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ピーキー(4/18)

2020.07.12.Sun.


 体育館からの帰り、木村は口を尖らせずっと文句を言っていた。俺はそれをずっと無視した。うるさい奴だ。

 誰もいない生徒会室に戻り、先日の生徒総会の書類を片付け、鞄を持って生徒会室を出た。その間ずっと木村は文句を言い続けた。

「楽しそうだったじゃないか」
「誰が」

 不本意だと顔を顰める。

「俺ほんとに明日行かねえからな、もうバスケはやんねえの」
「見に行くだけだ。ベンチだと言っていただろう」
「くっそ、なんか嫌な予感がする」

 木村という男は本当に得体が知れないと改めて思う。

 いきなり俺に挑戦してきて学年一位の学力を見せつけたと思ったら、中学卒業以来していないというバスケで、現役バスケ部の三年生から素晴らしい動きでゴールを奪った。

 このちゃらついた外見からは想像も出来ない。何をやらせても何でもこなしてしまうのではないか、そんな馬鹿な考えが浮かぶ。

「本当はバスケが好きなんじゃないのか」

 俺の言葉が気に入らないと言いたげに木村の顔が歪む。

「好きでやってたんじゃねえよ。ただの暇つぶしだ」
「そのわりに綺麗なフォームをしてたじゃないか」
「俺に惚れた?」

 せっかく褒めてやったのにすぐに茶化す。

「明日の練習試合の頑張り次第だな」
「それって、明日の試合にもし俺が出て活躍したら?」
「付き合うかどうか、考えてやってもいい」

 木村に笑ってみせた。そう、考えてやるだけだ。そう言っておけば単純なこいつはやる気を出すはずだ。案の定、

「ОK、いまの言葉忘れんなよ」

 突然やる気を出した木村が不敵に笑うのを見てひやりと寒気のような震えを感じた。木村が本気を出せば何でも思い通りになるのではないか、男でもぞくりとする艶やかな微笑は、俺にそんなことを思わせた。

※ ※ ※

 土曜日でひと気のない学校の門の前で俺は木村を待っていた。昨日約束したからきっと来るはずだと思うが、相手があの木村だと思うとやはり不安になる。

 十分後、寝ぼけた顔で欠伸をしながら木村が姿をあらわした。Tシャツにジーンズ姿。手近にあったものをとりあえず着ただけに見えるが、木村だとそれだけでも人の目を引く。

「一ノ瀬に会えるのは嬉しいけど休みの日にまで学校来るのはだりぃな」

 最近は木村の恥ずかしい台詞にも免疫ができた。だいたい本気で言っているかどうかも疑わしい。真面目に取り合っていたら疲れるだけだから聞き流すのが一番なのだ。

「おまえ、休みなのにきっちり制服?」
「当たり前だ」
「ほんと馬鹿がつくほど真面目だな。そういうとこが気に入ってんだけどね。だから朝のチューしよっか」
「馬鹿なこと言うな」
「照れるなよ、かわいいな。はやく俺のものになってよ」
「誰がおまえのものになるか」

 抱きついてくる木村を振り払って体育館へ急いだ。

 ウォームアップしている先輩に挨拶し、木村を更衣室に押し込む。もう誰もいない。

「早く着替えろ、これがユニフォームだ」

 先輩から預かったユニフォームを木村に渡す。

「昨日の言葉、覚ええるよね?」
「?」
「俺の活躍如何では、付き合ってもいいって言葉」
「付き合うかどうかを考えてやると言ったんだ、付き合うとは言ってない」
「そうやって逃げる気だろ」

 一瞬言葉に詰まった。

 木村がゆっくり迫ってきたので後ずさりした。ドン、と背中に壁があたり、木村を見上げた。口元に笑みらしいものが浮かんでいるが目は笑っていない。俺より上背があり、おそらく力も木村の方が上。もし木村が本気で俺をどうこうしようとしたら……。

「なんてな」

 木村がぱっと笑顔になった。

「俺が試合に出るわけないだろ、ずっとベンチだよ」

 俺から離れ木村は着替えだした。俺は何も言えずに胸を押さえて更衣室を出た。チャラついていつもヘラヘラと笑いながら本気だか冗談だかわらかないことを言う木村に、一瞬だが恐怖を抱いた。心臓がどきどきしている。

 掴みどころがない。あいつが何を考えているのか、俺にはさっぱりわからない。



これ好き!
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ピーキー(3/18)

2020.07.11.Sat.


 バスケ部の練習はすでに始まっていて、コートの半分ではパスの練習をし、もう半分ではジャンプシュートの練習をしていた。

  ぶつくさ文句を言う木村の腕を掴んで静かに中に入った。俺に気付いたサンジャイ先輩が驚いた顔をした。監督に断りを入れ、こちらへやってくる。

 浅黒く彫りの深い顔のサンジャイ先輩が俺を見下ろし、隣の木村を見た。サンジャイ先輩は190センチある。それにひけをとらない木村は185以上あるだろう。

「どうした、何か急用か?」

 突然やって来たのに迷惑な顔をせず、むしろ優しい笑みをたたえてサンジャイ先輩が言った。

「いえ、練習の見学をさせてもらいに来ました」
「珍しいな、おまえがバスケに興味を持つなんて」

 言いながらチラと木村を見た。木村は口の端を吊り上げてサンジャイ先輩の目を見返す。挑発的な態度はやめろ。

「こいつは木村と言って中学でバスケ部だったそうです。それで見学に連れて来ました」
「はぁ、おまえが木村か。一ノ瀬にちょっかい出してるんだって?」

 先輩までその噂を知っていたのか。俺は顔が赤くなるのを感じた。それもこれも木村のせいだ。

「ちょっかいじゃねえよ、俺はいたって真面目だよ」

 と、俺の肩に腕をまわし引き寄せる。先輩の前でなんてことするんだ。それを振り払って先輩に向き直る。

「見学させてもらっていいですか?」
「あぁ、いいだろう。中に入って見て行け。おまえ、ポジションは?」

 最後の言葉は木村に向けられたものだ。

「どこでも。基本はポイントガードだったかなぁ」

 と、とぼけた顔で言う。失礼な態度に俺は苛々したが、先輩は気にせず興味深そうに木村を見ていた。

「ま、入れよ」

 先輩に促され、俺たちは中に入って監督の後ろに立ち、練習を見学させてもらった。隣の木村はポケットに手をつっこみ、欠伸をしている。

「おまえ、もっと真面目にしないか。せっかく見せてもらっているんだ。それと、サンジャイ先輩にため口はよせ」

 木村の眉間にしわが寄った。

「んだよ、俺もうバスケはしねえってのに。こんなとこで時間潰すより俺とデート行こうぜ」

 にやけた顔を寄せてきた。数人の部員の目がこちらに集まる。

「あいつが木村か。俺初めて見た。ほんとに男でもいけるんだ」

 そんな囁き声が聞こえてくる。こいつといると俺まで恥をかく。木村の顔を身体ごと押しのけた。

「木村、こっちに来いよ」

 苦笑しながら先輩が木村に向かって手招きした。木村は肩をすくめただけで動こうとしない。

「早く行け」

 木村の背中を押した。

「俺はいいって」

 先輩がわざわざ木村を迎えに来た。やる気のなさそうな木村の腕を掴み、コートに引っ張っていく。

「誰か、ボールくれ」

 先輩の一言に、一年らしい部員が慌ててボールを渡す。先輩は受け取ったボールを木村に向かって投げた。木村は片手でボールを受け取り、一度床についたあと手の平に乗せた。

「ボールの扱いは慣れてるようだな」

 興味がないというふうに木村はドリブルをして先輩の言葉を無視する。ちゃんと返事をしろ。怒鳴りたいのを我慢する。

「シュートしてみろ、好きなのでいい」

 嫌そうに歪んだ顔が俺を見た。睨み返し、無言で頷いた。いいからやれ。

 木村はスリーポイントライン上に立っていた。何度かボールを床につき、そこからシュートする。ボールがリングに吸い込まれた。バスケ経験のない俺でもわかる綺麗なフォームだった。他の部員からも感嘆の声があがる。

「もう一度」

 先輩からボールを受け取り、木村はまたシュートした。さっきのシュートと寸分違わぬ正確なフォームとボールの軌道。場面を再生して見ているような気さえした。リングを通過したボールが床に落ちて跳ねる。

