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うすらひ(3/18)

2019.10.21.Mon.


 週に1、2回、仕事が終わってから周防とご飯に行くのが恒例になった。どうせなら新規開拓しようと、行ったことのない店を選んだ。当たりもあれば外れもある。周防は好き嫌いがなく、しかもたいていの料理を美味しいと言って食べた。

 自分のほうが多く食べるから、と毎回律儀なまでに別会計。

 食事が終わると「また明日」と駅で別れた。いつも俺になにかしたそうな顔で、結局なにもしてこない。タイミングも場所もないのだから仕方がない。いきなりホテルに誘ってくるような男でもない。俺も周防のそういうところを気に入っていた。

 今日はタイ料理屋で食事をしたあと、軽く散歩しようと公園を通ることにした。ふたりになるための口実だ。

 隣を歩く周防はタイ料理がおいしかったと感想を言っている。今度タイに行ってみたい、とも。

「旅行好きなの?」
「好きです。学生の頃は金がなかったんで貧乏旅行ですけどたまに行ってました。自転車で北海道まで行ったこともありますよ」
「自転車で? すごいな。大変だっただろ」
「きついはきつかったですけど楽しかったです。優しくしてくれる人が多くて、そういう人たちに助けられながらなんとか目的地まで行けました。帰りは疲れて飛行機乗っちゃいましたけど」
「俺には片道も無理だよ。そういうのは学生ならではだな。働きだすとなかなか行けないだろ」
「そうですね。落ち着いたらまたどこかに行きたいですけど……ずっと一人旅だったんで、今度は久松さんと一緒に行きたいです」
「旅行か……いいな、行きたいな」
「今度行きましょう。下調べとか予約は僕がやります」
「じゃあ俺は行きたいとこ、考えとくよ」

 立ち止まった周防に、そっと手を握られた。

 もう少し行けば公園を出てしまう。ここなら暗いし、他に誰もいない。周防もずっと機会を探していたのかもしれない。

「久松さんとこんな話ができると思っていなかったから夢みたいです」
「ちゃんと起きてるよ」
「キスしてもいいですか?」
「どうぞ」

 周防の腕につかまり、目を閉じる。少し待つと唇に温かい感触がおりてきた。そういえば今日も香辛料たっぷりのタイ料理を食べたあとだ。周防とキスするのはいつもタイミングが悪い。

 だがそんな心配は無用だった。2、3秒で周防は離れた。キスをするのは今日で2度目。今回もチュッと軽く触れるだけで終わる。それすら精一杯だと言わんばかりに、キスのあとの周防は顔を赤らめ、汗をかき、俺と目を合わせられなくなる。

「次の休み、デートしてくれませんか」

 俯いた周防が言った。デートと言うかわいい単語に笑みが浮かぶ。

「いいよ、どこに行こうか」
「久松さんの行きたいところで」
「そうだなあ……映画観に行く? 学生の頃はよく映画館まで行ってたけど、最近行けてないんだ」
「はい、じゃあ映画を観に行きましょう」

 駅に行くまでに待ち合わせの場所と時間を決めた。初デートが決まって周防は嬉しそうだった。

 ※ ※ ※

 デート当日。シャワーを浴びてから待ち合わせ場所へ向かった。周防は先に来ていて俺を見つけると駆け寄ってきた。

「今日はありがとうございます」
「仕事じゃないんだから、堅苦しいのはやめろって」
「はい」

 周防はデニムにパーカーというラフな格好。まだ学生っぽい格好だが、背が高いせいか幼くは見えない。伸びてきたら短く切っているだけの髪型をどうにかすればもっと印象が良くなるのに勿体ない。

