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すばらしい日々(2/3)

2014.09.04.Thu.
<前話はこちら>

 俺が別れを告げた直後に聞いた英一の声はかすかに震えていた。そりゃそうだ。嫁と別れてお前と一緒になると愛を囁いていた男から、急に別れようと言われたのだから。
 よりにもよって、どうしてこのタイミングなのだろう。
 携帯の受信フォルダに新しいメールがないか何度も確かめた。今朝、嫁から届いたメールを最後に一通もきていない。センターに問い合わせても結果は同じ。

 誰もいない社の屋上で声に出してため息をついた。ため息というより唸り声に近かった。
 夢じゃないか。何かの間違いじゃないか。
 もう一度嫁からのメールを読んでみる。

『嬉しいお知らせがあります。さて、なんでしょう?ドキドキ?!実は…私たちに新しい家族が出来ました!ジャーン!!さっき病院に行ってちゃんと赤ちゃんがいますって確認してもらったよ!この前、あなたに会いに行った時の子だね。私が寂しがってるから神様が授けてくれたのかな?仕事は続けられるだけ続けて、あとはお母さんに来てもらうからあなたは心配しないでね。また報告しまーす』

 何回読んでも「嘘」だとも「冗談」だとも書いていない。嫁が妊娠したのは間違いないようだ。
 確かに嫁が会いに来たあの五日間、毎日セックスした。子供が出来たら、と俺が外に出そうとすると、大丈夫だから、と嫁は中に出すことを促した。最初から子供欲しさに来たのかもしれない。

 女の勘は鋭いという。もしかしたら俺の浮気を疑って来たのかもしれない。遠く離れた暮らしに不安になって、俺を繋ぐために計画的に妊娠した可能性だって考えられる。
 自分の子供が出来たというのに、その知らせを聞いて喜べなかった。動揺してパニックになって、嫁になんとメールを返していいかわからずほったらかしのままだ。

 最初に考えたのは英一のことだった。そんな自分に嫌気がさした。最低な父親だと思った。最低な男だと思った。
 足元がぐらついた。心の底から英一を求めていたが、男としての責任がそれを引き留めた。生まれてくる子供のためを思うと、選択肢は一つしかなかった。だから英一と別れることにした。

 どうしてこのタイミングなのだろう。英一のことが好きだと自覚した途端、嫁との離婚を決めた途端の妊娠。
 嫁を裏切り、男にうつつをぬかしていた俺への天罰に思えた。


 お義母さんが来るからといって放っておくわけにもいかず、次の休みに久しぶりの我が家へ帰った。赴任前と少しインテリアがかわっていて他人の家のように感じる。
 嫁が嬉しそうに母子手帳を見せて来る。体は大丈夫なのかと聞けば平気と笑う。
 お義母さんに電話して、単身赴任中の妊娠で世話をかけることを詫び、嫁の面倒を頼んでおいた。
 まだ大きくなっていない嫁の腹に手を当てる。この中に俺の子がいる。俺の子がこの中で生きている。

「悪いな、一人で不安なときにそばにいてやれなくて」
「いいのよ、それに一人じゃないし」

 嫁は慈愛に満ちた表情で自分のお腹をさすった。
 この嫁と子を裏切ってはならないと決意を新たに、単身赴任先へ戻った。

 最初の頃は嫁と子のためにと頑張ってこれたが、数か月経つとやはり寂しさが募り英一が恋しくなった。
 携帯のメモリーから英一を呼び出し、それを見ながら酒を飲んだ。あまり飲み過ぎると勢いでボタンを押してしまいそうだ。
 日を追うごとに大きくなる嫁の腹。その写真を送ってくる。それを見るたび、飲む酒の量が増えていく。
 もしかしたら俺は英一に電話したいがために、酒を飲んでいるのかもしれない。酔ったせいだという言い訳のために。

