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ノイローゼ・ハイスクール(4/4)

2020.01.21.Tue.


 俺のかわりに新聞記事になったのは山本だった。日頃から注意を受けていた教師への、逆恨みによる犯行。そんな動機を添えられて。予想に反して世間が騒がなかったのは、おそらく倉岡が一命をとりとめたからだろう。

 山本は俺たちと別れたあと倉岡を呼び出し、用意していた金属バットで倉岡の頭をかち割った。ピクリとも動かない倉岡の頭からは大量の血が流れ出す。死んだと思ったのも無理はない。

 倉岡を殺したという興奮状態のまま俺たちに電話をしてきた。警察に内容を訊かれたが、倉岡を殺してしまったという相談だった、と嘘をついた。

 一命をとりとめはしたものの、倉岡はまだベッドの上で意識不明。目が覚めてもリハビリの毎日が待っているということだ。

 始業式では校長がこの事件のことを神妙な面持ちで語った。俺は耳に栓をしたい気持ちでそれを聞いていた。胃がムカムカする。吐きそうだ。

 木崎とはあの日以来、話をしていない。警察や学校で事情を聞かれるときも俺たちは別々に呼び出されたし、春休みに入って会う機会もなかった。

 新学期が始まったが、クラスのはなれた俺たちに会話はない。木崎は相棒のように仲の良かった親友の突然の行動を止められなかったことを悔やんでいるように見えた。そんな雰囲気を感じ取ってか、木崎に面と向かって今回の事件のことを訊ねる奴はいないようで、かわりに聞きやすい俺のところへやってくる。罪悪感から口篭る俺に、まわりのみんなは同情してくれた。

 春が終わり夏が来る。事件は風化し、山本のことを口にする奴もいなくなった。俺はひとまず、学校では平穏な暮らしを送っていた。

 そんなある日、体育の授業で移動中のときだった。

「河端」

 渡り廊下で俺を呼びとめたのは木崎だった。クラスメイトを先にやり、俺は木崎と向き合った。何ヶ月ぶりだろうかと懐かしさに胸が焦がれる。山本の影がちらついて心が痛む。

「ひさしぶり」

 と木崎が白い歯を見せて笑う。俺も笑みを浮かべて頷き返した。

「あいつ、決まったんだって」

 グラウンドのほうへ目をやり、木崎が言う。あいつとは山本のことだ。

 少年刑務所か少年院かで争ったのち、少年院へ入院することが決まったのだそうだ。山本の親が木崎に教えてくれたらしい。

「そっか……出てくるときは迎えに行ってやろうよ」
「あぁ、そうだな。おまえが行ったほうがあいつも喜びそうだしな」

 グラウンドから視線を戻した木崎の目は、息を飲むほどに冷たかった。そこには友情なんてもの微塵もなくて、まるで敵でも見るような……いや、それ以下の、なんの感情も持っていない覚めきった目をしていた。

「あいつが倉岡をやったのって、おまえが原因じゃないのか? 人を殺すほどあいつがブチ切れることなんてねえし、やった直後おまえに電話をかけてくるのも妙だと思ってたんだ。あいつとは付き合いが長いからなんとなくわかるんだ、俺の勘だが、あいつ、おまえに惚れてたんじゃねえのか? おまえが殺したいほど倉岡を憎んでた理由まではわからねえが、山本はおまえのために奴を殺した、おまえは山本の気持ちを利用したんだ、違うか?」
「ち、違う──」

 俺は後ずさった。逃がすまいと、木崎が俺の手を掴む。眼前に木崎の顔が迫ってくる。俺は恐怖から叫んだ。

「俺はなにも知らない、なにもしてない、あれは山本が勝手にやったんだ!」
「そうやってしらばっくれてればいいさ、だがな、山本に人殺しをさせておきながらのうのうと暮らしてるおまえを俺は一生許さねえ!」

 突き飛ばすように腕をはなされ、俺はその場に尻持ちをついた。肩を怒らせて渡り廊下を行く木崎の後ろ姿が涙で滲んだ。

「待って、木崎、違う……違うんだ……俺、俺はおまえが好きなんだ……」

 俺の声が届くことはなく、木崎は一度も振り返らずに俺の視界から消えた。

 ※ ※ ※

「ただいま」

 家の奥から「おかえり」という母さんの声が聞こえた。最近の母さんは機嫌がいい。仕事先で知り合った男と付き合いだしたからだ。優しくてお金を持っている。会ったことはないが、俺にお小遣いだといくらかくれたことがある。その男がほんとうに母さんのことが好きで優しい男なら俺はなんの文句もない。むしろ早く結婚して幸せになって欲しいと願っている。そうすれば俺も心置きなくこの家を出て行ける。

 木崎に嫌われたいま、俺が学校にこだわる理由はひとつもない。学校なんか辞めてこの家も出て、俺はひとりで生きていく。愛情もない男とのセックスに耐えてこられたのだから、同じことをやって金を稼げばいい。最低限の生活が出来ればどんな仕事だってやる。

「母さん、俺のことを邪魔だって思ったこと、ある?」
「なあに、急にそんなこと」

 料理をしていた手を止めて母さんが振り返った。

「たとえばさ、いま付き合ってる男の人いるでしょ、その人と結婚とか考えたとき、俺はいないほうがいいんじゃないかなって」
「なに言ってるの。お母さんに付き合ってる男の人なんていないわよ」

 馬鹿な子ね、と母さんは声を立てて笑う。張り付いたような笑顔──見覚えるある人形のような笑顔を見て、俺は背筋がぞくぞくとした。母さんが自殺未遂をした日に見た笑顔にそっくりだった。

「うふふ、高校生の子持ちの女なんて、誰も本気で相手にしやしないのよ。馬鹿なんだからまったくもう。あんたを邪魔に思ったこと? あるわけないじゃない、あんたがいるからお母さん、いままでやってこれたのよ、頑張ることが出来たのよ。だけどもう限界みたい。お母さん、疲れちゃった。先にお父さんのところに行ってるわね」

 いつの間にか母さんの手に包丁が握られていた。俺はただ茫然と、母さんが手首に当てた刃物を引き抜くのを見ていた。

 ~ ~ ~

 病院から戻ってくる頃には俺はもうクタクタになっていた。また自殺を図った母さんのために救急車を呼び、病院で医者に事情を説明し、母さんの治療を待っているあいだ丹野の叔母さんに連絡を入れた。すぐ駆けつけてくれた叔母さんにもまた同じ内容のことを説明した。覚えた台詞のようにすらすらと俺の口から澱みなく言葉が出てくる。

