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ドッペルゲンガーくん(1/3)

2020.02.29.Sat.
 塾を出た途端、くしゃみが出た。誰か僕の噂話でもしてんのか。単に、パーカーって薄着だからか。鼻をこすったら指に鼻水がついた。風邪か。

「あーれぇ? こんなところでなにしてんの?」

 いきなり甲高い声がしたと思ったら背中をばしんと叩かれた。痛みに顔をしかめながら振り返る。茶髪パーマの高校生が、アホみたいな顔して笑っていた。見たことのある制服。たしか、自分の名前を間違えずに書けて、二桁の足し算、引き算が出来たら誰でも入学できると噂の、県内でも最低ランクの学校。

 ずいぶん親しげに笑いかけてくるけど、こんなアホ、僕の知り合いじゃないぞ。

「どちらさんで」

 言いかけてはたと気付いた。

「カツアゲですか?」

 こんな頭の軽そうな奴に金を取られるのは癪だけど、僕は鞄の中の財布を探した。抵抗したら仲間が出てきてボコボコにやられるんだ、だったら最初からおとなしく金を渡したほうが利口だ。

「なに言ってんだよぉ、おまえってば」

 茶髪パーマは裏返ったような声で言い、また僕の肩を叩いた。

「俺だよ、今田だよ」

 男の滑舌は悪かった。かろうじて聞き取れたが、つい「ヒマダ?」聞き返してしまった。茶髪パーマは怒らず爆笑する。うるさい。

「そりゃ俺いつも暇だけどさぁ、暇田なんて名前じゃないよぉ、もう、うける」

 とまた手を振り上げたので横にずれてそれをかわした。こいつ、いったいなにがしたいんだ?

「ご飯は? ご飯食べた? 俺まだなんだけど、文ちゃん、いっしょに行かない?」

 ぶんちゃんて誰だ。

「人違いしてますよ、僕、文ちゃんじゃありませんから」
「なに言ってんの、どっからどう見ても文ちゃんじゃん」

 だから大声出すな。僕をじろじろ見るな。

「僕は尾崎です、尾崎悟です」
「おざきさとる……」

 茶髪パーマは神妙な面持ちで呟いた。

「文ちゃんじゃないの?」
「違うと言ってるでしょう。それじゃ」
「え、あ、ちょ、文……」

 茶髪パーマの声が途中でやんだ。だから僕は文ちゃんじゃないって言ってるだろ。

 振り返らなくても、今田がまだ僕を見ていることはわかっていた。だって背中に痛いほど視線を感じる。そんなに僕と文ちゃんという奴は似ているのだろうか? あんな脳足りんの友達と似ているなんて、なんだか不愉快だな。

 ~ ~ ~

 翌日、同じクラスの太田に昨日の茶髪パーマの話をした。

「ドッペルゲンガーかもしれんぞ」

 僕の机に腰掛けて、太田は顎を撫でさすった。なに気取りだそれ。

「オカルトは好きじゃない」
「芥川龍之介は自分のドッペルゲンガーを目撃したことがあるらしいぞ」
「きっと脳の機能障害だ」
「でも茶髪パーマはおまえとそっくりの奴と知り合いなんだろ、幻じゃない」
「じゃ、ただのそっくりさんだ。あいつ、頭が悪そうだったから、記憶力も悪いんだよ」
「おまえの性格悪いとこ、俺はなかなか好きだけど、あんまり人前でそういうこと言うなよ」

 自分は良識あるみたいな顔で太田は眼鏡をくいと持ち上げた。おおきなお世話だ。小さい頃からこんな性格なんだ。放っておいてくれ。それにこんな僕と友達でいられる時点で、自分も似たような性格のはずのくせに。

 休み時間終了のチャイムが鳴った。僕の机から腰をあげた太田は「自分のドッペルゲンガーに会ったら死ぬらしいぞ」意地の悪い顔で笑った。ほら見ろ、おまえも性格悪い。

 ~ ~ ~

 三日後。塾を終えて駅に向かう途中、くしゃみが出た。噂話か。風邪か。それともなにかの前兆か。

 思わず振り返る。誰もいない。茶髪パーマの影はない。なにやってるんだ僕は。自分の愚かさに心の中で苦笑しつつ前に向きなおり「うわっ」と声をあげた。体がびくっと飛び上がった恥ずかしさは、突然目の前に現れた茶髪パーマへの怒りにかわる。

「おす、文ちゃん」

 と言って今田は僕の肩をポンと叩いた。この馬鹿は何度間違えれば気が済むのだろう。

「俺さぁ、こないだ、文ちゃんそっくりの子に間違って声かけちゃってさぁ、もう恥ずかしいったらなかったよ。だけどほんと似てんだもん。実は双子とかじゃないよね」
「違いますよ」

 僕は文ちゃんじゃない、双子でもない、両方の意味で否定し、今田の横をすり抜けた。相手にする時間が無駄だ。

「ねぇ、文ちゃん、こないだの返事聞かせてよ」

 返事? なんの話だろう? 僕にはまったく関係ないことだが、そんな言われ方をしたら気になるじゃないか。

「返事って?」

 横に並んでついてくる今田のほうを見る。今田は少し顔を赤くした。

「やだなぁ、知らんぷり? 照れ隠し? 可愛いんだから文ちゃんは。俺、そういうとこも好きだけどね。改めて言うよ、文ちゃん大好き、俺と付き合って」
「断る」

 今田の馬鹿っぽい顔を見ながら付き合ってと言われたら、自分のことじゃないのに、背筋にぞわぞわとした悪寒が走って、つい断ってしまった。でもまぁいいか、間違って告白してくるコイツが馬鹿なんだし、文ちゃんも、こんなのに好かれて迷惑なはずだし。っていうか、男同士だろ。僕と同じ顔した奴がこんなのと付き合って欲しくないし。

「文ちゃん、けっこう容赦ないなぁ、ちょっと傷ついちゃったよ俺」

 と両手を胸にあてる。

「でも諦めないからね!」

 知るかばーか。今田を無視して駅に入り、改札を抜けた。背中に刺さる奴の視線。人違いだって言うのに鬱陶しい。

 ~ ~ ~

 毎度の塾終わり。今日は厚着をしてきたからか、くしゃみをすることなく駅へ向かう。ガードレールに腰掛けていた今田が僕を見つけて笑顔になった。僕の目は、今田の左目を大きく覆うガーゼに吸いつけられる。

「や、文ちゃん、よく会うね、運命だよね」

 待ち伏せしてんだろ、とは言わず「それ、どうしたの」と訊ねた。今田が「アハッ」と笑い声をあげる。

「馬鹿だよねぇ、今日の体育の授業、野球やったんだけどさ、平凡なフライなのに、顔面でボール受けちゃってさぁ、眉んとこ、切れちゃったんだよ、恥ずかしいよねえ」
「ほんとに馬鹿だね」

 冷たく言い放ち、前を通り過ぎる。腰をあげて、今田もあとをついてくる。連れだと思われるからあっち行けよ。

「僕、文ちゃんじゃないんだけど」
「えーっ、じゃあ、尾崎くんのほう?」

 目を見開いて今田が驚く。僕の名前、覚えてたのか。僕はそれに驚きつつ頷く。

「うわぁ、ごめんごめん、俺またやっちゃった? だってほんとに似てんだもん、顔も体も声も、全部そっくり!」

 と目を輝かせる。そんなに似てるのだろうか。こいつが馬鹿だからそう見えるだけなのだろうか。まさか太田が言うように本当にドッペルゲンガーなのか? いや、まさかそんなはずはない。自分に似ている人は世界に三人いるというし。

「文ちゃんてどんな人?」
「俺がいま最高に好きな奴」
「ごめん、言葉足らずだった、文ちゃんと僕、違うところはどこ?」

 今田は困った顔で「えっとねぇ」と目をくりくり動かす。すぐ出てこないのかと僕は苛々する。

「何歳?」

 仕方なく僕から訊ねた。

「俺? 16」

 おまえのことじゃないよ。というか僕より年下なのか。それともまだ誕生日がきてないだけか。

「あんたのことじゃなくて文ちゃん」
「あぁ、俺とタメ、高2」

 なんだ僕と同じ年か。年齢一つ確認するだけでどうしてこんなに回りくどくなるんだ。

「文ちゃんとあんたは同じ高校?」
「えー、違うよぉ、毎日会えないから寂しくって寂しくって」

 だからって待ち伏せか。行動力はあるが、迷惑な奴だな。

「どうしていつもここにいるんだ?」
「だって文ちゃんち、この近所だもん、駅前で張ってたら会えるっしょ」

 なぜか威張って答えているけど、それ、ストーキングじゃないのか。常識ないのかこいつ。

「そんなに文ちゃんと僕は似ている?」
「めちゃくちゃ似てる!」

 今田は何度も大きく頷いた。

 「なんていうんだっけ、うつ……うつり……いけ、うつり……」

 たぶん、あれのことを言いたいんだな。

「生き写し?」

 そうそう、と今田が手を叩く。ほんと、馬鹿の相手って疲れる。それに僕と文ちゃん、血縁関係にないし。

「二人並んだら見分けつかないもん」
「でも会話したらどっちかわかるだろ」
「えー……、俺、わかんないよ」

 テヘッ、と今田は笑った。自分の馬鹿をひけらかしてどうする。いちいち人をいらつかせる奴だ。

 自分で言うのもなんだけど、僕は性格がよくない。口も悪い。文ちゃんとやらもそうなのだろうか。外見も中身も自分とそっくりの奴がいるなんて薄気味悪い。そいつがなにかやらかして、それが僕のせいにならなきゃいいけど。自分で蒔いたタネならいざ知らず、他人が蒔いた恨みのタネまで刈り取るのは嫌だからな。

 結局今田は駅前までついてきた。途中で僕が文ちゃんでないとわかったのに、どうしてついて来るんだ。本当に暇なんだな。今日は怪我したんだから、おとなしくしていればいいものを。

 今田の左目はガーゼに隠れて見えない。眉を切ったという話だけれど、あたる場所が悪ければ失明していたかもしれないのに、どうしてこいつは能天気に笑っていられるのだろう。

「目は大丈夫なのか」
「えっ、あ、うん、これ?」

 と左目をふんわり手で覆う。

「ぜんぜんヘーキ、大丈夫だよ。っていうか心配してくれんの? 優しいね、そういうとこも文ちゃんに似てるよ。好きになっちゃいそう。本当は文ちゃんなんじゃ……ないよね?」

 疑わしそうに僕を見る。もしかして文ちゃんがしらばっくれていると思ったからついてきたのか? なるほどなるほど。無駄に思えた行動にも、一応意味はあったわけか。

「文ちゃんは優しい奴かもしれないけど、僕は優しくないから。次からもう僕と文ちゃんを間違えないでくれ、じゃ」

 改札を抜けて階段をのぼる。背中がじわじわと熱い。あいつ、いつまで僕を見送ってる気だ。




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おかえり(6/6)

2020.02.19.Wed.


