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おかえり(2/6)

2020.02.15.Sat.
<1>

 バイトを終えて店を出ると地面が濡れていた。いつ降ったのかと真っ暗な空を見上げる。雲の切れ間から星が見える。きっと通り雨だったに違いない。

 同じ寮住まいの社員から部屋でやる飲み会に来ないかと誘われていた。俺が未成年だろうがおかまいなしだ。元気があったら行きますと返事をしたけど実はあまり気が進まない。なぜなら参加者のなかにはアルバイトの女の子も何人かいて、明け方近くに目を覚ますときっとまた押し殺した喘ぎ声を聞くはめになるからだ。前回がそうだった。俺はトイレに行きたいのを必死に我慢してその行為が終わるのを待った。飲み会に女の子が参加するとこうなるに決まってる。

 まっすぐ部屋に戻ると誰かに捕まりそうだったので、交差点のそばにあるコンビニに寄って行くことにした。

 夕飯は食堂で済ませていても一日動きっぱなしで小腹がすく。おにぎりとパン、1Lパックのお茶、スナック菓子を買って帰った。

 店の2階は事務所と食堂になっている。勤務中は交代で食事をとり、休みの日も食堂まで行けばまかないが出る。この条件があるからここの面接を受けた。食事つきと言ってもこうやってよくコンビニで買い物しているからお金をおろすときには罪悪感が沸く。

 いったん店に戻って駐車場から同じ敷地内の寮へ向かう。一階の左側が俺の部屋。ポケットの鍵を探っていたら駐輪場の陰からぬっとなにかが現れた。強盗か。心臓がひやりと冷える。

 暗がりからエントランスの照明のしたに姿を現したもの、それは──

 ある意味、俺がいま一番恐れているものだった。

「山本……」

 手から鍵が滑り落ちた。カチャンという音にさえ怯えて俺は全身黒尽くめの山本を見つめた。黒いブルゾン、黒いジーンズ、黒く短い頭髪。以前は肩に届く茶髪だった。

 どうして山本がここにいるんだ。いつ少年院を出たんだ。なぜここを知っているんだ。俺を待ち伏せしてたのか。なぜ。なぜ──。

 そんなの答えは決まっている。俺を憎んでいるから。俺のせいで人生が台無しになったから。俺に復讐するため、この場所を探しあてたんだ。

 恐怖で動けないでいると、目の前までやって来た山本は屈んで鍵を拾いあげた。短い髪の毛から水が零れ落ちる。その時になって初めて、山本がびしょ濡れなことに気づいた。

「ほら」

 広げられた山本の手に鍵が乗っかっている。手を伸ばしたとたん捕まえられそうな気がして躊躇っていると、小さく肩をすくめた山本が俺のかわりに部屋の鍵を開けた。開錠された音を聞いたとき、瞬間的にしまったと頭のなかがゆだったが、山本は元の場所にさがって両手をポケットにしまった。部屋に押し入るつもりはないらしいがまだ安心はできない。

「ありがとう」

 硬くぎこちない声で礼と言うと「別に」と山本はちらりと笑みを見せた。懐かしい山本の笑顔なのに俺は怖くてたまらない。

 首を傾けた山本の笑みが苦笑にかわった。

「おかえりくらい言ってくれよ」
「えっ」
「年少、やっと出たんだぜ、俺」
「あっ、あぁ……おかえり」
「それだけかよ」

 肩をゆすって山本が笑う。

「え、えと」

 不意に真顔に戻った山本がポケットから両手を出す動作を見せた。殴られる! 咄嗟にガードした両腕ごと体を固定された。きたる衝撃に備えて体中に力をこめていたが暴力の気配は一向にない。恐る恐る目を開くと腕の隙間から山本の首筋が見えた。抱き締められていると気づくまでに少し時間がかかった。

「弱ったな」

 耳のすぐそばで山本の声。

「なに震えてんだよ」

 指摘されて初めて自分が震えていることに気づいた。

 ~ ~ ~

 危害を加えるつもりじゃなさそうだとわかっても、俺にとって山本はタイマー表示の見えない時限爆弾のようだった。思いも寄らないタイミングで爆発しそうで、山本に「部屋、見てもいいか?」と訊かれたときは首を縦にふるしかなかった。

 たぶん標準的だと思うワンルームの部屋を、山本は物珍しそうに眺める。玄関の前から動こうとしないので声をかけたら「濡れてるから」と言う。寮の社員からもらったおさがりの服を山本に出してやった。黒いと思ったジーンズは水を吸って黒っぽく見えていただけだと気づく。きっと通り雨にやられたんだろう。

