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電話が鳴る(4/7)

2016.07.01.Fri.
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 俺と池田の共同生活が始まった。

 バイトは、以前の勤め先は遠くなったからと、駅の近くにある同じ系列のスーパーで面接を受け直して採用が決まった。勤め先まで変えさせてしまったのは申し訳なかったが、店長が嫌味な奴だったからかえって良かったと池田は嘘かほんとかわからない言葉で俺を気遣ってくれた。

 池田は家事のほとんどをやってくれた。早い時以外は、二人分の朝食を作り、夜は俺の帰宅時間に合わせて夕食を作って待っていてくれた。

 一週間もすればネタ切れになるほど料理のレパートリーは少なかったが、味付けは悪くなく、火の通り切れていない野菜がたまにある程度の失敗しかしない。

 高校時代は人並みにあったはずの食欲が今ではだいぶ細くなって池田は心配するほど少食だった。遠慮しているわけでもなく、長年の生活苦から自然と量が減ってしまったのかもしれない。

 たまに外でも食べた。とにかく精をつけさせるために肉系をメインに。緊張して咽喉を通らない初デートか、というくらい池田は食べない。

 それでも日に日に顔色はよくなっていくし、肉付きは相変らず薄いが不健康そうな雰囲気は薄れたように思う。

 表情も少し豊かになった。大口開けて笑い転げるまでには程遠いが、笑顔を見せるようになったし、自発的な会話も増えて来た。

 最初の月末、池田は銀行から4万おろして俺に渡してきた。生活費なのだそうだ。

「4万じゃ少ないのはわかってるんだけど、今の俺にはそれしか。いまは借金の返済まで手が回らないけど、バイト増やして返すようにする」

 つまりこの4万には借金返済が含まれていないというのだ。

「生活費は俺のお節介でやってることだから受け取らない。第一、池田をここへ呼んだ意味がなくなる。余裕があるならともかく、今は養育費もあって大変なんだから。返済も月3万が上限。これは返す」

 1万を池田に返した。池田は戸惑いながらも受け取った。

「いま行ってるスーパーの鮮魚コーナーが人手不足みたいで、そっちに入ってくれないかって言われてるんだ。俺にできるかわからないけど、迷ってる場合でもないし、来月からそっちで働く。生活費を入れないのはさすがに俺が困る。来月分からは給料も増えるし、少しは受け取って欲しい」
「そういうことなら貰う。でもきつい時は無理するなよ」

 池田はじっと俺の目を見つめた。

「どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 ギクリとなった内心を気取られないよう目を逸らしつつ「友達放っておけないだろ」とぶっきらぼうに答えた。

「ここまでしてもらって、どう恩返しすればいいかわからない」
「そんな必要ないよ。俺の自己満足なんだし」

 池田は俺の本心を探ろうとするようにしばらくじっと見ていたが、「わかった」と言って視線を外した。俺の顔は炙られたように熱くなっていた。

 理由なんて、お互い気付かないに越したことはないのだ。かつての親友を助けたい、それが大半だが、ひっくり返してみたら同じだけの好意が隠れているのが真実だ。

 池田がどんな姿になっても、結婚して子持ちだろうが、落ちぶれていようが、許せないと軽蔑されようが、いつまでも俺の初恋は尾を引いて人生に影響を与え続ける。きっと一生、この気持ちは消えることがないんだろう。



 池田と暮らし始めて最初の年末年始。二人とも休みがそろった貴重な数日。池田を誘って買い物へ行ったり、映画を見たり、洒落た店で食事をしたりした。大晦日には二人で蕎麦を食べながらバラエティ番組を見て、零時前には近所の小さな神社に初詣をしてきた。

 帰り道に実家に帰らないのかと尋ねてみた。家を出てから実家と連絡を取りあっていない、と池田は答えた。

 俺は専門家じゃないからわからないが、池田が鬱になってしまった原因が実兄の事故死だとしたら、それを思い出す場所には帰さないほうがいいのかもしれない。それきり、池田に実家の話はしなくなった。

