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往時渺茫としてすべて夢に似たり(9/15)

2018.06.15.Fri.


 私と国見さんの交際は驚くほど順調だった。喧嘩も口論もない。干支一回り違う私が甘やかしているのもあるが、彼の言動すべてが愛おしくて気に触ることがひとつもないのだ。

 簡単に言ってベタ惚れしている。

 彼もあれこれ私に気を遣ってくれる。会えない日、私の手すきの時間を見計らって連絡をくれるし、会いに来るときは事前に予定を聞いてくれる。マスコミから守ると宣言した通り、会いに来るときは眼鏡とマスクで顔を隠して、タクシーも最低二回は乗り継いでいるらしい。

 撮影でどこか地方へ行ったときは、その土地のお土産を買ってきてくれるし、いつか私と行きたいと言ってくれる。彼の描く未来に私が存在している。こんなに嬉しいことはない。

 二ヶ月も経てば、もう彼なしの生活は考えられなくなっていた。毎日彼からの電話やメールを待ってしまう。会える日は前の夜から待ち遠しい。

 一緒にいる時間は短く、別れる瞬間は寂しい。彼も同じ気持ちでいてくれるようで、何度か冗談めかして一緒に住みたいということを仄めかされた。

 一泊二泊は平気だろう。でも毎日一緒に暮らしていたら周囲に必ずバレる。私のせいで彼がまたマスコミに追われ、ワイドショーでネタにされるのは避けたい。俳優としての彼と、彼の人生を守りたい。

「失礼します」

 ノックのあと支配人室に顔を出したのは木原さんだ。副支配人もすっかり板についてきた。

「こっちの仕事は終わりました。なにか手伝うことはありますか?」

 今はまだホールと支配人業の雑務を半々でやってもらっている。

「いえ、もうあがってください。私も終わりますから」
「はい。お疲れさまです」
「お疲れさま」

 閉まりかけた扉がまた開いた。

「どうしました?」
「支配人、恋人できたでしょ? 前にネクタイをくれた人じゃないですか?」
「よくわかりましたね」
「顔を見てればわかります。最近の支配人、デレデレですよ。お疲れさまでした」

 にこりと笑って木原さんは扉をしめた。そんなに顔に出ているだろうか。自分の頬を撫でる。確かに少し弛み気味かもしれない。このあと会えると思うと、自然とこうなる。

 明日の準備をして店を閉めた。車に向かいながら国見さんに電話をする。友人と食事していたそうで、自分も外にいるから迎えに来てほしいと頼まれた。お安い御用だ。指示された場所へ車で向かった。

 住宅街のなかにある公園の前に車をとめた。あたりに人の姿はなく、明かりのついている民家の数も少ない。エンジンを切って車の中で待っていると先の角から国見さんが現れた。

 助手席のドアが開いて国見さんが乗り込んでくる。外の空気と一緒に彼の匂いが車内に漂う。今日は酒の匂いもまじっている。

「ごめんね、遠回りさせて」
「構いませんよ」
「謝謝」

 彼は手を合わせて軽く頭を下げた。楽しいお酒だったようだ。

 公園を離れ、彼のマンションに向けて車を走らせた。つけられている気配はないが、ドライブもかねてでたらめに走ってから駐車場に車を入れた。

 深夜のエレベーターに乗り込み、一気に27階へ。上機嫌な彼に手を引かれて部屋の中に入る。扉が締まる前に、彼がキスしてきた。体を抱き返し、こちらも応じる。仕事の疲れも吹き飛ぶ。

「泊まっていける?」
「ええ」
「一緒にお風呂入ろう」

 くるりと私に背を向けた彼がピタリと動作を止めた。

「どうしました?」
「ん、いや」

 彼の視線の先を辿る。壁一面のシューズクローゼットの扉が少し開いている。彼はそれをそっと閉めた。

「ハウスキーパーの人が閉め忘れたんだと思う。最近こういうの多いんだよね。テーブルの下にリモコンが置いてあったり、パソコンのマウスの電池がプラスマイナス逆で入ってたり」

 自分がいない間に見ず知らずの他人が家の中を掃除していることにまず私は慣れないだろう。しかもこんな雑な仕事をされたら気になって仕方がない。

「苦情を入れてもいいのでは?」
「もうちょっと様子をみる」

 家主の彼がそれでいいなら私がこれ以上言うことはない。手を繋いだまま奥のリビングへ行ったが、彼はまた固まった。

「なんか変だ」

 囁くような小声で彼が言う。

「なんか変。おかしい。なにが……」

 リビングを見渡していた彼の首が止まった。カーテンの閉まった窓を見つめている。その顔つきは険しい。

「カーテンが違う。なんだよ、これ」

 窓に近づいてカーテンを見た。白いカーテン。記憶の中のカーテンも白かったように思うが。

 振り返って彼を見た。彼は私の考えを読んだようにかぶりを振った。

「そんな色じゃなかった。前はもっと白い……、それはアイボリーだ」

 持ち主しかわからないような微妙な色の違い。彼が取り替えたのでなければ、一体誰が?

