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往時渺茫としてすべて夢に似たり(4/15)

2018.06.10.Sun.


 店に記者が来て二週間が経った頃、仕事終わりの私を店の外で呼び止めたのは国見栄一だった。

「お疲れさま」

 と突然植木の影から現れた。ほとんど毎日パソコン画面で見ていた人物が目の前に現れて呆気に取られていると「驚いた?」と国見さんは可笑しそうに笑った。演技ではない素の笑顔が私に向けられている。

「そりゃあ……、驚きます」
「そっちに週刊誌の記者が来なかった?」
「国見さんのところにも?」
「鬱陶しいだろうけど、無視していいから。迷惑かけたね」
「迷惑だなんて。国見様にお土産をもらったことが嬉しくて、お客様がネットにあげてしまったようです」
「みたいだね。仕方がないよ。初めから予想はしてたし。有名税だと思って諦めるしかない」
「大変なお仕事ですね」
「仕事なんてみんな大変でしょ。俺は高校からこの仕事してるから他の仕事の大変さはわからないけど」

 調べたから知っている。中学卒業後、母親と買い物をしているところをカウトされた。バイトの感覚で興味本位で芸能界入り。そこからモデルをしたりドラマの脇役などをこなし、十代後半に出演した恋愛映画で当時注目の若手ヒロイン女優をさしおいて人気に火が付いた。

 それから常に第一線で活躍している。

 不動の人気を獲得した国見栄一がいま、目の前にいる。

「それを言うために、わざわざこちらへ?」
「それもあるけど、またあんたと飲みたいなと思って」
「私とですか」
「芸能界に繋がりがなくて興味もない友人って貴重なんだよ」

 友人。口の中で呟く。そんなことを言われて子供みたいに喜んでしまう。

「個室のあるいい店を知ってます」
「あんたの家がいいな」
「構いませんが」
「じゃあ決まり。行こう」

 と駐車場へ歩き出す。急に立ち止まって振りかった。

「そういえば名前は? まだきいてなかった」
「諸井です。諸井千秋」
「行こう、諸井さん」

 自由奔放なふるまい。不快じゃないのは、私が彼に好意を抱いているからだ。小泉さんを失ってまだ半年。そう簡単に次の誰かを好きになれるほど、小泉さんへの想いは軽くない。一生を共にできると思えるほど、深い愛情を感じていた。

 確かに国見さんは魅力的な人だ。でも恋愛をする相手ではない。彼も私は恋愛対象外だろう。

 何も期待しないし、期待させない。友人だと言ってくれるならその境界線を踏み越えることは私からは絶対にしない。



 一緒に家に帰り、小腹がすいたという国見さんのために夜食を作った。その後、二人で酒を飲んだ。

「明日はお休みですか?」

 深夜二時半をまわって、さすがに心配になって訊いてみた。

「夕方から雑誌の取材が入ってるだけ」
「取材、ですか」

 まさか例の雑誌記者か。

「ゴシップ雑誌じゃなくて、女性誌のほう」

 私の顔色を読んで彼が否定する。

「別にもうなにを書かれてもいいんだ。慣れっこだよ」
「誰にでもプライバシーを守る権利はあります」
「こそこそするのも嗅ぎまわられるのも面倒臭いから、カミングアウトしてもいいんだけどね。でも相手がいることだし、それで役の幅が狭まるのも嫌だし。まぁ、それも、あと数年ってとこかな。どんどんいい若手の俳優が出て来てるからね。俺の時代はもう終わりだよ」
「そんなことありません。あなたは素晴らしい役者さんです」
「俺の演技、観てくれたの?」
「国見さんを知らないなんてと、スタッフに叱られました」

 嘘だ。誰にも何も言われていない。でも知らないと言っていた奴が次に会ったときやたら詳しくなっていたら気持ち悪いだろう。引かれたくなくて嘘をついた。

「どうだった?」
「とても良かったです。他の女優や俳優が霞むほど、あなたの演技は光っていました」
「それって自己主張強すぎってことじゃない?」
「他の役者が弱すぎるんだと思いますよ。画面の隅に台詞もなく映っているだけなのに、あなたには存在感がありました。素人意見ですが」
「すっかり俺のファンじゃない」
「ええ、すっかりあなたの虜です」