 母さんの傷は死ぬほどのものじゃなかった。それを医師から告げられ、俺は安堵すると同時にガッカリもした。母さんにとって俺は重荷に違いないだろうけれど、俺にとっても母さんは自由を奪う鎖も同然だからだ。

 今夜は私が様子を見るから、という叔母さんの言葉に甘え、俺はいったん帰宅した。

 着替えをし、シャワーを浴びる。体は腕一本動かすのもだるいほど疲れきっていたが、大量の血を見て興奮したのか、神経のほうは冴えて今夜は眠れない予感がした。

 机の引き出しをあけ、奥に手を突っ込む。俺が管理している母さんの睡眠薬。小さな瓶が俺の手にすっぽりおさまっている。それはまるで麻薬か覚せい剤のように、甘い誘惑の手招きをしていた。

 目をこすった。額を小突いた。頭をかきむしった。薬には頼りたくなかった。だけどこんな現実を手放してしまいたくて早く眠りにつきたかった。

 葛藤していると、インターフォンが鳴った。その直後にノックが三度。あいつだ。睡眠薬を引き出しに戻してから丹野を招き入れた。

 深緑のポロシャツを着た丹野は、見るからに不機嫌そうな顔をしていた。

「おまえの様子を見てこいと寛子に言われたんだ。今度はおまえの目の前でやったらしいな」

 靴を脱ぎ散らかして家のなかにあがってくる。

「はい、あ、まだ片付けてないんで」

 丹野は台所の赤い水溜りを見て、不謹慎にも口笛を吹いた。

「ガキの前で手を切るたぁ、良子さんもついにイカれたか」
「こ、恋人に振られたらしくて」
「子持ちババァに惚れる男がいるかよ」

 丹野は唾とともに憎々しい口調で吐き捨てた。新しい恋人が俺の新しい父親になり、母さんは水商売をやめて主婦になる、そんなことを一時夢見たが、丹野が言うとおり、子持ちの女を娶ろうとする奇特な男なんていやしないのだ。そんなことを一瞬でも期待した俺と母さんが愚かだったのだ。

「どうせやるなら確実に死ぬ方法でやれっつうんだ。また治療費はこっち持ちだ。わかってんのか、え?」
「はい、わかってます、すみません」
「ちゃんと働いて返せよ、おまえらにいったいいくら使わされたと思ってんだ?」
「おじさん……」

 俺は溜息をつきながら丹野の言葉を遮った。これ以上聞いていたら気がどうにかなりそうだ。

「おじさん、俺、今日はいろいろショックなことがあって……夢をみないくらい疲れてから眠りたいんです」

 丹野の目つきがかわった。

「俺を……抱いてください、壊れるくらい、めちゃくちゃに……、いっそ殺してくれてもかまいません」
「義理とは言え、かわいい甥っこを殺すわけないだろ」

 好色そうな笑みを浮かべて丹野が俺を抱きしめる。

「こんなに弱ってかわいそうにな。望み通り、夢も見られねえほど疲れるまで抱いてやるよ。今日は女共もいねえし、たっぷりかわいがってやる。夜は長いんだぜ」

 口付けしようとする丹野を押しのけ、俺はその場に跪き、ズボンのチャックをおろした。取り出した性器に口をつけ、音を立ててしゃぶる。

「そんなに急ぐなよ」

 笑いの混じった声が頭上から降り注ぐ。俺は上目遣いに丹野を見やった。

「はやくこれを俺に入れてください」

 ※ ※ ※

 俺は神経図太くも学校に通っている。木崎から、燃えた矢のような憎悪の視線が突き刺さるが、俺はそ知らぬ顔で耐えている。いまではそれが俺の生き甲斐、支えとなっている。

 好かれることが絶望的なら、せめて憎まれていたい。そのあいだ、木崎が俺を忘れることはない。木崎の頭のなかは憎い俺のことでいっぱいのはずだ。そう考えると、歪んだ恍惚を感じて俺は身震いする。憎悪と愛情とは紙一重でとてもよく似ていると思う。俺の頭のなかも木崎のことでいっぱいだからだ。

 月の始め、今日あたり丹野がやってくる頃だろう。俺はあいつに抱かれながら木崎を思う。相手がほんとうに木崎なら、俺は果てる瞬間死んだっていい。違うから俺はいつも部屋の明かりを消して目を瞑る。

 頭のなかは俺の自由だ。俺は木崎のものをしゃぶり、精液を受けとめ、のどを鳴らしてそれを飲む。木崎の指がおれの性器を握って扱きあげる。俺は木崎に入れてほしいと甘えてみせる。木崎が俺に覆いかぶさり、熱い怒張を押し付けてくる。俺は喜びの声をあげ、自ら腰を振って存分にそれを味わいつくす──。

「これ、今月の分だ」

 事が終わると丹野はテーブルに二万を投げ捨てた。

「いつもすみません」

 迎合する笑みを浮かべながら礼を言う。もう慣れたものだ。プライドや罪悪感は擦り切れてなくなってしまった。

「来週、うちのが同窓会とかでいねえんだよ。泊まりで来い」
「はい、わかりました」
「今度は道具を使っておまえをイカせてやる」
「楽しみにしてます」

 心にもない台詞を言って丹野を見送る。母さんが自殺未遂をしようと、倉岡が入院しようと、山本が少年院に入ろうと、なにもかわらない。つまり──

 望もうが望むまいが、俺の現実はまだまだ続くということだ。


(初出2010年)

雪と松 1

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ノイローゼ・ハイスクール(3/4)

2020.01.20.Mon.


