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大事だったのに(3/3)

2019.08.25.Sun.


 一番近いトイレに宝生はいた。突如現れた俺を見て、ぎょっとした顔をする。顔を洗ったのか、前髪と首元のシャツが濡れていた。

「大丈夫か?」
「…………なにが」

 低くて、硬い声だった。顔も強張っている。それでも返事をしてくれたことが嬉しかった。

「食べ過ぎたって」
「………ああ、別に」

 と目を伏せる。睫毛がまだ濡れていて、泣いているように見えた。それを見たら何も言えなくなった。言う資格が、俺にはなかった。

「あ、じゃあ──」

 トイレを出ようと身じろぎした時だった。

「………元気、だった……?」

 思いがけず宝生から話しかけて来てくれた。俺は何度も頷いた。

「ああ、元気だった。宝生は?」
「俺も………普通に………」
「そうか。よかった」

 会話が途切れ沈黙が流れる。宝生に話したいことはたくさんあった。どれものどにつかえて出てこない。胸が潰れそうだ。

「宝生」

 顔を伏せたまま、宝生が目を上げる。

「……………なに」
「あの頃は、すまなかった。おまえのことを考えないで、酷いことばかりして。ずっと、それを謝りたかった。本当にすまない」

 頭を下げた。膝が震えていた。

「いまさら…………そんなこと言われても………」

 もっともだ。宝生が傷つけられたのは今じゃない。こんな謝罪は無意味だ。俺の自己満足でしかないんだ。

「それでも、どうしても、おまえに謝りたかった。ごめん」

 さらに深く下げた。頭を上げようとしたら「待って」と声がかかった。なんだと思う間もなく、腕を引っ張られて、個室に押し込められた。

「宝生?」
「しっ」

 扉を睨みながら、宝生は人差し指を口に当てた。こんなに近くで顔を見るのは久し振りだ。

 見とれていたらトイレに誰かが入ってきた。二人分の足音と話し声。会話の内容から、同窓会のメンバーらしい。二人は女の話をしながら用を足すと、俺たちに気付くことなくトイレを出て行った。

 宝生がほっと息を吐きだす。そして俺の腕を掴んだままだったことに気付いて慌ててはなした。

「ご、ごめん」
「いや、でもなんで」
「えっ」
「別にふたりで個室に入らなくても」
「……あっ! な、なんとなくだよ、咄嗟に!」

 とそっぽを向くが、個室を出る気配はない。扉の前に立っているから、俺も出られない。

 しかしいつまでもここにいるわけにはいかない。宝生だって、俺と近くにいるのは嫌だろう。

「久し振りに宝生に会えて嬉しかったよ」
「えっ。あ、そう」

 俺の言葉に宝生はいちいち驚いたように反応する。怯えられているようでいたたまれない。だとしても、俺の自業自得だ。

「おまえに謝れたらと思って来ただけだから、俺はもう帰るよ」
「えっ、もう?」
「うん。他の奴らと話もできたし」

 思いつめたような顔で宝生が黙り込む。

「あ……、じゃあな。そうだ、腹の具合が悪いなら、ホテルの人に言ったら胃薬もらえるかもしれないぞ」

 聞いているのかいないのか、うんともすんとも言わない。

 扉の前からも退いてくれない。宝生に触ることは躊躇われた。だから言葉にして言うしかなかった。

「そこ、退いてくれるか?」

 宝生は顔をあげた。泣きそうな顔で俺を睨みつける。

「……謝ったくらいで許されると思うなよ」

 想像のなかで何度も言われた台詞だが、本物に言われるとかなり堪える。

「人を物みたいに扱っておきながら」
「ああ、最低だった。本当に悪かったと思ってる」
「おまえに同じことさせろよ、そしたら許してやる」
「同じこと?」
「俺のを咥えろよ」