 冗談めかして言ったが、本当だった。来月公開の映画の前売りチケットも、実はすでに買ってある。

「来月、映画が公開するからそっちも見てよ。また感想きかせて」
「私で良ければ」

 また次、会う機会を作ってくれるというのだろうか。社交辞令。本気にするな。私の心のなかにはまだ小泉さんがいる。本気だった気持ちがそう簡単に移ろうはずがない。

「ずっと気になってたんだけど、いつまでその喋り方? 俺のほうが年下なんだから、丁寧なのはもう止めてよ」
「すみません。職業病というか、癖のようなもので」
「俺はもう諸井さんと友達のつもりなのに」
「光栄です。ではお言葉に甘えて、徐々に」
「そうそう」

 にこりと笑ってワイングラスをカチンとぶつけてきた。人の懐にするりと入ってくるこの無邪気さは天性のものだろう。演技であったとしたら私は彼の嘘は何一つ見抜けないことになる。

「もう一本空けますか?」
「いいの? なんだか悪いな。俺もなにか持ってくればよかった。次はちゃんと用意してくる」
「気にしなくていいですよ。買うばかりで飲む機会がなかったからちょうどいい」
「……半年前に振られた人のこと、まだ好き?」

 一瞬言葉に詰まった。自分から打ち明けた話だ。でも何気ない瞬間、心の隙間に鋭く入り込まれるとギクリとする。

「振られてから毎日、思い出しています」
「そんなに好きだったんだ」
「一生、一緒にいられると思える相手でした」
「結婚したかった?」

 相手はあなたと同じ男ですよ。そう言ってしまったら、出来たての友人という関係は壊れてしまうかもしれない。

「そうですね。できることなら」

 嘘はついていない。

「そんな相手に巡りあえるなんて羨ましい」

 ソファに深くもたれて国見さんはため息を吐くように言った。医者の彼とはどうなのだと質問したい。彼は遠慮なく訊いてきたのだから私だって同じようにしたっていい。なのに咄嗟に言葉が出てこない。

 不自然な間があいた。何か言葉を──。

「俺はそんな相手が見つかっても無理だろうな。いまの仕事を続けている限りはね」

 小さな呟きだった。でもしっかり私の耳に届いた。微笑んではいるが、声はとても寂しそうで胸が締め付けられた。と同時に騒いだ。

 国見さんは恋人とうまくいかなくて弱っているだけ。その隙に付け入るような真似はもうしない。前回と同じことの繰り返しだ。好きになってはいけない。恋愛をする相手じゃない。医者とのよりが戻れば私のところへ来ることはもうなくなる。芸能人のただの気まぐれに心を乱されてはいけない。

「あなたの孤独ごと理解して愛してくれる人がきっと現れますよ」

 彼はじっと私を見た。こんなに綺麗な目で見つめられて間違いを犯さない者がいるのだろうか。

「それっていつ?」
「それはわかりませんが、いつか必ず」
「十年経っても現れなかったら?」

 返事に困る質問だ。頭に浮かんだ言葉を言ってしまっていいものだろうか。でもこの眼差しはそれを求めているようにも見えた。思いきって口に出した。

「その時は、私がいますよ」
「約束」

 ソファに手をついて彼が体を傾けてきた。目の前に顔が迫る。私は初めて好きな子とキスをする少年みたいに体を固まらせたまま、彼からの口付けを受けた。

「ごめん。我慢できなかった」

 ワイングラスをテーブルに置いて彼が立ちあがった。

「帰るよ」
「ではタクシーを呼びます」
「必要ない。外で捕まえる。それに少し歩いて酔いを覚ましたい」

 スタスタと玄関まで歩いて行く。慌てて彼を追いかけた。

「タクシーが捕まる場所まで送らせてください」
「僕は女じゃないよ」

 振り返って彼が苦笑する。でもあなたは国見栄一だ、という言葉は飲みこんだ。

「急に悪かったね。諸井さんには迷惑かけてばかりだ」
「そんなことありません。会いに来てくれて嬉しかった」
「また来てもいい?」
「ええ。もちろん」
「ありがとう。おやすみ」

 手を振る彼の姿が扉の隙間から消える。微かに聞こえる遠ざかる足音。いつまでも耳を澄まして追いかけた。





ほどける瞳

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