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遺作(2/2)

2015.12.07.Mon.
<前話はこちら>

 今日は雑誌の発売日だ。書店へ向かう足が重い。先に先生のお墓参りをしようか。雑誌を買ってからのほうがいいか。いや、自分が書いたものを目の前で読まれるのは先生が恥ずかしがるかもしれない。

 後回しにする理由をぐだぐだ考えていたら書店についてしまった。勇気が足りないまま、中に入って平積みされた雑誌を見つけた。先生の名前と、遺作という文字が大きく出た表紙。

 なかなか手が出せない僕の横で、サラリーマン風の男が簡単に一冊取ってレジに持って行った。

 いつまでもここに突っ立っていても仕方がない。僕も一冊買って店を出た。近くの公園のベンチで袋をあけた。追悼特集が組まれていて、僕が以前見たことのある先生の写真も掲載されていた。

 初めて会った頃より数年前に撮られただろう写真の先生は、カメラマンに言われて嫌々写真を撮らせたかのような仏頂面だ。鋭い眼差しと硬く閉じた唇は、頑固で冷たそうな印象を与えるが、実際会ってみたら優しくてその違いに驚いた。だけど同時に、すんなり僕を受け入れてくれたところは、母の言う通り、人への拘りがないのだろうと思った。

 僕が初めて先生を知ったのは、母が毎月買っている雑誌をなにげなく読んでみたことがきっかけだ。溜まるとまとめて廃品回収へ出しているのに、たまに号が抜けていることがあった。隠すように本棚の隅っこに固められた数冊を、なんとなく引っ張り出して読んでいたら、すっ飛んできた母に奪い取られた。

 あまりの慌てように驚いたが、ハードボイルドや推理小説にまじって官能小説が載っている雑誌を高校生の僕から隠そうとしたのだと思った。それとも、そんなものを読んでいる自分を恥じたのかも、と。

 だけど、そのあと母の口から語られたのは予想とは違う話だった。

 母は官能小説家である先生と、同じ大学に通っていたという。在学中から小説を投稿して雑誌に載ったことのある先生は大学ではちょっとした有名人で、言い寄る女の子も多かったそうだ。

 母もその例に漏れず、斜に構えた態度で皮肉好き、教授にも対等な態度を取る先生が、若い当時は魅力的に見えていたらしい。

 告白して来る子を拒まないという噂を聞いて、母もアタックしてみたら本当に付き合うことが出来た。俺と付き合えるだけで幸せだろうという先生の傲慢な態度も最初は良かったらしいが、二股三股は当たり前、手あたり次第に女の子と関係を持つ先生に嫉妬するのが疲れて三ヶ月で別れた。

 それでもまだ先生のことは好きで、結婚後も先生の書く小説だけは欠かさず読んでいたという。恋愛感情というより、若い頃の憧れと尊敬が強いと強調した。

 捨てずに数冊残しておいたのは、登場人物の名前に自分の名前が使われたから、先生の写真が掲載されているから、インタビューが載っているから、個人的に気に入った話が載っていたから、という理由からだったそうだ。

 母の青春時代の思い出は二人だけの秘密にすると約束して、僕は雑誌を読む許可を得た。

 先生の話はなるほど女に詳しくないと書けないなと思う描写に溢れていた。これを母が読んでいるのも、これを書いた人物と短い期間付き合っていたというのも、息子の立場上複雑な心境だったが、読み物としては面白くて、僕も先生の話が雑誌に掲載されていると必ず読むようになった。

 女の体や心情についての描写はもちろん、先生は相手の男の描写も手を抜かなかった。読んでいるだけで、男の肌の手触りや、その息遣いや体温を身近に感じるような生々しさがあった。いつの間にか僕は女を自分におきかえて読んでいた。

 時に激しく男を愛し、時に蹂躙され、時に狂うほどの快楽責めにあった。そんな自分を想像するとき、男の顔は、雑誌で見た先生の顔をしていた。僕は頭の中で、先生に抱かれ犯され続けていた。

 勇気を出してファンレターを送ってみたら雑誌の中で返事をもらえた。来る者を拒まないのは今もかわりがないようだった。会いに行って先生に抱かれた。男は初めてだという先生の困惑がかわいらしくて、優しい声と愛撫に感激した。

 小説の登場人物のように、日頃の妄想の通りに応えた。素晴らしい夜だった。

 先生の寝顔を横で眺めている時間は幸福そのものだった。昔から母親似だと言われてきたが、まさか同じ男を好きになるほどとは思わなかった。

 噂通りなら、先生は他に複数の女と付き合いがあるはずだった。僕とはただの好奇心、興味だけだとわかっていたから、先生の目が覚める前に姿を消した。

 その後、先生の癌が発見されるとわかっていたら、逃げたりしなかったのに。

 数年後、雑誌にYへの伝言を見つけた時、連絡をするかどうか悩みに悩んだ。イニシャルはYだが僕かどうかわからない。名乗り出て人違いだった場合、恥ずかしくて数日のたうちまわるだろう。

 数日悩んでやっと決心がついて編集部に連絡すると、阿部という人が先生の今の状況と居場所を教えてくれた。

 二度目に先生にお会いしたとき、病室のネームプレートがなければ先生とわからなかったかもしれない。やせ細り別人のようだった。僕が部屋に入ったのにもしばらく気付かず、寝ているのか起きているのかわからない眼差しで天井の一点を見つめていた。容体がかなり悪いのだとショックだった。

 そこで少し会話をした。遺産を僕に譲るという話も出た。もちろん断ったが、潤んだ先生の目を見て本気だとわかり、悲しくて思わず泣いてしまった。それまで会いに行かなかった自分を悔やんだ。

 別れ際、先生からもう会いに来てほしくないと言われた。

「癌がこっちにも転移してるんだ」

 と先生は自分の頭を指さした。言語障害と人格崩壊が始まるから、来てもらってもまともに相手を出来ないし、変わってしまった自分のせいで君を傷つけたくないからだと。嫌だと食い下がったが、最終的にはそんな自分を見られたくないという先生の意思を尊重することにした。

 かわりに阿部さんに、先生に何かあったら電話して欲しいと頼んだ。

 別れて17日後の夜、先生が息を引き取ったと阿部さんから連絡があった。

「どういう使い方でもいいから、これを雑誌に載せて欲しい」

 そう言い残すと、先生は眠るように旅立たれたのだそうだ。

 命をかけて仕上げた遺作。どんなに悲しくても僕には読む義務がある。鞄から先生が生前愛用していた万年筆を取り出した。阿部さんに頼んで譲ってもらった。これを持っていると、先生と一緒にいられる気がする。

 ページ一面に拡大された仏頂面の先生の写真を見ていたら泣いてしまいそうになる。本当はとても柔和に笑う人なのにその写真が残っていないのが残念だ。

 簡単にまとめられた先生の一生と、これまでの作品一覧のあと、先生の最後の作品が始まった。


『ファンレター

 大衆向けの雑誌に官能小説なぞを書き、それを生業としている私のもとに、毎月、わずかではあるが、ファンレターというものがくる。

 今日も編集者が3通、昨日脱稿した原稿と引き換えに置いて行った。その中の一通に目を引くものがあった。……』





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