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支配人(2/3)

2014.10.26.Sun.
<前話はこちら>

 翌日、支配人室へ行って新しい制服を受け取った。ワイシャツにベスト、クロスタイが今日から僕の新しい制服だ。
 更衣室で着替えていると「ホールでミスしても、もう厨房には入れてやらないからな」と三井さんに言われた。彼なりの餞別なのだと思って頭を下げておいた。
 休憩室でホールの子たちが固まって話をしていた。その中に木原さんもいた。まだ二十代後半の年下の彼女が頼もしく思える。

「よろしくお願いします」

 ホールの子たちに頭をさげると、みんな遠慮がちな笑顔で「よろしくお願いします」と挨拶を返してくれた。
 諸井さんから、仕事は木原さんに教えてもらうように、と言われていたので、今日は一日木原さんにつきっきりでホールの仕事を教わった。
 覚えることがたくさんある。気を付けねばならないこともたくさんある。一つに夢中にならず、常に店全体を把握しておく必要がある。
 盗み聞きはしない、しかし客の声に耳を傾けておかなければならない。走ってはいけない、しかし客を待たせてもいけない。

 木原さんは慣れたもので、そのすべてを同時に、ほぼ完ぺきにこなしていた。
 皿をさげに行ったと思ったら、その途中でお客さんの呟いた声を拾って、炭酸水を持って行ったり、新しいナプキンと交換したりしていた。
 僕に仕事を教えながらそれをやるのだからすごいと素直に感心する。
 ここまでになるにはいったいどれほどの時間と経験が必要なのだろう。

 ホールは厨房とはまた違った忙しさだった。こちらのほうが神経を使うが、時間の速さは倍だった。あっという間に休憩時間になり、あっという間に閉店時間になっていた。
 このあとカラオケに行くという木原さんたちのタフさに舌を巻きながら、一緒にどうですかとの誘いは断って帰宅した。
 お風呂は明日にして、初日はすぐに眠った。

 二日目からも同じように慌ただしい一日だった。少しずつ仕事を覚えていく。失敗しそうになると木原さんと諸井さんがフォローしてくれた。少しずつ慣れていく。任される仕事が増えて来る。木原さんと諸井さんが僕から離れていく。不安になるが、一人で出来ると自信がついて、それが余裕に繋がり、店全体に目を向けられるようになった。

「だから言ったんですよ。小泉さんは絶対ホール向きだって。もうベテランみたですよ」

 休憩時間が一緒になった時、木原さんが言ってくれた。

「僕なんてまだまだ」
「そんなことないですよ。小泉さんは支配人と違うダンディさがありますから。支配人はちょっと謎な感じで、小泉さんは人を安心させる優しさが溢れてますよ」
「私は優しくないって言うんですか」

 いきなり第三者の声が会話に入ってきた。

「支配人! 盗み聞きしないで下さいよ」
「木原さんの声が大きいんです。小泉さん、すみませんが、私の部屋に来てくれませんか」

 木原さんに目で断りを入れ支配人室へ向かった。
 諸井さんは今日も机に腰掛けた。

「だいぶ慣れたようですね」
「まだ、全然です」
「期待以上でしたよ。自信を持って下さい」
「ありがとうございます」
「実は明日、オーナーのお嬢さんが来店されるんです」
「聞いています」

 明日は定休日だ。しかしオーナーの一人娘がこの店を貸し切って食事をしに来るらしい。なんでも恋人を連れて。将来の夫ではないかともっぱらの噂だ。

「申し訳ないのですが、明日、用事がなければ出勤して頂けませんか」
「僕は構いませんが」
「私はお嬢さんを、小泉さんはお連れ様の給仕をお願いします」
「わかりました」
「ではよろしく頼みます」

 一礼して支配人室を出た。

※※※

 いつもより小規模な開店準備が終わり、僕たちはオーナーのお嬢さんが来るのを待っていた。

「今日も自転車ですか」

 今日はクロークがいないので僕と諸井さんが受付に立った。仕込みの終わった三井さんは厨房にいる。

「はい。健康にもいいですよ」
「そうですか。今日のお礼に送らせて頂こうと思っていたんですが。あ、きちんと休日手当込みでお給料は出ますので」
「諸井さんはご結婚はされてるんですか?」
「私に興味を持ってくれたんですか?」
「木原さんたちが支配人の私生活は謎すぎるって話してましたよ」
「小泉さんだって謎が多いでしょう」
「僕に謎なんてないですよ」
「そうですか。私はあなたのことにとても興味があります」

