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行きつく先は(3/5)

2016.07.11.Mon.
<前話はこちら>

 言われた通り一週間以内に嫌々花井さんに電話をし、指定された場所へ車で迎えに行って、彼女のショッピングに付き合わされたあと、ドライブに行きたいとねだられ、海のほうまで足を伸ばした。

 その帰り道に、丘の上の隠れ家的レストランで食事をした。なにを見ても何も思わないし、なにを食べてもおいしいとも感じない。

 先日のやり取りなんかなかった顔で恋人のように振る舞う花井さんがひたすら不気味で悪態をつく気分にもならなかった。

 家まで送ってくださいと言われるまでもなく、そう来るだろうと覚悟はしていたので「わかりました」と運転手にでもなったつもりで事務的に答え、彼女の自宅マンションまで車を走らせた。

「お茶でも飲んで行きません?」

 シートベルトを外した花井さんが俺の顔を覗きこむ。

「いえ。今日は疲れたので」
「だったら尚更、少しお休みになったほうがいいと思うわ。事故でも起こしたら大変」

 と俺の太ももに手を乗せた。叩き落としそうになるのをなんとか堪えた。

「何が目的なのか、そろそろ教えてくれませんか」

 いろんな感情を押し殺した低い声が出た。

「目的? そんなもの、ありませんけど」
「とぼけるのもいい加減にしてください。何が望みですか? 金ですか、僕の謝罪ですか」
「そんなこと言われるなんて……ショックです」

 胸に手をあて、悲しそうな顔をする。すべてが芝居がかってわざとらしい。怒鳴りたくなるのを奥歯を噛みしめて我慢した。

 その時、俺のスマホが鳴った。花井さんはすばやく音源を探し当て、冷たいまでの無表情で「出て」と言った。

「切れてしまいますよ、早く」

 高圧的な言い方で反発したくなるが、それも大人げないのでポケットからスマホを出した。画面を覗きこんだ花井さんにも、相手が菱川くんだとバレてしまった。

「出てください」

 言葉遣いこそ丁寧だが命令のような口調だ。思わず睨みつけたら睨み返された。花井さんが素早く動き、通話ボタンを押した。

『早瀬さん』

 菱川くんの声が聞こえて来る。仕方なく耳に当てた。花井さんも耳を寄せて来た。

「どうしたんだ?」
『声が聞きたくなって。いま、電話しても大丈夫ですか?』
「……少しなら」
『いまバイトが終わったところなんです。今日って会えませんか?』
「今日は無理だ」
『じゃあ明日は? 明日はバイト休みなんです』
「悪い、明日も無理だ」
『……いつなら会ってもらえますか?』
「最近忙しくて、いつになるかわからない。時間が出来たら俺から連絡する」
『わかりました。お疲れのところ電話してすみません』

 電話越しに伝わってくる菱川くんのがっかりした声。見なくても、落胆した彼の表情が目に浮かぶ。

「悪かったね」
『いえ。声を聞けただけで良かったです』
「おやすみ」
『おやすみなさい。早瀬さん、大好きです』

 焦って隣の花井さんに視線を走らせる。会話を盗み聞きすることに集中しすぎているのか、俺の視線に気付かず、花井さんは眉間に皺を寄せていた。

 おやすみ、と通話を切ってポケットに戻した。

「あれから会っていないみたいですね。私との約束を守ってくれているようで嬉しいです」

 体勢を戻して、花井さんは教師のような口ぶりで言った。ふと、以前彼女が言っていた言葉を思い出した。

 ――どういうわけか、私と付き合った男性って、みんなMっぽくなっていくんです。どうしてかしら?

 過去に付き合った男にもこういう態度だったのだとしたら納得だ。この女は付き合った男を自分の支配下に置きたがるタイプなのかもしれない。

「彼は関係ないでしょう」
「関係なくないです。だって彰博さんの浮気相手なんですから」
「浮気もなにも、あなたと僕は付き合ってもいない」
「酷いことをおっしゃるのね。私たち、夫婦になるのに」

 目玉が飛び出しそうになった。なにを言い出すんだ、この女は。ゲイが何なのか、実はよく知らないんじゃないのか?!

「そんなに驚いた顔をしないでください。私、彰博さんの不機嫌で傲慢なところが好きなんです。そんな彰博さんを傅かせて、従順でかわいい夫に仕立てるのが妻である私の役目なんですから」
「なっ……、なにを言っているんですか……?」

 眩暈がするようなことを言われて、無意識に花井さんから離れ、距離を取っていた。俺には彼女の言っていることが理解できない。あまりにおぞましいことを言われた気がする。

「菱川さんって方のおうちの前で聞いてて確信したんです。彰博さんは見た目はSっぽいけど、中見はMだって。きっと私たちの夫婦生活はうまくいくわ。彰博さんは私にとって理想の旦那さまですから」

 今までのものが作りものだったとわかる彼女の欲望丸出しの笑顔を見て全身総毛だった。目の前にいる女が人間ではない別の生き物に見えた。怖くてたまらない。悪寒が走ったのを認めたら体の震えが止まらなくなった。

「その怯えた顔、本当に可愛い」
「ひっ」

 爪の赤い指で頬を撫でられ、悲鳴のような声が漏れた。

「次のお休みは私の部屋でデートしましょう。手料理をごちそうさせてください。こう見えて料理は得意なんです。それじゃあ、また。おやすみなさい」

 悪魔か妖怪のような笑みを残して、花井さんは車をおりた。サイドガラス越しに手を振っている。恐ろしくて逃げるように車を出した。事故らず帰れたのが奇跡に思えるほど動揺していた。



