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おかえり(3/6)

2020.02.16.Sun.


 今日はとくにイベントもなく店は暇だった。俺の顔を覚えた常連客に呼び止められ、なかなか当たりがこないと長い愚痴に付き合わされた。時間の流れが遅い。何度も時計を見てしまう。

 突然インカムから池島の声が聞こえてきた。

「おまえに客。トイレ横のベンチで待ってる」

 ぱっと頭に浮かんだのは山本だった。少年院を出てすぐ俺を探し出した山本。付きまとわれる恐怖が膝を固くする。よろりと最初の一歩を踏み出して、パチンコの島を抜け出しベンチのあるほうへ向かった。

 途中で池島とすれ違った。訪ねてきたのが誰であれ仕事中だ、池島には一応頭をさげておいた。

 俺より大きく育った観葉植物の奥にベンチはある。ジーンズの足とスニーカーが鉢の向こうから見えていた。この場合は叔父の丹野のほうがマシだったが、これで違うことが確定して俺の足取りはさらに重くなった。

 気配に気づいたのか足が動いた。立ち上がって姿を見せたのは意外な人物――木崎だった。

 高校のときより髪の色が落ち着いていて短くなっていた。だから最初、誰だか咄嗟にわからなかった。全体的な雰囲気や見覚えのあるパーツから襲ってくるデジャヴュに目が眩んだ。

「急に悪い。話がある」

 懐かしむ気配がまったくない木崎の硬質な声と態度。現実へ引き戻される。

「いま?」
「できれば」

 どうせ今日は暇だ。少しくらい抜けても大丈夫だろう。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 俺が自動ドアを抜けてそとへ出ると木崎もあとをついてきた。駐車場へ繋がる出入り口から店の奥へまわりこむ。ここなら人目は避けられる。

「久し振り、木崎」
「山本が会いに行っただろ」

 俺の挨拶を無視して木崎は一方的な会話を始めた。木崎はまだ俺を許していない。俺を憎み続けている。俺を睨む目を見てすぐわかった。

「来たよ、先週」
「あいつに構うな」

 思わず鼻で笑ってしまった。

「構ってなんかない。山本のほうが俺に会いに来たんだ」
「ちゃんと振ったんだろうな」
「振るもなにも、山本は俺になにも言わなかった」
「あいつの気持ちは知ってんだろ! あいつを弄ぶのがそんなに楽しいか? これ以上山本の人生をめちゃくちゃにするな!」
「勝手なこと言うなよ!」

 木崎が怒鳴るので俺まで感情的になって声をあげていた。

「俺があんなこと望んだと本気で思ってんのかよ! あれは山本が……! なにも知らないくせに勝手なこと言うなよ!」
「ああ! 俺はなにも知らねえよ! おまえは関係ねえって山本はいまでもおまえを庇ってる! それが俺は許せねえんだよ! あいつを利用してるおまえが!」

 木崎は空調の室外機を思いっきり殴った。側面がへこんでしまっている。

「利用なんてしてないし、誰もあんなこと頼んでない! 人の気も知らないで、よくそんな――」
「おまえの気持ちなんて知ったことかよ!」

 投げ捨てられた言葉。怒りが急速に冷めていく。俺の気持ちは木崎にはどうだっていいことなのか。事情もなにも知らないくせに、木崎は疑うこともしないで山本の味方になり、俺を敵とみなした。あの事件が起こるまでは友達だと思っていたのに、俺は微塵も信用されていなかったのか。友達のように振舞ってくれていたのは、山本がいたからなのか。誤解が解ければまた以前のような関係に戻れると期待していた俺が愚かだった。

 木崎に嫌われ背を向けられたあの日、母さんが自殺未遂を図ったあの日、あの時以上の疲労と絶望感が這い上がってくる。

「もう二度とあいつに近づくな、いいな」

 ナイフで刺すように木崎は俺に指を向けた。その指先を見ながら俺は歪んだ笑みを浮かべていた。

「俺じゃなくて山本に言ってくれよ」
「なんだと」
「迷惑してるのは俺のほうなんだからさ」
「おまえ……!」

 木崎に胸倉を掴まれた。間近に木崎の顔を見たのは本当に久し振りだ。こんなときなのに、男前だなと感心してしまっている。

「俺が好きなのは木崎だ。ずっと好きだった」
「なに、な……」

 突然の告白に木崎が戸惑って瞬きをする。おそらくこれが見納めになるだろう木崎の顔を見ながら、俺はずっと言えなかった言葉を言った。

「木崎が好きだ。高校のときから。嫌われても憎まれてもずっと好きだった」
「ばかなこと、言うな」

 動揺した木崎の声はへんな抑揚がついていた。

「な、こんなこと言われても迷惑だろ? 嬉しくないだろ? 俺が山本に好かれて迷惑してるってわかったかよ」

 言い終わるや否や木崎に殴られていた。その衝撃のまま尻もちをつく。顔を上げると心底軽蔑しきった目が俺を見おろしていた。

「最低だな。山本はおまえなんかのどこがいいんだ」

 吐いて捨てるように言うと木崎は踵を返し去っていった。

「そんなの俺が知りたいよ」

 似たようなことが以前にもあったなと思い出しつつ口の端を拭う。手に血がついていた。

 ~ ~ ~

 仕事前の時間、部屋でのんびりしていたらノックの音がした。てっきり池島かほかの社員だと思って確認せずにドアを開けてしまった。スーパーの袋を手に佇む山本を見て激しく後悔した。

「山本……」
「今日はすぐ帰るよ。じつは就職決まってさ。いっしょに祝ってくれるか?」

 先日の木崎とのやりとりを思い出したが断れるわけもなく中に通した。

「就職ってこないだ言ってた工場の?」
「あぁ。来週から俺、パイプ椅子作るから」

 笑って言いながら山本は袋からジュースやら酒を取り出す。

「いまから仕事か?」
「うん」
「じゃあ酒はまずいな」

 とジュースの蓋をあける。俺はキッチンからコップをふたつ用意して山本の向かいに座った。

「就職、おめでとう」
「おお。ありがとな」

 カチンと軽くグラスをぶつけてあまり冷えていないジュースを咽喉に流し込む。笑みを浮かべてそんな俺を見ていた山本が、急に表情をかえた。

「どうした、これ」

 伸びてきた手が唇に触れる。木崎に殴られた場所はすでに傷がふさがりかさぶたとなって盛り上がっていた。

「なんでもない」

 山本の手を振り払う。

「なんでもないことないだろ。誰にやられた?」

 恐ろしいほど厳しい眼差しを向けられる。こんな目で見られながら嘘をつける自信がない。

「別に。山本には関係ない」

 答えながら視線が下がった。木崎が会いに来たことを山本はどうやら知らないようだ。俺が告白なんてしてしまったから木崎は言えなかったのかもしれない。俺も黙っているほうが賢明だと判断し、木崎のことは隠しとおすことにした。

「関係ないっておまえ……放っとけねえよ。誰にやられたんだよ?」
「そんなたいした傷じゃないんだし、どうだっていいだろ」
「よくねえよ」
「うるさいな。うざいんだよ、おまえ」

 少しきつい言い方をすると山本は口を閉ざした。不満そうな顔で俺を睨み続けている。

「俺、もうバイトの時間だから」

 携帯と財布をポケットに捻じ込んで立ち上がった。顎をしゃくって出るように促すと、山本はしぶしぶ腰をあげた。

「じゃ。仕事頑張れよ」

 戸締りし、店に向かって足早に歩く。本当は出勤時間には早すぎたが、背中に感じる山本の視線から逃げたくて、俺は店の事務所へ駆け込んだ。



のみ×しば

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おかえり(2/6)

2020.02.15.Sat.
<1>

 バイトを終えて店を出ると地面が濡れていた。いつ降ったのかと真っ暗な空を見上げる。雲の切れ間から星が見える。きっと通り雨だったに違いない。

 同じ寮住まいの社員から部屋でやる飲み会に来ないかと誘われていた。俺が未成年だろうがおかまいなしだ。元気があったら行きますと返事をしたけど実はあまり気が進まない。なぜなら参加者のなかにはアルバイトの女の子も何人かいて、明け方近くに目を覚ますときっとまた押し殺した喘ぎ声を聞くはめになるからだ。前回がそうだった。俺はトイレに行きたいのを必死に我慢してその行為が終わるのを待った。飲み会に女の子が参加するとこうなるに決まってる。

 まっすぐ部屋に戻ると誰かに捕まりそうだったので、交差点のそばにあるコンビニに寄って行くことにした。

 夕飯は食堂で済ませていても一日動きっぱなしで小腹がすく。おにぎりとパン、1Lパックのお茶、スナック菓子を買って帰った。

 店の2階は事務所と食堂になっている。勤務中は交代で食事をとり、休みの日も食堂まで行けばまかないが出る。この条件があるからここの面接を受けた。食事つきと言ってもこうやってよくコンビニで買い物しているからお金をおろすときには罪悪感が沸く。

 いったん店に戻って駐車場から同じ敷地内の寮へ向かう。一階の左側が俺の部屋。ポケットの鍵を探っていたら駐輪場の陰からぬっとなにかが現れた。強盗か。心臓がひやりと冷える。