 水垢がついて四隅は錆びついた鏡で見る自分の顔は腫れ上がって別人のようだった。可笑しくて笑おうとしたが口の中もズタズタに切れていて溜息しか出なかった。

 水で手を濡らし恐る恐る血を洗い落とす。

 ここは山本の部屋。木造アパートの一階。少年院を出た山本は実家には戻らず一人暮らしをはじめたらしい。就職が決まった工場からは少し遠いが、俺がバイトしているパチンコ店からは自転車で通える距離。それを白状したとき、山本は少し後ろめたそうだった。

「これ、冷やしとけよ」

 洗面所に顔を出した山本が氷を包んだタオルを差し出す。それを顔に当てた。冷たさより痛みしか感じない。

「俺、ひでえ顔してんな」
「あいつのほうがもっとひどい顔してるぜ」

 あいつ。丹野。二人で部屋を飛び出すときも動かなかった。

「殺した?」
「殺し損ねた。おまえが止めるから」
「よくあのタイミングで来たよな。最近、来なかったくせに」
「ほとんど毎日部屋のそばまで行ってた」

 俺が驚くと山本は気まずそうに頭を掻いた。

「だからあいつが部屋に入るところも見てた。気にするなって思っても気になって仕方なくてさ。嫉妬してまたなにするかわかんねえのに俺、コソコソ窓の下まで行って聞き耳立ててさ。そしたらおまえが……もう……、あいつぶっ殺してやるって、それしか頭になくて、後先考えずに飛び込んでた」
「俺がやったことにするから」

 山本は優しい声で「ばか」と笑った。

「俺が勝手にしたことだ。それに逃げるとき人に見られてる」

 騒ぎを聞きつけた社員が一人、様子を見にきていた。部屋を出るときばっちり目も合った。この顔じゃ咄嗟に俺だとわからなかったかもしれないが、度々来ていた山本のことはすぐわかったはずだ。逃げ出した部屋に血まみれの丹野が死んだように転がっているのも見つかっているだろう。今頃警察が来て騒ぎになっているかもしれない。

「丹野が俺にしてたこと、警察に言えばいい。俺も証言する。殴られて犯されてたところを助けてもらったって。そうすれば情状酌量も」
「その必要はねえよ。俺はただ気にくわねえおっさんを痛めつけただけだ」
「俺は女じゃない。あいつに犯されたってほかの奴に知られてもいい」
「俺はおまえを守りたいんだ。誰からも、なにからも」
「山本」
「しっ」

 表で足音が聞こえた。木製の扉を誰かがノックする。

「山本さん、開けてください、中にいますよね」

 口調は丁寧だが有無を言わせぬ押しの強さがあった。警察が来たと悟った山本は俺の肩をぎゅっと掴んだ。

「最後まで守れなくてごめんな。いつも迷惑ばっかかけてごめんな。怖がらせてごめんな。ほんとは俺のこと、怖かっただろ」
「怖がってなんかない」

 すまなさそうに山本が笑う。ほんとだって。むきになって言い募ろうとする俺の唇に、山本は素早く触れるだけのキスをして離れた。

「ごめん、最後だから」
「山本」
「ちょっとだけ、血の味がした」

 泣き笑いの顔で言うと、山本は警官が待ち受ける外の世界へと出て行った。

 ――血の味って、なんか興奮するよな。

 高校生の山本が蘇る。俺の目から涙が溢れた。

 ~ ~ ~

 買い物は休憩時間に済ませておいた。ホームセンターのバイトを終えた俺は、買い物袋を手に待ち合わせ場所へと急いでいた。

 ここのバイトは半年前からだ。重労働で体力を使うが時給はパチンコ店より少ない。それでもいまの仕事は気にいっている。大音量で耳がいかれることもないし、煙草の煙に巻かれることもないし、チンピラにからまれることもない。

 がんばり次第では社員登用の道もあるらしいが、いまはまだ仕事を教えてもらう段階の俺には縁遠い話だ。

 時間に少し余裕があったので実家に寄ってみた。母さんはスーパーで仕事中。いまだに店長と不倫は続いているらしい。お泊まり用の替えのスーツが吊るしてあった。

『また今度時間があるときに顔見せにくるよ』

 メモを残して家を出た。こうしてたまに母さんの様子を見られるよう近場で部屋を探した。母さんはまたいっしょに暮らそうと粘ったけれど俺が断り続けた。丹野のことに気づかなかった母さんを責めているのかと泣かれたが、いっしょに住みたい人がいるからとなんとか納得してもらった。

 家の近くの公園には時間ちょうどに到着した。しかし人の姿はなし。不安が胸をかすめる。一度くらいすっぽかされたって諦めないぞと気持ちを奮い立たせてベンチに腰をおろした。

 高校生の夜、木崎に偶然出会った公園。そのまま木崎の家に泊めてもらった夜の公園。

 先日顔を合わせたとき、木崎は俺の目を一度もまともに見てくれなかった。まだ俺を許していない。保護観察中の再犯。今度は山本を刑務所に入れてしまった俺を許していない。それで構わない。みんなが俺を許してしまったら俺はどこにも居場所がなくなってしまう。

 まだ六時前だというのに日が落ちるとあたりはすっかり暗くなった。肌寒くて背中を丸めた。

「河端」

 声のしたほうを振り返る。公園の入り口、階段のうえに木崎が立っていた。

「遅くなって悪かったな」

 ぶっきらぼうに言うと自分の背後に目をやる。木崎の後ろから、少し髪の伸びた坊主頭が俯いたままやってきた。見覚えのある黒い服。返り血はクリーニングされてなくなっていたが、事件当日山本が着ていたものだ。

「山本」

 俺の呼びかけに山本は顔をあげた。困っているような怒っているような複雑な表情をしている。

「……余計なことしやがって」

 唇をとがらせてぼそりと呟く。

「真実を言っただけだろ。警察に協力するのは市民の義務なんだぞ」
「俺はそんなことしてほしくなかった」
「俺だっておまえを守りたかったんだよ」

 山本の唇が硬く結ばれる。その肩を木崎がトンと叩いた。

「じゃな」

 と来た道を引き返していく。

 階段の上と下で俺たちは睨むように見つめあった。

「あいつはどうなった?」
「丹野? 一応身内だし、刑務所入れるとあとあとめんどそうだから被害届けは出さなかった。接近禁止命令? とか出て、俺にはもう近付けないことにはなったけど」
「大丈夫なのか?」
「いまんとこは。心配?」
「当たり前だろ。俺があんなにぼこぼこにしたんだから、逆恨みしてるかもしれねえだろ」
「だったらまた俺を守れよ」
「えっ」
「ずっと俺のそばにいて、俺のこと守ってくれよ」

 離れていても山本の戸惑いが伝わってくる。俺を守るためならなんでもする山本がこんなことに動揺するなんておかしなことだ。

「おまえの歯ブラシ、今日買ってきたから。俺は水色。おまえは黒な。間違えんなよ」
「河端……、おまえ、いいのか、ほんとに」
「いいに決まってんだろ」

 階段を一段一段のぼる。どんどん山本が近くなる。

「なんのためにクソ男に殴られて犯されましたって警察で証言したと思ってんだよ。なんのために貯金はたいて部屋借りて待ってたと思ってんだよ。なんのために木崎に頼みこんでおまえの出所日聞き出してここに連れてきてもらったと思ってんだよ」

 木崎にはすべてを話した。山本が倉岡を殺そうとした本当の動機。山本が丹野を叩きのめした事件の真相。そしていまの俺の気持ち。だから木崎は山本を俺のところへ連れてきてくれた。

「帰ろう、俺たちの家に。狭いワンルームだけどさ」
「だ、だけど」

 面倒臭くなって山本の唇を塞いだ。驚く無防備な口に舌を差し入れる。奥で硬直している舌を絡めとって思い切り濃厚なキスをしてやった。

「もう俺のこと嫌いになった?」
「そっ、そんなわけ」

 慌てる山本が愛おしい。正常な感情と正常な反応。それを与えてくれた山本の首にしがみついて耳元で言った。

「おかえり」



かじつ


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おかえり(5/6)

2020.02.18.Tue.



 することもなくベッドに寝転がって天井を見ていた。もうすぐ秋だというのに遠くから蝉の鳴き声がする。

 目を閉じた。頭の片隅に居座っている一人の男がまぶたの裏に現れる。そばにいないのに山本の匂いや体温が蘇って五感をくすぐる。俺を思いやる声。俺の言動に一喜一憂する表情。唇に押し当てられた柔らかさ温かさ。

 錯覚を抱いて目を開けたが部屋には誰もいない。少しだけ頬の内側が熱くなっただけだ。

 山本が姿を見せなくなって一ヶ月近くが経つ。ほっとするのが半分。罪悪感から気になるのが半分。山本をひどく傷つけた気がする。実際傷つけてしまったのだろう。

 俺を好きだというたったそれだけの理由で教師の頭をバットで叩き割り少年院に入ったのに、報われるどころか目の前でほかの男とキスしているのを見せつけられたのだから。

 なのに山本はキスひとつしただけで帰って行った。別れ際「ごめん」と謝ってさえいた。馬鹿がつくほどにお人好しなんだろう。その性格を熟知しているから木崎も俺を責めたのだ。

 腕を枕に体を丸めた。外は晴天だというのに気が晴れない。傷一つで大騒ぎする山本の優しさに涙が滲みそうになる。

 ――――コン、コン、コン。

 ノックの音に飛び起きた。池島は仕事。ほかの社員が俺の部屋を訪ねてくることはめったにない。じゃあ、外にいるのは……

「山本?」

 急いで玄関に向かって鍵を開けた。扉の向こうから顔を覗かせたのは、

「お、おじ、さん……」
「よお、ひさしぶり。やっと見つけたぜ」

 丹野は俺をおしのけて土足のまま中に入ってきた。頭のなかでノックの音がこだまする。インターフォンのあとにノックを三度。この男の癖。インターフォンがないからノックの音を聞いても結びつかなかった。来ないと高をくくっていた。油断して鍵をあけた自分を激しく呪った。

「このあと暇か?」
「あ、あの、バイトが」
「さっき店寄って店長に聞いたら今日は休みだって言ってたぞ?」

 にやりと丹野が意地悪く笑う。単純な誘導尋問に簡単に引っかかってしまった。

 突然の訪問に混乱して頭が働かない。うまい嘘が思い浮かばない。

「最近連絡ねえし、借金返す前にとんずらされんじゃねえかと思ってよ」

 靴音を立てて丹野がにじり寄ってくる。

「そんなこと、しません。最近忙しくて」
「そうか? なんだかんだ理由つけて俺を避けてたじゃねえか」
「そんなことは」
「恩の返し方が金だけじゃねえことも、忘れてんじゃねえかと思ってよ」

 腰をまげて下から俺の顔を覗きこんでくる。丹野の望むもの。金。丹野の望むこと。奉仕。

 俺はカーテンをしめた。薄暗くなる室内。久し振りのことで心臓が乱れた鼓動を打つ。

 後ろから丹野が抱きついてきた。

「最近、良子さん調子いいみたいじゃねえか。新しい男でもできたか?」

 耳に舌を突っ込みながら喋る。生温かい息と唾液で耳が汚されていく。

「さあ……家出てからあんまり会わないんで」
「あの女もたいがい売春婦だよな」

 耳元で笑い声。頭に血がのぼったのも一瞬、俺は冷静になって感情を殺すスイッチを入れた。

「も、って俺もそうだってことですか」

 腕の中で体を反転し丹野と正面から向きあう。

「違うのか?」
「おじさんがそうしたんじゃないですか」

 笑ってみせると俺はそこへ跪いた。ベルトを外しファスナーを下す。すでに固い丹野の性器をしゃぶる。

 こいつの言う通り俺は売春婦だ。しばらく丹野とセックスしなかったからって、まともな人間にでもなったつもりだったのか俺は。金を援助してもらうかわりに体を提供した。かわいがってもらうために媚を売った。すきものの淫乱を演じてきた。

「すごく大きい……おじさん……」

 欲情したような目で丹野を見上げる。丹野には我慢できない盛りのついたガキに見えているはずだ。

「欲しいか? ん?」

 欲しいよ――言い終わる前に殴られていた。

「そうすりゃ俺が甘い顔すっと思ったか? ああ? おまえが嫌々抱かれてんのに気づかねえほど俺を馬鹿だと思ってたのか? 生憎だったな、俺はおまえの寒い演技を利用してただけだよ。クソガキが精一杯善がってるふりしてんの見て腹んなかで笑ってたんだよ、このくそ馬鹿野郎が!」

 今度は腹を蹴られた。丸まる俺のうえに丹野が跨り拳を叩きこんでくる。頭を庇う腕の隙間から胸倉を掴んで持ち上げられ、そのまま床に打ちつけられた。何度もそれが繰り返される。意識が朦朧となってくる。腕のカードが弛むと顔を殴られた。自分を守るために体を動かすこともできない。無抵抗のまま何度も殴られていた。

 このまま殴り殺されるんだろう。そう覚悟した。恐ろしかった。はやく気を失ってしまいたいのにそれが叶わない。悪鬼の形相で拳を叩き込んでくる丹野を見続けることしかできない。

 咽喉に血がつまって咳き込んだ。丹野はゼエゼエと肩で息をしながら自分の股間のものを取り出し、扱き始めた。衣類を剥ぎ取るようにして俺の下半身を露出させると足を肩に抱え上げる。

「俺から逃げられると思うなよ、クソガキが」

 そんな気力もねーよ。

 むりやり中にねじ込まれた。体を裂かれる痛みは不思議となかった。ただもう演技をしなくていいと俺は体から力を抜いて目を閉じただけだ。

「だ、誰だ!」

 丹野の慌てた声に目をあける。ちょうど黒くて大きい影に丹野が蹴倒されるところだった。視界に入らない場所で丹野の呻き声と肉を打つ鈍い音が聞こえる。さっきまで俺の脳を揺さぶっていた音と同じ種類のものだ。

 のろのろと体を起こした。黒い影は山本だった。山本は最前の俺たちのように馬乗りになって丹野を殴りつけていた。何度も。何度も。拳が血で赤く染まっても、その動作をやめない。

