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電話が鳴る(3/7)

2016.06.30.Thu.
第1話はこちら前話はこちら

 池田からの連絡を待ち続けていたら2年が経過していた。

 思い出すことも減っていたある日、例のごとく、池田は急に電話をしてきた。また会いたいと言う。あれから子供のために我慢して結婚生活を続けてきたが、やはり無理になったから、改めて友引を紹介して欲しい、そんなところだろう。

 そう思って前と同じ待ち合わせ場所で池田に会うと、「金を貸して欲しい」と頭を下げられた。

 思っていた内容と違った。しかも金の無心だった。財布から3万を池田に渡した。

「何に使うんだ?」
「子供の養育費」

 知らない間に離婚はしていたようだ。養育費すら払えないくらいだから、弁護士は入れずに夫婦で話し合ったのだろう。

「仕事はなにしてるか聞いていい?」
「色々。今月はまだ見つかってない」

 定職についていないから収入が安定しない。だから養育費も払えない。生活にも困窮している。離婚したのに元気が戻った様子もない。

「困ったことがあったらいつでも電話して」

 池田は黙って頷いた。

 それから数ヶ月後の仕事中、池田から電話がかかってきた。プライベートな電話だが、客もいないし、こっそり電話に出た。

『ごめん、また金を貸してくれないか』

 予感が当たったが、不思議と腹は立たなかった。

「緊急?」
『できれば今日中に貸してもらえると助かる』
「手持ちで5万ある。足りる?」
『足りる。ごめん』
「謝らなくていいよ。仕事ついでに行くから、今から一時間後、いつものところでいい?」
『わかった。行く』

 通話を切って携帯をポケットに仕舞った。

「金かしたの?」

 聞き耳を立てていたらしい同じ営業の先輩が声をかけてきた。

「少しですよ」

 パソコンを操作して、資料をコピー機へ転送する。コピー機が動きだした。

「暇だしポスティング行ってきます」
「口ぶりからして初めてじゃなさそうだな。女?」
「友人です」
「何度も金を貸してくれって言う奴とは縁切ったほうがいいぞ。そのうちでかい借金の保証人になってくれって言い出すから」
「大丈夫ですよ」

 トイレに行って同僚の声をシャットアウトした。俺だって大丈夫だとは思っていない。だけど池田のあんな様子を見たら放っておけない。

 用を足してトイレを出た。先輩の視線に気付かないふりをしながら出来上がったコピーを掴んで店を出た。少し離れた駐車場の車に乗り込み、待ち合わせ場所へ向かった。

 時間通りに池田はやってきた。相変らず覇気も生気も感じられない。服装もぼろいまま。離婚したのに何一つ改善されていない。

 5万の入った封筒を池田に渡した。

「すまない」

 池田は頭をさげて、それを受け取った。



 数週間後、池田から金を返したいと電話があった。いつでもいいと断ったのに、どうしてもと言うので仕事終わりに会うことにした。

「今はこれだけなんだけど」

 とS駅近くの居酒屋に入るなり、池田は2万を差し出してきた。今の池田には2万を捻出するのも大変なはずなのに。

「残りも必ず返すから」
「急がなくていいよ。それよりちゃんと食べてる?」
「借金を優先してるから、食費にまで回らない」
「だったらこれで食べろ」

 さっきの2万をテーブルの上に戻した。それを見て、池田はかすかに笑った。

「現金持ってたら借金取りに取られる」
「しゃっ……! 俺以外からも借りてるのか?」
「生活費が足りなくて、嫁が闇金から借金してた」
「闇金から借りちゃ駄目だろ」
「そういうところしか貸してくれなかったんだと思う」
「いくら?」
「90万くらいかな」

 数百万を想像してたからそれを下回る額にほっとした。金が足りないだけじゃなく、闇金なんてところで借金するほどだったとは。どうしてもっと早く言ってくれなかったのか。頼ってくれれば、いくらかは援助できたのに。

「なんで……、なにがあったんだよ、お前に」

 どうして溌剌として男らしかった池田が、見るも無残に変わってしまったんだ?