 今まで相手をしてきた男のなかにも、俺のことをMだと思いこんだ奴はいた。菱川くんと出会った夜に引っかかった男もそうだった。

 容姿なのか言動なのか、俺はある種の連中の嗜虐心を刺激し煽ってしまうところがあるようだった。自覚がないから直しようがない。

 俺は奉仕することより、奉仕されることのほうが好きだ。それは偽りのない本心だ。あいつらに言わせれば、自分で気付いていないだけ、もしくは自分を偽っているだけ、ということになるのだろう。馬鹿馬鹿しい話だ。

 これまではそんな相手に出くわしても逃げればよかった。だが今回はそうはいかない。名前や連絡先も知らない一夜限りの相手じゃない。父の知り合い。名前はおろか、実家の場所も親の名前も知られている。逃げても追ってこられる。しかも俺がゲイだと知っている。職場までおしかけてくるような女だ。不興を買えばなにをされるかわからない。

 あの女の言いなりになるしかない。まさか本気で結婚しようなどと考えているとは思えない。思いたくない。これも俺への嫌がらせ。しばらく付き合えば気が済むだろう。

 そう考えて、次の休みにまた花井さんと会った。料理を作る前に買い物をしたいというので彼女指定のカフェへまず向かった。そこでコーヒーを飲みながら、一方的に話しかけて来る彼女の話を聞いた。それがやっと終わると食後のデザートにとケーキを買い、カフェを出た。 

 すぐそこにスーパーがあると言うので徒歩で向かった。その道中、思わぬ人物に出会った。

 リュックを担いで、友人らしい二人の男と談笑しながら前から歩いてきたのは、学校帰りらしい菱川くんだった。

 最初に気付いたのは俺だった。3メートルの距離になって菱川くんも俺に気付いた。彼は俺を二度見して、ぱっと顔を明るくさせた。

「早瀬さん」

 俺の名を呼びながら駆け寄ってくる。会うのは酷く久し振りな気がする。

「今日は仕事休みなんですか」

 隣の花井さんが目に入らないのか、彼はひたむきに俺にだけ視線を送ってくる。こんな場所で顔を合わせた偶然に素直に喜んでいる様子だ。

「ああ。君は学校の帰り?」
「そうなんです。このあとどっか行こうかって話してたんですけど……」

 菱川くんは俺にすり寄る花井さんへ視線を移した。

「彰博さん、こちらは?」

 名前もバイト先も知っているくせにと花井さんぬけぬけとそんなことを言う。菱川くんの笑顔が陰る。説明を求める目が俺へ向けられた。いまここですべてを打ち明けることは無理だ。

「友人の菱川くんです」

 俺の紹介に、菱川くんは少し不満そうな顔をしたが、すぐ笑顔になって「こんにちは」と花井さんへ会釈した。

「ずいぶんお若いお友達なんですね。私、花井といいます。彰博さんの婚約者です」
「ちょっと、花井さん!」

 掴まれていた腕を振り払った。なんてことを菱川くんに言ってくれるんだ!

「本当でしょ? 結婚を前提にお見合いをしたんですから」
「それはっ……だから、俺はいま結婚する気はないと……!」
「私とは理想の夫婦になれそうだと言ってくれたじゃないですか」
「言ってません! それを言ったのはあなたでしょう」
「彰博さん、訂正しなかったじゃないですか」

 思わず言葉に詰まった。確かに訂正をした覚えはない。しかしそれは同意見だったかじゃなく、花井さんがひたすら不気味で怖くてそれどころじゃなかったからだ。

 なにを言っても裏目に出る。慎重に言葉を選んでいたら、

「じゃあ、僕はこれで」

 と菱川くんが声を発した。

 咄嗟に菱川くんの手を掴んだ。まだなんの弁明も出来ていない。誤解されたまま別れるなんて嫌だ。

「菱川くん、待っ……!」
「お邪魔して、すみませんでした」

 俺の腕を引き剥がして、菱川くんは少し離れたところで待つ友人たちのもとへ走って合流した。そのまま振り返ることなく離れていく。

 花井さんに向き直り「どういうつもりですか」と声を抑えて詰め寄った。

「婚約なんてした覚えはありません、どうして嘘なんか」
「したも同然ですよ」

 菱川くんの後ろ姿を冷然と見送りながら花井さんは言い放った。

「少しの男遊びは許してあげます。でも、私がいいと言った相手だけ。あの子は駄目。もう二度と会わないで。連絡も禁止。約束を破ったら……どうなるかおわかりよね?」

 言い終わると、花井さんはわざとらしく肩を持ち上げて「ふふっ」と笑った。

 この女は俺の理解が及ばないはるか彼方の世界の住人だ。正気じゃない。気が狂ってる。

「どうして菱川くんは駄目なんだ」
「あの子が好きなんでしょう? 本気はダメ。浮気じゃなくなっちゃうもの」

 行きましょう、と花井さんが腕を組んできた。咄嗟にそれを振り払うと、彼女の顔は般若のように変わった。

「彰博さんのお父様に言いつけましょうか? あなたが同性の男とどんなことをして、どんなことを口走っているのか、詳しく、聞いていただいたほうがいいかしら?」

 脅しやはったりじゃなく、この女ならやるだろう。俺の知らないことも調べ上げていそうな空恐ろしさもある。

 しばらく睨みあいが続いたが、弱みを握られている俺が先に目を逸らした。

「さっ、買い物に行きましょう。彰博さんも少しはお手伝いしてくださいね。一緒に料理をする夫婦っていいと思いません?」

 尻尾を丸めて項垂れる俺に満足し、花井さんはにこりといつもの笑顔で言った。飼い主がペットに首輪をつけるように俺の腕に腕を絡めて来る。もうそれを振り払うことは出来なかった。




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