楽しい記憶喪失!(1/3)
2016.09.14.Wed.
<高校生編第1話、大学生編第1話>
西山と喧嘩したから家に戻りづらい。どうせ猫なで声でご機嫌取ってくるんだ。俺もなんだかんだで許しちゃって、そのあと調子に乗った西山にまたヤラれるんだ。
今までそういう流れを嫌というほど経験してきたから、今日は絶対帰らない。だから大学から漫喫へ移動して、漫画を読んでいた。
そんな時に、知らない番号から電話がかかってきた。無視するか悩んだ末、電話に出ると西山父だった。どうして俺の番号知ってるんだ?
『実は恵護の奴がね、大学の階段で足を滑らせて頭を打ってしまってね』
「えっ?!」
一瞬で血の気が引いた。わざわざ本人じゃなく西山父が電話してくるということは……
「大丈夫なんですか、あいつは?!」
今いる場所も忘れて声を荒げていた。
『心配いらない。大丈夫だよ。体だけは丈夫な奴だからね。頭にこぶが出来ただけで、ピンピンしているよ』
ああ、良かった。安堵の溜息が出る。スマホを持つ手が震えていた。最悪の事態が頭を過った。心底怖くて、どうにかなりそうだった。
『でもちょっと問題があってね』
「問題?」
『ぶつけどころが悪かったとしか言いようがないんだが、どうもここ数年の記憶がないらしくてね。いま医者が詳しく検査をしているところなんだが、あいつは自分を中/学生だと思っているようなんだ』
「中/学生?! き、記憶喪失ってことですか?!」
『作り話のようだが、そういうことになるね』
「じゃあ、俺のことも……」
『覚えていないかもしれない』
俺は言葉を失った。
病院からマンションに戻って来た西山は、部屋を見渡し「なんにも思い出せないや」と軽く肩をすくめた。見た目は普通の大学生。なのに中見は中学3年生。どことなく言葉遣いや仕草が子供っぽい。
俺はまだ信じられない気持ちでそんな西山を見つめる。
電話のあと急いで病院へ向かった。検査室の前には西山父の他に、事故当時一緒にいたという西山の大学の友人も数人いた。西山は彼らのことも覚えていないのだそうだ。
西山父の取り計らいで西山に会えることになった。俺を見ても西山は戸惑った表情を見せるだけで、何かを思い出すことはなかった。
「高校が一緒だったんだ。部活も同じ野球部で、お前とは卒業後、一緒に住むくらい仲良しだった。中根祐太くん。なにか思い出さないか?」
父親の問いかけにも困った顔で首を傾げるだけだった。もしかしたら俺のことだけは覚えているんじゃないかと淡い期待を抱いていただけに、その反応には落ち込んだ。
大学の友人とやらは先に帰った。俺たちは西山父と一緒にタクシーでマンションに戻って来たのがついさっき。
西山はあちこちを見て回ったあと、寝室の一つしかないベッドを見て、複雑な苦笑いで俺たちを振り返った。
「えっと……、同居、してるんですよね? 僕たちどこで寝てたんですか?」
どうする? という目を西山父が向けて来る。ここで一緒に寝ていると話せば、中3ならばなにか察する年齢だろう。中3の西山に、男同士で付き合っていると告げていいものだろうか。中3の西山と同じベッドで寝て良いものだろうか。それは猛烈に後ろめたい。
「俺は、リビングのソファで寝てるよ」
いまはこれが最善と思えて嘘をついた。西山がほっとしたように表情を緩める。中見は中3だとしても、外側は大学生の西山だ。西山にそんな顔をされるなんて、ショックだ。
「僕は明日からどうしたらいい? 大学に行けばいいの?」
西山は父親に訊ねた。自分の身に起きた出来事に取り乱すこともなく、あっけらかんと指示を仰ぐ態度はさすがだ。病院で記憶喪失だと言われた時も、「高校受験も大学受験も終わってるの? ラッキー!」と喜んだというからこいつの神経の図太さは筋金入りだ。
「大学には事情を説明するからしばらく休ませてもらえばいい。長引くようなら休学も考えよう。それまではおとなしくしていなさい」
父親の言葉にニヤッと嬉しそうに笑う。そんな西山を見て、本当に中3までの記憶しかないのだと思いしる。