 俺の言わんとするところを察して、池田は目線を下げた。目にかかる長い前髪を指で払いながら口を開いた。

「大学に入ってすぐ、兄貴が事故で死んだんだ。兄貴は俺なんかより優秀で自慢の息子だったから、目に見えて落ち込んでる親を見てたら、何も言われなかったけど、俺が死ねばよかったのかなぁって生きてることが申し訳なくなってきたんだ」

「そんなことあるわけないだろ」

 怒りと共に声を吐きだした。

「だけど、何してても罪悪感があって、気が付いたら鬱になってた。大学辞めて、しばらく引きこもったあと家出て、今までなんとかやってきた」

 なんとかやれてないだろう! 胸を掻きむしりたい思いをしながらその言葉を飲みこんだ。池田からの電話を待つばかりだった自分を責めた。俺から電話してもっと詳しく近況を聞いていれば。

 この時になってようやく、夜中の4時42分に思い出したからと電話をしてきたり、たいした用事でもないのに急に電話をしてきた池田の情緒不安定ぶりを思い出した。思い返せば平坦な口調も内容も池田らしくなかったのに。あれも一種のSOSのサインだったかもしれない。

 それを見逃してしまっていた自分が不甲斐なくて腹立たしくて仕方がなかった。

「次の水曜日、会えるか?」
「早朝の品出しのバイトしてるから、それが終わってからなら」
「仕事は何時に終わる?」
「9時」
「じゃあ、10時半に。ゆっくり話がしたい」
「わかった」

 なんの話なのか、なぜなのか、なにも聞いてこない。ただ言われたことを飲みこんで頷くだけ。以前の池田なら決してありえないことだ。胸がキリキリと傷んだ。



 次の水曜、いつもの待ち合わせ場所で池田を車に乗せて、池田の家まで案内してもらった。到着したのは確実に築45年以上は経っていそうなボロアパートだ。全面畳張りで日焼けと擦り切れが激しい。天井の染みを見ると雨漏りもあるのかもしれない。

 カーテンが必要ないほど窓が薄暗いのは、隣に建物が近接しているせいだろう。日当たりが悪く、風通しも悪いのかじめっとしていて黴臭い。

 家具と呼べる家具すらない。あるのは布団と46Lの小型冷蔵庫のみ。壁際にはゴミの溜まった袋と小さな衣類の山。

 離婚をしたから嫁と子供の姿はなし。自分の家なのに、池田は所在無さげに立ち尽くしている。

「ここ家賃は?」
「3万5千円」

 早朝に品出しのバイトでは収入は多くはないだろう。養育費の支払いもある池田には大きい額だ。

 台所に調理器具らしきものは片手鍋1つ以外見当たらない。まだ引っ越してきたばかりなのかもしれないが、ただ単に池田の生活能力の低さを証明しているようにも見える。

「ちゃんと食べてる?」
「まあ」

 きっぱり肯定できるほどは食べていないということか。

「借用書はある?」
「……借金の?」

 そうだと頷けば池田はシンク下の引きだしを空け、いくつかある書類の中からひとつを持ってきた。

「毎月の返済は引き落とし? ちゃんと領収書もらってる?」
「引き落とす金が銀行に入ってない時は手渡しで、領収書は……」

 また引き出しをゴソゴソやって、池田は領収書を数枚見つけて来た。借用書と領収書を出す程度にはまともな闇金らしい。

「借金はこれだけ? 他からは借りてない?」

 池田が頷く。

「弁護士の知り合いがいるって話しただろ。ちょっとこれ見てもらってくるから池田はここで待ってて」

 池田は何か言いかけたけど、聞こえないふりをしてアパートを出た。車に乗り込み、カーナビに借用書に書かれた住所を入力する。20分の距離。アクセルを踏み込んだ。

 入り組んだ場所にあるビルに到着するまで30分かかった。レインボーローンと看板の掲げられた店舗のドアを押して入った。

 事務員らしい女性がにこやかに声をかけて来る。借用書を見せて、全額払いたい旨を伝えたら、事務員は「少々お待ちください」と奥の部屋へ引っ込んだ。

 奥から営業マンらしい男が出て来た。借用書を見せて同じことを伝えた。現在の正確な残債金額を出してもらい、全額返済した。ごねられることも、渋られることも、金額を上乗せされることもなかった。闇金と池田は言ったが、高利な街金と言った方が正しいようだ。

