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うすらひ(13/18)

2019.10.31.Thu.
101112

 ひたすら歩き続けて5分ほど経った頃、背後から近づいてくる足音があった。ひと気のない夜道、走って近づいてくる足音に少し警戒していたら「久松さん!」大きな声で名前を呼ばれ、びくっと体が飛びあがった。

「こんなところでなにしてるんですか」

 振り返えると、はぁはぁと荒い息をする周防が目の前に立っていた。マンション前ならいざ知らず、そこから離れた場所で周防に会うなんて想定外で、なにも反応できなかった。

「どうしたんですか?」

 ぽかんとしたままの俺に周防がいぶかしんで顔を覗きこんでくる。瞬間的にこみあげてきたのは羞恥だった。こんなところまで男をおいかけてきて、待ち伏せまがいのことをした。それを一番見られたくない周防に見つかってしまった。

「べ、別に」

 恥ずかしさを隠すために俯いてつっけんどんに答える。

「どうしてこんなところにいるんですか?」
「ちょっと……知り合いと飲んでた」
「こんなところで?」

 たくさん店のある駅前ではなく、住宅街のなかだ。周防が怪しむのも無理はない。

「俺がどこで飲もうが勝手だろ」
「そうですけど」
「おまえこそ、どうしてこんなところにいるんだよ」
「さっき南さんを駅まで送っていく時にコンビニで久松さんを見かけたんです。駅からの帰り道ですれ違わないし、マンションの前にもいないから最初は見間違いかと思ったけど、少し気になって探してたんです」

 俺が気になったから、息を切らすほど探してくれたのか。周防が元からそういう奴だとわかっていても期待したくなった。俺だから、居ても立っても居られなくなったのだと、言ってほしかった。

「周防の家には行ってない」

 嘘をついたのは、付き纏うような鬱陶しい男だと思われたくないし、俺にもプライドがあったからだ。でもきっと嘘だとバレてる。

「そうですか。ならいいですけど」

 俺から目を逸らし、周防は自分の髪を撫でつけた。その時、微かに揺れた空気に乗って、石鹸の匂いがほのかに香った。さっきまで南と一緒だった周防から風呂上がりの匂いがするということは、つまり──。ぶん殴られたような衝撃に眩暈がした。

 全身から血の気が引いて行く。指の先が痺れたように痛かった。

「俺のことはいいから、早く、帰れよ」

 声が震えた。

「久松さんは?」
「周防に関係ない」
「でももう遅いし……、駅の近くまで送りましょうか?」

 南を抱いて駅まで送り届けた直後に、よくそんなことが言えたもんだ。こいつの神経はどうなってるんだ? 周防が女と2人で歩いてるところを見て俺が平気でいられると思ってるのか? 俺はそこまで図太くない。いまだに周防のことを引きずって色々支障も出てるって言うのに、こいつはもう次の女を家に連れこんでいる。この差はなんだ?

 最初に告白してきたのは周防だ。仕事でミスをするほど俺に夢中だったのに、いつの間にか立場が逆転している。俺の方が周防のことばかり考えている。

「なんで俺に優しくするわけ? もう俺の顔を見たくないくらい嫌いなんだろ。きっぱり諦められるんだろ? 所詮その程度の俺に、なんで優しくできるわけ?」
「どうして怒ってるんですか?」

 本気でわかっていないようで、周防は困惑顔になった。

 負の感情で頭も心もぐちゃぐちゃだった。俺が子供だったら泣き叫んで地団太を踏んでいるところだ。

 説明してやるのも馬鹿らしくて周防に背中を向けた。歩き出すと足音もあとをついてくる。静かな住宅街に2人の足音が響く。

「あの」
「なんだ」
「久松さんのこと、嫌ってなんかいません」

 さっき俺が言ったことへの反論を律儀にしてくる。

「へえ、そう」
「あっ」

 何か思い出したように周防が声をあげた。

「南さんとはなにもないですよ」

 歩調が崩れそうになったが、なんとか歩き続けた。

「さっきまでうちの部署の同期4人で飲んでたんです。立花さんと名取くんは先に帰ったけど、南さんは最後まで片づけを手伝ってくれて、だから駅まで送っていったんです。本当にそれだけですよ」
「……俺に関係ないだろ」
「でも、怒ってるみたいだから。嫉妬してるのかと思って」

 鈍感なのは許せても、無神経なのは許せるものじゃない。ぶん殴ってやろうかと思ったが、結局強く拳を握っただけで、それを使うことはできなかった。

「なにもないことはないだろ、風呂あがりのくせに」
「えっ? 風呂……あ、いやっ、違いますよ!」

 慌てた声とともに肩を掴まれた。加減を忘れた力で強引に振り向かされる。

「今日! バレーの試合に出てたんです! 本当はうちの部署の同期4人で旅行の予定だったんですけど、計画立ててるときに、高校時代の先輩から連絡があって、試合のメンバーが足りないから助っ人を頼まれたんです。もともと旅行には乗り気じゃなかったから事情を話して断ったら、旅行をやめてみんなで応援に来てくれることになって。それが今日だったんです。風呂に入ったのは試合で汗をかいたからで、南さんとなにかあったからじゃないですよ!」

 早口の必死な言い訳。周防は嘘をつかない。だからきっと本当のことを言っている。それを聞いて少し気が落ち着いた。嫉妬が完全に消えたわけじゃないが、確かめようもないことを疑うより、周防の言葉を信じたかった。でないと俺は嫉妬でおかしくなる。

 真正面から周防の顔を見るのは久しぶりだった。とても真剣な顔で俺を見ている。

「あ、すみません」

 ずっと俺の肩を掴んでいたことに気付いて周防は手をはなした。離れていく周防の手を、今度は俺が掴み返した。

「好きだ」

 周防の顔が強張る。

「やり直したい」
「無理です」

 即答だった。

「ちゃんと考えてくれ。どうしても駄目か? もう望みなしか?」
「久松さんは結婚してるじゃないですか」
「離婚するから」
「やめてください、僕にそんな責任は取れません」
「頼む、もう一度よく考えてくれ。俺はやり直したい」
「無理です、勘弁してください」
「こんなに頼んでも?」

 周防は無言で頷いた。

「だったらもう俺に優しくしないでくれ。期待するだろ」

 何か言いかけて周防は口を開いたが、言葉は出てこなかった。険しい顔で黙り込んだまま俯く。

「ここまででいいから。じゃあ、おやすみ」

 前に向き直り歩き出す。角の建物に見覚えがあった。もう駅に近い。

 聞こえる足音は俺の分だけ。周防は追いかけてこなかった。

 ※ ※ ※

 年が明け、わずかに残っていた正月気分も満員電車に乗って出勤したら跡形もなく消えた。久し振りに顔を合わせる同僚たちと挨拶をし、旅行土産の話を聞いて盛りあがった。

 仕事始めは関係各所への挨拶と、メールや問い合わせの対応に追われた。やっと一段落して給湯室へ行くと、南もお茶をいれていた。

「コーヒーですか?」
「あ、うん」

 頷くや南が俺のコーヒーをいれてくれた。礼を言って受け取る。休み中、旅行へ行った人たちの土産が給湯室に置いてある。それを物色していたら周防がやってきた。俺と目が合うとビタッと足を止めて一歩後ずさる。露骨に俺を警戒する態度にはさすがに傷ついた。

 クッキーを1つ取り、給湯室を出た。俺がいなくなった給湯室から、南の笑い声が聞こえてくる。ただの被害妄想だとわかっていても、自分のことを笑われたようで、下唇を噛んだ。

「なんかあった?」

 俺の顔つきがよほど酷かったのか、村野が椅子をすべらせて横へやってきた。

「なにもないよ。ちょっとコーヒーが苦くて」
「去年のだから、ちょっと悪くなってんのかもな」
「今日の夜、予定ある?」
「鍋がいいな」
「了解」

 オフの日に会うほど親しい付き合いではないが、長く一緒にいた同期の村野とはツーカーで話が通じる。気を使わないでいいから、なにも考えたくないときに一緒に飲む相手として村野は適任だった。

 少し残業をしたあと村野と会社を出た。予約を取っておいた店に入り、鍋を注文した。ビールで乾杯して、まずは仕事の愚痴を言い合った。そして正月休みの話題へ移り、家族の話になり、金の話、将来の話、そしてまた会社の話に戻った。

「今日見てて思ったんだけど、南ちゃんと周防ってデキてんの?」

 シメの雑炊をハフハフと頬張りながら村野が言った。目聡い村野でなくても、2人は傍目にそう見えていた。

 お互いのデスクを頻繁に行き来し、顔を見合わせクスクスと笑い合い、昼休みは当然のように2人で出かけ、仕事が終われば2人揃って退社した。何かあると誰もが気付く急接近だ。

「仲はいいみたいだけど、付き合ってるかまでは知らない」
「南ちゃんて最初は超絶地味だったけど、立花ちゃんの影響かなんだか、ちょっと良さげになったよな。押しも強そうだし、周防みたいなボーッとしたタイプにはああいう尻に敷いてくれそうな娘が合うと思うわ」

 無理矢理笑って話を合わせる。客観的に見れば周防と南はお似合いなのかもしれない。俺にはまだそんな距離感も冷静さもないけれど。

 プライドも恥も捨て、離婚してでもやり直したいと周防に頼んだのに、あの男は考えるまでもなく拒んだ。振られた相手に二度も三度も縋りつく真似はみっともなくて俺にはできない。あれが最初で最後の、俺のなけなしの勇気だった。それを無下にされたのだ。しばらく立ち直れなかった。年末年始は風邪気味だと理由をつけ帰省せず、美緒の実家も一人で行ってもらった。

 ようやくショックから立ち直って出社したらイチャつく2人を見せつけられて俺の精神状態はボロボロだ。南の鼻にかかった笑い声を聞かされるたびに、勘弁してくれ、と頭を抱えたくなった。いっそ異動願いを出そうかと思ったほどだ。実際、新天地でやり直すのも悪くないかも、と思う。

 店を出て、村野とは駅で別れた。電車に揺られているとスマホが震え、見ると「帰りに牛乳買ってきて!」と美緒からのメールだった。

 お天気お姉さん似で、仕事をしながら家のこともほとんどやってくれて、申し分のない奥さんだと思う。なのに俺ときたら男を騙して浮気をするような屑だ。俺には勿体ない。

 コンビニで牛乳を買って、美緒の待つマンションへ帰った。明るく、温かい我が家。

「まだごはん出来てないから、先にお風呂入ってきて」

 と可愛くて優しい妻。鋭い痛みが胸を刺す。

 もう、いろいろ限界だった。

「美緒、話がある」
「なに?」
「離婚して欲しい」




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うすらひ(12/18)

2019.10.30.Wed.
1011

 クリスマス直前に公祐からメールがきた。今まで延び延びになっていた飲みの誘いだ。やましく不純な動機で誘っていた俺としては、今更という気がしないでもなかったが、久し振りに顔を見たかったし、誘われた金曜日は家に居ても周防のことを考えてしまいそうだったからすぐOKの返事をした。

「奥さん、そんなに仕事忙しいのか?」

 居酒屋で乾杯をし、近況報告も一通り終わったあと、公祐が言った。

「かき入れ時だし、福袋の準備だとか、とにかくやることいっぱいで営業時間が終わっても毎日残業続きだよ。おかげで俺はここんとこだいたい一人で飯食ってる。だから公祐が誘ってくれて嬉しかった」

 口に出してからしまったと思った。普通の会話でも、俺たちの間では思わせぶりな台詞になる。自分でそう聞こえるのだから、公祐もきっとそう感じ取っているだろう。

 窺い見た公祐は目を伏せて穏やかに微笑んでいる。高校生のころのように顔を赤らめたりしないし、目を泳がせたりもしない。ただ聞き流したのか、気付いてもいないかは、その表情からはわからない。

「学校が冬休みに入っただろ、だから時間に余裕ができたんだ」

 俺に気を遣わせないため? それともおまえに気はないって牽制?

