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往時渺茫としてすべて夢に似たり(5/15)

2018.06.11.Mon.


 昼前から急激に気温があがりだした。初夏だ。目前に迫った夏の気配にうんざりする。

 昼過ぎの車内は日影にあっても蒸し暑かった。車に乗り込んですぐ冷房を入れる。待ち合わせ場所につく頃には車内の熱気は消えて、涼しくなっているだろう。

 一週間前、店に国見さんから電話があった。自分の映画が公開されたから一緒に観に行こうと誘われた。すでに観たあとだったがそれは言わずにOKした。

 二人の時間が合ったのが今日。二人とも休みだから、映画のあとまた部屋に招いて食事でもと思い、午前中は家の掃除と近所のスーパーマーケットへ買い物もしておいた。

 併設の駐車場に車を停めて、事前に教えてもらった番号へ電話をかけた。

『はい』
「国見さんですか。諸井です」
『南のカフェにいる』
「すぐ向かいます」

 あの国見栄一と待ち合わせをしているなんて、スタッフの若い子たちが知ったらさぞ驚いて羨ましがるだろう。

 店に入ってあたりを見渡す。ただ眼鏡をかけているだけの国見さんを見つけた。爽やかな水色のシャツがよく似合う。

「お待たせしました」
「何か飲む?」
「いえ。先に映画を観ましょう」

 他の客が何人か国見さんに気付いてチラチラと見ていた。ただ休日に映画を見るだけなのに、どこへ行っても人の目が付き纏う。

 店を出てエレベーターに乗り込む。他の乗客から見えないように国見さんを体の壁で隠す。どうしてマスクかなにかしてこないのだろう。もうそんなことすら、嫌なのだろうか。

「眼鏡、似合ってますね」
「普段はコンタクトなんだ」
「視力悪いんですか」
「0.01」
「それはひどい」
「諸井さんは?」
「調子がいいと1.5あります」
「うらやましい。俺はこの距離でやっと諸井さんだってわかる」

 眼鏡をずらして顔をちかづけてきた。息がかかってしまう20センチの距離。先月キスしたことが否が応でも思い出される。

「眼鏡をなくしたら大変ですね」

 階数表示へ視線を逃がした。顔が少し熱い。

 エレベーターが止まり、外へ出た。チケット売り場に並んでチケットを買い、待ち時間の間に飲み物とポップコーンを買った。国見さんはグッズ売り場でパンフレットを買っていた。

「自分の映画観るのなんて久し振り」
「今まで来られなかったんですか」
「亮介……ほら、例の医者。あいつ、俺が芸能人だってことが気に入らない奴だったから。映画もドラマも何も一緒に観てくれなかった。芸能界の仕事なんて水商売だって言ってたような奴だから」

 そんなことを言う男のなにがよくて好きになったのだろう。

「俺がちょっと仕事で時間に遅れたり行けなかったりするとすぐ不機嫌になったりね。そういう自分も、宿直があって生活が不規則だったり急に呼び出されたりしてたくせに。とにかく向こうは俺の仕事が気に食わなかったんだ。付き合う時、芸能人扱いはしてやらないからなって言われたし」

 思い出して国見さんはクスクスと笑った。親しみと愛情のこもった表情。彼はまだ医者の恋人のことが好きなのだろう。

「あれから連絡は?」
「してない。向こうからもこない」
「一度してみては?」
「この話は終わり。始まるみたいだ。行こう」

 入場開始のアナウンスが流れていた。彼に腕を引かれ、ゲートへ向かった。



「とても贅沢な時間でした」

 映画を観終わり、車に戻ってすぐ彼が「どうだった?」と訊いてきたので素直に答えた。

「スクリーンに映っている人が隣にいるなんて、今までにない貴重な経験でした」
「どっちの国見栄一が良かった?」
「もちろん、どちらも両方です」
「さすが接客のプロ。ぬかりないね」

 本音を言えば実物のほうが良いに決まっている。役を演じ切っている彼は仕事をする一人のプロフェッショナルとして尊敬している。だが私の隣で素の顔を見せてくれる彼のチャーミングなことと言ったら。三十過ぎの男に言う言葉でないことはわかっているが他に言葉が見当たらない。そう、彼はきれいであり、かわいいのだ。これを一時でも独占できている歓びは、何物にも代えがたい。

 私の部屋へつくまでの時間、映画の感想を言い合った。ほとんどが私の彼への賛辞だ。お世辞ではなく、心から出た言葉だ。彼は時折照れたりしながら、嬉しそうに聞いてくれた。

