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おかえり(5/6)

2020.02.18.Tue.



 することもなくベッドに寝転がって天井を見ていた。もうすぐ秋だというのに遠くから蝉の鳴き声がする。

 目を閉じた。頭の片隅に居座っている一人の男がまぶたの裏に現れる。そばにいないのに山本の匂いや体温が蘇って五感をくすぐる。俺を思いやる声。俺の言動に一喜一憂する表情。唇に押し当てられた柔らかさ温かさ。

 錯覚を抱いて目を開けたが部屋には誰もいない。少しだけ頬の内側が熱くなっただけだ。

 山本が姿を見せなくなって一ヶ月近くが経つ。ほっとするのが半分。罪悪感から気になるのが半分。山本をひどく傷つけた気がする。実際傷つけてしまったのだろう。

 俺を好きだというたったそれだけの理由で教師の頭をバットで叩き割り少年院に入ったのに、報われるどころか目の前でほかの男とキスしているのを見せつけられたのだから。

 なのに山本はキスひとつしただけで帰って行った。別れ際「ごめん」と謝ってさえいた。馬鹿がつくほどにお人好しなんだろう。その性格を熟知しているから木崎も俺を責めたのだ。

 腕を枕に体を丸めた。外は晴天だというのに気が晴れない。傷一つで大騒ぎする山本の優しさに涙が滲みそうになる。

 ――――コン、コン、コン。

 ノックの音に飛び起きた。池島は仕事。ほかの社員が俺の部屋を訪ねてくることはめったにない。じゃあ、外にいるのは……

「山本?」

 急いで玄関に向かって鍵を開けた。扉の向こうから顔を覗かせたのは、

「お、おじ、さん……」
「よお、ひさしぶり。やっと見つけたぜ」

 丹野は俺をおしのけて土足のまま中に入ってきた。頭のなかでノックの音がこだまする。インターフォンのあとにノックを三度。この男の癖。インターフォンがないからノックの音を聞いても結びつかなかった。来ないと高をくくっていた。油断して鍵をあけた自分を激しく呪った。

「このあと暇か?」
「あ、あの、バイトが」
「さっき店寄って店長に聞いたら今日は休みだって言ってたぞ?」

 にやりと丹野が意地悪く笑う。単純な誘導尋問に簡単に引っかかってしまった。

 突然の訪問に混乱して頭が働かない。うまい嘘が思い浮かばない。

「最近連絡ねえし、借金返す前にとんずらされんじゃねえかと思ってよ」

 靴音を立てて丹野がにじり寄ってくる。

「そんなこと、しません。最近忙しくて」
「そうか? なんだかんだ理由つけて俺を避けてたじゃねえか」
「そんなことは」
「恩の返し方が金だけじゃねえことも、忘れてんじゃねえかと思ってよ」

 腰をまげて下から俺の顔を覗きこんでくる。丹野の望むもの。金。丹野の望むこと。奉仕。

 俺はカーテンをしめた。薄暗くなる室内。久し振りのことで心臓が乱れた鼓動を打つ。

 後ろから丹野が抱きついてきた。

「最近、良子さん調子いいみたいじゃねえか。新しい男でもできたか?」

 耳に舌を突っ込みながら喋る。生温かい息と唾液で耳が汚されていく。

「さあ……家出てからあんまり会わないんで」
「あの女もたいがい売春婦だよな」

 耳元で笑い声。頭に血がのぼったのも一瞬、俺は冷静になって感情を殺すスイッチを入れた。

「も、って俺もそうだってことですか」

 腕の中で体を反転し丹野と正面から向きあう。

「違うのか?」
「おじさんがそうしたんじゃないですか」

 笑ってみせると俺はそこへ跪いた。ベルトを外しファスナーを下す。すでに固い丹野の性器をしゃぶる。

 こいつの言う通り俺は売春婦だ。しばらく丹野とセックスしなかったからって、まともな人間にでもなったつもりだったのか俺は。金を援助してもらうかわりに体を提供した。かわいがってもらうために媚を売った。すきものの淫乱を演じてきた。

「すごく大きい……おじさん……」

 欲情したような目で丹野を見上げる。丹野には我慢できない盛りのついたガキに見えているはずだ。

「欲しいか? ん?」

 欲しいよ――言い終わる前に殴られていた。

「そうすりゃ俺が甘い顔すっと思ったか? ああ? おまえが嫌々抱かれてんのに気づかねえほど俺を馬鹿だと思ってたのか? 生憎だったな、俺はおまえの寒い演技を利用してただけだよ。クソガキが精一杯善がってるふりしてんの見て腹んなかで笑ってたんだよ、このくそ馬鹿野郎が!」