「お腹すかない? 中根さんも、何も食べてないんじゃないですか?」
と自分のお腹をさする。他人行儀な「さん付け」と、敬語。そりゃ向こうは記憶喪失で自分のことを中3だと思ってるんだから、俺はいきなり現れた見知らぬ年上のお兄さんだろうけど。そんな言葉遣いはけっこう堪える。
俺の一瞬の表情を読んだのか、西山は少し動揺を見せた。そのあと、取り繕うように笑いかけて来た。見慣れているはずの西山の笑顔なのに、まったく別人のようだ。
西山父が料理をすることになった。そういえば今日は朝ご飯も作ってくれた。朝、テーブルにあった食器はすべて片付けられている。俺が怒って家を出たあと、西山が片付けてくれたのだろう。
どうして喧嘩してしまったのかと今更ながら悔やんでしまう。俺が知ってる西山は今朝で途切れている。最後の姿が、機嫌を損ねた俺に困っている西山だなんて。
豆腐の角にちんこぶつけて死ねばいいなんて言うんじゃなかった。あんなこと言ったから、西山は階段で頭ぶつけて俺との記憶を失くしちゃったんだ。
じわりと目の表面が熱く潤んだ。
「中根さん」
西山が顔を覗きこんできた。泣いてると悟られたくなくて、顔を背ける。
「そんなに心配してくれなくて大丈夫ですよ。頭に異常はなかったし、記憶もそのうちきっと戻りますから。だから元気出してください」
と事故の張本人がにこりと明るく笑う。暗い顔で落ち込む俺を励ますために。何歳でも西山は優しい。ますます胸が痛い。
「早く、俺のこと思い出せよ」
なんとか笑い返した。
そのあと西山父が作ってくれた夕飯を三人で食べた。食べている最中に、西山母から電話がかかってきて、しばらく親子の会話が続いた。何か思い出す様子はない。そもそも西山本人に焦ったところがない。鷹揚とした性格は昔からのようだ。
食事の片づけを済ませた西山父が「そろそろおいとまするよ」とスーツのジャケットを羽織った。それを見た西山もソファから腰をあげ、父親の隣に並んだ。
「恵護はここに残りなさい」
「えっ」
驚いて父親の顔を見返している。
「ここで寝泊まりするより、家にいたほうが思い出しやすいと思うんですけど。それに前は仲が良かったかもしれないけど、いまの僕には中根さんはよく知らない人だから気を遣っちゃうし」
と尤もな意見を述べる。以前の俺への態度としては考えられない素っ気なさ。だがこれも西山の一面であることは確かだ。眼中にない人間は冷淡に切り離せるのだ。まさか自分がそっち側に回るなんて。
父親はゆっくり首を振った。
「恵護の現在はここにある。過去のことを思い出すより、今を思い出さなくては意味がないだろう」
「でも……」
「だったらお前は家に戻りなさい。僕がここに残る」
「え?」
突飛なことを言い出す父親に目を大きくする。中3の西山は当然、旧校舎の幽霊のことも、豊川秋広に俺が似ていることも忘れているのだ。
だから、「じゃあ、そうします」とあっさり自分の鞄を肩に担いだ。何度も不思議そうに振り返りながら、本当にマンションを出て行ってしまった。
「送らなくていいんですか?」
「ここには何度か来たことがあるから一人で大丈夫さ」
「いや、一応、頭ぶつけたばっかだし」
「検査に異常はなし、聞いただろう」
「そうですけど……」
「薄情だよね。君を忘れてしまうなんて。僕だったら何があっても愛する人を忘れないけどね」
目を眇め、薄く笑いかけてくる。息子が大変な時に息子の恋人を口説いてくるかね。まあきっと本気じゃなくて、落ち込んでる俺を励ますためだろうけど。そんなとこまで父子で似てる。
「ソファで寝る必要はないからね。一緒にベッドで寝よう」
俺の肩に手を置いてにこりと笑う。本気で口説くつもりじゃ……ないと思ってたんだけど、違うかもしれない。
「やっぱり、一緒に帰ったほうがいいんじゃないですか。ていうか、あなたがここに泊まる必要まったくないですよね」
「いい機会だから君との親交を深めようと思ってね」
と壁に手をついて俺を見下ろす。恥ずかしげもなく壁ドンですよ!