 俺のまわりに変態が寄ってくるのは、俺自身が変態だからなのかもしれない、と最近考える。少なくとも普通じゃない。授業の終わった放課後、誰もいなくなった校舎の端にあるトイレで、担任の性器をしゃぶるなんて、マトモな男子高校生のやることじゃない。

「冬休みのあいだしっかり勉強したか? あんまり成績が悪いと俺でも誤魔化せないんだからな。やるべきことはやれよ。それが学生の本分なんだからな」

 教え子を犯す変態教師がエラソーに。

 倉岡は濃い精液を口のなかに吐き出すと、なんのつもりか犬を相手にするみたいに俺の頭を撫でてトイレから出て行った。

 俺はすぐさま残滓を便器に吐き出した。口中の唾液を集めてカラカラになるまで吐き続けたあと、水道の水で口をゆすって倉岡の味を消そうと躍起になった。

 どうしてザーメンてのはこうもマズイものなんだろうか。この中に数え切れない何億という精子がウヨウヨ泳ぎ回っている。魚の踊り食いを連想してさらに気持ちが悪くなる。女はよく平気で飲めるな。いや、愛しい男のために我慢して飲んでいる、とういのが正解だろう。俺はエロDVDの女優と同じで、金のため、自分の利益になることだから我慢が出来る。

 何度もうがいをしてトイレを出た。外は暗くて窓には俺の顔が映る。さっきまで男の性器をしゃぶっていた俺の顔が。いたたまれないほどの嫌悪感がして、窓から顔を背けた。

 廊下を行き、階段の途中で座りこむ。鞄から取り出した煙草を咥え、火をつける。苦味が口のなかに広がる。

 近頃、ぼうっとしたとき思い出すのは決まって木崎のことだ。あいつの生命力に俺は強く惹かれる。男らしい言動とか、たまに見せる優しさとか、屈託のない笑顔とか、なにもかもが俺の胸に響いてくる。

 まさか自分が男を好きになるなんて思いもしなかった。それもこれも、俺が丹野や倉岡の相手をしているからだろうか。変態の相手をしていたから、俺まで変態になってしまったんだろうか。

 だとしたら木崎に申し訳ない。あいつが俺に抱くのは純粋な友情だけ。なのに俺ときたら、木崎を意識しまくってまともに会話すらできない。最近じゃ顔を見ることさえできなくなっている。ふざけて肩にまわされた腕に、壊れるほど心臓が高鳴る。無理なんだから諦めろって自分に言い聞かせてるのに、木崎が女といると苦しくなる。嫉妬なんて見苦しいまねしたくないのに、相手の女を嫌いになってしまう。

 ふぅと白い煙を吐き出す。俺もこの煙のように消えてなくなってしまいたい。

 やたらと腰が重くっていつまでも階段に座っていた。尻と足から俺の体が冷えていく。根元まで火がきた煙草を床で揉み消し、二本目を咥える。さっき使ったライターを探していたら、踊り場の角から山本が顔を出したので驚いた。

「山本……なにしてんだよ、もうとっくに帰ったはずだろ」
「ん、忘れもん」

 階段をあがってきた山本は低い声で言うと俺の隣に腰をおろした。ポケットからライターを取り出し、俺の煙草に火を近付ける。火がついたのを確認すると、またポケットにライターをしまった。

「忘れ物は見つかったのか?」
「あぁ」
「なに忘れたんだよ」
「ちょっとな」
「なんか怒ってる?」
「別に」

 物静かな山本なんて珍しいから不気味というより不安になる。俺、なにかしたっけと思い返してみるが、帰る間際の山本は普段通りだったはずだ。まさかと思うけれど、俺と倉岡がやってることを知られてしまったのか……?

「いつ学校に戻ってきたんだよ」

 探りを入れると、ずっと前を見ていた山本が俺のほうに顔を向けた。笑みのない無表情な山本なんて初めて見る。少し、怖い。

「そんなことよりさ、倉岡とはいつからああいう関係なんだ?」

 ──やっぱりバレてたのか。

 俺はすぐさま諦めた。言い訳やごまかしなんてきかない。それはさっきまで倉岡の相手をしていた俺が一番よくわかることだ。山本がなにを見、なにを聞いたのかは知らないが、数時間前まで友達だと思っていた男が実は薄汚いホモ野郎だということには気付いたはずだ。確信を持っていま、俺のまえに現れたんだろうから、白状するしかない。

「冬休みの、前」

 明日からもう友達ではなくなる山本の顔を見ながら俺は答えた。山本にバレたら木崎にも知られることになる。木崎といっしょにいられなくなるのは、いまの俺にはなにより辛いことだが、これも身から出た錆びというやつだろう。

「なんで……、おまえ、ああいうおっさんがタイプ? だから女に興味なかったのか?」

 山本の眉間に皺が寄る。理解しがたいといった表情。俺だって、どうして自分だけがこんな目に遭うのか教えてほしいよ。

「タイプのわけないじゃん。俺さ、成績悪いから進級ヤバめなんだって。うちの家計を考えたら留年とか無理だし、倉岡の言いなりになれば進級させてくれるっていうから、仕方なくだよ、俺だって嫌々なんだぜ」
「そんなん……犯罪だろ」

 信じられない事実に、山本が弱々しく呟く。俺はそれを鼻で笑い飛ばした。

「訴えたら俺、留年決定じゃん。学校中に知られたら進級も留年も関係ないけどさ。別に学校なんか辞めてもいいんだけど、親がどうしても高校は行かせたいみたいだし、俺も遊んでられるのは高校卒業までって覚悟してるから、もう少しこのぬるま湯に浸かってたい、みたいな? うち貧乏だからね、多少の犠牲は仕方ないって思ってるよ」

「だからって、あんな……倉岡の相手かよ」
「そーさ。あいつのデカマラしゃぶって、最後にはケツの穴に突っ込まれんの。もう慣れたもんだよ」

 歯軋りしながら山本が顔を伏せた。怒りとか憎悪とか嫌悪とか、そういったものがいま、山本の心をぐちゃぐちゃに掻きまわしているのだろう。世間じゃ不良だのなんだの言われてるけど、本当は素直でまっすぐな性格だから、俺と倉岡の関係は正視に耐えないおぞましさだろう。それが当たり前の反応だよ。最初から抵抗もしないですぐに諦めて、金のため、点数のために男に抱かれることを選ぶ俺とは違う、真っ当な反応だ。

「クソッ」

 山本が壁を殴った。

「俺があいつを殺してやる」

 俯いたまま、山本が唸る。

「そんなことしてくれなくていい。俺は納得してるんだから」
「俺が嫌なんだよ!」

 と叫んだ山本の目が真っ赤になっていた。どんなときも余裕の笑みを浮かべている山本が泣くなんて意外だ。それも俺のために。

「聞いて山本、俺さ、ちょっと前まで倉岡のことどうしようもない変態だと思ってたんだけど、どうやら俺も変態だったみたいでさ、最近、そんなに嫌じゃなくなったんだよ」

 嘘だ、と山本が力なく首を振る。

 確かに丹野や倉岡に抱かれるのは苦痛以外のなにものでもないが、相手が木崎だったら、という空想に逃げる手段を最近見つけてからというもの、目を瞑って耳さえ塞げば、俺の体に触れる指や舌、肌の感触を木崎だと思って耐えることができるようになった。時には空想に入り込みすぎて、現実との区別が難しいときだってある。そんなときは驚くことに快感を得ることだってあるんだ。

