FC2ブログ

うすらひ(16/18)

2019.11.03.Sun.
101112131415

 良い雰囲気のまま歓迎会は終わった。基本的に二次会はしないので店の前で解散になる。今日は若宮にせがまれる形で部長と数人の社員でこのあと飲みに行くらしい。まんざらでもない部長の顔。若宮の人たらしの才能には舌を巻く。

「久松さんは行かないんですか?」

 帰ろうと傘を広げたら若宮が声をかけてきた。

「俺は帰るよ、眠くなってきたし」
「そうですか、残念です」
「お疲れ、じゃあまた明日」
「お疲れさまです、おやすみなさい!」

 ペコリと頭をさげ、部長たちのもとへ駆け戻る。疲れをしらない後ろ姿に脅威すら感じる。

 他の同僚にも挨拶をして、駅へ向かって歩き出した。いまだ雨はシトシトと降り続いている。

 急に寒気を感じて身震いした。風邪なんかひいたらシャレにならない。あとでコンビニに寄って栄養ドリンクでも買って帰ろうと考えながら駅のホームに立った。

「お疲れさまです」

 背後からぬっと長身の周防が顔を出した。

「お疲れ。幹事ご苦労様。大変だっただろ」
「いえ、ほとんど立花さんが仕切ってくれて僕は手伝うだけだったので」

 立花は司会進行も務めた。堂々とした姿はさすがと言ったところだ。

「久松さんは、部長たちと飲みに行かないんですか?」
「行かない、行かない。もう疲れた」
「若宮くんは残念そうでしたね」
「あいつの真似はできないよ」
「じゃあ、これからどこかへ行かれるんですか?」
「いや、帰るよ」
「方向が逆じゃないですか?」
「ああ……、いいんだ、こっちで」

 説明を待つように周防が俺をじっと見ていたが、気付かないふりで無視した。周防は諦めたように小さく息を吐いた。

「あの」
「なに」
「噂で聞いたんですけど、奥さんと別れたって本当ですか?」
「こっち来い」

 周防をホームの端に連れて行った。

「噂は本当。離婚したよ」
「そんなっ」

 周防は目を見開いた。

「そんなことをされても、僕は責任取れないって言いましたよね?!」
「責任なんて取ってもらおうと思ってないよ。俺の離婚と周防は無関係だから」
「無関係のはずないでしょう」

 と自分の前髪を掻き乱した

「周防のせいとか、周防のためとかじゃないから。全部俺のせい。俺の決断」

 納得してない顔、薄暗い目が俺を見る。ホームに電車が入ってきたのに動く気配はない。俺のことも行かせる気はなさそうだ。諦めて電車を見送った。ホームから人が消えて、静まり返る。

「もともと結婚しちゃいけなかったんだよ、俺は」

 溜息とともに言葉を吐き出した。

「どういう意味ですか」
「高校の時に、好きな奴がいた。そいつも俺のことが好きだったと思う。そういうのってなんとなくわかるだろ、自分を見る目とか、言動とかで。偶然装ってキスされたこともあったし。あの頃、そいつのことが好きだって自覚はなかったんだけど、告白されたら付き合う気だった。結局そいつから告白されることはなくて、卒業しちゃったけどさ」
「ちょっと待ってください、相手はもしかして」
「男だよ」

 周防は軽く息を吸いこんだ。

「男だったからそいつのことが好きだって自覚が遅れたと思うし、向こうも俺に告白できなかったんだと思う。やっぱり男が男に告白するのはハードル高いだろ。お互い確信があったのに有耶無耶で終わったせいで、俺はそいつのことをずっと引きずってた。大学行っても、彼女が出来ても、そいつのことを忘れたことはなかった」

 何かに気付いたように、周防の顔つきが変わる。

「結婚式にはそいつも呼んだ。結婚するなって式をぶち壊してくれるかもって、そんな期待がどっかにあった。結果的に式は恙なく終わったわけだけど、未練は捨てられなかった。ここまで言ったらもうわかるだろ。俺は結婚しちゃいけなかった。おまえは、そいつの身代わりだった」