「僕のことはにいさんと呼んでくれて構わないよ」
「構いますって──ちょっと!」
顎クイされたと思ったら西山父の顔が近づいてきた。させるか! と間に手を挟む。片眉を持ち上げた西山父は俺の掌にキスを落とした。
「なに考えてんですか!! そうだ! 今朝! あんた俺の寝込み襲っただろ!!」
「可愛い寝顔に抑えが効かなくなってしまってね。眠りの姫にキスをする王子の心境だったよ。あのまま連れ帰ってしまいたかったくらいだ」
「そういうのほんとやめてください。俺は豊川秋広さんじゃないんで!」
西山父の腕から逃れた。すぐ追いかけて来た腕が腰に巻きついて引きよせる。今までのような冗談じゃなく、男の本気を感じさせる力強さ。頭に赤信号が灯る。
こちらも本気で逃げるための力を体に込めた時──。
玄関からガチャガチャと音がして、俺たちは思わず顔を見合わせた。近づいて来る足音を聞いて離れる。それとほぼ同時に、リビングに西山が戻って来た。
不思議そうに首を捻っている。
「どうした、恵護。今日は家に帰るんじゃなかったのか」
詰るような口調で西山父が訊ねる。
「よくわかんないけど、中根さんを一人にしちゃいけない気がして」
と、首の後ろを掻きながら、俺をまっすぐ見つめて来た。どうしてそんな感情を抱くのか、理由を探るような目だった。俺は期待を込めて見つめ返した。思い出せ。思い出してくれ。
「一人じゃない。父さんがいるじゃないか」
「僕もそう思ったんだけど、余計に心配になっちゃって」
お前のその勘は間違ってないぞ。それを糸口に全部思い出せ。
「中3のお前がいたら中根くんも迷惑だろうから家に帰りなさい」
父親の言葉に西山はぎゅっと眉根を寄せた。
「さっきお前の現在はここにあるとか言ってませんでした? やっぱり帰りません。ここに残ります。父さんこそ、中根さんの迷惑になるから帰ってよ。ほら、帰って、ほら!」
西山は父親の背中をグイグイ押して、玄関から外へ追い出してしまった。そして扉を閉めると鍵をかけた。パンパンと手を叩きながら振り返り「子供っぽい父ですみません」と笑った。
それに力なく笑い返した。
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西山と喧嘩したから家に戻りづらい。どうせ猫なで声でご機嫌取ってくるんだ。俺もなんだかんだで許しちゃって、そのあと調子に乗った西山にまたヤラれるんだ。
今までそういう流れを嫌というほど経験してきたから、今日は絶対帰らない。だから大学から漫喫へ移動して、漫画を読んでいた。
そんな時に、知らない番号から電話がかかってきた。無視するか悩んだ末、電話に出ると西山父だった。どうして俺の番号知ってるんだ?
『実は恵護の奴がね、大学の階段で足を滑らせて頭を打ってしまってね』
「えっ?!」
一瞬で血の気が引いた。わざわざ本人じゃなく西山父が電話してくるということは……
「大丈夫なんですか、あいつは?!」
今いる場所も忘れて声を荒げていた。
『心配いらない。大丈夫だよ。体だけは丈夫な奴だからね。頭にこぶが出来ただけで、ピンピンしているよ』
ああ、良かった。安堵の溜息が出る。スマホを持つ手が震えていた。最悪の事態が頭を過った。心底怖くて、どうにかなりそうだった。
『でもちょっと問題があってね』
「問題?」
『ぶつけどころが悪かったとしか言いようがないんだが、どうもここ数年の記憶がないらしくてね。いま医者が詳しく検査をしているところなんだが、あいつは自分を中/学生だと思っているようなんだ』
「中/学生?! き、記憶喪失ってことですか?!」
『作り話のようだが、そういうことになるね』
「じゃあ、俺のことも……」
『覚えていないかもしれない』
俺は言葉を失った。
病院からマンションに戻って来た西山は、部屋を見渡し「なんにも思い出せないや」と軽く肩をすくめた。見た目は普通の大学生。なのに中見は中学3年生。どことなく言葉遣いや仕草が子供っぽい。
俺はまだ信じられない気持ちでそんな西山を見つめる。
電話のあと急いで病院へ向かった。検査室の前には西山父の他に、事故当時一緒にいたという西山の大学の友人も数人いた。西山は彼らのことも覚えていないのだそうだ。