 周防の同期には立花のほかに女性があと1人いる。ガリガリに痩せていて化粧毛もなく髪もひっつめで、こう言っちゃ悪いが女性としての魅力に欠ける。

 あからさまに立花と区別する男性社員もいるなか、周防だけは誰であっても態度を変えない。優しいのもそっけないのも、誰とも区別をつけない。

 周防は見た目で判断しない。だからか、自分の見た目にも無頓着だ。

 センスのいい服を着て、ブランドの時計をつけ、髪もセットすればきっとモテるようになる。上っ面しか見ない村野のような奴に「あいつは背だけ」だと言われることもなくなるのに。それが自分のことのように悔しく思う。

 せっかくのデートにアニメやホラーは違うよな、と公開したばかりの洋画を見た。謎解き要素の強いミステリーものだ。最後のどんでん返しが鮮やかで見た後はすがすがしい気持ちすらした。

 周防も同じ感想だったようで、オチがわかった上でもう一度見てみたいと楽しそうな口ぶりに安心した。

 映画のあとは近くの公園を歩いた。昼の公園じゃ手さえつなげないが、ただ話をしながらブラブラ歩くだけでも楽しい。

 秋口とはいえまだ陽射しには夏の気配が残る。俺はジャケットを脱ぎ、周防は腕まくりをした。自販機で飲み物を買い、並木道沿いのベンチで休憩する。少し汗をかいた肌に、ひんやりとした風が心地いい。

「疲れましたか?」
「そんなに。たまに体動かすと気持ちいいな。歩いてるだけで運動とは言えないけど」
「散歩は立派な有酸素運動ですよ」

 周防に疲れた様子は微塵もない。

「いまはもうバレーはやってないの?」
「やってないですね。一緒にやってくれる人もいないですし」
「うちの会社、野球部ならあるんだよ。バレー部作ったら案外人が集まるかもよ」
「僕がバレー部作ったら久松さんも入ってくれますか?」
「俺はいいや。やるより見る派だもん」
「僕もいまは見る派ですね。高校生のときに実業団から声をかけてもらったことがあるんですけど、大人になってもバレーをしてる自分が想像できなくてお断りしました」

 周防が自分の話をするなんて珍しい。

「すごいじゃん。有名な選手だったんだ?」
「有名なんかじゃないです。昔から背だけ高かったから内定選手として声をかけてもらっただけです」
「でもそれだけで普通スカウトされないだろ」
「練習次第である程度技術は磨けますから、将来性を買ってもらったんだと思います。それが冷静にプレーヤーとしての自分を振り返るきっかけになりました。僕はそこそこできるけど、才能はなかったんですよね。上手な人がたくさんいるプロの世界では通用しないと思って高校を卒業したらバレーはきっぱり辞めました」
「なんか俺、悪いこと訊いちゃった?」
「そんなことないです。バレーに未練はないし、こうして久松さんに会えたんですから、僕の選択は間違ってなかったですよ」

 真顔でこういうことを言うんだ、この男は。

「周防ってすごいね」
「なにがです?」
「そういうの、恥ずかしげもなく言えるところが」
「久松さんが好きで好きで仕方ないんです。伝えないと胸がいっぱいになって溺れそうになるんです」

 真正面から好きだと伝えられて、俺のほうも呼吸困難に陥りそうだ。

 公祐はこんなふうにハッキリ言わなかった。態度だけは充分に好きだと伝えてはきたが、肝心なことは何も言わない。俺も公祐の気持ちに気付いているのに知らんぷりをして思わせぶりな態度で公祐を翻弄した。そんな遊びも楽しかった。

 でもいまは、剥き出しの感情をぶつけられることが快感になっている。もっと好きだと言って欲しい。態度でも言葉でも示して欲しい。それこそ溺れるほどの愛情で。

 最初は美味しいとこ取りだけして、後腐れのないよう、別れるつもりだった。周防だって将来のことを考えたら男同士でずっと一緒にいられないことはわかっているだろうし、心も体も満たされたら正気に返って飽きるか、次へ行くかするだろう。

 だったらそれまでは、身を焦がすほどの熱量で俺を好きでいてほしい。それを実感させ続けて欲しい。

 人から好かれることで得る優越感と快感は、麻薬のように癖になる。それに気付かせたのは公祐だが、それを思い出させたのは周防だ。俺も身を差しだすのだから、相応のものを与えてくれなくては吊り合わない。