 それは同時に、俺も変態なんだって裏付けされることにもなったけど、逆に否定し続けていた男を好きになるって性癖を認めるきっかけにもなった。じたばたしたって現実はかわらないし、俺が木崎を好きになってしまった感情が消えるわけでもなし。

「そういうわけだから、俺のために倉岡を殺すとか言わないでくれ。山本がそこまで怒るほどのことじゃないんだから」

 煙草を消して立ち上がる。顔を歪めたままの山本が、そんな俺を見上げている。

「明日からおまえら二人に話しかけないし、近寄ったりもしないから安心してくれ。できれば倉岡とのこと、誰にも言わないでくれると助かる」
「言うわけねえだろ」

 舌がのどに張り付いていたみたいな山本のしゃべり方だった。俺はありがとうとだけ言い残し、その場を去った。

 ※ ※ ※

 倉岡とのセックスを我慢し続けた甲斐あって、俺はなんとか進級できることになった。俺と倉岡のただれた関係を知っても、誰にも口外しなかった山本には感謝しなければならない。それだけじゃない、あんなことを知ったあとでも、山本は以前とかわらず俺と友達でい続けてくれた。ふたりきりになったときは、たまにいたわりの言葉さえかけてくれた。

 正直、その優しさは逆に身に堪えたけれど、我慢強い山本の友情のおかげで木崎のそばにいられるのだから、それくらいなんともない。

 今日は終業式だった。留年せずにこの日を迎えられたことが嬉しい。もし運が良ければまた木崎と同じクラスになれるかもしれない。次は倉岡につけこまれないように、きちんと勉強をしよう。最後の挨拶をする倉岡を見て決意する。

 なかには別れを惜しんで教室に残るやつらもいたけれど、ただクラスがかわるだけだろ、と冷めてた俺たちはとっとと教室をあとにした。

「忘れもんした」

 下駄箱で靴を履きかえていると山本が言った。

「そんなもん、次でいいだろ」

 面倒臭そうに木崎が言う。

「ばっか、学年かわんだから、次はねえんだよ。おまえら先行っててくれ、すぐ済むから」

 俺たちに笑顔で手を振って山本は来た道を戻って行く。木崎と俺は顔を見合わせ、行くか、と頷きあって学校を出た。

 木崎と並んで道を歩く。ドキドキと高鳴る俺の鼓動。もしかして山本は、俺が木崎を好きだってこと見抜いてて、気をきかせてくれたのかな、なんて馬鹿なことを考える。

 木崎に誘われるまま駅前の飲食店に入って山本を待った。

「あいつ、遅えな。すぐ済むんじゃねえのかよ」

 時計を見た木崎が、苛々とテーブルを指で叩く。店に入ってまだ五分と経っていない。俺はいつまでもこの時間が続けばいいと願うけれど、短気な木崎はそうじゃないみたいだ。

 それから五分ほどが過ぎて、木崎の携帯電話が鳴った。

「山本だ」

 と言って携帯に出る。

「おまえ、なにしてんだよ、駅前で……あ? 河端? いるよ……なんで……わかったわかった、待ってろ」

 俺に向かって携帯電話を突き出す。

「おまえにかわろって」
「俺に? ご、ごめん」

 俺は携帯電話を持っていない。恐縮しながら携帯を受け取り耳に当てる。

「もしもし? どうしたんだよ、俺たちずっと待ってんだぞ」
『河端、聞いてくれ』

 山本が俺の言葉を遮る。なぜか声が甲高く、息が荒い。運動をしたあとみたいだ。

『おまえに隠してたことがあるんだ。おまえが倉岡と寝てるって知った日な、本当はおまえを待ち伏せしてたんだ。俺……俺、ずっとおまえのこと好きだったんだ。ずっとおまえのことだけ見てた。おまえが木崎を好きなことは知ってる。おまえはいつも俺じゃなくあいつを見てたからな、すぐに気付いたよ』

 思わず正面の木崎を見た。目が合うと木崎は「ん?」と眉をはねあげる。まさか木崎は気付いていないよな? そう願いながら首を振り、視線をテーブルの上に落とした。俺の動揺なんてお構いなしで、山本が続ける。

『俺に気がないのは仕方がない。俺もおまえとどうこうなりたいとは考えてない。ただ、俺がこんなことをした理由だけはちゃんと知ってて欲しかったんだ』
「こんなこと?」
『たったいま、倉岡を殺した。もうダブる心配もないから、別にいいだろ?』
「なっ……や、山本っ……おまえ、なんてこと……!」
『むかついてたから殺した、俺が警察で話す動機はこれだ。おまえだけは本当の理由を知っててくれ。脅しておまえを抱くような倉岡を許しておけなかった。俺はおまえを愛してるんだ。おまえのためなら何人だって殺してやる』

 声も出なかった。頭のなかは真っ白でなんの言葉も浮かんでこない。いぶかしんだ木崎が、俺の手から携帯電話を取り上げる。

「山本? おまえ、河端になに言ったんだ? こいつ、顔面蒼白になってんぞ……え? なんだって? なに……おまえ、なんの冗談だよ……倉岡を……殺したって……?」

 険しい表情で俺と目を合わせた木崎の顔から血の気が引いて行く。それに合わせて木崎の声も小さく遠くなる。前後不覚になるような浮遊感から足元が覚束ない。頭の中がぐるぐるまわってる。気持ちが悪い。山本はなんて言ったんだ? 俺を愛しているだって? 俺のために倉岡を殺しただって? なんてこと。なんてことをしてくれたんだ。

 いつの間にか俺は全身びっしょり汗をかいていた。急に悪寒が走り、身震いすると同時に嘔吐していた。




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ノイローゼ・ハイスクール(2/4)