「まさか俺を口説いてる?」

 と彼の冗談にはぎくりとした。無意識ぶりながら、意識的に言葉で愛撫していた。彼を悦ばせる言葉を紡ぎ続けていた。笑ってごまかすしかなかった。

 なんの確認も取らずマンションへ車を入れたが、彼もそれを当然のように受け入れて一緒に車をおりた。

「少し早いですが、夕飯を作りましょう」
「作れるの?」
「簡単なものですが」
「一人暮らしに慣れ過ぎた男って感じ」
「国見さんは料理は?」
「僕がすると思う?」

 首を横に振る。想像できない。

 食事を作り、国見さんにテーブルへ運んでもらった。今夜のために買ったワインをあけて乾杯する。

「諸井さん、兄弟は?」
「弟が一人」
「仲はいい?」
「昔は悪かったんですが、大人になったら普通に会話できるようになりましたね」
「取っ組み合いのけんかとかしてたの?」
「してました。殴りあいなんて日常茶飯事です」
「諸井さんが殴りあい? 想像できないな」
「男兄弟なんてみんなこんなもんですよ。国見さんは?」
「俺は一人っこ。そういえば喧嘩したこともないな」
「映画のアクションシーンは慣れたものでしたよ」
「二十歳の時にやった映画でアクションは徹底的に仕込まれたんだ。ついでに、他のいろんなことも」

 国見さんは意味深に笑った。色々なこととはアレのことだろうか。追及していいものか迷っていると「食事中にごめん」と国見さんは顔を赤くした。色事の指南で正解だったらしい。

 アクションシーンの多い二十歳の時の映画といえば、不良少年たちの縄張り争いの映画だろう。線は細いのに体は鍛えあげられてとてもセクシーだった。

 あの体に手を出した男がいるのか。一体どこのどいつだ。嫉妬する立場でもないのに、重くて黒い感情が腹の底でドロドロと動く。

「その人のことは好きだったんですか?」

 踏みこんだことに国見さんは少し驚いた顔をした。

「好き……だった。本当の自分を教えてくれたし、それを受け入れてくれたことが嬉しくて」

 国見さんは純粋すぎる。何も知らないネンネの彼をうまくたぶらかして手籠めにしてしただけだ。

 私が二十歳の頃は、大学に通いながらハッテンバに出入りして、毎回違う相手とセックスしていた。大人が仕掛ける駆け引きのずるさは身をもって知っている。

「諸井さんはモテそうだ」
「あなたほどじゃありませんよ」
「謙遜だ。諸井さんみたいな人ほど、裏ではめちゃくちゃ遊んでること知ってるよ」

 芸能界の裏側を知り尽くした目がまっすぐ私に向けられる。その目の前で嘘なんかつけるはずもない。

「昔の話です。いまはすっかり落ち着きました」
「悪い人ほど、そう言うんだよね」

 国見さんの笑い声に携帯の着信音が重なった。

「ちょっとごめん」

 ポケットからスマートフォンを出して、国見さんは顔をしかめた。操作して耳にあてる。

「まだ僕の番号残してたんだ? なにか用?」

 つっけんどんで、ずいぶん砕けた口調。相手はかなり親しい相手。

「亮介のところにも記者が? 店で僕をぶったりするからだよ。用件はそれだけ?」

 電話の相手は国見さんの恋人の医者らしい。空いた皿をキッチンへ運んだ。水を出して皿を洗いながら、耳をそばだてた。

「なんで今更? 会ってなにを話すんだよ。……嫌だよ、亮介の話なんか聞きたくない。あっちこっちフラフラするような奴……やだって……そんなこと言っても許さない。どうせまた研修医のとこへ行くくせに」

 最初の勢いが薄れていく。だんだん声も甘えて拗ねているような感じになる。これが国見栄一が恋人に見せる姿か。

「今から? 仕事はもう終わったの? わかった。じゃあ話を聞くだけ。僕もあんな終わり方は嫌だし。だから話は会ってから聞くってば。迎えに来なくていいよ。タクシーで行くから。……二十分後くらいには着くと思う。うん。じゃあ、あとで」

 スマホをポケットに仕舞って彼は顔をあげた。

「ごめん、あいつがどうしても会って謝りたいって言うから、俺行くよ」
「ええ。仲直りできるといいですね」
「冗談!」

 彼は鼻にしわを寄せた。

「片付け、手伝わなくてごめん」
「気にしないでください」
「また連絡する」

 急ぎ足で彼は行ってしまった。今日は遠ざかる足音はすぐ聞こえなくなった。

 ソファに座り、深く息を吐いた。

 国見さんは彼とよりを戻すだろう。小泉さんの時と同じだ。やっぱり、同じだった。口説かなくてよかった。好きにならなくてよかった。小泉さんというブレーキをかけ続けていたおかげだ。

 彼から連絡がくることはないだろう。この家に来ることも、夜中に店の外で待っていることも、もう二度とない。落ち込むことはない。日常が戻って来ただけだ。

 この喪失感も、数日で消える。





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