 そんなことを考える自分に嫌気がさす。

 当たり障りのない会話を探し、公祐に学校の話を聞いた。

 今時の高校生は概ねいい子が多く、目立った悪さをするような生徒は学年に数人程度らしい。

「でもまあそれも表立ってしてないだけで、俺たちが気付かないところではやってんのかもしれないけどな。いまはネットのほうが問題だよ。全てを把握しておくことなんて無理だから、生徒がなにを閲覧してなにを投稿してるかなんて、問題になってから知っても手遅れだしな」
「ネットは確かに怖いな。出会い系とか援交の温床だろ」
「ああ」

 公祐は自虐のような、照れ隠しのような、不思議な笑い方をした。

「もしかしておまえ、出会い系とか利用してる?」
「してないよ」
「ほんとかよ」
「ほんとほんと」

 と笑うが俺の目を見ない。怪しい。

「そういえば、プライベートも忙しそうじゃん。付き合ってる子いるの?」
「うーん、まあ」
「歯切れが悪いな。どっちだよ」
「──いる」

 悩んだ末に公祐は頷いた。

「へえ、どんな子」
「かわいいよ、素直で。なんでも俺の言いなりだから、ちょっと心配なとこもあるけど」
「のろけかよ」
「でも要求が多くて、俺も手を焼いてる」

 と言うわりに顔は緩みまくって幸せそうだ。高校時代、俺には見せたことのない満たされた顔だった。

「そっちこそどうなんだ。奥さんとは」
「まあまあ普通だよ」
「大事にしてやれよ」

 それは公祐からの決別の言葉に聞こえた。俺と公祐の不確かで不明瞭だった恋愛関係は完全に終わりを告げた。公祐が見ている俺は、もうただの友人の一人でしかない。

 口をつけたビールがまずかった。

 俺は公祐とは正反対だ。最近、美緒との夫婦生活はうまくいっていない。美緒に誘われてもその気になれず断ることが増えていた。いざ始めても、中折れして最後までできないこともある。最初は気遣ってくれていた美緒も、だんだん俺の浮気を疑い始めた。

 でも平日はまっすぐ帰ってくるし、土日も出かけなくなったから、確信は持てていないようだ。実際いまは浮気をしていない。

 勃起不全は俺の精神的な問題だった。

 俺はまだ周防が好きだ。気付けば周防のことを考えている。周防に言われた言葉や、触れられた感触を思い出すことが止められない。毎日周防が恋しい。

 会社で会えるのが嬉しかった。たまに話ができると心が浮ついた。それも年末の休みに入ってなくなった。

 また俺を見て欲しい、また俺に好きだと言って欲しいと、勝手なことばかり願ってしまう。

 だから美緒と一緒にいると罪悪感と違和感で気が休まらない。こんな気持ちで美緒に触るのは憚られるし、逆に触れられると緊張する。もう美緒を受けつけなくなってしまっているのだ。

 二時間ほど飲み食いして店を出た。2人ともそこそこ酔っていた。

 駅に向かう道を歩いていたら、公祐のスマホが鳴った。俺に断りを入れて公祐が電話に出る。優しい声と顔で、「どうしたんだ」というのを見て、相手は恋人だろうとわかった。

「うん……うん、そう言っただろ」

 公祐の横顔を見ながら、ふと公祐とキスする自分を想像した。笑ってしまうほど違和感しかない。俺のなかでも公祐はもうただの友人になっているようだ。

「悪い、俺ちょっと行くわ」

 通話を切ったスマホをポケットに捻じ込みながら公祐が言った。

「恋人に呼び出された?」
「うん、近くまで来てるらしいから、悪いけどここで」
「わかった。彼女によろしく。またみんなで飲みに行こう」

 公祐と途中で別れ、1人で駅に向かって歩いた。急に寒さが身に染みる。コートのポケットに両手を入れた。

 周防は今頃、同期の4人と旅行に出かけているはずだった。

 以前、偶然聞いた立花と南の立ち話しでは、年末年始の休みが始まった最初の金土で、穴場の観光スポットへ行こうという計画だった。計画通りなら、今頃は食事を終えて風呂も済ませて、4人で楽しく飲んでいる頃かもしれない。

 立花か南、どちらかとくっつく可能性はゼロじゃない。想像したら腹の底がグルグルと気持ち悪くなった。

 まっすぐ帰る気にはなれず、かと言ってどこか行くあてもなく、電車をおりたのは会社の最寄り駅だった。会社とは反対方向へ歩く。この先に周防のマンションがある。

 行っても周防は旅行で留守だ。もしいたとしても、訪ねてはいけない。行っても追い返されるのがオチ。わかっていても他に行きたい場所がない。

 途中のコンビニに入って、手を温めるために缶コーヒーを一本取った。あてもなく商品の棚を見て回り、興味のない雑誌の表紙を眺めた。

 窓の外を一組の男女が通りすぎるのが目に入った。長身の周防と、髪をおろした南だった。

 驚きと疑問で立ち尽くす。どうして2人が? 旅行中じゃないのか?すぐ我に返ってその場にしゃがみ込んだ。見つかったら面倒なことになる。たっぷり時間を取ってから立ちあがった。2人の姿はない。急いでレジで会計を済ませ、外へ出た。駅の方へ向かって歩く周防と南が見えた。他に連れの姿はない。

 あとを追いかけたい衝動にかられた。なぜ2人なのか。どんな会話をしているのか。今までどこにいたのか。周防の家ならなにをしていたのか。

 気付けば強く歯を噛みしめていた。寒さを感じない。腹の底をグツグツと熱いものが煮えたぎっている。顔だけじゃなく、指先まで火照っていた。

 気持ちを引き剥がして、2人とは反対方向へ進んだ。2人の間になにがあったのか、なかったのか、そればかりを考えていたらいつの間にか周防のマンションに辿りついていた。

 明かりの消えている部屋を見上げながら、周防は戻って来るだろうかと考えた。もし戻ってこなかったら? 2人でどこで何をする気だ? ついこの前まで俺を好きだと言っていたくせに、もう次の女か。

 苛々が募る。大声を出してしまいそうだ。手の缶コーヒーを地面に叩きつけたい。なにかに八つ当たりしないと収まらない。

 マンションの前をウロウロしていたら通行人から不審な目で見られたのでその場を離れた。行く当てもなく周防のマンションの近くを歩きまわった。だんだん冷静になって自分は何をしているんだと情けなくなってきた。

 いつまでもここにいても仕方がない。もういい加減家に戻らないと、美緒もそろそろ帰ってくる時間だ。

 知らない場所を歩きまわったせいで方向感覚が鈍っていた。勘を頼りに駅を目指して歩いた。



こいの徒花【分冊版】 2話


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うすらひ(11/18)

2019.10.29.Tue.
10

 電車と新幹線を使い12時前にN県に到着した。目に入った店で昼食を取り、法務局で用事を済ませ、また駅に戻って電車移動。そのあとタクシーで幸村先生の自宅へ向かった。

「幸村先生って、誰なんですか」
「元議員で、地元の有力者ってやつ。今回の仕入れでいろいろ根回しに協力してくれたから、粗末に扱えない人なんだ。N県に来たのに素通りして帰ったってヘソ曲げられたら困るからね、だから毎回挨拶してるんだよ。いつもは村野がしてるんだけど、あいつ風邪で休みだから」
「2人で出張っていうのは、よくあることなんですか」
「やることいっぱいで人手が必要な時はよくあるよ。部長と2人っきりっていうときもある」

 顔を歪めて言う俺を見て、周防は「ハハ」と笑った。それを見て嬉しく思う。と同時に切なくなる。俺はまだこんなに周防を好きなんだと再認識させられてしまう。

 大きく立派な門の前でタクシーが止まった。勝手口の横のチャイムを鳴らすと「ハイ」と元気な女の人の声。会社名と名前を名乗ると「少々お待ちください」と返事があって、小柄な中年の女の人が出てきた。

 中に通され、立派な応接室で待たされた。大理石のテーブルだとか、鎧だとか、お金持ちと聞いてイメージする通りの部屋だ。

 たっぷり待たされて幸村先生がやってきた。恰幅のいい初老の男。風邪ごときで、と言いかねない年代なので、村野はインフルエンザに罹ったと嘘をついて、事前に村野にメールで聞いておいた手土産を渡した。

 1時間ほど幸村先生と話をしてお暇しようとしたら寿司が運ばれてきた。それをご馳走になり、また幸村先生の長い話が始まった。

 法務局だけなら最悪日帰りでも可能な仕事だが、幸村先生のこれがあるから一泊前提の仕事になる。

 酒を飲んでご機嫌になった幸村先生が、ご自慢の日本刀を見せてやる、と言いだしたときだった。いきなり応接室の戸が開いた。露出度高めの若い女性が俺たちを見て、「お客さんだったの~?」と甲高い声をあげた。

「瑠美ちゃん、どうしたんだい」

 幸村先生からびっくりするほど甘ったるい声が聞こえて俺と周防は思わず顔を見合わせた。

「今日、ご飯行く約束でしょ~。いつまで経っても迎えに来てくれないから瑠美が来てあげたの~」
「ああっ、そうだった、そうだった」
「もう~、しっかりしてよ、ボケるにはまだ早いんだからね」
「ごめんごめん、すぐ支度するからね」

 デレッとした顔だった幸村先生は、ひとつ咳払いをして元の貫禄を取り戻すと「姪の瑠美と約束があるので、悪いが今日はこれで」と女を連れて部屋を出て行った。

 呆然としたまま腰をあげ、さきほどの中年女性の案内で玄関を出た。手配してくれていたのか、門の前にタクシーが待っている。それに乗り込んだ。

「あれ絶対姪じゃないよな」

 ポツリと呟くと「そうですね」と周防が同意した。

「さっき僕たちを見送ってくれた女性は奥様じゃないんですか」
「あれはお手伝いさんだろ。奥さんは確か何年か前に亡くなってたはずだ」
「じゃあ、別に問題ないですね」

 周防は窓のほうへ顔を向けた。

 俺もなにも言えなくなって、駅まで無言だった。

 コインロッカーに預けておいた荷物を取って、ホテルのある駅まで電車に乗った。もうすっかり夜だ。移動ばかりで今日は疲れた。隣の周防もさすがに疲れた顔をしている。

「ごはんどうする?」
「少し食べたいです」
「ホテルの近くで探すか」
「はい」

 電車を下り、ホテルのほうへ歩きながら、途中で見つけた店に入った。さっき寿司を食べたばかりなのに、周防はそんなこと忘れたように注文した。

 食べ終わるとまたホテルに向かって歩く。コンビニに寄って飲み物と下着と靴下を買った。ホテルにチェックインして部屋に荷物をおろした。

 ベッドが二つ並んだ同じ部屋。本当に周防は気にならないのだろうか。こっそり盗み見した周防はベッドに腰かけてあくびをしている。

「先にシャワー浴びていいぞ」
「いえ、久松さん、お先にどうぞ」
「俺はちょっと出てくる」
「えっ、こんな時間にですか?」
「こっちにいる知り合いとちょっと会ってくる。遅くなると思うから、先に寝てて」
「でも」