2020.01.19.Sun.
<前話>

 先日の試験の結果が散々だったことで倉岡に放課後呼び出された。ふたりだけで向き合う生徒指導室。窓を閉め切っているせいだろうか、妙に息苦しさを感じて、ワイシャツの一番上のボタンを外した。

「もともと成績はよくないようだが、木崎たちとつるむようになってからさらにひどくなってる。そんなことはおまえが一番よくわかってるだろう?」

 倉岡はさっきまで見ていたファイルを閉じてテーブルの上に置いた。きっとそこに俺の成績や生活態度、その他の個人情報が詰め込まれているのだろう。

「どうなんだ? このままじゃ留年してしまうぞ」

 親身に相談に乗っているという教師面で、倉岡が身を乗り出す。俺は逆にのけぞって顔を背けた。五十センチ程度のテーブルを隔てた向こうから、俺より一回りも二回りも大柄な倉岡が俺をじっと見ている。つぶらな目をしているくせに、レーザーでも放っているかのような目力があって、俺はまともに目を見返すことが出来ない。

「おまえの素行と成績では進級も難しい。しかし、金のないおまえの家庭じゃ留年はきついだろう」

 倉岡の小さな目が更に細められ、ナイフの切っ先のようになった。

 ガタと音を立て、倉岡が立ち上がる。俺は耐えがたいほどの息苦しさを感じながらそれを見上げた。倉岡の大きな手が伸びてくるのがまるでスローモーションのように見える。体育祭のときに俺をぶった分厚い手が、そっと頬に添えられる。生暖かい感触に鳥肌が立った。

「おまえ次第で成績にイロをつけてやることができるぞ? ん? どうする?」

 言いながら俺の頬を指先で嬲る。

「お母さんは大変なご苦労をなさっているんだろう? それもこれもすべておまえのために。おまえさえいなければ、もっとまともな仕事について、すぐに再婚もできていたかもしれない。そう考えたことはないか? 邪魔なお荷物のおまえが、これ以上の迷惑をかけてもいいのか? おまえももう子供じゃないんだから、なにが最良の選択かわかるだろう?」

 滑らせるよう手を降下させると、倉岡は俺のシャツの襟をくいと引っ張った。

「おまえも最初からそのつもりだったのか?」

 外した一番上のボタンを見て倉岡は笑った。違うと否定したかったが、思いなおしてやめた。倉岡の言うことは正しい。俺さえいなければ母さんはあんなに苦労しなかった。自殺未遂なんかしなかった。頭が悪いのも勉強をしなかった俺のせい、倉岡なんて変態に目をつけられるのも、すべて俺のせいなんだ。

「お、俺はどうすればいいんですか」
「まずは、このことを誰にも言わないと約束するんだ。俺とおまえ、ふたりだけの秘密だ」

 開いた襟の隙間から倉岡の手が入り込んでくる。俺の首、鎖骨、肩と、肌触りを確かめるように手で撫でる。俺は総毛立たせながらそれに耐える。

「ズボンのチャックをおろすんだ」

 窺い見た倉岡の目は、拒否を許さない高圧的なものだった。仕方なくベルトを外し、チャックを下ろした。服の中から出た倉岡の手が、今度は下の隙間へ入り込む。下着の割れ目から指を入れて直に触られた。

「こうやって誰かに触られたことはあるか? 見たところ、おまえは女と遊んでいないようだが」

 俺は黙って首を振った。頭に浮かんだ丹野の顔を追っ払うためだ。どうして俺のまわりは変態ばかりなのだろう。俺が変態を寄せ集めてしまうのか?

「先生、誰かに見つかったらやばいんじゃないですか」
「そうだな。今日は俺の家に来い。付きっ切りで指導してやる」

 名残惜しそうに、倉岡の指が俺の性器からはなれていった。

 ※ ※ ※

 玄関の扉を開けたとたん、母さんが怒っているピリピリとした空気が静電気のように顔にまとわりついた。最近、俺の帰りが遅いので、母さんが怒っているのだ。

「いま何時だと思っているの。あんたのために作ったご飯がすっかり冷めちゃったじゃないの」

 テーブルに座って俺を睨む母さんは、もう真冬だってのにキャミソールなんて薄着だ。本当ならとっくに仕事に出かけてる時間。化粧もヘアメイクも全部中途半端の状態。俺が遅いから苛々している。そのせいで仕度に集中出来ないのだ。

「ごめん、友達と会ってた」
「いいご身分ねえ、お母さんが必死に働いてるから、あんたは遊んでられるんだものねえ。だけど、あんたの帰りをずっと待ってるお母さんのことも少しは考えてくれないかしら? 心配で仕事にも行けないのよ。あんたのせいでまた今日も遅刻じゃない! また店長に怒られちゃうわ、どうしてお母さんばっかり怒られなくちゃならないの! どうしてお母さんの気持ちわかってくれないの!」

 ヒステリックに叫ぶと、母さんはテーブルに突っ伏して泣き出した。俺は溜息を飲み込んで、そんな母さんの背中をさすった。

「ごめん、ごめんなさい、明日はちゃんと早く帰ってくるから」
「嘘よ、嘘ばっかりだわ! 本当はこんなお母さんが嫌だから帰ってこないんでしょ! お父さんといっしょよ! あんたもお父さんと同じ、いつかあたしを裏切るんでしょ!」
「ごめん母さん、俺は母さんを裏切ったりしないよ、誰のとこにも行かないよ、だから安心して、本当にごめん、ごめんなさい、もう泣くのやめてよ」

 泣きじゃくる母さんの肩は細くて、俺まで欝な気分になってくる。今日だって本当は友達と遊んでいたんじゃない。倉岡に呼び出されたから、バイトが終わったあと奴の家に寄り、苦痛でしかないセックスを耐えて帰ってきたんだ。俺だって泣きたい気分なのにそんなふうに責められるとどうしていいかわからなくなる。

「母さん、寒いだろ、上に何か着たら──」

 俺のコートを肩にかけたら手を叩いて振り払われた。

「もう嫌よ、こんな生活! うんざりだわ! あんたのせいよ、あんたのせいなんだから! もうあたしを放っておいて!」

 発狂したように叫ぶ母さんに突き飛ばされ、俺はよろけて壁に頭をぶつけた。痛みに顔をしかめる間もなく、怒り狂った母さんが手当たり次第に物を投げつけてくる。俺は両腕で顔と頭を庇いながら家から逃げ出した。

