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うすらひ(13/18)

2019.10.31.Thu.
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 ひたすら歩き続けて5分ほど経った頃、背後から近づいてくる足音があった。ひと気のない夜道、走って近づいてくる足音に少し警戒していたら「久松さん!」大きな声で名前を呼ばれ、びくっと体が飛びあがった。

「こんなところでなにしてるんですか」

 振り返えると、はぁはぁと荒い息をする周防が目の前に立っていた。マンション前ならいざ知らず、そこから離れた場所で周防に会うなんて想定外で、なにも反応できなかった。

「どうしたんですか?」

 ぽかんとしたままの俺に周防がいぶかしんで顔を覗きこんでくる。瞬間的にこみあげてきたのは羞恥だった。こんなところまで男をおいかけてきて、待ち伏せまがいのことをした。それを一番見られたくない周防に見つかってしまった。

「べ、別に」

 恥ずかしさを隠すために俯いてつっけんどんに答える。

「どうしてこんなところにいるんですか?」
「ちょっと……知り合いと飲んでた」
「こんなところで?」

 たくさん店のある駅前ではなく、住宅街のなかだ。周防が怪しむのも無理はない。

「俺がどこで飲もうが勝手だろ」
「そうですけど」
「おまえこそ、どうしてこんなところにいるんだよ」
「さっき南さんを駅まで送っていく時にコンビニで久松さんを見かけたんです。駅からの帰り道ですれ違わないし、マンションの前にもいないから最初は見間違いかと思ったけど、少し気になって探してたんです」

 俺が気になったから、息を切らすほど探してくれたのか。周防が元からそういう奴だとわかっていても期待したくなった。俺だから、居ても立っても居られなくなったのだと、言ってほしかった。

「周防の家には行ってない」

 嘘をついたのは、付き纏うような鬱陶しい男だと思われたくないし、俺にもプライドがあったからだ。でもきっと嘘だとバレてる。

「そうですか。ならいいですけど」

 俺から目を逸らし、周防は自分の髪を撫でつけた。その時、微かに揺れた空気に乗って、石鹸の匂いがほのかに香った。さっきまで南と一緒だった周防から風呂上がりの匂いがするということは、つまり──。ぶん殴られたような衝撃に眩暈がした。

 全身から血の気が引いて行く。指の先が痺れたように痛かった。

「俺のことはいいから、早く、帰れよ」

 声が震えた。

「久松さんは?」
「周防に関係ない」
「でももう遅いし……、駅の近くまで送りましょうか?」

 南を抱いて駅まで送り届けた直後に、よくそんなことが言えたもんだ。こいつの神経はどうなってるんだ? 周防が女と2人で歩いてるところを見て俺が平気でいられると思ってるのか? 俺はそこまで図太くない。いまだに周防のことを引きずって色々支障も出てるって言うのに、こいつはもう次の女を家に連れこんでいる。この差はなんだ?

 最初に告白してきたのは周防だ。仕事でミスをするほど俺に夢中だったのに、いつの間にか立場が逆転している。俺の方が周防のことばかり考えている。

「なんで俺に優しくするわけ? もう俺の顔を見たくないくらい嫌いなんだろ。きっぱり諦められるんだろ? 所詮その程度の俺に、なんで優しくできるわけ?」
「どうして怒ってるんですか?」

 本気でわかっていないようで、周防は困惑顔になった。

 負の感情で頭も心もぐちゃぐちゃだった。俺が子供だったら泣き叫んで地団太を踏んでいるところだ。

 説明してやるのも馬鹿らしくて周防に背中を向けた。歩き出すと足音もあとをついてくる。静かな住宅街に2人の足音が響く。

「あの」
「なんだ」
「久松さんのこと、嫌ってなんかいません」

 さっき俺が言ったことへの反論を律儀にしてくる。

「へえ、そう」
「あっ」

 何か思い出したように周防が声をあげた。

「南さんとはなにもないですよ」

 歩調が崩れそうになったが、なんとか歩き続けた。

「さっきまでうちの部署の同期4人で飲んでたんです。立花さんと名取くんは先に帰ったけど、南さんは最後まで片づけを手伝ってくれて、だから駅まで送っていったんです。本当にそれだけですよ」
「……俺に関係ないだろ」
「でも、怒ってるみたいだから。嫉妬してるのかと思って」

 鈍感なのは許せても、無神経なのは許せるものじゃない。ぶん殴ってやろうかと思ったが、結局強く拳を握っただけで、それを使うことはできなかった。

「なにもないことはないだろ、風呂あがりのくせに」
「えっ? 風呂……あ、いやっ、違いますよ!」

 慌てた声とともに肩を掴まれた。加減を忘れた力で強引に振り向かされる。

「今日! バレーの試合に出てたんです! 本当はうちの部署の同期4人で旅行の予定だったんですけど、計画立ててるときに、高校時代の先輩から連絡があって、試合のメンバーが足りないから助っ人を頼まれたんです。もともと旅行には乗り気じゃなかったから事情を話して断ったら、旅行をやめてみんなで応援に来てくれることになって。それが今日だったんです。風呂に入ったのは試合で汗をかいたからで、南さんとなにかあったからじゃないですよ!」

 早口の必死な言い訳。周防は嘘をつかない。だからきっと本当のことを言っている。それを聞いて少し気が落ち着いた。嫉妬が完全に消えたわけじゃないが、確かめようもないことを疑うより、周防の言葉を信じたかった。でないと俺は嫉妬でおかしくなる。