 何か言いたげな周防に気付かないふりをして、財布と携帯を持って部屋を出た。

 こっちに知り合いなんかいない。周防と2人きりの空間が気まずくて、咄嗟についた嘘だ。

 寝るまでの間がもたない。なにを話せばいいのかわからない。風呂上がりの周防を見て平常心を保てる自信がない。だったらあいつが寝るまで外でいたほうがましだ。

 駅に戻る道を歩いて、明かりがついている飲み屋に入った。一品料理と酒を注文して、スマホを見ながら時間を潰す。

 30分が限界だった。いま帰っても周防はまだ起きているかもしれない。仕方なくまた酒を頼み、チビチビ飲んだ。さっきから溜息ばかりが出る。

「久松さん」

 驚いて振り返ると周防がいた。まだスーツ姿だ。

「おまえ、なんでここに」
「心配であとをつけたんです。知り合いの方はまだ来ないんですか?」

 俺を心配してくれたのか。それが嬉しいのに、なぜか腹が立った。俺を好きじゃないなら、もう優しくしないで欲しい。思わせぶりな態度を取らないでくれ。

 ハッとした。これは俺がいままで周防や公祐にしてきたことだ。人の気持ちを知った上でそれを弄ぶような、傲慢な行為。やったことが全部自分に返ってきている。

「知り合いは遅れるって連絡があった」
「じゃあ、来るまで隣にいていいですか」

 返事を待たずに周防は隣に座った。周防のいる左側がじんわり温かい。

「嘘だよ、知り合いは来ない」
「だと思いました。もうホテルに戻りませんか」

 俺の顔を覗きこんで言う。俺と違い、下心のない純粋な優しさだとわかる。だから余計、自分のしてきたことが恥ずかしかった。子供みたいに頷いて、周防と店を出た。

「悪かったな」

 周防の顔を直視出来ず、視線を前に向けたまま言った。

「僕と同じ部屋が嫌だったんですよね」
「違うよ、ただ、気まずかったんだよ」
「僕もです。ほんとは同じ部屋で一晩過ごすことにすごく抵抗がありました。2人だけの出張も、本当は嫌だったし、断りたかった」

 これが包み隠すことのない周防の本音だろう。それを聞いて落ち込む俺は、まだどこかで期待していたらしい。予定だったら今月は周防と泊りでどこかへ出かけているはずだった。それが仕事とは言え思わぬ形で実現した。気まずさはあっても、俺は少し浮かれていた。そして周防も同じなんじゃないかと、いまだに淡い期待を抱いていた。

 それが完全に否定されて、体から力が抜けていく。歩く足を前に出すのさえ大儀だ。

「だったら、ツインは嫌だって言えばよかったじゃないか」
「仕事だから我慢しようと思って」

 がまん、と口のなかで呟く。自虐的な笑みが自然と口に浮かんだ。

「周防はこのままホテル帰れ。俺はどこか空いてるホテルがないか探してみる。なかったら漫喫でもいいし」
「どうしてですか?」

 周防はびっくりした顔でこちらを向いた。俺はその反応に面食らった。

「俺といるのが嫌なんだろ?!」
「嫌じゃないですよ」
「はあ? さっき嫌だけど仕事だから我慢するって、おまえが言ったんだぞ?!」

 周防はキュッと唇を引き締めた。俺をじっと見つめていたかと思うと、前に向き直り「そうですね」と気の抜けた返事をした。

「最初はそう思ってたんです。でも今日一日一緒に行動して、そんなに嫌じゃなかったんです。久松さんはやっぱり頼りになる先輩だし、一緒にいて楽しかったです。だから余計に、どうして嘘をついたのかって、すごく腹が立つときもありましたけど、それも僕がまだ久松さんに気持ちが残ってるからなんですよね」

 前を向いたまま訥々と喋る周防の横顔を見つめた。

「前は好きじゃないって言いましたけど、本当はまだ好きなんです」

 噛みしめるように周防が言う。胸が締め付けられた。思わず「俺もだ」と言ってしまいそうになる。

「でも、今日一緒にいて、久松さんのことを諦められるような気がしてきました」
「……なんで?」

 自分でも泣きそうな声だと思った。周防は微かに笑った。

「だって、前みたいに普通に話ができるようになったきたじゃないですか。前はそれすら無理でした。でも今は同じ部屋でも平気だし、こうして追いかけて来ることもできた。久松さんとのことは忘れて、ちゃんと終わらせられる気がします。だから久松さんも早くそうしてください」

 吹っ切れたような口調と、軽い足取り。俺が立ち止まるとどんどん距離は開いて行った。周防の背中を見つめる視界が滲む。奥歯を噛みしめ、足を動かした。

 俺が遅れていることに気付いた周防の歩調が緩む。

 頼むからもう優しくしないでくれ。俺を気にかけないでくれ。

 そのあと突き放されるくらいなら、無視されたり避けられてるほうがましだった。

 ホテルでも、帰りの移動車のなかでも、俺たちは口数こそ少なかったが、それこそどこにでもいる会社の先輩後輩として振る舞うことができた。

 俺のほうは胸を締め付けられるような痛みをことあるごとに味わったが、周防のほうはいたって普通にお土産の話なんかをしていた。

 新幹線で周防は居眠りを始めたが、俺は一睡もできなかった。




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うすらひ(10/18)

2019.10.28.Mon.


 肌寒い朝だった。着々と秋が深まっているのを感じる。今日はニットのベストを着て出社した。一階のエレベーターホールで村野と一緒になった。

「おはよう」
「おす。今日寒いな。俺ヒートテック着てきたわ」
「今年もあと二ヶ月だからな」
「来月のボーナスだけが生き甲斐だわ」

 笑い声が聞こえて振り返ると立花と南がいた。2人と朝の挨拶をする。その後ろに気まずそうな周防が立っていた。

「おはよう、周防」
「おはようございます」

 俺と目を合わさないで頭を下げる。先月、仕事場では普通にして欲しいと頼んでから、周防は律儀にそのようにしてくれた。まだぎこちなさはあるし、積極的に話しかけて来ることはないが、最低限の会話はしてくれるようになった。

 これが「普通」と呼べるまで元に戻った時、俺たちの関係は完全に終わってしまうんだろう。こんな終わり方は不本意だが、周防が拒絶している以上俺にはどうしようもない。

「ボーナスが出たら何に使うか決めてるんですか?」

 立花が俺たちに話しかけてきた。

「俺んちは半分は家のローンで、半分は家族旅行かな」

 村野が答える。

「久松さんは?」
「俺は貯金かな」
「奥様と旅行には行かれないんですか?」

 立花の何気ない言葉。ハッとして思わず周防を窺い見た。周防もぎくりとした顔つきをしていた。俺と目が合うと、慌てて横を向く。

「向こうは年末年始忙しいからね。あっちが休みに入るころ俺は仕事だし。お互い実家に帰省するくらいで、なかなかね」

 降りてきたエレベーターにみんなで乗り込んだ。前から順番に入って振り返る。今度は周防が俺の前になった。見上げる後頭部。刈りあげられた襟足。最近散髪したらしい。

「周防は何に使うんだよ」

 村野に声をかけられた周防は、首だけ動かしてこちらを向いた。満員のエレベーターで身動きが取れないのだ。

「僕は貯金ですかね」
「つまんねえな。彼女いないのかよ」
「いませんよ」
「まぁ、お前はモテなさそうだもんな」

 村野の失礼な言葉に周防は苦笑して頷く。俺は隣で腹を立てた。何か言い返そうとしたら、

「そんなことないですよ」

 立花に先を越された。

「周防くんて、実はけっこうモテますよ。ね、香織」

 香織と呼ばれた南が立花の隣でウンウンと力強く頷いている。

「この前同期の4人でご飯食べに行ったんですけど、そこの店員さんが元バレー部で周防くんのこと知ってたらしくて、連絡先交換してくださいって、声かけられてたんですよ」

 そう話す立花は誇らしげだった。村野に言い返したかった俺としても誇らしいが、同時に少し複雑でもあった。嫉妬で目が曇った村野に見えないだけで、周防がかっこいいことなんて、誰も彼もが知っている事実だったのだ。

 周防は作ろうと思えばすぐ、恋人を作れるだろう。そして俺のことを忘れ、俺にしたように毎日好きだと伝え、優しくしてやるのだろう。

 腹が捻じれるような不快感があった。嫉妬なんてできる立場じゃない。嫌だと思う資格すら俺にはないのに。

 周防は恐縮しているのか、背を丸め小さくなっていた。この男は、いつか誰かのものになる。それもきっと、そう遠くない未来に。

 エレベーターを出て、自分たちの部署へ行き、デスクにつく。つい目が周防を追う。周防の隣に立花がいて、何かを話している。立花がそっと周防の腕に触れた時、カッと腹の中が熱くなった。

 仕事仲間にさえこんなに嫉妬してしまうのに、周防に恋人ができた日には、俺はどうにかなってしまうんじゃないだろうか。それまでに、周防を諦めないといけない。終わらせなくてはいけない。

 集中して仕事をこなし、昼は村野と一階のカフェにおりた。今日は雨だからか、周防も立花と南と一緒にやってきた。3人は俺たちの近くのテーブルに座った。

 聞いちゃいけないと思っていても、つい3人の会話に聞き耳を立ててしまう。一通りお互いの仕事の話を共有しあったら、「そろそろ申し込まないと、どこもいけなくなると思うんだよね」と立花は旅行のパンフレットをテーブルに出した。

 南と周防が身を乗り出し、パンフレットを覗きこむ。どうやらこの面子で旅行に行くつもりらしい。

 ほとんど上の空で村野に返事をしながら、俺の意識は完全に周防たちの会話に持って行かれた。

「名取くん、ほんとに行く気あるのかな? 連絡してもぜんぜん返事くれないし」

 パンフレットをめくりながら南が口を尖らせる。

「何日までに連絡なかったら不参加ということで、ってことにしとけばいいよ。計画全部私たちに丸投げだし、正直いてもいなくてもって感じだしね」

 仕事ができる立花らしい言い方だ。でも待てよ、そうなったら……

「名取くんが来ないなら、僕も不参加ってことで」

 周防の言葉を聞いて安心した。もしメンバーが周防、立花、南、名取の4人なら、名取がいないと男は周防1人だけになる。誰かと間違いが起こったり、仲が発展する可能性だってある。旅行とは、それだけ親密になれる行事だ。

「周防くんは一緒に行くの。男1人だからって遠慮しないで。だって休みの間、どこにも行く予定ないんでしょ。だったらみんなで遊びに行こうって決まった話なんだから」

 朝のエレベーターでの会話といい、立花の口から俺の知らないことが色々明かされる。パンフレットが用意されているということは、以前から予定について話し合っていたということだ。いったいいつ、そんな話をしていたのかと、そんなことが気になった。

「立花さんと南さん、二人だけのほうが気楽で楽しいと思うよ」
「同期の親睦深める目的もあるの。わかった、ぜったい名取くんも連れてくから。それならいいでしょ?」

 立花に押し切られるように、周防は頷いた。

 午後からの仕事はあまり集中できなかった。頭の隅にずっと周防たちが行く旅行のことが居座っていた。男女で泊りの旅行。ただでさえ仲のいい周防たちは、これからも絆を深めていくだろう。いまは友情とか仲間意識かもしれないが、いつか恋愛感情に変わるかもしれない。

 俺には関係ないと割り切るには、まだ時間が足りなすぎた。

 ※ ※ ※

 その日、出勤すると部長に呼ばれた。「急で悪いが」とN県への出張を頼まれた。なんでも今頃になって必要書類に不備が発覚したから、N県の法務局まで行ってくれということだった。

「ついでに幸村先生のところへも、挨拶頼む」
「それは村野の担当では」
「村野は今日は風邪で休みだ」

 そういえば昨日は体の節々が痛む、と言っていたっけ。

「周防も行かせるから、仕事を教えてやってくれ」
「えっ」

 大きな声が出た。

「法務局だけなら周防1人で行かせるんだが、幸村先生のところは新人に行かせるわけにはいかないだろ。紹介も兼ねて、あいつも連れて行ってくれ。今後なにかと関わることがあるかもしれないからな」

 呆然としていると、周防が横へやってきた。

「お呼びですか」
「説明は久松から聞いてくれ」

 しっしと手で払われた。困惑顔で周防が俺を見る。俺は呻った。

 とりあえず時間がないので周防をつれてデスクへ戻る。N県へ行く理由を簡単に説明しながら、会社指定のサイトを使って新幹線とホテルの予約をする。

「ああ、クソ、ツインしか空いてない」

 周防をここに泊めて俺はほかに泊まろうか。実費になるが仕方がない。

「僕は構いません。久松さんが嫌じゃなければ」

 ぎょっと周防を見た。パソコンを覗きこむためにすぐ近くに顔がある。目が合うと周防は体を反らした。

「すみません」

 なにが。顔が近かったことに対して?