 さっきまで呻いていた丹野が静かになった。ばたつかせていた手足も弛緩して床に放り出されている。死んだか、と俺は思った。それでもまだ殴り続ける山本を俺はしばらく眺めていた。

「もういいよ」

 発した声は自分で予想していたより小さくて呂律がまわっていなかった。山本が止まらないので聞こえていなかったか、意味が理解できなかったのだと思い俺はもう一度、今度は大きな声で言った。

「山本、もういいいよ」

 俺の言葉が通じたらしい。山本は振り上げた拳をだらんとおろした。馬乗りになったままの体勢で、ぴくともしない丹野を見下ろしている。

「ありがとう、助けてくれて」
「ありがとうなんて言うな。助けられなかった。俺はおまえを助けられなかった」
「助けてくれたよ」

 山本がゆっくり振り返る。血飛沫で真っ赤になった顔を辛そうに歪めていまにも泣き出しそうだ。

「もっと早く来てたら、もっと早く気づいてたら、おまえをこんな目に遭わせなかったのに」

 震える手を伸ばしてくる。触れるか触れないかのところで、俺の頬を包むように手を添えた。

「おまえを助けたかったのに、俺はなにもできなかった。今も、昔も。おまえを守りたいのに守れない。こんな方法じゃ、なにも解決しないのに!」

 山本はドンと床を殴りつけた。涙を流しながら。もどかしそうに。腹立たしそうに。

「山本、俺、山本に助けてほしいなんて思ってないよ」
「俺が守ってやりたいんだ!」
「あのときも、今回も、助けてほしいなんて言ってないだろ、俺」

 潰れた片目をなんとか開いて、俺は山本を見据えた。

「そういうの、すっごい迷惑。自分に酔っちゃってんの見え見えだし、俺の気持ち完全に無視だし。俺が木崎を好きなこと知ってて付き纏うなんて嫌がらせじゃん。待ち伏せとかストーカーみたいできもい。助けてくれたのは感謝するけど、こいつ」

 俺は丹野の足を軽く蹴った。

「俺の叔父なんだよ。身内をこんなにボコボコにしてくれちゃってさ。ほんと迷惑。はやく消えろよ。ここ俺の部屋だぞ。早く出てけよ」
「河端」

 すっかり萎れてしまった山本が頼りなさげに俺の名前を呟く。捨てられた犬の有り様だ。そんな目で見るな。早く出てけって言ってんだ。ほとんどの社員は出勤だけど、休みの社員が寮にいるかもしれないだろ。

「早く行けってば。もう俺に構うな。もう二度と現れんな。迷惑なんだ、早く出てけ!」

 カーテンの外をよぎる人影が見えた。俺の視線で山本もそれに気づいた。俺に向きなおると、右手を出して言った。

「逃げよう、いっしょに」

 俺は反射的にその手を掴んでいた。




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おかえり(4/6)

2020.02.17.Mon.



 山本が三日とあけず俺に会いに来る。仕事が終わるのを待ち伏せされていたことも何度だってある。頻繁に姿をあらわす山本は寮の社員にも知られるようになり、名前まで覚えられていた。

 食堂で夕食をとっていたら、休憩でコーヒーを飲みに来た社員から「山本くん来てたぞ。またあとで寄るってよ」と教えられた。とたんに食欲が失せた。

 仕事をかえようか。知り合いのいない場所へ行っていちからやり直す。住所は誰にも教えない。母親には仕送りをすればいい。丹野からも逃げられる。

 そんなことを真剣に考えはじめたら落ち着かない気分になった。仕事中もいつ辞めるか、そればかり考えていた。

「最近元気ないな、おまえ」

 仕事を終えてタイムカードをきるとデスクの池島が声をかけてきた。閉店するといつもやっているパソコン業務。なにかしらの数字をごまかしていると薄々気付きながら、みんな知らないふりをしている。

「夏バテ、ですかね」
「ちゃんと食ってるか」
「食べてますよ」

 ネクタイを弛めながら笑ってみせる。

「おまえ明日休みだったよな。このあとちょっと付き合えよ」
「あ、なんか奢ってくれるんですか」
「給料日前の俺に無理させんなよ」

 池島はパソコンに向きなおった。池島がほかのスタッフを食事に誘ったことがあるのか俺は知らない。少なくともそんな話は聞いたことがない。プライベートが謎な人物。休みの日は出かけていることが多い。以前、バイトの女の子から、休日はなにをしているのかと聞かれ、よその店に偵察に行ってると答えていたが、池島はそこまで仕事熱心じゃないから本当かどうか疑わしい。

 更衣室で制服を着替えてからまた事務所へ戻って池島の仕事が終わるのを待った。日付がかわる直前、ふたりで店を出た。

 山本はどうしているだろう。まだマンションの前で俺の帰りを待っているだろうか。もう諦めて帰っただろうか。暗がりで佇む山本の姿を想像したら胃が痛くなった。

 寮のほうは振り返らずに、先を行く池島のあとをついて歩いた。

 池島が向かったのは店から二十分ほど歩いたビルのサウナだった。よく来るのか慣れた様子で受付をし、ロッカーの前でさっさと服を脱ぐ。自販機でタオルを二枚買うとその一枚を俺にくれた。

 狭い廊下に扉が並ぶ。カラオケボックスのような印象だ。そのひとつの扉を池島が開けてなかに入った。予想以上に狭い個室。むっと蒸し暑くすぐに汗が吹き出た。

 板を渡しただけのベンチに腰をかける。二人でギリギリの室内。膝を閉じていないと池島とぶつかってしまう。

 五分が限界だった。風呂に入ったあとのように体中が汗で濡れていた。拭っても拭っても溢れてくる。目にも汗が流れ込んで何度も瞬きで押し出した。

「山本って友達となんかあったか?」

 黙っていた池島が急にしゃべり出した。膝に腕を乗せた前傾姿勢で覗きこむように俺を見ている。

「いえ、別になにもありませんけど」
「最近よく来てるみたいだな」
「すいません」
「泊めてやってんのか?」
「あ、いえ。そんなには」
「禁止されてるわけじゃねえけど、あんま部外者出入りさせんなよ」
「はい、すいませんでした」

 このことを言いたくて池島は俺を誘ったのかもしれなかった。パチンコ屋にはトラブルがつきものだ。従業員が関わる犯罪もないではない。まだ半年も働いていない俺が信用されないのも無理はない。

 サウナを出たり入ったりして一時間。池島がやっと「出るか」と言ってくれた。池島はさっぱりとした顔をしていたが、俺は初めてのサウナ体験でくたびれていた。

 サウナを出ると駅前通りの商店街に連れて行かれた。見逃しそうな細い横道に入り、壁にへばりついたような狭い立ち飲み屋ののれんをくぐる。

 普段あまり酒をうまいと感じない俺も、この時ばかりは五臓六腑に染み渡るビールがうまいと心底思えた。

 焼き鳥をつまみに酒をちびちび飲んでいる池島の横で俺は酒をがぶ飲みし、水分が行き渡ると餃子やらから揚げやらを頼んで平らげた。

 店を出てすぐ吐いた。煙草をふかす池島が呆れたように笑いながらなにか言う。地面が綿のようにふわふわする。誰かに裾を引っ張られたみたいにバランスを崩して倒れこんだ。手を伸ばした。池島が手を掴んだ。引っ張り起こされ、息のかかる距離で池島と見つめあう。

 煙草をよけて顔を近付けた。口の端に触れる。たまらなくなって俺は笑い出した。

「しゃんと立て。帰るぞ」

 池島に抱えられるように誰もいない商店街を歩く。

「ホテルないんですか、このへん」

 池島は答えない。

「俺ね、初めてじゃないんですよ、男とやるの。こう見えて意外と経験豊富なんです」

 へらへら笑いながら池島の顎に手を添える。誰でもよかった。この体にこもる熱を取り去ってくれるなら、池島でも丹野でも、誰でもよかった。

 煙草をとりあげて口を寄せる。直前でかわされた。乗り気じゃない池島の態度に安堵するような腹が立つような。

「ゲロ臭いんだよ、おまえ」

 苦笑交じりの一言。少しだけ酔いがさめた。



 誘いに乗らない池島と部屋の前で別れた。うえにあがっていく足音を聞きながらポケットに手を入れて鍵を探り出し、部屋の扉をあける。靴を脱ごうとして足がもつれ、玄関に倒れこんだ。冷たいフローリングに頬をひっつけていたら溜息が出た。

「なにやってんだ俺」

 明日からどんな顔で池島に会えばいいんだ。酒の勢いでとんでもない告白をしてしまった。しかもホモだと思っていた池島に相手にもされないなんて滑稽すぎる。

 背後で物音がした。重くなってきたまぶたをあける。

「主任?」

 首をひねって後ろを見る。眠気も酔いも吹っ飛んだ。

「山本」
「大丈夫か」

 俺が起き上がるのと山本が屈みこむのはほぼ同時だった。狭い玄関で間近に顔を合わせる。暗くても山本が怒っているのはすぐわかった。普段は優しい二重が吊りあがっている。

「どうして、ここに」
「待ってた。ずっと」
「ずっと」
「今日、仕事休みだから」
「そうなんだ」
「いっしょにメシでも行こうかと思って」
「ご、ごめん」
「さっきの、誰?」

 池島の話題が出た途端、きゅっと締めつけられたように胃が痛んだ。

「主任。上司だよ。メシ誘ってもらって」
「メシだけじゃないだろ?」

 山本の唇が左右に持ち上がる。こんなに恐ろしい微笑を俺は見たことがない。

「メシ、だけ」
「サウナも行ったろ」
「見て……俺をつけてたのか」
「そのあとメシ行って、あいつにキスしてただろ」

 暗がりで山本の目が光る。俺は身動きできずに、近づいてくる山本の顔を見つめた。

「あいつが好きなのか?」

 唇に山本の息がかかる。どちらかが顎を少しもちあげただけで唇が触れ合う距離。眩暈がするほど近い。

 俺は声も出せずに首を横に振った。

「好きじゃないのか?」

 今度は縦に首を振る。山本がふっと笑った。

「好きでもないのに、キスできるのか?」

 どちらにも振れずに俺は固まる。

「だったら俺にもしてくれるか?」

 山本が顎を持ちあげたので、俺たちの唇は簡単に合わさった。手をついて前のめりになる山本から逃げるように俺は後ろに手をついて体勢を維持した。

 山本は角度をかえて何度も口付けてきた。乾いていた唇が湿り気を帯びてくる。友達だと思っていた山本の柔らかな唇に戸惑う。

 山本はむりやり中に入ってこようとしなかった。俺も体が硬直して口をあけることはなかった。

 しばらくして山本は離れていった。

「ごめん」

 震える声で謝罪する。

「ごめん、河端」
「山本」

 立ち上がると山本は素早く部屋を出て行った。間際に見た顔が泣きそうに歪んでいたので、俺はなにも言えなくなった。




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おかえり(3/6)

2020.02.16.Sun.


