FC2ブログ

往時渺茫としてすべて夢に似たり(2/15)

2018.06.08.Fri.
<前話>

 閉店後、片づけをしている木原さんを支配人室に呼んだ。

「うわあ、この部屋いい匂いがする! これが国見栄一の匂いかあ」

 木原さんはスンスンと空気を吸いこんだ。

「木原さんもあの人を知ってるんですか?」
「当たり前じゃないですか。日本であの人を知らない女はいませんよ。この前放送してたドラマも視聴率良かったみたいですしね」

 確かに女性受けのいい容姿だ。

「お客さんの口から今回のことが広がることは防ぎようがありませんが、うちの従業員から漏れることのないように、あとでもう一度全スタッフに言っておいてください」
「わかりました」
「それと、ちょっと急ぎの用があるので、今日の戸締りをお願いしたいのですが」
「やっておきます」

 彼女に頼りすぎている、と気付いて少し申し訳なくなる。しかし私に何かあった時、店を任せられるのは彼女しか思い浮かばない。そろそろ彼女を副支配人という役職に推す時期だろう。

「すみません。ではあとを頼みます」

 店を飛び出し時計を見る。0時31分。車を飛ばして10分。パーキングから歩いて5分。1時までに店につく。

 かすかに胸が高鳴っていた。芸能人に誘われて浮ついている? それもあるかもしれない。もう1度彼に会ってみたかった。誘われた時は冗談か社交辞令だと思った。そう思いこもうとしたのは落胆したくなかったから。

 ぶたれたショックで体を震わせていたのに、それを押し隠して堂々と歩く姿は健気で気高かった。支配人室で見せた隙のある姿は庇護欲を掻き立てられた。人懐っこい笑みはどこかコケティッシュでとても魅力的だった。

 芸能人だという客は今まで何度か店に来た。確かに容姿は際立っている気がしたが、彼は別格だった。放つオーラが違った。否が応でもひきつけられる。一流の証。彼が人気俳優だというのも納得だ。

 そんな人間と時間と空間を共にできるのは、貴重な経験だ。

 それに、あんなことがあった直後、独りにしておくのは心配だった。一緒に店に来た男とはかなり親しい間柄だろう。三井くんが言っていたことが事実なら、恋人かそれに近い存在。二人はそんな雰囲気だった。

 別に何かを期待して行くわけじゃない。私なんて相手にもされないだろう。ただもう1度逢いたい。彼が今夜、少しでも軽くなった心でベッドに入れるように、その手伝いができれば、それだけでいい。初対面でよく知りもしないのに、そう思わせる何かが彼にはあった。

 半年前のことがある。同じ轍を踏む気はない。私の中でまだ小泉さんは過去にはなっていない。私はそんな浮ついた男ではない。

 0時45分に店の前についた。間にあった。髪を撫でつけ、襟を正す。店の扉を押した。薄暗い店内、前から歩いて来る帰りの客がいた。壁に寄って通路を空ける。近づいて気が付いた。国見栄一だ。

「お帰りですか」

 国見さんはハッと顔をあげ、私だと気付くとバツの悪そうな顔をした。

「来てくれたんだ。無視しても良かったのに」
「お待たせしては悪いと思って。お帰りでしたら、タクシーを呼びましょう。この辺りはなかなかつかまりませんから」

 早口になった自覚はあった。彼だと気付いた時、知らん顔をして通りすぎねばならなかった。彼が待つと言った1時よりも早い時間に帰るのは、私に会う気がなかったから。やはりただの社交辞令だったわけだ。

 そうだと言い聞かせていたつもりだったが、1時前に帰る姿を見て少し腹が立った。木原さんに無理を言って早く抜けてきたのに。浮かれた自分もあまりに滑稽で。芸能人は一般の人間なんかどうでもいいのかと。ただの八つ当たりで声をかけてしまった。

「せっかく来たんだから一緒に飲もうよ」
「お帰りなのでは?」
「怒ってる?」
「まさか。心配で様子を見に来ただけです。あんなことがあった直後でしたから」

 国見さんは少し表情を強張らせた。そしてため息をついた。

「あんなことがあった直後だから、あんたにも振られたら立ち直れないだろ。だから時間より先に帰ってやろうと思ったんだ。もし来なくても落ち込まないで済むから」

 私を誘った時、今すぐ返事はいらないと言った理由はこれか。彼も私と同じように落胆したくなかったのだろう。もちろん、真っ赤な嘘の可能性もあるが。

「お待たせして申し訳ありませんでした。お見送りさせていただきます」
「飲もうよ。機嫌直して」
「ですから、怒ってなどいません」
「頼むよ」

 とスーツの裾を引っ張る。頼まれては仕方ない。

「そこまでおっしゃるのなら」
「結婚はしてる?」
「いえ。一人ですが」
「あんたの家で飲む? 誰の目も気にせず飲める場所がいい」

 今日はもうこれ以上噂の的にはなりたくないだろう。彼と一緒にパーキングに戻り、車で自宅へ連れて帰った。

「いい部屋だね」

 部屋を見渡して国見さんが言う。自分の家に俳優の国見栄一がいる。芸能人と関わりを持つことなんてないと思っていたのに、不思議な感覚だ。

 同性愛の噂がある彼が来たからと言って、期待はしない。向こうにもその気はない。前回と同じ過ちを繰り返したりしない。

 半年前、小泉さんに振られたショックは大きかった。一生を添い遂げられる相手かもしれないと思っていた。最初からわけありなのはわかっていた。私の腕の中に落ちてきたときは舞い上がった。その直後、小泉さんの元彼が店に来るとは夢にも思わなかった。運命の糸というものは存在するのだと思い知らされた。離れても引きつけ合うようにできているのだ。