 英一はあれから一切連絡してこなかった。俺の一方的な別れ話を簡単に飲み込んだ英一を恨んだりもした。所詮俺はその程度だったのかと。
 外したままの結婚指輪。嫁のため子供のためと言いながら、俺はまだ迷って指輪をはめられないでいる。お腹が大きくなる嫁の写真をみながら、英一を恋しがっている。
 こんな最低な男、英一にはつりあわない。あいつにはもっといい男と付き合って幸せになってもらいたい。
 今日も英一のアドレスを見ながら缶ビールを開けた。

※ ※ ※

 帰宅する途中、胸ポケットで携帯が振動していた。電車の中なので出るわけにもいかず放置する。それに仕事終わりでヘトヘトだ。
 就職した物流会社の方針で、新入社員はまず各地の倉庫へ行かされる。注文の入った商品を広い倉庫から探し出し、注文先へ送りだす。
 在庫管理も厳しく数字が合わないと倉庫中を走り回って時に棚を全部ひっくり返してまで確認しないといけない。当然それは新人の仕事なので一日でかなりの体力を消耗する。
 手を動かして着信の相手が誰かを確認するのも億劫だというのが本音かもしれない。仕事でかなり汗をかいたので、それさえシャワーで流せば食事もそこそこに泥のように眠る毎日だ。
 今の俺にはこのくらい忙しいくらいがいい。時間があると突然自分を捨てた男のことを考えてしまう。

 理由も何も教えてくれなかったから推測するしかない。田中さんは自分が全部悪いと言っていた。おそらく田中さんは最終的に奥さを選んだのだ。もともとノンケだったのを俺が誘って引きずり込んだようなもの。責める資格も、泣く資格もない。
 電車をおり、駅前のコンビニで新商品のシールが貼られた冷麺を買った。帰る途中、着信を思い出して履歴を見た。
 表示された名前を見て心臓が止まるかと思った。

 なぜ今頃になって電話してきたのだろう。電話で別れようと言われてから4カ月以上が経っている。
 淡い期待を抱いてしまう。また落胆するだけだと自分に言い聞かる。しかし震える指が呼び出しボタンを押していた。
 恐怖に似た感情を抱きながら携帯を耳に当てた。呼び出し音が続く。寝ているのかもしれないと思ったとき、ふいに途切れた。ガサガサと擦れる雑音が聞こえたあと、

『英一』

 少し弾んだような田中さんの声が聞こえた。数か月ぶりの田中さんの声に胸がぎゅっと締め付けられた。まだ好きだと実感した。

「すみません、寝てました?」
『あっ、いや、携帯落として』
「あの、電話、あったみたいなんですけど」
『ごめん、俺、酔ってて、間違ってかけたみたいで』
「そうだったんですか…」
『悪い』
「いえ…」
『…元気だったか?』
「はい、田中さんは?」
『俺もなんとか』
「そうですか」

 二人とも押し黙った。のどに何かが詰まったみたいに言葉が出てこなかった。

「あの、じゃあ、切りますね」
『英一っ』

 呼びとめる声に耳をそばだてた。

「なんですか」
『……寂しいんだ』

 掠れた田中さんの声を聞いて、俺の目は出てきたばかりの駅へ向けられた。


 自分がこんなに馬鹿で愚かだとは思っていなかった。寂しいと言われて、すぐさま「行きます」と返事をし、自分を捨てた男のもとへのこのこやってきてしまった。
 インターフォンを押すとすぐ扉が開いた。以前より髪の伸びた田中さんが俺を出迎える。