「いや、別に。本当にいいのか?」
「はい」
「じゃあ予約するぞ?」

 何度確認しても周防は「はい」と頷いた。気まずくないのだろうか。俺は気まずいし、めちゃくちゃ意識しているのに、周防はもう平気なのか。予約を確定させる指が少し、震えた。

「今すぐ帰って一泊分の荷物まとめてこい」
「久松さんは?」
「俺はあっちで適当に揃える」
「じゃあ僕も」
「おまえは家が近いだろ。引っ越したばっかなんだから無駄使いはやめとけ」

 俺のために引っ越しをさせたようなものなのに、こんなことになって申し訳ないとずっと思っていた。周防もきっと後悔しているに違いない。

「俺は総務に連絡とかあるから、その間に用意しとけよ」

 はい、と返事をすると周防は自分のデスクへ戻った。鞄を持って走るようにフロアを出て行く。

 大きな溜息が出た。周防といると緊張する。体も強張っていたらしく、いなくなってから力が抜けた。こんなので周防と2人で出張なんて大丈夫だろうか。

 総務部に出張依頼のメールを送り、少し時間を置いてから確認の電話をかけた。その場で承認をもらうい、次に村野にメールを送った。そのあと必要書類の確認。仕事の引き継ぎを終えた頃、周防が戻ってきた。手に大きめの鞄。

 俺のせいでなくなった周防との旅行。仕事とは言え実現するとは。少し浮かれてしまう自分がいる。




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うすらひ(9/18)

2019.10.27.Sun.


 仕事終わり、うろ覚えの道をなんとか迷わず歩いて周防のマンションへ到着した。手ぶらもあれかと思って途中のコンビニで酒やらおにぎりを買ってしまったが、誠意がないと思われたりしないだろうかと部屋の前に立ってから後悔した。

 周防は俺より先に退社していた。寄り道していなければもう部屋にいるはずだ。もしいなくても、部屋の前で待つつもりだった。

 いきなり訪ねて驚かせるのも悪いと思って、インターフォンを鳴らす前に周防に電話してみた。かすかに中から呼び出し音が聞こえるが途切れる気配はない。周防は帰宅している。扉一枚隔てたこの中にいる。

「いまから周防の家に行っていいか?」

 メールを打った。送信しようとして、これを見た直後にチャイムが鳴ったらホラーだよな、と送信ボタンを押す指をためらった。着信をシカトされた。メールもきっとシカトされる。

 騙し討ちのようだが、メールは送信せずにインターフォンを鳴らした。応答はない。扉も開かない。モニターで俺だとわかって無視することに決めたのだろう。

 今日こそちゃんと話をしようと決めてきたんだ。俺も引き下がれない。意地になってもう一度チャイムを鳴らした。それが通じたいのか、『……はい』と低い周防の声が聞こえた。

「突然ごめん、久松だけど、開けてくれないか」
『……すいません、いま飯食ってて』
「待つよ。とりあえず入れてくれ」
『ご用件はなんでしょうか』
「わかってるだろ。俺たちのことをちゃんと話し合いたい」
『話なら終わりましたよね。資料室で』
「あんなんじゃなくて、もっとちゃんとした話し合いをしたいって言ってるんだ」
『必要ないと思います。久松さんが結婚していたことがわかった時点で終わったことですから。今日も奥さんが待ってるんですよね。早く帰ったほうがいいですよ』

 ほんの数日前までは、甘く蕩けた顔と声で好きだと言って憚らなかった周防が、いまは別人みたいに冷たい。当然のこととは言え、扉を開けてもくれない仕打ちは堪えた。

「……入れてくれないなら、ここで暴れるぞ」

 インターフォン越しに周防の溜息が聞こえた。

『どうせ、できないでしょ』

 ショックを受けると同時に、頭のなかで何かが切れた。

 鉄の扉に飛び掛かり、殴って蹴って暴れながら周防の名前を叫んだ。こんな真似、今まで一度もしたことない。できないと言う周防の冷めた口調がショックだった。見捨てられたくないと、藁にも縋る思いだったのだ。

「やめてください!」

 扉が開いた。慌ててやってきた周防が隙間から怒った顔を見せる。前はいつでもこの部屋に来ていいと言っていたのに、今は10センチほどしか扉を開けてくれない。

「なに考えてるんですか」
「おまえが、どうせできないって言うから」

 眉間にしわを作った険しい顔で、周防はしばらく俺を見ていた。根負けして「10分だけなら」と渋々扉を開けてくれた。

 前回来たときと比べて部屋がずいぶん片付いていた。段ボールはなくなっているし、衣装ケースは奥の寝室で秩序を保って並んでいる。前はなかったテーブルとソファもある。このテーブルはあの家具屋で買ったものだろうか。思い出すと腹の底がずんと重くなった。

 テーブルには食べかけのコンビニ弁当。食事中というのは嘘じゃなかったらしい。

「どうぞ、座ってください」

 俺にソファを勧め、周防は床に正座した。弁当に蓋をしてテーブルの端に寄せる。

「周防の家なんだし、おまえがソファに座れよ」
「いいですから」

 厳しい口調で遮るように言う。ソファに座るか迷って、結局周防の正面の床に座った。

「これ、途中のコンビニで買ったやつ。よかったら」
「ああ、すいません」

 無感情に言うと、受け取ったコンビニの袋を中身も見ないで横に置いた。雑な扱われ方はいまの俺と同じだ。

「それで、まだなにを話し合うって言うんですか」

 そう切りだされるとぐうの音も出てこない。会話の糸口。なにかとっかかりを。

「周防に……、謝りたくて」
「謝罪ならもう聞きました。それに謝る相手は僕じゃなくて、奥さんですよね」

 俺のことが好きだとひたむきに見つめてきた目が、いまは厳しく俺を見据えていた。好ましく思っていた嘘や保身のないきれいな目が、いまは刺さるように痛い。

「やっぱり怒ってるよな」
「怒るというより、ショックでした。自分が不倫の片棒を担がされていたことが」
「ほんとに最初からそういうつもりじゃなくて……、断るつもりだったからわざわざ言う必要もないと思って」
「断るつもりだったなら、どうしてあの日、エレベーターのなかで僕とキスしたんですか」
「それは……、俺もしたいと思ったから」

 言葉を選んで少し言い淀む。

「断るつもりだったんでしょう?」
「最初は。でも、だんだん」
「だんだん?」
「俺も、周防のことが……好きになって」

 俺がやっとの思いで吐き出した言葉を、周防は悲しそうな顔で受け止めた。

「初めて好きだって言ってくれましたね。いま聞いても、むなしいだけですけど。今まで言ってくれなかったのは僕に言質を取られないためですか?」
「そんな言い方しなくたって」
「どう言えばいいんですか。久松さんは結婚しているのに喜べるわけないでしょう」
「だからそれは何度も謝ってるだろ」
「いつまで黙っているつもりだったんですか?」

 追及の鋭い目が俺を射貫く。たじろいで、取り繕うことも出来ずに間が空いた。

「ずっと黙っている気だったんですか?」

 いつ本当のことを話そうか、それは俺も考えてはいた。でも具体的なことはなにも決めていなかった。いつかバレると思いながら、どこか楽観的で、憂鬱なことを先送りにした。そんなことをしても良いことはないとわかっていたのに。

「でも……、周防だっていつか結婚するだろ」
「それはまだわかりません」
「いつまでも男同士で続けられるとは思ってなかっただろ。まさか俺と墓場まで一緒にいられると思ってたのか? 思ってないだろ?」
「そんな先のことは考えてなかったけど、別れる前提で久松さんといたわけじゃありません。ずっと長く一緒にいられたらいいと思っていました。でも、久松さんは違ったんですよね。結婚してるのに俺の告白を受け入れてくれたのは、最初から遊びだったからなんですよね。そりゃあ気軽に男と付き合えますよね。本気じゃないんですから」

 確かに最初は遊びの感覚だった。男同士がどういうものか、俺にベタ惚れの周防で試して、一通り楽しんだら後腐れなく終わらせる気だった。

 周防の気持ちなんて、なにも考えていなかった。

 自分でも予想できなかったのは、本気で周防を好きになってしまったこと。まさかこんなにのめり込むなんて、想像もしていなかった。

 その気持ちまで否定されたら、俺も黙っていられなかった。

「勝手に俺の気持ちまで決めつけないでくれよ。ほんとにただの遊びだったらもうとっくにおまえとは終わってる。そりゃ最初は不純な動機だった。それは認める。でも今は違うって、俺の態度でわかんなかったのかよ。誰だってよかったわけじゃない。周防だったから、俺も本気で好きになれたんだ。その気持ちまで嘘だって決めつけないでくれ。そんなの、寂しいだろ」

 周防に拒絶されることがこんなに苦しいことだと思いもしなかった。思い返せば、俺は周防に自分の気持ちを素直に表現してこなかった。いつも与えられるばかりで、その優越感に浸っていた。

 公祐のときと同じだ。自分に示される好意が気持ちよくて、それを引きだすために気のあるようなふりをした。公祐の気持ちをないがしろにして、自慰行為をしていたようなものだ。だから公祐は俺に告白してこなかった。そして最終的に俺を諦め、吹っ切った。

 俺はまたそれを繰り返そうとしている。

「久松さんの言うことはなにも信用できません」

 周防は目を伏せて硬い声で言った。周防の言うことはもっともだ。

「もう、出て行ってもらえませんか。10分経ったし……、明日も仕事なので」
「でも、周防」
「迷惑なんです」

 好きだという気持ちを雄弁に語った周防らしく、こんなときも容赦がない。

 もう少し話を、と粘ることもできた。でも俯いた周防が怒っているようで泣く寸前のような顔をしているのを見たら、これ以上わがままは言えなくなった。

「飯時にごめん」

 立ちあがり、鞄を持った。

「もうなにを言っても信じてもらえないかもしれないけど、俺は周防を好きだったし、いまも好きだよ。結婚してる俺がこんなこと言うのは間違ってるってわかってるけど、もう周防に嘘はつきたくないし、これが俺の本当の気持ちだから」

 俯いたまま周防はうんともすんとも言わない。

「最後に一個だけ聞かせてくれ。もう、俺のことは好きじゃない?」
「……好きじゃありません」

 顔を歪めながら、絞りだすように周防は言った。

 自分できいておいて、切りつけられたように胸が痛んだ。俺を見ない周防を見ていたら「本当か?!」と肩を揺さぶりたくなる。そんなかっこ悪い真似はさすがにしたくない。

「できれば仕事場では普通に接して欲しい。勘づく奴らも出てくるし、お前の評価が下がったら嫌だから」

 周防は微かに頷いた。

「最初からやり直したいよ。ちゃんと結婚していることを話して、先輩後輩よりちょっと仲のいい友達みたいになりたかった。周防と一緒にいるのは、本当に楽しかったから」

 最後、声が濁った。目の奥が熱くなって、顎が震えた。幸い周防は俯いたままだ。素早く横を通りすぎ、見送りのないまま、周防の家をあとにした。



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うすらひ(8/18)

2019.10.26.Sat.


