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電話が鳴る(2/7)

2016.06.29.Wed.
<前話はこちら>

 結婚するという報告があってから池田から連絡はなかった。恐れていた結婚式の招待状も届かなかった。安堵する反面、呼ばれたかったことが少し悲しくもあった。やはりまだ俺のことを許せなくて友達とは思いたくないのだろう。

 ではなぜ電話をしてくるのか。年単位だから決して多いわけじゃない。池田がなにをしたいのかわからないままだった。

 結婚報告から一年が経過する頃、そろそろ電話がかかってくるような気がして電話が鳴るたびドキドキする日々を送っていたが、一年が経ち、二年が経過してもあの番号からの着信はなかった。

 そして三年目の春、忘れていた頃になって5度目の電話がかかってきた。

『会えるかな』

 久しぶり、と言い合ったあと、池田は前置きなしで切りだしてきた。

「えっ、会う?」
『相談したいことがある』

 何年も会っていなかった奴から相談なんて言われて楽観的でいられるほど俺も若くはなくなっていた。すぐさまトラブルだろうと思った。おそらく借金の申し込み。同じ確率で保証人。次に宗教か政治絡み。

「相談って?」

 恐る恐る探りを入れたが、『会った時に話す』と流されてしまった。

 きっと、絶対、百発百中、厄介事。仕事を理由にはぐらかして向こうが諦めるのを待つのが無難。そう思いつつ、俺の手はスケジュール帳を広げていた。

「平日になっちゃうけど。次の水曜なら、休みだよ」
『俺は大丈夫。待ち合わせはどこがいい?』
「どこがいいだろ。家まで行こうか? どこに住んでるの?」

 そういえば3年前に結婚するから引っ越しすると電話で言っていた。確か子供も授かっていたはず。今頃子供は2歳になるのか。池田に子供が。しかも、もう2歳。家に行けば、池田の結婚相手と子供にも会うかもしれない。

『今はN市だけど。来てもらうのは悪いからこっちが行くよ』

 相変らず抑揚のない声だったが、営業だから察することが出来た。ただの遠慮じゃなく、本気で家に来て欲しくないようだ。

「じゃあ、S駅は? そこならちょうど中間になるし、乗り替えにも便利だから。東口がいいかな」
『そこでいい。何時?』
「あ、じゃあ、13時?」
『わかった。じゃあまた水曜日に』

 通話の切れた画面を見ながらしばし呆然とした。池田と会う約束をしてしまった。何年ぶりだ? 指折り数えて10年。10年ぶりに、俺は振られて玉砕した池田に会うことになった。



 待ち合わせ場所には20分前についた。3年前に渡せなかった遅すぎる結婚祝いと出産祝いを持参した。

 第一声はなにがいいだろう。やっぱり久しぶり! だろうか。卒業式の告白なんか俺も忘れましたよって顔で? 馴れ馴れしすぎると思われないだろうか。まだ池田のことが好きだと思われないように、節度ある距離感が必要だ。

 色々シミュレーションしていたら約束の時間を過ぎていた。少しくらい遅れることもあるだろう。さらに10分が経った。もしかしたら池田は西口に行ってしまったか? 広い駅だから迷っているのかも。電話したほうがいいだろうか。

 そわそわしながら結局何もできずに無駄に10分消費した頃、トントンと肩を叩かれた。

「ごめん。遅れた」

 10年、電話で聞いていた池田の声。それが真後ろから聞こえる。ヒクッと咽喉が鳴った。一気に汗が噴き出した。俺はまだトラウマを克服できていなかったようだ。

 ゆっくり振り返って、俺はショックを受けた。

「…………池田?」

 こくりと頷いた池田は、俺の記憶とは別人だった。もっとがっしりして大人の男の体つきになっていると思っていたのに、俺より少し背は低く、肉付きも薄くてまだ少年のようだった。

 手入れされていないボサボサ頭で、目は落ちくぼんで頬はこけ、無精ひげもうっすら。水色のシャツはアイロンの存在を拒絶するように皺だらけで、チノパンは何年も穿き続けているのか裾が擦り切れていた。学生が履くようなスニーカーも同じような状態だった。

 俺の知っている池田は身なりに気を使うほうで、女子が回し飲みを嫌がらないほど清潔感のある男だった。快活で、よく笑う健康的な男だったのに、いま目の前にいる池田は覇気がなく、くすんだ目は死んだ魚のようだった。