 じっと目を見つめられた。纏わりつくような視線で少し息苦しさを感じる。目を逸らせない不思議な力があった。

「お見えになられたようです」

 諸井さんの目が店の出入り口へ向けられほっとする。ガラスの嵌った木製の扉に、白い服が近づいてくるのが見えた。
 諸井さんが扉を開けながら「お待ちしておりました」と頭を下げる。僕も少し離れた場所からお辞儀をした。

「今日は私のためにすみません」

 若い女性の声。下げた視線の先に白いハイヒールが見える。

「オーナーから伺っております」

 諸井さんの声を聞いて頭をあげた。二十代前半の若く綺麗な女性だった。その後ろで店の内装を見ている連れを見て声をあげそうになった。
 ハッとした表情を怪訝に思われたのだろう。お嬢さんが僕に視線を移し、小さく首を傾げた。
 僕は二人から隠れるように諸井さんの影に入り込み、顔を伏せた。

「こちらは立橋基樹さんです。今日はよろしくお願いします」

 お嬢さんが後ろにいる基樹くんを紹介する。僕は深く頭を下げて顔を隠した。

「よろしくお願いします」

 久しぶりに聞く基樹くんの声に、体が震えた。

※※※

 基樹くんはまだ僕には気付いていないようだった。今日は店の照明を絞っているし、まさか自分の椅子をひいたウエイターが僕だとも思わないから振り返りもしないで、目の前のお嬢さんだけを見ている。
 前日に聞いた話ではお嬢さんは恋人を連れて来るということだった。では基樹くんがその恋人ということになる。

 基樹くんの恋人。西浦くんからの伝言で結婚すると聞いた。この女性と結婚するということだろうか。ほかに誰がいる。心のどこかで嘘だと思っていた。何かの間違いだと。基樹くんは結婚なんかしないと。
 まだ自分のことを好きでいてくれるんじゃないかと、そんな身勝手な可能性に縋り付いていた自分が滑稽だった。

 僕がいなくなったあと、基樹くんは見合いをして、結婚まで話が進んでいるじゃないか。あんなに僕を情熱的に口説いてきたくせに、いなくなったらなったでずいぶんあっさりしたものだ。
 僕に責める資格などないとわかっていても、仲睦まじい二人を見せつけられて平静でいられるほど僕はまだ基樹くんを吹っ切れていない。

 お嬢さんは恋人の誕生日を祝いたいからとケーキもご所望されていた。だが基樹くんの誕生日は今日じゃない。来週だ。恋人なのに、そんなことも知らないのかと張り合う気持ちが芽生える。

 前菜を運んだとき、二人の会話が聞こえた。

「次はちゃんと誕生日にお祝いさせて下さいね。今年はお仕事だから仕方ないけど」
「すみません」
「パパが男は女より仕事だって。もうそういう時代じゃないと思うんだけど」

 お嬢さんは唇を尖らせた。それを見て基樹くんがクスリと笑う。
 僕以外の誰かに笑い掛けないで。
 急にわけのわからない震えが走ってお皿を取り落した。ほんの2、3㎝ほどの高さではあったが、耳障りな音を立ててしまった。

「失礼しました」

 慌てて詫びた。

「いえ」

 穏やかに笑いながら基樹くんが僕をみあげる。ウエイターが誰かわかり、ハッと息を飲んだと思ったら、基樹くんは僕の腕を掴んだ。

「悠さん……!」

 懐かしい呼ばれ方に胸が痛いほど締め付けられた。体から力が抜けてその場にへたり込んでしまいそうだ。

「お知り合い?」

 お嬢さんに声をかけられて基樹くんの力が緩んだ。その隙に腕を振り払い、二人に頭を下げてテーブルを離れた。
 基樹くんの熱のこもった視線に串刺しにされる。胸が痛い。掴まれた腕が痛い。悠さんと呼ばれただけで腰が痺れて膝が震える。
 僕は厨房に逃げ込んだ。そのあとを諸井さんが追いかけてきた。

「大丈夫ですか」
「すみません…僕にはもう無理です」
「あのお客様とお知り合いですか」
「はい、いえ、あの…」
「無理には聞きません。私一人で大丈夫ですから、あなたはもう休んでいなさい。勝手に帰らないで。私の部屋で待っているように」
「はい。すみません…」

 休憩室に移動してベンチに座り込んだ。口を押えた。でないと何か叫んでしまいそうで。
 無意識に僕は基樹くんに掴まれた腕を握りしめていた。基樹くんの手に自分の手を重ねるように。その熱を取り戻すように。
 もう僕のものではないのに。

「うっ…」

 堪えきれずに嗚咽が漏れる。勝手に溢れて来る涙が僕の手を濡らした。



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