「いつも、そうなのか? 今まで付き合った相手にも、そういう感じで」
「はい、割と伝えるほうかもしれないですね。前の彼女には重くてうっとうしいと言われましたけど」
「今まで何人と付き合ったんだ?」
「一人です。大学のときに」
「なんで別れたんだ?」
「僕といてもつまらないからって振られました」
「見る目ないな、そいつ」
「そんなことないです。僕は本当につまらない男ですから」
「俺の彼氏の悪口、言わないでくれるかな」
「えっ、彼氏……って、僕のこと、ですか?」

 周防は自分の顔を指さした。俺が頷くと、くしゃりと顔を潰して笑った。本当に嬉しいとこういう笑い方をするのか。

 キスしたくなったが、こんな場所じゃ無理だった。どうしても周防に触れたい。苦肉の策で、周防の手から空になった空き缶を取った。その時、軽く手を握った。はっとした顔で周防が俺を見る。いまにも抱きついてきそうな気配を感じてベンチから腰をあげた。

「行こうか」

 ゴミ箱にゴミを捨て、散歩を再開した。

 そのあと軽く食事をして、夜景の見える店で軽く飲んだ。誘われたら応えるつもりだったのに、店を出たら周防は駅に向かって歩き出した。

「今日はありがとうございました。またデートしてくれますか?」
「今度は周防の行きたいところに行こう」
「はい。ではまた、月曜日に。おやすみなさい」

 折り目正しくお辞儀をする周防と駅で別れた。

 夜、寝る時間になって周防からメールがきた。

『今日は本当に楽しかったです。いまもまだドキドキしています。今日は眠れないかもしれません。久松さんを好きになって良かったです。それでは、おやすみなさい』

 読み終わったら溜息が出た。周防の声を聞きたかった。文章じゃなく、周防の穏やかな声で好きだと言って欲しかった。

『俺も楽しかった。次、どこへ行くか考えといて。ちゃんと寝るんだぞ。おやすみ、また月曜日に』

 返事を送る。月曜の朝をこんなに待ち遠しく思ったのは初めてかもしれない。



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うすらひ(2/18)

2019.10.20.Sun.
<前話>

 フロアに部長の叱責の声が響いた。デスクに呼び付けられて怒られているのは周防だ。

「いつまで学生気分でいるだ。こんな初歩的なミス! 新入社員だからと大目に見らもらえる期間は過ぎているんだぞ。立花くんが気付いてくれたからいいものの、このまま提出してたら大変なことになっていたんだぞ。わかっているのか?」
「申し訳ございませんでした」

 大きな体を小さく丸めてペコペコと頭を下げている。誰だってミスの一つや二つは経験がある。一年目に大きな失敗をしておいたほうが今後のリカバリー力が育つと俺は思っている。だから今は落ち込むだろうが、必要な経験だ。

 部長もそのへんは同じ考えだから、仕事に慣れて緊張感が緩んだ頃の失敗はいつも厳しめに叱っている。部活でしごかれてきた周防なら乗り越えられるだろうが、一応あとで様子を見に行ってやろう。

 以後気をつけます、と深く頭をさげて、周防は自分のデスクに戻った。あまり喜怒哀楽を表に出すほうじゃないが、さすがに顔つきがいつもと違った。

 書類とパソコン画面を何度も見比べて、ペンで何かを書きつけ、マウスをクリックして、また書類とにらめっこ。自分にもあった初々しい仕事ぶりが微笑ましかった。

 俺の視線を感じたのか、周防がこっちを見た。目が合うと慌てて下を向く。

 周防から告白されて一週間。俺を激しく意識しているのは変わらない。湿った視線はあいかわらずだし、たまたま通路やエレベーターホールで鉢合わせるとあからさまに動揺する。

