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はじまる(6/8)

2019.07.24.Wed.


 目が覚めたら知らない場所だった。天井に照明。横を見ると壁。反対はテーブルの下に誰かの膝が見えた。

 どこかの店の個室っぽい。他の客の話し声が遠くかすかに聞こえる。会話を邪魔しない落ち着いた店のBGM。体を起こしたら少し頭がふらついた。

「あれ、ここ。僕どうして」

 正面に、煙草をふかすムカイさんがいた。その横では料理をがっつくクドウさんが。

「おまえ、途中で寝やがったんだよ。ここまで連れてくんの大変だったんだからな」

 咀嚼途中で喋るから口の中のものが飛び出して汚い。ムカイさんは慣れたものなのか、無言でテーブルを拭いている。やっぱ仲いいんじゃん。

「すいません、ムカイさん」
「なんでムカイにだけなんだよ! これだからブリッコは」
「前も言ってたけど、俺のどこがブリッコなんだよ」
「気付いてねえのか?! すいませんムカイさん僕! ムカイの前だからってかわいこぶってんじゃねえよ」
「かっ……! わいこぶってねえよ!!」

 ムカイさんの前でなんてこと言うんだ。しかも途中のやつは僕の真似か? すばやく窺ったムカイさんは、冷めた顔つきで煙草をくゆらせている。

「渋樹は俺のこと苦手だからな」
「苦手じゃないですよ!」
「そうか? すげえ距離感じるけど」
「そんなことないです」
「苦手の反対、好きすぎて嫌われたくねえからいつまでもムカイには敬語なんだろ? ブリッコ野郎」

 クドウさんの言葉にハッとした。気付いていなかった。僕は本当に無意識に使い分けていた。ムカイさんに対してだけ、敬語が崩せなかった。一人称も俺じゃなく、僕だった。本当に、クドウさんに言われるまで気づいていなかった。

 羞恥から一気に顔が熱くなった。怖々見たムカイさんはぽかんとした顔だ。煙草を吸う手も止まってしまっている。

「違います! だってムカイさんは年上だし」

 俺も年上だっつーの、とクドウさん。

「ケンちゃんの店の先輩だし」

 俺も先輩だっつーの。口の中のものを飲みこんだクドウさんは行儀悪い立膝でニヤニヤ笑う。僕の背中を変な汗が流れる。

「クドウさんは、敬語使うに値しないっていうか」
「それは聞き捨てならねえな。素直にムカイにブリッコしてたって言えよ」
「違う……それは本当に違いますよ……」

 もう顔をあげてられなくて俯いた。

「渋樹に嫌われてないんならどっちでもいいよ」

 笑いを含んだムカイさんの声がした。呆れられた? 変な奴って思われた? クドウさんが言うみたいにブリッコ野郎? 穴があったら入りたい。

「なんだこの空気。尻がムズムズする。俺は少し寝るから起こせよ」

 座布団を枕替わりにして、クドウさんは畳の上に横になった。眉間にしわの酔った不機嫌な顔で目を閉じる。こんな状況で、酒も飲んでいないのに眠れるのかと思ったが、しばらくしたら本当に寝息を立て始めた。

「いつも電池が切れたみたいにいきなり寝るんだ。起きたら体力完全回復してんだぜ。子供かよ」

 クドウさんを見下ろしながらムカイさんが微笑む。

「ほんとにクドウさんと付き合ってないんですか?」

 と思わず勘ぐってしまう。

「だから、こいつとはなんもないって。なんかあるわけないだろ、これと」

 その雑な扱い方も親しい証に思えて僕は嫉妬するわけですが。……嫉妬? とんでもない言葉が頭に浮かんでしまった。

「あの、今日は絡んじゃってすいませんでした」
「久し振りにやさぐれてる渋樹を見られて面白かったけどな。もう酔いは醒めてきたか?」
「あ、はい」
「彼氏とのことは残念だったな」
「まあ、クドウさんが相手じゃ仕方ないかなって。顔だけはいいですもん」