 周防は苦しげに顔を歪め、固く目を閉じた。

「だから離婚はおまえのせいじゃない。おまえのためでもない」

 頭上の蛍光灯がジジ、と音を立てた。俺の告解が終わっても周防はずっと俯いたまま目を瞑っている。よく見ると睫毛が震えていた。

「最低ですね」

 絞りだすように周防は言った。

「最低だろ。だからおまえが気に病む必要はない」
「なんのために僕が身を引いたと思ってるんですか」

 俺を睨む目。真っ赤に充血している。

「僕が相手じゃ、結婚も子供もできないと思って──」
「おまえはちゃんとした相手を見つけろ」

 電車が到着するアナウンスがホームに流れた。まばらに人も増えていた。

「僕のことを好きだと言ってくれたのも、嘘だったんですか」

 涙で濁った声に胸が締め付けられた。嘘じゃない。嘘じゃないとも。最初はそうじゃなかったとしても、本当に好きになったし、いまも好きだ。だから俺も周防には、誰からも後ろ指さされることのない真っ当な幸せを掴んで欲しいと思えるようになったんだ。

 返事はせずに、ホームへやってきた電車に乗り込んだ。

 周防はさっきと同じ場所に立ち尽くしたまま微動だにしない。扉が閉まり、電車が動きだした。

 周防がどんどん小さくなる。見えなくなるまでその姿を追った。見えなくなっても、ホームにひとり取り残された周防の姿が脳裏に焼き付いてなかなか消えなかった。

 ※ ※ ※

 5月に入りやっと新居が決まった。会社から3駅の1K。マンションの1階にコンビニがあるのが決め手になった。新しく買いそろえたのは布団とテーブルと小さい冷蔵庫だけ。みすぼらしい再出発だが、満足だった。

 美緒との離婚条件についての話もまとまり、協議書にして俺たちは完全に終わった。

 その報告をしたら部長は本当に俺を飲みに連れて行ってくれた。まだ若いんだからこれからだ、と部長は言うが、なんとなく俺はもう結婚しないような気がした。

 高校時代の仲間は俺の離婚を知ると飲み会を開いてくれた。そこに公祐もいた。彼女とは順調かと訊ねたら「まあね」と笑った。

 あんなに親密だった俺たちも、いまはもう、ただの友人。公祐とキスだのセックスだの、してる自分が想像できない。

 恋人の話になって顔を緩ませる公祐に嫉妬もわかないし未練もない。

 それを確かめて少し安心した。いつか周防のことも諦められるだろう。

 単調な毎日を丁寧に過ごしていたある日、ボーリング大会の参加者を募るメールが送られてきた。発起人は古田さんだが、その前に若宮とボーリングの話で盛り上がっていたから、みんなでやりましょう!とねだられたのかもしれない。

 若宮の仕事ぶりはいたって普通だった。立花のように飛びぬけて優秀でもなく、周防ほど真面目でもなく、南ほど気がつくわけでも、名取ほど軽薄でもない。すべてにおいて平均点だが、天然の人懐っこさは努力だけでどうこうできない最大の武器だ。

 昼食のあと村野とオフィスに戻ると「久松さん!」と若宮が駆け寄ってきた。

「ボーリング、どうするんですか?」
「俺は不参加で」
「えーっ! 一緒にいきましょうよ!」
「休みの日はゆっくりしたい」
「そんなおじさんみたいなこと言わないで」
「おじさんだよ」
「なに言ってんすか。休みの日っていつも家で何してるんですか?」
「なにって、掃除したり洗濯したり」
「そんなの俺が手伝いますって! だから行きましょうよ」

 俺の腕を取って左右に揺する。若宮は誰に対してもこうだ。悪い奴じゃないとわかっているから、懐かれるのは嫌じゃない。距離なしを苦手に思う人もいるだろうが、そういう人にはちゃんと節度ある距離感を保っている。