「まだやんのかよ」

 不満を漏らす木村を構わず、先輩は「レイアップ」と言った。いつのまにか真剣な表情で木村を見ている。

「俺、バッシュ履いてねえっつの」

 文句を言いながら木村はバスケット下まで走りこんで軽くジャンプし、ボールをリングに落とした。

「あっちのゴールに入れてみろ」

 先輩は反対側のバスケットを指差した。

「中島、寺田、こいつにゴールさせるな」

 先輩に言われて身構えた二人がいた。おそらく三年生。他の部員はボールを片付け、慌ててコートから出て行く。

 先輩に言われた二人が、木村に向かって走り出した。

「2対1って優しくなくね?」

 木村の声の調子がかわった。腰を落としたと思った次の瞬間、木村も走り出していた。

 ボールを左手に持ちかえ、右からきた一人を片手で制しながらフェイントしてかわし前に進む。もう一人の三年が木村の前に立ちはだかった。サンジャイ先輩に負けないくらい大きな人だ。

 クルリと身体を反転させた木村の顔を見てぞくっと鳥肌が立った。今までのとぼけた顔じゃない、研ぎ澄まされたような鋭い表情。

 背中で牽制しながら、木村がチラとバスケットを見上げた。木村の身体が一度屈伸して上に伸び上がる。三年生がブロックのために飛び上がった。シュートする、そう思ったが木村はすぐに着地し、三年生の横をするりと抜けてリング下、ひらりとジャンプしてシュートを決めた。一連の動作をいとも簡単にこなす。

 シンと静まり返る体育館に、リングを抜け落ちたボールの跳ねる音が響く。それを拾い上げた木村が、

「見学しに来たんじゃなかったっけ?」

 と俺に向かってニヤッと笑った。

 予想外だった。みんな呆気に取られ、今見た光景が信じられない思いで木村を見つめていた。

「おまえ、どうして高校に入ってもバスケを続けなかったんだ」

 木村からボールを受け取った先輩が言った。俺も同感だ。あれだけ動けるのにやめてしまうのは勿体ない。

「好きでやってたわけじゃないんだよね。汗かくのも嫌だし、それに今は一ノ瀬を落とすのに忙しくてそれどころじゃないし」

 わざとらしく俺に向かってウィンクする。それを見た他の部員がざわめく。恥ずかしいからそんな真似やめてくれ。

「明日練習試合がある。ベンチに入れてやるから来い」
「いいって、俺興味ないから」
「一ノ瀬、こいつを明日連れてきてくれ」
「あ、はい、わかりました」

 俺がかわりに返事をした。


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ピーキー(2/18)

2020.07.10.Fri.
<1>

 今日も生徒会室にやってきた木村は、生徒会長の椅子に座って頬杖をつき、俺の顔をぼんやり見ている。気の抜けた馬鹿面が視界に入って邪魔で仕方ないが、相手にするとうるさいので作業に集中した。

「一ノ瀬は副会長だよなぁ」

 のんびりした声で木村が言う。

「俺、 何回もここ来たけど、 会長の顔見たこと会ったっけ?」

 俺は作業の手を止め、呆れて木村を見た。

 去年の11月に生徒会選挙があったことをこいつは忘れているのか。その時に立候補者の演説、当選者の挨拶で、会長は全校生徒に顔を見せている。見た事がないなんてことはない筈だ。

「松村、おまえは知ってんの」

 いきなり話を振られた松村はチラと俺の顔を窺うように見て、恐縮しながら頷いた。

「知ってるよ、一応俺も役員だから」
「でも来てねえじゃん」
「部活動で忙しいから」
「部活だあ? それで仕事をお前らに押し付けてんのか」

 俺は思わず机を叩いた。大きな音に、松村と会計の岡田さんがビクと肩を震わせるのが見えた。

「サンジャイ先輩はそんな人じゃない」
「え、サン? なに?」

 サンジャイ先輩は、父がインド人、母は日本人のハーフだ。

「サンジャイ・勇樹・カプール。バスケ部の主将を務める人だ。インターハイを目指して今は大変な時期なんだ。だから生徒会の仕事は俺たちがかわりにやると決めたんだ」
「サンジャイ……なんか顔の濃い奴がいたなぁ、あいつか。一ノ瀬、ずいぶんそいつのこと庇うね」

 木村は目を細めた。

 サンジャイ先輩とは小/学生の時からの付き合いだ。まじめで面倒見も良く努力家。尊敬できる先輩だ。サンジャイ先輩が生徒会長に推薦された時、副会長をやってくれと指名された。サンジャイ先輩が会長でなかったら、俺も副会長にはなっていなかった。

  その気になれば学年一位になれる学力を持っているのに面倒臭がって努力を怠る木村に、サンジャイ先輩のことを悪く言われるのは我慢がならなかった。

「なんか嫉妬するなぁ」

 と木村は口を尖らせる。勝手に嫉妬していろ。

「俺も中学の時バスケ部だったんだぜ」
「だからなんだ」
「あれ? バスケやってる奴が好きなんじゃないの?」
「誰がそんなことを言った。なぜ今はバスケをやらないんだ。おまえのその長身を活かせるスポーツじゃないか」
「まぁ、もういいかなぁと思ってね。それに俺、今は遊ぶのに忙しいからね」

 どこまでも性根の腐った奴だと呆れる。女遊び、こいつの場合男も含まれるのか、そのために続けていたスポーツをやめるなんて俺には考えられないくだらない理由だ。

「今は一ノ瀬落とすのに苦労してるしさぁ。なぁ、いい加減俺と付き合っちゃえよ」
「俺はやるべきことをやらない奴が嫌いだ」
「俺が一位になったこと怒ってる?」
「学力があるのになぜいつも本気を出さない」
「俺が本気出したら付き合ってくれんの」
「それとは別の話だ」

 松村と岡田さんが、手を動かしながら俺と木村の会話に神経を集中させているのが伝わってくる。

 木村のせいで俺は全校生徒の噂のネタになっている。俺が木村に落とされるかどうか、賭けをしている生徒もいると岡田さんから聞いた。まったくけしからん。まったく迷惑な話だ。誰が男に落とされるものか。まして相手はこいつ、木村論だぞ、まさに論外甚だしい。

「体力も時間も余っているなら部活動に励め。今からでも遅くない」
「いいって、俺汗かくの嫌だし」

 机に突っ伏し、重ねた手の上に顎を乗せて上目遣いに俺を見てくる。涼しげな目元、形のいい眉、鼻筋も通っていて、確かにいい男の部類に入る顔なのだろうが性格は最悪だ。

「バスケをしていたならサンジャイ先輩に頼んでやろう。バスケ部に入ってみっちりしごいてもらえ」

 木村は「いいよ」と本当に嫌そうに顔を歪めて首を振った。

「そういえば明日、他校と練習試合をうちでするって言ってたなぁ」

 思い出したように松村が呟いた。その話は俺も聞いた覚えがある。

「そうそう、ここに来る前サンジャイ先輩を見かけたんだけど、すごい気合入った顔してたよ」

 今まで黙っていた岡田さんが口を開いた。

 腕時計を見る。16時20分。俺は立ちあがった。

「木村、ついて来い。君たちもそれが終わったら今日はもうあがっていい、残りは俺がやっておく」

 顔を見合わせる松村と岡田さんをあとにして俺は木村の腕を掴んで体育館へ向かった。

「サンジャイ先輩を激励しに行くのか? 俺は恋敵の応援はしねえよ」
「馬鹿なこと言うな。うちは毎年インハイをかけて他校と争う強豪なんだぞ。おまえも一目見たらやる気が出る」

 そうだ、この男はやる気さえ出せば俺を抜いて学年一位になれる男なのだ。中学でバスケをしていたのなら、他の生徒がプレーしているのを見て懐かしくなるはずだ。昔の血が騒いでやる気を起こすかもしれない。部活動に集中してくれたら俺に付きまとうこともなくなるだろう。それにサンジャイ先輩の下で指導を受ければ、こいつの腐った性格も少しはマシになるかもしれない。

 そんな期待をして体育館へ連れて行った。



蜜果(5)

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ピーキー(1/18)