 コートを着ていない薄着で夜の公園までたどり着いた。自殺行為だな、と自嘲しながらベンチに腰を下ろす。すでに手は冷え切って指先の感覚がない。

 溜息をついたら白いモヤみたいなものが目の前に広がった。空気はとても乾燥していて、気温も低い。雪なんか降ってきそうな気配。このままベンチで一夜を明かしたら死ぬんじゃないかな、と考える。冬休み中の高校生、夜の公園で凍死。新聞の見出しはこんなもんか。この記事を読んだら、母さんや丹野、倉岡は少しでも罪悪感を持ったりするだろうか。母さんは確実だな。あの人は感情が昂ぶりやすいから、きっと思いつめて自殺とかするだろう。弱い人だから、いっそ死んじゃったほうが楽かもしれない。

 叔母さんが、自殺未遂をした母さんに向かって「死ぬ勇気があるなら、どうして必死になって生きようとしないの」と怒っていたけれど、あれには吹き出しそうになった。生きることが死ぬことより辛いから、人は自殺を考えるんだ。なのになぜ、死より辛い生を押し付けてくるのか。きっと本当に辛い目にあったことがないんだと思うな。

 丹野は罪の意識なんか感じないだろう。俺という玩具がなくなったのに金を送り続けなければいけないから、そのことに腹を立てて怒るだろう。

 倉岡は教師という立場から、俺との関係をばらした日記や遺書を残していないかヒヤヒヤするだろう。教え子の弱みに付け込んで勃起させるような奴だから、保身しか考えてないに違いない。

 俺がいなくなって誰が悲しむだろう。誰も悲しんではくれなさそうだ。俺の人生ってなんだったのかな。人生の意味、生きてる意味なんて考えるのは無意味だ。そう悟ってはいても、つい、こんなときは考えてしまうセンチメンタリズム。

 空を仰いでまた溜息ひとつ。月が明るい夜。星の数も少ない。感傷的になるのは趣味じゃないけど、目頭が熱くなってきて、鼻をすすりあげた。

「河端?」

 呼ぶ声にビクリと身がすくんだ。公園の入り口、階段の上で木崎が立っていた。目が合うと、木崎は白い歯を見せた。

「やっぱおまえじゃん。こんなとこでなにやってんだよ」

 軽やかに階段をおりてくる。俺は急いで目に滲んでいた涙を拭った。

「ずいぶん薄着だなー。追いはぎにでもあったか?」
「馬鹿」

 斜め前で木崎が立ち止まる。俺は一瞬だけ目を合わすとすぐ俯いた。

「おい、おまえ」

 木崎の手が俺の顎を掴んで上を向かせる。

「な、なに」
「鼻血、出てんぞ」
「え、嘘」

 俺より早く、木崎の手が俺の鼻の下を擦った。確かにぬるっとした感触があった。

「おまえ、なんかスケベなこと考えてたのか?」

 ニヤついた顔で俺の隣に座った。血のついた手はジーンズに擦りつけている。

「違うよ、木崎じゃあるまいし」

 きっと母さんが投げつけてきた物が鼻に当たったのだろう。あのときは体のあちこちが痛かったから気付かなかった。

「デート? してた?」

 木崎を横目に見る。

「あぁ。家まで送って来たとこ。おまえんち、この近所?」
「うん、まぁ。あそこのマンション」

 と指差すと木崎もそっちを向いた。

「あれの裏にある団地」
「まじ? 女の家、あのマンションだよ。おまえんちのすぐそばじゃん。今日、おまえんち行ってもいい?」

 俺に向きなおった木崎が無邪気に言う。

「だ、ダメダメ、無理だよ、今日は無理」
「なんで?」

 一回断ってるんだからいろいろ事情を察して欲しいのに、木崎はそんな細やかな気遣いが出来ないから遠慮なく訊ねてくる。

「うち、母子家庭なんだよ。で、最近親の機嫌悪いから……さっきも怒鳴られて……」
「だから泣いてたんでちゅか?」
「ち、違うよ!」

 頭を撫でる木崎の手を払いのける。っていうか泣いてたの気付かれてたんだ。恥ずかしい。

「ママに叱られて落ち込んでるんでちゅね?」
「だから違うってば! そのしゃべり方やめろよ、いいかげん怒るぜ」
「じゃあ、今日は俺んち来るか?」
「──え」
「家飛び出してきたからそんな薄着なんだろ。いつまでここでママが探しに来るの待ってる気だ? そのあいだに風邪ひいちまうぜ。今日は俺んち来いよ。それともママのお許しがないとお泊まりできまちぇんか?」

 気に障る口調だったが、これが木崎なりの優しさなのだと気付いたら怒る気持ちもそがれてしまった。

「そっちこそ、急に俺を連れていったらママに怒られまちぇんか?」
「そんときはいっしょに頭下げてくれ」

 立ち上がった木崎が俺に手を差し出した。シルバーのブレスレットがジャラと音を立てる。少し躊躇ったあと俺はその手を握った。温かい手。丹野と違ってしなやかで、倉岡と違って細くてさらっとしている。

「いつからここにいたんだ? 冷え切ってんじゃねえか」

 不機嫌に言って、自分の上着のポケットに俺の手を入れる。その中で俺の手を強く握る。

「こんなの誰かに見られたらホモだと思われんじゃん」
「思わせておけよ、なんなら腕組むか?」

 慌てふためく俺に、木崎は悪戯っぽく笑いかけてくる。俺はなんだか恥ずかしくなって、木崎の顔から目を逸らした。

「ほんっと、おまえってガキみたい」
「女にもよく言われる」
「馬鹿みたいって?」
「そういうとこ、かわいいって」
「ほんと、馬鹿」

 ハハハ、と木崎が笑い声をあげる。ひとりで空を見て泣いていた悲壮感は消えていた。木崎が現れたことで、むりやりどこかへ飛ばされたみたいだった。

 ポケットのなかの手がじんわりと温かくなる。感覚の戻った手に伝わる木崎の肌の感触や指の動きにどきどきする。そっと木崎の手を握ってみた。

「うん?」

 それに気付いた木崎が俺を見る。俺はなんでもないと首を振る。誰かが内側から俺の胸をノックしている。ドクンドクンと響いてくるそれは、俺に恋というものを運んできた。



MADK 2


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ノイローゼ・ハイスクール(1/4)