西山父の取り計らいで西山に会えることになった。俺を見ても西山は戸惑った表情を見せるだけで、何かを思い出すことはなかった。
「高校が一緒だったんだ。部活も同じ野球部で、お前とは卒業後、一緒に住むくらい仲良しだった。中根祐太くん。なにか思い出さないか?」
父親の問いかけにも困った顔で首を傾げるだけだった。もしかしたら俺のことだけは覚えているんじゃないかと淡い期待を抱いていただけに、その反応には落ち込んだ。
大学の友人とやらは先に帰った。俺たちは西山父と一緒にタクシーでマンションに戻って来たのがついさっき。
西山はあちこちを見て回ったあと、寝室の一つしかないベッドを見て、複雑な苦笑いで俺たちを振り返った。
「えっと……、同居、してるんですよね? 僕たちどこで寝てたんですか?」
どうする? という目を西山父が向けて来る。ここで一緒に寝ていると話せば、中3ならばなにか察する年齢だろう。中3の西山に、男同士で付き合っていると告げていいものだろうか。中3の西山と同じベッドで寝て良いものだろうか。それは猛烈に後ろめたい。
「俺は、リビングのソファで寝てるよ」
いまはこれが最善と思えて嘘をついた。西山がほっとしたように表情を緩める。中見は中3だとしても、外側は大学生の西山だ。西山にそんな顔をされるなんて、ショックだ。
「僕は明日からどうしたらいい? 大学に行けばいいの?」
西山は父親に訊ねた。自分の身に起きた出来事に取り乱すこともなく、あっけらかんと指示を仰ぐ態度はさすがだ。病院で記憶喪失だと言われた時も、「高校受験も大学受験も終わってるの? ラッキー!」と喜んだというからこいつの神経の図太さは筋金入りだ。
「大学には事情を説明するからしばらく休ませてもらえばいい。長引くようなら休学も考えよう。それまではおとなしくしていなさい」
父親の言葉にニヤッと嬉しそうに笑う。そんな西山を見て、本当に中3までの記憶しかないのだと思いしる。
「お腹すかない? 中根さんも、何も食べてないんじゃないですか?」
と自分のお腹をさする。他人行儀な「さん付け」と、敬語。そりゃ向こうは記憶喪失で自分のことを中3だと思ってるんだから、俺はいきなり現れた見知らぬ年上のお兄さんだろうけど。そんな言葉遣いはけっこう堪える。
俺の一瞬の表情を読んだのか、西山は少し動揺を見せた。そのあと、取り繕うように笑いかけて来た。見慣れているはずの西山の笑顔なのに、まったく別人のようだ。
西山父が料理をすることになった。そういえば今日は朝ご飯も作ってくれた。朝、テーブルにあった食器はすべて片付けられている。俺が怒って家を出たあと、西山が片付けてくれたのだろう。
どうして喧嘩してしまったのかと今更ながら悔やんでしまう。俺が知ってる西山は今朝で途切れている。最後の姿が、機嫌を損ねた俺に困っている西山だなんて。
豆腐の角にちんこぶつけて死ねばいいなんて言うんじゃなかった。あんなこと言ったから、西山は階段で頭ぶつけて俺との記憶を失くしちゃったんだ。
じわりと目の表面が熱く潤んだ。
「中根さん」
西山が顔を覗きこんできた。泣いてると悟られたくなくて、顔を背ける。
「そんなに心配してくれなくて大丈夫ですよ。頭に異常はなかったし、記憶もそのうちきっと戻りますから。だから元気出してください」
と事故の張本人がにこりと明るく笑う。暗い顔で落ち込む俺を励ますために。何歳でも西山は優しい。ますます胸が痛い。
「早く、俺のこと思い出せよ」
なんとか笑い返した。
そのあと西山父が作ってくれた夕飯を三人で食べた。食べている最中に、西山母から電話がかかってきて、しばらく親子の会話が続いた。何か思い出す様子はない。そもそも西山本人に焦ったところがない。鷹揚とした性格は昔からのようだ。
食事の片づけを済ませた西山父が「そろそろおいとまするよ」とスーツのジャケットを羽織った。それを見た西山もソファから腰をあげ、父親の隣に並んだ。
「恵護はここに残りなさい」
「えっ」
驚いて父親の顔を見返している。
