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Phantom (14/15)

2016.09.10.Sat.
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 自分にぴったりくっついて、久世が寝息を立てている。無邪気で美しい寝顔だ。知り合った学生の頃と比べて幼さは抜け切りすっかり大人の顔つきになっているが、何年経とうが彼の芯の強さと、人としての美しさは変わらない。

 その寝顔をしばらく眺めたあと、樫木はそっとベッドを抜け出した。物音を立てないように奥のウォークインクローゼットに行き、蓋つきの箱の底から香水の瓶を二本抜きとると寝室を出た。

 キッチンで袋とタオルを用意した。袋にタオルを入れ、そこにアトマイザーの中身を捨てた。嗅ぎ慣れた匂いが立ちこめる。換気扇を回した。朝には消えているといいが。

 次に、クローゼットから出した瓶も分解し、中身を袋のなかに捨てた。どんどんタオルに染み込まれて行く。新しいタオルを上にかぶせ、袋の口を縛った。さらに袋を二重にして同様に口を縛り、空になったアトマイザーと一緒にゴミ箱に捨てた。

 瓶二本は小さな袋に入れてベランダのゴミ箱に入れた。久世がベランダに出たとしても、ゴミ箱を開けて中身を検めることはしないだろう。

 真っ青な瓶と、透明な瓶。この二つを合わせたものが、アトマイザーの中身だ。もう必要はない。完全にとは言い難いが、ほとんど久世を手に入れたようなものだ。あとは失わないよう、他の誰かに奪われないように、注意を払いながら久世を大事に守っていけばいい。

『知りあってからずっと、俺は一度も久世を見失ったことはないよ』

 久世に言った言葉は本当だ。知り合った日から久世のことが好きだった。

 最初は友人の紹介だった。「どうも」とにこりともしない冷淡な会釈を寄越してきた久世の悪い第一印象は、講義のあと友人たちと一緒に食事に行った時に一変した。

 酒の席で久世はよく喋り、よく笑った。人見知りなのか、初対面の樫木には滅多に話しかけてこなかったが、それは初対面同士お互い様だった。

 悪のりした友人が樫木に強く酒を勧めてきた。まだ飲みなれていなかった樫木は、困りながらも、場の空気を悪くするのは気が引けて、グラスに手を伸ばそうとした。

 その時に「やめておけよ」と止めたのが久世だった。友人に「無理強いするな」と言い、樫木には「お前も嫌なら断れよ」と言った。この時、久世の強さと優しさに気付いて、恋に落ちた。

 同性を好きになったのは久世が初めてだった。これほど執着したのも久世が初めてだった。

 積極的に声をかけた。戸惑い気味だった久世も段々と慣れて、2人だけで行動することが増えた。誘うのは専ら樫木からだった。たまに久世から誘われると舞い上がった。

 この頃、以前から計画していた会社を友人と一緒に興した。携帯ゲームアプリの会社だ。経理や事務などの雑務をすべて引き受けたのは樫木で、プログラミングなどの専門的な部分は友人が担当した。

 どうせ無理だと周りのみんなが決めつける中、久世だけは「頑張れよ」と肩を叩いて励ましてくれた。嫌味でも揶揄でもなく、本心からの言葉だというのは目を見ればわかった。

 それまでの下準備が万全だったのもあり、結果は数か月で出た。アプリがヒットし、大学生が手に入れるには大きすぎる金額が懐に入って来た。途端に、手のひら返しが始まった。

 女にモテるようになった。知らない奴から声をかけられるようになった。中には絶対無理だと馬鹿にしていた連中もいた。

 そんな中、飲みに誘ってくれた久世だけは、「おめでとう。今日は俺のおごり」と成功を喜んでくれた。樫木の財布を当てにせずに、飲み代を払い、帰りのタクシー代は割り勘にして、と手を合わされた。

 久世が女だったら良かったのに、と何度も思った。ならばもっと単純だった。自分が女でもいい。久世は完全にヘテロだった。

 恋人になりたいなんて高望みはしなかった。そばにいられるならただの友人で良かった。

 久世が花村という女の子と付き合い出したと聞いた時は無理だった。認められるほど心は広くなかった。自分がこれほど嫉妬深いと知ったのもこの時だ。

 久世にも誰にも気づかれないよう、久世の彼女に近づいた。彼女は樫木のことを一財築いた学生だと知っていて、凄いね、としきりに褒めて来た。

 少し気のある素振りをした。彼女のために金を使った。簡単になびいてきた。久世とは知り合いだから……と曖昧な態度をみせれば、彼女はあっさり久世と別れた。久世との交際期間はわずか二週間。この程度の女だと思うと罪悪感はなかった。久世には似合わない。

 彼女と会うのを止めた。しばらく付き纏われたが、やがて諦めて消えた。

 卒業してから久世とはとんと会うことがなかった。何度か連絡してみたが、仕事が忙しいからと断られ続け、誘うことは諦めた。樫木も会社のほうがゴタついていた時期でもあった。

 共同経営者の友人が会社の金を使いこんでいることがわかったのだ。従業員を雇い、社長業のほとんどを樫木が引き受けていたのが裏目にでたようだ。

 仕事をしなくても金の入る環境にいた友人は堕落した。預金を使いきり、会社の金に手を出した。もちろんすぐバレた。

 従業員の手前、うやむやにするわけにもいかなくなり、刑事告訴することになった。酷い罵りを受けた。結局友人の親が金を工面して示談することになったが、樫木は数人の友人を失った。