2020.01.18.Sat.
※無理矢理、自殺未遂、殺人未遂、ハピエンじゃない

 インターフォンを鳴らしたあと、ノックを三度。それだけであいつが来たんだとわかる。今日は月頭。あいつが金を持ってくる頃だから、俺は仕方なく鍵をあけて男を招き入れた。

「良子さんは仕事か?」

 奥に目をやりながら男が小さな声で俺に確認をとる。俺は男から目を逸らしながらそうだとおざなりに頷く。

「毎日毎日、遅くまで大変だなぁ、あの人も。まぁ、女手ひとつでガキひとり育てていかなきゃなんないんだから、水商売だろうとなんだろうと、なりふり構ってらんないわな。最近、調子はどうなんだ?」

 靴を脱いで男が家にあがりこむ。台所へ行くと、我がもの顔で冷蔵庫から取り出したビールをのどを鳴らして飲んだ。

「眠れないって言ってます」

 そんな男を視界に入れないように顔を背けて俺は答えた。

「また薬飲んでんのか?」
「はい。でも管理は俺がしてます」
「そうしろ。また自殺未遂なんて騒ぎ起こされたら面倒だからな。治療費はこっち持ちにされるんだから、たまったもんじゃないぜ」
「もうあんなことさせません」
「当たり前だ馬鹿野郎が」

 俺が中学に入ってすぐ父親が事故死した。それも、母さんの目の前で。それ以来、母さんはすこし精神を病んでいる。落ち込んだとき、疲れたときなど、突発的に自殺を考え実行しようとする。

 水商売で金を稼ぐようになってから不眠症になり、睡眠薬を頼るようになった。それを大量に飲んで自殺しようとしたのは一年前のことだ。

「まぁあの人も可哀想な人だよな。いつの間にか、生命保険の受取人が自分じゃなくて愛人の名前に書き替えられてたんじゃ、死にたくもなるよな」

 事実は少し違う。母さんを受取人にしていた生命保険はいつの間にか解約されていて、父は別の新しい保険に加入していた。受取人は俺たちの知らない女。

 あとでわかったことだが、葬式の日、父の世話になったという若い女が弔問客の中にいたが、そいつが保険金の受取人だった。

 母さんの妹が裁判を起こして保険金を取り返したらどうかと提案してきたらしいが、母さんは女と関わるのが嫌で断った。それに裁判したってどうせ勝てっこない。

 裁判の話は、叔母さんの旦那──つまり、いま目の前にいるこの男が言い出したことじゃないかと、俺は思っている。仲介役に入って、うまく金をせしめようとしたに違いない。いかにも、金に汚いこの男が考えそうなことだ。

「丹野のおじさん、今日はなにしに?」

 いつまでたっても本題に入らないので俺から訊ねた。男の無駄話はいちいち俺の神経を逆撫でする。

「おお、忘れるところだったぜ。これな、今月の、うちからの援助。二万ぽっちだけどさ、俺んとこも大変なんだぜ、この不況の中、たったそれだけでも、赤の他人の家族のために出すってのはよ、うちは家のローンもまだまだ残ってるしよ、おまえんとこはいいよな、親父が死んで、ローンの支払い義務はなくなったんだろ? 羨ましいぜ、俺も死にてえよ」

 確かにローンはなくなったが、父さんの巻き添えをくった事故被害者への治療費と示談金でまとまった金が必要になり、結局家は売っ払ってしまった。そのことは男も知っている。

「いつもすみません、ありがとうございます」

 薄い封筒を受け取る。たった二万。だけど、俺の家庭には貴重な援助。叔母が家計が苦しいだろうからと援助を申し出てくれた。本当は三万。消えた一万は男の懐の中。それに気付いていても俺は知らないふりで封筒を受け取り頭をさげる。男がピンはねしていることを母にも叔母にも言わずに黙っている。

「あんまり長居すると寛子が怪しむからな」

 男は缶ビールをテーブルに置いた。寛子とは叔母さんの名前。叔母さんを理由にするのはただのきっかけ。いまから本題。男がわざわざ金を持ってくる本当の理由が始まる。

 俺は物分りのいい顔で頷き、服を脱いだ。その間に男も服を脱ぐ。合間合間にビールをちびちび飲む。だんだん顔が赤くなり、目が血走ってくる。

 全裸になった男の前に跪き、俺は股間に顔を寄せた。むせるような臭気に吐き気を催しながら、男のものを口に咥えて舌を使う。

 がめつい丹野が、うちに援助をしてくれる交換条件がこれだ。もちろん母さんと叔母さんは知らない。俺と丹野、ふたりのあいだで決まったことだ。最初に提案してきたのは丹野。環境が激変し、心身ともに疲れ果てた母を見ていた俺はそれを突っぱねることもできず、了承した。俺はまだ中学二年生だった。

 月に一度、男は金を持ってきて俺を抱いた。今年で二年目だ。止める気配も俺に飽きる様子もない。そのあいだ仕送りも続く。時給に換算すれば割のいいバイト。そう思わなければやっていけない。

 丹野に促され、俺は床に四つん這いになった。男のものが俺の中に入ってくる。毎度付き纏う痛みには慣れることがない。

 俺の体を気遣うことなく男は腰を振る。背後からは荒い鼻息が聞こえる。片膝を立てた男が激しく腰をぶつけてくる。さっきまでしゃぶっていたものが、今度は下の口を犯している。目を瞑っても脳裏には男の性器の残像が映る。あれが尻の穴を出たり入ったりしているのだ。男同士のセックスなんておぞましいもの、どうしてしたがるのか理解できない。

「お、お、お……あ、が…イグ…イグ、ぞ…おおおぉぉっ」

 獣みたいな咆哮をあげて男は果てた。俺のなかに汚らしい精子を存分に吐き出すと、丹野は鼻歌まじりに帰って行った。

 ※ ※ ※

 パーンという、スターターピストルの乾いた音がグラウンドのほうから聞こえてきた。今日はかったるい体育祭。俺は障害物競走なんてこれまた面倒なものを割り当てられていた。背が低くて足も遅いから文句は言えない。

「あいつの体力すげえぜ。さっきここで一発抜いた奴の走りとは思えねえ」

 窓枠にもたれる山本が外を眺めて言った。ここは1年9組──俺たちの教室。山本の横に立って俺も外を見た。

 400メートル走の真っ最中。さっきまでここにいた木崎が、すでに半周過ぎたところをトップで走っていた。いまのところ二位との差は3メートルくらい。きっとどんどん差は開くだろう。木崎って足速いから。