「急に呼び出してごめん」

 電話と同じ、淡々として、抑揚のない声。無表情で、口をあまり動かさないからそんな声になってしまうのだと、会って初めて気が付いた。

 以前の池田ははきはき喋っていたし、表情も豊かで、目じりにできる笑い皺が俺は好きだった。皺は残っているが、いまの池田は年齢不詳の不審者のような風貌だ。

「いいよ。どうせ休みで予定もなかったし」

 待ち時間にたくさんした、かつての学友と久し振りに再会する社会人の振る舞い方のシミュレーションは忘却の彼方へ飛んで行った。とにかく今は、池田の変貌ぶりに受けたショックを悟られないようにすることに全神経を使った。

「立ち話もあれだし、どこか店に入ろうか」
「いい。すぐに話終わらせるから」
「実は俺、昼飯まだだなんだ。だから何か軽く食べたいなって」
「あぁ……じゃあ、北村の好きなところで」

 表情の変化に乏しい池田だったが、一瞬嫌そうに目を細めた。時間を取らせるなって意味か。俺と一緒が嫌なのか。昼飯くらい食ってこいという怒りか。

 俺の心臓はドッドッと早鐘を打つ。手汗も脇汗もびっしょりだ。

「このへん、営業でよく来るんだ。少し先においしい洋食屋さんがあって、物件紹介したお客さんにも勧めてるんだけど、こないだテレビの取材が来たらしくって、行列のできる店になっちゃったんだよね。前まではぎりぎり待たずに入れていい感じだったのに。この時間だとどうかな。一段落ついて案外すっと入れるかも。そうだといいけど。あ、池田は洋食好き?」

 テンパってベラベラと口を動かしながら振り返ったら、池田は3メートル後ろにいた。いつの間にか速足になっていたようだ。止まって池田を待つ。俯き加減で歩く池田は、さっきの俺の話なんか少しも聞いていなさそうだったが、隣に並ぶと足を止め、

「好きだよ」

 と俺を見上げて言った。

「あー、ほんと? 良かった。ハンバーグが一番おすすめなんだけど、裏メニューのチキンカレーも美味しいんだ。肉が柔らかくてほろっと口の中で崩れてさ、肉の甘みがカレーの辛さと相まって止まんなくなるんだよね。あれはほんとよく出来てて……」

 と俺はラジオのパーソナリティーかというくらい一人で喋り続けた。営業で鍛えられたどうでもいい世間話なら延々続けられるスキルのおかげだ。隣の池田は合いの手も入れてくれない。

 面と向かって「好きだよ」と池田に言われた時、不覚にも胸が高鳴った。洋食が好きかという問いの答えであって俺自身へ向けられた言葉でもないのに。

 卒業式の日に言って欲しかった言葉。夢なら自分の好きに改変できてもよさそうなのに、夢でさえ一度も言ってもらえることのなかった言葉だ。こんなタイミングで聞くことができるとは。10年経ったいまでも胸が騒いでしまう。

 目的の洋食屋は、心配していた行列はなく、意外にすんなり席につけた。チキンカレーは完売でハンバーグを頼んだ。

「池田は何にする?」
「俺はいい」

 昼飯は食べて来たのだろう。だけど、栄養が行き届いているのか心配になる体を見ていたらついお節介を焼きたくなってしまう。

「ここほんと美味しいから、お腹すいてなくても食べられるって。あ、このステーキも美味いよ。柔らかくってしつこさが残らないからこれにしたら? うん、これがいい。すいません、このステーキ一つ」

 勝手に店員に注文してメニューを閉じた。池田は無表情のまま黙って見ていた。

「あ、そうだ。忘れてた。遅くなっちゃったんだけど、これ、結婚祝いと出産祝い。まとめてでごめん」

 花の飾りがついた祝儀袋を池田の前に置いた。池田はそれにぼんやりと視線を移した。

「ありがとう」
「子供ってもう2歳くらい? 凄いな、池田、パパじゃん。おむつとか替えてんの?」
「相談があるんだけど」
「あ、言ってたね。何だろ。子供が大きくなってきたから新居探しとか? だったら俺の専門だから任せてよ。いい物件探すから」