2020.07.09.Thu.
「みーつけた」

 別に隠れていたわけでもないのに、生徒会室に顔を出した木村論は俺を見てそう言った。

「今忙しい」
「またまたぁ」

 俺の言う言葉を無視して中に入ってくる。 他の役員も毎度のことでもはや誰も驚かないし、顔もあげやしない。相手にしないほうがいいのだ。

 俺の背後にまわった木村が抱きついてきた。

「そんな書類放っておいて、俺との愛の時間を大事にした方がいいぞ、いくら俺でも浮気しちゃうかもしんないよ」
「いろいろ訂正したいところはあるが、浮気、おおいに結構じゃないか、俺のことは放っておいてどんどん浮気とやらをしてくれ」

 馬鹿馬鹿しい。木村論、二年一組、この学校の問題児。自らバイセクシャルだと公言し、男女問わず、誰彼構わず毒牙にかける性的破綻者。

 次の標的が俺になって二ヶ月。足繁く俺のクラス、放課後の生徒会室に通い、誰憚ることなく口説いてくる。

 はじめは面食らったが、きっぱり断っても一向めげる様子もなく、懲りずに何度も俺のところへやってくるので次第に慣れてしまった。

 木村の神経の図太さには、呆れるのを通り越して感心すらしてしまう。打たれ強いのか、ただのパンチドランカーなのか。どちらにせよ、付きまとわれる俺には迷惑な話だ。

  生徒会の面々も最初は戸惑い、作業が滞りがちだったが二ヶ月も経つと慣れてしまい、早く帰りたい一心で木村を無視して作業に打ち込んでいる。

 今も、間違いの多い木村の言葉を誰もつっこまない。まともに相手をするのは時間の無駄だと知っているのだ。

「つれないねぇ、俺のダーリンは」

 誰がダーリンだ。

 プッと書記の松村が吹き出した。俺が睨むと咳払いし、顔を背けた。

 まったくどうして俺がこんなしょうもない奴に捕まってしまったのか。

 ~ ~ ~

 あれは四月の風紀取締り週間の時だった。

 朝、校門の脇に立ち、登校してくる生徒の服装チェックをしていた俺は、金髪にピアスという男を見つけ、呼び止めた。

 名を聞くと木村論と名乗る。 聞き覚えのある名前だった。 確か女子に人気があり、おまけにバイだと有名な奴だ。

 こいつがそうか、と俺は長身の木村を見上げた。木村は確かに女子に受けそうな外見をしていた。近くで見ると目の色がグレーだった。カラーコンタクトか。

「君にはいろいろ是正してもらわなくてはならない事があるようだ。悪いが放課後、生徒会室まで来てくれ」
「いいよぉ」

 見るからに軽そうな木村は、口調も唾棄すべき軽薄さで承諾した。

 その日の放課後、木村を信用していなかった俺はわざわざ木村のクラスまで迎えに行った。案の定、木村は女子の肩に腕をまわし、背後に俺がいるとも気付かず下駄箱に向かって歩いて行く。

 その肩を叩いた。眠たそうな顔で振りかえった木村は、その表情を変えずに、

「誰だっけ?」

 と目を瞬かせた。 朝のことを忘れているのだ、この男は。

「生徒会からの呼び出しだ。一緒に来てもらうぞ、木村論」
「あぁ、朝の。悪いんだけど俺、今から彼女と帰るとこなんだよね」
「知ったことか、さぁ、来い」

 木村の腕を掴んで歩き出した。

「ごめんね、なんかよくわかんないけど、そういうことらしいから俺行ってくるね。帰ったらまた連絡するよ」

 木村は残された彼女に手を振った。背後で彼女の笑い声が聞こえてきた。 どいつもこいつもいい加減な奴ばかりだ。

 生徒会室の鍵を開け中に入った。今日は活動が休みなので誰もいない。木村を椅子に座らせ、俺もテーブルを挟んだ向かいに腰をおろした。

「なぜ呼ばれたかわかるか」
「まさか俺に愛の告白?」
「違う」
「じゃ何」
「その頭の色、ピアス、カラコン、明日までに校則に則ったものになおしてきてもらおうか」
「これ気に入ってんだけどなぁ」

 木村は名残惜しそうに前髪を指で掴んで引っ張った。

「ピアスも外せ、カラコンも必要ない」
「厳しいなぁ、カラコンはつけてくんなって校則に書いてないでしょ」
「わざわざ書くまでもないことだからだ」
「書いてないことまで守ってらんないよ、それに誰にも迷惑かけてないじゃん」
「俺が不愉快だ」
「うわぁ、生徒会長ってそんなことまで口出せんの?」
「俺は副会長だ」

 突然、木村が声を立てて笑った。

「面白い奴だなぁ、おまえ。そこまで横暴に言い切られるといっそ気持ちいいな」
「面白いか面白くないかじゃない、外せと言ってるんだ。学業に必要ない」
「必要かどうかじゃなくて、影響あるかどうかだろ。影響ないなら今のままでもいいんじゃねえの」
「影響があるかどうか判断材料がない。だからそんな屁理屈は受け付けない」

 さっきまでトロンと眠そうだった木村の目つきがかわった。くっきりとした二重の目を少し吊り上げ、ニヤリと笑う。

「いいこと思いついた。賭けしない?」
「賭博は禁止だ」
「じゃなくて、次の中間考査で俺が学年一位になったら影響なしってことで、見逃すってのはどう?」

 思わず笑った。入学した時から試験結果は俺が常に学年一位だ。こいつはそれを知っててそんなことを言ってきたのか? いいだろう、その挑戦受けて立つ。俺は負ける賭けはしない。

「木村論、その賭け、生徒会副会長として許可する」

 木村は気障に指をパチンと鳴らし、

「その言葉、忘れんな」

 と俺を指差して笑った。その日はそれで木村を返した。

 翌日、生徒会書記の松村が木村と同じクラスだと言うので木村のことを聞いてみた。

「あいつ、授業中いつも寝てるかなぁ。真面目なタイプではないよ。俺も二年になって初めて同じクラスになったからよくわかんないけど、あいつ、いつもクラスの中心にいるよ。目立つのは好きじゃないみたいで自分から騒いだりしないけど、気がついたら木村のまわりに人が集まってる。なんかあいつ、得体が知れないんだよな。フラフラしてるっていうか、何考えてるかわかんないっていうか。男もいけるらしくて、割ととっかえひっかえ相手かえてるらしいけど」

 奴の色恋沙汰に興味はない。授業もまともに受けていない奴に負けたとあっては末代までの恥だ。五月の中間考査まであと二週間。たった二週間で俺の学力まで上げられるはずはない。

 そう思っていた。そう思って俺は普段通り、もちろん手を抜かずに勉強し、中間考査に挑んだのだ。

 しかし廊下に張り出された順位表を見て俺は愕然となった。上位50名の順位表、俺の名前が木村論の下に書かれてあったのだ。自分の目を疑った。

 俺が二位。なぜだ。一年の間、木村論の名前など見た覚えはない。それがなぜたった二週間で俺より良い成績を取れるようになったんだ。何か不正があったのか? 真っ先にそれを疑った。

 その足で職員室に向かい、担任の畑中先生にわけを話した。なぜ木村が学年一位なのかを聞いた。

「俺も驚いたよ、まさかあいつが一番取るとはねぇ」

 畑中先生は顎の無精ひげを指でさすりながらニヤニヤ笑った。

「俺、一年の時、あいつの担任だったんだよ。だらしなくて軽薄そうに見えるけど、あいつああ見えて実は頭いいんだよ。入試の時もおまえと張るくらいの成績だったんだ。普段は面倒くさがって実力出さないけど、今回はそうか、おまえと賭けてたのか」

 そんな話、初耳だ。騙された気がした。あいつは自分の実力を隠して俺に挑んできた。俺を油断させて学年トップの座をかっさらって行った。

 しばらくショックで言葉もなかった。しかし、負けは負けだ。木村よりいい点数を取れなかったのは自分の勉強不足だ。悔しいが負けを認めるしかない。

 その放課後、俺は木村の教室に向かった。戸口に立つ俺を見つけた木村がニヤリと笑う。

「顔を貸せ」
「いいよぉ」

 ダラダラと俺のあとをついてくる。廊下の踊り場で木村と向き合った。

「俺の負けだ。特例としておまえのそのだらしない格好を不問とする」
「だらしないってのは酷い言い方だなぁ」
「次の期末では必ず俺が取り返す。 それまでの期間限定だ、覚えておけ」