 今日はとくにイベントもなく店は暇だった。俺の顔を覚えた常連客に呼び止められ、なかなか当たりがこないと長い愚痴に付き合わされた。時間の流れが遅い。何度も時計を見てしまう。

 突然インカムから池島の声が聞こえてきた。

「おまえに客。トイレ横のベンチで待ってる」

 ぱっと頭に浮かんだのは山本だった。少年院を出てすぐ俺を探し出した山本。付きまとわれる恐怖が膝を固くする。よろりと最初の一歩を踏み出して、パチンコの島を抜け出しベンチのあるほうへ向かった。

 途中で池島とすれ違った。訪ねてきたのが誰であれ仕事中だ、池島には一応頭をさげておいた。

 俺より大きく育った観葉植物の奥にベンチはある。ジーンズの足とスニーカーが鉢の向こうから見えていた。この場合は叔父の丹野のほうがマシだったが、これで違うことが確定して俺の足取りはさらに重くなった。

 気配に気づいたのか足が動いた。立ち上がって姿を見せたのは意外な人物――木崎だった。

 高校のときより髪の色が落ち着いていて短くなっていた。だから最初、誰だか咄嗟にわからなかった。全体的な雰囲気や見覚えのあるパーツから襲ってくるデジャヴュに目が眩んだ。

「急に悪い。話がある」

 懐かしむ気配がまったくない木崎の硬質な声と態度。現実へ引き戻される。

「いま?」
「できれば」

 どうせ今日は暇だ。少しくらい抜けても大丈夫だろう。

「じゃあ、ちょっとだけ」

 俺が自動ドアを抜けてそとへ出ると木崎もあとをついてきた。駐車場へ繋がる出入り口から店の奥へまわりこむ。ここなら人目は避けられる。

「久し振り、木崎」
「山本が会いに行っただろ」

 俺の挨拶を無視して木崎は一方的な会話を始めた。木崎はまだ俺を許していない。俺を憎み続けている。俺を睨む目を見てすぐわかった。

「来たよ、先週」
「あいつに構うな」

 思わず鼻で笑ってしまった。

「構ってなんかない。山本のほうが俺に会いに来たんだ」
「ちゃんと振ったんだろうな」
「振るもなにも、山本は俺になにも言わなかった」
「あいつの気持ちは知ってんだろ! あいつを弄ぶのがそんなに楽しいか? これ以上山本の人生をめちゃくちゃにするな!」
「勝手なこと言うなよ!」

 木崎が怒鳴るので俺まで感情的になって声をあげていた。

「俺があんなこと望んだと本気で思ってんのかよ! あれは山本が……! なにも知らないくせに勝手なこと言うなよ!」
「ああ! 俺はなにも知らねえよ! おまえは関係ねえって山本はいまでもおまえを庇ってる! それが俺は許せねえんだよ! あいつを利用してるおまえが!」

 木崎は空調の室外機を思いっきり殴った。側面がへこんでしまっている。

「利用なんてしてないし、誰もあんなこと頼んでない! 人の気も知らないで、よくそんな――」
「おまえの気持ちなんて知ったことかよ!」

 投げ捨てられた言葉。怒りが急速に冷めていく。俺の気持ちは木崎にはどうだっていいことなのか。事情もなにも知らないくせに、木崎は疑うこともしないで山本の味方になり、俺を敵とみなした。あの事件が起こるまでは友達だと思っていたのに、俺は微塵も信用されていなかったのか。友達のように振舞ってくれていたのは、山本がいたからなのか。誤解が解ければまた以前のような関係に戻れると期待していた俺が愚かだった。

 木崎に嫌われ背を向けられたあの日、母さんが自殺未遂を図ったあの日、あの時以上の疲労と絶望感が這い上がってくる。

「もう二度とあいつに近づくな、いいな」

 ナイフで刺すように木崎は俺に指を向けた。その指先を見ながら俺は歪んだ笑みを浮かべていた。

「俺じゃなくて山本に言ってくれよ」
「なんだと」
「迷惑してるのは俺のほうなんだからさ」
「おまえ……!」

 木崎に胸倉を掴まれた。間近に木崎の顔を見たのは本当に久し振りだ。こんなときなのに、男前だなと感心してしまっている。

「俺が好きなのは木崎だ。ずっと好きだった」
「なに、な……」

 突然の告白に木崎が戸惑って瞬きをする。おそらくこれが見納めになるだろう木崎の顔を見ながら、俺はずっと言えなかった言葉を言った。

「木崎が好きだ。高校のときから。嫌われても憎まれてもずっと好きだった」
「ばかなこと、言うな」

 動揺した木崎の声はへんな抑揚がついていた。

「な、こんなこと言われても迷惑だろ? 嬉しくないだろ? 俺が山本に好かれて迷惑してるってわかったかよ」

 言い終わるや否や木崎に殴られていた。その衝撃のまま尻もちをつく。顔を上げると心底軽蔑しきった目が俺を見おろしていた。

「最低だな。山本はおまえなんかのどこがいいんだ」

 吐いて捨てるように言うと木崎は踵を返し去っていった。

「そんなの俺が知りたいよ」

 似たようなことが以前にもあったなと思い出しつつ口の端を拭う。手に血がついていた。

 ~ ~ ~

 仕事前の時間、部屋でのんびりしていたらノックの音がした。てっきり池島かほかの社員だと思って確認せずにドアを開けてしまった。スーパーの袋を手に佇む山本を見て激しく後悔した。

「山本……」
「今日はすぐ帰るよ。じつは就職決まってさ。いっしょに祝ってくれるか?」

 先日の木崎とのやりとりを思い出したが断れるわけもなく中に通した。

「就職ってこないだ言ってた工場の?」
「あぁ。来週から俺、パイプ椅子作るから」

 笑って言いながら山本は袋からジュースやら酒を取り出す。

「いまから仕事か?」
「うん」
「じゃあ酒はまずいな」

 とジュースの蓋をあける。俺はキッチンからコップをふたつ用意して山本の向かいに座った。

「就職、おめでとう」
「おお。ありがとな」

 カチンと軽くグラスをぶつけてあまり冷えていないジュースを咽喉に流し込む。笑みを浮かべてそんな俺を見ていた山本が、急に表情をかえた。

「どうした、これ」

 伸びてきた手が唇に触れる。木崎に殴られた場所はすでに傷がふさがりかさぶたとなって盛り上がっていた。

「なんでもない」

 山本の手を振り払う。

「なんでもないことないだろ。誰にやられた?」

 恐ろしいほど厳しい眼差しを向けられる。こんな目で見られながら嘘をつける自信がない。

「別に。山本には関係ない」

 答えながら視線が下がった。木崎が会いに来たことを山本はどうやら知らないようだ。俺が告白なんてしてしまったから木崎は言えなかったのかもしれない。俺も黙っているほうが賢明だと判断し、木崎のことは隠しとおすことにした。

「関係ないっておまえ……放っとけねえよ。誰にやられたんだよ?」
「そんなたいした傷じゃないんだし、どうだっていいだろ」
「よくねえよ」
「うるさいな。うざいんだよ、おまえ」

 少しきつい言い方をすると山本は口を閉ざした。不満そうな顔で俺を睨み続けている。

「俺、もうバイトの時間だから」

 携帯と財布をポケットに捻じ込んで立ち上がった。顎をしゃくって出るように促すと、山本はしぶしぶ腰をあげた。

「じゃ。仕事頑張れよ」

 戸締りし、店に向かって足早に歩く。本当は出勤時間には早すぎたが、背中に感じる山本の視線から逃げたくて、俺は店の事務所へ駆け込んだ。



のみ×しば

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おかえり(2/6)

2020.02.15.Sat.
<1>

 バイトを終えて店を出ると地面が濡れていた。いつ降ったのかと真っ暗な空を見上げる。雲の切れ間から星が見える。きっと通り雨だったに違いない。

 同じ寮住まいの社員から部屋でやる飲み会に来ないかと誘われていた。俺が未成年だろうがおかまいなしだ。元気があったら行きますと返事をしたけど実はあまり気が進まない。なぜなら参加者のなかにはアルバイトの女の子も何人かいて、明け方近くに目を覚ますときっとまた押し殺した喘ぎ声を聞くはめになるからだ。前回がそうだった。俺はトイレに行きたいのを必死に我慢してその行為が終わるのを待った。飲み会に女の子が参加するとこうなるに決まってる。

 まっすぐ部屋に戻ると誰かに捕まりそうだったので、交差点のそばにあるコンビニに寄って行くことにした。

 夕飯は食堂で済ませていても一日動きっぱなしで小腹がすく。おにぎりとパン、1Lパックのお茶、スナック菓子を買って帰った。

 店の2階は事務所と食堂になっている。勤務中は交代で食事をとり、休みの日も食堂まで行けばまかないが出る。この条件があるからここの面接を受けた。食事つきと言ってもこうやってよくコンビニで買い物しているからお金をおろすときには罪悪感が沸く。

 いったん店に戻って駐車場から同じ敷地内の寮へ向かう。一階の左側が俺の部屋。ポケットの鍵を探っていたら駐輪場の陰からぬっとなにかが現れた。強盗か。心臓がひやりと冷える。

 暗がりからエントランスの照明のしたに姿を現したもの、それは──

 ある意味、俺がいま一番恐れているものだった。

「山本……」

 手から鍵が滑り落ちた。カチャンという音にさえ怯えて俺は全身黒尽くめの山本を見つめた。黒いブルゾン、黒いジーンズ、黒く短い頭髪。以前は肩に届く茶髪だった。

 どうして山本がここにいるんだ。いつ少年院を出たんだ。なぜここを知っているんだ。俺を待ち伏せしてたのか。なぜ。なぜ──。

 そんなの答えは決まっている。俺を憎んでいるから。俺のせいで人生が台無しになったから。俺に復讐するため、この場所を探しあてたんだ。

 恐怖で動けないでいると、目の前までやって来た山本は屈んで鍵を拾いあげた。短い髪の毛から水が零れ落ちる。その時になって初めて、山本がびしょ濡れなことに気づいた。

「ほら」

 広げられた山本の手に鍵が乗っかっている。手を伸ばしたとたん捕まえられそうな気がして躊躇っていると、小さく肩をすくめた山本が俺のかわりに部屋の鍵を開けた。開錠された音を聞いたとき、瞬間的にしまったと頭のなかがゆだったが、山本は元の場所にさがって両手をポケットにしまった。部屋に押し入るつもりはないらしいがまだ安心はできない。

「ありがとう」

 硬くぎこちない声で礼と言うと「別に」と山本はちらりと笑みを見せた。懐かしい山本の笑顔なのに俺は怖くてたまらない。

 首を傾けた山本の笑みが苦笑にかわった。

「おかえりくらい言ってくれよ」
「えっ」
「年少、やっと出たんだぜ、俺」
「あっ、あぁ……おかえり」
「それだけかよ」

 肩をゆすって山本が笑う。

「え、えと」

 不意に真顔に戻った山本がポケットから両手を出す動作を見せた。殴られる! 咄嗟にガードした両腕ごと体を固定された。きたる衝撃に備えて体中に力をこめていたが暴力の気配は一向にない。恐る恐る目を開くと腕の隙間から山本の首筋が見えた。抱き締められていると気づくまでに少し時間がかかった。

「弱ったな」

 耳のすぐそばで山本の声。

「なに震えてんだよ」

 指摘されて初めて自分が震えていることに気づいた。

 ~ ~ ~

 危害を加えるつもりじゃなさそうだとわかっても、俺にとって山本はタイマー表示の見えない時限爆弾のようだった。思いも寄らないタイミングで爆発しそうで、山本に「部屋、見てもいいか?」と訊かれたときは首を縦にふるしかなかった。

 たぶん標準的だと思うワンルームの部屋を、山本は物珍しそうに眺める。玄関の前から動こうとしないので声をかけたら「濡れてるから」と言う。寮の社員からもらったおさがりの服を山本に出してやった。黒いと思ったジーンズは水を吸って黒っぽく見えていただけだと気づく。きっと通り雨にやられたんだろう。

「いつから待ってたんだよ」
「10時前」
「よくここがわかったな」
「おまえの母ちゃんに聞いた」

 口止めしておいたのに。俺の友達ならいいかと思ってしゃべってしまったんだろう。

「家、出てたんだな。聞いてなかったから驚いた」

 誰に――木崎だ。

「木崎にはもう会ったんだ?」

 つい場を繋ぐために木崎の名前を出したが失敗だった。穏やかだった山本の目に剣呑なものが宿るのが見えた。

「あいつとは今でも連絡取り合ってるのか?」

 俺は急いで首を振る。

「嫌われてるから」
「おまえには会うなって言われた。なんかあったのか?」
「山本が少年院はいることになったのは俺のせいだって」
「確かにおまえのせいだよな」

 山本は愉快そうに笑いながら言うが俺は少しも笑えない。身じろぎせず固まっていると、

「冗談だって」

 困り顔の山本に頭をごしごし撫でられた。
 
 山本は担任だった倉岡の頭を金属バットで叩き割り、少年院に入ることになった。倉岡が教師という立場を利用して俺を犯していたと知ったからだ。頭から大量の血を流している倉岡を見おろしながら山本は俺に電話をかけてきた。そこで俺に愛していると言った。俺のために倉岡を殺ったと。

 突然の山本の凶行、それに対する俺の反応を見て、木崎は事情を知らないのに敏感に勘付いた。警察にも誰にも言わなかった山本の動機を俺のためだと見破った。山本が俺に抱く特別な感情にも気づいていた。

 事件後、山本が少年院に入ることになったのはおまえのせいだと木崎は俺を責めた。学校にいるあいだ、身を貫くような鋭い視線を何度も感じた。俺はマゾヒストの心境で木崎の視線に射抜かれた。卒業するまで木崎の憎悪は温度を下げることがなかった。

 まだ木崎のことが好きなのか自分でもよくわからない。だけど、卒業後顔を見てない木崎のことを山本の口から聞いたときは、木崎の温度やにおいをわずかながら思い出して胸がしめつけられた。

 木崎はどうしているだろう。いまでもまだ俺のことを忘れずに、激しく憎んでいるだろうか。

~ ~ ~

 帰ると言わない山本を追い出せないまま日付がかわり、仕方なく泊まっていくか訊ねたら山本は「ごめん」と申し訳なさそうに頷いた。最初からそのつもりだったのかもしれない。