 池田は祝儀袋を脇へよせると、顔をあげた。

「離婚するかもしれない。弁護士の知り合いがいたら紹介して欲しい」

 俺の営業スマイルが凍り付いた。大げさに作りあげた笑顔だったから、ゆっくり眉を下げ、ゆっくり頬の筋肉をおろして、落ち着かせていった。

「えっ、あ……、うん、り……そっか、そっかぁ……あー、子供のこととか……大変だもんな」

 神妙に。慎重に。意味深すぎないように。驚きつつ。残念そうに。友人の今後を心配するように。

「これは返す」

 池田は祝儀袋を俺のほうへ押しやった。

「いや、これは関係ないし」
「離婚するんだからもらえない」
「いいから、受け取れって!」

 つい声を荒げて池田につき返した。ムッとしたように池田の眉間が寄る。俺の気持ちなんて悟られちゃいけない。

「結婚出産祝いを、離婚するから渡さなくていいなんてなんないの。本当だったら3年前に渡してるはずのものなのに。どっちかって言ったら俺が悪いんだから池田は黙って受け取ればいいんだよ」

 不服そうに祝儀袋を睨んでいた池田だったが、最終的には「わかった」と祝儀袋を自分のほうへ引き寄せた。

 悟られちゃいけない。ちゃんと飯を食ってるのか? 金は足りてるのか? どっか具合が悪いんじゃないのか? なにがあった? まるで別人みたいになっているぞ。金がなくて生活に困ってるんじゃないのか? そんな心配をしているなんて、絶対悟られちゃいけないのだ。

 店員が料理を運んできた。本当においしいから! という一点ゴリ押しで、池田にも食べさせた。お腹が空いていなかったのか、食が細いのか、池田は仕方なくといった感じでちびりちびりステーキ肉を口へ運んでいた。

 食事中に仕事用の携帯電話が鳴った。池田に断り電話に出る。相手は先日物件巡りに連れて行った客で話が長くなりそうだから店の外へ出た。

 手付けの手続きの説明をしながら、窓から店内の池田を窺う。

 食への関心はおろか、生きることにすら無関心のような佇まいだ。生命力というものがまるで感じられない。吹けば魂が飛んで行ってしまいそうなほど頼りない。

 池田に一体何があったのか。夫婦仲がうまくいっていないから、夫婦の相性が悪いから、こんなにも弱っているのだろうか。

 電話が終わって店内に戻った。ポケットから手帳を出し、携帯のアドレスの番号を一つ書き写した。それを千切って池田に渡した。

「友引って奴。離婚も取り扱ってるから一度相談してみるといいよ」
「弁護士?」

 池田はメモから顔をあげた。

「うん。友引には、知り合いだから料金まけてやってって言っとく」
「ありがとう」

 弱弱しい笑みを浮かべる。もう何年も笑ってないんじゃないかと思うぎこちない表情筋の動き。俺の好きだった目尻の皺はない。池田の愛想笑いなんて見たくなかった。

 食事を終えると店を出た。喫茶店でもいい、どこかで落ち着いて話を聞きたいが、池田が嫌がるような気がして誘えないまま、「じゃあ」といつものように池田に切りあげられて、そのまま別れた。

 直後、友引に電話をして、池田という男から連絡があるかもしれないと伝えた。知り合い割引を約束させ、さらに何割かは俺が持つから親身になってやって欲しいとも伝えた。

『特別な人?』

 からかうでもない普通の口調に、俺は素直に「特別な人」と答えることが出来た。

 友引はゲイサイトで出会った数少ないゲイの知り合いだ。肉体関係はない。たまに遊びに行ったり、どちらかの家で宅飲みするだけの友達。

『任せとけ』

 と頼もしい言葉をもらって電話を切った。



 それからいくら待っても連絡はこなかった。池田からも、友引からも、なんの音沙汰もない。こちらから聞いて回るのは野次馬根性のような気がして遠慮してたら二ヶ月が経ってしまった。

 さすがに放置できなくなって友引に電話をしたら、池田と名乗る男から連絡はなかったと言う。もちろん事務所にも来ていない。

 他の弁護士にしたのかもしれない。金銭面で躊躇しているのかもしれない。そもそも、離婚自体、なくなったのかもしれない。子供のことを思えばそれが一番いいのだろう。だが池田にとっては? 魂の抜け殻のように枯れて痩せ細った池田にとっては、どうすることが最善なのだろう。俺はなにをしてやれるだろう。俺にできることはないのだろうか。なんでもいいから頼って欲しい。




泥中の蓮

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コメント
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お返事
nao様

初めまして、ありがとうございます!
色々なパターンで話を書いてたら、どれか1つくらい誰かに面白いと思ってもらえるんじゃないかと願いながら書いていたので本当にうれしいです!
電話の続きを今日も更新しますので、楽しんでいただけたら幸いでございます^^!

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