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うすらひ(9/18)

2019.10.27.Sun.


 仕事終わり、うろ覚えの道をなんとか迷わず歩いて周防のマンションへ到着した。手ぶらもあれかと思って途中のコンビニで酒やらおにぎりを買ってしまったが、誠意がないと思われたりしないだろうかと部屋の前に立ってから後悔した。

 周防は俺より先に退社していた。寄り道していなければもう部屋にいるはずだ。もしいなくても、部屋の前で待つつもりだった。

 いきなり訪ねて驚かせるのも悪いと思って、インターフォンを鳴らす前に周防に電話してみた。かすかに中から呼び出し音が聞こえるが途切れる気配はない。周防は帰宅している。扉一枚隔てたこの中にいる。

「いまから周防の家に行っていいか?」

 メールを打った。送信しようとして、これを見た直後にチャイムが鳴ったらホラーだよな、と送信ボタンを押す指をためらった。着信をシカトされた。メールもきっとシカトされる。

 騙し討ちのようだが、メールは送信せずにインターフォンを鳴らした。応答はない。扉も開かない。モニターで俺だとわかって無視することに決めたのだろう。

 今日こそちゃんと話をしようと決めてきたんだ。俺も引き下がれない。意地になってもう一度チャイムを鳴らした。それが通じたいのか、『……はい』と低い周防の声が聞こえた。

「突然ごめん、久松だけど、開けてくれないか」
『……すいません、いま飯食ってて』
「待つよ。とりあえず入れてくれ」
『ご用件はなんでしょうか』
「わかってるだろ。俺たちのことをちゃんと話し合いたい」
『話なら終わりましたよね。資料室で』
「あんなんじゃなくて、もっとちゃんとした話し合いをしたいって言ってるんだ」
『必要ないと思います。久松さんが結婚していたことがわかった時点で終わったことですから。今日も奥さんが待ってるんですよね。早く帰ったほうがいいですよ』

 ほんの数日前までは、甘く蕩けた顔と声で好きだと言って憚らなかった周防が、いまは別人みたいに冷たい。当然のこととは言え、扉を開けてもくれない仕打ちは堪えた。

「……入れてくれないなら、ここで暴れるぞ」

 インターフォン越しに周防の溜息が聞こえた。

『どうせ、できないでしょ』

 ショックを受けると同時に、頭のなかで何かが切れた。

 鉄の扉に飛び掛かり、殴って蹴って暴れながら周防の名前を叫んだ。こんな真似、今まで一度もしたことない。できないと言う周防の冷めた口調がショックだった。見捨てられたくないと、藁にも縋る思いだったのだ。

「やめてください!」

 扉が開いた。慌ててやってきた周防が隙間から怒った顔を見せる。前はいつでもこの部屋に来ていいと言っていたのに、今は10センチほどしか扉を開けてくれない。

「なに考えてるんですか」
「おまえが、どうせできないって言うから」

 眉間にしわを作った険しい顔で、周防はしばらく俺を見ていた。根負けして「10分だけなら」と渋々扉を開けてくれた。

 前回来たときと比べて部屋がずいぶん片付いていた。段ボールはなくなっているし、衣装ケースは奥の寝室で秩序を保って並んでいる。前はなかったテーブルとソファもある。このテーブルはあの家具屋で買ったものだろうか。思い出すと腹の底がずんと重くなった。

 テーブルには食べかけのコンビニ弁当。食事中というのは嘘じゃなかったらしい。

「どうぞ、座ってください」

 俺にソファを勧め、周防は床に正座した。弁当に蓋をしてテーブルの端に寄せる。

「周防の家なんだし、おまえがソファに座れよ」
「いいですから」

 厳しい口調で遮るように言う。ソファに座るか迷って、結局周防の正面の床に座った。

「これ、途中のコンビニで買ったやつ。よかったら」
「ああ、すいません」

 無感情に言うと、受け取ったコンビニの袋を中身も見ないで横に置いた。雑な扱われ方はいまの俺と同じだ。

「それで、まだなにを話し合うって言うんですか」

 そう切りだされるとぐうの音も出てこない。会話の糸口。なにかとっかかりを。

「周防に……、謝りたくて」
「謝罪ならもう聞きました。それに謝る相手は僕じゃなくて、奥さんですよね」

 俺のことが好きだとひたむきに見つめてきた目が、いまは厳しく俺を見据えていた。好ましく思っていた嘘や保身のないきれいな目が、いまは刺さるように痛い。

「やっぱり怒ってるよな」
「怒るというより、ショックでした。自分が不倫の片棒を担がされていたことが」
「ほんとに最初からそういうつもりじゃなくて……、断るつもりだったからわざわざ言う必要もないと思って」
「断るつもりだったなら、どうしてあの日、エレベーターのなかで僕とキスしたんですか」
「それは……、俺もしたいと思ったから」