「久松ばっか誘って俺はいいのかよ」

 一緒に戻ってきた村野が口を挟む。

「村野さんは参加の返事がきたって古田さんに聞きましたよ。村野さん、マイボール持ってるってほんとですか?」
「おお、ほんとだよ。学生の頃ちょっとハマッてさ。プロに教えてもらってた時期もあんのよ」

 それは俺も初耳で驚いた。

「じゃあプロになろうとしてたんですか?」
「ちょこっと、一瞬だけ夢見たこともあったけど、まあ冷静に考えたらそれで食ってくのは大変だからな、諦めたわ」

 若宮はしきりに感心している。それが演技にも見えない。若宮は人の警戒心を解くのもうまい。俺と村野は入社以来の付き合いだが、そんな話をしたことはなかった。

「伊吹って、根っからの営業職向きだよな」

 思ったことを言った。

「それ久松さんも言います? この前部長に、おまえ仕入れ担当になるかって言われたんですけど、本気じゃないですよね? 俺、久松さんに憧れてここに来たのに、いっしょに働けなくなったら意味ないじゃないですか」
「慕われてんじゃん」

 村野が俺をからかう。

「そういう恥ずかしいこと言うなよ、どうせ誰にでも言ってるんだろ」
「言ってないですよ! 俺ほんとに久松さんに憧れてんですから! 久松さんは俺の目標ですよ!」
「わかったわかった、もういい、もう言うな」

 顔の皮膚がじわ、と熱くなってきた。面と向かって憧れだの目標だの言われることに慣れていない。気の利いた返しが出来ず困ってしまう。顔を赤らめる俺を見て村野はニヤニヤと笑った。

「あの、久松さん」

 呼ばれて振り返ると周防がいた。

「お話し中すみません、ちょっと教えて欲しいことがあって」
「ああ、いいよ、なに」

 周防と連れ立って離れる俺に、若宮は「ボーリング行きましょうね」と大きな声で言った。周りの連中もクスクス笑っている。頼む、もう勘弁してくれ。

「……大学の後輩なんでしたっけ?」

 前を向いたまま周防がぽつりと呟いた。

「え? ああ、伊吹?」
「伊吹……。ずいぶん、仲がいいんですね」

 一瞬思考が止まった。茫然と周防を見上げる。周防は真顔だ。いや、少し怒っているように見える。なぜそんなことを言うんだ? なにが気に食わない? なんで怒ってる? まさか嫉妬──

「今度は若宮ですか。ちゃんと身代わりだって教えてあげたほうがいいですよ、期待させたら可哀そうですから」

 突き放すような言い方に、体中の血が逆流したと思うほどの怒りと羞恥がわきあがった。思わず振りあげた手で周防を突き飛ばした。少し体をよろめかせた周防がハッと俺を見る。

「ちが──、すみません、僕」
「しばらく俺に話しかけんな。わかんねえとこは他の奴に教えてもらえ」

 乱暴に吐き捨てて周防に背を向けた。俺を呼ぶ弱々しい声が聞こえたが無視した。若宮と村野は会話に夢中で俺たちのいざこざに気付いていない。他の同僚も午後の気だるさのなか、各々好きなことをしていて誰もこっちを見ていない。その隙に素早く目元を拭った。あんなことを言われて平気でいられるほど、俺の神経は図太く出来ていない。

 自業自得だとわかっている。これが俺の犯した罪の代償だということも。でも周防からあんな言われ方をするなんて思ってもいなかった。悔しさと、恥ずかしさと、悲しみで、止めようとしても目が潤む。

 戻ってきたばかりのオフィスを出てトイレに逃げ込んだ。個室に入って熱い息を吐き出す。直後、スマホがメールを受信した。予想した通り周防からで、本心じゃないだの、どうかしてましただのと、言い訳と謝罪の言葉が並んでいた。

 気にするなと言えないほど傷ついたが、許さないと言える立場でもない。返す言葉が見つからなくて、返事は送らなかった。
 
 こんなに女々しくなる恋愛はしたことがない。どうすれば立ち直れるのか、さっぱりわからなかった。



関連記事
スポンサーサイト
[PR]