 宝生はズボンのファスナーを下げた。中からペニスを出して俺に向ける。

「本気か?」
「ほんとに悪いと思ってんなら、できるだろ」

 と俺を挑発する。こんなことを言う奴じゃなかった。言わせたのは俺だ。

 膝を折り、宝生の股間に顔を近づけた。付き合っている間、結局一度もイカせられなかった。これも罪滅ぼしになるんだろうか。
 柔らかいペニスを口に含んだ。

 やったところで、宝生は勃つのか? 俺を嫌っているし、なんだったら怯えているようにも見える。

 当時の不安が頭を擡げた。体温が下がるような心地がする。俺にとってもトラウマになっている。

 口のなかで、宝生の体積は増していった。無心で舌と口を動かした。宝生に頭を掴まれた。ぐっと奥まで押し込まれる。吐き気を堪えながら口淫を続けた。

 何分そうしていたのか。射精するどころか、その気配からどんどん遠ざかる。前と同じだ。俺では宝生をイカせられない。心細さと申し訳なさから、胸が苦しくなる。

「もういい……!」

 ずるっと口からペニスが抜けた。肩を押された拍子に尻餅をついた。

 宝生は顔を擦りながら、萎えたペニスをズボンのなかに仕舞う。

「おい、そんなにしたら……」

 あんまり強く顔を擦るので、心配になって腕を掴んだ。顔を背けた宝生の目元は真っ赤になっている。静かに息を飲む俺の目のまえで、宝生の頬を涙が滑り落ちていった。

 なんで、と言いかけて俺のせいだと口を噤んだ。泣かれるほど、嫌われていたのだ。

「ごめん」

 宝生の腕をはなした。泣くのを堪えるためか、宝生は唇を噛んだ。嗚咽を飲みこみ、肩先を揺らす。

「ごめん、もう二度と関わらないから」

 許してもらえると思っていたわけじゃない。でも心のどこかで、「昔のことだろ」と言ってもらえるんじゃないかと、甘い期待があった。俺は本当に馬鹿だった。

 宝生に触れないよう、トイレの鍵に手を伸ばした。

 いきなり胸倉を掴まれ、奥の壁に打ち付けられた。胸が苦しくなるほどの強い衝撃。宝生の怒りそのものだ。次にくる暴力も受け入れるつもりで、宝生を見つめた。

 泣き顔も隠さないで、宝生は俺を見ていた。

「……このくらいで許さないって言っただろ……!」

 真っ赤な目に涙を溜めて宝生が言う。俺はうなだれるように頷いた。

 瞬きをした拍子に、宝生の目から涙が零れた。

 それを見た瞬間、痛ましさと切なさがこみあげて、衝動的に指で拭っていた。

 驚きと怯えの入り混じった顔を見せたが、宝生は逃げなかった。少ししておずおずと俺の手に頬を押し当ててきた。

「……宝生の気の済むようにしてほしい。どうしたら許してもらえる?」
「簡単に許すわけねえだろ。さんざん酷いことして、人のこと不感症呼ばわりしたくせに」

 と言いながら、俺が親指で頬を撫でることを止めない。ゆっくりした動作で瞼を閉じて、されるがままになっている。

「あれはほんとにごめん。俺がへたくそだったのに、宝生のせいにした」
「ほんとだよ、おまえとやっても、ぜんぜん気持ち良くなかったんだからな」

 ずばりと切りつけられて返す言葉もない。以前の俺なら耳を貸す余裕もなく、躍起になって否定していただろう。

 前に付き合った年上の男からさんざんダメ出しをされたおかげでつまらないプライドは跡形もなく砕け散っていた。おかげで宝生の言葉を素直に聞ける。

「今日も無理だったな。嫌な思いだけさせて、ごめん」
「今日は……」

 宝生の目がうっすら開いた。かと思ったら、目を伏せたまま黙っている。

「宝生?」
「……さっき……、倉持となに話してたんだよ」

 消え入りそうな小さな声だった。いきなりの話題に面食らう。

「倉持と? えっと、おまえとはやく仲直りしろって」
「それだけ?」
「あとは……、高校のとき、おまえにした頼み事を忘れてて欲しいって言ってたな」
「高山に好きな子がいるか、聞いてほしいってやつ?」

 覚えてたのか。そうだ、と頷いた。

「あいつ、おまえのこと好きだったんだよ」
「みたいだな。さっき聞いた」
「いまも好きなのかも」
「ないだろ。昔の話だって言ってた」
「そうは見えなかった。おまえも、デレデレしてた」
「してないよ」

 どうだか、と宝生が唇を尖らせる。手の平に当たる頬が熱い。

「もしかして、嫉妬してくれてる?」
「してねえよ、なんで俺が」

 そう言う宝生の顔は赤い。また身の程知らずな期待をしてしまいそうになる。手を離そうとしたら、押し戻された。挑むような強い目が俺を見上げる。

「倉持に頼まれたから、好きな奴がいるのかってしつこく訊いたんだ」

 高校のときの話だろう。しつこく訊かれて、どうとでもなれと自棄になって宝生が好きだと言った。

「俺だって言われて嬉しかった。俺も好きだったから」

 それは初耳だった。俺もあえて訊かなかった。俺と付き合ってくれたのは、単なる好奇心と、友達を辞めるとまで言った俺にしつこく訊いた罪悪感からだと思っていたからだ。まさか好きでいてくれたなんて、思いもしなかった。

「さっきイケなかったのは、倉持のことが気になったから」
「倉持が、なんで?」
「あいつまだおまえのことが好きなのかもって。おまえも、満更じゃないのかもって思ったら、気になって仕方なくて」

 不安げで頼りなさげに話す宝生に激しく動揺した。胸を掻きむしられるような思いだった。あまりのショックで咄嗟に体が動かなかったのは幸いだった。でないと俺は宝生を抱きしめていただろう。

「最低な奴だってわかってるのに、どうしてもおまえのこと、嫌いになれないんだよ」
「宝生、それは……いまも俺のことを好きだって思っていいのか?」
「やだよ、おまえみたいな嫌な奴。ぜんぜん優しくなくて、自分勝手で……嫌な奴!」

 2回も嫌な奴が出てきた。そう言われても仕方がないほど俺は嫌な奴だった。少しはましになったと思いたい。

「俺はずっと宝生を忘れたことはなかった」
「少しは罪悪感で苦しんだかよ」
「今もずっと苦しんでる。償えるなら償いたい。昔と違う俺を見て欲しい」

 捲し立てるように言った。もしこれが俺に与えられた最後のチャンスなら、絶対逃したくない。

「頼む、俺とやり直して欲しい。変わってないと思ったら、すぐ振ってくれていい。もう二度と付き纏わないし、顔も見せないから」

 迷っているように、宝生の目が揺れる。

「どうせ、ヤリたいだけだろ」

 ポツリとか細い声が呟く。

 付き合っている間、隙をみては宝生の体に触った。宝生がその気じゃなくてもセックスした。嫌がっていたのに、映画館のトイレでしたこともあった。宝生が疑心を抱くのはもっともだ。

「宝生の嫌がることはしない。今度こそ大事にしたい。ちゃんとおまえを愛したいんだ」

 心の底からの本心だった。

 長い沈黙のあと、宝生は微かに頷いた。そっと抱きしめたら体を預けてくる。力を込めたら、頬を擦り寄せてきた。

「今度は優しくしろよ」

 宝生が遠慮がちに言う。それだけで、涙が出そうだった。





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