 暗がりからエントランスの照明のしたに姿を現したもの、それは──

 ある意味、俺がいま一番恐れているものだった。

「山本……」

 手から鍵が滑り落ちた。カチャンという音にさえ怯えて俺は全身黒尽くめの山本を見つめた。黒いブルゾン、黒いジーンズ、黒く短い頭髪。以前は肩に届く茶髪だった。

 どうして山本がここにいるんだ。いつ少年院を出たんだ。なぜここを知っているんだ。俺を待ち伏せしてたのか。なぜ。なぜ──。

 そんなの答えは決まっている。俺を憎んでいるから。俺のせいで人生が台無しになったから。俺に復讐するため、この場所を探しあてたんだ。

 恐怖で動けないでいると、目の前までやって来た山本は屈んで鍵を拾いあげた。短い髪の毛から水が零れ落ちる。その時になって初めて、山本がびしょ濡れなことに気づいた。

「ほら」

 広げられた山本の手に鍵が乗っかっている。手を伸ばしたとたん捕まえられそうな気がして躊躇っていると、小さく肩をすくめた山本が俺のかわりに部屋の鍵を開けた。開錠された音を聞いたとき、瞬間的にしまったと頭のなかがゆだったが、山本は元の場所にさがって両手をポケットにしまった。部屋に押し入るつもりはないらしいがまだ安心はできない。

「ありがとう」

 硬くぎこちない声で礼と言うと「別に」と山本はちらりと笑みを見せた。懐かしい山本の笑顔なのに俺は怖くてたまらない。

 首を傾けた山本の笑みが苦笑にかわった。

「おかえりくらい言ってくれよ」
「えっ」
「年少、やっと出たんだぜ、俺」
「あっ、あぁ……おかえり」
「それだけかよ」

 肩をゆすって山本が笑う。

「え、えと」

 不意に真顔に戻った山本がポケットから両手を出す動作を見せた。殴られる! 咄嗟にガードした両腕ごと体を固定された。きたる衝撃に備えて体中に力をこめていたが暴力の気配は一向にない。恐る恐る目を開くと腕の隙間から山本の首筋が見えた。抱き締められていると気づくまでに少し時間がかかった。

「弱ったな」

 耳のすぐそばで山本の声。

「なに震えてんだよ」

 指摘されて初めて自分が震えていることに気づいた。

 ~ ~ ~

 危害を加えるつもりじゃなさそうだとわかっても、俺にとって山本はタイマー表示の見えない時限爆弾のようだった。思いも寄らないタイミングで爆発しそうで、山本に「部屋、見てもいいか?」と訊かれたときは首を縦にふるしかなかった。

 たぶん標準的だと思うワンルームの部屋を、山本は物珍しそうに眺める。玄関の前から動こうとしないので声をかけたら「濡れてるから」と言う。寮の社員からもらったおさがりの服を山本に出してやった。黒いと思ったジーンズは水を吸って黒っぽく見えていただけだと気づく。きっと通り雨にやられたんだろう。

「いつから待ってたんだよ」
「10時前」
「よくここがわかったな」
「おまえの母ちゃんに聞いた」

 口止めしておいたのに。俺の友達ならいいかと思ってしゃべってしまったんだろう。

「家、出てたんだな。聞いてなかったから驚いた」

 誰に――木崎だ。

「木崎にはもう会ったんだ?」

 つい場を繋ぐために木崎の名前を出したが失敗だった。穏やかだった山本の目に剣呑なものが宿るのが見えた。

「あいつとは今でも連絡取り合ってるのか?」

 俺は急いで首を振る。

「嫌われてるから」
「おまえには会うなって言われた。なんかあったのか?」
「山本が少年院はいることになったのは俺のせいだって」
「確かにおまえのせいだよな」

 山本は愉快そうに笑いながら言うが俺は少しも笑えない。身じろぎせず固まっていると、

「冗談だって」

 困り顔の山本に頭をごしごし撫でられた。
 
 山本は担任だった倉岡の頭を金属バットで叩き割り、少年院に入ることになった。倉岡が教師という立場を利用して俺を犯していたと知ったからだ。頭から大量の血を流している倉岡を見おろしながら山本は俺に電話をかけてきた。そこで俺に愛していると言った。俺のために倉岡を殺ったと。

 突然の山本の凶行、それに対する俺の反応を見て、木崎は事情を知らないのに敏感に勘付いた。警察にも誰にも言わなかった山本の動機を俺のためだと見破った。山本が俺に抱く特別な感情にも気づいていた。

 事件後、山本が少年院に入ることになったのはおまえのせいだと木崎は俺を責めた。学校にいるあいだ、身を貫くような鋭い視線を何度も感じた。俺はマゾヒストの心境で木崎の視線に射抜かれた。卒業するまで木崎の憎悪は温度を下げることがなかった。

 まだ木崎のことが好きなのか自分でもよくわからない。だけど、卒業後顔を見てない木崎のことを山本の口から聞いたときは、木崎の温度やにおいをわずかながら思い出して胸がしめつけられた。

 木崎はどうしているだろう。いまでもまだ俺のことを忘れずに、激しく憎んでいるだろうか。

~ ~ ~

 帰ると言わない山本を追い出せないまま日付がかわり、仕方なく泊まっていくか訊ねたら山本は「ごめん」と申し訳なさそうに頷いた。最初からそのつもりだったのかもしれない。

 どちらが床で寝るか押し問答していたらふたり一緒にベッドで寝る展開になっていた。俺は壁側。寝返りが打てない身体的苦痛より、全身に感じる山本の体温とそばで聞こえる息遣いのほうが俺を精神的に窮屈にして苦しめていた。

 寝る体勢が決まらないのか、山本は何度も狭い範囲内で小刻みに体を動かして最適な寝相を見つけようとしていた。その振動が俺に伝わる。腕や背中が俺に当たる。バツの悪そうな咳払いが聞こえる。

「仕事はどうすんの?」

 壁に向かって声をかけた。

「紹介もらった工場に面接行く予定」
「学校は?」
「もう面倒だし、最終学歴中卒でいいや」

 なんでもないことのように軽い口調でさらりと言い放つ。今後ずっとついてまわる高校中退の学歴。履歴書を見た担当者はきっと疑問に思ってなぜ辞めたのか質問するだろう。山本がなんて答えるつもりかなんて、俺には重すぎて考えたくもない。

「別に前科がついたわけじゃねえし、年少入ってたなんて言う義務もないからな。それに高校中退なんて珍しくもねえよ」

 もしかして俺に気を遣わせまいとそんな強がりを言っているんだろうか。だとしたら俺は――。

 その場で寝返りを打った。山本は右腕を枕にして仰向けで寝ていた。首を少し捻って俺と目を合わせると「ん?」と眉を跳ね上げる。高校生のままの、実に子供らしい悪戯っぽい目だった。

 それから目を逸らし、俺は山本に密着した。怖いくらいの緊張を味わいながらふとんのなかで手を動かす。そっと触れた場所は硬くなっていた。

「おい、河端」

 驚きと戸惑いの入り混じった山本の声を無視し、その形に指を添わせる。積極的に男を誘うのはこれが初めてだった。発作を起こしそうなほど心臓が苦しい。だけど俺ができることと言ったらこれくらいしかない。山本だって最初からこれを期待して俺に会いに来たんだ。倉岡を殺そうとしたのもこれのため。丹野や倉岡もそうだった。見返りが必要なんだ。

 先端を包むように指を曲げた。

「やめろ」

 擦れた声とともに手首を捕まれた。熱い手はギリギリと骨を軋ませるほどの握力で握りこんでくる。

「いっ……」

 全身から血の気が引く思いがした。山本を怒らせたことに俺はやっと気がついた。

「こんなことすんなよ。するんじゃねえよ。おまえはもう、こんなこと、すんな……」

 山本の顔が苦しそうに歪むのを見てしまった。俺の視線から逃れるように山本は背を向けた。丸まった背中がなんだか悲しそうで罪悪感がわきあがってくる。それと同時に疲れと苛立ちも感じた。こんなときにそんなことを言える山本がひどく幼稚に思えた。

 何事も起こらないまま時間が過ぎ、朝起きたときには山本の機嫌はなおっていた。

「また来ていいか?」

 帰り際、靴をはいたあと意を決したように振り返って訊ねる。ためらいながら頷くと、とても嬉しそうな笑顔で山本は部屋を出ていった。



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おかえり(1/6)

2020.02.14.Fri.
<前話「ノイローゼハイスクール」>

※暴力、無理矢理

 俺の働いているパチンコ店にはホール主任がふたりいる。いまベッドでうつ伏せになってマッサージを受けている池島がその一人で、数年前に店長から再び主任に降格されたことで出世しないほうの主任と蔭で言われている。

「あー、そこそこ、そこ気持ちいい」

 ホールの仕事は立ちっぱなし動きっぱなしのうえ、重たいドル箱を何個も持ち上げなければならないので腰にくる。家族がいない池島は同じ寮住まいの俺に腰を揉んでくれと頼んでくる。出世しないほうの主任でも上司にかわりはないので、俺は仕方なく業務外・時間外労働をしている。

「今度はおまえもマッサージしてやろうか?」

 池島は体を起こすとベッドの上に胡坐を組んだ。枕元の煙草に手を伸ばし、一本を口にくわえる。

「いえ、俺はいいです」
「おまえが店に来て……三ヶ月か?」
「それくらいになりますね」
「よく続いてんな」
「まぁなんとか」
「体力勝負できついだろ」
「もう慣れました」
「若いな」

 ライターで煙草に火をつけた。

 池島は三十代半ば。離婚経験者だとか一千万の借金があるなどといった噂の持ち主だ。浅黒い肌、消えることのない目の下の隈、痛んだ茶髪、なにもかも諦めたような微笑が、その噂を真実めいたものに見せてしまう。

