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Phantom (3/15)

2016.08.30.Tue.
1話2話

 進展がないまま三ヶ月経った。いつまでも実家にこもってるわけにはいかないと思い始め、芳明はハローワークへ行ってみた。

「この半年間はなにをしていたのですか?」の問いに、体を壊して休んでいたと適当に誤魔化し、資料をもらって帰って来た。

 資格や就労条件を見ながら、面接に行っても同じ質問をされるのだと思うと気が重くなった。

 親はまだ休んでいろと言う。しかしこの三ヶ月で二人ともかなり老け込んだ。家を売ってよそへ移ることも考えているようだ。

 気付かれていないと思っているようだが、心無い言葉で中傷する手紙が自宅ポストに差出人不明で投函されていることを芳明は知っていた。

 事件もそうだが、自分の身の処し方も八方塞がりのような気がする。

 カウンセラーには自分を責めてはいけないと言われている。では誰を責めればいいのだ。誰のせいなのだ。捕まったのは俺なのに――、と考えずにはいられない。

 そんなある日、実家に電話がかかってきた。大学時代の友人、樫木だ。たまに飲みに行ったり遊びに出かけたりする仲だった。大学時代に起業してIT社長になった人物でもある。卒業後は進路が違って会うこともなくなった。

 だから樫木からの電話は意外だった。なぜ実家の番号を知っているのかも、謎だ。

「どうする? いないって、言う?」

 電話を保留にしたまま、母親が心配そうな顔で確認してくる。噂というのは嫌でも広がるものだ。事件を知りたいだけの知人からの電話は何度かあった。樫木はそんなタイプとは思えなかったから、出ることにした。

「もしもし?」
『ひさしぶり』

 記憶が蘇る懐かしい声だった。前より少し低くなって、落ち着きが増した気がする。

「ひさしぶり。どうしてうちの番号知ってんの?」
『大学の時の知り合いに片っ端から聞いて回った』
「なにか用?」
『暇なら飯行かないか? 迎えに行くから』
「用件が先」
『久世の顔を見て安心したいから。事件のことは聞いた。力になれることがあればなんでも言って欲しい』
「余計なお世話。俺は平気だし、人に力を借りなきゃいけないほど非力でもない」

 男に襲われ、監禁されている間、レ/イプされ続けていたのにか?

 と、心の声がする。

『困っていることがあれば、と思っただけだ。悪いほうへ取らないで欲しい』
「事件の話を聞きたいの?」
『聞きたいわけじゃない。久世が話したいなら別だが』
「話したいわけないだろ」
『だったら飯食って、酒飲んで、それでいいじゃないか』
「帰りたくなったらすぐに帰る」
『それでいい。今日このあとは? 実は近くまで来てる』
「はあ? なに考えてんの」
『いま国道添いのケンタッキーを通りすぎた。どこで曲がればいい?』

 覚えのある景色が頭に浮かぶ。

「次の次の信号を右折。まっすぐ行ったらコンビニがあるから、そこで待ってて。家までの説明は面倒だから、こっちから行く」
『わかった。待ってる』
「運転中に電話なんて。警察につかまるなよ」
『ハンズフリー通話だから平気だ』

 あっそ、と返し、電話を切った。スエット上下では外に出られないので着替えてからコンビニへ向かった。少ししてシルバーの高級車が駐車場に入って来た。窓が開いて、男が顔を出し、芳明に手を振る。

 精悍な顔つきの樫木に驚きながら助手席へ乗り込んだ。学生時代と比べてずいぶんと男らしく、服装も大人っぽくなっていた。カジュアルな自分の格好が恥ずかしくなった。

 乗っている車といい、腕につけている時計といい、経済的に余裕がありそうだ。興したIT会社の経営がうまくいっているのだろう。

「どこ行くの」
「久世のほうが詳しいだろ、この辺」
「久しぶりに戻って来たからわかんない。知らない店も増えてるし」
「何系? 肉? 魚? 外国?」
「外国ってなんだよ。本場の料理食べるために、外国に連れてってくれんの?」
「久世が行きたいなら連れてくよ。パスポート持ってる?」
「ばか」
「冗談。イタリアンでも、フレンチでも、インドでも、なんでも」
「……そば。そばがいい。大学の近くの駅の立ち食いそば。あれがいい」
「了解」

 樫木がハンドルを切る。驚くほど静かに車が加速する。国道に戻り、樫木はここから一時間はかかる駅へ進路を取った。

 道中、樫木の口は他愛ない話をするために動きっぱなしだった。学生の時に興した会社は売り渡し、そのあとは株で収入を得ているという。最近不動産にも手を出し始めたらしい。

「羽振りよさそうだもんな」
「まぁ、金だけは人並み以上に持ってる自覚はあるよ」
「嫌味~」
「成金は成金らしくな」
「一千万ほど、貸してくんない?」
「いいよ」
「……冗談だって」
「俺も冗談だったんだけど」
「笑えないんだよ、成金ジョーク」

 拳を握って樫木の腕を軽く打った。樫木は笑い声をあげた。

 駅近くのパーキングに車を止め、二人は駅中の立ち食いそば屋に入った。

 昼過ぎで店内は空いていた。芳明は月見を、樫木はコロッケそばを頼んだ。ほとんど待つことなく注文したそばが目の前に出される。

 芸能人の不倫を詳しく解説するテレビのワイドショーを見ながら黙々とそばを食べた。冷えた体に熱いそばが染みる。

 懐かしい記憶が呼び覚まされる味だ。当時付き合いのあった友達のことや、大学構内の匂いや、世話になった教授の顔や、短い期間交際していた彼女のことなど。

 あの頃には戻れない。今の自分は別人になってしまったと感じる。自分だけ異世界からやってきた人間のようだ。隣でそばをすする樫木との間にも、目に見えない壁が存在している。