 どちらが床で寝るか押し問答していたらふたり一緒にベッドで寝る展開になっていた。俺は壁側。寝返りが打てない身体的苦痛より、全身に感じる山本の体温とそばで聞こえる息遣いのほうが俺を精神的に窮屈にして苦しめていた。

 寝る体勢が決まらないのか、山本は何度も狭い範囲内で小刻みに体を動かして最適な寝相を見つけようとしていた。その振動が俺に伝わる。腕や背中が俺に当たる。バツの悪そうな咳払いが聞こえる。

「仕事はどうすんの?」

 壁に向かって声をかけた。

「紹介もらった工場に面接行く予定」
「学校は?」
「もう面倒だし、最終学歴中卒でいいや」

 なんでもないことのように軽い口調でさらりと言い放つ。今後ずっとついてまわる高校中退の学歴。履歴書を見た担当者はきっと疑問に思ってなぜ辞めたのか質問するだろう。山本がなんて答えるつもりかなんて、俺には重すぎて考えたくもない。

「別に前科がついたわけじゃねえし、年少入ってたなんて言う義務もないからな。それに高校中退なんて珍しくもねえよ」

 もしかして俺に気を遣わせまいとそんな強がりを言っているんだろうか。だとしたら俺は――。

 その場で寝返りを打った。山本は右腕を枕にして仰向けで寝ていた。首を少し捻って俺と目を合わせると「ん?」と眉を跳ね上げる。高校生のままの、実に子供らしい悪戯っぽい目だった。

 それから目を逸らし、俺は山本に密着した。怖いくらいの緊張を味わいながらふとんのなかで手を動かす。そっと触れた場所は硬くなっていた。

「おい、河端」

 驚きと戸惑いの入り混じった山本の声を無視し、その形に指を添わせる。積極的に男を誘うのはこれが初めてだった。発作を起こしそうなほど心臓が苦しい。だけど俺ができることと言ったらこれくらいしかない。山本だって最初からこれを期待して俺に会いに来たんだ。倉岡を殺そうとしたのもこれのため。丹野や倉岡もそうだった。見返りが必要なんだ。

 先端を包むように指を曲げた。

「やめろ」

 擦れた声とともに手首を捕まれた。熱い手はギリギリと骨を軋ませるほどの握力で握りこんでくる。

「いっ……」

 全身から血の気が引く思いがした。山本を怒らせたことに俺はやっと気がついた。

「こんなことすんなよ。するんじゃねえよ。おまえはもう、こんなこと、すんな……」

 山本の顔が苦しそうに歪むのを見てしまった。俺の視線から逃れるように山本は背を向けた。丸まった背中がなんだか悲しそうで罪悪感がわきあがってくる。それと同時に疲れと苛立ちも感じた。こんなときにそんなことを言える山本がひどく幼稚に思えた。

 何事も起こらないまま時間が過ぎ、朝起きたときには山本の機嫌はなおっていた。

「また来ていいか?」

 帰り際、靴をはいたあと意を決したように振り返って訊ねる。ためらいながら頷くと、とても嬉しそうな笑顔で山本は部屋を出ていった。



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おかえり(1/6)

2020.02.14.Fri.
<前話「ノイローゼハイスクール」>

※暴力、無理矢理

 俺の働いているパチンコ店にはホール主任がふたりいる。いまベッドでうつ伏せになってマッサージを受けている池島がその一人で、数年前に店長から再び主任に降格されたことで出世しないほうの主任と蔭で言われている。

「あー、そこそこ、そこ気持ちいい」

 ホールの仕事は立ちっぱなし動きっぱなしのうえ、重たいドル箱を何個も持ち上げなければならないので腰にくる。家族がいない池島は同じ寮住まいの俺に腰を揉んでくれと頼んでくる。出世しないほうの主任でも上司にかわりはないので、俺は仕方なく業務外・時間外労働をしている。

「今度はおまえもマッサージしてやろうか?」

 池島は体を起こすとベッドの上に胡坐を組んだ。枕元の煙草に手を伸ばし、一本を口にくわえる。

「いえ、俺はいいです」
「おまえが店に来て……三ヶ月か?」
「それくらいになりますね」
「よく続いてんな」
「まぁなんとか」
「体力勝負できついだろ」
「もう慣れました」
「若いな」

 ライターで煙草に火をつけた。

 池島は三十代半ば。離婚経験者だとか一千万の借金があるなどといった噂の持ち主だ。浅黒い肌、消えることのない目の下の隈、痛んだ茶髪、なにもかも諦めたような微笑が、その噂を真実めいたものに見せてしまう。

「ほら、寝転がれよ。やってやるから」

 くわえ煙草の池島に肩をつかまれ、押し倒された。体のどこも凝ってはいないが、仕方なくうつ伏せに寝そべった。

 池島の両手が俺の腰に添えられ、ぐっと体重を乗せられる。俺の体がベッドに沈む。指先が筋肉を揉むように動きはじめる。俺は重ねた手のうえに顎をのせ、枕もとの焦げ跡を見つめた。いつか煙草の不始末が原因で火事になるんじゃないかと考えていたら、池島の手が腰から尻へと下がった。両側から挟むように揉んでくる。

「主任、そこは大丈夫です」
「そうか? 凝ってるぞ」

 横から上へ、下から上へ、円を描くように池島の手が動く。太ももの付け根に手がさしこまれた。リンパマッサージみたいに手を上下ささせる。その指先が俺の股間に軽く当たる。

 池島にマッサージされるといつもこうだ。わざと触っているのかたまたま当たっただけなのか判断しにくい微妙なところ。下手に指摘して薮蛇をつつくことになるのも嫌だし、俺は黙ってなすがまま。それに池島は意外に女にモテる。数年前の店長降格も女絡みのトラブルが原因だと噂で聞いた。自分を含め、最低なホモ野郎と関わることが多かったからといって、池島までそうだと決めつけるわけにはいかない。

「もう大丈夫です。ありがとうございました」

 上半身を起こすと池島の手ははなれていった。

「じゃあ俺、そろそろ自分の部屋に戻ります」
「お疲れ」

 煙の向こうで池島が笑う。

 光熱費込みで食事つきという条件にひかれ、入寮希望で面接を受けたのが三ヶ月前。それ以前は飲食店で働いていたが、毎月二万用立ててくれていた叔母夫婦への借金返済もあって思うように金は溜まらず、もっと割りのいいバイトを探して見つけたパチンコ店での仕事だった。

 基本、寮に入れるのは社員だけのようだったが、金を貯めたいと頭をさげて入れてもらえることになった。店の裏手にある5階建て、全十室の細長いマンションがそうだ。店に近いため休日呼び出されることもあるし、残業の役目も回ってくる。ゴト師対策の見回りがあったり強盗などの非常事態には夜中でも警察の対応をする場合がある。そんな説明を受けたが俺の心はかわらず、採用の連絡をもらった一週間後には入寮していた。

 母さんと叔父の丹野から逃げたかったからだ。

 叔母夫婦からの月2万円の援助は俺が高校を卒業すると同時に終わっている。丹野と会うこともなくなると思っていたのに、今度は借金とりたてのために丹野はやってくるようになった。俺から金を取り上げていると叔母も母さんも知らない。丹野は可愛い甥っ子の顔を見るという口実で毎月やってくるのだ。

 母さんがいないころを見計らってやって来ては酒を片手に俺を犯す。俺が中学二年のときから家を出るまでずっと続いた。いまは借金を返すために1、2ヶ月に一度丹野と会っている。人の多い昼間の喫茶店だというのに、丹野は俺をホテルに誘ってくる。手を握ったり膝を擦りあわせてくる。俺は仕事を理由に逃げ帰る。丹野という男は本当に腐った人間だ。

 母さんは夜の仕事を辞めてスーパーのパートをしている。そこで妻子持ちの店長と不倫関係にある。人目を憚って家で逢引するので、帰るに帰れなかったことが何度もあった。母親のあの時の声から耳を塞いで夜の公園へと向かう。俺の頭には家を出ることしかなかった。

 自分の部屋に戻って窓をあけた。ベッドのサイドボードに置いてある煙草の箱をひとつとり、一本を抜き取る。銘柄がばらばらなのは客の置忘れをもらっているからだ。たまに折りたたんだ金が入っている。それは臨時収入として懐にしまう。

 前回丹野に会ってから二ヶ月近く経っていた。気は進まないがそろそろ連絡しなければならない。

 煙草に火をつけ煙を吐き出した。苦味が口中に広がる。大人ぶって吸ってるだけでちっとも旨くない。

 ~ ~ ~

 喫茶店の二階、窓に面した席で丹野が来るのを待っていた。日曜の昼過ぎ。二十代から四十代が客層の中心で比較的静かな店内。野菜ジュースを頼んではみたものの飲む気になれず外の景色を眺めていた。今日は曇りで窓の外は灰色だ。

 2時50分、ドカドカと大きな足音が聞こえてきた。わざと大きな音を立てるのは丹野に違いない。約束の時間から20分遅刻。いつものことで腹もたたない。

「おう。久し振りだな」

 丹野に項を撫でられ全身総毛立った。振り払いたいのを堪えて「どうも」を頭をさげることで丹野の手から逃れる。わざとらしい溜息をつきながら丹野は向かいの椅子に腰をおろした。

「これ、二か月分です」

 4万円が入った茶封筒をテーブルの上へ押し進める。丹野の身じろぐ気配に慌てて右手を引っ込めた。俺の一連の行動に丹野は左頬を吊り上げ肩をゆすった。

「そう警戒すんなよ。日曜だってのに家族サービスもしないでおまえに会いに来てやってんだからよ」
「すみません。叔母さんは元気ですか」
「なんとかダンスってのにはまってるよ。いまさらダイエットしても手遅れだってのになに考えてんだか」

 首をふって俺の野菜ジュースを勝手に飲む。予想外の味だったようで顔を顰めた。

「今日は時間、大丈夫なんだろ」

 幾分声を潜めた猫撫で声で丹野が言う。

「すみません。4時からバイトなんです」
「電話で今日は非番だって言ってたじゃねえか」
「すみません。バイトが一人休んで急遽俺が」
「そんなもん断ればいいだろうが。たまには俺とメシでも食いに行こうぜ。奢ってやるからよ」
「すみません」

 頭を下げると丹野は横を向いて舌打ちした。

「パチ屋だったよな」
「はい」
「どこのよ」
「えー……と、ここからちょっと遠いです」
「教えろよ」
「まだこのバイト続けるかわからないんで」
「いいから教えろよ。俺はおまえの父親代わりでもあると思ってんだからよ」

 毎月二万取り上げてそのついでにセックスしようと企むのが父親代わりの男がすることなのか? 大声でこいつのしていることを糾弾してやりたいが、母さんが生きている以上、いつまた丹野の世話になるかわからない。ここはじっと我慢して、

「ありがとうございます。でも教えたのにすぐ辞めてたらかっこ悪いんでもうちょっと待ってください」

 丹野を見上げながら気弱に笑ってみせた。なにか言いたげに丹野が口をもごもごさせているあいだに、俺は立ち上がって千円札をテーブルに置いた。

「バイト遅れるといけないんで」

 くるりと踵をかえし丹野に背を向ける。階段をかけおりているとき名前を呼ばれた気がしたが、たぶん空耳だ。

 丹野にいま勤めている場所を教えるつもりはさらさらない。母さんは知っているけれど、俺からきつく口止めしてある。丹野がしつこく訊いて来るってことは母さんは俺との約束をちゃんと覚えてくれてるようだ。それはつまり、母さんの精神状態が安定しているということでもある。

 不倫なんていつまでも続くわけがない。必ず捨てられるときがくる。そのとき母さんはどうするだろう。また自殺をはかるだろうか。俺が家を出たいま、誰が第一発見者となって救急車を呼ぶんだろう。見つけたところでもう手遅れだって場合もある。

 その可能性に気付きながら俺は家を出た。最悪の連絡がくることに怯えて毎日を過ごしている。恐怖に耐えかねていつも俺から母さんへ電話をする。浮かれたのろけ話に辟易しながらも安堵する。安堵しながらこの穏やかな生活はいつまでなんだろうと、不安に押しつぶされそうになる。





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相方自慢(4/4)

2020.02.06.Thu.