「ほら、寝転がれよ。やってやるから」

 くわえ煙草の池島に肩をつかまれ、押し倒された。体のどこも凝ってはいないが、仕方なくうつ伏せに寝そべった。

 池島の両手が俺の腰に添えられ、ぐっと体重を乗せられる。俺の体がベッドに沈む。指先が筋肉を揉むように動きはじめる。俺は重ねた手のうえに顎をのせ、枕もとの焦げ跡を見つめた。いつか煙草の不始末が原因で火事になるんじゃないかと考えていたら、池島の手が腰から尻へと下がった。両側から挟むように揉んでくる。

「主任、そこは大丈夫です」
「そうか? 凝ってるぞ」

 横から上へ、下から上へ、円を描くように池島の手が動く。太ももの付け根に手がさしこまれた。リンパマッサージみたいに手を上下ささせる。その指先が俺の股間に軽く当たる。

 池島にマッサージされるといつもこうだ。わざと触っているのかたまたま当たっただけなのか判断しにくい微妙なところ。下手に指摘して薮蛇をつつくことになるのも嫌だし、俺は黙ってなすがまま。それに池島は意外に女にモテる。数年前の店長降格も女絡みのトラブルが原因だと噂で聞いた。自分を含め、最低なホモ野郎と関わることが多かったからといって、池島までそうだと決めつけるわけにはいかない。

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

 上半身を起こすと池島の手ははなれていった。

「じゃあ俺、そろそろ自分の部屋に戻ります」
「お疲れ」

 煙の向こうで池島が笑う。

 光熱費込みで食事つきという条件にひかれ、入寮希望で面接を受けたのが三ヶ月前。それ以前は飲食店で働いていたが、毎月二万用立ててくれていた叔母夫婦への借金返済もあって思うように金は溜まらず、もっと割りのいいバイトを探して見つけたパチンコ店での仕事だった。

 基本、寮に入れるのは社員だけのようだったが、金を貯めたいと頭をさげて入れてもらえることになった。店の裏手にある5階建て、全十室の細長いマンションがそうだ。店に近いため休日呼び出されることもあるし、残業の役目も回ってくる。ゴト師対策の見回りがあったり強盗などの非常事態には夜中でも警察の対応をする場合がある。そんな説明を受けたが俺の心はかわらず、採用の連絡をもらった一週間後には入寮していた。

 母さんと叔父の丹野から逃げたかったからだ。

 叔母夫婦からの月2万円の援助は俺が高校を卒業すると同時に終わっている。丹野と会うこともなくなると思っていたのに、今度は借金とりたてのために丹野はやってくるようになった。俺から金を取り上げていると叔母も母さんも知らない。丹野は可愛い甥っ子の顔を見るという口実で毎月やってくるのだ。

 母さんがいないころを見計らってやって来ては酒を片手に俺を犯す。俺が中学二年のときから家を出るまでずっと続いた。いまは借金を返すために1、2ヶ月に一度丹野と会っている。人の多い昼間の喫茶店だというのに、丹野は俺をホテルに誘ってくる。手を握ったり膝を擦りあわせてくる。俺は仕事を理由に逃げ帰る。丹野という男は本当に腐った人間だ。

 母さんは夜の仕事を辞めてスーパーのパートをしている。そこで妻子持ちの店長と不倫関係にある。人目を憚って家で逢引するので、帰るに帰れなかったことが何度もあった。母親のあの時の声から耳を塞いで夜の公園へと向かう。俺の頭には家を出ることしかなかった。

 自分の部屋に戻って窓をあけた。ベッドのサイドボードに置いてある煙草の箱をひとつとり、一本を抜き取る。銘柄がばらばらなのは客の置忘れをもらっているからだ。たまに折りたたんだ金が入っている。それは臨時収入として懐にしまう。

 前回丹野に会ってから二ヶ月近く経っていた。気は進まないがそろそろ連絡しなければならない。

 煙草に火をつけ煙を吐き出した。苦味が口中に広がる。大人ぶって吸ってるだけでちっとも旨くない。

 ~ ~ ~

 喫茶店の二階、窓に面した席で丹野が来るのを待っていた。日曜の昼過ぎ。二十代から四十代が客層の中心で比較的静かな店内。野菜ジュースを頼んではみたものの飲む気になれず外の景色を眺めていた。今日は曇りで窓の外は灰色だ。

 2時50分、ドカドカと大きな足音が聞こえてきた。わざと大きな音を立てるのは丹野に違いない。約束の時間から20分遅刻。いつものことで腹もたたない。

「おう。久し振りだな」

 丹野に項を撫でられ全身総毛立った。振り払いたいのを堪えて「どうも」を頭をさげることで丹野の手から逃れる。わざとらしい溜息をつきながら丹野は向かいの椅子に腰をおろした。

「これ、二か月分です」

 4万円が入った茶封筒をテーブルの上へ押し進める。丹野の身じろぐ気配に慌てて右手を引っ込めた。俺の一連の行動に丹野は左頬を吊り上げ肩をゆすった。

「そう警戒すんなよ。日曜だってのに家族サービスもしないでおまえに会いに来てやってんだからよ」
「すみません。叔母さんは元気ですか」
「なんとかダンスってのにはまってるよ。いまさらダイエットしても手遅れだってのになに考えてんだか」

 首をふって俺の野菜ジュースを勝手に飲む。予想外の味だったようで顔を顰めた。

「今日は時間、大丈夫なんだろ」

 幾分声を潜めた猫撫で声で丹野が言う。

「すみません。4時からバイトなんです」
「電話で今日は非番だって言ってたじゃねえか」
「すみません。バイトが一人休んで急遽俺が」
「そんなもん断ればいいだろうが。たまには俺とメシでも食いに行こうぜ。奢ってやるからよ」
「すみません」

 頭を下げると丹野は横を向いて舌打ちした。

「パチ屋だったよな」
「はい」
「どこのよ」
「えー……と、ここからちょっと遠いです」
「教えろよ」
「まだこのバイト続けるかわからないんで」
「いいから教えろよ。俺はおまえの父親代わりでもあると思ってんだからよ」

 毎月二万取り上げてそのついでにセックスしようと企むのが父親代わりの男がすることなのか? 大声でこいつのしていることを糾弾してやりたいが、母さんが生きている以上、いつまた丹野の世話になるかわからない。ここはじっと我慢して、

「ありがとうございます。でも教えたのにすぐ辞めてたらかっこ悪いんでもうちょっと待ってください」

 丹野を見上げながら気弱に笑ってみせた。なにか言いたげに丹野が口をもごもごさせているあいだに、俺は立ち上がって千円札をテーブルに置いた。

「バイト遅れるといけないんで」

 くるりと踵をかえし丹野に背を向ける。階段をかけおりているとき名前を呼ばれた気がしたが、たぶん空耳だ。

 丹野にいま勤めている場所を教えるつもりはさらさらない。母さんは知っているけれど、俺からきつく口止めしてある。丹野がしつこく訊いて来るってことは母さんは俺との約束をちゃんと覚えてくれてるようだ。それはつまり、母さんの精神状態が安定しているということでもある。

 不倫なんていつまでも続くわけがない。必ず捨てられるときがくる。そのとき母さんはどうするだろう。また自殺をはかるだろうか。俺が家を出たいま、誰が第一発見者となって救急車を呼ぶんだろう。見つけたところでもう手遅れだって場合もある。

 その可能性に気付きながら俺は家を出た。最悪の連絡がくることに怯えて毎日を過ごしている。恐怖に耐えかねていつも俺から母さんへ電話をする。浮かれたのろけ話に辟易しながらも安堵する。安堵しながらこの穏やかな生活はいつまでなんだろうと、不安に押しつぶされそうになる。





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相方自慢(4/4)

2020.02.06.Thu.


 その後、俺はまったく問題なく生活を送れている。朝起きてトイレに立ってもほとんど恐怖心なく扉を開けられるし、楽屋も事務所の会議室も、どこの扉だってまったく平気。

 風呂に入っているときとか、夜寝る前の布団のなかで、たまに女のことを思い出すことはある。そんな時は恐ろしくなるが、女はいない、と理性的に対処できている。恐怖心が作りだす妄想に負けることはない。

 夜明のそばにはまた、市原が金魚のフンのように付き纏う姿が復活した。こいつ本当に仕事してるのかと疑いたくなるレベルで頻繁に見かける。夜明も少しは拒否ればいいのに。酔っぱらってどさくさにキスしてくるような奴。まじで夜明は貞操の危機感を持ったほうがいい。

 今日もとっくに自分たちの出番を終えたはずの市原が劇場に残って夜明の帰りを待っていた。

「夜明さん、今日はどこに行きますか! やっとミヤさんから解放されたんだから今までの分遊びましょう!」
「いや俺今日、森さんと約束あるから」

 夜明は先輩芸人の名前をあげて市原の誘いを断った。森さんは俺たちの三年先輩で、夜明とは風俗仲間だ。全国各地のちょっとかわったプレイをするお店の情報をお互い共有しあっている。その森さんとの約束ということは、今日は2人で風俗店へ行くつもりらしい。

 それは市原も察して「俺もお供させてくださいよ!」と食い下がる。

「森さんがいいって言ったらな」

 夜明はスマホを出してどこかへ電話をかけた。相手はきっと森さんだ。図々しい市原の頼みなんか断ってしまえばいいのに。

「いいってよ」

 通話を切って夜明が言う。市原がガッツポーズを取って喜ぶ。市原の夜明への思いはどこまで本気なんだろう。夜明になら抱かれてもいいと言っていたし、抱きたいとも言っていた。本当に夜明とそういう仲になりたいのだろうか。それともそのくらい尊敬している、という意味なのか。まあ俺には関係ないけど。