 翌朝、周防に会うのが怖くて仕事を休もうかと思った。

 昨夜は周防からメールか電話がかかってくるんじゃないかと思ったが、なにもなかった。あいつも俺からの連絡を待っていたか、混乱してメールどころじゃなかったのかもしれない。

 一番考えたくないのは、周防がもう俺を切りすてた可能性だ。

 あいつの性格を考えたら充分あり得た。だから仕事に行くのが怖かった。

 問題を先延ばしにしていいことは何もない。だから仕方なく出社した。

 出勤済みの周防はすでに自分のデスクにいた。そのそばには南と立花がいて、3人で和やかに談笑中だ。その顔は普段通りに見えた。

 仕事場でする話でもないから、周防のことは気になりつつもいつも通りに仕事をした。周防は頑なに俺を見ようとしない。目が合うこともないまま午後になった。

 村野から資料取ってきてと言われた周防が、資料室に入って行くのが見えた。すぐ追いかけたい衝動にかられる。周防と面と向き合うのはとてつもなく怖い。でもこのままの状態で放ったらかしにされるほうが倍怖くて、居心地が悪い。

 責められるなら、とことん責められたい。そのほうがこちらも言い訳のチャンスがあるような気がする。

 人間というのは、目の前に絶望の暗い穴がぽっかり空いているとわかっていても、そこを覗きこまずにはいられないのだろう。

 急いで資料室へ向かった。30平米ほどの広さに出入り口を残してコの字に棚が囲み、その中は人が一人通れるだけの隙間を残して縦に棚が並んでいる。

 周防は出入り口の正面に立っていた。入ってきたのが俺だとわかると、うろたえた顔を見せた。

「探しもの?」
「……はい、まあ」

 他人行儀な受け答え。俺から目を逸らすと資料探しに戻る。

 部屋の中を端から見て他に誰もいなことを確かめた。

「昨日のことだけど」
「はい」
「ちゃんと話をしたいから、今日、時間ある?」
「僕は、なにも聞きたくないです」
「俺にききたいこととか、言いたいことがあるだろ」
「なにもないです」

 予想していた最悪な可能性が的中した。

「俺はある。だから時間を作って欲しい」
「嫌です」
「周防っ」

 頑固な周防に腹が立って声が大きくなった。周防は俺をちらりと見ると、ため息をついた。

「久松さんが結婚していたこと、立花さんも南さんも知ってたそうです。でも僕は知らなかった。指輪もしてなかったし、久松さんもなにも言わなかったから」
「指輪は……、前に一度失くしかけたことがあって、普段から外してるんだ」
「だったらどうして僕が告白をした時に結婚してるって断ってくれなかったんですか。黙ったまま思わせぶりな態度を取って、挙句に僕の気持ちを受け入れるなんて、久松さんがなにを考えているのか僕にはわかりません」

 資料を掴む周防の手に力が籠る。

「それは俺が悪かったよ。他の奴らは俺が結婚していることを知っているからつい周防も知ってるんだと、確かめもせず思いこんだんだ。それは本当に俺が悪かった」

 この期に及んで俺は保身のために嘘をついた。1人で抱えきれない罪を、周防にも肩代わりさせようとした。

「そうですね、確かめなかったのは僕も悪かったと思います。既婚者だと知っていたら、好きにはなっても告白はしなかったと思います。突っ走った僕が悪かったです」

 怒りを孕んだ周防の声だった。俺にも怒っているだろうが、自分自身にも腹を立てているように聞こえた。

「周防から告白されたことにびっくりして言うのを忘れてたんだ。どういう意味の好きなのかまだよくわからなかったし、ただからかわれているだけかもしれないし」
「からかったりしません」
「それはわかってるけど、男に告白されたことなんて初めてだったんだ。俺だって混乱したんだよ。それは理解してくれ」

 ぎゅ、と唇を引き締めて周防は下を向いた。よく見ると顔色がいつもと違う。今日は瞼の二重が三重にもなっているし、目の下にうっすら隈も見える。

「もしかして、昨夜、寝てないのか?」
「久松さんは平気で眠れたんですか」

 初めて周防が俺を詰るように見た。

「平気なんかじゃなかったよ、俺だっておまえに連絡しようかどうしようかずっと迷ってた。でもどれも言い訳になるし、メールで済む内容じゃないし、ちゃんと会って話さなきゃと思ったんだ。周防を傷つけて平気なんかじゃなかったよ」
「でも久松さんはずっと僕と奥さんに嘘をついてきたんですよね」

 核心を突かれて言葉に詰まった。

「久松さんはいつも帰りの電車の時間を気にしてるんだと思ってました。でもあれは奥さんが待っているからだったんですね。外泊しないのも、奥さんに怪しまれないためだったんですよね。今になってわかりました」
「それはだって……俺の立場もわかってくれよ」
「奥さんがいるのに不倫するような人の立場なんかわかりたくないです」
「子供みたいなこと言うなよ」
「どうせ僕は子供です」

 周防は資料を抱え直し、俺に背を向けた。

「周防、待て」
「話なら聞きました。もういいですよね」
「まだ終わってないだろ」
「まだ何か?」

 肩越しに俺を見る。その目の冷たさに体がすくんだ。

「これから……俺たちはどうなるんだよ? 来月の旅行も……」
「そんなのあるわけないじゃないですか」

 俺を避けるために反対の通路か迂回して周防は資料室を出て行った。背後でバタンと扉が閉まる。空調の音が耳鳴りみたいに頭のなかで響いた。

 ※ ※ ※

 それから周防は露骨と言っていいほど俺を避けた。前のように仕事中、俺を見てくることはないし、通路で鉢合わせしそうになったらくるりと背を向けるし、仕事でどうしても話をしないといけないときは必要以上の距離を取って慇懃無礼なまでに丁寧でよそよそしい。

 メールをしても返事はない。電話をしても出てくれない。ひと気のないところで呼び止めると「急いでいるので」と話も聞かない。強硬手段で腕を掴んだ時はぎょっとした顔とともに「やめてください」と腕を振り払われた。

 あんなに好きだと言われてきた男からの強い拒絶にさすがに傷ついた。

 俺が悪いことはわかっている。だから謝りたい。言い訳を聞いて欲しい。前と同じように戻りたいなんて虫がいいことは言わない。せめて、普通の先輩と後輩でいたい。仕事にも影響するくらいいまの状態は悪い。このままじゃ、他の誰かに気付かれてしまう。

 何があったのか、周防はベラベラ喋るような奴じゃない。俺も言えるわけがない。そうすると周防の評価が下がる。それだけは避けたい。

 会社のなかでできる話じゃない。呼び出そうにも周防は俺の連絡をすべて無視する。だからもう、周防のマンションへ行くしかなかった。



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うすらひ(7/18)

2019.10.25.Fri.


 今日は秋冬用のカーペットを買いに家具屋へ行く予定だった。

 ソファに座ってテレビを見ていたら、準備のために部屋のなかをバタバタ動いていた美緒が「洋ちゃん、これ、忘れてるよ」と俺の目の前に指輪を突きだした。

「ああ、ごめん」

 受け取り左手の薬指に嵌める。

「2人で出かけるときはちゃんとつける約束でしょ」
「忘れてただけだって」

 もう、と口を尖らせながら、美緒はまた寝室へ戻った。

 結婚した当初は毎日指輪をつけていた。でも一度失くしかけてからは休日以外外すようになった。「まだ独身気分を味わいたいんでしょ」と最初は文句を言っていた美緒も、一度自分が仕事場のトイレに忘れてからは「無くされるよりはまし」と容認してくれるようになった。

 そのかわり休日は絶対つける、と約束した。今日は本当に忘れていただけだ。

 指輪を弄りながら、周防のことを思った。

 同僚は全員、俺が結婚したことを知っているが、新入社員の周防はおそらくまだ知らないだろう。騙すつもりじゃなかったが、結果的にそうなってしまった。

 周防に告白された時は、適当に好奇心を満たしてから、後腐れのないように関係を終わらせるつもりで、バレたらバレた時だとあえて俺からは言わなかった。「関係」と呼べるようなものにする気すらなかった。

 一時の気の迷い、ただの火遊び、思い出作り、その程度で終わらせようと思っていたのに。まさかこんなにのめり込むとは思わなかった。

 結婚していることがバレたとき、周防はどういう反応をするだろう。潔癖な反応しか思い浮かばない。怒るだろう。俺を責めるだろう。そしてすぐ俺との関係を終わらせるだろう。今後、仕事以外では会話すらなくなる。そんな未来が容易に想像できる。

 できればずっと黙っていたい。でもいつか必ずバレる。その前に俺から言うべきか。バレたとき、知っていると思っていたととぼけるべきか。

 悩んでいたら、「お待たせ、行こう」と美緒に肩を叩かれた。

 近所のスーパー以外で、2人で出かけるのは久しぶりだ。美緒は百貨店の販売員だから休みは不規則で基本俺とは合わない。だから周防と週末出かけることができていたわけだが、最近「いつも週末出かけてるみたいだけど、誰とどこに行ってるの?」と探りを入れられた。

 周防のことは、俺が新入社員の教育係りになったときに美緒には話してあったから、あのときの後輩だよ、と嘘をつく必要はなかった。男同士だから、仲がいいんだね、と微塵も疑われない。

 来月の休みに周防と泊りで出かけるかも、と言ったときも、良い顔はしなかったが反対もされなかった。

 男同士はこういう時都合がいい。

 駅から電車に乗って移動した。今日行く店は美緒がネットで見つけた家具屋で、北欧家具を多く扱っている店らしい。

「そういえば後輩の周防くん」

 いきなり美緒の口から周防の名前が出てきてギクリとした。

「え、周防がなに」
「バレーの選手だったんでしょ。この前何気なく検索してみたら出てきたんだけど、けっこう強かったんだね」

 とスマホを俺に見せてきた。高校バレーの試合の記事だ。アタックを打つネット越しの選手の画像。よく見ると周防だった。思わず顔を近づけて見た。

 今より髪が短くて、顔つきも幼い。でも試合中とあって目付きは鋭い。

 記事の下のほうに別の写真もあって、「試合に勝って仲間とハイタッチする××高校主将の周防選手」と笑顔の周防がいた。くしゃりと顔を潰した笑い方。見ているこっちまで顔がほころぶ。

「絶対モテてたよね、この頃」

 画面を覗きこんで美緒が言う。

「高校のときは誰とも付き合ってなかったらしいよ。付き合ったのは、大学でひとりだって言ってた」
「嘘ぉ。部活に集中してたのかな。今は? 彼女いるの?」
「彼女はいないよ」

 彼氏はいるけど。

「性格に問題あるの?」
「ないよ、すごく真面目でいい奴だよ」
「絶対女の子が放っておかないでしょ。本人が気付いてないだけなんじゃない?」
「その可能性はあるかも」

