろ」

 広田と私の出会いは大学時代。ハッテンバに出入りしていたところを偶然広田に見つかった。無知だった広田はあの場所はなんなのだ、男ばかりでなにをしていると私を質問攻めにした。

 本当のことを教えてやるとひどいショックを受けていた。別の日にまた話しかけてきて、あの場所は恋人を作る場所なのかと訊いてきた。違うと答えたら、いつか危ない目に遭うかもしれないから、利用するのは止めろと言ってきた。

 放っておけと突き放した。言いふらすなら言いふらせ、とも言った。広田は誰にも何も言わず、ただ俺に病気の危険や、付き纏い、強/姦のリスクがあることを懇々と説明した。そんなことこっちは百も承知で通っているというのに。

 聞く耳もたないでいると押しかけて来るようになった。私の遊びの邪魔をした。いくつかで出禁をくらい、私のほうが根負けした。

 あの頃の広田の口癖は「俺はいい男だけど惚れるなよ。俺には彼女がいるから」だった。惚れるもんか。鏡を見ろ、といつも返していた。恋愛の好意はなかったが、広田のことは恩人に近い友人だと思っている。広田の言う通り、嵌り込むには危険な遊びだった
それを止めてくれた広田に嘘はつかないし迷惑もかけたくない。

『だったらなおさら辞める必要はないな』
「私がいると店の評判に影響が出る」
『これしきで影響が出るような商売はしてないぞ。むしろいい宣伝になるだろ。前に国見栄一が来たってテレビで取りあげられた時も、売り上げが伸びただろ』

 広田の言う通りだった。あの一件の直後女性客が増えた。国見さんが居合わせた客全員にご馳走したプティフールのお土産はいまでも前年比三割増しの売り上げを維持している。彼の影響力は想像以上だった。

「前回と今回はまた違う」
『前回はただ国見栄一が利用しただけの店、今回は国見栄一をストーカーから助けた英雄が働いてる店だぜ』
「そんな噂話を目当てに客が来るような店になっていいのか?」
『今までとは違う客層に広く知ってもらう機会だと思えばいい』

 なにを言っても無駄か。

「私が辞表を出せばお前は受理しなければならない立場なんだぞ」
『頑固者。また言わせたいのか。お前が必要なんだよ。これで満足か』

 広田のもとで働くきっかけになった言葉を、ずいぶん久し振りに言われた。

 大学卒業後、就職してしばらくした頃に広田に呼び出されて会った。仕事の手伝いをして欲しいと頼まれた。親の仕事を引き継いだことは知っていた。なぜ私だと問えば、「表と裏の顔をきっちり使い分けられるのは理性が強い証拠だ。お前は優秀だし、愛想を振りまくのもうまい。接客業に向いている」とのことだった。

 やっと少し仕事に慣れてきた頃、新しい職種への転職なんて考えられないと断ったら「五年以内に俺がイチから作りあげた店をオープンさせる予定だ。店を守ってくれる信用できる奴が必要なんだ。諸井になら任せられる。お前が必要だ。頼む」と頭を下げられた。そこまでされて無下にすることもできず、迷ったが引き受けることにした。

 ハッテンバで誰彼構わず寝ていた私を、時間と労力を使って止めてくれたお人よしの頼みを一度くらいきいてもバチは当たらない。

「もう私は必要ないだろ。信用できるスタッフはたくさんいるじゃないか」
『まだ足りないのかよ。新しいことがしたいんだったな。よし、お前は来月から統括マネ―ジャーだ。俺一人じゃ全部の店は見て回れないから前からどうにかしたいと思ってたんだ。これでどうだ。出世だぞ。給料も上がる』
「また急にそんなことを」

 広田は有言実行の男だ。宣言していた通り、私を引き入れて五年目に自分の店をオープンさせた。「この店の支配人はお前だ」と別の店で働いていた私が急に呼び出された。

「どうしてそこまでして引き止めたいんだ」
『お前が俺のため、店のためって言いだす男だから俺は止めるんだ。この程度の騒ぎで親友を放りだすわけないだろ。お前も知ってるだろ、俺がそうする男だってことは』

 知っている。お節介で正義感が強くて自分の信念を決して曲げない男。それが広田だ。よく知っている。そのまっすぐさ故に誤解されたり人に妬まれることがあることも知っている。広田を陰から支えようと思っていた若かりし頃の自分を思い出した。

「お前には負けたよ」

 ため息が出た。電話の向こうで広田は笑い声をあげた。

『惚れるなよ。お前には国見栄一がいるんだから』
「当たり前だ。彼とお前じゃ月とスッポンだ」
『おい、その発言、給料査定に響くぞ。とりあえず木原ちゃんに引継ぎが終わったら一遍俺んとこに顔だせ。正式な辞令とかはそのあとだ』
「仰せの通りに、マイボス」

 私はまた広田に借りを作ってしまったのかもしれない。




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