 俺も後輩を誘ってご飯に行こうかとも思ったが、まだ部屋にたくさん残っている段ボールの片づけを優先することにした。夜明や他の芸人たちに挨拶しながら劇場を出た。駅に向かう途中の店で軽く食事し、最寄り駅で電車をおりた。

 駅から徒歩20分の新居。集合ポストから郵便物を回収して6階へ。扉を開ける瞬間はいまだに緊張するが、もう躊躇なく開けられるようになった。

 部屋の明かりをつけ、荷物をおろしたあと手洗いうがい。これはは夜明の家に居候していた時から習慣となった。

 腕まくりをし、まず一つ目の段ボールに取り掛かる。夏物の服が出てきた。収納ケースに入れる。2つ目の段ボールはコントで使った衣装や小道具が出てきた。いつぞやのローションも出てきた。余ったから、と持って帰らされたものだ。

 それを見てたら無性に寂しくなった。家でも仕事場でも、ここ数日ずっと夜明と一緒だった。それが当たり前になってしまっていた。なのに今夜明はいない。待ってても帰って来ない。森さんと市原と風俗に行って楽しんでいる頃だろう。

 置いてけぼりをくらったような寂しさと、見放されたような心細さ。明け透けに夜明を好きだと言ってくっついていける市原への嫉妬。

 寂しいような、怒りたいような。複雑な感情が湧きあがって持てあましてしまう。

 ローションは段ボールに戻した。これはこのままクローゼットにでも突っ込んでおこう。

 3つ目の段ボールを開けた。重いと思ったら本や雑誌が入っていた。俺たちが表紙のお笑い雑誌。夜明の顔を見たらもう駄目だった。

 スマホを取って夜明に電話をかけた。2コールで繋がる。

『どうした?』

 少し緊迫感の孕んだ夜明の声。また俺になにかあったと心配してくれたのかもしれない。電話の向こうは少し騒がしい。どこかの店にいるようだ。

「どうってことはないんだけど。いま電話大丈夫?」
『大丈夫。ちょうど飯食い終わったとこ』

 てことは今から風俗店か。

『ミヤはもう家か?』
「うん、部屋の片付けしてた」
『1人で?』
「そうだよ。この前使ったローション出てきた」

 なんでこんなこと言ってしまったのか。電話の向こうから夜明の忍び笑い。

『せっかくだから使えよ』
「相手がいねえよ」
『引っ越し祝いにテンガ買ってやろうか』
「いらねえ。彼女作るわ」
『できんのかよ』
「その気になれば俺だって」

 背後から「またミヤさんですか!」って市原のでかい声が聞こえた。

「悪い、もう切るよ」
『なにか俺に言いたいことがあったんじゃないのか?』

 耳元で聞く夜明の声は妙に優しい。

「いや別に。なんとなく……お前いま何してんのかなと思って」

 自分でも気持ち悪いこと言ってる自覚はある。顔が熱い。これ明日相当いじられるぞ。

『俺がいなくて寂しくなったか?』
「違くて。実家出て初めての一人暮らしみたいな」
『ふはっ』
「前に戻っただけだし。すぐ慣れる」
『今からお前も来るか?』
「やだよ、コンビで一緒に風俗行くとか。邪魔して悪かったな。楽しんで来いよ」

 笑いながら通話を切った。そのあと大きな溜息が出た。なにやってんだ俺は。構ってちゃんかよ。

 自己嫌悪を抱えながら部屋の片づけを続けた。気を紛らわそうとテレビをつける。滅多にテレビ出演のない市原がこんな時に限ってテレビに出ていた。筋肉ギャグを披露しながら夜明への愛を叫び、「気持ち悪いよ」と相方に突っ込まれるのが最近の定番。

 よけいに気分が悪くなったから、ある程度片付けたら風呂に入った。もう今日は寝る。

 風呂を出て晩酌に一本開けて飲んでいたらインターフォンが鳴った。胸がざわついた。恐る恐る見たモニターには夜明がいた。

「おまっ……なにしてんの?」
『開けろ、寒い』

 どうして夜明がここに? 驚きつつ解除ボタンを押した。数分して夜明がやってきた。

「お前、森さんは?」
「風俗はまた今度っつって抜けてきた」
「なにしてんの?」
「俺が恋しくなったから電話してきたんだろ」
「ちげーよ」
「ローション見て俺を思い出したくせに」
「それはっ」
「久々の風俗断って来てやったんだぞ。ちゃんと穴埋めしろよ」

 言うや夜明は俺に抱きついた。首筋で深く息を吸いこんで「風呂入って待ってた?」と笑いの含む声で言う。

「ど、どういう意味だよ?!」
「ローションどこにある?」

 間近に目を覗きこまれた。いつも見ている夜明の顔。今日は雄臭さが滲んでて、思わず生唾を飲みこんだ。

 ~ ~ ~

ベッドに押し倒されて俺は夜明を見上げた。夜明の手が俺のズボンをパンツごとずらす。 

夜明はここへ来る前、ドラッグストアへ寄ったらしい。そこで購入したテンガにローションを垂らし俺のちんこに装着した。

「なんでこんなことすんだよ……!」
「楽しいからに決まってるだろ」

 俺の顔を見ながら手を動かす。グチョグチョと激しく音が鳴る。

「風俗行けなくて溜まってんならお前が使えよ!」
「俺がコレで満足できると思ってるのか?」

 それどころじゃなかったっていうのもあるけど、ここんとこ夜明と一緒だったから俺も自己処理はおろそかになっていた。だから刺激に感応してあっさり勃起するし、ぶっちゃけもう出ちゃいそうだった。

「ちょ、待って夜明! やばいって!」
「早いな」

 と笑う。それにむかついて、俺も夜明の股間へ手を伸ばした。半立ちの状態を確かめてジーンズの上から強く握る。

「触ってくれんの?」
「出せよ、俺のせいで風俗行けなかったんだろ」

 お言葉に甘えて、と夜明が前を開ける。パンツをずらして夜明のちんこを引っ張りだした。夜明はテンガを使って俺のちんこを扱き、俺は素手で夜明のちんこを扱いている。普通コンビでこんなことしないのに、コントの練習中に流れで夜明とセックスしちゃったせいか、ハードルが低くなってるっていうか、あまり抵抗がない。

 扱き合うだけで終わるだろうか、なんて考えている。別にその先を期待しているわけじゃない。ただもう、一回火がついたら行きつくとこまで行かなきゃ鎮火しない気がするだけ。

「夜明、俺もう出そう」
「どうぞ」

 夜明の手つきが早くなる。テンガってすごい。手でやるより断然良い。あっという間に射精した。引き抜かれたテンガからローションだか精液だかわかんない液体が糸を引く。

「お前こそ溜まってただろ」
「だってほんと久し振りで」
「俺んちいる間、一回も抜かなかったのか?」
「お前がいるのにできるわけないだろ」
「風呂入ってる間も?」
「さすがに人んちでは」
「だったら早くこうしてやりゃ良かったな」

 夜明はローションを手に出すと、俺の後ろの穴に指を入れてきた。

「うわっ! なにしてんだよ!」
「初めてじゃあるまいし、わかるだろ」

 かき分けるように指がなかに入ってくる。それをゆっくり出し入れしながら中を押し広げるような動作をする。

「まじでまた……、い、入れる気かよ」
「お前のために風俗断って来てやったんだぞ」

 指で俺のアナル拡張をしながら夜明は今日行く予定だった風俗店の話を始めた。そこはゾンビ娘にいたずらできるというコンセプトらしく、見た目グロいゾンビの格好をした女の子に噛まれないよう気を付けながら、性具を使ったりして遊んだあと、最後フェラさせて終わりらしい。

「精液飲んだらゾンビ化が治るんだってさ。面白いだろ」

 面白い? 面白くねーわ。

「尻、もうやだ……なんか変、気持ち悪い……」
「前に教えただろ、前立腺。あれ以来、触ってないのか?」
「触るわけないだろ」
「じゃあここ、俺以外誰にも使わせてない?」
「当たり前だ!」

 夜明は無言で微笑んだ。やってる行為は最低なのに、こんな時でも顔は良い。くそ腹立つ。夜明は指を抜いて、かわりにちんこを入れた。解されたとは言え指とちんこのでかさは比べ物にならなくて、俺は夜明にしがみついて痛みと不快感に耐えた。

 ケツにちんこ入れられるのはこれで二度目。二度とも夜明だ。俺は相方となにをしてるんだろう。何度目かわからない自問自答が頭をよぎった。

「奥まで入った。わかるか、ミヤ」

 顔のすぐ近くで夜明が言う。俺は頷いた。夜明の熱い塊が、内臓に届いてんじゃないかって感じがする。

「ゆっくり動くから」

 俺の体の上で夜明が動く。思い出したように乳首を弄られた。

「んっ」

 乳首なんか触っていらないって思う。今まで自分が触る側だったから余計にそう思う。ちんこ突っ込まれてる上、乳首いじられながら気持ちよさそうな声をあげる自分が気持ち悪い。興醒めもいいところだと思うんだけど、夜明はゆっくり腰を動かしながらあいかわらず乳首を弄り続けている。

 夜明の腰の動きがだんだん大きくなっていった。動きに合わせて俺も声を漏らす。女の子とセックスしてる時には絶対出さないような、甘えた声。俺は夜明に甘えてるのか。

「ん、はあっ、はっ、ああっ」

 さっきまで夜明が指でいじくってた場所を夜明のちんこが擦りあげる。覚えのある感覚に怖くなって夜明の腕を掴んだ。

「お前が俺んちにいる間、どうして一回も手を出さなかったかわかるか」

 わからずに首を振る。

「一回やったら歯止め効かなくなって毎日やりそうだったからずっと我慢してたんだ」
「ふあっ、あっ、あんっ」

 激しさが増していく。擦りきれそうな摩擦。どんどん熱くなっていく内部。再び立ちあがったちんこから撒き散らされる先走り。

「まさかお前から誘われるとは思わなかった」

 夜明の体が伸びあがる。深い挿入に息がつまりそうだ。

「誘っ……た、わけ、じゃ……っ」
「俺としたこと思い出して電話してきたくせに」

 からかうように笑って、夜明は俺にキスした。確かにそうだ。ローションを見てあの日のことを思い出した。電話したのも下心があった。モニターに映る夜明を見たとき、こうなることを予感したし期待もした。夜明は全部お見通しだった。恥ずかしい。手で顔を覆い隠す。

「次やりたくなった時もちゃんと俺を呼べよ」

 呼べるか!