 今度は腹を蹴られた。丸まる俺のうえに丹野が跨り拳を叩きこんでくる。頭を庇う腕の隙間から胸倉を掴んで持ち上げられ、そのまま床に打ちつけられた。何度もそれが繰り返される。意識が朦朧となってくる。腕のカードが弛むと顔を殴られた。自分を守るために体を動かすこともできない。無抵抗のまま何度も殴られていた。

 このまま殴り殺されるんだろう。そう覚悟した。恐ろしかった。はやく気を失ってしまいたいのにそれが叶わない。悪鬼の形相で拳を叩き込んでくる丹野を見続けることしかできない。

 咽喉に血がつまって咳き込んだ。丹野はゼエゼエと肩で息をしながら自分の股間のものを取り出し、扱き始めた。衣類を剥ぎ取るようにして俺の下半身を露出させると足を肩に抱え上げる。

「俺から逃げられると思うなよ、クソガキが」

 そんな気力もねーよ。

 むりやり中にねじ込まれた。体を裂かれる痛みは不思議となかった。ただもう演技をしなくていいと俺は体から力を抜いて目を閉じただけだ。

「だ、誰だ!」

 丹野の慌てた声に目をあける。ちょうど黒くて大きい影に丹野が蹴倒されるところだった。視界に入らない場所で丹野の呻き声と肉を打つ鈍い音が聞こえる。さっきまで俺の脳を揺さぶっていた音と同じ種類のものだ。

 のろのろと体を起こした。黒い影は山本だった。山本は最前の俺たちのように馬乗りになって丹野を殴りつけていた。何度も。何度も。拳が血で赤く染まっても、その動作をやめない。

 さっきまで呻いていた丹野が静かになった。ばたつかせていた手足も弛緩して床に放り出されている。死んだか、と俺は思った。それでもまだ殴り続ける山本を俺はしばらく眺めていた。

「もういいよ」

 発した声は自分で予想していたより小さくて呂律がまわっていなかった。山本が止まらないので聞こえていなかったか、意味が理解できなかったのだと思い俺はもう一度、今度は大きな声で言った。

「山本、もういいいよ」

 俺の言葉が通じたらしい。山本は振り上げた拳をだらんとおろした。馬乗りになったままの体勢で、ぴくともしない丹野を見下ろしている。

「ありがとう、助けてくれて」
「ありがとうなんて言うな。助けられなかった。俺はおまえを助けられなかった」
「助けてくれたよ」

 山本がゆっくり振り返る。血飛沫で真っ赤になった顔を辛そうに歪めていまにも泣き出しそうだ。

「もっと早く来てたら、もっと早く気づいてたら、おまえをこんな目に遭わせなかったのに」

 震える手を伸ばしてくる。触れるか触れないかのところで、俺の頬を包むように手を添えた。

「おまえを助けたかったのに、俺はなにもできなかった。今も、昔も。おまえを守りたいのに守れない。こんな方法じゃ、なにも解決しないのに!」

 山本はドンと床を殴りつけた。涙を流しながら。もどかしそうに。腹立たしそうに。

「山本、俺、山本に助けてほしいなんて思ってないよ」
「俺が守ってやりたいんだ!」
「あのときも、今回も、助けてほしいなんて言ってないだろ、俺」

 潰れた片目をなんとか開いて、俺は山本を見据えた。

「そういうの、すっごい迷惑。自分に酔っちゃってんの見え見えだし、俺の気持ち完全に無視だし。俺が木崎を好きなこと知ってて付き纏うなんて嫌がらせじゃん。待ち伏せとかストーカーみたいできもい。助けてくれたのは感謝するけど、こいつ」

 俺は丹野の足を軽く蹴った。

「俺の叔父なんだよ。身内をこんなにボコボコにしてくれちゃってさ。ほんと迷惑。はやく消えろよ。ここ俺の部屋だぞ。早く出てけよ」
「河端」

 すっかり萎れてしまった山本が頼りなさげに俺の名前を呟く。捨てられた犬の有り様だ。そんな目で見るな。早く出てけって言ってんだ。ほとんどの社員は出勤だけど、休みの社員が寮にいるかもしれないだろ。

「早く行けってば。もう俺に構うな。もう二度と現れんな。迷惑なんだ、早く出てけ!」

 カーテンの外をよぎる人影が見えた。俺の視線で山本もそれに気づいた。俺に向きなおると、右手を出して言った。

「逃げよう、いっしょに」

 俺は反射的にその手を掴んでいた。




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