「気に入ってくれました?」

 突如、ぬるりとした音が聞こえて、二人で顔を見合わせた。空耳じゃない。気のせいじゃない。こ こ に は 二 人 し か い な い はずなのに、何か意味のある言葉のような音を聞いた。彼は怯えて私のもとへ駆けてきた。

「アイボリーのほうが、お部屋が落ち着いてみえていいと思うんです」

 不快な感触を残す音の出所を探した。部屋の隅、気配を消して壁に同化するように女が立っていて息が止まった。医療関係の制服のようなものを着た女。年は私と同じか、少し上。ひっつめ髪で、上目遣いに私たちを見ていた。

 後ろで国見さんが私の腕をぎゅっと掴んだ。彼を守らなければいけない。少し冷静を取り戻した。

「あなたは?」
「国見栄一の一番の理解者です」

 熱狂的な彼のファン。彼女は気味の悪い笑みを口元に浮かべたまま、一歩また一歩と私たちに近づいて来る。相手は女。こちらは男二人。なのに恐怖で身がすくむ。得体が知れない。なにをするかわからない。危害を加えるつもりかもしれない。なにを隠し持っているかわからない。

「あなた、栄一くんの新しい恋人ね。抜け駆けはよくないと思います。ちゃんと順番を守ってください」
「順番?」
「そうです。やっと城田さんと別れて次は私の番だと思っていたのに。私の我慢も限界です。栄一くん、あまり女を焦らしちゃ駄目よ。女の扱い方を私が教えてあげるから、そんな奴とは早く別れなさい!」

 目を吊り上げた女が飛びかかって来た。素手なのを確認して女の腕を掴んだ。女は頭突きをしてきた。一発目はモロにくらった。膝蹴りもしてくる。力も強い。足を払うと、女は後ろに座り込んだ。引っ張られてつんのめると、歯を剥きだして噛みついてくる。なんて女だ!

「お前に栄一くんはふさわしくない! 私が栄一くんと付き合うんだ! この部屋で私が栄一くんと暮らすんだ!!」

 喚き続ける女をなんとか裏返し床に押さえつけた。

「国見さん! なにか縛れるもの……ガムテープとか、ありませんか?!」

 私の息もあがっていた。

 青い顔で携帯電話を握りしめていた国見さんが私の声にハッと我に返り走りだした。玄関のほうからガムテープを手にすぐ戻ってきた。国見さんの力を借りながら、なんとか暴れる女を縛りあげた。

「諸井さん、血が出てる」

 床に座り込む私の横で、彼が心配そうに手を伸ばしてきた。

「君に怪我は?」
「ない、僕は大丈夫。警察にも電話した」
「よかった。君になにかあったら、どうしようかと」

 彼の肩を抱きよせた。耳の奥で心臓がドクドクと聞こえる。全身汗びっしょりだ。アドレナリンで体の震えが止まらない。彼が強く抱きしめてくれた。もし今夜、私がいなかったら。そのことを想像したらゾッと血の気が引いた。

「ごめんなさい、僕のせいで」

 か細く震えた彼の声が耳元で囁く。

「君のせいじゃない。この女のせいだ」

 女が身をよじって喚く。あとで口にもガムテープを貼ってやろう。

「でも、僕のせいで諸井さん、怪我を」

 頭突きをされた額を触ると腫れていた。指先には血がついた。今はまだ興奮して痛みはない。

「このくらいなんてことない。大事な人を守れた勲章だ」
「僕は何も出来なかった」
「君がいてくれたから私は立ち向かうことができた。女を取り押さえれたのは君のおかげです。守る存在があると強くなれるって本当だったんですね」
「ありがとう、諸井さん」

 彼がぎゅっと私の首にしがみつく。国見さんの体を抱きしめ、背中を撫でた。警察が来るまでの数分間、ずっとぴったりくっついていた。




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