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支配人(1/3)

2014.10.25.Sat.
※NTR耐性のない方にはお勧めできない内容です。

<第一話(旦那さん)はこちら>
<第二話(元旦那さん)はこちら>
<第三話(元上司)はこちら>
<第四話(隣人)はこちら>


 色んなものがオートメーション化している時代、レストランの皿洗いもそうだと思っていたがこの店は違った。
 飲食業界で働くのはこれが初めてだった。元の業種に復帰したくて、またその経験と知識が自分の強みだと思って仕事を探してきたが、年齢の問題で面接さえしてもらえず、料理は得意と言っていいだろうと飲食業界へかえてみた結果、意外にすんなり面接に通ったかと思ったら、最初の仕事は皿洗いだった。
 もちろんいきなり包丁を握らせてもらえるとは思っていなかったが、昼過ぎに来てから閉店までずっと皿を洗い続ける日がもう一ヶ月近く続いている。

 手がガサガサに荒れてところどころ切れていた。
 休憩時間に奥の控室でハンドクリームを塗っていると、ホール係りの木原さんに「ゴム手袋して洗えばいいじゃないですか」と言われた。

「素手じゃないと微妙な汚れがわからないからって」
「三井さんでしょ。あの人、新人いびり大好きな人ですから。いつも偉そうで嫌いなんですよね、私」

 としかめっ面を作る。
 三井さんはこのレストランのシェフだ。二十代の頃に海外で修業をし、日本に戻って有名ホテルで働いていたところをオーナーにスカウトされたらしい。
 自信にあふれた立ち居振る舞いは、確かにときに傲慢に見える。

「小泉さんの手って綺麗ですよね」
「こんなに荒れているのに?」

 苦笑いで返すと、

「今まで重労働とは無関係だったって感じの手。物腰も柔らかで厨房よりホールのほうが向いてますよ。女の子みんな私と同じ意見で、ずっと支配人にも言ってるんですけどね」

 それは知らなかった。四十過ぎのおじさんが皿洗いでこき使われている姿が惨めで同情してくれているのだろう。
 ありがとう、と礼を言って、まかないのパスタに手をつける。

 雑誌やテレビで紹介されるだけあってとても美味しい。ぜひ作り方を覚えて基樹くんにも食べさせてあげたい…と考えている自分に気付いて苦笑した。いつまでも未練たらしいことこの上ない。
 基樹くんは結婚するのだし、もう彼のことは忘れよう。それに僕には彼を想う資格もないじゃないか。あんなに酷い裏切り行為をしておいて。
 カチャリ、とフォークを下ろした。労働のあとでお腹もすいていたのに食欲が失せていた。

 基樹くんは結婚する。
 相手は誰だろう。
 お母さんから見合いを勧められていた。その相手だろうか。僕がいなくなったあとに見合いをして、相手の女性を気に入ったのだろうか。
 確か基樹くんはゲイだと言っていなかっただろうか。ゲイは女性を好きにならないんじゃなかったか。それほど見合い相手は魅力的だったということだろうか。
 悶々と考え込んでいることに気付いて軽く頭を振った。もう考えるな。思い出すな。考えたって仕方ないんだから。

 桜庭さんとホテルで別れてすぐ、携帯電話の電源を切った。その日はカプセルホテルに泊まり、翌日には今のアパートの賃貸契約書にサインをして、その足で携帯ショップへ行って新しい携帯電話の契約をした。古い携帯の電源を入れたことはない。充電もしていないからバッテリーも切れているだろう。

 きっと基樹くんからたくさん電話がかかっていたに違いない。メールも相当数きていたはずだ。
 その一つでも見てしまうと心が揺れる。だから電源は切ったまま、アパートの流しの下に隠した。思い出さないために。未練を断ち切るために。
 しかしふとすると基樹くんのことを考えてしまっている。もうすぐ基樹くんの誕生日だった。初めて一緒に迎えるはずだった誕生日。何を作ろう、なにをプレゼントしようとあれほど考えていたのに。

 また彼のことで頭がいっぱいになっている。自己嫌悪に顔をしかめながら、急いでパスタを胃に収めた。
 厨房に戻って自分が使った食器を洗う。僕の次に新人の男の子とかわって、今日も閉店時間までずっと食器を洗っていた。
 最後の客が帰り、閉店後の掃除が終わるともう日付がかわっている。ずっと立ちっぱなしでいることには慣れてきたが、足がむくんでだるいのは最初の頃とかわらない。
 休憩用のベンチに腰掛けハンドクリームを塗る。

「小泉さんはまだいますか?」

 休憩室に支配人の諸井さんが顔を出した。

「ここにいます」

 ハンドクリームを置いてベンチから立ち上がった。

「あぁ、良かった。お話があります」

 こういう前置きをされるとどきっとしてしまう。まさかクビにされるのだろうか。

「少しお時間、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「ではこちらへ」

 諸井さんのあとをついて支配人室に移動した。机と棚に囲まれた手狭な部屋だが、個人にあてがわれているのは諸井さんだけだ。
 入ってすぐのソファに座るよう勧められ、腰を下ろした。
 諸井さんはまだ仕事用の黒いスーツのままだった。年齢は僕より少し上くらい。髪をぴたりと後ろへ撫でつけて隙がない。