 友達を刑事告訴するなんて酷いとかつての友人たちが抗議の電話をしてきたのである。事情を話しても、金は持ってるくせに薄情者だと罵られた。

 この一件で樫木はとても落ち込んだ。どうしても久世に会いたくなった。久世の会社、いまの住まい、交友関係、すべて調べ上げ、久世に彼女がいることを知った。相手は同じ会社の同期。

 やはり、祝う気持ちにはなれなかった。

 仕事で知り合った顔が広くて社交的な若いSEに合コンを頼んだ。久世の勤める会社の女子社員がいいと指定し、できれば同年代の女の子、そう注文すると、彼は注文通りの合コンをセッティングしてくれた。

 合コンの前に、ただの遊びだから、自分がどこの誰か明かさないで欲しいと頼んでおいた。合コンの席において、樫木は葛城という偽名を名乗り、広告代理店勤務と肩書を偽った。

 時間がかかるかもしれないと覚悟していたのに、意外にも1回目の合コンに久世の彼女がいた。人数合わせに呼ばれたのだというのは、乗り気じゃない態度ですぐにわかった。

 しかし彼氏がいるなんて興ざめなことは言わないで、最低限場の雰囲気に合わせていた。

 悪い子ではなさそうだった。だから余計、許せなかった。早ければ結婚を意識してもおかしくない年齢だ。男女というだけで垣根が低くなるなんて不公平だ。

 留美という女に近づいた。好青年を演じた。積極的になりすぎず、消極的にもなりすぎず。少し奥手なくらいのほうが女は安心する。真面目な男のふりをした。

 最初は警戒心剥きだしだった留美もやがて警戒を解き、緊張を解し、樫木の冗談に笑い声をあげ、酒を勧めれば素直に手をつけ、帰りはタクシーで家の前まで送らせた。

 その時に「実は私、彼氏がいるの」と打ち明けられた。

「君を奪うと言ったら?」
「そんなの、困る」
「こんな気持ちになったのは君が初めてなんだ」
「私だって……」
「こんなことを言うと嫌な奴だと思われるかもしれないが、みんな僕に色目を使うんだ。君だけはそんなことをしなかった。僕という人間の中身を見てくれた。だから、これで終わりなんて嫌なんだ。彼氏がいるなんて理由だけで僕を振らないで欲しい。出会った順番だけで決めてしまうのかい? 少しでも僕に可能性があるなら、電話してくれ」

 切なく訴えたあと、タクシーで去った。数日後に電話がかかってきた。彼と別れたと言う。落ち込む久世を思うと胸が痛んだ。

 久世と留美が本当に別れたのかを確かめてから携帯電話を解約した。そして嫌な思いの付き纏う会社を売り払った。

 それからもずっと久世の動向は定期的に探っていた。その頃、最上渓一の財布を拾った。現金の他にカード類も入っていて落とし主はさぞ困っているだろうと同情した。すぐに警察に届けるつもりだった。

 免許書を見ると齢が近かった。(顔写真の入っているものは駄目だ。住所は控えておくと役に立つかもしれない。)保険証も入っていた。(これは使える。)

 気が付くと保険証を自分のポケットに入れていた。免許書の写メを撮ったあと財布に戻し、念のため指紋を拭き取ってから公園のベンチの下に置いた。

 盗んだ保険証をどうするかなんて、この時はまだ何も考えていなかった。

 数ヶ月後、たまたま入った喫茶店で若い男女の会話が聞こえた。男のほうはやる気のない音大生で、彼女の部屋に入り浸っていることがわかった。ほとんど部屋に帰らず、家賃は何も知らない親が払い続けていることもわかった。

 新学期に必要な勉強道具を取りに行くという話になった。二人が店を出ると、樫木も店を出た。だんだん形になっていく恐ろしい計画を考えながら、2人のあとをつけ、男子学生のマンションを突き止めた。

 二人が荷物を取りに入った部屋は1階の端の部屋だ。運が味方しているとしか思えない。それを見届けてからマンションのまわりを歩いてみた。

 防犯カメラの位置、数。出入り口は1つ──学生の部屋の奥にも非常出入り口があった。まわりは民家に囲まれ、庭から伸びた木が道路に影を作っている。そっとドアノブを回すと鍵がかかっていた。

 紙袋を抱えた二人が出て来た。男子学生の腰で音を立てるチェーンに、財布と鍵が繋がっているのを見た。またあとをつけて、来た道を引き返した。

 2人は電車に乗った。間隔をとって二人を見張った。途中、高校生の集団が乗り込んできた。

 樫木は車内の人ごみのなかをそっと移動し、男子学生の背後についた。次の駅でまた高校生が乗り込んでくる。密着しても怪しまれない乗車率。

 樫木は釣り広告を見ながら、学生のチェーンに手を伸ばした。心臓がでたらめに鳴った。指が震えた。ぐ、ぱ、と何度か開いてから、チェーンから鍵の束を取った。

 そっと二人から離れ、次の駅で降りた。最寄りの鍵屋を調べ、鍵の複製を作った。すぐさっきの喫茶店に戻り、指紋を拭いてから外の植え込みに鍵の束を投げ込んだ。

 複製した鍵を使って男子学生の部屋に入ってみた。散らかって汚い部屋はカビと饐えた匂いに満ちていた。何カ月も帰っていないのは本当のようで、空気が澱んでいる。

 湿っている不快なベッドの上に寝転がった。朝までに男が帰ってくればそこで終わり。帰って来なければ実行しよう、そう決めて。

 男子学生は帰ってこなかった。




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