 俺から声をかけてやると嬉しそうに笑うし、軽口を言って背中や腕に軽く触れるだけで顔を赤くする。それがおもしろくてこの前歪んでいるネクタイを締め直してやったら、「すみません」と手で顔を覆い隠してしまった。

 公祐のように身をゆだねる心地よさはないが、全身で好きだと示されるのは気分が良い。

 いまみたいに、目が合っただけで照れているのも、好ましい反応だった。

 しばらくして12時を知らせるジングルが鳴った。周防を誘ってみようかと腰をあげたら、周防に話しかける女子社員が目に入ってまた尻を戻した。周防と同期の立花だ。

 パッとしない周防に対し、立花は入社したときからその美貌とハキハキ物を言う態度で注目されていた。実際優秀だし本人も出世に意欲的で、今から管理職候補だと囁かれているくらいだ。

 うちの部署にきた新人の4人でいまの疑似プロジェクトを任され、監督者は別にいるものの、チームリーダーは当然のように立花だ。周防のミスに気付いたのも立花。そして仲間のフォローも忘れない。

「周防くん、一緒にお昼行かない?」
「立花さん、迷惑かけてごめん。助かりました」
「何言ってるの。仲間なんだから助け合うのは当たり前でしょ。部長がきつく叱ったのは新人に喝入れる目的だと思うし、そんなに思いつめちゃ駄目だよ」
「ありがとう。もう少しやってからいくから、先に行ってて」
「お昼休みはちゃんと取らないと。仕事と休憩の区別は大事だよ」
「うん。キリのいいところで終わるから」
「だめだめ、ほら行くよ」

 立花は周防の腕を取って強引に立たせた。周防も諦めたのか、背広を羽織る。二人は連れ立ってフロアを離れた。

「久松、まだ飯行かねーの」

 動かない俺に村野が声をかけてきた。村野は俺の同期だ。遠慮なく言い合える仲だが深い話はしない。出かけるタイミングを逃していただけだから、村野と一緒にフロアを出た。前を歩く二人を見て村野が「そういえば」と声を潜めた。

「古田さんが立花さんを食事に誘ったら、好きな人に勘違いされたくないのでごめんなさいって断られたらしいんだよ。立花さんの好きな人ってもしかして周防かな?」
「さあ、どうかな」

 美人な立花さんはすぐ男性社員の間で話題になった。みんなが参加する歓迎会や飲み会には参加するが、二人きりや人数が極端に少ない飲み会は断っていると聞く。美人故の悩みも多いだろうと男の俺でも想像できた。

「いくらなんでも周防はねえか。あいつは背だけだもんな」

 負け犬の遠吠えほどみっともないものはない。確かに周防はバリバリ仕事ができるほうじゃないし、上に取り入る器用さもない。でも人として大事な真面目さと誠実さは隣の村野よりある。

 エレベーターホールで二人と一緒になった。俺に気付いた周防が会釈をよこす。到着したエレベーターに乗り込んだ。

「今日なに食う? なんかあっさりしたのがいいな」

 村野へ「そばにする?」と返事をしながら俺の意識は後ろに立った周防に向かっていた。後ろから同じような会話が聞こえてくる。

「洋食屋さんでいい? 先にみんな行ってるから」
「僕はどこでも」

 周防と立花、二人だけで食事をするわけじゃないようだ。

 エレベーターが一階について外へ出た。村野とそば屋へ向かう途中、振り返った。立花と歩く周防の後ろ姿が見えた。あっち、と行く先を指さして立花が周防の腕を掴む。まさか本当に立花の好きな相手は周防なのだろうか。当の立花はぼんやりと、立花が指さした方向を見ている。あの鈍感男は、話題の美人社員からボディタッチされても顔色を変えない。