 南と立花の顔が頭に浮かんだ。

「今度家に連れておいでよ。いつも洋ちゃんから話しを聞いてるから、なんだか他人って感じしないし」
「そのうちね」

 そんな日はきっと永遠にこないだろうけど。話を合わせる罪悪感がないわけじゃない。俺は心のどこかで、いまの生活がずっと続くと高をくくっていたのだ。だから美緒にも周防のも、平気で嘘をつけたし、騙すことができたのだ。

 ~~~

 店は家具屋というより、カフェのような外観だった。実際店の入り口にはテーブルと椅子が置いてあって、客がコーヒーを飲んでいた。よく見ると店に入ってすぐの場所にカフェがあった。

 2階建てで、1階はファブリック類、2階に大型家具が展示されていた。美緒は目を輝かせて色々見て回った。今日買う予定じゃないものまで手に取って俺に感想を求めてくる。これを時間の無駄だと思っていたら結婚生活は続けられない。

 やっと目的のカーペットコーナーへ辿りついた。あれがいいこれがいい、と手触りやサイズを見ていたが、値段が高い、と買わずに店を出た。

 結局、新婚当時に家具を買い揃えた大衆向けの家具屋へ行くことになった。そこでも美緒は必要のないガーデニング用品やカーテンを見て回る。いい加減歩きつかれてソファ売り場で座って休憩をした。

 待つ間暇なので周防の記事を検索する。注目選手だったらしく、電車で見た記事以外にもいくつか出てきた。アタックを打つ直前の綺麗なフォームの写真や、ブロックが決まってガッツポーズを取る写真なんかが出てきた。ユニフォームに身を包んだ若き周防は文句なしにかっこよかった。

 美緒が言う通り、絶対モテただろう。バレーに集中するために告白を断ってきたのか、本当は付き合っていたのか。今度会ったとき、そのへんを突いてみよう。きっと恥ずかしがって慌てるだろう。

「なにニヤニヤしてるの」

 いつの間にか美緒が戻って来ていた。

「周防の記事読んでた。会社の後輩がネットにのってるって変な感じだよ」
「わかる。私の先輩がカリスマ販売員ってテレビ出たときも、なんか別人みたいに見えたもん」

 それよりこれどう、と美緒はランチョンマットを俺に見せてきた。どうせ美緒がよく見ている料理ブロガーの影響だろう。使わないだろ、と思ったがこういう場合は「いいんじゃない」が最適解だ。

「ソファも欲しいよね」
「あるじゃん」
「あれは急いで買っちゃったから、なんか妥協したっていうか。革張りより布製のが良かったな」

 美緒は近くのソファに腰を下ろした。北欧家具屋でもソファを見ていたっけ。

「布製は汚れたら終わりでしょ」
「カバーするもん」
「それより俺はこたつが欲しいな。そろそろ寒くなってきたし」
「こたつはだめ、いらない。置いたら部屋が狭くなるでしょ」
「冬はどうするの」
「こたつ以外にも暖房があるじゃない」
「冬はやっぱこたつでしょ」
「だーめ。マイホームを手に入れたら買ってもいいよ」
「当分先じゃん」
「頑張って頭金貯めよう!」

 俺の肩をポンと叩いて、「ちょっと食器見てくるね」と美緒はまた売り場巡りへ戻った。元気だと感心する。

 いつまでも売り物のソファに座っているのもな、と俺もベッドコーナーへ移動してみた。興味のないベッドを見ながら、周防の家にこたつを置けないものか、と考えた。引っ越し祝いに買ってやろうか。あの家具ひとつ置いてない部屋はあまりに殺風景だ。

 そうだ、あの部屋にはテレビもテーブルもなかった。テーブルくらいなら、安いやつを買ってやれないこともない。そういえばソファ売り場の近くにテーブルが置いてあったな、と振り返ったときだった。

 こちらをじっと見ている長身の男と目が合った。私服だったが、それが誰かすぐ、わかった。

 ゾ、と全身から血の気が引いた。頭が真っ白になり、一瞬でパニックに陥った。

 なんでここに周防がいるんだ?! 偶然? 尾けてきた? いつからそこに?

 疑問と言い訳が頭のなかにあふれ出した。いや、美緒と一緒だったところを見ていないかもしれない。そんな希望的観測は、周防の暗い表情を見て消え去った。心拍数が限界まで跳ねあがり、じと、と背中に汗をかいた。

 周防は全部悟ったに違いなかった。悲しい、やるせない目で、無言のうちに俺を責めていた。

「周防、あっちに折りたためるテーブルがあったぞ」

 男が近づいてきて周防の背中を叩いた。一緒に買い物に来た友人だろう。微動だにしない周防に首をかしげ「どうした?」と顔を覗きこんだ。

「……いや、なんでもない」

 周防は首を振るように俺から視線を外し、友人と売り場の通路へ消えた。

 ドッドッ、と心臓が早鐘を打って破裂しそうだった。流れるほどの汗をかき、体は小刻みに震え出した。

 まさか、こんな最悪な形で周防に知られるなんて。

 もう弁解の言葉すら頭に浮かばない。それほど焦り動揺していた。

 とにかくここにはいられない。周防にこれ以上美緒と一緒の姿を見せられないし、美緒がもし周防に気付いたら──。

 美緒に電話をかけながら、もつれそうになる足で出口へ向かった。

『どうしたの?』
「もう買い物は終わった? ちょっと気分悪くなってきたから、もう帰りたいんだけど」
『大丈夫? すぐ支払いしてくるから』
「ごめん、先に外に出てるよ」

 美緒より先に周防が出てきませんように、と祈りながら店の外で待った。買い物を終えた美緒が先に出て来て安堵した。

「大丈夫?」
「うん、ごめん。今日はもう帰ろう。買い物はまた今度ゆっくり付き合うから」
「それはいいけど。ほんとに大丈夫? 顔、真っ青だよ」
「大丈夫、ほんとごめん」

 逃げるようにその場を去った。

 家に帰っても立ち直ることは出来ずにベッドで寝て過ごした。俺のことを心配しつつ、夕飯の買い出しのために美緒は一人で出かけた。

 俺は周防にメールをするべきかずっと迷っていた。でもなんて書けばいいのかわからない。

「実は結婚してるんだ、騙してて悪かった」
「あんな場所で会うなんて奇遇だな。一緒にいたのは引っ越しを手伝ってくれた友達か?」

 どっちも違う。火に油を注ぐだけの気がする。

「俺が結婚していることは周防も知っていただろ?」

 責任転嫁も甚だしい。

 夜まで悩んだが、結局勇気がなくて何も送れなかった。

 

わるい子の愛しかた1

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うすらひ(6/18)

2019.10.24.Thu.



 ミーティングで新人4人の割り振りが発表された。Aに立花、Nに周防と南、Zに名取。N案件は資料集めや現地入り調査で人手が欲しいため2人投入と説明がされた。

 まさか本当に周防と一緒に働けることになるとは。発表の瞬間は顔がにやけそうになった。各案件ごとに会議室へ別れて、改めて2人から挨拶があった。

 初日の今日はどうしても新人2人は雑用係になってしまう。手が増えただけで雑務の負担が減って少し楽になった。

 周防も南もよく動いてくれた。もともと気が利く2人だ。こちらから言うまえに先読みして自ら御用聞きに走ってくれるからとても助かった。

 仕事終わりに、チームリーダーの古田さんの一声で全員で飲みに行くことになった。移動中も店のなかでも、周防の隣にはいつも南がいて声をかけられなかった。気心知れた者同士くっついていたい気持ちはわかる。

 飲み会も終わって、店の前で解散になった。帰る方向や手段によって、三三五五に散っていく。駅へ向かう集団に周防もいた。歩調を緩めると周防が隣へやってきた。

「お疲れさまです」

 周防から少し酒の匂いがした。

「今日は疲れただろ」
「いえ、楽しかったです。また久松さんと一緒に仕事ができるようになって嬉しいです。これからもよろしくお願いします」
「ビシビシ厳しくするからな」
「はい」

 嬉しそうな顔で頷く。このまま2人でどこかへ消えたい。みんな酔ってるし、俺たちがいなくなったところで誰も気付かないだろう。

 素早く前を歩く連中に目をやる。そのなかに、こちらをチラチラ見てくる南がいた。話し相手がいなくて心細いのだろう。今日は諦めるしかなさそうだ。

「久松さん、明後日の夜、ご飯行きませんか」

 体を傾けて周防が俺に耳打ちする。

「明後日だな、空けておくよ」

 明日は駄目なのか? 言いかけたが飲みこむ。束縛のような真似はしたくない。

 駅でそれぞれ別れた。周防の隣にまた南がくっついていく。周防に笑いかける南に心が騒いだ。まさか南は周防狙いか?
 2人からむりやり視線を剥がし、反対のホームへの階段を上がった。

 ※ ※ ※

「実は行きたいところがあるんです」

 周防とご飯を食べに行く約束をした今日、仕事が終わってどこにいくという話をしたら、なにか企んでいるような悪戯っぽい笑みを浮かべて周防が言った。

 ホテルへ行くつもりだった俺は少々拍子抜けしながら周防が言う行きたい場所へ一緒に向かった。

 会社からほぼ一駅分、駅と反対方向へ歩いた場所へ周防は俺を連れて行った。

「タクシー使えばよかったですね」

 と5階建てのマンションのエントランスへ入っていく。

 集合ポストを開け、ポスティングのチラシなんかを取ると「こっちです」とエレベーターのボタンを押した。

「周防、まさか」
「そのまさかです」

 到着したエレベーターに俺を乗せ、2階のボタンを押した。

「うそ、いつの間に? そんな暇なかっただろ」
「スマホである程度目星をつけて、内見は昼休みに少し抜けさせてもらって、それでなんとかなりました。荷物は昨日の夜、友達に運ぶのを手伝ってもらったりして、いろんな人に迷惑かけちゃいましたけど」

 2階の一番奥の部屋の前に立ち、ポケットから出した鍵をニコニコと俺に見せてから鍵穴に差し込む。ガチャン、と鍵が開く音が夜の通路に響いた。開いた室内は真っ暗で、消毒剤かなにかの、まだ空き部屋の匂いが籠っていた。

「どうぞ、中に入ってください。まだ荷物解いてなくて散らかってますけど」

 明かりをつけながら周防が奥へ進んで行く。玄関を抜けるとダイニング、その奥の洋室には敷きっぱなしの布団と、段ボールや衣装ケースなんかが隅にまとめてあった。よくある1DK。

 昨日会えなかった理由は引っ越しのためだったのか──。

「なんで……、実家から通えるのに」
「落ち着いたらいつか家を出るつもりだったんです」
「ぜんぜん落ち着いてないだろ」
「まあそうですけど」

 と笑って頭を掻く。

「いつも久松さんと駅で反対方向に別れるのが、ずっと寂しいなと思ってたんです。同じ場所に帰れたらいいのになって。それに、2人きりになるために毎回久松さんをホテルに連れて行くのも悪いなと思っていて」

 ホテルへ入るときに俺がやたら人目を警戒していたから、周防はわざわざ部屋を借りたのか? そんなことのために?

 そりゃ男同士で入る姿をたとえ見ず知らずの他人であっても見られるのは嫌だった。人の気配がしたらホテルにさえ近づかず、誰もいない時に逃げ込むように入った。

 それは俺が不慣れなだけであって、回を重ねたら気にならなくなるようなものだったのに。現に今日だってホテルへ行くつもりだったし、割と神経も図太くなって羞恥心も薄れてきていた。誰だってやることはやっているんだ。

「いつでも泊まりに来てくれていいですよ」

 楽しげな周防の様子に胸がいっぱいになった。

「馬鹿だなあ、会社の近くに借りて。何かあったときは呼び出されたり残業押しつけられたりするのに」
「でも満員電車から解放されて快適ですよ」
「ほんとに、馬鹿だなあ」

 他に何も言えなくなった。無理に喋ろうとしたら恥ずかしいことを口走ってしまいそうだったからだ。

 大きな体が俺を包みこんだ。相手は年下なのにこの胸のなかはひどく安心する。額にキスされて顔をあげた。唇にキスが降りてきた。お互いの服を脱がせ合い、裸になって抱き合った。2人とも興奮していた。

 衝動的に体が動いていた。膝をついて周防のものに口を寄せた。

「久松さん! そんなことしなくていいですよ」

 周防の慌てた声を無視して先端を口に含む。初めてだが嫌悪感はない。先から滲み出てきたものを舐めとった。ぬるりとした粘液でしょっぱい味がする。俺はいま男の性器を咥え、先走りを啜っているのだ。客観的事実に、頭の奥が焼け付くような感覚がした。鼻血を出すまえの感覚に似ている。

「もういいです、もう、いいですから」

 大きな手が俺の頬を撫でた。

「下手だった?」
「違くて……してもらえると思ってなかったからびっくりしました。すごく気持ちよかったです。すぐ出ちゃいそうでした」