 これ以上木村と顔を突き合わせているのも不愉快で、俺はそれだけ言うと背を向けた。突然腕を掴まれた。

「何だ」
「名前、聞いてなかったと思って」
「順位表でおまえの下にあった名前だ」
「あぁ、やっぱりあれか、一ノ瀬有」
「そうだ」
「なぁ、一ノ瀬、俺と付き合わない? なんかおまえのこと気に入っちゃったんだよね、俺」
「ふざけるなっ」

 腕を掴む木村の手を振り払った。男と付き合えるという噂は本当だったのか。

「俺としてはおまえのツラは今後二度と見たくない」
「いいね、それ、グサッとくる。 俺ってマゾだったんかも」

 何が嬉しいのかニヤニヤ笑っている。 変態か、こいつは。

「話は以上だ」

 歩き出す俺の背中に木村が叫ぶ。

「俺は諦めねえぜ、絶対落としてやるからな」

 それ以来、木村に付きまとわれる日が続いている。



灼熱カバディ 1

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夏の夜の夢(2/2)

2020.07.07.Tue.
<前話>

 しかしそこからの彼は本領発揮と言おうか、雄の本能剥き出しと言おうか、慣れた手順と荒々しい手付きで僕の着ているものを次々脱がしていき、僕は僕で、抵抗しているはずが結果脱ぐのを手伝ってしまっているような始末で、気がつくと一糸纏わぬ姿になっていた。

「これは夢です。夢です」

 彼は何度もそう言った。言いながら、まるで何かを刻みこむような熱心さで、僕の体のあちこちに唇を落としてくる。

 さすがの僕も事の重大さに気付いて必死の抵抗を試みるが、手と足、時に体を使った彼にすべて封じ込められた。この状況にありながら、彼の力強さには驚いた。抗うときに触れた体の硬さで、彼が実は着痩せするのだと知った。

「ワッ」

 急に性器を握られ、間抜けな声が出た。彼が「シーッ」と言う。

「夢です、森口君、今夜限りの夢の出来事です」
「うぅ……、そんな事……」

 クニュクニュと揉まれ、恥ずかしさと情けなさとで泣きたくなってくる。腕で顔を隠し、歯を食いしばった。こんな時に立つはずもなく、それがまた僕を複雑な気分にさせたが、これではどうか、と彼が僕の乳首を噛んできたときは思わず起き上がってしまった。僕の体に跨るようにしている彼と、すぐ近くで顔を合わせる体勢になり固まった。視界に、僕のものを握る彼の手が見えた。

 驚いた顔をした彼だったが、すぐ可笑しそうに唇の両端を吊り上げた。顔が近づいてきて、僕の頬にチュッと音を立てて唇が離れていく。僕の顔からは火が出た。

「原村さん、どうしてこんなこと」
「僕は君のそばにいると楽しいけれどとても苦しくもあった。鈍感で正統派な君は僕の下心にまったく気がつきませんでしたからね。僕が君にこんなことをする理由? たったひとつしかないじゃありませんか、君が好きだからですよ」

 驚きは、なかったと思う。僕はどこかでそれに気付いていたような気がする。そうであればいいと、願っていたような気がする。僕も彼のそばにいると楽しかったが同時に苦しくもあった。僕には彼の友人たる肩書きが何一つない。雑誌に何度か小説を書いていると言っても無名の僕は履いて捨ているほどいる駈け出しの一小説家に過ぎない。僕には彼のような魅力がない。その負い目引け目の前に卑屈になりながらも、どうしようもなく彼に惹かれていた。彼に見合う人間になりたいと切に願ったのは、いつまでも彼を留めておきたいという願望のせいではなかったか。もしかするとこれを、人は恋と言うのではないか。

「いなくなるからこんなことをするというのは、ずるいんじゃないですか」

 彼はかすかに首を傾げ、困ったように微笑んだ。

「だから夢だと言っているんです」

 反論しようとした口を塞がれた。中に入りこんでくる彼の舌は慣れた様子で僕を翻弄する。擦られていた僕の性器が立ち上がっていく。首におりた彼の舌が、僕の鎖骨を舐めあげたあと、また乳首に吸いついた。

「ああ」

 恥ずかしくなるような甘い声が漏れた。彼の目が僕を睨むように見あげ「静かに。窓が開いている。壁も薄い。隣に聞こえてしまいますよ」低い声で囁いた。僕は片手で体を支えながら、もう片方の手で口を塞いだ。それを見届けた彼の頭はさらに下へおりていき、半立ちの僕の性器を前置きなしに咥えた。

 全身の毛穴が開くほど驚いた。彼の舌使いに全開の毛穴からじっとり汗が滲む。暑さのせいではない妙な汗をかきながら、僕はとても焦っていた。気持ち良すぎて声を出してしまいそうだったからだ。

 ギュッと口を押さえ、荒い鼻息といっしょに呻き声を漏らした。僕の股間で上下する彼の口から屹立したものが見え隠れする。時折聞こえる濡れた音がさらに羞恥心を煽る。たまらなくなって目を閉じ、布団に寝そべった。

 途端、彼の動きが早くなった。達してしまいそうで慌てた。彼を留めようと伸ばした手は宙で止まった。彼に触れることを躊躇ったのは照れからだった。落ち着く場所を見つけられずにピクピク動く手を彼が握りしめてきた。薄目を開けると彼と目が合った。

「高望みしてもいいなら、今夜君を抱いてしまいたいが、いくら夢でもそれは無理ですよねえ?」

 懇願するような様子で言われ、返事に窮してしまった。僕に判断をゆだねる彼のずるい一面を見、少し腹が立つと同時に僕が知らない彼のいろんな顔を想像してゾクリともなった。今ここで向き合っている彼は、今までの陽気で気さくな彼とは別人だった。友人同士のつもりでいたのが、急に僕は初心な少女となり、彼はそんな少女を余裕と駆け引きとで自分のペースに取り込もうとしているずるい大人だ。それをわかっていながら、今の僕はそれに抵抗する術を持たない。

「夢ならいいんじゃないでしょうか」

 咽喉から押し出したような低い声が出た。それを聞いた彼は静かに息を飲んだ。

「夢なら覚めないで欲しい」

 悲痛な声で言って彼はまた僕の股間へ顔を埋めた。さっきより荒々しい動作で僕のものを愛撫する。

「ウ……ンッ」

 塞ぐのを忘れていた口から声が出た。手で口を覆った。彼に腰を抱きあげられた。意図するところを察し、僕の顔はまた火照った。覚悟を決めたはずだが、この辱めに耐えられるほど僕の神経は図太くない。彼の舌が勃起からはなれ、唾液のあとを残しながら自分でさえ満足に触れたこともない場所を目指していく。

「原村さんっ」

 思わず名前を呼んだ。

「この体勢は苦しいですか」
「そうじゃなくてっ」
「静かにしないと隣が目を覚ましますよ」

 彼の唾液がすぼまった場所に垂らされた。それを舌で伸ばしながら、細めた先を中に入れてきた。生きた心地もしないほど恥ずかしい。固く目を閉じた。

 この行為は、僕の体を気遣ってのことだ。女のような穴がない以上、使う場所はそこしかない。女のように濡れないなら、濡らすしかない。わかってはいるが、ピチャピチャと聞こえてくる音はどんどん僕を正気に戻させる。とんでもない状況に罪悪感を芽生えさせる。

「原村さん、もういいです」

 僕の声を無視して彼は続ける。仕方なくもう一度言った。

「原村さん、もう、先に……」

 彼の舌が抜けホッとなる。

「この程度じゃ、君がつらいですよ」
「構いません、平気です、我慢します」
「我慢……」

 彼の声に笑いが滲んでいた。顔は見えないが、きっと困ったような顔で笑っているのだろう。

「だって早くしないと僕の決心が鈍ってしまいそうで」
「僕としてはもっとゆっくり時間をかけたいところなんですが」

 彼の声は優しかった。ゆっくり布団の上に腰が戻された。そして舌のかわりに彼の指が入ってきた。上から覗きこまれたまま、中の指がクニクニと動く。

「ほら、僕の指でさえこんなにきつくて動かしにくい」
「平気ですったら!」

 つい声を荒げてしまったのは、怒ったからじゃなく恥ずかしかったからだ。だが彼の指は動きを止めた。

「すみませんでした」

 と小さく頭をさげた。違う。言葉にならず、彼の首に手をかけ、引き寄せた。驚く彼の目を見つめながら自分から唇を合わせた。積極的に舌を絡めていたら羞恥心もいくらか和らぎ僕に興奮をもたらした。口をはなし、まだ呆気に取られている彼と近くで見つめ合う。