 それに満足してから前に向き直った。

 ※ ※ ※

 今日のミスを取り返すべく、周防は残業するようだった。終業時間になっても腕まくりしたままパソコン画面に向かっている。

 同期の仲間たちは周防に一声かけてから帰っていった。立花だけは「私も手伝う」と言いだしたが周防に断られて渋々帰宅した。本当に周防が好きなのか、自分ですべて把握しておかないと不安な性格なのか、まだ判断しかねるところだ。


 また邪魔が入る前に周防に声をかけた。

「どうだ」
「久松さん」
「ポカやらかしたんだって」
「はい……、ちゃんと見直したつもりが、見落としてしまっていて」
「自分が作成した書類ってのは、頭の中で補完するからミスを見落としがちなんだ」

 どれ、と周防の肩越しにパソコンを覗きこんだ。与えられたフォーマットにデータを落とし込み、数字さえ気をつければいいだけの簡単なものだ。これをミスするとはらしくない。

「もう完成してるんだろ?」
「はい。最後にもう一度確認しようと思って」
「見直しなら時間をあけてやったほうがいい。どうせなら外に食べに行かないか?」
「お誘いはすごく嬉しいです。でも、久松さんは残業してるわけじゃないですよね。僕に付き合って帰りが遅くなってしまうのは申し訳ないです」
「俺がおまえと一緒に食べたいから誘ってるんだよ。おまえのほうこそ迷惑なら断っていいから」
「そんなことないです! 本当に嬉しいです」

 俺のずるい言葉を、周防は予想通り慌て否定した。急いでパソコンの電源を落として背広を羽織う。

 また戻って来るなら近いほうがいいだろうと、会社から一番近い中華屋に入った。俺は餃子とビール、周防はラーメンと酢豚と炒飯を頼んだ。運動部の名残りか、周防は大食いだ。これだけ食べてもまだ家で軽く食べることもあるらしい。実家住まいで、母親が用意してくれた夕飯を無駄にするのが悪い、とも言っていた。優しい奴だと思う。

 大きな体、大きな口に、料理が次々消えていく。がっついているわけじゃない。一口が大きいのだ。見ていて気持ちがいい食べっぷりだった。

「そういえば今日の昼飯も周防を誘うと思ってたんだ」
「僕をですか」
「うん、立花さんに先越されたけど」
「気付かなくてすみません。立花さんはミスをした僕に気を遣って誘ってくれたんです」
「優しい子だな。おまけに美人だ」
「そうですね」

 さらっと同意してラーメンを啜る。美人に鼻の下を伸ばすタイプじゃないが、美醜の基準は持っているらしい。

「周防と立花さん、一部で噂になってるらしいよ」

 村野が言っているだけだが、周防は驚いてラーメンを噴き出した。咳き込む周防に水のグラスを渡してやる。

「すいませっ……ゴホッ、ンッ、誰がそんな……ありえないですよ、立花さんに悪いです。僕なんかと、噂だなんて」
「そんなことないよ、周防は背も高いし、2人並んだらなかなかお似合いだった。有りなんじゃない、立花さん」
「どうしてそんなこと言うんですか。僕が誰を好きか知っているのに」

 咳き込んだせいで充血した目が悲しげに俺を見る。しまった、と目を逸らした。

「ごめん、悪気はなかった」
「僕はまだ久松さんを諦められてないんです。それどころか日に日に好きだっていう感情が強くなっていきます。久松さんが誰かと一緒にいるだけで仕事も手につかないくらい気になって仕方ないんです。今日も村野さんに嫉妬しました。他の誰も目に入らない。自分でも余裕がなさすぎて嫌になります」

 自己嫌悪に顔を歪め、周防は箸を置いた。周防が想い詰めるタイプだと忘れていた。もしかして今日のミスも俺に気を取られていたからか?