 小泉さんが店を去ってから、彼のことを思い出さない日はない。今頃、あの若い恋人と幸せにやっているのだろうかと。私の何がいけなかったのか。急ぎ過ぎなければ彼はまだここにいたかもしれないのに、と未練たらしく過去に浸っている。

「お酒はなにがいいですか」
「なんでも」
「では、ワインを開けましょう」

 値の張るワインも国見さんのためなら惜しいと思わなかった。ワイングラスに注いでソファに座る彼に渡した。チーズとクラッカーとピクルスがあったので皿に出した。それをテーブルに並べ、一瞬迷ったあと、彼の横に腰をおろした。

「ほんとにテレビ置いてないんだね」

 ピクルスを口に運びながら彼が言った。

「なくても困りませんよ」
「芸能界で仕事してる俺に言う?」
「そうでした。失礼しました」
「ほんとに俺のこと、知らないの?」
「……ええ。すみません」
「謝らなくていいよ。そういう人もいて当たり前なんだから。じゃあ俺の噂も知らない?」
「ゴシップには興味がなくて」

 ふうん、と彼は目を伏せた。なにか見定めるように横目に私を見る。切れ長できれいな目だった。口元は笑みを湛えていて、妖艶だった。なのに汚しがたい花のように清楚だった。

「一緒に店に行った男、あいつ、俺の恋人なんだ」

 そんなことを初対面の私に打ち明ける彼の真意がわからない。「そうですか」と無難に返事をした。

「驚かないの?」
「そういう方もいて当たり前ですから」
「あははっ、それ俺が言ったやつだよ」

 愉快そうに彼はワインをあけた。空になったグラスにワインを注ぐ。

「あいつも俺のこと知らなったんだ。医者になるためにずっと勉強してきたから、テレビ見る暇もなかったんだって」
「お連れ様はお医者さんでしたか」
「役作りのためにあいつが働く病院に行って、そこで知りあった。俺のこと芸能人扱いしなくて、1人の男として扱ってくれたのが嬉しかったんだ。月並みだけどね」
「素敵な出会いだと思いますよ」
「好きになって俺から告白した。二年付き合ったけど、もう駄目かな」

 寂しそうな顔で、最後は呟くように言った。

「そうと決まったわけじゃありませんよ」
「研修医にのぼせてるんだ。バカみたい。あっちはその気かどうかもわからないのに。手取足取り、教えてやってるんだってさ。やりすぎだって言ったら女みたいに嫉妬するなって。頭にきたから水をぶっかけてやった。これって俺が悪い?」
「そうは思いませんが、少しやりすぎかもしれませんね。どうしてそんなプライベートな話を私に?」
「接客のプロって感じで、あんたなら信用できる気がして。こう見えて人を見る目はあるつもりだから。それにどうせなら俺のことを知らない人に聞いてもらいたかったんだ。酔っ払いの愚痴だって聞き流して欲しくて」
「そうします」
「あんたは恋人いないの?」
「いません。振られたんです。恋人になれそうな瞬間、別の男に取られました」
「わかる気がするな。あんた、物わかりいいふりして、指咥えて見てそうだもん」
「その通りです」
「ほんとに好きなら必死になったほうがいいよ。後悔しても遅いから」
「半年前にその言葉を聞きたかったです」

 彼が笑う。少しは気が紛れただろうか。彼を独りにしなくてよかった。自分の判断は間違っていなかった。

「今日、ここに泊まってもいいかな?」
「えっ」

 ドキッとして彼の目を見返す。期待してない。同じ轍は踏まない。そう言い聞かせてきたくせに、たった一言で心がぐらついた。

「あんたを襲ったりしないから安心して。帰るのが面倒臭いだけ。このソファでいいから」
「それならベッドを使ってください。お客様をソファで寝かせられません」
「いいの? じゃあ遠慮なく借りるね」

 私に向かって微笑む。店で私に「触るな」と言った時とは別人のようだ。このギャップに心を鷲掴みにされた人間はいままで何人いるのだろうか。

 他愛ない話をしたあと、就寝した。もちろん別々に。何事も起こることなく朝を迎え、彼はタクシーに乗って帰って行った。

 現実味のない夜だった。




関連記事
スポンサーサイト
[PR]

コメント

管理者にだけ表示を許可する