 夜明の腰のリズムは軽快だ。楽しそうに俺の奥を突く。数分して夜明は達した。

 そのまま面倒だからと俺の部屋に夜明は泊まっていった。ソファも来客用の布団もないから仕方なく俺と一緒のベッドで。

「いいとこだな。さっき住人っぽい女の子とすれ違ったけど、レベル高かった」

 それさっきケツに中出しした相手に言うかね。

「とりあえず戸締りだけはしっかりしとけよ」
「わかってるよ。もう確認済みだし。窓に防犯用のシートも貼るつもりだし」
「これからもちょくちょく来てやるから。お前が俺んち来てもいいし」
「ますますホモだって噂される」
「否定はできねえな」

 夜明にちんこを鷲掴まれた。横目に睨むと夜明はニヤリと笑う。夜明の手が性的な動きを見せる。さっき2人ともシャワーを浴びたばっかなのに。振りほどけずに、俺はされるがまま。




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相方自慢(3/4)

2020.02.05.Wed.


 今朝は少し時間に余裕があった。なので扉を開ける特訓をすることにした。

 トイレの戸の前に立つ。夜明が隣で見ている。ノブを掴み、力を込める。考えちゃだめだ。思い出したら駄目だ。女の顔は頭の中から排除するんだ。

 言い聞かせてもチラチラ浮かぶ女の姿。扉の向こうが怖い。女はいないとわかっていても、扉一枚隔てた向こう側が不気味で仕方ない。

 また心臓がドクドクと高鳴りだした。膝が固まって、錘でもついてるみたいに足が重たく感じる。

「ミヤ、無理するな」

 横から聞こえた夜明に声にハッと我に返った。ここは俺の家じゃない。夜明の家だ。すぐ近くに夜明がいる。こんなに心強いことはない。

「大丈夫大丈夫、一回開けちゃえばこんなの」

 さらに手に力を入れる。下に捻って手前に引っ張るだけ。それがなぜこんなに難しいのか。

「もういい、やめとけ。手、震えてるじゃねえか」

 夜明の手が俺の手を掴む。その温もりにほっとする。同時に泣きたくなるくらい心細くなった。扉を開けるって簡単なことが俺にはできない。いつまでも夜明に甘えてられないのに。

「ちょっと深刻だなこれ」

 ノブから俺の手を剥がして夜明が言う。

「俺、いつまでこのまま?」
「焦ることはねえよ、気長にいこうぜ」

 俺の背中を叩いて夜明は部屋へ戻った。テレビではアイドルの電撃婚が取沙汰されている。ザッピングをしていたら俺のことを報じる局があって手をとめた。

 侵入したのは25歳の女で、高校時代から不登校になり引きこもり生活を続けていたが、先月急に実家を出て一人暮らしを始めた。喜ぶ両親の思いと裏腹に、女が実家を出たのは俺のマンションに空きが出たからで、最初からストーカー目的だった。侵入経路はベランダ。隣との仕切り板は無事だったことから、ベランダを乗り越えての侵入だったようだ。

 女の言っていることは意味不明で、自分こそ三宅本人であり、いまはわけあって女の体をしているが、本来2人で1つだったと主張しているらしい。俺の部屋で帰りを待っていたのは1つの体に戻るためだったと言っていて、その方法はいま現在も警察で取り調べ中とのこと。ワイドショーを見て改めてぞっとした。

 ヤスミンが言っていた通り、被害届を出したところで罰せられることはないだろう。相手の親から引っ越し費用をもらいさっさと引っ越しする以外方法はなさそうだ。

「こんなのと警察が来るまで一緒にいたのか?」

 テレビを消して夜明が言った。

「そうだよ、めちゃ怖かった」
「怖いなんてもんじゃないだろ。よく無事だったな。どうして逃げなかったんだ?」
「逆上されたら怖かったから。とりあえず怒らせないように話だけ聞いてた。言っても俺だって男だし、相手は女だし」
「箍の外れた奴は男女関係なくやばいだろ」

 腕を組み、顎に手をあて、夜明はなにやら考え事を始めた。しばらくして「荒療治でいくか」と俺を見た。

「荒療治?」
「いつまでも一人でトイレに行けないのはお前も困るだろ」
「そうだけど。なにすんの?」
「秘密」

 ニヤニヤ笑うだけで、夜明は教えてくれなかった。時間が来て仕事のためマンションを出た。今日は特番の収録と、事務所で次のライブの打ち合わせ。そのあとラジオ収録。

 テレビ局に入ると、俺のニュースを知った芸人や関係者たちから声をかけられた。大半が同情して労わってくれる。たまに「女とヤッた?」と下世話なことを訊いてくるやつもいる。「可愛かったらいけるだろ」と。冗談じゃない。

 収録を終え、事務所の会議室でライブ打ち合わせ。ここでも事件の話は避けて通れず、会う人会う人に心配され、そのお礼を言い、簡単なあらましを説明しなければならず大変だった。

 夜明と打ち合わせをしていたらヤスミンがやってきた。向こうの親が引っ越し費用の負担を了承してくれたと言う。それプラス慰謝料を払うとの申し出もあったそうだが、それは断ってくれ、とヤスミンに頼んでおいた。夜明は「もらっておけばいいのに」と言うが、多くをもらってイメージダウンは困る。

 俺と親との間で引っ越し費用の負担などの話しあいが進んでいるから、警察は示談という認識で、女は不起訴になるだろうとのことだった。費用負担のほかに、俺たちコンビへの接近禁止も条件に含んでおく、とヤスミンは付け加えた。

 これでもう大方、事件の後始末はついたようなものだった。あとは俺が新居を見つけるだけだ。

 次の仕事の時間が近づいて事務所を出た。ラジオ収録では事件の話をスルーできず、冒頭は事件の話をした。ついでにいま、夜明の家にお世話になっていることも話した。

 番組のツイッターにリアルタイムで反応がかえってくる。俺を心配する人。犯人に憤る人。夜明との同居を羨ましがる人。色々あるなかで、悪口めいたものもある。前は有名税だと気にしないようにしてきたが、自分が知らないうちに誰かのスイッチを押しているのかもしれないと思ったら少し怖くなった。

 ラジオ番組を終え、やっと帰宅の時間になった。

 同じ場所へ帰るので夜明とタクシーに乗り込む。車中、市原からの電話に夜明が出た。短い会話のあと夜明は俺にスマホを持たせた。

「え、なに?」
「市原が言いたいことあるって」
「どうせ夜明と一緒に住んでることの文句だろ」

 と言いつつ耳に当てたら『ニュース見ました、大変でしたね!』と大声で言われてスマホを耳から離した。

『相手の女、やばい奴じゃないすか。怪我とか、なにもされなかったんですか?』

 まさか市原が俺の心配をしてくれるなんて思わなかった。驚きの表情で夜明を見たら、軽く微笑み返された。

「あ、ありがとう。俺は大丈夫、なにもされてないから」
『こんなね、緊急事態のときなんで、夜明さんの家に寝泊まりするのは仕方ないですよ。許します! 俺が許可します!』
「何様だよ」
『俺の夜明さんなんで、誘惑とかしないでくださいね!』
「するか、馬鹿」
『じゃあ夜明さんに愛してますって伝えておいてください!』
「誰が言うか」

 言いきる前に通話が切れていた。あいつ、俺のこと絶対先輩だと思ってない。

 夜明にスマホを突き返す。

「あいつさ、まじでお前のこと狙ってると思うんだけど」
「酔っぱらったときにどさくさに紛れてキスしてくるからな」
「拒否れよ! もうあいつと飲みに行くなよ!」
「嫉妬か?」
「ホモネタはもういい!」

 プイ、と顔を背けた。夜明の忍び笑いが聞こえる。口元に手を当てて肩を揺らす夜明が暗い窓に映る。ハレトークの仲いい芸人で行われたドッキリのせいで、俺と夜明のホモ説は一部でより一層濃いものとなっているらしい。コントの打ち合わせ中にセックスした過去があるから、否定しても嘘くさく聞こえる。否定すること自体がもうなんだか恥ずかしい。