 真正面から周防の顔を見るのは久しぶりだった。とても真剣な顔で俺を見ている。

「あ、すみません」

 ずっと俺の肩を掴んでいたことに気付いて周防は手をはなした。離れていく周防の手を、今度は俺が掴み返した。

「好きだ」

 周防の顔が強張る。

「やり直したい」
「無理です」

 即答だった。

「ちゃんと考えてくれ。どうしても駄目か? もう望みなしか?」
「久松さんは結婚してるじゃないですか」
「離婚するから」
「やめてください、僕にそんな責任は取れません」
「頼む、もう一度よく考えてくれ。俺はやり直したい」
「無理です、勘弁してください」
「こんなに頼んでも?」

 周防は無言で頷いた。

「だったらもう俺に優しくしないでくれ。期待するだろ」

 何か言いかけて周防は口を開いたが、言葉は出てこなかった。険しい顔で黙り込んだまま俯く。

「ここまででいいから。じゃあ、おやすみ」

 前に向き直り歩き出す。角の建物に見覚えがあった。もう駅に近い。

 聞こえる足音は俺の分だけ。周防は追いかけてこなかった。

 ※ ※ ※

 年が明け、わずかに残っていた正月気分も満員電車に乗って出勤したら跡形もなく消えた。久し振りに顔を合わせる同僚たちと挨拶をし、旅行土産の話を聞いて盛りあがった。

 仕事始めは関係各所への挨拶と、メールや問い合わせの対応に追われた。やっと一段落して給湯室へ行くと、南もお茶をいれていた。

「コーヒーですか?」
「あ、うん」

 頷くや南が俺のコーヒーをいれてくれた。礼を言って受け取る。休み中、旅行へ行った人たちの土産が給湯室に置いてある。それを物色していたら周防がやってきた。俺と目が合うとビタッと足を止めて一歩後ずさる。露骨に俺を警戒する態度にはさすがに傷ついた。

 クッキーを1つ取り、給湯室を出た。俺がいなくなった給湯室から、南の笑い声が聞こえてくる。ただの被害妄想だとわかっていても、自分のことを笑われたようで、下唇を噛んだ。

「なんかあった?」

 俺の顔つきがよほど酷かったのか、村野が椅子をすべらせて横へやってきた。

「なにもないよ。ちょっとコーヒーが苦くて」
「去年のだから、ちょっと悪くなってんのかもな」
「今日の夜、予定ある?」
「鍋がいいな」
「了解」

 オフの日に会うほど親しい付き合いではないが、長く一緒にいた同期の村野とはツーカーで話が通じる。気を使わないでいいから、なにも考えたくないときに一緒に飲む相手として村野は適任だった。

 少し残業をしたあと村野と会社を出た。予約を取っておいた店に入り、鍋を注文した。ビールで乾杯して、まずは仕事の愚痴を言い合った。そして正月休みの話題へ移り、家族の話になり、金の話、将来の話、そしてまた会社の話に戻った。

「今日見てて思ったんだけど、南ちゃんと周防ってデキてんの?」

 シメの雑炊をハフハフと頬張りながら村野が言った。目聡い村野でなくても、2人は傍目にそう見えていた。

 お互いのデスクを頻繁に行き来し、顔を見合わせクスクスと笑い合い、昼休みは当然のように2人で出かけ、仕事が終われば2人揃って退社した。何かあると誰もが気付く急接近だ。

「仲はいいみたいだけど、付き合ってるかまでは知らない」
「南ちゃんて最初は超絶地味だったけど、立花ちゃんの影響かなんだか、ちょっと良さげになったよな。押しも強そうだし、周防みたいなボーッとしたタイプにはああいう尻に敷いてくれそうな娘が合うと思うわ」

 無理矢理笑って話を合わせる。客観的に見れば周防と南はお似合いなのかもしれない。俺にはまだそんな距離感も冷静さもないけれど。

 プライドも恥も捨て、離婚してでもやり直したいと周防に頼んだのに、あの男は考えるまでもなく拒んだ。振られた相手に二度も三度も縋りつく真似はみっともなくて俺にはできない。あれが最初で最後の、俺のなけなしの勇気だった。それを無下にされたのだ。しばらく立ち直れなかった。年末年始は風邪気味だと理由をつけ帰省せず、美緒の実家も一人で行ってもらった。

 ようやくショックから立ち直って出社したらイチャつく2人を見せつけられて俺の精神状態はボロボロだ。南の鼻にかかった笑い声を聞かされるたびに、勘弁してくれ、と頭を抱えたくなった。いっそ異動願いを出そうかと思ったほどだ。実際、新天地でやり直すのも悪くないかも、と思う。

 店を出て、村野とは駅で別れた。電車に揺られているとスマホが震え、見ると「帰りに牛乳買ってきて!」と美緒からのメールだった。

 お天気お姉さん似で、仕事をしながら家のこともほとんどやってくれて、申し分のない奥さんだと思う。なのに俺ときたら男を騙して浮気をするような屑だ。俺には勿体ない。

 コンビニで牛乳を買って、美緒の待つマンションへ帰った。明るく、温かい我が家。

「まだごはん出来てないから、先にお風呂入ってきて」

 と可愛くて優しい妻。鋭い痛みが胸を刺す。

 もう、いろいろ限界だった。

「美緒、話がある」
「なに?」
「離婚して欲しい」




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