「僕だって興奮してるんですよ。待てないと言っているんです」

 子供を叱るような口調でとんでもないことを口走った。驚いた彼の気配。指が引き抜かれ、両手で足を開かれた。

「きっと痛い。君は途中でやめてくれと言う。でも僕に、それを聞き届ける余裕はないだろう。やめるなら今しかない。どうしますか」

 僕の肛門に彼の亀頭がピタリと押し当てられた。銃でも突きつけられたように、僕の体は緊張で硬くなる。

「やめてくれなんて言いません。これは僕が望んだことでもあるんですから」

 彼は小さく感嘆を漏らした。左手で僕の膝を押し広げながら、性急な動作で太い屹立を押し込んでくる。想像以上のきつさに顔を歪めながら耐えた。全部入った時には二人とも全身にびっしょり汗をかいていた。

 大きな溜息をついた彼が僕に覆いかぶさってきた。熱い体。その背中に足をまわして抱きついた。耳元で彼の笑い声が聞こえた。

「だから言ったんだ、指でさえきついって。これじゃ動かせやしねえ」

 愉快そうな彼の声。砕けた言葉使い。笑いは僕にも伝染した。

「しばらくこのままでいいんじゃないでしょうか」

 笑いながら言った。顔をあげた彼と正面から向き合う。愛しそうに僕を見る彼の目が面映い。

「笑う振動だけでイッちまいそうです」

 と言って彼は破顔した。衝動に任せ、彼の頭を掻き抱いてキスをした。彼の腰がゆっくり動く。痛みが愛しいと感じたのは、生まれて初めてだ。

※ ※ ※

 翌週の半ば、彼の部屋から荷物が運び出された。身ひとつの彼は珍しいスーツ姿で見送りに集まった下宿人たちに別れの挨拶をしていた。それを遠巻きに見守る僕に気付いて彼がはにかむ。僕も笑い返した。

 あの夜が終わった僕たちは、以前と同じ友人に戻ってこの数日を過ごした。別れを惜しんでたくさんの話をした。また遊びに来てくださいと言う僕に、彼は悲しそうに目を伏せただけだった。じゃあ僕が会いに行きましょうと言うと、今度ははっきり首を振って拒否した。彼が言った通り、あの日の夜のことはすべて夢で、そしてそれはもう終わったことなのだった。僕の胸は痛んだが、何も言えなかった。

 人をかきわけ、彼がやってきた。

「今までありがとう。ここでの生活は僕には忘れられないものになりました」

 と右手を差し出してくる。それを強く握り返した。

「いつか出会える偶然を待っています」

 彼は寂しげに笑っただけだった。

「見送りはここまでで結構。それじゃあ皆さん、お元気で」

 溌剌と言って彼は大きく手を振った。階段を降りていく彼にみんながついていく。玄関で靴を履いて振り返った彼は微苦笑を浮かべた。集まったみんなへ一礼し、戸を開け出ていく。外には黒塗りの車が止まっていた。一見しただけで堅気でないとわかる強面の男が彼を認めて恭しく頭を下げる。

「若、お待ちしておりました」

 と後部座席のドアをあけた。彼は小さく頷いてそこへ乗りこんだ。驚嘆する下宿仲間たちを残して車は静かに走り去った。

「極道だったのか」

 誰かが呟いた。

 彼の言動のすべてに納得し、その上で僕は、もう一度彼に会いたいと願った。


(初出2009年)

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夏の夜の夢(1/2)

2020.07.06.Mon.
 僕の下宿先に、原村という男がいる。ひょろっと細長い体に、瓜実顔がのっかっていて、薄い唇にはいつも物静かな微笑が浮かんでいる。後ろへなでつけた髪が額に落ちると、長く細い指でかきあげる。その時だけ、彼の微笑は消えた。

 大学生の僕に敬語を使うが、おそらく僕より五つほど年上なのではないだろうか。大学の授業を終わらせ下宿に戻ってきても机に向かって小説を書いてばかりいる世事に疎い僕に、あれやこれやと外から仕入れてきた土産話を聞かせてくれる。遊びの話、女の話、食い物の話、そこの角で見た喧嘩の話、政治の話、彼は話題を選ばない。

 僕も筆を置き、彼の話を楽しく聞く。話をしながら彼は僕の様子をちゃんと観察していて、僕がもっと詳しく聞きたそうにしていると、その話をうまく広げてくれるし、締め切りが近く時間に余裕のないときなどは、さっさと話を切り上げて部屋から出ていく。そんな気遣いが出来る男なのだ。

 普段、なにをしているのか下宿の誰も知らない。働いているのか、学生なのか、それすら彼はうかがわせない。謎の人物として下宿では一目置かれる存在だった。

 その彼から好かれているらしいのは、小説を書くしか能のない僕には誇らしいことだった。まず最初に彼が僕の部屋にやって来たのだって、僕が小説を書いていると知ったからだ。

「森口君、作家先生なんですって?」

 朝、共同の水道で顔を洗っていると彼がいつの間にか僕の隣に立っていた。僕は「そんな大層なものじゃありませんが、数ヶ月に一度、雑誌に載せてもらっています」と返した。

「こう見えて僕も昔、小説家を目指したことがありましてねえ。今度お部屋に行って、原稿を見せてもらってもいいですか?」
「もちろん」

 それ以降、彼は僕の部屋を訪ねてやってくるようになった。

 最初の頃は部屋に来るのは一ヶ月に2、3度程度だったのが、半年経った今では一週間に1、2度の割合に増えていた。同じ下宿先に住まう人間同士の繋がりというよりは、新しく出来た友人のような感覚だった。

 花火大会の今日、「僕の部屋の窓から花火が見えるから来ませんか」と誘われ、僕は酒を持ってお邪魔した。隣の部屋も友人を連れこんだらしく、騒がしい声が漏れ聞こえてくる。彼は口元に笑みを浮かべ、小さく肩をすくめた。

 窓の縁に向き合って腰掛け、酒をチビチビやりながら打ちあがる花火を見ていた。彼も、うちわを扇ぎながら、首を傾げるように空を見上げている。白い咽喉が、白い蛍光灯によく映える。

「学校はどうですか」

 空を見たまま彼が言った。一瞬遅れて返事をした。

「こことあまりかわりませんね。授業中も小説を書いていることが多いので」
「お仕事との両立は大変ですか」
「そういうわけでは。単に、書くのがどうしようもなく好きなだけなんです。僕に紙とペンを与えると、どこでも同じ結果です」
「そうでなくてはお仕事に出来ませんよ」

 彼の視線が移動し、僕の顔で止まった。優しげな笑い顔で僕をじっと見つめてくる。その目を見つめ返すことが出来たのは短い間だけだった。急に気恥ずかしくなり、外に視線を逃がした。

「僕は昔から空想癖があるんです。それを文章にしていたらいつの間にか小説家として書かせてもらえるようになっていただけなんです」

 言い訳するように口走っていた。なにをこんなに焦る気持ちになるのか自分でもよくわからない。ふわりと風が来た。彼がうちわで僕を扇いでいた。

「何かを空想して、それに集中している時の森口君を僕は何度か見かけたことがありますよ」
「恥ずかしいな。だらしのない顔をしていたんじゃありませんか」
「とんでもない。思いつめたような表情で、じっと一点を睨んでいる君は素敵でしたよ」

 また彼の視線が僕に纏わりついてきた。絡め取られるような危うさを感じて、咳払いして酒を飲んだ。酔いがまわってきたようだ。顔がひどく熱い。

 隣の窓から大きな歓声があがった。二人揃って窓の外を見た。花火大会も終わり近く、最後の見せ場として大小色とりどりの花火が連続して打ち上がる。少しずれてやってくる音が鼓膜に心地よい。

「夏も終わっちまいますねぇ」

 俯いて彼が言った声が、急に老けて聞こえて驚いた。壁に背を預け、柵に乗せた腕をだらんと垂らし、下に落とさないか見てるこちらが不安になるような力のない持ち方でコップを持つ。体中の力を抜いてしまったように弛緩している。俯く彼の頭髪が、一筋、前にはらりと落ちた。ちょっとの間のあと、彼の長い指がそれをすくいあげた。それと同時に顔をあげた彼に笑みはない。恐ろしいほどの無表情で髪を撫で付けた。僕の視線に気付いてやっとチラリと笑った。