 夜明はあのことをどう思ってるんだろうか。あれ以来、あのことを話題にしたことはない。相方とセックスするって、どんなに仲のいいコンビでもありえないと思うんだけど。

 そんなことを考えていたらマンションについた。鞄から出した鍵で夜明が扉を解錠する。

「開けてみるか?」

 夜明に言われ、ドアノブを掴む。途端に動悸が激しくなる。俺の手に、夜明の手が重なった。夜明の手に力が加わり、ドアノブが回る。ゆっくり扉が開く。まだ暗いその奥から目が離せない。鼓動が激しくなる。胸が苦しい。扉が全開したと同時に照明がついた。

「おかえりなさい、あなた!」

 廊下に人影を見つけて心臓が止まりかけた。本当に気を失いかけた瞬間、それが市原だとわかってなんとか気を持ち直した。しかもよく見ると裸にエプロン姿だ。

「市原? なんで、ここに?!」

 さっき電話したばかりだ。隣の夜明に驚いた様子はない。呆れたように「汚ねえな」と笑っている。

「ちょっと、うちのダーリンに抱きつかないでよ! この泥棒猫!」

 市原に言われて夜明にしがみついていたことに気付いた。手を離し、2人を交互に見る。

「……これが、お前が言ってた荒療治?」
「扉の向こうのイメージを変えられれば怖くなくなるだろ」
「荒療治過ぎんだろ、めちゃ焦った」
「これから毎日やるからな」
「俺、時間だけはあるんで! それに夜明さんちの合鍵もらっちゃったし!」

 見せびらかすように市原は鍵を持って踊る。

「あげたんじゃない。一時的に貸すだけだって言っただろ。合鍵作ったらぶっ殺すからな。もう用は済んだしお前はさっさと帰れ。どこも部屋触ってないだろうな」
「ちょっとだけベッド入って匂い嗅ぎました!」
「死ね」

 夜明は市原の太ももに蹴りを入れた。痛いと言いつつ、市原は嬉しそうだ。風呂場の脱衣所に置いていた服を着ると市原は玄関で靴を履いた。

「じゃあまた明日もきますね!」

 夜明に頭をさげると、市原は本当に部屋を出て行った。これのためだけに、ここであんな馬鹿な格好をして待っていてくれたのだ。それがたとえ夜明の頼みであっても、市原にはなんの得にもならないのに。案外あいつ、悪い奴じゃないのかも。

「これでほんとに治ったら、俺も飯奢ってやんなきゃな」
「あいつと2人で行く?」
「やだ」

 顔を顰める俺を見て夜明が声をあげて笑う。こいつが相方で本当に良かった。

 次の日、仕事を終えて玄関を開けると、着ぐるみのうさぎがいた。某女性アイドルグループの激しめなダンスの完コピを披露したあと、ハアハア言いながら着ぐるみ姿のまま市原は帰っていった。

 その次の日は全裸で尻の穴に花を一輪さし、V字の大股開きで俺たちを出迎えた。

 その次の日はよほど暇だったのか市原は仕事先の楽屋にも現れた。完全に気を抜いていたから貞子の格好でいる市原を見たときは悲鳴が出た。打ち合わせのため事務所へ向かうヤスミンの車のなかにも貞子はいた。貞子は肉まんを食べていた。打ち合わせが終わって飯を食って帰ったら今度は全身白塗りブリーフ姿の俊雄くんがいた。今日はホラーシリーズらしい。

「夜明さん、今度2人きりで飯行きましょうね!」

 脱衣所に置いていた服を抱えて、市原は白塗り姿のまま元気よくマンションを出て行った。職質されないか?

「あいつ、そうとう暇だな」
「今日オフだって。楽屋にまでくるとは思ってなかっただろ」
「ヤスミンの車にも乗ってると思わなかった」
「ヤスミンにもそれとなく事情は話しておいた。お互いピンの仕事もあるし、いつも俺がお前のかわりにドアを開けてやれるわけじゃないからな」
「そんなに長引かせる気はないよ。俺もう自分で開けられるかも」

 疑わしそうな夜明に見られながらトイレの前に立った。扉の向こうを思うと嫌でも蘇る女のニタニタ笑った顔。考えるな。思い出すな。思い出すなら市原のバカバカしい姿のほうだ。

 裸エプロン。V字生け花。貞子に俊雄くん。

 ──夜明さん、愛してます!

 屈託なく言う市原が浮かぶ。人の相方に手を出すなよ。やっぱあいつ、ムカつくんだよな。

 ノブにかけた手を捻る。扉の向こうに女はいない。馬鹿みたいな格好をした市原がいる。いや、市原も誰もいない。全部俺の妄想だ。

 かすかに音を軋まなせながら、トイレの扉を開けた。当然、そこには誰もいない。全身から力が抜ける。知らずに止まっていた息を深く吐き出した。どうよ、と夜明を見る。夜明は少し驚いたような顔をしていた。

「な、もう大丈夫だろ」

 夜明は静かに微笑みながら頷いた。

「やったな。大進歩だ」

 ノブを掴んだままの手に夜明の手が重なる。極度の緊張でガチガチに固まってノブから手を離せない。しかもちょっと震えている。それを労わるように、夜明は俺の手を優しく撫でた。

 ~ ~ ~

 不法侵入した女は予想通り不起訴となり、そのまま入院措置となった。女の家族との示談交渉は事務所に任せている。ヤスミンからの報告で、向こうから引っ越し費用と迷惑料込みで60万が提示されたらしい。

 夜明は「少ない」と不満そうだったが俺はそれで手を打つことにした。これ以上関わりたくなかった。早く忘れてしまいたい。

 空いた時間には積極的に部屋探しをした。生活に便利な店が近所にあって移動に不便がなく、なによりオートロックでセキュリティのしっかりしているところ。そうなると家賃が高くなかなかなか見つからない。

 その間、夜明の言葉に甘えて同居を続けた。夜明に見守られながら行く先々の扉を開けた。まだ恐怖心はある。きっと記憶喪失にでもならない限り、俺はあの出来事を一生忘れることはない。だからできるだけこの恐怖心を大きくしないよう努めるしかない。

 やっと条件に会う物件が見つかり、仕事の合間に内見に行くことになった。

「俺もついて行こうか?」

 不動産屋の担当者との電話を切ったあと、横でスマホをいじっていた夜明が顔をあげずに言った。

「このくらい一人で平気だって。久し振りに市原を飯に誘ってやったら? 俺のせいで最近ぜんぜん会ってないだろ」

 俺と一緒に行動するために、夜明は市原だけじゃなく他の先輩後輩からの誘いも全部断っていた。いくら事情が事情とは言え、ずっと申し訳なく思っていた。俺たちの帰宅を待つ必要のなくなった市原は、最近夜明と顔を合わせる機会も減って相当鬱憤が溜まっているという噂だ。

「別に市原と飯食わなくても俺はぜんぜん困らないんだけどな」
「とか言って、俺のせいで風俗も行けてないだろ。そろそろ溜まってんじゃないの」

 俺がからかうと夜明はにやりと笑った。

「ミヤの新しい部屋が決まったら行きまくるよ」

 このイケメンから繰り出される下ネタがなぜか若い子にウケている。イケメンならなんでも許されるらしい。

 前に成り行きで夜明とセックスをすることになったアレも、夜明にとったら下ネタの材料程度なのかもしれない。面白そうな風俗の情報を聞きつけると積極的に体験しにいく夜明なら充分あり得る。

 その後、空き時間に見に行った部屋は条件ピッタリで家賃も予算を1万円オーバーしたが、これ以上の物件はもうないですよ、と不動産屋に断言されてそこに決めた。契約したあとすぐ引っ越し業者を手配した。引っ越しは明後日。

 そのことをラジオで報告すると、ツイッターで「お疲れさま」「よかったですね」と好意的な投稿をもらった。「夜明さんとの同居も終わりですね」という呟きもあった。

 あの事件以降、仕事が終わってからも夜明とずっと一緒だった。四六時中顔を合わせていた夜明と離れ離れになる。夜明は清々するだろうが、俺は少し複雑だ。一人暮らしに戻ってもあの恐怖を克服できるか不安が残る。夜明が隣にいなくても、俺は扉を開けることができるだろうか。

 引っ越し当日、急な仕事が入ってヤスミンに代理を頼んだ。営業先で「引っ越し完了しました」というメールを受け取った。

 今日からもう、夜明とは別々の家に帰る。1人でも平気だ。大丈夫。怖くなんかない。

 営業を終え夜明と一緒にタクシーに乗った。

「今日から新しい部屋だな」

 窓の外を見ながら夜明が言った。

「うん、今までありがと。すごい助かった。今度ちゃんとお礼する」
「ほんとに一人で平気か? 初日だし俺もついて行こうか?」
「平気平気。どこのドアももう完全に開けられるから。お前も知ってるだろ」
「じゃあマンションの下まで行く。もし無理だったらそのまま一緒に帰ればいいだろ」
「過保護かよ」

 と茶化したけれど、夜明の申し出はすごくありがたかった。そして改めてイケメンでこんなに優しかったらそりゃモテるよな、と感心した。

 夜明と一緒に新居のマンション前に到着した。タクシーに夜明を待たせたまま俺は新居がある六階へエレベーターで向かう。鞄から鍵を出し、鍵穴に差し込んだ。

 考えまいとしても事件当夜のことを思い出してしまう。あの日、鍵をあけたら部屋に女がいた。ヒュッと血の気が引く光景。それを頭から追い出し、市原の馬鹿な姿に置き替える。思い出し笑いができる。俺は大丈夫。