「俺が悪かったよ。無神経なこと言った、ごめん」
「僕のほうこそすみません。でももう言わないでほしいです。久松さんから、他の誰かのことを聞きたくありません」

 不器用ながらも一生懸命自分の感情を言葉で伝えてくる周防に感動した。ごまかしたり、嘘をついたり、大人なら当たり前にやっていることを、周防はしないのだ。

 奢ると言うのに周防は頑なに自分の分は払います、と譲らなかった。結局会計は別々に済ませて店を出た。初秋の風が頬を撫で髪を梳いた。鞄はデスクに置いたまま。だから周防と一緒に会社に戻った。

 誰もいないエレベーターホールでエレベーターを待つ。

「周防」
「はい」
「さっきはほんとにごめん」
「久松さんは悪くないです。ただの冗談だったんですよね。僕のほうこそ空気を読めなくてすみません」
「いや……」

 空のエレベーターに乗り込んだ。横に立つ周防を見上げる。よく食べるわりに太る気配はないシャープな顎のラインに目がいく。吹き出物ひとつないきれいな肌だった。階数表示を見上げる目は決して俺のほうを見ない。仕事中はしょっちゅう俺を見ているくせに、こんな風に近くにいると目さえ合わなくなる。

「周防」
「はい」
「俺も立花さんに嫉妬したのかも」
「え」

 ぴくんと顎を揺らした。ゆっくり俺のほうへ顔を向ける。

「周防と一緒にごはん行こうと思ってたのに先越されて、仲良さげだったから、嫉妬したのかも」

 周防は薄く口を開くと鋭く息を吸いこんだ。なにか言いたげにムズムズ唇が動く。言葉にならないのか声は出ない。何度も瞬きする目に動揺が表れていた。

 じわじわと周防の顔が赤くなっていった。耳から首まで赤くなっていくのを見るのは感動的だった。

「そういうことを言うのはやめてください。期待したくなります。諦められなくなります」

 周防は顔を背け、喘ぐように言った。

「別に諦める必要はないんじゃないか」

 周防の腕に手を添えた。周防はびくりと肩を震わせた。

「僕は冗談と本気の区別をつけるのが苦手なんです。ご存じですよね」
「よく知ってる」

 湯気が出そうなほど赤い顔のまま振り返ると、周防がゆっくり顔を近づけてきた。俺はそれを見つめ返した。周防の目がぎゅっと閉じる。少し目測を誤った場所に、ぎこちなく唇が押しつけられた。それはすぐ離れていった。周防らしいキスだと思った。

「また空気を読めていなかったらすみません」
「ちゃんと読めてたと思うよ」

 周防は額の汗を拭った。見ると首筋にも汗をかいている。可笑しくて笑ってしまってから気付いた。

「あ、俺さっき餃子食べたんだった、ごめん」
「もう、そんな──、味わう余裕とかなかったですから」
「味わうっておまえ」
「すいません、久松さんのこと抱きしめたいです」
「一応会社だから。さっきのもほんとは駄目だからな」
「すいません。もう夢中で」

 笑って周防の背中を叩いた。スーツ越しでも、背中まで熱くなっているのがわかった。



魔風が吹く 5

(非BL)番頭…
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うすらひ(1/18)

2019.10.19.Sat.
「リロード」スピンオフ

※不倫、挿入なし

 思いつめた顔の周防から「久松さん、お話したいことがあるので、仕事のあとお時間頂けませんか」と言われたとき、予感はしていた。

 周防は今年入ってきた新入社員で、俺が教育係について仕事だけじゃなく社会人としてのイロハを教えてやった。ミスのカバーもその後の説教も、仕事のあとは相談や悩みを聞いてやったのも俺。いつの間にか同期の奴より、教育係の先輩社員と仲良くなる、というのはよくあることだ。

 中高とバレー部だったという周防は体育会系なだけあって先輩の言うことには絶対服従の扱いやすい奴だった。でも暑苦しさはなくて、むしろおとなしめ。わからないことや疑問に思ったことはきちんと質問してくるが、無駄口は叩かない。でもこちらの冗談や軽口には付き合う。真面目で誠実なタイプだ。

 その周防から最近、意味深な視線を向けられていることに気付いた。じっとりと、日影の石の裏みたいな湿り気を帯びた視線だ。過去にも覚えのあるもので、だからこそ心構えを持てた。