 その後、俺はまったく問題なく生活を送れている。朝起きてトイレに立ってもほとんど恐怖心なく扉を開けられるし、楽屋も事務所の会議室も、どこの扉だってまったく平気。

 風呂に入っているときとか、夜寝る前の布団のなかで、たまに女のことを思い出すことはある。そんな時は恐ろしくなるが、女はいない、と理性的に対処できている。恐怖心が作りだす妄想に負けることはない。

 夜明のそばにはまた、市原が金魚のフンのように付き纏う姿が復活した。こいつ本当に仕事してるのかと疑いたくなるレベルで頻繁に見かける。夜明も少しは拒否ればいいのに。酔っぱらってどさくさにキスしてくるような奴。まじで夜明は貞操の危機感を持ったほうがいい。

 今日もとっくに自分たちの出番を終えたはずの市原が劇場に残って夜明の帰りを待っていた。

「夜明さん、今日はどこに行きますか! やっとミヤさんから解放されたんだから今までの分遊びましょう!」
「いや俺今日、森さんと約束あるから」

 夜明は先輩芸人の名前をあげて市原の誘いを断った。森さんは俺たちの三年先輩で、夜明とは風俗仲間だ。全国各地のちょっとかわったプレイをするお店の情報をお互い共有しあっている。その森さんとの約束ということは、今日は2人で風俗店へ行くつもりらしい。

 それは市原も察して「俺もお供させてくださいよ!」と食い下がる。

「森さんがいいって言ったらな」

 夜明はスマホを出してどこかへ電話をかけた。相手はきっと森さんだ。図々しい市原の頼みなんか断ってしまえばいいのに。

「いいってよ」

 通話を切って夜明が言う。市原がガッツポーズを取って喜ぶ。市原の夜明への思いはどこまで本気なんだろう。夜明になら抱かれてもいいと言っていたし、抱きたいとも言っていた。本当に夜明とそういう仲になりたいのだろうか。それともそのくらい尊敬している、という意味なのか。まあ俺には関係ないけど。

 俺も後輩を誘ってご飯に行こうかとも思ったが、まだ部屋にたくさん残っている段ボールの片づけを優先することにした。夜明や他の芸人たちに挨拶しながら劇場を出た。駅に向かう途中の店で軽く食事し、最寄り駅で電車をおりた。

 駅から徒歩20分の新居。集合ポストから郵便物を回収して6階へ。扉を開ける瞬間はいまだに緊張するが、もう躊躇なく開けられるようになった。

 部屋の明かりをつけ、荷物をおろしたあと手洗いうがい。これはは夜明の家に居候していた時から習慣となった。

 腕まくりをし、まず一つ目の段ボールに取り掛かる。夏物の服が出てきた。収納ケースに入れる。2つ目の段ボールはコントで使った衣装や小道具が出てきた。いつぞやのローションも出てきた。余ったから、と持って帰らされたものだ。

 それを見てたら無性に寂しくなった。家でも仕事場でも、ここ数日ずっと夜明と一緒だった。それが当たり前になってしまっていた。なのに今夜明はいない。待ってても帰って来ない。森さんと市原と風俗に行って楽しんでいる頃だろう。

 置いてけぼりをくらったような寂しさと、見放されたような心細さ。明け透けに夜明を好きだと言ってくっついていける市原への嫉妬。

 寂しいような、怒りたいような。複雑な感情が湧きあがって持てあましてしまう。

 ローションは段ボールに戻した。これはこのままクローゼットにでも突っ込んでおこう。

 3つ目の段ボールを開けた。重いと思ったら本や雑誌が入っていた。俺たちが表紙のお笑い雑誌。夜明の顔を見たらもう駄目だった。

 スマホを取って夜明に電話をかけた。2コールで繋がる。

『どうした?』

 少し緊迫感の孕んだ夜明の声。また俺になにかあったと心配してくれたのかもしれない。電話の向こうは少し騒がしい。どこかの店にいるようだ。

「どうってことはないんだけど。いま電話大丈夫?」
『大丈夫。ちょうど飯食い終わったとこ』

 てことは今から風俗店か。

『ミヤはもう家か?』
「うん、部屋の片付けしてた」
『1人で?』
「そうだよ。この前使ったローション出てきた」

 なんでこんなこと言ってしまったのか。電話の向こうから夜明の忍び笑い。

『せっかくだから使えよ』
「相手がいねえよ」
『引っ越し祝いにテンガ買ってやろうか』
「いらねえ。彼女作るわ」
『できんのかよ』
「その気になれば俺だって」

 背後から「またミヤさんですか!」って市原のでかい声が聞こえた。

「悪い、もう切るよ」
『なにか俺に言いたいことがあったんじゃないのか?』

 耳元で聞く夜明の声は妙に優しい。

「いや別に。なんとなく……お前いま何してんのかなと思って」

 自分でも気持ち悪いこと言ってる自覚はある。顔が熱い。これ明日相当いじられるぞ。

『俺がいなくて寂しくなったか?』
「違くて。実家出て初めての一人暮らしみたいな」
『ふはっ』
「前に戻っただけだし。すぐ慣れる」
『今からお前も来るか?』
「やだよ、コンビで一緒に風俗行くとか。邪魔して悪かったな。楽しんで来いよ」

 笑いながら通話を切った。そのあと大きな溜息が出た。なにやってんだ俺は。構ってちゃんかよ。

 自己嫌悪を抱えながら部屋の片づけを続けた。気を紛らわそうとテレビをつける。滅多にテレビ出演のない市原がこんな時に限ってテレビに出ていた。筋肉ギャグを披露しながら夜明への愛を叫び、「気持ち悪いよ」と相方に突っ込まれるのが最近の定番。

 よけいに気分が悪くなったから、ある程度片付けたら風呂に入った。もう今日は寝る。

 風呂を出て晩酌に一本開けて飲んでいたらインターフォンが鳴った。胸がざわついた。恐る恐る見たモニターには夜明がいた。

「おまっ……なにしてんの?」
『開けろ、寒い』

 どうして夜明がここに? 驚きつつ解除ボタンを押した。数分して夜明がやってきた。

「お前、森さんは?」
「風俗はまた今度っつって抜けてきた」
「なにしてんの?」
「俺が恋しくなったから電話してきたんだろ」
「ちげーよ」
「ローション見て俺を思い出したくせに」
「それはっ」
「久々の風俗断って来てやったんだぞ。ちゃんと穴埋めしろよ」

 言うや夜明は俺に抱きついた。首筋で深く息を吸いこんで「風呂入って待ってた?」と笑いの含む声で言う。

「ど、どういう意味だよ?!」
「ローションどこにある?」

 間近に目を覗きこまれた。いつも見ている夜明の顔。今日は雄臭さが滲んでて、思わず生唾を飲みこんだ。

 ~ ~ ~

ベッドに押し倒されて俺は夜明を見上げた。夜明の手が俺のズボンをパンツごとずらす。 

夜明はここへ来る前、ドラッグストアへ寄ったらしい。そこで購入したテンガにローションを垂らし俺のちんこに装着した。

「なんでこんなことすんだよ……!」
「楽しいからに決まってるだろ」

 俺の顔を見ながら手を動かす。グチョグチョと激しく音が鳴る。

「風俗行けなくて溜まってんならお前が使えよ!」
「俺がコレで満足できると思ってるのか?」

 それどころじゃなかったっていうのもあるけど、ここんとこ夜明と一緒だったから俺も自己処理はおろそかになっていた。だから刺激に感応してあっさり勃起するし、ぶっちゃけもう出ちゃいそうだった。

「ちょ、待って夜明! やばいって!」
「早いな」

 と笑う。それにむかついて、俺も夜明の股間へ手を伸ばした。半立ちの状態を確かめてジーンズの上から強く握る。

「触ってくれんの?」
「出せよ、俺のせいで風俗行けなかったんだろ」

 お言葉に甘えて、と夜明が前を開ける。パンツをずらして夜明のちんこを引っ張りだした。夜明はテンガを使って俺のちんこを扱き、俺は素手で夜明のちんこを扱いている。普通コンビでこんなことしないのに、コントの練習中に流れで夜明とセックスしちゃったせいか、ハードルが低くなってるっていうか、あまり抵抗がない。

 扱き合うだけで終わるだろうか、なんて考えている。別にその先を期待しているわけじゃない。ただもう、一回火がついたら行きつくとこまで行かなきゃ鎮火しない気がするだけ。

「夜明、俺もう出そう」
「どうぞ」

 夜明の手つきが早くなる。テンガってすごい。手でやるより断然良い。あっという間に射精した。引き抜かれたテンガからローションだか精液だかわかんない液体が糸を引く。

「お前こそ溜まってただろ」
「だってほんと久し振りで」
「俺んちいる間、一回も抜かなかったのか?」
「お前がいるのにできるわけないだろ」
「風呂入ってる間も?」
「さすがに人んちでは」
「だったら早くこうしてやりゃ良かったな」

 夜明はローションを手に出すと、俺の後ろの穴に指を入れてきた。

「うわっ! なにしてんだよ!」
「初めてじゃあるまいし、わかるだろ」

 かき分けるように指がなかに入ってくる。それをゆっくり出し入れしながら中を押し広げるような動作をする。

「まじでまた……、い、入れる気かよ」
「お前のために風俗断って来てやったんだぞ」

 指で俺のアナル拡張をしながら夜明は今日行く予定だった風俗店の話を始めた。そこはゾンビ娘にいたずらできるというコンセプトらしく、見た目グロいゾンビの格好をした女の子に噛まれないよう気を付けながら、性具を使ったりして遊んだあと、最後フェラさせて終わりらしい。

「精液飲んだらゾンビ化が治るんだってさ。面白いだろ」

 面白い? 面白くねーわ。

「尻、もうやだ……なんか変、気持ち悪い……」
「前に教えただろ、前立腺。あれ以来、触ってないのか?」
「触るわけないだろ」
「じゃあここ、俺以外誰にも使わせてない?」
「当たり前だ!」

 夜明は無言で微笑んだ。やってる行為は最低なのに、こんな時でも顔は良い。くそ腹立つ。夜明は指を抜いて、かわりにちんこを入れた。解されたとは言え指とちんこのでかさは比べ物にならなくて、俺は夜明にしがみついて痛みと不快感に耐えた。

 ケツにちんこ入れられるのはこれで二度目。二度とも夜明だ。俺は相方となにをしてるんだろう。何度目かわからない自問自答が頭をよぎった。

「奥まで入った。わかるか、ミヤ」

 顔のすぐ近くで夜明が言う。俺は頷いた。夜明の熱い塊が、内臓に届いてんじゃないかって感じがする。

「ゆっくり動くから」

 俺の体の上で夜明が動く。思い出したように乳首を弄られた。

「んっ」

 乳首なんか触っていらないって思う。今まで自分が触る側だったから余計にそう思う。ちんこ突っ込まれてる上、乳首いじられながら気持ちよさそうな声をあげる自分が気持ち悪い。興醒めもいいところだと思うんだけど、夜明はゆっくり腰を動かしながらあいかわらず乳首を弄り続けている。

 夜明の腰の動きがだんだん大きくなっていった。動きに合わせて俺も声を漏らす。女の子とセックスしてる時には絶対出さないような、甘えた声。俺は夜明に甘えてるのか。

「ん、はあっ、はっ、ああっ」

 さっきまで夜明が指でいじくってた場所を夜明のちんこが擦りあげる。覚えのある感覚に怖くなって夜明の腕を掴んだ。

「お前が俺んちにいる間、どうして一回も手を出さなかったかわかるか」

 わからずに首を振る。

「一回やったら歯止め効かなくなって毎日やりそうだったからずっと我慢してたんだ」
「ふあっ、あっ、あんっ」

 激しさが増していく。擦りきれそうな摩擦。どんどん熱くなっていく内部。再び立ちあがったちんこから撒き散らされる先走り。

「まさかお前から誘われるとは思わなかった」

 夜明の体が伸びあがる。深い挿入に息がつまりそうだ。

「誘っ……た、わけ、じゃ……っ」
「俺としたこと思い出して電話してきたくせに」

 からかうように笑って、夜明は俺にキスした。確かにそうだ。ローションを見てあの日のことを思い出した。電話したのも下心があった。モニターに映る夜明を見たとき、こうなることを予感したし期待もした。夜明は全部お見通しだった。恥ずかしい。手で顔を覆い隠す。

「次やりたくなった時もちゃんと俺を呼べよ」

 呼べるか!

