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Phantom (13/15)

2016.09.09.Fri.
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 今日は朝から雨だった。強い雨脚で窓を叩いている。空は黒い雲に一面覆われ、昼過ぎだというのに夕方のように薄暗い。

 芳明は窓に手を当て、気怠げに溜息をついた。

「退屈なら、今から映画でも観に行くか?」

 ソファで本を読んでいた樫木が声をかけてきた。

 昨日、警察署を出ると足が勝手に樫木の家に向かった。連絡なしにいきなりやってきた芳明を、樫木は快く招き入れ、夜は泊めてくれた。

 樫木に会うのは、仕事終わりに迎えに来てもらって、その夜セックスをしたあの日以来だ。忙しさと気恥ずかしさから後回しになっていた。

「いや。雨だし。どっか行く気分でもないし」

 窓から離れ、芳明はソファに寝転がった。樫木の膝の上に頭を乗せる。

「やらしいことしよう」
「昼間っから?」

 眉を持ち上げながら、樫木が苦笑いを浮かべる。

「今日は一日中、ベッドにいたい」

 樫木の首に腕をまわし、抱きついた。浮いた背中を樫木が支える。

「久世が望むなら、俺は叶えるだけだ」

 言うなり、樫木は膝の下に腕を差し込み、久世の体を抱きあげた。ふわっと宙に浮く感覚に驚いて樫木にしがみつく。そのまま寝室まで運ばれた。

 つい数時間前まで、二人とも全裸でベッドのなかにいた。汚れたシーツはすでに交換されている。でもまだ昨夜の淫靡な空気は残っていた。ゴミ箱に捨てられたティッシュからは、青臭い匂いもする。

 新しいシーツの上に芳明はおろされた。素早く服を脱ぐと、樫木をベッドに押し倒した。焦った仕草でベルトを外してズボンと下着を下ろす。樫木からはボディソープの匂いがした。昼前に起きた時、一緒にシャワーを浴びた。だから芳明からも同じボディソープの匂いがしているはずだ。

 清潔な匂いを漂わせるペニスに口を寄せてぺろりと舐めた。陰茎がむくりと反応を見せる。先を口に咥えた。吸ったり舐めたりしていると、樫木に頭を撫でられた。

「香水は使わなくていいのか?」

 どこまでも優しい声が訊ねる。

「もういらないって言っただろ」

 昨夜も樫木に同じことを訊かれて断った。

 前回ここを去る時、肌身離さず持ち歩いていたアトマイザーを、迷った末に置いてきた。もう必要がないと思ったからだ。昨日ここに来た理由も、香水ではなく、樫木に会いたいと思ったからだ。

 今までずっと現実味のない生活を送っていた。それがあの夜をきっかけに、地に足がついたような気がしていた。目に見えない膜が取り除かれたような、やっと夢から醒めたような、そんな気分だった。

 昨日の午後までは、あの香水の匂いを嗅げば、また夢見心地に戻れただろう。だがもうそんな効力はない。あの香水で酔えたのは、警察署の取調室で最上の姿を見るまでのことだ。

 今までずっと謎だった男の顔、姿を見た時、芳明の中の何かがすうっと醒めた。初めて聞いた男の声は不快だった。取り調べを受ける動揺した態度を見ていたら悪心がこみあげて来るほどの嫌悪を感じた。

 毅然とした態度でいてくれたなら、これほど幻滅はしなかったかもしれない。

 助かるために男の媚びた。自分を騙すために男を受け入れた。男の犯行の動機は自分への好意。ここまでするほど好かれているのだから、その想いに応えなければいけない。男を好きにならなければいけない。男の望む自分にならなければいけない。

 正常ではなかった。だから男に特別な感情を持っていた。恐ろしく、おぞましく、殺したいほど憎いはずの相手を、恋しく思ったりしていたのはそのせいだ。

 顔も形も知らなかった。だから余計に美化されていた。警察に捕まっても取り乱したりせずに、マジックミラーの向こうにいる自分に気が付いて、「やあ、久し振りだね」と微笑を浮かべながら手を振るくらいの離れ技をやってのけるのではないか、と。

