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亀の恩返し(1/2)

2015.08.11.Tue.
 仕事からの帰りのことだ。道の真ん中で亀が歩いていた。おもちゃなんかじゃない。本物の亀だ。結構でかい。20センチは越えている。近づくと亀は方向をかえた。

 前方から車が走ってくるのが見えた。このままだと亀は轢かれてしまう。しかたなく両手で掴みあげた。思っていたより重たい。

 亀を持ったまま少し先の河川敷まで行きそこで放した。草の根をわけてズンズン行く亀は一度俺を振り返ると、まるでお礼でもするみたいに頭をさげた――ように見える仕草のあと、亀は雑草の中へ消えた。

 これで轢き殺されることはないだろう。

「恩返し、頼むぞ」

 浦島太郎の気分で呟いて俺も家に帰ることにした。



 亀を助けてやったことなんか忘れかけていた数日後、部屋でテレビを見ていたらチャイムが鳴った。モニターを見ると俯き加減の男が立っている。知らない奴だ。なにかの勧誘だったら面倒だなと思いつつ扉を開けた。

「夜分にすみません。隣に越してきました亀山といいます」

 のしのかかった箱を俺に向かって差出しながら、20歳前後に見える男は深々と頭を下げた。

「わざわざすいません」

 単身向けのマンションなのに挨拶に来るなんていまどき律儀な青年だ。しかも、近くで見ると俺好みの男だ。緑のTシャツを着て、手入れを怠ったボサボサ頭と、黒縁眼鏡。俺はこういうもさい男が大好きなのだ。

「あ、俺は吾妻です」
「これからよろしくお願いします、吾妻さん」

 亀山くんが右手を出してきた。それをおずおず握り返す。だって握手なんて滅多にしたことないから。亀山くんにぎゅっと強く握られて、おじさんの心はキュンとなった。



 翌日、亀山くんが夕飯のお裾分けだと言っておかずを持って来てくれた。ちょうど夕食前だったのでありがたく頂戴した。

 その数日後、人にたくさんもらったからと梨を持ってきた。初物だ。しかも好物だ。それもありがたく頂戴した。

 そのまた数日後、くじ引きで当たったが下戸なのでもらって下さいと酒を持ってきた。幻の酒と言われている銘酒だ。一度は遠慮したが是非にと言うのでやっぱりありがたく頂戴した。

 そのまた数日後、実家からお肉が送られてきたので一緒に焼肉しませんかと誘われた。さすがの俺もここまで貢がれているとなにか裏があるのではと疑い出した。

 あとになって法外な代金を請求されるのだろうか。それともなんだ、赤毛連盟のように留守にさせた間に悪事を働くつもりか。三階の真ん中に位置する俺の部屋からどこへ行こうと言うんだ。それはさすがに現実味がなさすぎる。

 しかし自分の家をあけるのは怖かったので「俺の部屋でやりませんか」と誘ってみたら「いいんですか?」とむしろ乗り気の態度で承諾された。

 俺が部屋を片付けている間に、亀山くんはホットプレートと具材の全てを運び入れた。実家から送られてきたという肉は化粧箱に入った見るからに上等そうなものだ。こんなものをただの隣人と分けようと考えるだろうか。また不安になってきた。

 亀山くんが肉と野菜をプレートに並べ始めた。下戸らしいので亀山くんにはお茶を用意し、自分はこの前もらった日本酒を卓に置いた。再度礼を言ってから乾杯をした。

 肉はとろけるような食感で、いやらしくて確かめにくいがA5ランクだろうと思われた。野菜も味が濃く、そこらのスーパーで安売りされているものとは思えなかった。

 食べれば食べるほど、亀山くんがなぜここまで俺にしてくれるのかわからなくなってしまう。

 ただの隣人というだけの俺になぜ。確かに最近は世間話なんかもするようにはなったけれど。

 わけのわからない不安から酒がすすんだ。自分でも酔っぱらっていると自覚するほどに飲んだ頃、亀山くんが初めて会ったときと同じ服装なことに気付いた。緑のTシャツ。あの日は気付かなかったが、左胸のところに小さな亀の絵がプリントされていた。思わず笑ってしまった。

「どうしました?」

 亀山くんが箸をとめて、いきなり笑い出した俺を見る。

「いや、亀山くんが、亀のTシャツを着てると思って」
「あぁ。僕は亀ですから」

 とプリントされた亀を触る。ふと、先日、亀を助けた記憶が甦った。

「実は少し前に亀を助けたことがあるんだ。恩返ししてくれって放したんだけど、もしかして亀山くんがその亀だったりして。恩返ししに来てくれたの?」

 亀山くんは正座して居住まいを正すと、床に手をついて頭をさげてきた。

「吾妻さんのおっしゃる通りです。恩返しに参りました」

 俺の冗談に乗ってくれたのだと思った。

「わぁ、ほんと? 竜宮城に連れてってくれるの?」
「竜宮城は無理ですが、吾妻さんになにかお礼をしたいと考えています」
「もう充分もらったけど」
「いえ、不十分です。隣に来てからどんなお礼がいいか考えていましたが、吾妻さんはなんでも喜んで下さるので、逆に何が良いかわからなくなってしまいました」
「ちょっと、亀山くん、冗談だって」
「なにが冗談なのでしょうか?」

 亀山くんは首を傾げた。それはもう真剣な顔で。

「冗談……じゃ、ないの?」
「僕は冗談が苦手です」

 ほんとに短い付き合いだが、亀山くんが冗談を言わない真面目な青年であることはなんとなくわかった。俺が自虐ネタを言ったときも、いちいち否定したり励ましてくれたりするようないい子なのだ。そんな亀山くんが俺の冗談に乗るわけがない。

「ほんとに、あの時の亀なの?」
「間違いありません。安全な河川敷に放してくれました。あの時は本当にありがとうございました。おかげで無傷ですみました」
「……嘘……え……」
「嘘ではありません。あの日から貴方の事が忘れられませんでした。恩返しはただの口実なのかもしれません。僕は貴方のことが好きになってしまいました」

 さらに驚愕の事実を告げられ、俺はもう、なにも考えられなくなってしまった。これは夢だ。夢に違いない。現実に亀が恩返しにくるなんてありえない。20歳前後の若い子が、30代半ばのおじさんを好きになるなんて。これはもう絶対に夢だ。

 夢なら何を言っても罪にはならないだろう。俺は開き直って亀山くんに言った。

「俺も、初めて見た時から君のことが好きだった」




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