 食べ終わったあと、散歩がてら大学の近くへ歩いた。大学生らしい格好の集団とすれ違う。あんなふうに無邪気に笑える日はもう二度とこないだろう。

 大学の前を通りすぎ、近くの小さな公園のベンチに腰をおろした。

「ここでキスした」
「えっ?」

 芳明の呟きに、樫木が怪訝な顔で聞き返してくる。

「大学の時に付き合ってた子と、ここでキスしたの思い出した」
「あぁ、花村って子だっけ」
「よく覚えてるな」
「可愛い子だった。巨乳で。Eはあった」
「人の彼女、そんな目で見てたのかよ」
「みんな、そんな目で見てた」

 樫木がニヤッと笑う。確かに自分の胸を強調する服をよく着ていて、男の視線がどこに集まっているのか理解している子だった。当時は心配と嫉妬しかなかったが、いまはそんな緩い子はご免こうむりたい。

 なんで別れたんだっけ、とさらに記憶を遡る。確か、他に好きな人が出来たから、と言われたのだ。

「二股なんていけないから。ごめんね。全部わたしが悪いの」

 と、泣いて謝られた。付き合って二週間しか経っていなかった。

 その後、女と縁のないまま卒業し、就職した。二年して、同期だった女と付き合うことになった。こちらも、友達の頼みで断れなかったコンパで知りあった男を好きになってしまったという理由で振られた。

 女運がないのだろうと諦めの心境で仕事に打ち込んだ。そんな矢先の、拉致監禁。男からの凌辱。どこまで自分はツイてないのだろうか。こんな目に遭うほど、自分は悪い行いをしてきただろうか。

 ぼんやり考えていたら風が吹いて首をすくめた。ぶるっと体を震わせながら顔をあげると、いつの間にか日が落ちかけていた。

 隣の樫木は公園の向こうに見える往来を静かに眺めている。視線に気付いて芳明を振り返った。

「そろそろ行くか?」
「ああ」

 帰りは無言でパーキングまで歩いた。車に乗り込む頃には日は完全に落ちていた。

「飲みに行く?」
「お前は車で飲めないだろ」
「代行頼めばいい」
「いや。帰るよ」
「わかった。このまま久世の家に向かえばいいか?」
「送ってくれんの? ありがと」
「俺が連れ出したんだから当然だろ」

 と樫木は来た道を戻るためにハンドルを切った。

「安心した? 俺の顔見て」
「ああ。元気そうで安心した」
「これでも色々大変だし、きついんだぜ」
「それに耐えてる。お前は強いよ」
「そんなに強くもないよ。いまだに夢に見る」
「いずれ犯人は捕まるさ」
「顔見てやりてえ。どんなツラしてんのか知らないけど、とんだ物好きだよ」
「犯人の顔を見てないのか?」
「見てない。声も聞いたことがない。男って以外、何も知らないしわからない」
「捜査が難しそうだな」
「手がかり少なくて、難航してるみたいだよ」
「ってことはまだ時間がかかりそうなのか。心配だな」
「定期的に警察の見回りがあるから。100パー安全ってわけじゃないけど」
「日本の警察は優秀だから、信じて任せておけばいい」

 芳明に会いに来る二人組の刑事の顔が頭に浮かんだ。金子のほうは何度も顔を合わせているせいか、同い年ということもあって砕けた態度で接することが増えていた。

 野球が好きらしく、捜査と関係無い野球の話題をして小田崎にたしなめられる場面もある。

 金子が来ると、芳明はつい、深い呼吸をしてしまう。金子がつけているコロンの匂いが、あの男の匂いと少し似ているからだ。

 完全に同一ではない。何かが足りない。まったく違う別物とも言える。でも限りなく似ているとも言える。時間が経って忘れてしまった可能性もある。もともと、目に見えるものでも触れられるものでもない。記憶だけが頼りだ。

 その匂いを嗅いでいると、監禁されていた当時のおぞましい記憶が蘇ってくる。でも匂いを求めずにいられない。金子につけている香水の銘柄を教えてもらい、買いに行ったこともある。

 真っ青な瓶に入っていた。金子と同じ匂い。男と似ている匂い。似て非なるものの、偽物の匂い。

 ここにはいない男の存在の気配が現れては消える。実体のない陽炎のようだ。捉えられそうで、捉えられない。

「酔ったか?」

 樫木の声で我に返った。

「平気」
「また、誘ってもいいか」
「いいよ。無職で暇だけはあるから」
「ゆっくりやればいい」

 噛みしめるように樫木は言った。

 一時間ほど経って家の近くまで来た。家まで送るという言葉に甘え、コンビニからの道順を教えた。

 芳明が車から出ると、樫木は窓を下げて顔を出した。

「また、連絡する」
「家電じゃなく、携帯にかけてこいよ」
「携帯変えただろ? 新しい番号を知らないんだ」
「携帯貸して」

 芳明は受け取った携帯電話に自分の番号を打ちこんだ。

「そんじゃ」

 樫木に携帯電話を返し、芳明は自分の家に入った。




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