「いつから待ってたんだよ」
「10時前」
「よくここがわかったな」
「おまえの母ちゃんに聞いた」

 口止めしておいたのに。俺の友達ならいいかと思ってしゃべってしまったんだろう。

「家、出てたんだな。聞いてなかったから驚いた」

 誰に――木崎だ。

「木崎にはもう会ったんだ?」

 つい場を繋ぐために木崎の名前を出したが失敗だった。穏やかだった山本の目に剣呑なものが宿るのが見えた。

「あいつとは今でも連絡取り合ってるのか?」

 俺は急いで首を振る。

「嫌われてるから」
「おまえには会うなって言われた。なんかあったのか?」
「山本が少年院はいることになったのは俺のせいだって」
「確かにおまえのせいだよな」

 山本は愉快そうに笑いながら言うが俺は少しも笑えない。身じろぎせず固まっていると、

「冗談だって」

 困り顔の山本に頭をごしごし撫でられた。
 
 山本は担任だった倉岡の頭を金属バットで叩き割り、少年院に入ることになった。倉岡が教師という立場を利用して俺を犯していたと知ったからだ。頭から大量の血を流している倉岡を見おろしながら山本は俺に電話をかけてきた。そこで俺に愛していると言った。俺のために倉岡を殺ったと。

 突然の山本の凶行、それに対する俺の反応を見て、木崎は事情を知らないのに敏感に勘付いた。警察にも誰にも言わなかった山本の動機を俺のためだと見破った。山本が俺に抱く特別な感情にも気づいていた。

 事件後、山本が少年院に入ることになったのはおまえのせいだと木崎は俺を責めた。学校にいるあいだ、身を貫くような鋭い視線を何度も感じた。俺はマゾヒストの心境で木崎の視線に射抜かれた。卒業するまで木崎の憎悪は温度を下げることがなかった。

 まだ木崎のことが好きなのか自分でもよくわからない。だけど、卒業後顔を見てない木崎のことを山本の口から聞いたときは、木崎の温度やにおいをわずかながら思い出して胸がしめつけられた。

 木崎はどうしているだろう。いまでもまだ俺のことを忘れずに、激しく憎んでいるだろうか。

~ ~ ~

 帰ると言わない山本を追い出せないまま日付がかわり、仕方なく泊まっていくか訊ねたら山本は「ごめん」と申し訳なさそうに頷いた。最初からそのつもりだったのかもしれない。

 どちらが床で寝るか押し問答していたらふたり一緒にベッドで寝る展開になっていた。俺は壁側。寝返りが打てない身体的苦痛より、全身に感じる山本の体温とそばで聞こえる息遣いのほうが俺を精神的に窮屈にして苦しめていた。

 寝る体勢が決まらないのか、山本は何度も狭い範囲内で小刻みに体を動かして最適な寝相を見つけようとしていた。その振動が俺に伝わる。腕や背中が俺に当たる。バツの悪そうな咳払いが聞こえる。

「仕事はどうすんの?」

 壁に向かって声をかけた。

「紹介もらった工場に面接行く予定」
「学校は?」
「もう面倒だし、最終学歴中卒でいいや」

 なんでもないことのように軽い口調でさらりと言い放つ。今後ずっとついてまわる高校中退の学歴。履歴書を見た担当者はきっと疑問に思ってなぜ辞めたのか質問するだろう。山本がなんて答えるつもりかなんて、俺には重すぎて考えたくもない。

「別に前科がついたわけじゃねえし、年少入ってたなんて言う義務もないからな。それに高校中退なんて珍しくもねえよ」

 もしかして俺に気を遣わせまいとそんな強がりを言っているんだろうか。だとしたら俺は――。

 その場で寝返りを打った。山本は右腕を枕にして仰向けで寝ていた。首を少し捻って俺と目を合わせると「ん?」と眉を跳ね上げる。高校生のままの、実に子供らしい悪戯っぽい目だった。

 それから目を逸らし、俺は山本に密着した。怖いくらいの緊張を味わいながらふとんのなかで手を動かす。そっと触れた場所は硬くなっていた。

「おい、河端」

 驚きと戸惑いの入り混じった山本の声を無視し、その形に指を添わせる。積極的に男を誘うのはこれが初めてだった。発作を起こしそうなほど心臓が苦しい。だけど俺ができることと言ったらこれくらいしかない。山本だって最初からこれを期待して俺に会いに来たんだ。倉岡を殺そうとしたのもこれのため。丹野や倉岡もそうだった。見返りが必要なんだ。

 先端を包むように指を曲げた。

「やめろ」

 擦れた声とともに手首を捕まれた。熱い手はギリギリと骨を軋ませるほどの握力で握りこんでくる。

「いっ……」

 全身から血の気が引く思いがした。山本を怒らせたことに俺はやっと気がついた。

「こんなことすんなよ。するんじゃねえよ。おまえはもう、こんなこと、すんな……」

 山本の顔が苦しそうに歪むのを見てしまった。俺の視線から逃れるように山本は背を向けた。丸まった背中がなんだか悲しそうで罪悪感がわきあがってくる。それと同時に疲れと苛立ちも感じた。こんなときにそんなことを言える山本がひどく幼稚に思えた。

 何事も起こらないまま時間が過ぎ、朝起きたときには山本の機嫌はなおっていた。

「また来ていいか?」

 帰り際、靴をはいたあと意を決したように振り返って訊ねる。ためらいながら頷くと、とても嬉しそうな笑顔で山本は部屋を出ていった。



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