「仕事が終わってお疲れのところ申し訳ない」
「いえ。そんな」
「今日も自転車で来たんですか?」
「はい、二十分ほどで着くので」
「明日の出勤が電車でもよければ今日は私の車で送らせてもらいますよ」
「自転車で帰りますから」
「体力仕事でお疲れでしょう」

 諸井さんは僕のほうを見ながら奥の机に腰かけた。
 ホールの状況を誰より把握して的確な指示をするいつも冷静な諸井さんは、接客態度も丁寧でこれぞプロというのを地でいく人だ。そんな人が机に座るのを見るのと、仕事と私生活は別だと当たり前のことに気付かされる。

「そうですね、まだ不慣れなことが多くて…みなさんの足を引っ張ってしまっています」
「一ヶ月のあいだ、小泉さんの働きぶりを見させてもらいました」

 と少し間を取る。僕は緊張しながら次の言葉を待った。

「ホールの女の子たちがみんな口を揃えて言うんですよ。小泉さんは絶対厨房よりホール向きだって」

 そういえば今日、木原さんに言われたっけ。

「面接のときは厨房希望でしたが、どうでしょう、ホールでやってみませんか?」
「僕がですか? いや…接客の経験がないので…いまよりご迷惑をかけてしまうと思うのですが…」
「私もあなたはホールに向いていると思いますよ。いまうちは副支配人がいないのですが、いずれあなたには副支配人になって私の手助けをして頂きたいと思っています」
「僕が…?! 無理です、それは…向いていません」
「まぁまぁ。いきなりなれというわけじゃありません。しばらくホールで慣れてもらってから、改めて審査させてもらいます。ホールの仕事は嫌ですか?」

 と僕に向かって微笑む。この決して本心を見せない笑顔は、二十人以上いるスタッフをうまくまとめているだけあって、さすがだなと思う。

「嫌というわけでは…ただ、不慣れなものがいると皆さんの足をひっぱってご迷惑になると思って」
「みんな初めはそうですよ。厨房を取り仕切っている三井くんだって、最初のころに大きな発注ミスをして店を開けられなかったことがあるんですから」
「そんなことが?」
「ええ。他店に頭をさげてまわって、なんとか開店できました。今じゃ、そんなこと忘れたような顔をしていますがね」

 歯を見せずに口角を持ち上げるだけの薄い笑みだが、悪戯っぽい目で人に親近感を抱かせる。接客業で身についたものか、生まれもったものか。
 この諸井さんの目や態度のせいだろう。僕はまったく自信がないのに「やってみます」と頷いてしまった。

「では明日から。制服は支給しますので、明日の朝、ここに取りに来てください。」

 諸井さんが机から腰をあげたので僕もソファから立ち上がった。

「失礼」

 と諸井さんは僕の腰を両端から掴んだ。

「えっ、あの」

 今度は腕を掴んで広げるように左右に持ち上げる。胸と背中を挟むように手をあて、首回りに指を這わせた。

「あの…」
「サイズはМで大丈夫そうですね」
「今のでわかったんですか?」
「見ればわかることですよ」
「えっ…」

 くすっと諸井さんが笑った。からかわれたのだと気付いて、顔が熱くなった。

「あなたは少し真面目すぎるようですね」
「かもしれません」
「顔が赤い」

 諸井さんの手が僕の頬を包み込む。僕と違って荒れていない、しなかやな手だ。

「やっぱり今日はお宅まで送りますよ」
「いえ、すぐそこですので。諸井さんもお疲れですし」
「真面目で、その上頑固だ」

 ふいに既視感が僕を襲った。落ち着かない気分になり、諸井さんから目を逸らした。

「では今日はこれで。明日からよろしくお願いしますよ」
「はい、失礼します」

 支配人室を出た。鞄を取りに休憩室に戻ると、木原さんが「支配人はなんて?」と詰め寄って来た。

「明日からホールだって」
「やったぁ! 明日からよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」

 皿洗いをしていたこの一ヶ月、厨房のスタッフが僕に声をかけてくれたのは仕事の指示をするときだけ。それも罵声や嫌味混じりで、とても親睦を深める雰囲気じゃなかった。
 ホールの子たちは若い子が多いせいか、仕事が終わっても和気藹々としていた。本当は少し羨ましかった。
 初めての接客で不安でたまらないが、悪いことばかりじゃないはずだ。
 木原さんの笑顔を見ていたら、少しだけ気持ちが楽になった。


完璧な恋人

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コメント
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お返事
つきみさん

出発地点が「昼下がりの団地妻」だったので呼び方は奥さんならぬ「旦那さん」というのはもうこれこそまさに原点でした。
近所の高校生に邪魔されたら、次は偶然の再会がお約束、そして立ちふさがる婚約者っぽい存在、そんなとき親身になってくれる身近な上司…昭和~。いつの時代にも通用するのが王道なんですね。

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お返事
つきみさん

ワインw家庭の中にいたからこそ女性的な色香が身についてしまったのかもしれないですね。団地妻は押しに弱いのです。駄目と思いつつ反応してしまうのが理想の団地妻です。
最後はちょっと立橋甘すぎるだろという感じではあるんですが、出せなかった「立橋実はいいとこの次男坊」という裏設定があるので、器のでかい男だったんだということにしておきます。もうちょっと個々の話のなかで立橋と絡ませればよかったなと今頃思っても仕方ないので、今後の創作に活かしたいです!
以前、長編小説で、と言ってもらわなければ書いていなかったと思います。ありがとうございました^^

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