 案の定、木崎はダントツトップでゴールテープを切った。まだまだ余裕のある顔をしているから恐ろしい。たったいまそこで女を抱いていた奴の走りとは思えない。

 机を寄せ集めただけの即席ベッドの上では、体育着をもそもそと身につける女子が二人。一人は木崎の彼女。もう一人は山本の彼女。

 四人は、俺が見ている目の前で、恥も外聞もなく乱交していたというわけだ。木崎におまえもヤルかと誘われたが断った。童貞を捨てるチャンスなのに、と山本は言うが、俺は誰ともセックスしたくないから一生童貞のままでいい。

「あいつかわりもんだから」

 と木崎は言うけれど、自分の女を他人の男に貸してやろうとする二人、それに文句を言わない女二人のほうがどうかしてると俺は思う。

 四人の乱れた肉の絡みを見ても、俺は少しも興奮しなかった。むしろ目を背けたくなるような光景。情事の匂いで満たされた教室の換気をしようと窓を開けたら、400メートル走の招集が聞こえてきた。

「木崎、おまえの出番だぞ」
「まじ? いまいく」

 言葉通りにイッた木崎は、裸の女を残してグラウンドに戻り、駿足を見せつけたというわけだ。

「あたしたちも戻るわね」

 服装を正した女子二人が俺たちに手を振って教室を出て行った。机の上には使い終わったコンドームが、口を縛った状態で放置されている。あれを片付けるのは誰なんだ?

「障害物競走、もうすぐなんじゃねえか?」

 気だるげに山本が言った。

「さぁ、どうでもいいよ」
「出ない気か?」
「だったらかわりに山本が行ってくれよ」
「やだよ、あんなカッコ悪いの」
「それに出ろっていうの、おまえ」
「あはは」
「あははじゃねえよ、この野郎」

 木崎と山本は中学からの付き合いで、ふたりで色々悪いことをしてきたらしい。ツーカーなふたりだけれど、力関係は木崎のほうが上みたいで、山本はいつも、なにをするにも木崎の意見を求める。生まれついてのリーダー格然とした木崎も、それを当たり前のように思っていて、山本に指示を出したり、ときどきは顎で使うこともある。親友でありながらふたりの間にはしっかりとした上下関係があった。

 俺は高校に入り、同じクラスになってからふたりと知り合った。悪目立ちするふたりに気後れを感じていたが、山本は意外に親切で気さくな性格だった。席が隣になったときにいろいろ話をしていたら、いつの間にか俺もふたりの仲間入りをしていた。

 傍目には、俺はふたりについてまわる金魚のフンのように見られているだろう。たまにそんな自分を客観視する。

 たとえばふたりが他校生とモメて喧嘩なんかしたとき、暴力の経験がない俺は道の端に寄ってそれを傍観する。そんなとき、俺はふたりとは違うのだと強く自覚する。

 どうして俺がふたりと友達になったのか、いまでも不思議だ。

「木崎、遅いな」

 競技が終わってけっこう経つ。なのに木崎は帰って来ない。彼女が下に戻ったから木崎もグラウンドに残るつもりかもしれない。

「そのうち来んじゃね」

 興味がなさそうに答えると山本は大きな欠伸をした。

「彼女といっしょにいるんじゃないかな」
「なに。木崎に戻ってきて欲しいの? 俺とふたりじゃイヤだってこと?」
「そんなこと言ってないだろ。ここの後片付けは誰がするんだってことだよ」

 散らかった机を振り返る。そのとき教室の扉が開いた。

「おまえらぁ、こんなところでなにをしている!」

 俺たちの担任で体育教師の倉岡だった。サボッている現場を、一番見つかりたくない奴に見つかってしまった。

「河端くんが貧血起こして気分悪いって言うんで、ここで休憩してました!」

 と山本が咄嗟に嘘をついて俺の肩を抱く。俺はその嘘に合わせ、額を押さえて俯いた。そんな見え透いた嘘を信じるはずもなく、倉岡がずかずか中に入り込んでくる。途中、机の上の汚物を見つけて、顔を真っ赤に激高した。

「貴様ら、体育祭をサボッてなにをやっとるんだ!」

「それはっ、俺たちが来たときにはもう──」

 山本が言い訳するまえに倉岡のビンタが飛んできた。バチンと大きな音。正面に来た倉岡が手を振り上げる。俺はすぐさま目を閉じ、次の瞬間、頬が破れたような衝撃をくらっていた。

 平手とは言え、倉岡の手は大きくて分厚い。電話帳で張られたくらいの威力があるのだ。山本は何度か経験済みだが、俺はこれが初めてだから、この凄まじい破壊力にショックを受けた。

「さっさと片付けろ! なにを考えてるんだおまえらは! 教室はホテルじゃないんだぞ! ちゃんとぞうきんがけして綺麗にしろ!」
「はいはい、わかりました!」

 倉岡に負けない大声で返事をし、山本は俺の手を取って教室を出た。

「くそっ、なんであいつ見回りしてんだよ。まじでむかつくな」

 吐き捨てる山本の左頬はぶたれて真っ赤だ。俺は自分の頬を手でおさえた。ジンジンとして熱い。

 急に山本が立ち止まって俺の顔を覗きこんできた。俺の手の上に自分の手を重ねる。

「痛むか?」

 妙に優しい声で俺に訊ねる。

「痛いに決まってんじゃん。ヤッてたのはおまえらなのに、とんだとばっちり」
「そうだな。しかも言いだしっぺの張本人はタイミングよくこの場にいねえしな。木崎の野郎、あとでぶん殴ってやる」

 確かにそうだと思って俺は笑った。口の端にピリッとした痛みが走る。

「切れてんじゃん」

 山本の親指が痛む場所に触れる。そのすぐあと、身を屈めた山本に唇をペロリと舐められていた。

「ちょ、やめろよ」
「血の味って、なんか興奮するよな」

 と山本は艶かしい表情で笑った。それを見たら、胸の奥、みぞおちのあたりが重苦しくなった。

「馬鹿みてえ。俺、やっぱ障害物競走出るわ」

 山本の腕を振り払い、回れ右して歩き出す。

「俺ひとりで片付けんのかよ」

 背後から聞こえる不満の声を無視して、俺は校舎を出た。




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