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うすらひ(18/18)

2019.11.05.Tue.
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「ちょっとトイレ」

 2回戦までまだ時間がある。席を立って店の奥まったところにあるトイレに行こうとしたら「俺も行きます」と若宮が追いかけてきた。

「久松さんは飯のあとどうするんですか?」
「どうって、帰るけど」
「なんか、残ってボーリングするグループと、他のところに遊びに行くグループに分かれてるみたいなんですけど」
「へえ、みんな元気だな。俺は帰るけど」
「せっかくだし、どっか遊びに行きましょうよ。疲れるのが嫌なら、買い物行きません? 俺新しいスーツ欲しいんですよね。久松さんセンスいいし、アドバイスしてくださいよ。んで、そのあと晩飯ってどうですか?」

 若宮に肘を掴まれた。強い力じゃない。ただ添えた程度のものだ。だが俺みたいな人種はそれに意味があるんじゃないかと深読みしてしまう。

 若宮に思わせぶりな態度を取ったことはない。若宮がこうなのは誰に対しても同じだ。そこに特別な感情はないはずだ。でももし、思い過ごしじゃないとしたら?

 困る。

 それが真っ先に浮かんだ正直な感想だった。

「いや、俺は帰るって。洗濯物干したまんまだし」
「俺なんか乾燥機入れっぱなしで、そこがタンス代わりですよ」

 声をあげて若宮が笑う。
 まだ手を放さない。まさかこいつ、本当に俺のことを──?

「若宮!」

 大きな声がして二人とも振り返った。ツカツカと大きな歩幅で近づいてくるのは周防だ。背が高いから迫ってくる姿は迫力があった。

「古田さんが呼んでる。早く行ったほうがいいよ」
「えっ、古田さんが? まじすか。じゃ俺ちょっと行ってみます! 周防さん、ありがとうございます!」

 俺の手をはなすと若宮は小走りでいなくなった。無意識にほっと息を吐き出した。次の瞬間、周防に腕を引っ張られ抱きしめられた。

「な、ちょ、おい、なにしてるんだよ、こんなところで!」

 胸を押し返すがビクともしない。逆に強く抱きよせられて布越しでも周防の体の感触が伝わってくる。俺より一回り大きな体。懐かしい感触。脳が揺さぶられたような感覚のあと、不覚にも泣きそうになった。

「周防……! 誰かに見られたらどうするんだ、このばか!」

 周防は無言で俺を抱いたまま移動した。引きずられるように、通路の奥のトイレへ連れこまれる。

「なに考えてるんだ、おい、いい加減離せよ!」
「いやだ!」

 耳元で弾けた大きな声に驚いて抵抗をやめた。窮屈な腕のなかでなんとか周防を見上げる。苦しそうに歪んだ顔。それを見られまいと、周防は俺の肩に顔を埋めた。

「……僕のまえで、他の誰かと仲良くしないでください」

 絞りだされたような声はか弱く震え、俺の耳に届くのがやっとだった。俺にしがみつく体も小さく震えている。

「なんで……そんなことおまえが言うんだよ」
「若宮と付き合ってるんですか?」
「伊吹と?! そんなわけないだろ!」
「伊吹……」

 悲観的な自虐を含んだ声だった。

「あいつが呼べって言うから。俺だけじゃないだろ、ほかの奴も──」
「他の人の話はしてません」

 ぴしゃりと遮られる。

「別に……俺が誰とどうしようが……おまえに関係ないだろ」

 声が不安に揺れた。どうして周防は怒っているんだ? どうして俺を抱きしめる? 嫉妬? もう勘違いはしたくない。

「関係あります。僕が嫌なんです。今日だけじゃなく、歓迎会のときもそれ以外でも、若宮はなんていうか久松さんに対して……すごく、馴れ馴れしい」
「ああいう性格だろ、俺に限った話じゃない」
「若宮だけじゃないです。久松さんのまわりにはいつも誰かがいて、それがすごく嫌だった。俺以外の誰かと仲良くしているのを見ると、すごく気分が悪くなって腹が立った」

 やっと普通にしゃべれるようになってきたのに、こんな風に抱きしめられながらこんなことを言われたらまた元に戻ってしまう。もう俺をグラグラ揺さぶらないで欲しい。

「なんでそんなこと言うんだよ、おまえはもう俺が好きじゃないんだろ?」

 言いながら目の表面が熱くなり、鼻の奥がツーンと痛くなった。こんなところで泣きたくない。

「好きですよ、ずっと」

 熱のこもった声があっさり否定する。

「好きじゃないって言わなきゃ、久松さんが納得してくれないと思ったから言ったんです。僕は久松さんの結婚生活を壊す気なんかなかった。あなたには幸せになって欲しいと思ったから嘘をついたんです。でも離婚したって聞いて気持ちが揺れました。僕が誰かの身代わりだったって言われても嫌いになれなかった。辛くても苦しくても、どうしても久松さんが好きなんです。諦めるなんてできません。他の誰にも取られたくない」