 暦上では春になったある日、仕事から帰ると部屋が真っ暗だった。池田は18時までにはいつも帰宅しているのに。仕事が長引いているのだろうかと思いつつ、靴を脱いで中に入ると、いきなりパン! と乾いた音がして飛び上がった。

「誕生日おめでとう」

 池田がクラッカーを手に壁際に立っていた。悪戯が成功した子供みたいな顔をしている。

「驚かすなよ、心臓止まるかと思った」
「これ、プレゼント」

 小さな包みを渡された。

「ありがとう、よく覚えてたな」
「早生まれで、いつもプレゼントもらえないって嘆いてたから」

 そういえばそんなことを愚痴っていた気がする。小さい頃、みんなは仲のいい友達から誕生日を祝われていたのに、春休み真っ只中の3月生まれの俺の誕生日は忘れ去られてしまうのだ。

「開けていい?」
「どうぞ。たいしたものじゃないけど」

 と池田は不安そうに俺の手元をに目をやる。包装紙を破り、出て来た箱の蓋を開けるとシンプルな名刺入れが出て来た。

「いいじゃん、これ。すごい使いやすそう。今使ってるの、出しにくくってさ。いつもお客さんの前でもたついてて、新しいの買おうかなって思ってたんだ。まじで嬉しい。ありがとう。大事に使う」

 感激した。人からもらったプレゼントで一番嬉しかったかもしれない。池田はほっとした顔で「良かった」と笑みを浮かべた。

 その日の料理は豪華だった。勤め先のスーパーの惣菜も混ざっているらしいが、どれも美味しかったし、なにより池田の祝おうとしてくれる気持ちが嬉しかった。

 酒も進んだ。池田も口が軽くなって、絶え間なく喋り続けていると高校時代に戻ったような気になった。くだらない話で、たくさん笑って、いつまでもこの時間が続けばいいと思うほど、心地のいい空間だった。

「俺の他に、誰かからプレゼントはもらった?」

 ビールの缶をゆらゆら揺らしながら池田が言った。料理もほとんど平らげ、酒の残りも少なくなってそろそろお開きかという時間。

「誰からも」

 首を振って肩をすくめてみせた。

「付き合ってる人とかいないのか?」
「いないよ。一緒に住んでんだからわかるだろ」
「好きな子とか。仕事先に」
「いまはそういう暇ないし」
「俺は邪魔になってないか?」
「なってない。むしろ楽しいし助かってる面が大きい」

 プレゼントももらえるし、と名刺入れの入った箱を指でコンコンと叩いた。

 池田は缶を持ったまま目を伏せた。

「北村は、男が好きなのか?」

 一瞬で酔いが吹っ飛ぶ一言だった。豪速で剃刀のような切れ味を持つドストレートな質問。胃が持ちあがるのを感じて、俺はごくりと唾を飲みこんだ。

「え……」

 答える言葉が出て来ない。池田は目を伏せたまま続ける。

「卒業式の時に……もしかしたら、そういう意味じゃなかったのかもしれないけど……」

 ぶわっと毛穴が開いて汗が噴き出した。思い出さないようにしてきた俺のトラウマ。池田がなにも言わないから。許されていると思って。もしかしたら忘れたんじゃないかと、都合のいい希望を抱いて。俺もあの悪夢から逃れられたような気で過ごしていたのに。いきなり急所を突かれた。

「そういう意味じゃない!」

 気付いたら裏返った声で否定していた。

「いや、そういう……なんていうかな、あの時は、友情と愛情となんか、ごっちゃになってたっていうか。友達の好きを、恋愛の好きと混同してたっていうか。ぶっちゃけ、恋愛もちょっとは混じってたかもしれないけど、なんか、なんていうかな、そういう意味の好きっていうよりかは、卒業するけど、これからもよろしくなっていう意味の! 寂しかった……うん、寂しかったから、ちょっと言葉間違えちゃっただけで深い意味は全然!」