「ここで寝泊まりするより、家にいたほうが思い出しやすいと思うんですけど。それに前は仲が良かったかもしれないけど、いまの僕には中根さんはよく知らない人だから気を遣っちゃうし」
と尤もな意見を述べる。以前の俺への態度としては考えられない素っ気なさ。だがこれも西山の一面であることは確かだ。眼中にない人間は冷淡に切り離せるのだ。まさか自分がそっち側に回るなんて。
父親はゆっくり首を振った。
「恵護の現在はここにある。過去のことを思い出すより、今を思い出さなくては意味がないだろう」
「でも……」
「だったらお前は家に戻りなさい。僕がここに残る」
「え?」
突飛なことを言い出す父親に目を大きくする。中3の西山は当然、旧校舎の幽霊のことも、豊川秋広に俺が似ていることも忘れているのだ。
だから、「じゃあ、そうします」とあっさり自分の鞄を肩に担いだ。何度も不思議そうに振り返りながら、本当にマンションを出て行ってしまった。
「送らなくていいんですか?」
「ここには何度か来たことがあるから一人で大丈夫さ」
「いや、一応、頭ぶつけたばっかだし」
「検査に異常はなし、聞いただろう」
「そうですけど……」
「薄情だよね。君を忘れてしまうなんて。僕だったら何があっても愛する人を忘れないけどね」
目を眇め、薄く笑いかけてくる。息子が大変な時に息子の恋人を口説いてくるかね。まあきっと本気じゃなくて、落ち込んでる俺を励ますためだろうけど。そんなとこまで父子で似てる。
「ソファで寝る必要はないからね。一緒にベッドで寝よう」
俺の肩に手を置いてにこりと笑う。本気で口説くつもりじゃ……ないと思ってたんだけど、違うかもしれない。
「やっぱり、一緒に帰ったほうがいいんじゃないですか。ていうか、あなたがここに泊まる必要まったくないですよね」
「いい機会だから君との親交を深めようと思ってね」
と壁に手をついて俺を見下ろす。恥ずかしげもなく壁ドンですよ!
「僕のことはにいさんと呼んでくれて構わないよ」
「構いますって──ちょっと!」
顎クイされたと思ったら西山父の顔が近づいてきた。させるか! と間に手を挟む。片眉を持ち上げた西山父は俺の掌にキスを落とした。
「なに考えてんですか!! そうだ! 今朝! あんた俺の寝込み襲っただろ!!」
「可愛い寝顔に抑えが効かなくなってしまってね。眠りの姫にキスをする王子の心境だったよ。あのまま連れ帰ってしまいたかったくらいだ」
「そういうのほんとやめてください。俺は豊川秋広さんじゃないんで!」
西山父の腕から逃れた。すぐ追いかけて来た腕が腰に巻きついて引きよせる。今までのような冗談じゃなく、男の本気を感じさせる力強さ。頭に赤信号が灯る。
こちらも本気で逃げるための力を体に込めた時──。
玄関からガチャガチャと音がして、俺たちは思わず顔を見合わせた。近づいて来る足音を聞いて離れる。それとほぼ同時に、リビングに西山が戻って来た。
不思議そうに首を捻っている。
「どうした、恵護。今日は家に帰るんじゃなかったのか」
詰るような口調で西山父が訊ねる。
「よくわかんないけど、中根さんを一人にしちゃいけない気がして」
と、首の後ろを掻きながら、俺をまっすぐ見つめて来た。どうしてそんな感情を抱くのか、理由を探るような目だった。俺は期待を込めて見つめ返した。思い出せ。思い出してくれ。
「一人じゃない。父さんがいるじゃないか」
「僕もそう思ったんだけど、余計に心配になっちゃって」
お前のその勘は間違ってないぞ。それを糸口に全部思い出せ。
「中3のお前がいたら中根くんも迷惑だろうから家に帰りなさい」
父親の言葉に西山はぎゅっと眉根を寄せた。
「さっきお前の現在はここにあるとか言ってませんでした? やっぱり帰りません。ここに残ります。父さんこそ、中根さんの迷惑になるから帰ってよ。ほら、帰って、ほら!」
西山は父親の背中をグイグイ押して、玄関から外へ追い出してしまった。そして扉を閉めると鍵をかけた。パンパンと手を叩きながら振り返り「子供っぽい父ですみません」と笑った。
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