 と見たクドウさんは、難しい顔で歯ぎしりしながら眠っている。それでも美形が損なわれない。悔しいから落書きしてやろうかな。

「落書きしてやるか?」

 ムカイさんが同じことを言いだしたから思わず吹き出した。

「僕も同じこと考えてました」

 笑う僕を、ムカイさんは遠い目で見た。

「どうしました?」
「さっきクドウが言ってたことだけど、本当なのか?」
「えっ」
「いつも俺にだけ距離があるなって思ってたんだよ。他の連中みたいに砕けた感じではこないだろ。こないだも飯誘ったら断られるしさ。クドウのほうが打ち解けて楽しそうだし。だから俺は嫌われてんだろうなって思ってたんだけど、違うのか?」
「違いますよ! 嫌ってなんかないです!」

 中腰になって慌てて否定した。チラっとみたクドウさんはまだ寝ている。

「僕にとってムカイさんって憧れの人なんですよ。ムカイさんは覚えてないと思いますけど、僕がケンちゃんの店に初めて行ったとき、ムカイさんもいたんです。その時に、かっこいいなって、密かに思ってたんですよ。その時の印象が強くて、ムカイさんには敬語になっちゃうだけなんです。嫌いとか苦手とか、ぜんぜん、ないです」
「ならいいけど」

 納得したのかわからない顔でムカイさんは頷いた。

「渋樹が初めてケン坊の店に来た時のことは俺も覚えてるよ。ウブくてかわいくて、食っちまいたいって思ってた。俺もツレがいたし、なによりケン坊の牽制がきつくて手を出すどころか口も出せなかったけどな」

 笑いながらムカイさんは小鉢の料理をつついた。僕はそれを眺めながら、いま聞いた言葉を反芻した。ウブくてかわいくて食っちまいたいって? 本当にそう言った? ムカイさん、僕のこと良いって思ってくれてたってこと?

 これはきっとあれだ。リップサービスだ。僕がたくみに振られたばっかりだから、慰めるために持ち上げてくれてるだけだ。ムカイさんの噂を思い出せ。二股三股は当たり前。修羅場は何度も経験済み。ムカイさんの言葉を本気にしちゃだめだ。

「手が出せないのは、ムカイさんもですよ。すごくモテるじゃないですか」
「いい男だしな。って、いうほどモテてねえよ」
「いやいや、ケンちゃんの店に来る時いつも男連れじゃないですか」
「待ち合わせで使ってんだから、たいがい誰かと一緒だろ」
「毎回違う男」
「んなこたあねえよ。ミノルだって3、4回連れて行ってる」

 言われてみれば、僕が知る限りで2回は来てた。噂のせいで、悪い印象しか残らない。

「二股三股は当たり前って」
「二股なんかするかよ。されたことはあっても」
「修羅場は何度も経験済みで」
「一度もない」
「刺されたこともあるって」
「あってたまるか」
「だって、噂で」
「誰だそんなデマ流しやがったのは」

 デマ? 全部嘘? どっちが? 誰が? ムカイさんの噂を僕に教えたのは。

「……ケンちゃんだ」
「ケン坊が? なんでそんなデタラメを……まあ大方、俺を渋樹に近づけさせないためだろうな。渋樹のことを弟みたいにかわいがってるから、自分が認めた男じゃねえと嫌なんだろ。この前のイケメンカバディ野郎みたいな。俺と正反対のタイプ」

 言われてみれば。ケンちゃんが僕と仲を取り持とうとするのはいつもわかりやすいイケメンタイプ。僕にはこういう男がお似合いだって。最初は僕も夢中になるけど、いつもうまくいかなくて、半年程度で別れるを繰り返してた。

 ムカイさんの悪口を僕に吹きこみ、ムカイさんと正反対の男とくっつけようとする。

 もやもやする。なにか意図があるような。

「渋樹のこと狙ってんのかもな。さっきも、おまえを連れ出して店出るときのケン坊の顔見たか。独占欲の塊だったぞ」
「僕を? まさか!」
「ばか野郎、狙われてんのはおまえだ、ムカイ」