「久松さんのことが好きです」

 店に入り、注文した飲み物が届いてすぐの告白だった。まだ料理が届いてさえいない。

 とりあえず俺は、個室のある店にしておいて良かった、と思った。

「そっか、ありがとう、気持ちは嬉しいよ」

 今後、仕事に支障がでないよう軽くあしらう。これではっきり断らなくても可能性はないとわかってくれればいい。

「初めから変な目で見てたわけじゃないんです。最初は尊敬だったんです。厳しいけど優しくて、優秀だけど楽しくて、久松さんが僕の指導係になってくれて本当に良かったと思いました」

 驚くべきことに周防は話を続けた。

「教育期間が終わって久松さんと離れ離れになってすごく寂しくなりました。気付くといつも久松さんを見ていました。胸が苦しくなって、でも家に帰ると久松さんのことばかり思い出して、久松さんに会えると思うと会社に行くのが楽しくなりました。最初は男同士でなにかの間違いじゃないかと思いました。でも久松さんが他の誰かと仲良くしているのを見ると嫌な気持ちになって、これはもう誤魔化せないと思ったんです」

 周防はまっすぐ俺を見つめながら「久松さんが好きです」とまた言った。こんなに長々告白されたら適当に流すわけにもいかない。はっきり振ってやらなきゃならない。今後も毎日顔を合わせるっていうのにこんな告白をしてくるなんて浅慮だ。

 苛立ちと疲れを感じて軽くため息をついた。その時、テーブルに置いたスマホがメッセージを受信した。

『次の休みは先約があるからごめん。また今度』

 高校時代の親友、公祐からだ。結婚式以来会っていなかったから、また会えないかと思いきって俺から誘ってみた返事がこれだ。告白が欲しかった相手からは振られて、欲しくなかったところから告白をされる。皮肉なもんだ。

 公祐とは高校時代、親友以上に親密な付き合いをしていた。

 自分を見る公祐の目が他と違うことにあるとき気付いた。観察を続け、疑惑は確信へ。

 自分の挙動次第で公祐が一喜一憂する様をみるのが楽しかった。例え男でも好かれて悪い気はしない。むしろ優しくされて甘やかされるのは気分がよかった。

 はっきり下心がわかった上で体に触られても嫌じゃなかった。事故に見せかけてキスされた時も、公祐のずるさがいじらしいとさえ思った。

 告白されたらどうしよう。自分はどこまで許せるだろう。

 ゲイではないが、興味はあった。キスくらいしてもいい。体を触られるのも大丈夫だ。それ以上のセックスは……大事にされるなら、1度試すくらいはしてやってもいい。

 夜寝る前はそんなことばかり考えていた。

 告白しやすいよう、雰囲気も作ってやったつもりだった。だが公祐は卒業するときになっても告白してこなかった。

 臆病だと思った。思わせぶりな態度だけじゃ足りなかった。もっとはっきり示してやればよかった、と。

 公祐のことは好きだった。でも恋愛感情とはちょっと違う。友情以上恋人未満、そんな程度の、愛着と情が入り混じった思春期特有の同性への淡い恋に似たものだった。キスやセックスなんてものはおまけで、ただの好奇心だ。

 俺の結婚報告で高校時代の仲間と集まったとき、久しぶりに公祐にも会った。俺が結婚すると聞いて公祐はかすかに顔色を変えた。俺をまだ好きなんだと確信した。その日、酔った勢いで告白されたら、こちらも酔った勢いでホテルに行くつもりだった。でも公祐は何も言わず帰った。

 結婚式では平然と新婦にも挨拶した。妙に晴れやかな顔だった。公祐は俺を諦め、吹っ切ったのだとわかった。それを見て俺のほうが焦りを感じた。俺はホモじゃない。公祐のせいで中途半端に興味を持ってしまっただけ。持たせた公祐が責任を取るのが筋だ。なのに断られた。