 鍵をあけ、扉を開けた。廊下を進み部屋の明かりをつける。そこに女はいない。誰もいない。ただ、運び込まれた荷物が無造作に置かれているだけだ。

 マンションのエントランスに戻り、タクシーの横に立った。夜明が窓をおろす。

「どうだった」
「大丈夫だった。荷解きが大変だけど、今日はもう寝るし」
「良かったな」

 夜明の笑顔に胸が締め付けられた。長い間迷惑をかけた。何度も俺のためにドアを開けてくれた。たくさん世話になった。この恩はどうしたら返せるだろう。

「じゃ、俺も自分ち帰って寝るよ」
「うん。ほんとに色々ありがとな」
「今度お前がネタ考えろよ」
「勘弁して」

 はは、と笑いながら夜明は手を振り、窓をあげた。遠ざかって行くタクシーを見えなくなるまで見送った。




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相方自慢(2/4)

2020.02.04.Tue.
<前話>

 翌朝、夜明と共に仕事に向かった。現場で落ち合ったヤスミンが「昨日は大変でしたね」と俺を労わってくれたが、ヤスミンのほうも疲れた顔をしていた。

 ネット番組の収録を3本撮り終えたあと、次は劇場へ向かう。 

「昨日の不法侵入の女の人なんですけど、向こうの親が出て来てミヤに謝罪したいって言ってるんですけど、どうします?」

 車の運転をしながらヤスミンがミラー越しに俺と目を合わせる。

「いや、謝られても。もう二度とああいうことさせないでくれたらいいし」
「被害届は?」
「被害はないっちゃないし、そこまではしなくてもいいかなって。なんか面倒臭そうだし」

 正直もう関わりたくないというのが本音だ。

「親が言うにはもう何年も引きこもりだったらしくて、最近言動もおかしかったらしいから、ぶっちゃけ無罪放免っぽいですよ。警察での取り調べもなんか支離滅裂なこと言ってるらしいですから」

 女の常軌を逸したような笑みを思い出す。俺の相槌なんか関係なく、1人でひたすら喋っていた。普通じゃなかった。だから余計に怖かった。

「迷惑料くらいは請求していいんじゃないか?」

 隣の夜明が口を開いた。

「お前、この先あの部屋で今まで通りに暮らしていけるのか? 引っ越し代くらい請求したっていいだろ」

 深く考えず、このままあの部屋で住むものだと思いこんでいた。言われてみれば確かにそうだ。あんな怖い思いをした場所で、平気で暮らしていくのは難しいかもしれない。少なくとも今はまだ無理だ。

「そうですよね。あんなことがあった部屋は厳しいでしょ」

 ヤスミンも同意する。被害届はなし、そのかわり引っ越し費用を出してもらうことで話はまとまった。

 劇場前に俺たちを下ろすとヤスミンは他の芸人の現場へ向かった。今日だって本当はネット番組の収録には来ないはずだったのに、昨夜のことがあったから顔を出してくれたのだ。

 ヤスミンと別れた俺たちは通用口から劇場の中へ入った。すれ違う関係者や芸人仲間たちと挨拶しつつ、楽屋までたどり着いた。扉の前で固まる俺のかわりに夜明が扉を開けてくれる。

「ありがと」

 ごめんと言うと一年間俺がネタを考えなきゃいけないので、お礼を言うことにした。夜明は軽く頷いた。

 楽屋は大部屋で出番を待つ芸人がたくさんいる。その一人一人に挨拶をしながら、荷物をおろし、上着を脱いだ。

「夜明さん! おはようございます!」

 大声を出して近寄ってきたのはシャンゴリラの市原。今日もマッチョを強調するピチピチの服装。こいつは夜明を好きだと言って憚らない。夜明になら抱かれても構わないとテレビで公言してネットニュースにまでなった。

「昨日ごめんな、急に帰って」
「いいですよ! そのかわり今日、飯行きませんか」
「今日は都合が悪い」

 夜明はチラリと俺を見た。目聡い市原が睨むように俺を見る。こいつは俺も先輩だってこと忘れてるんじゃないだろうか。夜明とコンビを組めるならいつでもコンビ解消すると公言している。俺への敵意剥き出しだ。

「ミヤさんとなんかあるんですか?」
「いまこいつ、俺んちに泊まってるから」

 夜明の言葉を聞き、市原はカッと目を見開いた。ほんと暑苦しい奴。

「いいよ、今日はどっか他のとこ泊まるし」

 苛々が声に出た。前に仕掛けられたドッキリで市原に良い印象はない。いや、その前からこいつの言動には腹に据えかねるものがあった。本当にネタでもなく、ガチで、虎視眈眈と、こいつは夜明の隣を狙っている。俺を邪魔だと思っている。それがひしひしと伝わってくるから、俺も市原に良い感情はない。

「楽屋の扉も開けられなかった奴がなに言ってんだよ」

 周りに聞こえないように声を落として夜明が言う。

「なんとかするよ」
「一人でトイレも行けないだろ」
「目を閉じればなんとかなる」
「なるわけないだろ。今日も俺んちに泊まれ」
「でもお前に迷惑かけるし」
「迷惑なんて思ってない」
「2人の世界作るのやめてくださいよ!」

 市原が大声で間に入ってきた。なので話を中断し、出番に備えて支度をした。

 出番がくるまで市原は夜明にべったりくっついて離れない。俺は他の芸人と話をして時間を潰した。

 舞台の仕事が終わったら劇場の空き部屋で雑誌の取材が二件。それが終わると今度はバラエテイ番組の収録のためテレビ局へ向かう。

 トーク中心の番組で、MCに振られた夜明はしっかり笑いを取ったが俺の方はややウケ。先輩芸人の助けがなければ本格的にすべっていた。俺も夜明のように自分の力で笑いを取りたいが、最近はいじられる方向でしか笑いを取れない。そういうキャラのほうがいいのかと、いまはまだ葛藤期間だ。以前夜明に相談した時は、「なるようになる。ミヤはそのままでいい」と言われた。今の俺のままで夜明なら笑いを取ってくれる。だからその言葉を信じて、いまのところキャラ作りはしていない。

 今日はテレビ収録で仕事は終わりだ。出演者スタッフ関係者、MCの先輩芸人に挨拶をしてテレビ局を出る。記者が待ち構えていて俺たちを見つけると駆け寄ってきた。

 なんだと思ったら昨夜の事件のことを訊いてきた。俺は起こったことをそのまま伝えた。家に帰ると女がいたこと。女はベランダから侵入したこと。料理を作って待っていたことなど。

「一人暮らしの女の子とか、いや、女の子に限らず、男も、ちゃんと戸締りしてください。ベランダの鍵もちゃんと、確認してください」

 と殊勝に言ってタクシーに乗り込む。明日のワイドショーで取り上げられるんだろうか。びっくりさせる前に、親には電話で知らせておいたほうがいいだろうな。コンビに妙なイメージがついたら嫌だな。夜明に申し訳ないし。

 窺い見た夜明は腕を組んで俯いている。寝てるっぽい。もう見慣れた顔だけれど、改めてイケメンだなと思う。芸人男前ランキングでは一位だし。若手アイドルとか若手女優がこぞって好きな芸人に夜明の名前を挙げてるし。

 飄々としててなにを考えてるのかわからない奴だけど、いざってときには優しくしてくれる。モテて当たり前だ。

 夜明のダウンジャケットのポケットからスマホの通知音がかすかに聞こえた。夜明は目を開け、腕をほどき、スマホを見た。内容を確認するとまたスマホをポケットに戻した。

「市原?」
「いや。女の子。お店来てって」
「よくそんな時間あるな」
「遊んでる時のほうがネタが浮かぶんだよ」

 俺がいるから市原の誘いを断り、夜遊びも控えている。ごめん、と言いかけて口を噤む。かわりに「早くなんとかしないとなあ」と軽い口調で言った。

 とりあえず部屋探しが急務か。いつまでも夜明に甘えているわけにはいかない。

 今夜も夜明のマンションへ2人で帰宅した。夜明が玄関のドアを開け、俺のためにトイレの扉も開けてくれた。持ち帰った弁当を食べて、昨日と同じように夜明はベッド、俺はソファで眠った。



恋する竜の島


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相方自慢(1/4)

2020.02.03.Mon.
<前話>

※ファンによる犯罪、冗長、暇な時にどうぞ

 仕事を終え、コンビニに寄ってから帰宅した。玄関の鍵をあけ、靴を脱ぎ、奥へ。部屋の明かりをつけたら、見知らぬ女が立っていた。
「おかえり、ミヤ」

 ~ ~ ~

 マネージャーと一緒に警察から聴取を受けていたら、連絡をもらったらしい夜明がやってきた。今日も夜明の出待ちをしていたシャンゴリラの市原とご飯を食べに行ったはずなのに。

「お疲れ。どういう状況?」

 パトカーと警察官を横目に夜明が言った。

「家に帰ったら知らない女の人がいた」
「こっわ。何もされてないか?」
「俺は無事。女の人ももうパトカー乗ってどっか行ったし」
「目的は?」
「まだよくわかんない。とりあえず、俺んちでご飯作ってた」