 いきなりクドウさんが起き上がった。目は充血して真っ赤。しかめっ面でガシガシ頭を掻きまわす。

「ケン坊はずっとおまえを狙ってんだよ。でもおまえが店にくるときはいつも男連れ。隙を窺ってるときに渋樹がやってきて、ムカイは涎を垂らしてるし、渋樹もムカイにホの字なのがダダ漏れ。あの腹黒野郎がおまえらを素直にくっつけるわけがねえだろ。与しやすい渋樹を手元に囲ってネガティブキャンペーンしまくっておまえから遠ざけてたんだよ。なんでそんなこともわからねえんだ、おまえらは」

 クドウさんは一気にまくしたてるとテーブルのソフトドリンクを煽った。ここではノンルコールのワインを飲まないのかとぼんやり思いながら、僕の頭の大部分はクドウさんの言葉とケンちゃんの今までの言動を思い返していた。

 たくみがクドウさんに落ちたといち早く気付いて僕にだし巻き卵を振る舞ってくれたケンちゃんなら、僕がムカイさんに一目惚れしたこともすぐに見ぬいただろう。常連客なら、ムカイさんの好みのタイプも知っていたはず。

 ケンちゃんは全部知ってた。全部わかってて──。

 ──初めてなら相手選びは慎重に。誰でもいいなんて考えちゃだめ。これから嫌でも長いゲイライフなんだから初めてだけは大事に、特別な人と。

「嘘だ、ケンちゃんがそんなことするはずない」
「信じる信じないはおまえの勝手だ。でもケン坊がおまえらの邪魔してたのは確かだ。おかげで何年無駄にした?」

 出会ってから5年。口をきくようになったのも2年前から。もしクドウさんの言ってることが本当だったら5年無駄にしたってことだ。

「これで元彼の件はチャラだからな。ムカイ、ここはおまえの奢りだぞ」

 膝に手をついてクドウさんは立ちあがった。いまはもうすっきりした顔をしている。うまくいったら飯奢れよ、と言い残し、クドウさんは帰った。

 うまくいったらって?

 ※ ※ ※

 クドウさんがいなくなったら急に部屋が静かになった。忘れていた店のBGMがはっきり聞こえる。

 間がもたないのはムカイさんも同じようで、ポケットから煙草を取り出し、空だとわかると苦い顔で握り潰した。

「あ、僕、煙草買ってきましょうか?」
「いや、いいよ」

 また沈黙。ムカイさんもクドウさんが落としていった爆弾の処理に忙しいんだろう。

「クドウの言ったことが本当なら、俺ってけっこうモテモテだよな。自覚ねえけど」
「ですよね。僕もケンちゃんも、ムカイさんが好きってことですもんね」
「えっ」
「えっ!」

 ムカイさんの慌てた顔で自分の失言に気付いた。さっきは憧れているといったその口で。舌の根も乾かぬうちに告白めいたことを。しかもたくみと別れたばかりの僕が。

 顔を赤くして俯く僕は、クドウさんが言う通り、ただのブリッコ野郎だ。

「俺のこと、好きか?」

 ムカイさんはゆっくりした口調で僕に訊いた。ムカイさんの声は温かみのある黒だ。落ち着いていて、安心する。迷ったのは一瞬。僕は素直に頷いた。

「さっきも言ったけど、俺は二股なんかしないし、修羅場の経験もないし、刺されたこともない。ひとりとできるだけ長く付き合いたいと思ってるし、別れたら落ち込むし、振られたからって人を刺したりもしない。渋樹がずっとイメージしてた俺と本物の俺は違うけど、それでも好きだって思ってくれるなら、俺と付き合ってくれるか?」

 噛んで含めるように言う。噂で聞いていたムカイさんと実物はぜんぜん違う。こっちのムカイさんのほうがいいに決まってる。僕は何度も頷いた。胸がいっぱいでなにも言葉が出てこない。

 照れたようにムカイさんが笑う。それは僕が初めて見る顔だった。

 ムカイさんはテーブルの上に身を乗り出した。クイクイと指で手招きされる。僕もテーブルに両手をついてのりあげ、ムカイさんと唇を重ねた。

 僕たちはやっと今日から始まるんだ。





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