 夜明の腰のリズムは軽快だ。楽しそうに俺の奥を突く。数分して夜明は達した。

 そのまま面倒だからと俺の部屋に夜明は泊まっていった。ソファも来客用の布団もないから仕方なく俺と一緒のベッドで。

「いいとこだな。さっき住人っぽい女の子とすれ違ったけど、レベル高かった」

 それさっきケツに中出しした相手に言うかね。

「とりあえず戸締りだけはしっかりしとけよ」
「わかってるよ。もう確認済みだし。窓に防犯用のシートも貼るつもりだし」
「これからもちょくちょく来てやるから。お前が俺んち来てもいいし」
「ますますホモだって噂される」
「否定はできねえな」

 夜明にちんこを鷲掴まれた。横目に睨むと夜明はニヤリと笑う。夜明の手が性的な動きを見せる。さっき2人ともシャワーを浴びたばっかなのに。振りほどけずに、俺はされるがまま。




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相方自慢(3/4)

2020.02.05.Wed.


 今朝は少し時間に余裕があった。なので扉を開ける特訓をすることにした。

 トイレの戸の前に立つ。夜明が隣で見ている。ノブを掴み、力を込める。考えちゃだめだ。思い出したら駄目だ。女の顔は頭の中から排除するんだ。

 言い聞かせてもチラチラ浮かぶ女の姿。扉の向こうが怖い。女はいないとわかっていても、扉一枚隔てた向こう側が不気味で仕方ない。

 また心臓がドクドクと高鳴りだした。膝が固まって、錘でもついてるみたいに足が重たく感じる。

「ミヤ、無理するな」

 横から聞こえた夜明に声にハッと我に返った。ここは俺の家じゃない。夜明の家だ。すぐ近くに夜明がいる。こんなに心強いことはない。

「大丈夫大丈夫、一回開けちゃえばこんなの」

 さらに手に力を入れる。下に捻って手前に引っ張るだけ。それがなぜこんなに難しいのか。

「もういい、やめとけ。手、震えてるじゃねえか」

 夜明の手が俺の手を掴む。その温もりにほっとする。同時に泣きたくなるくらい心細くなった。扉を開けるって簡単なことが俺にはできない。いつまでも夜明に甘えてられないのに。

「ちょっと深刻だなこれ」

 ノブから俺の手を剥がして夜明が言う。

「俺、いつまでこのまま?」
「焦ることはねえよ、気長にいこうぜ」

 俺の背中を叩いて夜明は部屋へ戻った。テレビではアイドルの電撃婚が取沙汰されている。ザッピングをしていたら俺のことを報じる局があって手をとめた。

 侵入したのは25歳の女で、高校時代から不登校になり引きこもり生活を続けていたが、先月急に実家を出て一人暮らしを始めた。喜ぶ両親の思いと裏腹に、女が実家を出たのは俺のマンションに空きが出たからで、最初からストーカー目的だった。侵入経路はベランダ。隣との仕切り板は無事だったことから、ベランダを乗り越えての侵入だったようだ。

 女の言っていることは意味不明で、自分こそ三宅本人であり、いまはわけあって女の体をしているが、本来2人で1つだったと主張しているらしい。俺の部屋で帰りを待っていたのは1つの体に戻るためだったと言っていて、その方法はいま現在も警察で取り調べ中とのこと。ワイドショーを見て改めてぞっとした。

 ヤスミンが言っていた通り、被害届を出したところで罰せられることはないだろう。相手の親から引っ越し費用をもらいさっさと引っ越しする以外方法はなさそうだ。

「こんなのと警察が来るまで一緒にいたのか?」

 テレビを消して夜明が言った。

「そうだよ、めちゃ怖かった」
「怖いなんてもんじゃないだろ。よく無事だったな。どうして逃げなかったんだ?」
「逆上されたら怖かったから。とりあえず怒らせないように話だけ聞いてた。言っても俺だって男だし、相手は女だし」
「箍の外れた奴は男女関係なくやばいだろ」

 腕を組み、顎に手をあて、夜明はなにやら考え事を始めた。しばらくして「荒療治でいくか」と俺を見た。

「荒療治?」
「いつまでも一人でトイレに行けないのはお前も困るだろ」
「そうだけど。なにすんの?」
「秘密」

 ニヤニヤ笑うだけで、夜明は教えてくれなかった。時間が来て仕事のためマンションを出た。今日は特番の収録と、事務所で次のライブの打ち合わせ。そのあとラジオ収録。

 テレビ局に入ると、俺のニュースを知った芸人や関係者たちから声をかけられた。大半が同情して労わってくれる。たまに「女とヤッた?」と下世話なことを訊いてくるやつもいる。「可愛かったらいけるだろ」と。冗談じゃない。

 収録を終え、事務所の会議室でライブ打ち合わせ。ここでも事件の話は避けて通れず、会う人会う人に心配され、そのお礼を言い、簡単なあらましを説明しなければならず大変だった。

 夜明と打ち合わせをしていたらヤスミンがやってきた。向こうの親が引っ越し費用の負担を了承してくれたと言う。それプラス慰謝料を払うとの申し出もあったそうだが、それは断ってくれ、とヤスミンに頼んでおいた。夜明は「もらっておけばいいのに」と言うが、多くをもらってイメージダウンは困る。

 俺と親との間で引っ越し費用の負担などの話しあいが進んでいるから、警察は示談という認識で、女は不起訴になるだろうとのことだった。費用負担のほかに、俺たちコンビへの接近禁止も条件に含んでおく、とヤスミンは付け加えた。

 これでもう大方、事件の後始末はついたようなものだった。あとは俺が新居を見つけるだけだ。

 次の仕事の時間が近づいて事務所を出た。ラジオ収録では事件の話をスルーできず、冒頭は事件の話をした。ついでにいま、夜明の家にお世話になっていることも話した。

 番組のツイッターにリアルタイムで反応がかえってくる。俺を心配する人。犯人に憤る人。夜明との同居を羨ましがる人。色々あるなかで、悪口めいたものもある。前は有名税だと気にしないようにしてきたが、自分が知らないうちに誰かのスイッチを押しているのかもしれないと思ったら少し怖くなった。

 ラジオ番組を終え、やっと帰宅の時間になった。

 同じ場所へ帰るので夜明とタクシーに乗り込む。車中、市原からの電話に夜明が出た。短い会話のあと夜明は俺にスマホを持たせた。

「え、なに?」
「市原が言いたいことあるって」
「どうせ夜明と一緒に住んでることの文句だろ」

 と言いつつ耳に当てたら『ニュース見ました、大変でしたね!』と大声で言われてスマホを耳から離した。

『相手の女、やばい奴じゃないすか。怪我とか、なにもされなかったんですか?』

 まさか市原が俺の心配をしてくれるなんて思わなかった。驚きの表情で夜明を見たら、軽く微笑み返された。

「あ、ありがとう。俺は大丈夫、なにもされてないから」
『こんなね、緊急事態のときなんで、夜明さんの家に寝泊まりするのは仕方ないですよ。許します! 俺が許可します!』
「何様だよ」
『俺の夜明さんなんで、誘惑とかしないでくださいね!』
「するか、馬鹿」
『じゃあ夜明さんに愛してますって伝えておいてください!』
「誰が言うか」

 言いきる前に通話が切れていた。あいつ、俺のこと絶対先輩だと思ってない。

 夜明にスマホを突き返す。

「あいつさ、まじでお前のこと狙ってると思うんだけど」
「酔っぱらったときにどさくさに紛れてキスしてくるからな」
「拒否れよ! もうあいつと飲みに行くなよ!」
「嫉妬か?」
「ホモネタはもういい!」

 プイ、と顔を背けた。夜明の忍び笑いが聞こえる。口元に手を当てて肩を揺らす夜明が暗い窓に映る。ハレトークの仲いい芸人で行われたドッキリのせいで、俺と夜明のホモ説は一部でより一層濃いものとなっているらしい。コントの打ち合わせ中にセックスした過去があるから、否定しても嘘くさく聞こえる。否定すること自体がもうなんだか恥ずかしい。

 夜明はあのことをどう思ってるんだろうか。あれ以来、あのことを話題にしたことはない。相方とセックスするって、どんなに仲のいいコンビでもありえないと思うんだけど。

 そんなことを考えていたらマンションについた。鞄から出した鍵で夜明が扉を解錠する。

「開けてみるか?」

 夜明に言われ、ドアノブを掴む。途端に動悸が激しくなる。俺の手に、夜明の手が重なった。夜明の手に力が加わり、ドアノブが回る。ゆっくり扉が開く。まだ暗いその奥から目が離せない。鼓動が激しくなる。胸が苦しい。扉が全開したと同時に照明がついた。

「おかえりなさい、あなた!」

 廊下に人影を見つけて心臓が止まりかけた。本当に気を失いかけた瞬間、それが市原だとわかってなんとか気を持ち直した。しかもよく見ると裸にエプロン姿だ。

「市原? なんで、ここに?!」

 さっき電話したばかりだ。隣の夜明に驚いた様子はない。呆れたように「汚ねえな」と笑っている。

「ちょっと、うちのダーリンに抱きつかないでよ! この泥棒猫!」

 市原に言われて夜明にしがみついていたことに気付いた。手を離し、2人を交互に見る。

「……これが、お前が言ってた荒療治?」
「扉の向こうのイメージを変えられれば怖くなくなるだろ」
「荒療治過ぎんだろ、めちゃ焦った」
「これから毎日やるからな」
「俺、時間だけはあるんで! それに夜明さんちの合鍵もらっちゃったし!」

 見せびらかすように市原は鍵を持って踊る。

「あげたんじゃない。一時的に貸すだけだって言っただろ。合鍵作ったらぶっ殺すからな。もう用は済んだしお前はさっさと帰れ。どこも部屋触ってないだろうな」
「ちょっとだけベッド入って匂い嗅ぎました!」
「死ね」

 夜明は市原の太ももに蹴りを入れた。痛いと言いつつ、市原は嬉しそうだ。風呂場の脱衣所に置いていた服を着ると市原は玄関で靴を履いた。

「じゃあまた明日もきますね!」

 夜明に頭をさげると、市原は本当に部屋を出て行った。これのためだけに、ここであんな馬鹿な格好をして待っていてくれたのだ。それがたとえ夜明の頼みであっても、市原にはなんの得にもならないのに。案外あいつ、悪い奴じゃないのかも。

「これでほんとに治ったら、俺も飯奢ってやんなきゃな」
「あいつと2人で行く?」
「やだ」

 顔を顰める俺を見て夜明が声をあげて笑う。こいつが相方で本当に良かった。

 次の日、仕事を終えて玄関を開けると、着ぐるみのうさぎがいた。某女性アイドルグループの激しめなダンスの完コピを披露したあと、ハアハア言いながら着ぐるみ姿のまま市原は帰っていった。

 その次の日は全裸で尻の穴に花を一輪さし、V字の大股開きで俺たちを出迎えた。

 その次の日はよほど暇だったのか市原は仕事先の楽屋にも現れた。完全に気を抜いていたから貞子の格好でいる市原を見たときは悲鳴が出た。打ち合わせのため事務所へ向かうヤスミンの車のなかにも貞子はいた。貞子は肉まんを食べていた。打ち合わせが終わって飯を食って帰ったら今度は全身白塗りブリーフ姿の俊雄くんがいた。今日はホラーシリーズらしい。

「夜明さん、今度2人きりで飯行きましょうね!」

 脱衣所に置いていた服を抱えて、市原は白塗り姿のまま元気よくマンションを出て行った。職質されないか?

「あいつ、そうとう暇だな」
「今日オフだって。楽屋にまでくるとは思ってなかっただろ」
「ヤスミンの車にも乗ってると思わなかった」
「ヤスミンにもそれとなく事情は話しておいた。お互いピンの仕事もあるし、いつも俺がお前のかわりにドアを開けてやれるわけじゃないからな」
「そんなに長引かせる気はないよ。俺もう自分で開けられるかも」

 疑わしそうな夜明に見られながらトイレの前に立った。扉の向こうを思うと嫌でも蘇る女のニタニタ笑った顔。考えるな。思い出すな。思い出すなら市原のバカバカしい姿のほうだ。

 裸エプロン。V字生け花。貞子に俊雄くん。

 ──夜明さん、愛してます!