 それほど芳明のなかで男は完璧な存在に形成されていた。あの部屋の中では芳明の命はもちろん、全権を男が握っていた。それが部屋を一歩出た途端、取調室で無様に狼狽していた。

 あんなただの中年男に好き勝手やられていたのかと、今では憎悪しか感じない。

 樫木に顎を持ち上げられて顔をあげた。

「こっちにおいで」

 と腕を引かれて樫木の腰の上に跨る。樫木の手が尻たぶを割って奥へ指を入れて来た。冷たい液体はローションだ。いつ用意した、と感心しながら、指の侵入に唇を噛む。

 樫木は右手で奥を解しながら、左手で芳明のペニスを扱いた。頬を上気させ、腰を前後に揺らし、甘い吐息を漏らす芳明の体にねっとりとした視線が絡みつく。目でも抱かれている、と芳明は思った。

 こんな目で見られていたなんて、今まで気が付かなかった。いつか樫木が言った通り、自分は他人に無頓着なのかもしれない。

 充分解されたあと、屹立する樫木のペニスの上にゆっくり腰を落としていった。太く硬いものが存在を誇示するように奥を広げる。音を立てて息を吐きながら、ゆっくり全部を自分のなかに収めた。

「俺に気を遣って無理してないか?」

 芳明の腰を支えながら樫木が下から訪ねる。

「無理してたら自分からここに来ないよ」
「俺に会いに来てくれたのか?」
「他にある?」
「会いに来てくれた理由を聞いてもいいか?」
「質問責めだな」

 芳明はふっと笑いを漏らした。

「樫木に会いたいと思ったから来た」

 匂いの呪縛からも、あの男の幻影からも、自分は完全に解放された。そう確信が持てる。だから会いにきた。

 助けを求めた時にそばにいてくれたのは樫木だ。溺れそうな時に手を差し伸べてくれたのも樫木だ。自分の感情は二の次で、無理難題を飲んでくれた。こんな自分を好きだと言ってくれた。

 その気持ちが嬉しかったし、応えたいと思った。ただの恩返しかもしれない。だが好きだという気持ちも確かに存在する。樫木のそばにいると安心するし、見られると性的な気分になるし、触れられると体に火がついて熱くなる。

 憎からず思っていなければこんな反応にはならないはずだ。その証拠に、他の男ではこうはならない。

 樫木とはこれから始まる。これも確信の一つだ。

「それは、望みがあると期待していいのか?」
「それ以外ある?」

 微笑みかけると、樫木は言葉を失ったように口を半開きにし、目を見開いた。芳明は笑みを濃くして樫木の上で腰を揺らした。ほら気持ちがいい。この充足感は本物だ。

 樫木に腰を掴まれた。下から突きあげられる。小刻みだった振動が大きく激しくなる。

 その動きに合わせて、立ちあがった芳明のペニスも揺れ、透明な液体が飛び散った。開いた口からは嬌声が止まらない。

「んふぅ……っ……うっ、あっ! あ! はあぁっ……あ、ああ……っ」
「絶景。すごくいい眺めだ」

 樫木がうっとりした目で呟く。

「……んっ……馬鹿……はぁっ……あ、あっ……あっ、や……触ったら……すぐ、出る、から……!」

 樫木にペニスをしごかれて、芳明は狼狽えた声を出した。泣きそうに歪めた顔で樫木の手に手を重ねる。

「そんな顔をされたらたまらないな」
「ひんっ、あ、やあっ……あっ、あ、ほんと、に……出るって……ばっ……まだ、やだ……」

 奥がぐちゃぐちゃに蕩けているのが自分でもわかった。ローションだけじゃなく、二人の体液で中は潤っている。樫木が動くたびに結合部が卑猥な音を立てた。芳明はそれが恥ずかしかった。

「イクところを見せて欲しい」

 尾てい骨に響く様な低い掠れ声でそんなことを頼まれた。芳明は樫木を見下ろした。またあの忠犬のような目をしている。胸を掻きむしりたくなるような目だ。こいつになら何を見られてもいい、なんでも見せてやろうと思えた。