「単位を落とさないように気を付けないといけませんよ」

 そう言って腰をあげ、部屋の小卓の前に座りこむ。彼のいなくなった窓辺は急に魅力を失った。夜空には火花の大輪が咲いているが、僕も窓を離れ、畳の上に座った。

「秋になる前に、この下宿を離れることになったんですよ」

 唐突に彼が切り出した。僕は驚いて声をあげた。

「いったいどうして」
「家業を継ぐ時がいよいよきましてねぇ。学生の時は嫌だとさんざんゴネてみましたが、頭では逃げられないとわかっちゃいたんですよ。それで荒れた時期もありました。だからしばらく僕一人で好き勝手にやらせてもらってたんですが、それも年貢の納め時がきたようで。親父ももう年だからなぁ」
「お父さんはおいくつで」
「もうすぐ八十です」

 いったいいくつの時の子供なのか。驚きと疑問が顔に出てしまった。彼は僕の表情を読んで照れたように笑った。

「母親は五十三です。いわゆる後妻というやつで」

 彼は普段冗談を言うときのような顔で言った。僕は曖昧に笑い返した。

「これから色々大変なんですがね、最後の夏に、森口君とこうして過ごせてよかった。君と話をするのはとても楽しかったから」
「それは僕の台詞です」
「そう言ってもらえると嬉しいな。来週荷物をまとめて出ていく予定です。良かったら今夜はここに泊まっていきませんか」
「是非」

 笑みを濃くし、目だけで頷いて、彼は窓へ顔を向けた。一際大きな花火が上がって、その火花がバラバラと音を立てて落ちていく。彼は首筋を掻いて一言「飲みすぎたかもしれないな」失敗したような口調で呟いた。

 花火大会も終わった。つまみを食べながら酒を飲んで腹を満たし、少し休憩と言って敷いた布団に寝そべったらそのまま寝てしまった。

 夜半をとうに過ぎた頃、人の気配で目が覚めた。薄暗い部屋に中にぼんやりと浮かび上がる黒い人影が僕の隣で微動だにしない。驚いて一気に目が覚めた。

「原村さん?」

 声をかけたらピクと動いた。振り返る動作で、彼が僕に背を向けていたと知った。

「起こしましたか」
「どうしたんです」
「いやなに、寝苦しくて眠れなかったんですよ」
「今夜は風がありませんね」

 半身を持ち上げ窓を仰ぎ見た。濃い群青空に星がいくつか光って見える。今夜は月夜らしい。

「森口君」

 間近に声を聞いてギョッとした。いつの間にか息のかかるほど近くに彼がやって来ていた。窓から入るわずかな光りで彼の表情がかろうじて読み取れる。苦しいような切ないような、そんな彼の顔は初めて見る。

「どうしました、気分でも?」
「こんな僕を許してください」

 言うなり彼が僕に抱きついてきた。その勢いで布団の上に押し付けられた。

「原村さん、どうしたんですか」
「僕は来週にはいなくなる人間です。今日のことは夢だと思ってあすの朝にはすっかり忘れてしまえばいい。だから今夜は、僕の言う通りに……、君は何もしなくていい、何も考えずに、そのまま寝ていてください」

 意味がわからない。問い返そうと開いた口が、彼の口で塞がれた。一瞬、思考能力を奪われたが、すぐ正気に戻り、顔をずらして逃れた。彼を突きはなさなかったのは、遊び慣れしていると思っていた彼の口付けがたどたどしいものだったからだ。それは同時に、酒に酔ったせいだという可能性を否定するものでもあったが、僕はなぜかそのことに妙な感動を覚えた。



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堕在(2/2)

2020.07.04.Sat.
<前話>

 竹田は服を脱いで全裸になった。細くて白い体。俺を見下ろして薄く笑う。ゾクリと全身総毛だった。

 竹田が上に跨ってきた。服をたくしあげて胸や腹を舐められる。乳首を吸われ、歯を立てられた。

「勝手なことを言うが、許してほしい」

 竹田の頭がだんだん下へさがっていく。陰毛に息を吹きかけられた。

「頼む、竹田」
「だから、許すとか許さないとかじゃないんだ」

 性器が熱い口腔に包まれた。

 ※ ※ ※

 最近寒くなってきたからマフラーをプレゼントしたいと竹田が言い出した。特に断る理由もないので、仕事終わりに落ち合い、二人で出かけた。

 値札も見ずに自分の気に入ったものを竹田に渡し、竹田はそれを持ってレジへ向かった。

 店を出たあと竹田の奢りで食事をし、飲みたくなった俺がバーに誘った。酒に弱い竹田はすぐ顔が赤くなった。きっと白い体も赤く染まっているに違いない。情欲が突き上げてきた。

 竹田がトイレに立った。そのあとを追いかけ、驚いている竹田を個室に押し込んだ。

「フェラして」
「えっ、ここで?」
「俺をその気にさせたお前が悪い」

 困っている竹田の肩を押して跪かせた。ベルトを外し、ファスナーを下して性器を取り出す。それを口元へ持っていくと、観念したのか竹田は口を開けた。

 場所のせいだったのか、酔っていたせいだったのか。俺は竹田の口へ放/尿していた。驚いた竹田がむせる。当然飲み込めない小便を口からこぼす。竹田のワイシャツが俺の尿で濡れて汚れた。

「ひどいじゃないか」

 トイレットペーパーで顔とシャツを拭きながら、さすがに怒って竹田は俺を睨んだ。

 尿意は収まっても俺の劣情は収まらない。性器が硬さと角度を持ちはじめる。

「フェラしろよ」
「何を言ってるんだ」

 竹田の顔が怪訝そうに歪む。

「頼むから」

 竹田の首にしがみついて俺は懇願した。俺の態度に戸惑っているのか、竹田はしばらく無言だったが「わかったよ」とため息とともに言った。

 いまや痛いほど勃起しているものを、竹田は優しく咥えてくれた。まだ尿道に残っているものも吸いだし、舌の先で綺麗にしてくれた。

 頭を押さえて腰を振った。苦悶の表情を浮かべる竹田を見下ろしながら俺は、さっきのマフラーで縛り付あげられる竹田の姿を想像していた。

 ※ ※ ※

 そういえばあの時のマフラーはどうしただろう。捨てた覚えはないから、クローゼットのどこかにあるはずだ。

 舌なめずりをしながら竹田が顔をあげた。

「前の時も思ったけど、咽喉が焼けそうな感じは強い酒に似てる」

 竹田も同じ日のことを思い出していたようだ。

「あの日は……酔っていた」
「今日は酔ってないだろ」
「それはお前が」
「怖いから?」
「ああ」
「なんでも俺のせいだ」
「そういうわけじゃない」
「俺のせいにしろよ、前みたいに」

 細くて長い指が俺の性器をゆるゆると扱く。頑なに反応を示さない。こんな状況では仕方がない。

「この3年、あんたのことは考えないようにしてきた。必死に忘れようとした。あんたと会わなくてすむように会社まで辞めたのに、世間って狭いよな、あんたの結婚の噂が俺のところまでまわってきた。一度は納得しようとしたけど無理だったよ。俺はもう戻れない。もともとまともな人間じゃなかったんだ。人並みの人間になりたいって思ってる時点で、自分が欠陥人間だと認めてたんだ」

 竹田の指が肛門のあたりに触れ、俺はびくりと跳ねた。

「あんたも同じだろ? いや、あんたは俺以上に欠陥人間のはずだ。あんたと付き合ってるあいだ俺は怖くて仕方なかった。あんたと一緒にいたらどこまでも堕とされそうで。それを受け入れてもいいと思ってる自分が本当に怖かった。あんたの酷い仕打ちを嫌がっているのか喜んでいるのか、その区別すらつかなくなってた。あんたが俺をこうした。ここまでの人間に堕とした。なのにあんただけ結婚するなんておかしいだろう。なにまともぶってるんだよ。それとも相手の女にも俺と同じことしてやってんのかよ」