 領収書を受け取り、次、借金の取り立てがあれば弁護士と一緒に来ると宣言して店を出た。

 待ち合わせの前に銀行からおろした100万がほとんど消えてしまったが、いまの俺にはこれが最善の方法に思えた。

 アパートに戻り、借金を返してきたことを伝えると、池田は「えっ」と目を見開いた。

「なんで……」

 と言葉を詰まらせる。

「あげるんじゃない、貸すだけだ。利子も期日もないから俺から借りてるほうが楽だろ」
「……頼んでない」
「怒るのはもうちょっと待って。俺はまだ勝手をやるから」
「え?」
「この部屋は解約する。早く借金を返してもらわないといけないからな。今日からしばらくは俺の家に来い。4・5帖で狭いけど部屋が1つ空いてる。ここを引き払ったお金で毎月3万返してくれれば完済まで3年もかからない。池田がちゃんと仕事を見つけて収入が安定すれば、俺がいい物件見つけて来るから、それまでは俺の監視下に置かせてもらう。異存は認めない」

 一気に喋り終えた。最初はショックを受けたようにポカンと聞いていた池田だったが、最後には唇を締め直し、怒りを湛えた目で俺を睨むように見ていた。

「俺のことなのに。感謝はする、けど、勝手だ」
「だから勝手をやると言った。荷造りしよう」
「納得できない」
「今はしなくていい。文句もあとで聞く」

 棚もタンスもない部屋なので、荷造りと言っても床に落ちているものを拾い集めるだけで終わった。全部が入る鞄がないので、部屋の隅にあった紙袋が綺麗そうだったからそこに入れた。

 台所の流しの引き出しを開けると書類やら封書やらがごちゃごちゃと詰め込まれていた。その中にここの賃貸契約書も入っていた。全部を取り出して、それは俺が預かった。

「ほかに荷物は?」
「……ない」

 念のため押入れを開けてみたが、本当に何もなかった。

「行こう」

 促したが池田は動かず自分の足元を見ていた。俺からは背中しか見えない。池田が今どんな表情をしているのかわからない。

 勝手で傲慢な行為だとわかっているが、毎月利子しか返せていないような借金を抱えて、食事もろくに取らず、こんな陰気な場所に住む池田を置いてはいけなかった。

「ごめん。謝るから、一緒にきて欲しい」

 くるりと池田は振り返った。顔を俯けたまま、俺の横を通りすぎ、靴に足を入れた。その背中にもう一度「ごめん」と言ってから、先に外へ出た池田を追いかけて俺も部屋を出た。

 池田が鍵をかけるのを待って、アパートを離れた。近くの道路に停めておいた車に乗り込み、エンジンをかけた。

 池田は無言だった。表情こそいつもの淀んだ池のように静かで波紋一つ浮かんでいなかったが、内心では俺の勝手な行動に腹を立てているのだろう。当たり前だ。頼まれもしないのにお節介を焼いた。池田のプライドを傷つけた。友達の域を越えて、やり過ぎた行為だ。

 マンションへの道にハンドルを切りながらしばらく車を走らせていたら、隣から静かに息を吐きだす音が聞こえた。

「絶対に、返すから」

 何も映っていないような目を前方に向けながら池田がぽつりと言った。

「勝手なことしてごめん。どうしても放っておけなくて」
「謝るのは俺のほうだ。全額肩代わりしてもらったのに、怒る立場にない」
「いや、怒って当然だよ」
「時間はかかるかもしれないけど、ちゃんと返すから。しばらく、世話になります」
「いいって、そんなの」

 膝に手を置いて俺に頭を下げてきたから慌ててやめさせた。

 俺の知ってる池田は頑固なところがあって、自分が納得しないとうんと言わないような奴だった。自分で見て聞いて確かめないと気が済まない性格だったのに、いまは俺の言うがままに流されている。その変わりように胸が痛む。

 頭をあげた池田は、俺から顔を背けるように横を向いた。外の景色を見ているようで見ていないのだろうと、なんとなくわかった。俺に顔を見られたくないのだろう。俺も運転に集中して、マンションに近づくまで話しかけなかった。



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