「スーツ」

 俺の格好に驚いたように呟いた。

「もう社会人ですから」
「そっか、そうだったな」

 田中さんからも部屋の中からも強い酒の匂いがする。

「相当飲んでますね」
「寝酒だよ」
「体によくないですよ。控えないと」
「寝つきが悪いんだ」
「困りましたね」
「うん」

 叱られた子供のように俯いた。電話では素直に寂しいと言えたくせに、俺を目の前にすると本音を言えないんだこの人は。

「田中さんは寂しがり屋ですもんね」

 上目使いに俺を睨む。酒で赤い顔。落ち着きなく指遊びをする手。年上なのに、可愛いと思う。

「一緒にいてあげましょうか?」
「いいのか?」
「今日だけですよ」
「すまん」

 俺の名前を呼びながら田中さんは抱き付いてきた。


 仕事でいっぱい汗をかいたからから、と言ってもシャワーを貸してくれなかった。ワイシャツのボタンを一つずつ外しながら、俺の唇や首筋にキスして舐めて吸い付いた。
 自分の汗のにおいが気になったが、田中さんはそれを舐めとるように舌を這わせていった。

 奥さんはいいんですか。
 のどまで出かかった言葉を飲み込む。裏切り者。誰が。誰を。俺が。俺を。
 指が抜かれ、かわりに田中さんの勃起が押し当てられた。久しぶりの挿入。顔を顰めた。

「俺と別れてから、誰かとしたか?」

 腰を振りながら田中さんがきいてくる。なんて答えるのが正解なんだろう。正直に答えたら田中さんが気にしそうで、いつまでも俺が田中さんを引きずっていることがバレそうで、俺は「した」と嘘の答えを言った。
 田中さんはムッと眉を寄せた。嫉妬してくれたのだろうか。本当はその顔が見たくて嘘をついた。

「結局お前は、咥えこめるなら誰でもいいんだ」

 酷い言葉を投げつけながら乱暴に突きあげてくる。苦痛に声が漏れそうになる。
 田中さんの言葉を訂正する気はなかった。
 酷くされれば未練を断ち切れるかもしれない。少しでも幻滅して嫌いになれるかもしれない。

「そんなことありませんよ。今度の人は独身で優しくて、いきなり俺を振るような人じゃありませんから」
「俺を恨んでるんだろ」
「まさか。……少しだけ」
「本当にお前と一緒になるつもりだったんだ」
「もういいですよ」
「お前と一緒になりたかったんだ」
「その言葉だけでいいです」

 田中さんの首に腕をかけ、引き寄せてキスする。舌を絡め合う。田中さんが俺のペニスを握って扱く。俺のなかで田中さんの体積が増す。

「早く、動いて」

 締め付けながら腰を揺らした。田中さんが動き出す。出し入れの速度が増していく。

「はぁっ…んっ、あっ、あんっ…あぁっ…」

 仕事で疲れていたはずなのに、体の芯が燃えさかって熱い。一度で済まずに何度も、朝になるまで俺たちはお互いを求め合った。


 昨日と同じシャツに袖を通し、昨日と同じネクタイを締めた。どうせ倉庫に行ったらジャンパーを着るから誰も気づかない。
 歯磨きをしながら鏡に映る自分の首筋に、キスマークを発見した。そこへ指をあてる。ずっと消えなければいいのに、と思う。
 寝不足と二日酔いで田中さんは酷い顔だった。
 ボサボサの頭に手櫛を入れて整えてやった。されるがままおとなしくしていた田中さんが、ふいにポツリと呟いた。

「嫁が妊娠した」

 手を止めた。

「俺の子だ。放ってはおけない」

 これが別れの本当の理由。ほんのわずかに残っていた期待が粉々に打ち砕かれた。子供が相手じゃ仕方ない。勝てっこない。

「当たりまえですよ。妊娠した奥さん捨てる男なんて最低すぎます」
「すまん、俺は最低だ」
「わかってるなら、もう電話してこなで下さいよ。俺には新しい彼氏がいる。田中さんもパパになるんだから、寂しくても頑張って下さい」
「うん」

 頼りなく俯く。寂しいからと捨てた男に縋り付いてくるどうしようもない男。愛しい。放っておけない。利用されるだけでもいい。寂しいときにそばにいてあげたい。

「もうお前には電話しない。会うのも最後にする。今まで悪かった。ありがとう」
「いえ、こちらこそ」

 さようなら、と今度こそ本当に俺たちは別れた。


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