 膝を立て、自分からも腰を振った。タイミングが合わなくてあやうく抜けそうになる。肌と肌がぶつかる音を立てながら何度も擦り合わせた。摩擦でさらに中が熱くなる。脳天にまで響く様な突きあげに声が止まらない。

「……っ……ぁあ……あっ、も、お……だめ、無理っ……ああ……イクっ……樫木ッ……ああ……樫木、俺……もぉ……イクッ……!」

 樫木に見守られる中、芳明は体を震わせて射精した。



 部屋はもう真っ暗になっていた。サイドボードのデジタル時計を見ると19時を過ぎていた。あれからずっと樫木と抱き合っていた。せっかく清潔なシーツに交換したのに、いまは精液と汗で湿り、所々びっしょりと濡れている。

 コンドームの存在を思い出したが、時すでに遅しだ。

「お腹すいてないか?」

 腕枕をしている樫木が顔を覗きこんで言った。確かに空腹だった。

「なにか食べるものある?」
「家にはないなあ。食べに行くか?」
「うーん、立ち食いそば」
「久世が食べたいならいいよ、行こう」

 苦笑するだけで樫木は躊躇わずいいよと言ってくれる。

「冗談だって」
「でも本当になにも食料がない」
「出前でいいんじゃない」
「そば?」
「うん」

 わかった、と体を起こした樫木は携帯電話で店に電話をし、そばを二人前頼んだ。その姿を見ながら芳明はうーんと伸びをした。枕の下に入れた手が何かに当たる。引っ張りだすと、香水の入ったアトマイザーだった。

 ずっと肌身離さず持ち歩いていたが、前回ここへ来た時に、もう必要ないと思ったから置いて帰った。いま改めて見ても、その中の液体に不可思議な魅力は感じないし、匂いを嗅ぎたいとも思わない。

 最上の顔を思い出して、芳明は鼻に皺を寄せた。

「これ、処分しといて」

 電話を終えて振り返った樫木に放って投げた。

「それはいいけど、捜査のヒントにならないかと思って渡したんだが」
「実は昨日、ここに来る前に警察署に行ってたんだ。容疑者の取り調べをするから、面通し頼まれて」
「えっ、捕まったのか? 良かったじゃないか!」

 驚いたあと、樫木はぱっと顔を明るくした。

「でもまだ逮捕じゃないんだ。証拠もないし、動機もわかってないし、なにより本人が否認してるからね」
「じゃあどうしてそいつが容疑者だと?」
「ひったくり事件の捜査をしてたら、俺を監禁してた時期に、監禁してた場所のあたりをそいつが深夜にうろついてる動画がたまたま見つかったんだ」
「凄いな。それは予想外だ。こんな偶然があるのか」

 驚きを通りこしたような顔で樫木は茫然と呟く。

「それで面通しに行ったんだけど、何もわからなかった。犯人のような気もするし、違うような気もする。目隠ししてたから、顔を見ても全然わかんなかった。その香水の匂いもしなかったし。刑事さんは、絶対証拠見つけて挙げるって息まいてたけど」
「これでもう安心して暮らせるじゃないか」
「だといいけどね」
「そうか、これはもう必要なくなったのか」

 樫木は手の中のアトマイザーに視線を落とした。

「じゃあこれは俺が処分しておくよ」

 大きな手が閉じて、アトマイザーは姿を消した。





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コメント
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お返事
つきみ様

ちょっとでも楽しんで頂けていたなら、これほどうれしいことはないです!
長いし退屈だわで、更新しながら「これ大丈夫か」と不安でした。

犯人お前しかありえないだろー!というタイミングで登場した樫木w 少しでも目をくらますために思わせぶりに登場させた他の男たち。少しでも「犯人はやっぱりこいつ?もしかしてこいつ?」と楽しんでもらえたらいいなーと思って書いていました。

泥棒と鉢合わせ…恐ろしい経験をなさっておいでだったのですね。このお話を先に聞いていたら結末が変わっていたかもしれないです!初めからこの終わり方ありきで書いていたので他の可能性はまったく思いつかなかったのですよ。やはり経験者の言葉ってなにより説得力があるし、重いですね。しかしおっかない世の中ですね。

答え合わせのような最終話になりましたが、楽しんでもらえてたら嬉しいです。ありがとうございます!

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