 酔いのせいじゃない熱が顔にあがってくる。俺の顔はいま真っ赤っかだろう。池田は窺うように上目遣いに俺を見ている。その目線に頭のなかが白熱する。俺のすべてを見透かされそうだ。借金の肩代わりも、この同居話も、全部、ただの親切心だけじゃないと。

 また池田に軽蔑される。その言葉を聞く前に逃げだしたい。

 実際に足が動きかけた時、池田の視線が俺から外れてテーブルへ落ちた。

「あの時、すごい驚いたから、北村に酷い言い方したなって、ずっと気になってたんだ」
「いいって。おかしなこと言い出したのは俺なんだから」
「卒業後に初めて北村に電話した時のこと、覚えてるか?」

 覚えている。忘れもしない午前4時42分。

「アドレス整理してたらって……」
「あの時、死のうと思ってたんだ。最後に誰かの声が聴きたくなって、アドレスで北村の名前を見つけた。卒業式のことがずっと気になってたから、死ぬなら謝ってからだと思って電話したんだ。結局謝れなかったけど」

 静かに息を飲んで池田の伏せられたままの顔を見た。

「なにかと口実つけて電話をしたけど、切りだし方もわからなくて。あの時の北村の言葉がどういう意味だったかはともかく、酷い言い方をしてごめん。隠されてた怒りとか、気付かなかったショックとか、そうだったのかっていう恥ずかしさとかで、テンパッて傷つけた。ごめん」

 こんな風に真剣に謝られると誤魔化そうとした俺はどう対応したらいいんだ。

「いやほんと、俺の言い方が悪かったんだって。池田が怒るのも無理ない。そんなことより、死のうとしてたって?」

 必死に話題を変える。事実、めちゃくちゃ気になるワードを何気なくぶっこまれて混乱に拍車をかけていたのだ。

「鬱だったって言っただろ」

 これ以上の理由があるかと言いたげに池田は言いきった。そして言い終わった。

「今はもうそんな気ないよな? 謝ったから、もう心置きなく、なんて」
「それはない」

 池田は苦笑した。

「北村にお金も返さないといけないし。それに気付いたら結婚して子供も生まれたし簡単に死ねない」

 半分ほっと安堵しつつ、なんとなく避けて来た話題を向こうから振って来たこの機を幸いに、俺は池田に尋ねてみた。

「別れた奥さんって、どんな人?」

 池田の心を射止め、子供まで産んだ女性。気にならないわけがない。

「同じ大学だった子。俺が鬱になったって知ったら心配して連絡してきて、いろいろ世話してくれた。兄貴のことを話したら、うちにおいでって誘われて、一緒に暮らしてるうちに彼女が妊娠した。責任を取るために結婚したけど、そんな甲斐性もないのに無責任だった。あの時は自分の生きる支えが出来たような気がしてたけど、逆に余計に追い込まれる結果になって、彼女は実家に帰った」
「そうだったんだ」

 元奥さんもこの状態の池田を放ってはおけなかったのだろう。きっと在学中から池田に好意を抱いていたのだ。俺とまったく同じ。

「子供には会ってる?」
「今はあまり。彼女の実家は近くないし、新しい彼氏が出来たらしくて、あんまり俺に会わせたくないみたい。事情はわかるから、俺も邪魔はしたくない」

 ビールの缶に口をつけ、池田はそれを煽った。すべてを飲みほしたのか、テーブルに置いた時の音は軽い。

「飲み過ぎたな。いま……もう一時半だ。そろそろ寝ないと」

 池田がテーブルの上の皿を片付け始める。俺も手持ちのビールを空にして手伝った。洗い物は明日にして寝ることにした。

 寝支度を済ませ、自分たちの部屋へ引っ込む。布団に入ったがなかなか寝付けそうになかった。

 今日は一度にいろんなことがありすぎた。サプライズの誕生パーティとプレゼント。俺の告白を覚えていたこと。男が好きなのかとド直球な質問。池田の自殺願望。過去の電話の真相。池田の元嫁と子供の話。全部を処理するのは一晩では難しそうだ。

 結局複雑な気持ちのまま、その日は朝まで眠れなかった。




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