 グリッと指がねじ込まれた。なにかを探すように中で動く。触れられた瞬間、これかと体が強張った。

「なぁ、どうなんだよ」

 指の腹で執拗に前立腺を刺激してくる。俺の意思とは関係なく性器が立ち上がる。

「するわけないだろう。ほかの誰にもしたことはない」
「じゃあどうして俺にだけあんなに酷いことができたんだよ!」

 口調こそ荒かったが、竹田が怒っていないことが俺にはわかった。許すも許さないもない。竹田は俺を恨んでいない。その言葉の通りなのだ。

「わかった、教えてやる」

 頭を起こし、竹田の目をしっかり見据えた。

「お前をいたぶるのが楽しくてたまらなかったからだ。勘違いするなよ、お前に愛情はない。ただ、虐めて辱めることで自分の欲望を満足させたかっただけだ」
「やっぱりあんたのせいだ」
「お前も俺と同じ。もともとの素質だよ」
「違う」
「違わない。証明してやるからロープを解け」
「嫌だ」

 怯えたような顔で竹田は首を振った。

「解け」
「外したらあんたは怒り狂うだろ」
「俺と心中するつもりで来たんじゃないのか」

 く、と竹田は口元を引き締めた。

 竹田にロープを外されて立ち上がった。

 ベッドの上に座り込む竹田が呆然と俺を見上げている。

 解いたロープを拾い上げ、竹田の背後にまわって無言で両手を縛った。竹田も抵抗せずおとなしくしている。

「俺がお前を引き込んだと言ったら安心するか?」

 竹田の髪を掴んで後ろへ引っ張った。

「とことん俺と堕ちてみるか?」

 唇を噛みしめる竹田の目尻から涙が零れおちた。

 ※ ※ ※

 育ててみると子供も案外かわいいものだった。まだあまり見えていないと嫁は言うが、赤ん坊は俺の顔をじっと見つめ、あやすと笑った。

 風呂にも入れるし、おむつも取り替えてやっている。夜泣きもミルク作りも苦痛じゃない。一日会わないと、あの小さな体と乳臭い匂いが懐かしくなる。

 会社で俺はイクメンで通っているらしい。

 マナーモードにしていた携帯電話がガラステーブルの上で音を立てて震えた。子供と一緒に実家にいる嫁からだ。

「どうした?」
『一人で寂しいんじゃないかと思ってさ』
「俺のことは気にせずゆっくりしなよ。久し振りの実家だろ」
『いま家? なにしてたの?』
「それ聞く?」
『浮気チェックも妻の仕事です』
「エッチなDVD見てた。オナッてる最中だったよ」
『やだっ、最低! ばっかじゃないの!』
「だってお前がいないんだぜ。どうしろっていうの」

 リモコンを手に取り、メモリを強に切り替えた。それに合わせて竹田の奥に突っ込んだバイブの振動が強くなったのを、亀頭の先で感じとった。

「んんんっ!」

 ソファに頭をのせていた竹田は背をしならせた。ビクビクと体が痙攣している。

 後ろ手に、マフラーで両手と左足首を拘束された体はバランスが取りにくいらしく、俺が少し強めに腰を動かすとすぐソファからずり落ちた。

「んんっ、んはぁあっ、あっ、あっ……」

 首を捻って俺を見上げる。目からは涙が、口からは涎が垂れて見るからに汚いツラだ。だが物欲しそうなその顔は俺に強い性衝動を感じる。

『ねえ、なんだか変な声が聞こえたんだけど?』
「DVDの音だろ。もっと聞く?」
『パパ最低!』
「ははっ、俺がイクとこまで付き合えよ」
『悪趣味!』

 通話は切られてしまった。どうせなら竹田がイクときの声を聞かせてやりたかったが。

 携帯をテーブルに戻し、俺は両手で竹田の腰を掴んだ。音が立つほど抜き差しする。射精感が加速する。

 竹田が包丁を持って現れたあの夜から、俺たちの付き合いは再開した。俺は竹田を欲望のまま扱い、竹田もそれを悦んで受け入れた。

「もぉ……だ、めっ……イク、イカせて」

 限界なのだろう。竹田の声は震えていた。

「このマフラーをもらった時から、ずっとこれでお前を縛ってやりたいと思ってた」

 くいとマフラーを引っ張った。

「うぅっ……俺も……同じことを」
「さすが変態だな。最初からそのつもりで俺にプレゼントしたのか」
「あの夜のこと、忘れない……」

 記憶が脳裏をかすめた瞬間、俺は射精していた。引き攣った竹田の声を聞きながらすべてを出し切り、性器を抜いた。

 竹田の脇に手を入れて引っ張り起こし、ソファに座らせた。期待に濡れた目が俺を見つめている。

 ペニスを差し出すと竹田は体を倒してそれを咥えこんだ。愛しむようにうっとりと目をとじ、舌全体を使って汚れを綺麗に舐めあげる。

 俺が髪の毛を掴むと竹田は目をあけた。

「どうして欲しい?」
「君の望みが俺の望みだ」

 俺は遠慮なく竹田の口へ尿を放った。咽喉を鳴らしてそれを飲みながら、竹田は白濁をまき散らした

 俺と竹田の欲望はとどまるところがない。二人でどこまでも堕ちてゆけばいいのだ。

(2013年初出)

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堕在(1/2)

2020.07.03.Fri.
※微ス/カトロ、ぜんぜん甘くない、過去と現在いったりきたり

 俺はベッドに縛り付けられていた。その周りを竹田が落ち着きなくウロウロ歩き回っている。

 体中が強張っていた。俺の目は、竹田が持っている包丁に釘付けだった。

「トイレ、行かせてもらえないかな」

 恐る恐る声をかけた。

「ああ?」

 血走った目が俺を睨み付ける。余計なことを言うんじゃなかった。

「漏らせよ。そこでやれ」

 と手のかわりに包丁で指さす。

「見ててやる。ほら、出せよ」

 しゃがんで俺の股間を凝視する。もともと大きな目が興奮でさらに大きくなっている。瞬きしないで俺の股間を見つめてる。イっちゃった奴の目だ。

 ~ ~ ~

「久しぶり。結婚するって聞いた。俺に連絡なしとか薄情じゃねえの?」

 三年ぶりに俺の前に姿を現した竹田はにこやかな顔つきで「おめでとう」という言葉とともに、後ろに隠していた包丁を俺に向かって突き出した。絶句する俺を包丁で脅して玄関に入り、鍵をかけ、靴を脱いで部屋にあがりこんだ。

「騒ぐなよ。騒いだら殺すから」

 持ってきたトートバックから竹田はロープを取り出した。それを俺の足もとへ放ってよこすと、

「足、縛れ」

 包丁の先を俺に固定したまま言った。俺はその言葉に従った。指先が震えてうまく結べない。竹田が確認したあとさらにきつく結ばれた。

 殺される。

 竹田に恨まれる心当たりは、無いととぼけるほうが難しいほどにあった。

 ※ ※ ※

 竹田は俺の勤める会社に出入りしていたSE。色白で細くて内向的な性格で、高圧的な態度をとる俺の上司にただ「すみません」と頭を下げることしかできない気弱なもやし男。竹田になら誰もが嫌みを言ってもいいような空気ができていた。

 そんな中で仕事をしていた竹田に少し優しい言葉をかけると泣きそうな顔で静かに感動していた。二言、三言会話するうちに、俺には世間話をするようになり、小さい笑顔も見せるようになった。

 どこへ行っても罵倒され、優しくされたことなんかないとこぼしていた。自分が愚図なせいだと落ち込んでいた。生まれつき人の加虐心をあおるタイプのようだった。

 酒に誘うと嬉しそうについてきた。酔わせて部屋に連れこんで犯した。

 竹田はパニくり、俺を非難してよいかもわからないようだった。怒りもせず、ただ「どうして?」と問い、俺が「好きだから」と適当に言った言葉を信じた。

「おまえは俺のこと好きじゃないの?」

 竹田は爪を噛みながら「好きです」と頷いた。その日から俺の性処理奴隷だった。

 ※ ※ ※

「なんで出さねえんだよ」

 眉間に皺を寄せた竹田に睨まれた。俺が突然別れ話を切り出したときも、竹田はこんな顔をしなかったし、こんな乱暴な言葉使いも初めて聞くもので、この変わりように驚かされると同時に、竹田の恨みの深さを知って戦慄した。