 夜明は顔を顰めた。

「お前のファン?」
「……たぶん。空き部屋が出るのをずっと待ってたって言ってたから」
「わざわざお前と同じマンションに部屋借りたのか?」

 俺は頷いた。

「ベランダから侵入したらしいよ。俺と同じ階に住んでて、ベランダ伝って入ってきたんだって」

 夜明の顔がさらに険しくなる。マネージャーのヤスミンと2、3言葉を交わすと「行くぞ」と夜明は俺の肩を叩いた。

「行くってどこに」
「俺の家だよ。今晩ここでは寝られないだろ」

 確かに。目を瞑ったらさっきの女の人の顔が浮かんできそうだ。明かりがついた部屋に、ニタニタ笑いながら立っている女の姿が。

 あとはマネージャーに任せることにして、簡単に荷造りすると夜明と一緒にマンションの下へおりた。マンション前には夜明が乗ってきたタクシーが待っていて、ふたりでそれに乗り込んだ。

「そういえば市原とご飯だったんじゃないの?」

 車が走りだしてから夜明に訊いてみた。

「飯はもう食って軽く飲んでたんだけど、ヤスミンが慌てふためいた様子でミヤの家に不法侵入があったって電話かけてくるから、なんのドッキリかと思ったわ」

 窓の外を見ながら夜明が苦笑する。芸人やっていると不測の事態が起こるとドッキリ?と疑ってしまう。これはもう職業病だ。

「え? ドッキリ?」

 夜明が振り向いて確認してくる。ドッキリだったらどんなにいいか。いやドッキリでもあれもうトラウマ級のやつだから。

「ドッキリ?って俺がききたい」
「だよな。お前、顔色すげえ悪いもん。大丈夫か?」

 夜明の優しい言葉に、不覚にも涙腺が緩みかけた。実はかなり怖かったし、今もまだ少し震えているくらいだ。

 部屋のなかに女が立っていた。一瞬でパニックに陥った。腰を抜かし、悲鳴にならない声をあげ、足掻くように床の上で四肢を動かして玄関のほうへ逃げようとした。

 怖々振り返ったら女は微動だにせず笑ったまま俺を見ていた。泥棒? 幽霊? もしかしてドッキリ?

 テレビかもしれないと思ったら、簡単に逃げられなくなった。壁伝いに立ちあがってなんとか誰何した。答えずに女は「ウケる」と笑った。

「とりあえずご飯作ったから食べて」

 旧知の仲のように女は俺に話しかけてきた。カメラを持ったクルーの突撃はなし。女の様子もなんとなく尋常でない。これはおかしい。女が背を向けたすきにトイレへ逃げ込み、マネージャーに電話をかけた。ドッキリではない、すぐに警察を! と指示を受け、急いで警察へ電話した。

 トイレから出たら、女に手招きされた。一緒にご飯を食べよう、と。機嫌を損ねたらなにをされるかわからない。それにまだドッキリの可能性が万が一にも残っている。仕方なくテーブルについた。

 一方的に捲し立てられる女の話を聞きながら警察を待った。人生で一番長い待ち時間だった。

 やってきた警察を見て女は激怒するかと思ったが「ウケる」とまた笑った。その笑った顔を見て背筋がぞっとした。正気だと思えなかった。警察が女を連れて行き、俺は別の警官から事情を聞かれた。

 何度も「知り合いではないですね?」と確認された。痴情のもつれを疑われたのかもしれない。そうこうしている間にヤスミンがやってきて、俺が芸人で、ほんの数十分前まで仕事だったことを証明してくれた。女との関係を聞かれても「三宅はここ数年、恋人はいませんよ!」と、半笑いで否定してくれたので、俺が女と無関係だと信じてもらえた。

「市原と飲んでたのに、ごめんな」

 迷惑をかけた夜明へ謝罪する。

「謝るな。お前は悪くないだろ。しばらく俺んちにいればいい」
「……惚れてまうやろ」

 はは、と笑って夜明はまた窓のほうへ顔を向けた。

 夜明のマンションの前でタクシーが止まる。支払いは俺がした。ネタの打ち合わせで通いなれた夜明のマンション。夜明が鍵を開け、扉を開ける。その瞬間、さっきの光景を思い出して心臓がドキドキと苦しくなった。瞬きしないで扉の向こうを睨む。夜明がスイッチを押して部屋のなかが明るくなった。誰もいない。なのに心臓は爆発しそうなほど脈打って、固くなった膝は軽く震えた。

 夜明に余計な心配はかけたくないから、平静を装って、先に行く夜明のあとを追う。いつきても掃除の行き届いたきれいな部屋。

 入るなり「手洗いうがい」と洗面所のほうを指さされ、素直に従った。鏡に映る自分を見てぎょっとした。真っ白な顔。血の気が引くとこんなに顔色がなくなってしまうのか。

 手を洗い、うがいをしたついでに軽く顔を洗った。

 部屋に戻るとダウンジャケットを脱いだ夜明が入れ違いで洗面所へ行った。1人になって改めて部屋を見渡す。いつ誰が来ても恥ずかしくない整理整頓された部屋には、俺たち以外、誰もいない。鼓動もようやく元に戻って、手足の緊張も解れてきた。

「ミヤ、お前メシ食ったのか?」

 戻ってきた夜明が言う。

「あ、弁当家に置いてきた」
「さすがにもうヤスミンも帰ってるだろうしなあ。カップ麺ならあるけど」
「食べたい」

 キッチンに行った夜明が俺のためにカップ麺を作る。

「ほら、3分計っとけよ」

 と汚れひとつないガラステーブルにお湯の入ったカップ麺を置くと夜明はソファに座った。

「ありがと。トイレ借りていい?」
「どうぞ。ていうか、そんな断りいれなくていいから」

 トイレの前に立って、ノブを掴む。一瞬先の光景が頭に浮かぶ。扉を開けたら見知らぬ笑う女。そんな想像をしたら、怖くて開けられなくなった。収まった心臓がまたドックンドックン大きく鳴り始める。

「ミヤ? どうした?」

 俺がトイレの前で固まっているから夜明が声をかけてきた。

「やっぱ……、飯食ったあとに行こうかな」

 苦しい言い訳。夜明が納得するはずもなく眉を顰める。

「なに? 言えって」
「いや、ほんとに、ここきたら引っ込んだって言うか」
「正直に言わないならちんこ揉むぞ」

 とソファから立ちあがろうとする。

「わかった、言うって!」

 慌てて言うと夜明は尻を戻した。

「玄関開けて電気つけたら知らない女がいたからさ、なんか、扉開けたら中にいそうな気がしてちょっと怖いんだよ。いないってわかってるんだけどさ」

 納得した顔で小さく頷くと夜明はソファから腰をあげ、俺のかわりにトイレの扉を開けた。たとえ夜明の家のトイレでも、夜明が開けたとしても、さっきの恐怖をまだ引きずっている俺は、扉が開く瞬間はやっぱり怖くて鼓動が苦しくなる。中に誰もいないとこの目で確かめてやっと安心できる。

「行って来い」

 夜明に尻を叩かれ、トイレに入った。用を足し、トイレを出る。腕を組んだ夜明が壁にもたれて待っていた。

「中から出てくるときは平気なのか?」
「あ、言われてみれば平気だった」

 少し考える素振りを見せたあと、「こっちは開けられるか?」と夜明は玄関の扉を指さした。俺は言われた通り、玄関の扉を開いた。これも平気だ。

「ふん。じゃあ、これは?」

 今度は浴室の扉を指す。俺のマンションと同じ中折れタイプの扉だ。取っ手をに手をかけ引っ張って開けた。

「中から開けるときと、こういう、すりガラス風になってるのはぜんぜん怖くない」

 腕を組んだまま夜明はなにやら考えこんだ。しばらくして「あんなことがあった直後だからな。怖くなるのも仕方ねえよ」と俺の肩を叩いた。

「ラーメン伸びる前に食えよ」
「あ、忘れてたっ」

 奥の部屋へ戻ってラーメンを食べた。そのあと、女がいたときの状況を夜明に詳しく話した。その最中、ヤスミンから電話がかかってきて、被害届を出すかどうか、今後のマスコミ対策、騒動の落としどころの相談なんかをした。

 明日も朝から仕事だ。とっとと寝よう、と寝支度をする。たまに友達や後輩が泊まりに来るから、と言いながら夜明は予備の布団を出してきた。

「狭くて寝辛いと思うけど」

 とソファの上に置く。ここまでしてもらって俺には感謝しかない。きっとホテルに一人で泊っても眠れなかった。そもそも、ホテルのドアを開けられず中に入れなかったかもしれない。入れたとしても、トイレには行けずに詰んでただろう。

「ごめんな、夜明にまで迷惑かけて」
「次俺に謝ったら向こう一年お前がネタ考えろよ」
「もう絶対謝らない」

 寝る前にもう一度夜明に扉を開けてもらってトイレに行った。

 ソファの上で布団をかぶる。目を閉じたら浮かんでくる女の顔。あれは一生忘れられないかもしれない。今日の出来事は現実味があるようでないような。もう俺自身は落ち着いているつもりだが、意味不明なことを捲し立てる女を思い出したりするとどんどん眠気が遠のいて行く。目が冴えて、なかなか眠れそうにない。あんなことがあったんだから当然と言えば当然。

 明日も仕事なのに。今日の事件、明日にはニュースになってたりするのかな。なんて言えばいいんだろう。茶化す感じはきっと駄目だよな。神妙に。皆にも注意喚起する感じで。ベランダの鍵はちゃんとかけましょうって。

 はっと飛び起きた。夜明が寝ているベッドに飛び乗って、その向こうにあるベランダの鍵を確認した。施錠されていてほっとする。

「なんだ、どうした?」

 夜明が布団から顔を出して言う。

「鍵、かかってた」

 少し俺の顔を見つめたあと、「大丈夫だから、もう寝ろ」と夜明は珍しく優しく微笑んだ。





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