 だったら止めるなんて必要ないのに。

「僕も久松さんにしたいです」

 と布団の上へ連れて行かれた。座った俺の膝を開いて、その中心へ周防が顔を近づけて来る。恥ずかしくて見てられない。

 目を閉じたら、先端が温かく湿った感触に包まれた。先を舐められ、括れを唇で擦られた。

「う、んっ」

 鼻にかかった、甘ったるい声が漏れる。

 ずず、と奥まで咥えこまれた。あの大きな口が俺のものを飲みこんでいる。先端がのどの奥に当たる感覚があった。周防の動きが止まる。何かを考えたような間のあと、周防はさらに奥へと俺を招き入れようと動いた。

「周防っ、もう、いいっ」

 慌てて周防の頭を押した。俺のものを根本まで咥える周防と目が合い、心臓が止まりそうになる。恥ずかしさのあまり周防の目を手で隠した。

「してもらうの、恥ずかしいでしょ」

 身体を起こした周防が俺の手を剥がして笑う。

「恥ずかしいなんてもんじゃない。死にそう」
「死んじゃ駄目」

 キスしようとした周防がなぜか直前で思いとどまった。理由がわかり、俺から唇をくっつけた。フェラチオしていたことなんかお互いさまだ。

 いつものようにキスをしながらお互いの体を愛撫し合った。フェラだけでこんなに恥ずかしいのに、旅行では本当に最後までできるのだろうか。不安に思ったが、周防のペニスを扱いていたらまた口でしてやりたくなったから、根拠なく大丈夫な気がしてきた。

 周防のためなら、どんな恥ずかしいことも耐えられる。

 射精をし、抱き合い、飽くことなくキスをし、また抱き合って射精する。

 いつの間にか消毒剤の臭いはしなくなって、俺たちの体臭と体液の匂いで満たされていた。

 ホテルに比べれば狭いが、なんとか入れないこともない風呂に2人で入り、少しゆっくりしてから周防の家を出た。

 送ります、と私服姿の周防が駅までついてくる。駅の蛍光灯が目にも心にも痛いほど眩しかった。密な時間を過ごせば過ごすほど、周防と離れがたく、日常の時間へ戻ることが難しく感じる。泊まっていければどんなにいいだろう。周防と帰る場所が同じなら、これほど幸せなことはないように思えた。

「また明日」

 周防に見送られながら改札を抜けた。



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うすらひ(5/18)

2019.10.23.Wed.


 周防も俺も仕事が忙しくてなかなか会う時間を取れない日が続いた。たまに雑談ができてもたいてい誰かが一緒だったり人の目があったりで、親密な会話はできなかった。そんな時周防はひたむきに俺を見つめてきた。もう日影の石の裏のような湿ったものじゃなく、日向に置かれた石のように暖かい視線だ。誰かにバレるんじゃないかとヒヤヒヤする。

 口実を作って周防に近づいたりもした。どうでもいい書類を渡すついでに周防の指に触れ、視線を絡ませる。俺を見る周防の目が好きだ。この世の誰よりも俺が好きだと伝えてくる。

 昼になればあいかわらず新人チームで集まって食事に行く。仕事が終われば仲良く居残り。それもあと少しで終わる。

 日に日に、周防から毎日届く夜のメールの時間が遅くなった。昨日なんかは23時を過ぎていた。根を詰め過ぎじゃないのかと心配になる。

 プレゼン当日、朝から緊張した面持ちの新人四人が会議室へ向かって行った。戦場へ赴く戦士のようだ。うまくやれよ、と周防の背中へエールを送った。

 周防たちが会議室から出て来たのは昼休憩の少し前。安堵した表情からうまくいったのだとわかる。監督の立場だった古田さんもご機嫌な様子で四人を昼食に誘っていた。

 今夜は打ち上げがあるだろうから、周防と飯に行けるのは明日以降。今週末は一緒にいられるだろうか。この前、「もう少し一緒にいたい」と珍しくわがままを言った周防の願いをかなえてやりたい。

 その話をしたくて夜、周防からのメールを待っていた。日付がかわっても音沙汰がない。まだ飲んでいるのか、もう遅いから周防が遠慮しているのか。俺からメールをしてもしまだ飲み会の最中だったら悪いし、万が一誰かの目に触れたら困る。

 1時過ぎまで待ったが、メールはこなかった。

 翌朝会社へ行くと、エレベーターホールに周防と同期の女性社員が二人並んで立っていた。立花と南だ。化粧毛のなかった南だったが最近見た目が華やかに女らしくなった。髪を染めて、アクセサリーもつけてくるようになった。仲のいい立花の影響かもしれない。

 二人は俺に挨拶すると前へ向き直り、会話を続けた。

「じゃあ昨日は周防くんが家まで送ってくれたの?」

 立花の口から周防の名前が出て来て聞き耳を立てた。

「方向が同じだし、タクシー代も割り勘にしたほうがお互い得だからって」
「周防くんじゃなかったら、そんなこと言われてもちょっと警戒しちゃうよね」
「私も最初大丈夫かなって不安だったんだけど、周防くんが助手席に座ってくれて、そういう気遣いできるんだって、なんかちょっと意外だった」
「周防くんて大雑把な性格に見えて、実は気配り上手だよね。しかも名取くんと違って手柄アピールしないし」

 名取とは、周防と同期の男性社員だ。ウェイ系でやたら声が大きく元気がいい。はじめはたいていの社員からけむたがられるが、持ち前のポジティブさでいつの間にかみんなに好かれている。だが同期の女子二人からは好かれてはいなさそうだ。

「そういえば立花さん、あのあと大丈夫だった? 名取くん、しつこかったんじゃない?」
「まあね、もう一軒行こうとか、家まで送るとか、挙句の果てに俺を家まで送ってくれって、まあしつこかったけど、最後は撒いてやった」

 アハハ、と二人は笑った。名取は立花狙いらしい。

 エレベーターに乗っている間も、二人は声を潜めて話しを続けた。仕事のことや、次の休みの予定のことと話題は尽きない。

「あ、周防くん」

 エレベーターを出たところで、すでに出勤していた周防が南に呼ばれて振り返った。俺に気付いて頬を緩めかける。

「昨日はありがとうね」
「え、あ、いや別に」

 俺と南、どちらを見るべきか迷って周防の視線が彷徨う。

「ね、今日のお昼、みんなで行かない?」

 去り際、立花の声が聞こえた。今日の昼は一緒に食べられるかと思ったが、無理かもしれない。夜まで我慢だ。

 案の定、昼休憩になると周防たちは四人で集まっていた。周防が縋るような申し訳なさそうな目で俺に視線を送ってくる。仕方がないよ、と口に笑みを乗せて、俺は村野と一階のカフェへ下りた。

 そこで古田さんに会い、三人でテーブルを囲むことになった。話題は自然と新入社員4人の話になった。

 立花はやはり優秀らしい。昨日のプレゼンでも部長たちからの厳しい指摘に動じることなく堂々と対処したそうだ。「意外だったのは」と古田さんは次に周防の名をあげた。

「頼りなく見えてたけど、実は一番冷静だったんじゃないかな。いきなり関係ない話題を振られても落ち着いて対応できてた。バレーの大会では活躍してた選手らしいし、意外と肝が据わってるのかもしれないな」
「鈍感なだけなのかもしれないですよ」

 村野はおもしろくなさそうだ。

 周防が褒められて、自分のことのように嬉しかった。立花のようにすぐ評価されるタイプではないが、一度一緒に仕事をすれば誰でもあいつの良さに気付く。

 名取は仕事は荒いが場の盛り上げかただけは上手く、南はおとなしいがフォロー上手、というのが古田さんが下した4人の評価だった。

 いまうちの部署が扱っている案件がA、N、Zの3つ。4人は今後この3つへ割り振られる。俺と同じNに周防がきてくれたら、仕事でも一緒にいられる時間が増えるのに。公私混同甚だしい考えだが、周防がいてくれたらやる気が倍増するのは間違いない。

 食事が済んで上のフロアへ戻った。少し遅れて周防たちも帰ってきた。周防からメールがきた。

『今日の夜、食事に行きませんか』

 顔をあげると離れた場所の周防と目があった。メールを送るかわりに、直接周防に頷いて返事をした。

 二人とも定時にあがり、一緒にビルを出た。軽く食事を、と大通り添いのバルに入った。「お疲れさま」と一仕事終えた周防を労わり乾杯する。

「古田さんがおまえのこと褒めてたよ」
「本当ですか?」
「ああ、意外に肝が据わってるって」
「そんなことないですよ、ずっと緊張しっぱなしで。みんなに助けてもらいました」
「いいチームだったじゃん」
「はい。恵まれてると思います」

 周防は噛みしめるように言った。この謙虚さが俺は好きだ。

「昨日は打ち上げ?」
「古田さんが誘ってくれて、みんなで行きました」
「けっこう遅くまで飲んだんだろ?」
「そうですね、古田さんは途中で帰られたんですけど、そこからが長くて」

 と苦笑する。

「メールくれなかったもんな。俺は待ってたのに」
「すいません、帰ったのが遅くて、迷惑になると思って」
「嘘だよ。何時に家帰ったの?」
「一時過ぎです」

 俺の質問に答えるだけの周防から、南の話題は出てこない。ゆうべ、送ってやったんだろ。俺は知ってるんだぞ。周防にとって、とるにたらない出来事なのか、あえて黙っているのか。

「電車なくて困ったんじゃない?」
「ちょうど南さんと方向が同じだったんです。だからタクシー相乗りして帰りました」

 なんでもないことのように報告してビールに口をつけた。どこにも後ろめたさや動揺は見られない。疑っていたわけじゃないが、立花と南の口振りから周防の印象は悪くないようだし、いつか誰かから粉をかけられるんじゃないかと心配は付き纏う。

 1時間ほどで店を出て「このあとどうする?」と周防に訊いた。

「また、ホテルへ行ってもいいですか?」

 もちろん俺もそのつもりだったのでまたタクシーで近くまで行き、人目を警戒しながら前と同じホテルに入った。

 シャワーを浴び、キスをして、抱き合って、扱き合った。

 周防は愛情表現を出し惜しみしない。それはベッドの中でもそうだ。言葉だけじゃなく、キスひとつ、愛撫ひとつをとっても、俺への愛情が滲み出ている。

 だから俺も周防に与えたくなる。俺の全部をお前の物にしていいんだと、この身を預けたくなる。

 だが周防はそこから先へ進もうとしなかった。やり方を知らないのか躊躇があるのかはわからないが、今日も触りあうだけで終わった。不満ではないが、周防がどう思っているのかが気になった。

 俺の体を思って遠慮しているなら、それは必要ないことだ。俺だってどうせなら周防と最後までしたい。

 もしかして、男同士のセックスに嫌悪感があるんじゃないかと、それが心配だった。

 一緒に、と誘われて周防と風呂に入った。浴槽に湯を張り、向かい合って浸る。

「そうだ、来月の週末にどこか出かけようか。泊まりでさ。たまには遠出しようよ」
「ほんとに? いいんですか?」
「うん。二人で旅行行きたいって言ってただろ」
「はい、行きたいです」

 小学/生みたいに元気に返事をして、周防は俺の手を握った。

「一緒に泊まれるんですよね」
「うん、予定空けとく」
「久松さんが嫌じゃなかったら……」

 周防はもぞもぞと唇を動かした。

「なんだよ」
「その日は、最後までしてもいいですか?」

 許しを請う目が俺を見る。心臓を鷲掴みにされたようだった。周防も、男の体の俺にちゃんと興奮してくれていた。最後までしたいと思っていてくれた。

 体中が喜びに震える。しがみつくように抱きついてキスした。

「おまえにだったら、なにされてもいいよ」

 今日も時間ギリギリでホテルを出た。

「近くにいた時間が長いほど、離れるときは寂しくなりますね」

 駅について周防がぽつりと言った。その様子があまりに寂しげだったので胸を掻きむしられた。いられるならずっと一緒にいたい。

「また明日会えるだろ」

 これは自分に言い聞かせるための言葉でもある。

「また明日」と反対の階段を登っていく周防の背中からしばらく目を離せなかった。
 


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うすらひ(4/18)

2019.10.22.Tue.


 周防たち新人に任された最終試験の発表会が迫っていた。部長たちの前でプレゼンし、重箱の隅をつつくような攻撃を耐え抜き、納得させてやっと合格をもらえる。チームを監督する社員の評価にもつながるから、今回その役割の古田さんもピリピリしている。

 この時期になると新人たちは昼も夜も話しあいのため一緒に行動することが増える。だから最近、周防と一緒にご飯に行けていない。