 子供が所有権を主張するように、周防は俺を掻き抱いた。加減を知らない、息苦しさを感じるほどの強い力だった。いっそ壊れるほど抱きしめて欲しいなんて思う。

「嘘だ、だっておまえ、俺にいっぱい冷たい態度取ったくせに」
「恋人だと思ってた人に奥さんがいたんですよ。嫌いになろう、久松さんから離れようって、それしか頭にありませんでした。結局、そんなことできませんでしたけど」
「俺は辛かった。冷たくされても、周防が好きだったから、すごく辛かった」
「すみません。僕も久松さんに冷たくするのは辛かったんです。好きだって言われたら嬉しかったし、やり直したいって言われた時は夜になっても眠れませんでした。一度僕のものになったのにどうして手放さないといけないのかって考えだしたら、何が正しいのかわからなくなって苦しかった。僕以外の誰かに取られるんじゃないかって気が気じゃなくて、毎日不安でした」

 大きな手が俺の後頭部を包むように支える。

「今日も久松さんが心配だったから参加したんです。若宮にしつこく誘われているのを見ていたから。ただの監視です。男の嫉妬って本当に醜いですよね。若宮にも村野さんにもずっと嫉妬して、ぜんぜん楽しくなかった」
「おまえ、本当につまんなそうだった」

 周防のかすかに笑った吐息が耳元にかかった。温かい風。それは不思議と、密着している体より生身の周防の体温を俺に感じさせた。

「また僕と付き合ってくれますか? 僕のそばにいてくれますか?」
「ほんとに、俺なんかでいいのか? 嘘つきの最低男だぞ」
「だったら僕も最低です。久松さんが離婚したってきいて、正直少しほっとしました。とんでもないことをしてしまったって思う反面、これでもう久松さんは僕の知らない女の人と一緒に暮らさないんだって思ったら、安心した。僕って最低ですよね。久松さんのこと言えないです。それに久松さんが結婚してると知っていても、きっと好きになってた。諦められずに告白してた。僕も同罪です」

 一緒に罪を背負ってくれるという優しい周防の言葉に我慢も限界だった。それを認めた途端、視界がじわりとぼやけた。

「離婚したときに、なんでそれを言ってくれなかったんだよ」
「一度は久松さんを思って身をひたんですよ。僕なんかでいいのかって葛藤があったんです。それに身代わりだったって言われたら、なにも言えないじゃないですか」
「身代わりじゃない」

 涙で濁った声で言いながら、おずおずと周防の背中に手をまわす。熱い背中を抱きしめて、清潔な匂いがする首筋に鼻先を擦りつけた。

「周防が好きだ。諦めるなんてできなかった。俺だって南や立花にずっと嫉妬してた。おまえのことしか考えられない。他に何もいらない。周防がいれば、それだけでいい」

 頬に流れた水の粒が周防の首筋に伝い落ちる。周防はやっと体を離した。俺の顔を覗きこみ、泣いていることがわかると困り顔になった。不器用な手つきで目尻の涙を拭う。

「僕はずっと久松さんのそばにいます。もう二度と離れません」
「絶対に? 約束できる?」
「誓います」

 大きな手が俺の頬を挟む。軽く顎を持ち上げられると、唇にキスされた。ギリギリ保っていた最後のなにかが壊れそうな気配があった。いま声をあげたら号泣してしまう。

「このあと、若宮とどこにも行かないでください」
「行かない」
「僕と一緒に帰ってくれますか?」

 コクコクと頷く。

 遠くから「久松さーん」と若宮の声が近づいてくるのが聞こえた。周防も気付いたようで俺を抱きしめたまま一番奥の個室に入ると鍵をかけた。

 直後、若宮がトイレにやってきた。

「あれっ、いない」

 と呟き、トイレを出て行く。遠ざかる足音に安心して、周防の胸にもたれかかった。

「戻らなきゃいけませんね」

 扉のほうへ顔を向けている周防の首に腕をかけ、踵をあげた。周防の手が俺の腰を抱きよせる。角度を変え、深さを変えながら、俺たちは長いあいだキスをしていた。




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