 言葉を選んで少し言い淀む。

「断るつもりだったんでしょう?」
「最初は。でも、だんだん」
「だんだん?」
「俺も、周防のことが……好きになって」

 俺がやっとの思いで吐き出した言葉を、周防は悲しそうな顔で受け止めた。

「初めて好きだって言ってくれましたね。いま聞いても、むなしいだけですけど。今まで言ってくれなかったのは僕に言質を取られないためですか?」
「そんな言い方しなくたって」
「どう言えばいいんですか。久松さんは結婚しているのに喜べるわけないでしょう」
「だからそれは何度も謝ってるだろ」
「いつまで黙っているつもりだったんですか?」

 追及の鋭い目が俺を射貫く。たじろいで、取り繕うことも出来ずに間が空いた。

「ずっと黙っている気だったんですか?」

 いつ本当のことを話そうか、それは俺も考えてはいた。でも具体的なことはなにも決めていなかった。いつかバレると思いながら、どこか楽観的で、憂鬱なことを先送りにした。そんなことをしても良いことはないとわかっていたのに。

「でも……、周防だっていつか結婚するだろ」
「それはまだわかりません」
「いつまでも男同士で続けられるとは思ってなかっただろ。まさか俺と墓場まで一緒にいられると思ってたのか? 思ってないだろ?」
「そんな先のことは考えてなかったけど、別れる前提で久松さんといたわけじゃありません。ずっと長く一緒にいられたらいいと思っていました。でも、久松さんは違ったんですよね。結婚してるのに俺の告白を受け入れてくれたのは、最初から遊びだったからなんですよね。そりゃあ気軽に男と付き合えますよね。本気じゃないんですから」

 確かに最初は遊びの感覚だった。男同士がどういうものか、俺にベタ惚れの周防で試して、一通り楽しんだら後腐れなく終わらせる気だった。

 周防の気持ちなんて、なにも考えていなかった。

 自分でも予想できなかったのは、本気で周防を好きになってしまったこと。まさかこんなにのめり込むなんて、想像もしていなかった。

 その気持ちまで否定されたら、俺も黙っていられなかった。

「勝手に俺の気持ちまで決めつけないでくれよ。ほんとにただの遊びだったらもうとっくにおまえとは終わってる。そりゃ最初は不純な動機だった。それは認める。でも今は違うって、俺の態度でわかんなかったのかよ。誰だってよかったわけじゃない。周防だったから、俺も本気で好きになれたんだ。その気持ちまで嘘だって決めつけないでくれ。そんなの、寂しいだろ」

 周防に拒絶されることがこんなに苦しいことだと思いもしなかった。思い返せば、俺は周防に自分の気持ちを素直に表現してこなかった。いつも与えられるばかりで、その優越感に浸っていた。

 公祐のときと同じだ。自分に示される好意が気持ちよくて、それを引きだすために気のあるようなふりをした。公祐の気持ちをないがしろにして、自慰行為をしていたようなものだ。だから公祐は俺に告白してこなかった。そして最終的に俺を諦め、吹っ切った。

 俺はまたそれを繰り返そうとしている。

「久松さんの言うことはなにも信用できません」

 周防は目を伏せて硬い声で言った。周防の言うことはもっともだ。

「もう、出て行ってもらえませんか。10分経ったし……、明日も仕事なので」
「でも、周防」
「迷惑なんです」

 好きだという気持ちを雄弁に語った周防らしく、こんなときも容赦がない。

 もう少し話を、と粘ることもできた。でも俯いた周防が怒っているようで泣く寸前のような顔をしているのを見たら、これ以上わがままは言えなくなった。

「飯時にごめん」

 立ちあがり、鞄を持った。

「もうなにを言っても信じてもらえないかもしれないけど、俺は周防を好きだったし、いまも好きだよ。結婚してる俺がこんなこと言うのは間違ってるってわかってるけど、もう周防に嘘はつきたくないし、これが俺の本当の気持ちだから」

 俯いたまま周防はうんともすんとも言わない。

「最後に一個だけ聞かせてくれ。もう、俺のことは好きじゃない?」
「……好きじゃありません」

 顔を歪めながら、絞りだすように周防は言った。

 自分できいておいて、切りつけられたように胸が痛んだ。俺を見ない周防を見ていたら「本当か?!」と肩を揺さぶりたくなる。そんなかっこ悪い真似はさすがにしたくない。

「できれば仕事場では普通に接して欲しい。勘づく奴らも出てくるし、お前の評価が下がったら嫌だから」

 周防は微かに頷いた。

「最初からやり直したいよ。ちゃんと結婚していることを話して、先輩後輩よりちょっと仲のいい友達みたいになりたかった。周防と一緒にいるのは、本当に楽しかったから」

 最後、声が濁った。目の奥が熱くなって、顎が震えた。幸い周防は俯いたままだ。素早く横を通りすぎ、見送りのないまま、周防の家をあとにした。



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