 先週末は、俺に用事があって会えなかった。今週末は周防が無理で会えない。来週こそ出かけられたらいいが。

 たまに顔を合わせても他に誰かがいて、挨拶とか当たり障りない世間話しかできない。本音の会話は夜のメールだけ。

 最近は仕事中俺のことを見ている余裕もないようだ。たまに俺が見ると、周防はパソコンに向かっているか、チームの仲間と会議室にこもっているかしている。

 そんな時、たいてい周防の隣には立花がいる気がする。俺が彼女を警戒しすぎなのか、たまたまなのかはわからない。そしておそらく、周防はそんなことちっとも気にしていない。

 そういうところがたまらなく愛しいと思う。周防がけなされるのは嫌だが、周防の魅力に誰も気付かないでくれとも思う。俺だけが知っていればいい。

 昼休み、「トイレに行く」という周防の声を聞いて俺もあとを追った。近くで少し話ができればいいと思っていたが、他に誰もいないことがわかったら、衝動的に周防をトイレの個室に連れこんでいた。

「久松さん?」

 驚いて俺の名前を呼ぶ周防に自分からキスした。トイレでキスだなんて最悪なシチュエーションだが、キスどころかまともに顔も合わせない日が続いて限界だった。

 ぽかんと目と口を開けっぱなしの周防を置いて個室を出た。あとから周防が大きな体を小さくして出てきた。

「会社ではしちゃいけないんじゃなかったんですか」
「俺がしたいときはいいんだよ」
「そんなのするいです」
「いやだった?」
「いやなわけないじゃないですか。久松さんからしてくれるなんて驚きました。もうずっと我慢してたから、嬉しかったです。もう一度していいですか」
「やだよ。こんな場所で二回も」
「今日、仕事終わったら一緒にごはん行きませんか」
「俺はいいけど、周防は仕事なんじゃないの」
「今日は立花さんに用事があるみたいで、久し振りに残業なしなんです」
「そういうことは早く言えよ」

 すみません、と周防が笑う。がっついた俺がばかみたいじゃないか。

「それじゃ、またあとで」
「久松さん」

 呼び止められて振り返ったらおでこにキスされた。

「夜まで我慢できなかったので」

 不意打ちのかわいい悪戯だ。なのに俺はなにも反応できなかった。ただびっくりして周防を見上げた。目が合うとニコリと周防が笑う。心臓がボンと音を立てた。急に恥ずかしくなって、周防の顔を直視できなくなった。耳が熱い。背中に変な汗が流れる。

「早く仕事終わらせろよ」

 やっとのことでそれだけ言うと早足でトイレを出た。じわじわと首元が熱い。鏡を見なくても顔が赤いのがわかる。

 もしかしたら俺は、自分が思うより周防のことを好きになっているのかもしれない。

 ※ ※ ※

 昼休憩から戻った周防は精力的にバリバリ仕事をこなした。フロア内の移動も長い足を有意義に使って高速移動する。気持ちが急くのはわかる。俺もいつも以上に仕事に集中し、見事定時にあがることができた。

『少しだけ残ることになりました。一時間だけ待ってもえ前んか』

 よっぽど慌てていたのだろう、打ち間違いのあるメールに笑みが零れる。一時間くらい待ってやるさ。「がんばれ」と店の場所をメールで送った。

 ひとりでゆっくり食事をしながら、男同士で入れるホテルを検索した。会社から近いのは論外。口コミで点数が低いところも嫌だ。駅から遠いのも億劫だし。

 適当な場所に適当なホテルを見つけ、地図を確認した。そのあと男同士のセックスのやり方を調べた。高校のとき、公祐とすることを想像して一度勉強済みだが、そのおさらいだ。

 知れば知るほど食欲が遠のいていく。こんなところでのんびり食事なんかしている場合じゃないんじゃないか? いますぐ薬局へ行っていろいろ道具を揃え下準備したほうがいいかもしれない。幻滅されたくないし、失敗もしたくない。

 焦りと迷いのあいだで右往左往していたら『もうすぐ着きます』と周防からメールが届いて軽く絶望した。いや、今日すると決まったわけじゃないし。

 しばらくして息せき切った周防が店に現れた。

「遅くなってすみません」

 俺の前へやってくるなり頭をさげる。走ってきたらしく額に玉の汗。途中で暑くなったのかネクタイが緩んでいた。

「お疲れさま。そんなに慌てて来なくてよかったのに」
「早く久松さんに会いたかったんです。食事はもう終わったんですか?」
「ああ、俺は軽く食べたよ。周防も食べるだろ、早く座れよ」
「僕はいいです。じゃあ、行きましょうか」
「えっ」

 伝票を取りあげ、周防はレジへ向かった。自分で払うと言ったのに、待たせてしまったので、と支払いをするとさっさと店を出る。

「どうしたんだよ、なにをそんなに急いでるんだ?」

 大股で歩く周防の背中を慌てて追いかける。周防がぴたりと立ち止まり、振り返った。なにか言いかけて口を閉じ、俺の腕を掴んで路地の端に連れて行く。いやに思い詰めた顔をしている。

「周防?」
「ごめんなさい、僕、余裕ないですよね。早く久松さんと二人きりになりたくて。ずっと仕事で一緒にいられなかったから」

 それは俺も同じ気持ちだ。

「自分で思ってた以上に、久松さんのことが恋しかったみたいです。今日、トイレで別れてから、久松さんのことばかり考えていました。夜会えるのが楽しみで仕方なくて……、キスして抱きしめたいってずっと思ってて……。久松さんが嫌じゃなければ、今日は2人きりになれる場所へ行ってもいいですか?」

 どこまでも正直な男だった。

 周防が不安そうに俺を見る。腕を掴む手からも緊張が伝わってくる。俺まで手足が強張った。心臓が高鳴り、また顔が熱くなる。

 さっき店で調べたHow toが頭をよぎって返事に困った。周防は男同士のセックスを知っているのだろうか。男を好きになったのは俺が初めてなら経験もないはずだ。何も知らずに、男女と同じようにその気になればできると思っているのかもしれない。

 俺だってそう思っていた。でもきっと男女のセックスでも、女性は事前に何かしらの準備をしているのだろう。

「嫌なら、断ってくれていいので」
「嫌じゃないよ」

 咄嗟に答えていた。これ以上渋ったら周防は諦めてしまう。俺だって誰の目も気にせず周防と抱き合いたい。このまま帰るのは俺にとっても苦痛だ。

 ホテルなら設備も整っているし、備品も充実している。なんとか乗り切れるはずだ。いざとなれば今日は嫌だと言えばいい。周防は嫌がる俺をむりやり抱くような奴じゃない。

「知り合いに会うと困るから……、ちょっと離れたホテルなら」

 一緒に調べるふりをして、さっき見つけておいたホテルへ誘導した。近くまではタクシーで移動し、そこから人目を憚りつつホテルまで辿りついた。男女でも気恥ずかしいのに、男同士で中に入るのはかなりの勇気が必要だった。でも部屋に入って周防に抱きしめられたら、やましさも恥ずかしさも全部消えた。

 背中に腕をまわし、深く息を吸いこんだ。周防の匂いを肺の隅々にまで行き渡らせる。汗が混じっていても不快じゃない。むしろ体の芯が甘く痺れた。

「汗臭いでしょ、先にシャワー浴びてきます」

 俺のおでこにキスしてから、周防は浴室へ消えた。心臓が耳元でドクンドクンと鳴る。俺はついに男とセックスするんだ。興味を持った当初は公祐とするんだと思っていた。いまは、公祐に誘われたとしても俺は断るだろう。

 出てきた周防と入れ違いに風呂に入った。そこでできる最低限の準備を自分に施す。いままでまともの触ったことのない場所を今日は念入りに綺麗にする。あとで周防に触られるかもしれないと思うと、恥ずかしさでどうにかなりそうだった。

 初めてでなかなかうまくいかないし、これでいいのかと不安が残る。長く待たせるわけにもいかず、仕方なく浴室を出た。

 バスローブ姿の周防がベッドに腰かけていた。頭からタオルをかぶり、前傾姿勢で俯く姿は試合前のボクサーのようだ。

 俺が近づいても周防は顔をあげなかった。またなにか不安になっているのだとすぐわかった。あるいは自己嫌悪でも感じているのかもしれない。

 頭のタオルを取ると、周防は顔をあげた。やっぱり申し訳なさそうな表情をしている。肩に手をおいて、俺からキスした。今日はいつもみたいに押しつけ合うだけのキスはしない。

 唇を使って周防の口を開かせた。隙間へそっと舌の先を乗せる。周防に舌を吸われ奥へ引っ張られた。それと同時に腰を引きよせられた。まっすぐ立っていられなくなり、周防の膝の上へ跨る。太ももに熱く硬いものが当たった。周防が勃起させている。それを感じて、胸に甘酸っぱいものが広がった。

 周防の頭を抱えこみ、唇を押しつけた。人の気配に怯えることなくキスを貪る。舌を絡ませあい、お互いの体を触りあった。周防の手がバスローブのひもを解いた。前がはだけ、素肌が晒される。俺も半立ちだった。周防はそっと優しい手つきでそれを触った。

 土壇場になって男同士の行為に引いてしまうんじゃないかと思ったが、俺も周防もその心配はなさそうだった。遠慮がちだった手はしっかり俺を掴んで急き立てるように上下に動いた。

 キスの合間に呼吸をする。呼吸の合間にキスをする。周防は眩しそうに目を細めて俺を見つめた。俺が少しでも目を逸らすと、こっちを向いてとキスでねだってくる。

「周防……っ」

 俺の声は周防の大きな口に吸収された。俺の口のなかで周防が俺を呼ぶ。どうしようもなく、体が昂った。俺も周防を触りたいと思って手を伸ばした。高熱の屹立を握った瞬間、頭がクラクラした。いつも控えめな周防にしては、驚くほど男らしくて立派だ。

「きもちいいです」

 少し擦ってやると周防は切なく顔をしかめた。嘘偽りのない言葉だというのは反応を見ればわかる。こういう時、男は正直で無防備だ。

 お互い扱き合って射精した。周防が汚れた手を拭いてくれる。そして潤んだ目で俺を見つめて深い溜息をつくと、またキスしてきた。飽きることなく、何度も長く口付けをかわす。

 好きという気持ちで溺れないよう、言葉じゃなくキスでそれを俺に伝えているように思えた。その証拠に俺のほうが饒舌なキスに溺れてしまいそうになる。

「嘘みたいだ」

 周防がぽつりと呟いた。

「なにが」
「久松さんが僕の腕の中にいる。それが嘘みたいです。こうして抱き合っているのも、夢みたいで信じられなくて現実味がない。一度僕のことを殴ってくれませんか」
「いいけど、そんなことしなくてもこれは現実だよ」
「自分がこんなに欲深くて浅ましい人間だと思いませんでした」

 いきなり天地がひっくりかえったと思ったら、周防を見上げていた。ベッドに寝転ぶ俺に周防がのしかかってくる。

「嫌だったら言ってください」

 言うと周防は俺の首筋に顔を埋め、そこに唇を押し当てた。チュッチュと音を立てながら体のあちこちにキスをする。くすぐったいような、気持ちがいいような。

 周防はまた俺のものを握った。自立を促すように擦られる。すぐ血液が集まる気配。俺も同じように手を動かした。他人の男性器に触る嫌悪感はまるでなかった。むしろ愛おしいとさえ思う。思いきり甘やかして可愛がってやりたい。

 俺の顔の横に手をついて、周防が息を詰めた。手の平と腹に生温い液体がかかる。

「ごめんなさい」

 ティッシュに手を伸ばす周防の首に腕をかけた。

「俺もイカせて」

 耳元に囁くと大きな手が戻ってきた。周防にキスされながら俺も果てた。

 汚れをふき取り、ベッドに横になった。周防が俺を抱きしめる。俺も抱き返す。目を合わせ、唇を合わせる。隙間がなくなるまで体を密着させた。もどかしい。まだ足りない。もっと近づきたい。自分の体が邪魔だった。

 時間ぎりぎりまで抱き合い、触りあった。

 精液でべとついた体をシャワーで洗い流してからホテルを出た。心地よい疲労感に自然とふたりとも無口になる。

 駅が見えてきた頃、「もう少し一緒にいたいです」と周防が言いだした。

 俺も同じ気持ちだが、これ以上遅くなるわけにはいかない。

「明日も仕事だろ。また今度、ちゃんと時間作ろう」
「……はい」

 子供みたいにシュンと肩を落とすので、ホテルに戻って一泊しようか、と勢いで言ってしまいそうになる。

「また明日な」
「はい、また明日」

 改札を抜けて周防と別れた。帰りの電車のなかで、周防の腕の強さと胸の温もりを思い返した。何度も長くキスしたせいで、少し唇が腫れぼったい気がする。指で触れる。顔がニヤけそうになるのをなかなか止められなかった。

 その夜、周防から今夜のことに触れた熱烈な恋文が届いた。

 

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