 屈託なく言う市原が浮かぶ。人の相方に手を出すなよ。やっぱあいつ、ムカつくんだよな。

 ノブにかけた手を捻る。扉の向こうに女はいない。馬鹿みたいな格好をした市原がいる。いや、市原も誰もいない。全部俺の妄想だ。

 かすかに音を軋まなせながら、トイレの扉を開けた。当然、そこには誰もいない。全身から力が抜ける。知らずに止まっていた息を深く吐き出した。どうよ、と夜明を見る。夜明は少し驚いたような顔をしていた。

「な、もう大丈夫だろ」

 夜明は静かに微笑みながら頷いた。

「やったな。大進歩だ」

 ノブを掴んだままの手に夜明の手が重なる。極度の緊張でガチガチに固まってノブから手を離せない。しかもちょっと震えている。それを労わるように、夜明は俺の手を優しく撫でた。

 ~ ~ ~

 不法侵入した女は予想通り不起訴となり、そのまま入院措置となった。女の家族との示談交渉は事務所に任せている。ヤスミンからの報告で、向こうから引っ越し費用と迷惑料込みで60万が提示されたらしい。

 夜明は「少ない」と不満そうだったが俺はそれで手を打つことにした。これ以上関わりたくなかった。早く忘れてしまいたい。

 空いた時間には積極的に部屋探しをした。生活に便利な店が近所にあって移動に不便がなく、なによりオートロックでセキュリティのしっかりしているところ。そうなると家賃が高くなかなかなか見つからない。

 その間、夜明の言葉に甘えて同居を続けた。夜明に見守られながら行く先々の扉を開けた。まだ恐怖心はある。きっと記憶喪失にでもならない限り、俺はあの出来事を一生忘れることはない。だからできるだけこの恐怖心を大きくしないよう努めるしかない。

 やっと条件に会う物件が見つかり、仕事の合間に内見に行くことになった。

「俺もついて行こうか?」

 不動産屋の担当者との電話を切ったあと、横でスマホをいじっていた夜明が顔をあげずに言った。

「このくらい一人で平気だって。久し振りに市原を飯に誘ってやったら? 俺のせいで最近ぜんぜん会ってないだろ」

 俺と一緒に行動するために、夜明は市原だけじゃなく他の先輩後輩からの誘いも全部断っていた。いくら事情が事情とは言え、ずっと申し訳なく思っていた。俺たちの帰宅を待つ必要のなくなった市原は、最近夜明と顔を合わせる機会も減って相当鬱憤が溜まっているという噂だ。

「別に市原と飯食わなくても俺はぜんぜん困らないんだけどな」
「とか言って、俺のせいで風俗も行けてないだろ。そろそろ溜まってんじゃないの」

 俺がからかうと夜明はにやりと笑った。

「ミヤの新しい部屋が決まったら行きまくるよ」

 このイケメンから繰り出される下ネタがなぜか若い子にウケている。イケメンならなんでも許されるらしい。

 前に成り行きで夜明とセックスをすることになったアレも、夜明にとったら下ネタの材料程度なのかもしれない。面白そうな風俗の情報を聞きつけると積極的に体験しにいく夜明なら充分あり得る。

 その後、空き時間に見に行った部屋は条件ピッタリで家賃も予算を1万円オーバーしたが、これ以上の物件はもうないですよ、と不動産屋に断言されてそこに決めた。契約したあとすぐ引っ越し業者を手配した。引っ越しは明後日。

 そのことをラジオで報告すると、ツイッターで「お疲れさま」「よかったですね」と好意的な投稿をもらった。「夜明さんとの同居も終わりですね」という呟きもあった。

 あの事件以降、仕事が終わってからも夜明とずっと一緒だった。四六時中顔を合わせていた夜明と離れ離れになる。夜明は清々するだろうが、俺は少し複雑だ。一人暮らしに戻ってもあの恐怖を克服できるか不安が残る。夜明が隣にいなくても、俺は扉を開けることができるだろうか。

 引っ越し当日、急な仕事が入ってヤスミンに代理を頼んだ。営業先で「引っ越し完了しました」というメールを受け取った。

 今日からもう、夜明とは別々の家に帰る。1人でも平気だ。大丈夫。怖くなんかない。

 営業を終え夜明と一緒にタクシーに乗った。

「今日から新しい部屋だな」

 窓の外を見ながら夜明が言った。

「うん、今までありがと。すごい助かった。今度ちゃんとお礼する」
「ほんとに一人で平気か? 初日だし俺もついて行こうか?」
「平気平気。どこのドアももう完全に開けられるから。お前も知ってるだろ」
「じゃあマンションの下まで行く。もし無理だったらそのまま一緒に帰ればいいだろ」
「過保護かよ」

 と茶化したけれど、夜明の申し出はすごくありがたかった。そして改めてイケメンでこんなに優しかったらそりゃモテるよな、と感心した。

 夜明と一緒に新居のマンション前に到着した。タクシーに夜明を待たせたまま俺は新居がある六階へエレベーターで向かう。鞄から鍵を出し、鍵穴に差し込んだ。

 考えまいとしても事件当夜のことを思い出してしまう。あの日、鍵をあけたら部屋に女がいた。ヒュッと血の気が引く光景。それを頭から追い出し、市原の馬鹿な姿に置き替える。思い出し笑いができる。俺は大丈夫。

 鍵をあけ、扉を開けた。廊下を進み部屋の明かりをつける。そこに女はいない。誰もいない。ただ、運び込まれた荷物が無造作に置かれているだけだ。

 マンションのエントランスに戻り、タクシーの横に立った。夜明が窓をおろす。

「どうだった」
「大丈夫だった。荷解きが大変だけど、今日はもう寝るし」
「良かったな」

 夜明の笑顔に胸が締め付けられた。長い間迷惑をかけた。何度も俺のためにドアを開けてくれた。たくさん世話になった。この恩はどうしたら返せるだろう。

「じゃ、俺も自分ち帰って寝るよ」
「うん。ほんとに色々ありがとな」
「今度お前がネタ考えろよ」
「勘弁して」

 はは、と笑いながら夜明は手を振り、窓をあげた。遠ざかって行くタクシーを見えなくなるまで見送った。




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相方自慢(2/4)

2020.02.04.Tue.
<前話>

 翌朝、夜明と共に仕事に向かった。現場で落ち合ったヤスミンが「昨日は大変でしたね」と俺を労わってくれたが、ヤスミンのほうも疲れた顔をしていた。

 ネット番組の収録を3本撮り終えたあと、次は劇場へ向かう。 

「昨日の不法侵入の女の人なんですけど、向こうの親が出て来てミヤに謝罪したいって言ってるんですけど、どうします?」

 車の運転をしながらヤスミンがミラー越しに俺と目を合わせる。

「いや、謝られても。もう二度とああいうことさせないでくれたらいいし」
「被害届は?」
「被害はないっちゃないし、そこまではしなくてもいいかなって。なんか面倒臭そうだし」

 正直もう関わりたくないというのが本音だ。

「親が言うにはもう何年も引きこもりだったらしくて、最近言動もおかしかったらしいから、ぶっちゃけ無罪放免っぽいですよ。警察での取り調べもなんか支離滅裂なこと言ってるらしいですから」

 女の常軌を逸したような笑みを思い出す。俺の相槌なんか関係なく、1人でひたすら喋っていた。普通じゃなかった。だから余計に怖かった。

「迷惑料くらいは請求していいんじゃないか?」

 隣の夜明が口を開いた。

「お前、この先あの部屋で今まで通りに暮らしていけるのか? 引っ越し代くらい請求したっていいだろ」

 深く考えず、このままあの部屋で住むものだと思いこんでいた。言われてみれば確かにそうだ。あんな怖い思いをした場所で、平気で暮らしていくのは難しいかもしれない。少なくとも今はまだ無理だ。

「そうですよね。あんなことがあった部屋は厳しいでしょ」

 ヤスミンも同意する。被害届はなし、そのかわり引っ越し費用を出してもらうことで話はまとまった。

 劇場前に俺たちを下ろすとヤスミンは他の芸人の現場へ向かった。今日だって本当はネット番組の収録には来ないはずだったのに、昨夜のことがあったから顔を出してくれたのだ。

 ヤスミンと別れた俺たちは通用口から劇場の中へ入った。すれ違う関係者や芸人仲間たちと挨拶しつつ、楽屋までたどり着いた。扉の前で固まる俺のかわりに夜明が扉を開けてくれる。

「ありがと」

 ごめんと言うと一年間俺がネタを考えなきゃいけないので、お礼を言うことにした。夜明は軽く頷いた。

 楽屋は大部屋で出番を待つ芸人がたくさんいる。その一人一人に挨拶をしながら、荷物をおろし、上着を脱いだ。

「夜明さん! おはようございます!」

 大声を出して近寄ってきたのはシャンゴリラの市原。今日もマッチョを強調するピチピチの服装。こいつは夜明を好きだと言って憚らない。夜明になら抱かれても構わないとテレビで公言してネットニュースにまでなった。

「昨日ごめんな、急に帰って」
「いいですよ! そのかわり今日、飯行きませんか」
「今日は都合が悪い」

 夜明はチラリと俺を見た。目聡い市原が睨むように俺を見る。こいつは俺も先輩だってこと忘れてるんじゃないだろうか。夜明とコンビを組めるならいつでもコンビ解消すると公言している。俺への敵意剥き出しだ。

「ミヤさんとなんかあるんですか?」
「いまこいつ、俺んちに泊まってるから」

 夜明の言葉を聞き、市原はカッと目を見開いた。ほんと暑苦しい奴。

「いいよ、今日はどっか他のとこ泊まるし」

 苛々が声に出た。前に仕掛けられたドッキリで市原に良い印象はない。いや、その前からこいつの言動には腹に据えかねるものがあった。本当にネタでもなく、ガチで、虎視眈眈と、こいつは夜明の隣を狙っている。俺を邪魔だと思っている。それがひしひしと伝わってくるから、俺も市原に良い感情はない。

「楽屋の扉も開けられなかった奴がなに言ってんだよ」

 周りに聞こえないように声を落として夜明が言う。

「なんとかするよ」
「一人でトイレも行けないだろ」
「目を閉じればなんとかなる」
「なるわけないだろ。今日も俺んちに泊まれ」
「でもお前に迷惑かけるし」
「迷惑なんて思ってない」
「2人の世界作るのやめてくださいよ!」

 市原が大声で間に入ってきた。なので話を中断し、出番に備えて支度をした。

 出番がくるまで市原は夜明にべったりくっついて離れない。俺は他の芸人と話をして時間を潰した。

 舞台の仕事が終わったら劇場の空き部屋で雑誌の取材が二件。それが終わると今度はバラエテイ番組の収録のためテレビ局へ向かう。

 トーク中心の番組で、MCに振られた夜明はしっかり笑いを取ったが俺の方はややウケ。先輩芸人の助けがなければ本格的にすべっていた。俺も夜明のように自分の力で笑いを取りたいが、最近はいじられる方向でしか笑いを取れない。そういうキャラのほうがいいのかと、いまはまだ葛藤期間だ。以前夜明に相談した時は、「なるようになる。ミヤはそのままでいい」と言われた。今の俺のままで夜明なら笑いを取ってくれる。だからその言葉を信じて、いまのところキャラ作りはしていない。

 今日はテレビ収録で仕事は終わりだ。出演者スタッフ関係者、MCの先輩芸人に挨拶をしてテレビ局を出る。記者が待ち構えていて俺たちを見つけると駆け寄ってきた。

 なんだと思ったら昨夜の事件のことを訊いてきた。俺は起こったことをそのまま伝えた。家に帰ると女がいたこと。女はベランダから侵入したこと。料理を作って待っていたことなど。

「一人暮らしの女の子とか、いや、女の子に限らず、男も、ちゃんと戸締りしてください。ベランダの鍵もちゃんと、確認してください」

 と殊勝に言ってタクシーに乗り込む。明日のワイドショーで取り上げられるんだろうか。びっくりさせる前に、親には電話で知らせておいたほうがいいだろうな。コンビに妙なイメージがついたら嫌だな。夜明に申し訳ないし。

 窺い見た夜明は腕を組んで俯いている。寝てるっぽい。もう見慣れた顔だけれど、改めてイケメンだなと思う。芸人男前ランキングでは一位だし。若手アイドルとか若手女優がこぞって好きな芸人に夜明の名前を挙げてるし。

 飄々としててなにを考えてるのかわからない奴だけど、いざってときには優しくしてくれる。モテて当たり前だ。

 夜明のダウンジャケットのポケットからスマホの通知音がかすかに聞こえた。夜明は目を開け、腕をほどき、スマホを見た。内容を確認するとまたスマホをポケットに戻した。

「市原?」
「いや。女の子。お店来てって」
「よくそんな時間あるな」
「遊んでる時のほうがネタが浮かぶんだよ」

 俺がいるから市原の誘いを断り、夜遊びも控えている。ごめん、と言いかけて口を噤む。かわりに「早くなんとかしないとなあ」と軽い口調で言った。

 とりあえず部屋探しが急務か。いつまでも夜明に甘えているわけにはいかない。

 今夜も夜明のマンションへ2人で帰宅した。夜明が玄関のドアを開け、俺のためにトイレの扉も開けてくれた。持ち帰った弁当を食べて、昨日と同じように夜明はベッド、俺はソファで眠った。



恋する竜の島


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