「出ないよ」

 俺の声は震えていた。

「なん……あぁ、悪い。ズボンはいたままだったな」

 包丁は握ったまま、竹田は俺のズボンを下着ごとずりおろした。晒された外気のなか、縮こまっている俺のものを見ると「ふん」と鼻で笑う。

「こいつ。懐かしいや」

 包丁の先でピタピタと性器を叩く。

「やめ、やめてくれ」
「切り落としてやろうか?」
「頼むから……」
「記念にもらっていこうかな」

 指で挟んで持ち上げると、その根元へ包丁をあてがった。俺は言葉にならない悲鳴をあげた。

「冗談に決まってんだろ。こんなもん、今更欲しくもねえよ」

 クスクス笑いながら、性器から手と包丁をはなした。ガチガチと歯を鳴らす俺の横へ腰をおろして、顔をのぞき込んでくる。

「俺が怖い?」

 怒らすまい。俺は曖昧に首を振った。竹田の唇が左右に吊り上がった。

「嘘つき。あんたいつだって嘘ついてばっかじゃねえか。俺のこと、好きでもなんでもなかったんだろ?」

 ぎくりとしつつ、さっきよりはっきり首を左右に振った。竹田の顔が俺を憐れむような苦笑にかわった。

「必死だよな。そりゃそうか。結婚決まったばっかだもんな。もうガキもいるんだって?」

 予想外の妊娠だった。女に嵌められたような気分だった。

 俺が望んだ結婚じゃない。それを目で訴えながら首を振ると、竹田は声をたてて笑った。腹をかかえ、身をよじり、ひとしきり笑ったあと、

「あんたって本当に最低だよ。人として終わってる。かわってなくて安心した」

 目じりの涙を拭いながら竹田は言った。

「そんなあんただから俺のことも相手にしてくれたんだろうけどな。俺を弄ぶのは楽しかったか? 少しは反抗したほうがよかったか? 言いなりで面白くないから捨てたのか?」

 息がかかるほど顔を近づけてきた。俺が答えられないでいると、ベロリと唇を舐められた。

「体臭、かわったな。それともこれは、恐怖の匂いってやつか?」

 口づけされた。強い力で頬を掴まれ、むりやり口を開かされた。竹田の熱い舌が入ってくる。竹田が夢中で俺の舌を吸う。

 ※ ※ ※

 最近仕事が立て込み寝不足だという言葉に嘘はないようで、竹田の顔色は悪く、目は落ち窪んで頬もやつれていた。

「遅いんだよ。いつまで俺を待たせるんだ」

 嫌みを言って竹田を困らせた。

 仕事のミス。人間関係の些細なトラブル。帰りに寄った食堂の店員の酷い態度。繋がらない電話。誘ってもまだ仕事だと断られ、それでもいいから来いと待たされる時間。

 俺のイライラは最高潮。

 世間話みたいに「寝てない。疲れてるんだ」と断りの理由を仄めかすが、俺はそれを無視して竹田にしゃぶらせ、尻を出させた。

 一方的に犯して出すとようやく気持ちが落ち着いた。

 竹田はスーツを着たまま。下もズボンと下着をずらしただけ。そんな恰好で犯されたのに、竹田は勃起させていた。

「自分で処理しろよ。見ててやるから」

 部屋に来る前に買って来いと頼んでおいた缶ビールを飲みながら、俺は顎をしゃくった。

 白い顔を赤くしながら竹田は戸惑っていた。その手を掴んで自らの股間へ導いてやった。

「酒のつまみ買ってくんの忘れただろ」
「それは、言われてなかったから」
「言われなきゃわかんないのかよ。気、きかせろよ。だからこれは罰ゲームな。おまえがオナッてる姿で我慢してやる」

 ほら、と促した。

 股間の前で指を弄びながら、竹田はチラチラと俺を窺い見た。俺はビールを飲みながら冷たくその目を見返した。気をかえるつもりがないと諦めた竹田は、おずおずと自分の勃起を握って扱き始めた。

 長い指が自分自身を慰める様を、俺はただ無言で眺めていた。

 目を閉じながら、竹田は時々俺の名前を口にした。触ってほしいのだろうか。足をのばしてつま先でつついた。竹田の吐息が乱れる。亀頭の先を足の裏で捏ねた。土踏まずが先走りで濡れた。

「変態」

 あざ笑うと竹田は目を開き、恨めしそうに俺を見た。

「おまえって絶対マゾだろ。本当は罵られたくてわざとトロイ仕事してるんだろう」
「違うよ」
「足コキで涎垂らしてるくせに」
「違うってば」
「マゾでホモの変態か。救えないな」

 竹田の口元に足をもっていった。

「舐めろ。舐めて綺麗にしろ、変態野郎」

 乱れた吐息が俺の足の指にかかる。竹田は舌を出し、汚れた俺の足を舐めた。

「筋金入りの変態だな」
「違う……君が好きだから。君は?」

 足の指に舌を絡ませながら、竹田は怯えた目を向けてきた。

「決まってるだろ。だからこんな変態行為に付き合ってやってるんじゃないか」
「好きってこと?」
「ほかになにがある」

 缶ビールをテーブルに置いて俺は立ち上がった。竹田の頭を鷲掴み、再び勃起したものを口の中に突っ込んだ。いきなり奥まで差し込まれ、竹田の咽喉は痙攣した。頭を押さえつけ腰を振った。

「手、止まってるぞ」

 竹田は素直に性器を扱いた。

 イク瞬間、口から引き抜いて竹田の顔にぶっかけてやった。

 ※ ※ ※

 口の端から唾液が垂れ落ちた。ようやく離れた竹田の唇は、噛みつくようなキスをしたせいで赤くなっていた。

「最初はあんたのサディスティックな趣味に付き合わされてるんだと我慢してたけど、あんたに何度も言われ続けたせいで、俺のほうこそマゾの変態なんじゃないかって錯覚しそうになったよ。俺の変態趣味にあんたを付き合わせてるんじゃないかと。なすがままの俺にあんたはどんどん調子づいて好き勝手やってくれたよな? 今から同じことしてやろうか?」

 そんなに嫌がってなかったじゃないか。のど元まで出かかったが、もちろん飲み込んだ。だが竹田は俺の目や表情から読み取ったようだった。

「満更でもなかったって? 本気で思ってんのかよ。ケツに酒瓶突っ込まれんのが? 自分の精液飲まされんのが? 女とあんたがヤッてるとこ見せつけられんのが? そのあと女に笑われながら俺一人でやらされんのが? あんたの俺の扱いは最低だった。まさか本気で自覚なしかよ?」

 包丁が俺の頬にピタリと当てられた。冷たい切っ先が目のすぐ横にある。

「悪かった」

 俺の声は女の泣き声みたいだった。

「今頃謝られてもね」
「じゃあ、どうすれば許してくれる?」

 竹田は一瞬考え込むように黙った。

「許すとか、そういうんじゃないんだ。あんたに好きだって言われて、少しの間恋人の真似事してたら、俺も普通の人間なんだって思えて嬉しかったよ。あんた以外、誰とも付き合ったことがないって前にはなしただろ? 人付き合いが苦手で友達も一人もいないって。ずっと一人で惨めな思いをしてきたって。いつでもどこでも馬鹿にされる人生ってあんたに想像できるか? 人目につかないようにずっと俯いてたらそれが癖になって、人とはなすとき目を合わせられなくなるんだ。目を見てはなすと呼吸が苦しくなって、体が震え始める。頭は真っ白になるし、言葉を噛むし、相手は俺をおかしな奴だって目で見てくる。余計にしゃべれなくなって空回りする。その日の夜は最悪の気分で眠れなくなる。あんたにはわかんないだろうな」

 竹田の不器用な性格については、不器用な切り出し方で聞いてはいた。自覚があったんだと思うだけで、右から左へ聞き流していた。だから俺は慰めもアドバイスもしなかった。

「いきなり別れるって言われたときは目の前が真っ暗になった。俺のせいなんだって。やっぱり俺はまともに人と付き合えないんだって死にたくなった。死にきれないでグズグズしてたらいつの間にか立ち直ってたよ」

 泣きそうな顔で竹田は笑った。いつの間にか包丁が俺の顔から離れていた。

「別にあんたを恨んじゃいない。あんたは俺を好きじゃなかった。だから酷いことを平気でできた。飽きて利用価値がなくなったら簡単に捨てた。よくわかってる。わかってるのに、この3年、あんたのことが忘れられなかった。噂であんたが結婚するって聞いたら、たまらない気持ちになった。あんたを殺して俺も死のうって」

 すうっと竹田の顔から笑みが消えた。

 俺は失禁した。


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