 公祐は、昨今激務で名高い教師の職についている。家に仕事を持ち帰り、放課後土日は部活動でサービス残業休日出勤が当たり前だとテレビで聞く。

 仕事なら仕事だと言うだろう。先約とは、匂わせる。友人か、恋人か。

 恋人なら俺の誘いを断ったのにも納得がいく。俺にしたように優しく甘やかす相手ができたのかもしれない。

 モヤモヤと暗い感情が胸に広がった。

 勝手なことを全部言いきって、俺の返事をじっと待っている周防に目を戻す。

 6歳も年下。まだ仕事のフォローも必要。俺が面倒を見ることのほうが多い。俺の出方を待ってお座りしているだけの、積極性に欠ける頼りない男。公祐とはぜんぜん違う。

 でも俺の消化不良な好奇心を満たすには周防くらいがいいのかもしれない。少し相手をして、目を覚まさせてやって、良い思い出になるように別れてやれば、それほど仕事にも影響しないだろう。言っても周防も大人だ。何事もないように振る舞うことはできるはずだ。

「気持ちは嬉しいよ、ほんとに」

 周防が入社したての頃のように、優しい笑顔を心掛けた。

「周防が俺のことをそういう風に見ているなんて知らなかったから驚いたけど。男同士とか考えたこともなかったから……、正直に言うと、すごく戸惑ってる。俺のかわいい後輩だし、傷つけたくないと思う。受け入れることはできないけど、俺も周防が好きだし、これからも今の関係を続けたい。仕事では先輩後輩でも、仕事が終わったら友達になれないかな。周防が辛いならよすけど」

 俺の言葉を聞いて周防はゴシゴシ目元を拭った。

「すぐ振られると思ってたから、そんなふうに言ってもらえるだけで嬉しいです。僕なんかが久松さんの友達になってもいいんでしょうか。本気にしてしまいますよ。ただの慰めとか社交辞令なら遠慮しないではっきり言ってください。僕は空気を読めないんです」

 それは短い付き合いだけどわかってる。

「社交辞令なんかじゃない、俺も本気でそう思ってるよ」
「ありがとうございます。急にこんな……気持ち悪い話をしてすみませんでした」
「頭上げろよ、気持ち悪くなんかないから」
「久松さんは僕が思ってた通り、素晴らしい人です」

 とまた涙を拭う。大の男が人前で泣いている。それほど思いつめていたのだろう。周防に思わせぶりな態度は一切とらなかった。なのに告白してきた。そこも公祐とは大きく違う。

 普通明日からのことを考えて思いとどまる。それでも告白してきたのは、それだけ俺のことが好きだからだろう。もう胸に押しとどめることができないくらいに。勇気はあるが不器用で愚直な男だ。

「周防の気持ちはわかったから、明日からも普通に仕事できるな?」
「はい」

 鼻を啜りあげて子供みたいに頷く。

「でも久松さんを意識してしまうと思います」

 正直な言葉に思わず笑みが漏れる。

「毎日ずっと久松さんのことで頭がいっぱいなんです」
「わかったから」
「こんなに誰かを好きになったこと、初めてなんです。それが久松さんで良かった」

 もう何も言えなくなって酒の入ったグラスに口をつけた。普段自分のことは滅多に語らないくせに、俺を口説くときだけ饒舌になるなんてずるい。本当は全部計算なんじゃないのかと疑いたくなる。

「すぐに諦めるなんてできないと思うので、もう少し、久松さんを好きでいることを許してくれますか? もう気持ち悪いことは言わないので」

 そんな簡単に諦めるなよ。その程度なのか?

「だから気持ち悪いと思ってないって。さっきも言ったけど、周防の気持ちは嬉しい。俺の方こそ、そこまで慕ってくれてありがとう」

 まだ少しも減っていないビールを勧めたら、周防はちびりと一口飲んだ。そして隠していたものを吐きだしたすっきりした顔で息を吐いた。





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